第54話 雛鳥の旅立ち

 その、少し前。

「邪魔! 死んじゃえ!!」

 隠し持っていた銃剣をワンアクションで取り出し、素早く三連撃。最後の一撃を相手が宙に浮くように斬りつけ、止めに銃弾を叩き込む。連射が全て終われば、ガシャッと銃倉を入れ替え、また高威力の射撃を放つ。

「はぁ!! せいっ!!」

 隙のない構えから右手を押し出し、ヒットすると同時にアッパーカット。喰らった相手と入れ代わるようにかかってきた者を殴り臥せる。
 セレウグとユーサは、まるでダンスを踊るかのように、入れ代わり立ち代わり位置を変え襲って来る構成員を倒し続けていた。
 同時に互いの背後から飛び掛かって来ていた敵を、入れ代わる瞬間に撃破。細かい切り傷などダメージを多少負ってはいるものの、もうしばらくは大丈夫、だと思っていた。
 だが、それも厳しいと思い直す。秒単位の小康状態と戦闘を交互に続けていれば、流石に疲労が溜まるばかりである。ユーサは体力回復をする召喚術を使えるが、こんな状況では詠唱はおろか精神集中する暇もない。
 乱れた息を隠しもせず、互いに背中合わせに立つ。

「息が荒れてるよ、セレウグ」
「そっちこそ」
「僕は君と違ってインテリなんだ。当たり前だろ」
「どこがだよ、我先にとコイツらの前に飛び込んでったからこうなってるんだろうが。別に心配されなくても、お前よりかは体力もあるから安心しろ」
「減らず口叩くのはお互い様っ!」

 ユーサが銃口を背後に向け、セレウグは腰をすぐさま落とす。

「せいっ!!」
「《無慈悲ノ雨》!!」

 腰を落としたセレウグの足が、相手の背後から襲いかかってくる構成員の足を薙ぎ払う。
 こちらが完全に腰を落とした直後、ユーサは周囲に銃口を向け撃った。ぱぱぱぱぱ!と連射される弾丸を喰らい、少なくない人数の構成員の肌から血が噴き出す。これで、また数人が倒れていく。
 ユーサが地上に足をつけ、セレウグの体勢が戻る頃には、周りに立っている構成員はいなくなっていた。

「終わりかい?」
「……流石だ。君達強いねぇ!」
「ユーサ!」

 パンパンと手を叩いたユーサが言った瞬間、彼の目の前にザルクダ――ドッペルゲンガーの姿があった。
 避ける間もなくタックルをまともに喰らい、彼は五メートル程吹っ飛んで茂みにぶつかる。クッション代わりになりいくらか衝撃は揺らいだものの、体力が減っている体には辛いはずだ。茂みに受け止められた体を起こすのに時間がかかっている。
 無防備な彼から相手の意識を逸らさせようと、セレウグがドッペルゲンガーに向かう。
 その追い掛けていた姿が、ふっと消えた。

「無駄な事!」
「――っ! ぐぁ……!」

 左だ。セレウグは左目にまだ包帯を巻いている。例えそれがなかったとしても、前髪がそちらの視界を邪魔していただろう。
 どちらにせよ左への反応が鈍くなる彼に、ドッペルゲンガーは死角からの攻撃を喰らわせたのだ。衝撃で彼も吹っ飛び、体中から痛みが叫び始める。

「そんなに死に急ぎたいのなら、君から殺してあげよう。感謝するがいい」
「へ……やっぱ、偽者でもザルクダは強ぇな……」

 咥内に溜まった血と啖を吐き出し、セレウグが呟く。

「そうだよ、強いんだよ。だから、君達はここで死ぬ」
「……悪ぃーな、そう簡単に殺されてやるつもりは全くねーんだ。なぁ、ユーサ」
「!?」

 刹那、背後から魔力が動く気配。ドッペルゲンガーが振り向いた時には、倒れていたユーサの足元に陣が浮かび、召喚術を発動する準備が完了していた。気絶していた振りをして、精神集中と詠唱を行っていたのだ。
 彼の口元が、ぐにゃりと孤を描く。

「取り敢えず、死んで? ――イフリート!!」

 笑顔と正反対のその炎は、全てを呑み込む勢いで波打つように広がった。ドッペルゲンガーを、構成員を、周囲の木陰をも。

「なっ……! 本部を潰すつもりか!?」
「知らないよ、本部なんて。君さえ潰せれば、後はどうにでも出来る」
「馬鹿な……!」
「一つ聞いておこうか? 君を僕達にけしかけたのは誰だい?」

 相変わらずの大胆な、下手をすれば罪になりかねない犯行予告を口にしたユーサに、ドッペルゲンガーがたじろぐ。ように見えた。
だからその問いの答えは、奴からは返って来なかった。

「堂々も良いとこじゃねーのか、セレウグ=サイナルドに銃の兄ちゃんよぉ」
「!」

 黒い組織服の裾を靡かせながら現れたのは、サングラスの男。にやにやと気持ち悪い笑みを浮かべ、こちらを見ている。彼の背後には、同じ制服を着た構成員の姿が数人。
 セレウグは目を見開き、数歩後退る。知らないどころか良く知る相手が、そこには立っていたからだ。

「マーモン=クラティアス……!」
「って、確か軍課のリーダーの名前でしょ? 真打ちが何の用? ジャスティフォーカスってそんなに人員少ないの?」
「ハハッ、言ってくれんじゃねーの。度胸のある奴は嫌いじゃねぇ……が、大人しくお縄について貰おうか、お二人さん」
「大人しく捕まるとでも?」

 ユーサはチャキ、と銃口を相手に向け、挑発の言葉を返す。だが見た目によらず煽られるのに耐性はあるのか、マーモンはこちらを見下したような表情で、鼻で笑うのみだった。

「もちろん、思っちゃいねーよ。――コイツらは公務妨害罪だが、聞きたい事がある。殺すなよ」

 後半は部下に向けた指示を口にし、自身の武器である斧槍を構えられる。ドッペルゲンガーであるザルクダも彼の部下に混じり、応戦態勢だ。
 ユーサはまだ余裕淡々とした態度を取っているが、セレウグは内心では不利を確信した。相手は、まだまだ体力がある軍のナンバーワンと数名の構成員。対してこちらは、雑魚戦とはいえ既にワンラウンドを制した二人のみ。体力は、ほとんど底を尽きかけている。こんな状況では、勝てるどころか逃げ切るのすら難しいだろう。
 それでもまだ応じるつもりらしいユーサに、諦めの悪い奴だよな、と内心苦笑していた。それは、自分にも言える事だったが。
 と、その時。

「う、うわああぁ!!」
「ぎゃあああぁ!!」
「!」
「あ? どうし……」

 マーモンの背後に待機する構成員から叫び声が上がり、元々火の手が上がっていて騒がしかった周囲が更に湧き立った。
 そちらに視線を向けると、構成員の分厚い壁を軽々と飛び越えてユーサ達の隣に着地するユニコーンが現れた。馬に乗っていたギレルノが、セレウグとユーサに向けて口を開く。

「無事か?」
「羨ましいくらいかっこいい登場するね、君は」
「お前が来たって事は……」
「セーレ兄さん! ユーサ!」

 遺跡近くの家で別れたきりだった相手と、ここに自分達と共に来たリルが一緒にいる。何故、と問わずとも、その疑問はすぐに別の声が答えてくれた。

「クーザン! ホルセルも無事か!」
「セレウグさん、走って下さい!」

 構成員を薙ぎ倒しながら、何故かジャスティフォーカス軍課の制服を身に纏ったクーザンと、救出対象であったホルセルもその場に到着する。そのまま全員で、一気に門前を駆け出す。
 しかし、一人足りない。

「クーザン、アークは? 一緒じゃないのか?」
「え? 戻ってないの!?」
「待っている暇はないぞ! 奴は一応神隠しの被害者だ、もし捕まったとしても無事の可能性が高い!」
「アーク……!」

 どうやら、クーザンの方ではアークは既にこちらと合流し、どこかで待機していると思っていたらしい。という事は、まだ本部の中にいるのか――ここからでは、到底分かるはずがない。合流する為に、待つ事も出来ない。
 いつの間にユニコーンを送還したのか、ギレルノが走りながら言った事に期待して、ここは逃げるしかないようだった。
 すぐ隣で聞こえた風の音。手甲で防御体勢を取ろうとするが、一手早くホルセルが、飛び掛かってきたマーモンのハルバードを大剣で受け止めた。

「せーっかく、我が組織に入り込んだ邪魔くせぇウイルスを処分してやろうとしたのになあ。総帥め」
「軍課長……! オレは」
「テメェだけは逃さねぇぞ。奴等の命令なんて知るか」

 ぐぐぐ、と徐々に込められる力に、ホルセルが押され始める。

「ギレルノ、先頭頼んだ!」

 援護しなければ、と止めた自分の足よりも早く飛び出したのは、クーザン。ギレルノと共に駆けていた先頭を離脱し、片手剣を振り抜く。
 せめぎ合っていたホルセルとマーモンの交差している武器目掛け突き出された片手剣が、盛大な音を立ててそれらと衝突。第三者から与えられた力により、二人共僅かに体勢を崩す。それを狙い、クーザンは手加減なしの足蹴りをマーモンに放った。

「ぐぅっ……!」

 腹に綺麗に入った蹴りで、マーモンが唸る。その一瞬の隙に、クーザンがホルセルの腕を引いて、こちらに素早く駆け寄ってくる。

「こちらだ!」

 退路を確保して待機していたギレルノの声が飛ぶ。クーザンとホルセルがこちらに追い着く直前に、セレウグ達も再び駆け出した。
 ホルセルの先導で、門のすぐ前で脇道に逸れ茂みに突っ込む。まだここまでは火の手は回っていないようだ。

「その身に受けよ、御霊の業火! 《猛ル狩人》!」

 最後尾にいたユーサが、イフリートの術を使い目くらましに茂みを燃やす。向こうにはドッペルゲンガーがいるが、あれだけ人がいれば、影に潜って追い掛けてくる事は出来ないだろう。

「みんな! これだ……!」

 ホルセルがシェルターの扉を示し、強引にこじ開けようと取っ手を握った。長らく使われていないせいかなかなか開かない扉にふぬぬ、と力を入れようとしているのを見て、セレウグも手を貸す。
 結果、扉は開き、先にギレルノとリル、クーザン、セレウグ、最後にホルセルとユーサが素早く通り抜けた。

「リル、氷魔法使えるか?」
「うん!」

 扉を勢い良く閉め、離れながらホルセルはリルに訊ねる。元気良く頷いた彼女は、詠唱し氷魔法を発動させた。絶対零度を誇るその冷気はシェルターの扉を凍りつかせ、向こう側から簡単に開けられないようになる。これでもうしばらく、追っ手が来る事はないだろう。
 改めて、飛び込んだシェルター内を見回す。交通機関として使われる予定だったのか、地上にある汽車が走る線路のようなものがある。どうやらこの線路沿いに歩けば国の外に出れそうな雰囲気だが、構成員がここを封じに来る線も否定出来ない。まだ油断は出来ないが、一行は取り敢えず歩き出した。
 軍の制服を着ていたクーザンがそれを脱ぎ捨て、ひとまず訪れた平和に安堵の息を吐く。

「どうなるかと思ったー……」
「本当だな」
「ま、ホルセルは助けられたから良しとしようぜ。それより今は、こっから離れよう」
「そういやホルセル、大丈夫? 今更だけど」
「あぁ、心配かけてごめん。もう大丈夫だ」

 今まで事態が事態だったから忘れていたが、ホルセルはずっとジャスティフォーカスの面々に捕まっていたのだ。クーザンが問い掛けると、普段通りの答えが返ってくる。恐らくは救出してから、第二裏口まで気を遣う事すらままならなかったのだろう。詳しい事は落ち着いてからで良いな、とセレウグは思った。

「全く、本部に一人で突っ込むなんて……あっ」

 気が抜けて、つい頭から抜けてしまっていたのだろう。彼が、ヴィエントである間は記憶を持たない事に。クーザンがしまったと口を押さえるが、もう遅いぞ、と突っ込む隙もなく、ホルセルがとんでもない事を口にした。

「隠さなくて良いぜ、クーザン。覚えてるから」
「え? 本部に突っ込んでいった記憶あるの?」
「うん。何でかは分からないけど……ヴィエントの思考が少し残ってる感じがする。アイツ、誘き寄せられてるのを分かっててここに来たんだ。クロスを捜してたみたいだ」
「ヴィエントが、クロスに?」

 ホルセルがヴィエントになっている間の記憶を持っている事にも驚いたが、それよりも気になる事かまた出てきた。何故、彼がクロスを捜していたのか。
 セレウグは、彼と知り合ってから間もない。その上、ヴィエントと人格が入れ替わった彼をクロスが止める、といった騒動を見た事もない。だが、クーザンから聞く限りでは良好とは絶対に言えない間柄である、という印象だった。
 それなのに捜されている――そこに、何らかの理由があるのは確かだろう。
 ホルセルは視線を落とし、自分の手を見つめながら、静かに続けた。

「……オレも、うだうだ挫けてる場合じゃない。クロスに会って、きちんと謝る覚悟が出来た。それにアイツは、オレが知りたい事を知ってるはずなんだ」

 拳を握り締めると共に上げられた、気持ちの良いくらいに真っ直ぐとした、決意に満ちた表情。両の空色にも、既に陰鬱とした感情は見当たらない。
 それを見て、捕まっている間に何があったのかは分からないが、もう大丈夫そうだな、とセレウグはひとつ息を吐いた。

「クロスの居場所が分かるの?」
「捕まってた間、昔の夢を見たんだ。その中に現れて、歌姫の滝に来い、って言ってた」
「歌姫の滝……?」

 誰もが聞き覚えのない言葉に首を捻る中、ユーサだけが怪訝そうに反芻させる。『分からない』というより、『何でそれを知っているの?』といったニュアンスが込められた台詞だ、と取ったセレウグは問いかけた。

「ユーサ、知ってるのか?」
「知ってるも何も、セーレも行ったでしょ? ルナデーア遺跡から出た後に行ったあの家の近くに、大きな滝があるんだ。恐らく、それの事」
「え、マジか」
「そういえば、休んでる時にどこかで水が流れる音がしてたような……聞き取れるか微妙な音だったな」
「まぁ、浅瀬を結構歩くからそれなりの距離はあるよ」
「で、お前がそんな顔してるのは?」
「……『歌姫の滝』なんて呼び方、随分久々に聞いたから。そんな呼び方するのは……」
「するのは?」
「……まぁ、会えば分かるし、今はそっちの問題じゃないよね」
「おい、何か知ってるなら教えてくれよ」
「確証が持てないからやだ。それに、話したところで君達には分からないよ」

 そう言うと、本当にそれ以上語る気はないらしく、ユーサはぷいと顔を逸らした。こうなるとてこでも譲ってくれない事を知っているので、やれやれと肩を竦めて諦める事にする。

「取り敢えずはまぁ、そこ行ってみるか。また船確保しなきゃな」
「うん、そうだね」

 先は決まった。クロスが何のつもりでその場所を指定したのかは分からないが、とにかく情報が得られるなら行くべきだろう。

 そうして話している間に、シェルターの出口を見付けた。
 短い階段を昇り、頑丈な扉を前に押して僅かに開ける。念の為先回りされていないか、扉の隙間からちらりと確認する為だ。
 安全だと判断し扉を全開させ、外に出る。ようやく国の外だ、と一安心しようとした。

「ごくろーさん」
「!? スウォア……!」

 かけてきた声は、仲間の誰のものでもない。姿を探すと、軍課の制服を身に纏いながら、顔も髪も全く隠していないスウォアが、扉のすぐ横にいた。
 扉の隙間からは死角になっていたのだろう。移動魔法で先回りされていたのか、と一同は警戒心を露にして武器を構える。
 が、驚く事にスウォアは両手を挙げ戦う意思がない事を示した。その手にレイピアはなく、今だ腰の鞘に収められている。

「殺り合うつもりはねーよ、話くらい聞け。ソイツ渡しに来ただけだ、組織にチクるつもりもねぇ」
「え? ……アーク!?」

 彼が横に移動し、壁に寄り掛かっている少年が視界に入る。気絶しているらしく蒼の双眸は閉じられているが、細かい傷以外のダメージはないようだ。
 スウォアは両手を挙げたまま、アークから離れるよう二、三歩横にずれた。

「何で、お前がアークを」
「お前らも気をつけろよ。温厚なコイツがいつ牙を向くか、分からねーんだからな」
「え……?」
「じゃな」

 投げ掛けられた問いの答えとは言い辛い言葉を返し、彼は敵である自分達に背を向ける。と言う事は、本当に戦うつもりはなかったのだ。
 足元が煌々と輝き始め、やがてスウォアを呑み込む。それが消えた時には、予想通り彼の姿はどこにもなかった。

「……スウォアは、一体何のつもりなんだろう」

 敵であるはずの彼の行動。それに真意を図りかねるクーザンが、彼が消えた方を見詰めて呟いていた。

   ■   ■   ■

 第二裏口で立ち塞がっていたハヤトは、入口の壁に寄り掛かり新しい煙草に火を点けた。
 ユーサがやらかしたボヤは構成員によってすぐに消し止められ、今は逃げた侵入者を捜索する者達でこんがらがっている。だが、それもじきに静まるだろう。

「やれやれ、静かになるな……」

 と、自分に近寄って来る集団に気が付き顔を上げる。ハヤト直属の部下達と、ディオル達――そして、先程ビューと共にクーザン達を迎え撃っていた構成員だ。
 ハヤトよりも年上の、額に傷がある厳つい男が口を開く。彼とも長い付き合いだ、豪快に笑う男だという印象しかないが。

「ハヤト、アイツは帰って来るかね?」
「帰って来ねぇ訳はねぇだろうな。しばらく帰って来んなっつっといたけど」

 彼もまた、幼少のホルセルやネルゼノン達を知る人物。下手をすれば孫くらいの少年達は、可愛くて仕方ないという程手を焼かせているのを知っているし、数少ないハヤトの理解者の一人でもある。
 正直、ホルセルを行かせて本当に良かったのか――ハヤトには分からない。分からないが、不思議と後悔はなかった。子供は、幾多の困難と失敗を経て大人になっていくものだ。

「奴も立派になったな。お前さんに楯突くとは」
「親から離れた雛、って所か……」
「先輩、寂しいんじゃないですか?」

 男に代わって声をかけたのは、ビューと共にいた部下。制帽を取れば、一房の銀髪が右側だけ肩に落ちる。青年――カナイは、意味を含ませたような笑みを浮かべていた。
 彼を捜していたディオル達が驚いているのも気にせず、上を見上げる。黒煙が燻っていた空はもう既にとっぷりと暮れ、星が小さく瞬いていた。

「そうかもな……」
「だが、感傷に浸っている場合じゃないぞ。俺達には俺達の、やるべき事がある。ザルクダも動いているからな」
「分かっているさ」

 そう、彼らにもまだやる事がある。新たな道を歩き出した子供達の背中を押してやる為の、大切な仕事が。
 ハヤトは視線を下げ、今尚部下を叱り付けるような勢いで指示を飛ばす男を見る。そしてニヤリと笑い、彼に背を向けて呟いた。

「今度はこっちが脅かす番だ。捕まえる準備は整ったぞ、狐」

   ■   ■   ■

 本当なら、あそこで殺すはずだった。

 スウォアは黙ってレイピアを鞘に戻し、倒れたアークに背を向ける。こんな状態の奴を斬っても、つまらないだけ。放置していれば、ジャスティフォーカス構成員が勝手に拾うだろう、と判断し、立ち去るつもりだった。

 ――完全に嫌っている訳じゃ、ないんでしょ?

 突然脳裏に、声が響く。遺跡でアークを庇っていた女に言われた言葉。それはスウォア自身が無視をしていた本音を、的確に指摘していた。

「……チッ……何で今思い出すんだか……」

 先程語った一連の話は、偽りのない事実だ。事実だが、スウォアはそこから『自分とアークの関係』を意図的に省いていた。それを含めていれば、相手が受けるショックはより強大なものになると言うのにだ。殺したい程憎いと感じているはずなのに、自分はあの女が言ったように完全に嫌う事が出来ないでいるらしい。
 頭を振ってその場を去ろうとするが、何故か足を踏み出せない。体が、心がどこかで、見捨てるなと言っている。

「……クソッ」

 悪態を吐くと、スウォアは相手の身体を抱える。クーザン達が抜け出すならどこの脱出口だろうか、と先回りをする為に思考しているところで、ふとアークの顔が視界に入った。
 倒れる前に見えたと思ったのは、やはり涙だったらしい。目を閉じて苦しそうに顔を歪めているアークの目尻には、まだ僅かに涙の跡が残っている。
 その涙は、どういう意味だったのか。恐らくは完全に無意識で流れてきたものなので、ここで叩き起こしたところで答えは得られないだろう。
 再び軽く舌打ちをし、無理矢理視線を外す。そして、歩き出した。

 脱出するクーザン達に無事アークを引き渡し、移動魔法を使って本部に戻る。念の為再び変装しマーモンがいるであろう部屋に入ると、不機嫌そうな小言に出迎えられた。恐らくはあの白髪の奴についてだろうが、自分にとってはどうでも良いし、興味もない。ただ、小言に付き合わされるのだけが不快だった。

「チッ、あの総帥。自分のコレクションと言っておきながらあっさり解放しやがって。お陰で全部パーだっつの、下卑野郎が。俺様がどれだけ面倒臭ぇ演技してると思ってんだよ」

 上司に向かってとは到底思えない暴言を吐くマーモンに一つ溜息を吐き、うんざりした表情を隠しもせず見せる。総帥よりもテメーが下卑野郎だ、と言いたいがぐっと堪え、スウォアは話を切り出した。

「クラティアス様、言葉は気を付けた方がいい。……部下の状況は」
「あぁ、あの二人のせいでドッペルゲンガー以外の手練れは全員重軽傷。まぁそんなに休ませる必要もねぇし、時間もねぇけどな。一番痛いのは、折角舞い込んだチャンスを活かせなかった事実を、既にキセラちゃんの耳に入れられちまった事よ」
「…………」

 折角話を逸らしたのにコイツは、と、自らよりも年上の仲間を睨みつける。なかなかどうして、コイツは空気が読めない馬鹿なのだろうか。長い付き合いながら、相手のこの気質が嫌で仕方なかった。
 そんなスウォアの心中も知らないまま、マーモンはグダグダと、普通の人間なら耳を塞ぎたくなるような暴言を交えた小言を始めてしまう。一応背後の扉と、周囲の窓の外を確認し聞かれていないかを探る。どうやらいないようだが、油断は出来ない。

「結局、悪魔野郎も出て来なかったしな」
「ホルセル=ジングを捕まえておびき寄せる予定だったんだがなぁ。野郎を痛め付ける趣味はねーが、可愛い娘ならともかく」
「だからそう上手く行くかよ、って前も言わなかったか?」
「へーへー、俺が悪ぅございましたよ。取り敢えず、お前は悪魔――クロスの捜索を続けろ。絶対見付けろよ」
「了解しました、軍部長様」
「しっかしお前、敬語似合わねぇな」
「うるせぇ、ほっとけ」

 返事をして、ふと疑問に思った事を口にする。

「……ホルセルは良いのか?」
「あぁ、アイツは奴らと行動してるから何時でも大丈夫だ。それに、最優先はクロスだとさ」
「最優先?」

おうむ返しに聞き返し、怪訝そうな表情を浮かべる。それを受け、マーモンは肩を竦めた。

「何でも、サンからの指示だと」