ホワイトタウンを出発したユキナ達は、人狼族の里へ向かっていた。急遽調達した馬車の幌が、ばさばさと音を立てている。
ルミエール孤児院には、シアンとライラックが残っている。最初はサエリも残ると頑なに主張していたが、シアンに諭され(怒られ)仕方なくといった様子でついて来る事になった、という経緯がある。魔導学校でもほとんど二人一緒にいた所しか見ていなかった覚えのあるユキナには、彼女が一人でいる光景が新鮮に思えた。
「もうそろそろ着くぜ。里で余計な動きすんなよ、面倒だから」
馬の手綱を引く男の隣に座っているジャックが、幌を少しだけ持ち上げ覗き込み、声をかけてくる。彼だけが里の場所を知っている為、案内代わりの役目をしているのだ。
「わ、分かったわ」
「ふむ、人狼族の里……興味をそそられるな。一体どんな場所なのか」
「お前、やっぱりそれが目的か……。少しは自重しろよ、姫さんが驚いてんじゃねーか」
孤児院に残るべき彼が何故付いてきているのかユキナには理由が想像ついていなかったが、ジャックは分かっていたのか呆れたような顔で突っ込んだ。
当然だ!と意気込み、普段の調子に見えて実はとても興奮して語り出そうとする彼を、誰が止められようか。少なくともこの場にはジャック以外いないと思われるが、その本人は我関せずと流す体勢に入っている。
いや、気にするべくはそこではない。今この人、自分を何と呼んだ?
「ま、待ってジャック。『姫さん』て、あたしの事?」
「ん? 他に誰がいるんだ?」
「女の子ならサエリもいるじゃない! というかくすぐったいから止めてよ、あたしにはユキナって名前が――」
そこまで言ってから、ユキナは動きを止める。そう言えば名乗った覚えも、彼の前で名前を呼ばれた覚えもない事に気が付いたからだ。
あ、えと、と困ったように口をぱくぱくさせていると、ジャックが耐えられずに噴き出す音が聞こえた。
「ユキナな。じゃあそう呼ぶわ」
「う、うん、そうして!」
くっくっと笑いを引き攣らせてはいるものの、ジャックはユキナの主張を受け入れてくれた。何ともみっともない姿を見せてしまったが、呼び方を訂正出来たので良しとする。
「……お。着いたぜ」
言われて見上げた先は、鬱蒼とした木々が奥を隠すかのように生い茂っている。誰かが住んでいるようには見えないが、ジャックが言うにはここで降りるのだと言う。
その彼は男と数度やり取りし、何か受け取った相手が馬を出発させ、ユキナ達を乗せてきた馬車は足早に遠ざかっていく。
「一応、用心な」
「もしかして、ここも魔法みたいな鍵があるの?」
「あー、魔法っちゃ魔法か。正しい順番で道を移動しないと里に着かねぇから、はぐれんじゃねーぞ」
「承知した」
所謂迷路のようなもので、迷い込んだ旅人を取り込む為に森の奥まで迷わせる幻影があり、逆に、正しい順路を辿れば里に着くのだと言う。それを知っているのは里の人間――つまり人狼族の者達のみ、らしい。
森に足を踏み入れ、ジャックを先頭に歩く。
「そういえば、ジャック。お前がいつも言っている『剣士様』とやらは、いつも同じ相手か?」
「あん? そうだぜ。お嬢の唯一の友人だと」
「唯一の友人、か……」
ジャックの答えにイオスが考え込むように顎に手を当てるが、足場の悪い森の中だった事を思い出したのか、思考も会話もそこで途切れた。『お嬢様』も、その『唯一の友達』と称される者も、一体どんな人物なんだろう、とユキナは興味があったが、それを聞くのは憚られた。最近知り合ったばかりの相手に教えてくれるような、そんな話ではないと思ったのだ。
そうしている間に、ずっと木々だけが続いていたはずの視界の先に、木製の家が立ち並ぶ場所が見えてきた。ジャックはそこが、人狼族の里なのだと言う。
中に入ると、そこには自分達と大差ない人間がのんびりと暮らしているように見えた。ただ、擦れ違う者の中には、ジャックのように完璧な人間の姿に変身しきれていない者も見受けられる。本当に人狼が住んでいる集落なのだ、と実感した。
国ではないので入国審査も必要なく、他の国と比べると、どこか別世界に迷い込んだかのようだ。幼い少女が、獣の尾を左右にぱたつかせながら駆け抜けていく。
「ねぇねぇ、ジャック。人狼って、どうやって人間に変身出来るようになるの?」
「あ? あー……普通は親から教わって、だろうな。人狼とレイスは魔物と分類されちゃいるが、その辺りは人間達とあまり変わんねぇよ」
「へぇ……。じゃあ、あなたも狼に戻れるのね?」
何の事ない疑問のつもりだったが、ジャックは僅かに目を細めると、ふいと顔を背けながら答えた。
「……俺はもう、戻るかも分かんねぇよ」
「へ?」
「戻り方、分かんねぇの。人間の生活に慣れ過ぎたせいでな」
「……へ??」
「ジャック。その件については、気にしなくても良いんだぞ?」
「気にするっつーの! はい、この話止め止め」
隣にいたイオスが口を挟み、ジャックはぶんぶん右手を振る。触れて欲しくないと言っているのは一目瞭然だ。
そして、彼は遠目に誰かを見付けたらしく、ちょっと行ってくると言ってユキナ達から離れて行った。イオスがやれやれと息を吐き、ぽかんとしているユキナに向き直る。
「深くは聞いてやらないでくれないかい? 彼もまた、複雑な事情持ちでね」
「は! すみません、多分あたしが変なこと聞いちゃったんですよね? うう……」
「自省出来るのだから良いさ。あれは怒っている訳でもないしな。――ジャックも親がいなくてね。初めて会った時にちょっと騒動が起きてしまって、それを診たのが私だったんだ」
「……あっ……あ、あたし、謝ってきます!」
ジャックの先程の言葉、『普通は親が教える』とわざわざ前置きが入った理由に気が付き、ユキナは更に慌てる。どうしよう、そうだまずは謝ろうとすぐさま思い至り、彼がいる方に駆け出そうとした。が、それをイオスに止められる。
「待った待った。掘り返されて謝られるのも好きではないようだから、普通にしててやってくれ」
「で、でも」
「大丈夫だから」
ね、と浮かべられたイオスの笑顔に、何故か『そうか、大丈夫なんだ』と強く思わせる何かを感じる。遠い親戚だと聞いた少女姉妹の笑顔をそれに重ねながら、分かりました、と頷いた。
そのやり取りの間、ジャックが見かけたと言っていた相手であろう青年に声をかけ、一言二言返す。知り合いだったのか相手の青年は驚き、嬉しそうに肩を叩いていたのを見て、彼も本当に人狼なのだと思った。
話を終わらせ戻ってきた彼は、恐らく長老の家を親指で指し示す。
「長老は家にいるんだとさ。行こうぜ」
「人狼族の長老かぁ……どんな人なんだろう」
「取って喰うような事は考えそうにないジジィだ、心配すんな」
「ジジィってアンタねぇ……」
里を出ている身とは言え、自分よりずっと身分が上の者をジジィ呼ばわりは如何なものか。サエリが呆れたように呟いているうちに、長老の家らしき建物の前に着いたようだ。
自然の温かさを持つ木造の家。ジャックは扉に付いている呼び鈴を鳴らし、しばらく待つ。すると、中から「何じゃ?」と高齢の男性が現れる。彼と同じ茶色の頭髪と立派な髭を生やし、いかにもと言った雰囲気を醸し出している老人。身長はジャックよりも大分低く、曲がった背を伸ばしてもユキナ程しかないと思われた。
「よォ、ジジィ」
「おう、ジャックの悪ガキじゃないか。悪させんで元気にしとるか」
「余計な世話だ、まともに働いてるっつの。突然だが、ちと聞きたい事がある。月の草についてなんだが、知ってっか?」
「ほぉ、月の草……」
「私の友達が、《月の力 フォルノ》で苦しんでるんです。それで、助ける為にそれが必要で」
本人の前でも態度を崩さないジャックに呆れつつ、ユキナが口を挟む。それで長老はジャック一人でない事に気が付いたらしく、面白そうに顎髭を揺らした。
「これはこれは、リニタ様。ご機嫌麗しゅうですぞ」
「え?」
「ジジィ、お嬢じゃねーぞこれは」
「ふむ? そうかそうか。良く似とるから間違えてしまったぞ」
「似てる事には否定しねーがなぁ……」
「失礼、貴方がこの里の長老でいらっしゃるでしょうか? 私はテトサント大学臨時教授、イオス=ラザニアルと申します。以後お見知りおきを」
長老の口から飛び出したのは、ユキナではない誰かの名前。それにジャックが訂正しつつ、同意を口にする。
そこへ割り込むように、イオスが恭しく頭を下げつつ自己紹介をした。半ば無理矢理のタイミングと言えなくもなかったそれは、何故か妙に気にかかる。
「(……話、逸らされた?)」
ユキナにとっては、そう思っても仕方ない程絶妙のタイミングだったのだ。
ジャックの主人――『リニタ』という名前に覚えはない。そもそも、自分とそっくりな人間という時点で、自分が知らない人間なのは間違いないだろう。
それこそドッペルゲンガーか。同じ魔物同士なら、どこかでウマが合ったりもするのだろうか。そうして考えている間にも、話は進められている。置いて行かれないよう、慌てて思考を止めて耳を傾けた。
「む、これはご丁寧に。左様、わしがこの里の長老じゃ」
「それは良かった、お会い出来て光栄です。早速なのですが、少々貴重な暇を頂戴してもよろしいでしょうか? 現在私どもは面倒に巻き込まれておりまして、その解決の糸口を探しています」
「それで、月の草が必要と? ふぉふぉ、良かろう。ほれ、中に入りなさい」
「感謝します」
長老が扉を開け、一同を中へと促す。イオスが再び頭を下げ、皆を先に行かせようと扉の前から体をずらした。
「(……考え過ぎかなぁ)」
ユキナはそう思いつつも、一度浮かんだ疑問を完全には払拭出来ずにいた。
長老の家はすっきり片付けられていて、街並み同様、時が止まっているような感覚がする。暖かな雰囲気を纏うそこは、気を抜けば欠伸が出そうな位に室温が丁度良い。
応接用のテーブルに腰掛けたら良いぞ、と言われたものの、当然椅子は足らない。代表してイオスとジャックが座り、ユキナとレッドン、サエリの三人はその後ろに立った。
「さて、月の草じゃな。どこから話すかのぅ」
「場所だけでもいいんだぜ」
「そもそも、その月の草はどういったものなのでしょうか? 宜しければ、そこからお聞かせ願いたいのですが」
「うむ、ではそうするかの。――月の草は、この里では代々伝わる秘草と言われておるのじゃ。悪しき力に蝕まれた者は自我を忘れ、魔物よりも恐ろしい存在になってしまう。だがこの草を身につけていればやがて浄化され、人のままでいられると言われておる。我ら人狼族は昔からその力を恐れていての、みなそれを身につけておった」
と言うのも、元々人狼族は――魔物は人間よりも気配に敏感で、すぐにその悪しき力を溜めこんでしまうらしい。よく人間よりも動物達の方が異変に気が付くと言われるが、それと同じだろう。
そして、その悪しき力の性質。最近どこかで、似たような説明を聞いた。
「ふむ……その悪しき力という物、《月の力 フォルノ》に似ているな」
その場にいた全員の考えを代弁し、イオスが呟く。
「月の草って言うくらいだから、十中八九間違いないんじゃないかな、とあたしは思います」
「そうだね。《月の力》に対抗出来る力を持つ草だから《月の草》。成程、関係ない方がおかしいな」
「で、ジジィ。それの生えてる場所は」
「うむ。この里には祠があるんじゃが、その先に鍾乳洞がある。ほれ、昔お前達が迷い込んだあそこじゃ。前まではそこで採取しておったが、今はどうか……」
困ったように髭を撫でながら、長老は答える。何だか嫌な予感がしなくもない、とユキナは思った。
「最近は取りに行っておられないのですか?」
「取りたくても、生えてないから取れないんじゃよ。近年、地質の状態が変わったのか魔物が増えてしもうたのか、月の草が生えてこなくなってしまっておる。絶滅するのも、時間の問題じゃろうて……」
「何ですって?」
「そんな……!」
嫌な予感が的中した、とユキナが声を上げると同時に被さる声。サエリが眉間にシワを寄せ、頭を抱えていた。
頼みの綱の月の草が、手に入らないかもしれない――それは、リレスを助けられないという事実に繋がる。気のせいか、レッドンも同じように渋面を浮かべているようだった。
一様に落ち込む様子を見せた一同。これでは駄目だ、と誰かが訴えてくるような気がしたものの、どう声をかければ良いのかも分からない。もし手遅れだった場合を考えてしまうと、どうしても躊躇いが生じてしまうのだ。
だが、そんなユキナの葛藤をも一蹴するかのように発言した者がいた。ジャックだ。
「おいおい、確かめてみなけりゃ分からんだろうが。見に行ってみようとか思わないのか?」
「む……」
「でも、ないかもしれないんでしょ」
「じゃあリレスを助けるのは諦めるのか? 可能性が低いから諦めるより、その少ない可能性に賭けた方がいいと思うぞ」
あれ、とユキナは首を傾げた。何だか、言い方がクーザンにそっくりだと感じたのだ。
いやそんな事よりも――、確かに今ここでうじうじしているよりも、動いた方がいい。なければないで、他にも方法はあるかもしれない。取り敢えず、確認するのにも行動意義はあるだろう。
「うん……あたしも、行ってみた方がいいと思う」
「……よし、行ってみるか……」
しばらく悩んでいたようだが、イオスは顔を上げ立ち上がる。
村長の計らいで食事を頂いた後、一同は例の祠のある広場にいた。
崖をえぐったように拓かれた空間に、ぽつんと置かれた祠。何を奉っているのかは分からないが、祭壇には備え物があった。
「懐かしいな、よくここでかくれんぼしてたもんだ」
「鍾乳洞で? 危険じゃないの?」
「まぁ、いざとなりゃあ逃げれば何とかなったからな。それに昔は、魔物がいなかったんだ。地質と同じように生体系も変わっちまったのか、最近はうようよしている」
「うようよか……」
案内人のジャックとレッドンを先頭に、ユキナとサエリ、イオスが続く。そんなに広くはないという彼の言葉通り、時たま現れる魔物を撃退しながら先へ進んだ。
そうして辿り着いた、鍾乳洞の最奥。ゴツゴツとした岩場の隙間から覗く緑が、ここら一帯の地面に水分が含まれているという事を証明している。
しかし中央には、先客がいた。
「――!! あれ……!」
先頭のレッドンが腕を出すのと同時に、サエリがその姿を認め声を上げる。黒い異形の体、赤い目、体を走る戦慄。間違いない。
「ラルウァ……!」
「困ったな……月の草の生殖地はこの先だ」
「待って。力を跳ね退ける草が生えている場所に、何でラルウァがいるのよ」
もっともな疑問である。《月の力》を寄せ付けさせない草がある場所と言えば、当然その力は薄いはず。なのに、力を帯び過ぎたせいで生まれるラルウァがここにいるのだ。
と、ジャックが肩を竦めて答える。
「月の草が絶滅しかけてるって長老が言ってたろ……多分、ラルウァの抱擁する力を吸収出来る程の量が、生えてないんだ」
確かに、遠目から見ても月の草らしきものは見当たらない。話では開花した後の葉が一番力を発揮すると聞いたから、望みは薄いが探してみる必要はある。
「どうするか……」
「……あたし、行く!」
「ゆ、ユキナ!?」
ユキナの発言に、サエリが驚いたように声を上げる。予想外の事だったのだろう。
「この先に月の草があるんでしょ? なら、行くしかないよ」
「アンタが無茶して怪我でもしたら、クーザンに怒られるのはアタシ達よ」
「じゃあ、みんなも一緒に怒られて?」
「アンタねぇ……」
確かに、クーザンに怒られてしまうだろう。しかし、ここにいる時点で既に怒られてしまいそうな気がするのだ。なら、もう少し無茶をしたって一緒だろう。
にっこり笑って答えたユキナの言葉に、サエリは呆れて溜息を吐いた。
そして、そんな二人の前に立つレッドン。得物である槍を携え、毅然とラルウァを睨みつける。
「怖いなら、下がっていて」
「レッドン君?」
「倒しに、行くだろ。俺が奴を引き付ける、その間に」
「オレも手伝おうじゃねーか」
ボキボキと腕を鳴らしながら、ジャックも彼の隣に並ぶ。どうやら、二人ともやる気は十分のようだ。
「アンタ達まで……」
「悪ぃが、ここではいそうですかと大人しく帰るほどお利口さんでもねーんだよ」
「――仕方ないね。良いかい、怪我をしたら治療するから、真っ先に私の所まで下がりなさい。深追いだけはしないように約束してくれ」
イオスも腹を決めたのか、そう言うと空間の向こうにいるラルウァを見据え、誰がどう動くべきかの指示を口にする。
この戦い、重要なのはいかに確実にユキナの技を当てるかにかかっている。アブコットで使った、ラルウァを消し去る事の出来るあの力。このメンバーで奴に勝つには、それしか方法がない。
ただし、そう簡単に連発出来る力でない以上はある程度奴を追い詰めなければならない。その為にレッドンが前衛に回り、ジャックと共に奴を撹乱する。いささか攻撃力に不安は残るが、ここにいるメンバーで何とかするしかないだろう、と締めると、イオスが改めて相手に向き直る。
ラルウァは狼のような体をしていて、用心深く周囲を見渡していた。
「《螺旋》」
呟くように口にしたレッドンの槍は素早く振り回され、三つの衝撃波がラルウァに飛んでいく。それに気が付いた相手は立っていた場所から飛び退き、突然現れた襲撃者に威嚇の声を上げながら、こちらに向かってくる。
「《シャープクロー》! んでもって《トライクロー》!!」
向かい討つはジャックの技。鋭い爪を縦に薙ぎ払い、続けざまに三連撃を浴びせる。しかしやはり攻撃が効いているようには見えず、構わず突っ込んでくる。
際どいタイミングで突進を避けた彼のネクタイから、摩擦でバチィと音がした。
「ちぃっ、やっぱりかよ!」
「退きなさい! 黄金なる焔の戯れ――《オリフラム》!!」
後方で詠唱を完了させていたサエリの鋭い声に、二人はすぐさまラルウァと距離を取る。相手が黙ってそこに突っ立っているはずはないので、確認もままならない内に魔法が炸裂した。
頭上で膨らんでいた劫火の炎が地面に落下し、衝突した衝撃で爆発する。熱風が一番離れていたユキナの所まで伝わってきたのだ、きっと中心地は凄まじい高温になっている事だろう。
これには流石のラルウァも平気ではいられないようで、地獄からの悲鳴とも思える唸り声を上げた。
「く……」
「おいおい、暴れ出しやがったぞ」
「加減間違えたわね」
「ジャック、レッドン君! 気をつけろ!」
魔法のダメージを喰らって動きが活発になったラルウァは、またこちらを襲おうと動き出した。名を呼ばれた二人が、いつでも動けるよう構えを取る。
恐るべき瞬発力で飛び出してきた相手の攻撃を辛うじて避けると、再び攻撃を仕掛ける。
「《バニシングクロー》!」
「《縛闇》」
爪が見えなくなる位のスピードで繰り出された袈裟を、ラルウァは避けた。だがそこにレッドンの闇の力を宿した槍が飛び、それから相手に移った闇がラルウァを一瞬行動不能にさせる。
「ユキナ!」
「うん! ――《ウールリベラシオン》!」
先程のサエリと同じく詠唱を終えていたユキナの魔法が、身動き出来ないラルウァに見事命中。光が瞬くのを見ながらふとアブコットでの光景を思い出し、必死に目で黒い塊の行方を追う。
ラルウァとなってしまった魂は、一体何だったのか。それを見逃す訳にはいかない、と使命感に押された上での行動だった。が、眩い光に包まれた悲しき化物は、どんなに目を凝らしても、既にそこから消えてしまっていた。
周囲が安全だと判断した一同が息を吐き、一旦イオスの治療を受ける。こんな何もないような場所でラルウァに遭遇したのだ、用心に越した事はない。
「ふー、何とかなったな」
「もう、無茶し過ぎよアンタ達」
「全く同意見だ。……しかし、妙だな」
「? 何がだ?」
「何が何でも……。……いや、何でもない。忘れてくれ」
イオスは何かを言いかけ、だが今はすべき事があると判断したのか首を振り言うのを止めた。気にならないはずもないが、取り敢えずはそれに従う。
ラルウァがいた空間は、ちらりと見たように少しの緑とゴツゴツした岩肌が剥き出しになっていた。到底植物が育つような環境とは思えない。月の草の実物を知っているユキナとジャックを筆頭に、一同は捜索を開始する。
――しかし、やはり生態系が崩れた影響なのか、辛うじて生きている植物は見受けられるものの、月の草そのものは一向に見付からない。誰もが半ば諦め半ばになっていく中、ユキナだけは必死で草を掻き分けて探した。
そして、
「――あ!」
枯れた草や花の残骸を掻き分けた下に、気丈にも生きていたそれを見付ける。周りが地面に帰って行く中、それは花を咲かせようと必死だった。
ユキナは皆を呼んだ。
「お、確かに月の草だ」
「だが、咲いてないな……」
そう、一同が探していたのは『咲いている』月の草だ。だが周囲を見渡してもそれ自体が見当たらず、やはりこの蕾を付けたものしかないようである。
「こんな状態で一輪だけ生きてたのが奇跡だぜ。咲いていた方が効果が強いってだけで、全然ない訳じゃないからな」
「じゃあ、早く持って行きましょう」
サエリが急かすように声をかけ、皆がそれぞれの位置に就く。イオスが採取、他の者が見張りといった調子だ。
そんな中、ユキナはおもむろに手を差し出し、――何故か草に治癒魔法を使う。横で見ていたイオスが目を丸くし、「ユキナちゃん?」と声をかけた。
すると、驚く事に草はみるみる生長し、花を咲かせる。まるで、録画された映像を早送りしたかのような速さで。
「あ……!」
「咲いた……」
一部始終を見ていたイオスは目を丸くし、その声に顔をこちらに向けた他の者も驚いた声を上げた。
「ちょ、ユキナ! アンタ、一体何をしたの?」
「分かんない……ただ何となく、こうしたら良いんだって思って……」
「驚いたな、君の治癒能力はまだ秘密がありそうだ……」
取り敢えずはここから離れる事にし、イオスが素早く採取した草に何らかの魔法を施す。聞けば、こうすれば移動している間に枯れる事はなくなるらしい。
そして彼はユキナに草を渡そうとしたが、彼女は首を振って振り返る。その視線の先にいるのは、レッドン。
「これは……レッドン君がリレスに渡してあげなくちゃ」
「……良いのか?」
「もちろん! むしろ、あなたから貰った方がリレスも喜ぶよ」
「責任持って持つのよ?」
「……ありがとう」
突然話を振られた事に驚きつつも、彼は困ったような声音で問い掛けてきた。ユキナはそれに笑顔で応え、サエリも念を押すように言う。
そして、月の草はレッドンの手に渡った。
「よし、帰ろう。そろそろあちらも帰ってくる頃だ」
「俺はここでサヨナラだ。お嬢護衛の仕事に戻らせて貰うぜ」
今からホワイトタウンに戻れば、まだ今日の内には帰れる。慌ただしい一日になるが、リレスの事を考えればまだ頑張れる気がした。
そこに、ジャックが片手を上げて口を開く。そうだ、彼の本職は執事であり護衛なのだ。
「そっか……ジャック、ホントにありがとう。あなたがいなかったら、きっとどうしようもなくなってたから。お嬢様によろしくね!」
「あぁ、またな」
ユキナの礼に、彼は軽く笑顔を浮かべる。
長老に挨拶を済ませてから、森を抜けるまでは全員で。ホワイトタウンへの方角に向かいながら途中で馬車を拾う事にしたユキナ達は、そこでジャックとは別れた。
■ ■ ■
ジャックは、一行を乗せた馬車の姿が見えなくなるまで、背後で魔力が僅かに蠢くのを感じながら、そこから一歩も動かなかった。
しばらく時間が経過した後、彼は徐にスーツの胸ポケットに手を伸ばす。取り出したのは、ジャスティフォーカスでも常用されている携帯端末。ぴ、とボタンに触れ、相手からの応答を待つ。
「よォ、頼み事終わったから今から戻るぜ。……あ? 礼には及ばねーよ、そっちこそお嬢の世話助かった。何も起きてねーなら良いよ」
警戒を解かないまま、ポケットに片手を突っ込んだまま移動を始める。傍目からは危険そうにしか見えないが、本人は気にしない。
相手はどうやら「客人」「剣士様」と彼がはぐらかしていた者らしい。
「ま、詳しくは取り敢えず戻ってから話す。明日には着くだろ」
遠くに魔物が見えるが、何かに怯えているのか近寄っては来ない。
「だから帰るまでフラフラ行くなよ、セクウィ」
そして了承の声も聞かないまま通話を終了させると、ジャックは走り出した。