第57話 歌姫の滝へ

「よ、ようやく着いた……」

 クーザンが額の汗を拭い、ルミエール院の玄関にへたり込む。ピォウド遠征組の疲労はピークのようで、それぞれが安堵の声を上げていた。
 ピォウドを出て一日。楽団の車に揺られて戻り、国に入る時に再びあの地下道を歩き、ようやく心から安心出来る拠点に着いたのだ。そう思っているのは自分だけではないようで、ホルセルやセレウグの表情にも笑顔が浮かんでいる。
 帰還の音が聞こえたのか、リビングへと通じるドアの向こうからひょっこりシアンが顔を出した。

「おかえり! 疲れたでしょ、今お風呂用意してくるわね」
「ありがとう、シアン。ただいま」
「今日はゆっくり寝たいぜ……」
「……詳しい話は、休んでからの方が良いみたいだな。長くなりそうだ」
「そうして頂けると助かります……」

 複数の足音を背に現れたイオスも、遠征組の様子に苦笑しつつ、そう申し出る。正直なところ、体力的にも精神的にも疲れていたクーザンは、有り難くその申し出に甘える事にした。
 そんなやり取りをしていると、彼の背後からまた別の人物の声が耳に届いた。

「みなさん、お疲れ様でした! ホルセルさんも、無事で良かったです……!」

 奥のリビングから現れたのは、イオスやシアンと同じ赤い髪の少女。その二人と同じ容姿を持つ人物は、孤児院に残った者はおろか仲間内でも、一人しかいない。

「リレス……目が覚めたのか?」

 自分らがジャスティフォーカス本部に出発する前は、原因不明の昏睡状態に陥っていたはずのリレスが、倒れる前と変わらない笑顔を浮かべてそこに立っていた。
 彼女はこちらに駆け寄り、両手を持ち上げ拳を作りながら、口を開く。

「はい! ご迷惑おかけしてすみませんでした。寝ちゃっていた分、しっかり頑張りますから!」
「頑張り過ぎて、倒れるんじゃ……」
「ホント、こっちが怖いわ……」
「もう、大丈夫ですよ二人共! ……あれ?」

 声が聞こえて振り向けば、リビングのドアの向こうから顔を覗かせているサエリとレッドンの姿があった。いつもの無表情が、何故か「心配だ」と言いたげに困ったような雰囲気を感じてしまうレッドンが若干気になったが、それよりも早くリレスがクーザンの隣に視線を向け、首を傾げた。

「クーザンさん……アーク、どうしたのですか?」
「話は後でするよ。取り敢えず休ませてやって欲しい」

 ここまで何とか連れ帰って来れたものの、アークはあれからぼんやりとしている事が多くなっていた。何かを問い掛けても、ただ大丈夫、と返すだけ。間違いなくスウォアと何かがあったとは思うが、それさえも聞けないままだ。

 ピォウド遠征組が風呂に入って一段落してから、一同はリビングに集められた。
 残留組はリレスの昏睡の原因が《月の力 フォルノ》であった事。それを受けてジャックという人狼族の青年が現れて、彼に誘われる形で人狼族の里へと赴いた事。
 ピォウド遠征組はヴィエントの暴走の原因、ジャスティフォーカス総帥とクロスの思惑、スウォアや彼の仲間が組織に入り込んでいるかもしれない事。
 それらを一通り情報共有し終え、一息ついてからホルセルが白髪を掻き、ぽつりと呟くように言った。

「ヴィエント……か。まさか、自分が二重人格だなんて思ってなかったな……」

 そして視線を落とし、自分の手を見詰める。彼が何を思っているのか、あらかた予想は付くが、それを口にする者はいなかった。

「ホルセル君は恐らく、ヴィエントとの繋がりが強くなったんだ。だから長い時間、アイツが表に出て活動出来るようになっていたんだと思う。他にも分かるようになった事、あるでしょう?」
「……うん。リレスから、何でか懐かしい、と思えるような魔力の気配……は感じる。本当にアストラルの子孫なんだな」
「あ、でも、直接って訳じゃないんです。正しくは、アストラルの転生した方の子孫ってだけで」
「信憑性は薄いが、リレスの《月の力》への干渉力と苗字は無視出来ない。証言者も増えたしな」

 話続けて乾いた喉を潤すように、掬ったスープを口にして飲み込んだユーサは、でも、と真剣な表情で続けた。

「そのヴィエントが、動けるようになってから行った事が、クロス君を捜す事。興味ない事にはとことん首を突っ込まない奴だから、そこに意味がないとは思えない」
「と言う事は、やっぱり行くのか?」

 ホルセルが夢の中で会ったクロスに告げられたという言葉。歌姫の滝に来い、という指示。それを信じて行くのか、というクーザンの問いに、セレウグが答える。

「どうせホルセルの冤罪がどうなるか、一週間後にしか分からないんだ。その間ここで大人しくしている必要もないし、行く価値はあるんじゃないか?」
「賛成。それに、情報が欲しいしね」
「クロスに会えるの? ならリルもさんせーいっ」
「そういえば、アブコットがあの後どうなったのかも気になるわね」
「じゃ、アブコットに寄りつつ歌姫の滝、で異議ある人いる?」

 その問いには、異口同音に声が上がる。どれも肯定を差すもので、異議を唱えた者は一人としていなかった。

   ■   ■   ■

 食事も終わり、誰もが思い思いに寛ぎの時間としたひととき。クーザンは、新鮮な空気と静かな空間を求め、二階のテラスの手摺に体を預け、思考を巡らせていた。
 リレスは意識を取り戻し、ホルセルも無事敵やジャスティフォーカスから助け出せた。自分達がやれる事は全てやり遂げられた、はずだ。――それなのに、何故だろうか。楽しい光景を見ているはずなのに、心のどこかは『悲しい』と感じている自分がいる。何がそう思わせているのか、自分の事なのにさっぱり分からない。
 分からないと言えば、何度も夢の中に出て来て、ルナデーア遺跡で「力を託す」と言っていたあの白髪の青年の事もだ。会った事はないはずだが、しかし初めて会ったという感覚もなかった。

「(そういえば……本部で見たあの光景)」

 自分が、見た事もない少女と手を繋いで歩いていたそれ。確か、あの時の自分の腕と思われる袖が、白髪の青年の服と一緒だった気がしなくもない。
 以前、セレウグにフラッシュバックか?と問われた事を思い出す。正直なところ眉唾ものだと思っているし、その時と自分の意見は変わっていないが、でも、まさか。

「クーザン!」
「うわぁ!!」
「ひゃ!? ご、ごめん!!」

 突然耳元で名を叫ばれ、びくぅと肩を震わせる。呼んだ本人もそこまで驚かれるとは思っていなかったのか、慌ててすぐに謝罪を口にする。犯人――ユキナは、目を大きく見開き構えた状態で固まっていた。キーンと鳴る耳を押さえながら、何だよ、と声をかけた。

「……だって、ずっと呼んでたのに反応してくれなかったから」
「だからって耳元で叫ぶ奴があるか、馬鹿!」
「あたしバカだもん、バカで結構!」
「開き直るな! じゃあこれから風邪引かなくなったぜ、馬鹿は風邪引かないって言うからな!」
「バカでも風邪は引くもん! クーザンこそ風邪引かないんだから、バカなんじゃないの!?」

 何を、と言いかけたが思い直し、勢いで言い返そうとしていた言葉を飲み込み、大きく溜息を吐いた。彼女と不毛な言い争いをするのはこれが初めてではないが、何となく気が乗らなかったのだ。
 とはいえ、わざわざリビングから離れた場所にあるテラスまで自分を追いかけてきたからには、何らかの用事があるのだろう。それくらいは聞こう、と口を開く。

「で、用は」
「……実は、特になかったりして。えへへ」
「じゃあリビングに戻れ。あっちの方が賑やかだし、お前も好きだろ」
「そ、それはそうだけど……。あ、あのね! ジャックっていうイオスさんの知り合いが来たって話、聞いたでしょ? その人のご主人様がね、あたしに似てるんだって。里で長老さんに間違えられちゃったの」

 半ば無理矢理引き出してきたであろう話題に、クーザンは溜息を吐きつつも応じる。

「お前に? それはさぞかし騒がしい奴なんだろうな、お前に似て。一人でもややこしいのに」
「そんな事ないもん! ていうか、クーザンヒドい!」
「本当の事言って何が悪い」
「む……。後ね、そのジャックさん。ちょっとクーザンに似てたんだよね、雰囲気とかが」
「へぇ」
「……ちょっとは話に関心持ってくれたって、罰は当たらないと思うんだけど」

 ぷーっと頬を膨らませつつ、ユキナはクーザンの頭を軽く叩く。あまり痛くはないので気付かぬ振りをし、そのまま景色を眺め続ける。
 やがて、まともに話を続ける努力は諦めたのか、ユキナも隣に歩み寄ると、自分と同じ景色を目に入れてうわぁ、と感嘆の声を上げた。

「ホワイトタウンの夜景、すっごく綺麗だよね。何か、地上が空になってるみたいじゃない? あのホワイトタウンの一番大きい光が月で、家の明かりが星。暗い場所は空! 人間が作る空だよ」

 今二人の眼前に広がる夜景。嬉しそうに言うユキナは、その中でも一際強く輝いている光を背景に振り向いた。あの方角は、確か夜の海を駆ける船の導き手、灯台が建っていたはず。

「人が自然と同じものを作ってるんだと思うと、凄いよね!」

 光とユキナが重なり、彼女の淡い桃色の髪が輝く。まるで、それ自体が発光しているかのように。

「――月、か」
「え?」
「何でもない」

 柄にもなく何を言ってるんだろうと思いつつ、クーザンは僅かに笑みを零した。

   ■   ■   ■

「こーら。休めって言ってるのに何してんの、アンタは」
「そ、その……戻るよりここにいた方が良い気がしたからデス……」

 一方、室内のリビングに残っていたホルセルは、ひとまず体を休めろとは言われたものの、何となくソファに座っていた。大人しくしているのは元々性に合わない性格ではあるし、言われる程疲労が溜まっているとは思わなかったからだ。
 だが、戻っておくべきだったかもしれない――と、目の前に立ち塞がったサエリとリレスを見上げながら後悔するものの、時既に遅し。二人は両手にマグカップを持っていて、その片方をそれぞれホルセルとリルに差し出してきた。礼を言って受け取るその中身は温かいお茶で、じんわりとした温かさが手に伝わってくる。

「ねぇアンタ、ここを出ていく時の記憶は残ってるの? アークが、『アンタが出て行く時に誰かと話しているのを見た』って言ってたんだけど」

 部屋に戻れと言うのは諦めたらしいサエリが代わりに口にしたであろう問いに、うーん、と内心唸る。
 覚えていない訳ではない。意識は心の深い場所で眠っていたようなものだったが、ヴィエントの視界と思われる光景はしっかり脳裏に浮かぶ。
 問題は、その相手なのだ。何故、彼がヴィエントと話していたのか、ホルセルには見当もつかない。正直に言って彼女らを戸惑わせるのも本意ではないのだが、何かしらの答えを彼女らが欲しているのも分かる。どうしたものか、と考えを巡らせた。

「……うん、覚えてる。覚えてるけど、それはまだオレが言うべきじゃない、かな」
「はぁ? どういう事よ?」
「えーと、口止め……はされてないけど、その、とにかくオレからは言えないんだ! だから、勘弁してくれると嬉しい……」
「じゃあ、せめて知り合いかどうかだけ教えてくれませんか? もし知り合い以外の誰かであれば、警戒する必要がありますし……」
「それは大丈夫。……な、はず」
「そこは言い切らなきゃいけない所でしょ? 不安な女心ってモンを察しなさいよ。
やだー怖いわー助けてー」
「うわ!? だ、大丈夫! 大丈夫ですからオレの首に腕を回さないでくださいサエリさん!! リレスも真似しようとしないでくれよ!?」
「あ、バレちゃいました?」

 わざとらしく言いながら、サエリはマグカップを持ったままホルセルの背後から首に腕を回してくる。男にはない柔らかな感触と匂いが近くから感じるのが羞恥に変わり、慌てて腕から抜けようと試みるものの、お茶を溢す危険があるので思うようにいかない。
 どさくさに紛れて近付いて来ようとしていたリレスはリレスで、指摘された事におどけたように笑うので、本当に女の子ってのは油断出来ねぇ、と自分の経験値の無さに途方に暮れる。
 そんな応酬をしていると、横から笑い声が聞こえてきた。

「モテモテだなホルセル。耳まで真っ赤だぞ」
「セレウグさん助けて!!」

 天からの助けと言わんばかりに、自由な両手をバタつかせてセレウグに助けを求める。これがネルゼノン辺りであれば「あ、もうちょっと」と抱きつかれたままでいそうだが、自分にはとてもじゃないが羞恥心が耐えられない。

「助けてやるから、ちょっと付き合ってくれねぇ?」
「どこでもついて行きますから!! 地の果てまでも!!」
「いや別に出掛ける訳じゃねぇよ。つー訳でサエリ、解放してやって」
「仕方ないわね」

 本当に仕方なさそうに言いながら、サエリがホルセルから離れる。妙に解放感を感じるのは気のせいか。
 ソファから腰を上げ、差し出されたリレスの手にマグカップを渡す。と、傍で本を読んでいたリルが顔を上げ、問いかけてきた。

「兄貴、どこか行くの?」
「あ、えーと」
「大丈夫、ちょっとお兄さんを借りるだけだから。――ああそうだ、良ければここの子達とも遊んでやってくれないかな。仲良くなりたそうにしてるから」

 彼女の問いに応えたのは、いつの間にかそこにいた青年。ユーサは彼女の頭を撫でると、僅かに口元を緩ませた。
 すると彼の後ろから、孤児院の子供であろう女の子がおずおずと顔を出す。見ればその子だけではなく、他の子供もこちらの様子を心配そうに窺っているようだった。
 リルはしばらくユーサを見、女の子に視線を移し、一度ユーサに戻してから、どうしよう?と首を傾げてホルセルの顔を見上げてきた。

「行ってこいよ、リル。出かける時は声かけるからさ」
「……うん!」

 承諾を求められていると判断し、彼女の望み通りに答える。一緒にいたいと思ってくれているのは嬉しいが、同じ年頃の子供が少ない場所で育ったリルにとって、これはきっと貴重な機会でもあるだろう。
 連れ去られたという経験と元来の性格から、既知ではない相手との接触をあまり好まない彼女ではあるが、仲良く出来るはず。この孤児院の子供達は、余所者であり奇特な容姿を持つ相手にも、とても優しい。
 リルは嬉しそうに頷くと、読んでいた本を抱えて立ち上がり、嬉しそうな顔をした孤児院の女の子に、手を引かれて行った。
 それを見送り顔を戻すと、ユーサが僅かに笑みを浮かべているのが視界に入る。初めて見る珍しい表情だと思っていると、視線を感じたのかいつもの無愛想に戻った彼に何?と睨みつけられる。

「あ、いや……」
「アンタ、子供苦手そうな顔してるから、そうやって普通に接してるのは意外ね」

 濁したホルセルの言葉を補うように発言したサエリに、ユーサが眉間にシワを寄せた。だが何かを言う前に、セレウグが彼の肩に手を置いて口を開く。

「一応、ここの最年長だしな。お兄ちゃん?」
「うるさい黙れ。あと重い」
「褒めてんだから恥ずかしがるなって」
「……確かに、苦手だけどね。一人でいる方がずっと好きだし。――ほら、僕の事はどうでも良いから早く来て」

 腕を引っ張られる形で連れて来られたのは、リビングを出て階段を上がった部屋の一室。空き部屋らしいが、今はクーザンとセレウグが使っているらしく、彼らの武器が脇に立てかけられている。

「お前さぁ、結局自分で引っ張ってくるならオレ要らなくなかったか?」
「君、僕があの中にどうやって割って入れたと思う? 無理だよ」
「あー……まぁ、そうだけど。えっと、お前に用があるのはオレじゃなくて、コイツなんだ。ちょっと連れ出してくれって頼まれてさ」

 連れられるがままだった自分に説明され、ホルセルはなるほど、と納得した。ユーサが自分に何の用があるのかについては、全く分からないが。
 勝手知ったるなんとやらで、彼はベッドに躊躇いもなく腰を下ろし、腕を組んでこちらに目を向けた。先程よりは眼力が弱く、興味なさそうな雰囲気を纏っている。

「で? 何か分かった?」
「……へ?」
「『へ?』じゃないよ。言ったでしょ。君はヴィエントと繋がりが強くなってるって。僕が聞きたい事、分かるよね」

 ユーサが聞きたい事。主語のないそれが、何を指しているのかを考えてみる。
 まず間違いなく、ホルセルの事ではない。そうであれば、彼の性格上、今ではなくもっと早い内――それこそ合流した時には問い質してくるだろう。ヴィエントと繋がりが深くなった今問いかけてくるという事は、その記憶に付随する何か。
 そこまで考えてから、ホルセルは答える。

「……ヴィエントの記憶をオレが思い出せるか、って話?」
「そうだよ。別に記憶じゃなくて良い、考えとか、とにかくアイツに関係する事」
「んー……」

 再び思考する。だがいくら考えども、特に見知らぬ何かが浮かんでくる事はない。

「ダメみたいだ。特には浮かばない……」
「そっか。まぁ、どうもアイツ自身が何かしているみたいだから、仕方ないか」
「ただ、えっと……胸騒ぎがする、って言うのかな、こういうの。クーザン見てると、何か不安になるって言うか……」

 記憶は浮かんでこないが、ひとつ気になっている事はある。
 ピォウドから帰る道中、穏やかな時が流れる今。ホルセルの中で、確実に変わった感覚がある。
 思い出されるのは、ダラトスクの策略の碑での戦闘。あの時クーザンは、『クーザンではない誰か』の力を振るい、倒せないはずのラルウァを倒した。その姿を見た時、自分は何とも言えぬ畏れを抱いたが、それと同じ感覚が今もあるのだ。
 そう言えば、あの時脳内で響いた声。あれはヴィエントだったのだろう。その出来事も含めて話すと、ユーサはふむ、と呟いた。

「それは、ヴィエント側の感覚だろうね。間違いなく」
「……やっぱり。なぁ、だとしたらクーザンは――」

 その言葉を聞いたユーサは驚いたように目を見開くと、まさしく自嘲とも言うべき笑みを浮かべ、今度は黙って頷いた。

   ■   ■   ■

 流石に、ドッペルが変身した龍でもこんな大人数を一度では運べない。その為移動はまた船となり、滞在期間的にトンボ返りをする事になる。
 船はイオスの知り合いが手配してくれていた。本当に顔の広い人だと思いつつ彼らは船で河川を渡り、一週間振りのファーレン地方に降り立った。

 慌ただしく通り過ぎてしまったアブコットは、少し落ち着いたのか瓦礫は片付けられ着々と復旧作業が続けられていた。船に乗せてくれた男の姿は見付からなかったが、誰もが落ち込む様子を見せず働いている。
 ギレルノが一度訪れた時にはまだ日常であったらしく、表情にはあまり出さなくとも驚いているようだった。聞けば、あの後黒い化物は姿を見せていないらしい。住人達は街を救ってくれたユキナに再び礼を告げ、そのついでに灰色の鳥を街のシンボルにしようという話が持ち上がっているのを教えてくれた。相変わらず正体は分からないままらしいのに、大した決断力だ。

「……灰色の、巨大な鳥?」

 その話を遠目から聞くユーサが、怪訝そうに顔をしかめ、呟いた。

 営業再開した道具屋で準備を整えてからアブコットに一泊し、翌早朝に出発。強行軍ではあるが、そうゆっくりとはしていられない。それに、誰も口にはしないが、どこか気が急いているようにも思えた。
 そして大分日も傾いてきた頃、一行は『歌姫の滝』に向かう森を歩いていた。引き続きユーサが案内役として先頭を務め、ひとまずは以前訪れた家に一泊して行こう、という流れになったのだ。
 一度訪れているはずのホルセルは、少し落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見回している。怯えと言うよりも、好奇心が宿った表情。リルも兄と一緒に同じような行動をしているものだから、流石兄妹である。

「アーク、大丈夫ですか……?」

 ホワイトタウンを出発してからもずっと黙りっ放しのアークに、リレスが心配そうな声音で話しかける。隣にいるサエリも気になっているらしい。
 しかし、彼は反応しない。彼女がもう一度呼びかけても。すると、サエリは何かを思い付いたのかアークの耳元に顔を寄せ、

「返事くらいしなさいよ、スウォア」
「……え?」

 特に驚くでもなく、彼は返事をする。いつものアークなら、あわあわと顔を真っ赤にさせそうなものなのだが。

「え、じゃないわよ。リレスが呼んでるじゃない」
「あ、ゴメン……」
「大丈夫ですか? どこか具合が悪いとか……」
「ううん、大丈夫。ただ、まだ頭の中がこんがらがってるだけだから」

 えへ、と力無く笑うアーク。見ている者を温かい気持ちにさせる笑顔はなりを潜め、今は逆に不安になってくる。
 だが、大丈夫と言われてしまうとそれ以上問い掛ける事も出来ず、彼女らは心配そうな表情ながらも、口を噤むしかなかった。
 周囲に落ちる沈黙。何かを言わなければとは思うが、こんな空気に最適な話題といえば何があるのだろうか。

「そ、それにしても、不思議な森だよね、ここ! つい、ただいまって言いたくなっちゃうよね」

 同じく沈む空気に耐えられなくなったらしいユキナが、いくらか躓きながらも話題を変える。

「何で森にただいまなんだよ」
「分かんない」
「この前来たからじゃないの?」
「うーん……何か違う気がする」
「私は分かる気がします。森って、もっと暗くて怖いっていうイメージがあるじゃないですか、帰らずの森みたいな。でもここは、暖かくて……森が歓迎してくれているような気がするんです」
「森が歓迎……ねぇ」

 確かに、帰らずの森の雰囲気に比べればここはとても明るく、どこか懐かしさも感じさせる。サエリには分からないようで、内心胡散臭いとでも思っているであろう表情で返してきたが。

「きっと、魂の還る場所は、ここみたいな優しい所なんでしょうね」
「魂か……」
「そんなの信じてる質だっけ? アンタ」
「基本信じない」
「そうよねぇ、そう見えるもの」

 サエリの問いにあっさり返し、クーザンは足を進める。非化学的な物を信じているつもりはないが、一方では、それでは表しようのない感覚というものもある、と思っているのも事実。
 考えても分からないものを振り払うように首を振ると、そういえば、と口を開いた。

「リレスは大丈夫なのか? あんまり《月の力》が濃いと、また倒れるんじゃ」
「……大丈夫」
「ええ。レッドンに貰ったブローチに入っている、ユキナさん達が採ってきてくれた月の草が守ってくれてますから」

 とても嬉しそうに話す彼女の胸元で揺れているブローチ。元々はレッドンのもので、彼が少しいじって採ってきた草を入れたのだと言う。

「そう。全く、無茶しやがって……」
「そう言わないであげて。ユキナがいなかったら、草が手に入ってないかもしれないんだから」

 危険を省みず、困っている人がいると手を差し伸ばさずにはいられない、まさに隣にいる幼馴染に頭を悩ませ呟くと、苦笑を浮かべたサエリに言われてしまう。
 草が生えている場所に一輪の蕾しかなかった月の草を、ユキナが咲かせた。にわかには信じ難いが、同行していた者が言うには本当なのだと言う。彼女の治癒能力が少し変わっているのは分かっていたが、まさか植物にまでそれが作用するとは誰が想像したか。

「……分かってるよ」

 ユキナの力の謎、クロスの意図、ゼルフィル達の目的。分からない事だけが増えていると言うのに、解決の糸口はここまでほとんど全くと言っていい位に見付からない。
 果たして、この答えはクロスに会えば拭い去れるものなのだろうか。複雑な心境なのを表情に浮かべながら、クーザンは小さく肩を竦めるのだった。