第53話 駒は踊る

「ここ?」
「ああ」

 クーザンとギレルノとリルの三人は、息を潜めたまま廊下の陰に隠れる。
 総帥らしき人影を追って辿り着いたのは、いかにも怪しさを感じさせる雰囲気の扉。部下も共に中にいるのか、外に見張りはいない。とは言え、何事もなく中に入れるとも思えない。

「どうしようか。正面から行く訳にもいかないし」
「いや、このまま突入すべきではないか? ここで立ち止まっていても変わ――」

 ギレルノが言い終わらぬうちに、監視していた扉がひとりでに開かれる。誰が開けたのかは分からないが、しかし誰も出て来る気配はない。どう見ても、罠としか言いようのない。

「誘われているな」
「……分かったよ、お望み通り行ってやろうじゃないか」
「警戒は怠るなよ」

 足音を極力立てないよう扉に近寄り、廊下に人間がいないか素早く確認する。ぴったりと壁に張り付きながら、ギレルノが後ろ、クーザンが前を見つつ部屋の中を見た。リルは不安そうに、そんな二人を交互に見ている。
 暗幕がかけられているのか、奥までよく見えない。だが、確かに人の気配はする。
 二人、いや三人。先程入って行った総帥と部下、それと一人。ここが研究室なのを考えると、恐らくは研究員。
 素早く体を部屋に入り込ませると、何の仕掛けなのか再び扉が動き、閉まる。限りなく無音に近い開閉音だったが、残念ながらここ一帯は静か過ぎて、逆に大きく聞こえた。
 ゴクリ、と喉を鳴らす。誰もいないと確認したはずなのに、そこには先程まで姿を追いかけていた総帥と、少し下がったところに部下の姿があった。

「来たか、童共よ」
「罠……か、やはり」

 部屋の中で待ち構えていたらしい総帥がにこりと微笑みを浮かべ、二人を歓迎の言葉を述べる。分かっていたような口ぶりは、やはりギレルノが呟いた通り、クーザン達を誘い込む罠だったからだろう。

「(……あれ)」

 クーザンは、はたと気が付いた。気配は確かにするのに、今二人の前にいるのは総帥と、部下らしき構成員だけだ。どこかに潜んでいるのだろうか。死角で動かれても反応だけは出来るよう、改めて警戒を強める。

「ここまで構成員共の目をかい潜ったのには、称賛に値する。うちの構成員にも、主らのような根性を持った人材が欲しい所じゃ」
「そうか。ところで貴殿は、そんな世間話をする為にここに呼んだのか? ジャスティフォーカス総帥、ビュー=ハイエロファント=カマエル殿」
「もちろん、そうではないぞ。お主ら、ホルセルを連れ戻しに来たのだろう? 童がジャスティフォーカスに単身向かったのを知って」

 ギレルノと総帥が、火花でも散らしそうな視線を交わしながら話している。裏の読み合いとも言うべき状況に、クーザンもともかく余計な事を無視して、話に加わるべきだと判断し口を開く。

「そこまで分かってるなら、話は早い。ホルセルはどこ?」
「拘置室にもいなかったのは確認している。……よもや、既に処分しているなんて事はないだろうな」

 いつもよりも引き攣った表情で、ギレルノが最悪の事態なのかと問い掛ける。それだけはないと思いながらも、やはり確認せずにはいられないのだろう。
 総帥はケラケラ笑いつつ、首を振ってそれを否定した。

「まさか。知りたいか? 童がどうしているのか」
「当たり前だろ!」
「フフ、威勢の良い童は嫌いではないぞ? 良い、我に一撃でも見舞う事が出来たなら教えてやろうではないか」

 総帥が右手を後ろに向けると、控えていた部下が持っていた棍をその手に渡した。移動時は持っていなかったはずなので、この部屋に置いていたのか。手元に武器らしきものがなくなった部下は、だが油断なくこちらを警戒しているように見えた。
 ジャスティフォーカスを束ねる総帥。実質組織のトップである相手に一撃を与えるとなれば、生半可な覚悟では敵わない。しかし、そうしなければホルセルを捜す手がかりは得られない。ならば。
 クーザンはリルに絶対に前へ出ないように言い聞かせ、片手剣を構える。それとほぼ同時に、ギレルノも分厚い本を手に取った。驚いて彼を見ると、目が合う。

「……援護は任せろ。お前は奴に一撃をくれてやる事だけ考えれば良い」
「詠唱のフォローは?」
「気にするな」
「分かった」

 短いやり取りの後、クーザンは飛び出した。真っ直ぐ総帥に向かい、片手剣を振り下ろす。
 総帥は直前まで棍を構えたままだったが、片手剣が体を捉える軌道に入った瞬間、右振り下ろしに構え受け止められる。恐るべき瞬発力と即断力だ。
 受け止めた体勢そのままに、総帥が棍を振り上げた。他者の力が剣に加えられ、クーザンはバランスを崩す。

「――コール、ユニコーン!」

 現れた白馬の聖角が光る。光はやがて星の大群を呼び、総帥の周り目掛け降り注ぐ。簡単に避けられるものではない、はずなのだが。

「甘い!」
「なっ……!?」

 あろう事か、相手は棍で星を打ち消す。次々に降り注ぐ、致命傷になりかねない箇所を狙う無数の星を、いとも簡単に。
 一気に詰められた距離。飛び掛かって来られるのを予測したクーザンが構えた。
 ギレルノも再び召喚術を使おうと本を掲げる。が、風を切る音が鼓膜を響かせ、精神集中を止めて咄嗟に後退する。
 見ると、総帥の背後にいた部下が、先程までは持っていなかったはずのライフルを構えている。フォルムが細く、銃声は消音器で消しているのか全く聞こえなかった。視線を振った時には既に銃倉を交換し、こちらに向けて構え直しているところ。これでは、集中するなど不可能だ。

「ギレルノ!」
「余所見している場合か! 構うなと言っただろう!」
「……っ」

 ギレルノが部下に狙われている事に気が付いたクーザンだが、当の本人に叱咤され今度こそ総帥に向き直る。どうやら援護は期待せず、自身の力で戦うのを求められているらしい。
 長身である本人よりも長さのある棍が、横薙ぎに振り回される。攻撃範囲圏内に立っていたクーザンは何とかしゃがみ込んで回避、体勢を低くしたまま接近を試みる。
 懐に入り、腰目掛けて剣を薙ぐ。不意打ちと言うより意表を突いた攻撃のはずだったが、それもやはり彼女には棍で受け止められた。引き戻した棍で、斬り上げていた片手剣を弾き返される。そのまま振り上げられた棍の端が、体勢を無理矢理整えようとしていたクーザンの鳩尾を地面に打ち付けた。

「~っ……!」

 胸を襲った衝撃に顔を歪め、だが何とか跳び退いた。距離を一旦取り、荒くなった呼吸を整える。
 柳に風。そういった言葉が脳裏に浮かぶ。どんな強風でも、折れる事なく立ち続ける植物のように、どんなに剣を振り回したとしても、総帥の体勢が揺らぐビジョンが思い浮かばなかった。

「どうした、ブレイヴの子よ。主の力はそんなものではあるまいて?」
「――!? 俺の事、……っ!」

 突然呼ばれた、己の本当の名。何故知っているのかと問い掛ける暇も与えられず、第二撃がクーザンを襲う。再び打ち付けられ、部屋の壁に激突する。

「ジェダイド!!」
「クーザンお兄ちゃん!!」

 全身の骨が軋む。二度の衝撃に三半器官が揺さ振られ、平衡感覚が麻痺をしている。その一瞬が、戦闘では命取りだ。
 ツカツカと歩み寄って来た総帥が、棒の先をクーザンの左胸に当て押さえ付ける。蛙が潰されたような声が出るが、心臓を抉るような痛みに堪えた。
 視界の右側からひょっこり現れる総帥の顔は、嫌になる程飄々と――いや、楽しそうに嘲笑っていた。

「呆気ないのぅ。どんな風に育っておるか楽しみにしていたのじゃが、期待外れじゃ」
「…………」
「戦友[とも]を助けると啖呵を切った威勢は認めよう。しかしこの様では、格好もつかんぞ? 一層の事、ここで主の旅を終わらせてやろうかの?」

 ぐぐぐ、と棍にかけられる力が強められる。冗談なんかではない、この人間はやると言ったらやる。
息苦しさから意識が朦朧としてきたが、ここで気絶してしまう訳にはいかない。

「……ざ、けんな……」

 何とか一言絞り出し、右手から離れていた片手剣を引き戻す。

「まだ、俺は……降参してねぇ!!」
「!」

 そのままそれを、総帥に向けて投げ付ける。彼女はすぐに反応し避けたが、クーザンの狙い通り、棍にかかる力も方向がずれた。隙が出来た瞬間、棍による拘束から抜け出す。
 カラン、と乾いた音が響いた。投擲した剣が床に落ちたのだ。その音でどこに落ちたのか見当を付け、胸を押さえながら走る。しかし総帥もこちらの意図に気が付いたらしく、そうはさせまいと動いた。先に武器を押さえるつもりなのだろう。
 ――結果的に、投げられた短剣の落下地点に辿り着いたのは総帥だった。

「な……!」

 その短剣は、ジャスティフォーカスが護身用として支給している型と同じものだ。クーザンの片手剣ではなかった事に、総帥はそこで初めて驚愕に目を見開いた。
 クーザンは自身の武器と見せかけて、制服を借りた時にベルトに装着されていた鞘にあった短剣を投げ、気を逸らしたのだ。本物の片手剣は、自分の手元に握ったまま。

「うおおおおおぉ――!!」

 クーザンの声が響く。大きく横に薙ぎ、斬り返し生み出された衝撃破が総帥を襲う。
 第一撃の斬撃は避けられたものの、斬り下ろす衝撃が刃となり、相手に向かって真っ直ぐ突き進む。《空破斬》よりも威力が高いそれが総帥を飲み込み、周囲に置かれている机や道具までも吹き飛ばす。
 衝撃破が霧散すると、果たして総帥はまだそこに立っていた。それどころか、その身にひとつも怪我を負っていない。
 完全に意表を突いた攻撃だと思っていたクーザンはそれを見て、がくりと膝を付いた。確かに手応えがあったと思ったのだが、やはりそう簡単にはいかないらしい。
 だが次の瞬間、信じられない言葉を耳にする。

「……フ。流石はブレイヴの名を継ぐ童じゃ」
「え?」
「小癪な手だとは思うが、咄嗟の判断力と戦闘能力。褒めてつかわそう」

 その時、気が付いた。総帥の右腕。二の腕の中間辺りが剥き出しになり、僅かに血も滲んでいる。余波を喰らっていたのか、という事は。

「主の勝ちじゃ、クーザン=ブレイヴ」

 ぱちぱちと拍手しながら、総帥が棍を下ろす。もう戦う意思はない、という事らしい。クーザンも戦いの続きを望むつもりはないので、相手に倣い構えを解く。
 そこで、自分の手が震えている事に気が付いた。あれ程の威圧感と実力を持つ相手に一撃だけとはいえ、攻撃を通す事が出来たのだ。相手の気が変わらない内にと、クーザンは開口する。

「約束だ。ホルセルをどうしたんだ」
「まぁそう焦るでない、きちんと約束は守るからの。主らも、何故ジャスティフォーカスがホルセルを狙ったのか気になるじゃろ?」
「そんな悠長にしている暇は……!」
「ギレルノ」

 いつの間に戻ってきていたギレルノを片手で制し、話を促す。もとより、組織がただ一人の構成員に執着し捕らえようとする理由には興味がある。話してくれると言っているのに、相手の機嫌を損ねさせて「やっぱり言いません」と気を変えさせる必要もない。
 何より、短時間の攻撃の応酬で把握した相手の力量が、本気で闘り合っては勝ち目もない相手だ、と告げていた。
 怪訝そうにクーザンを見た彼は、雰囲気からか察してくれたらしく何も言わずに引き下がってくれた。その様子に満足したのか、総帥は嬉々として口を開く。彼女の部下もいつの間にか元の位置に戻り、ライフルを下げている。

「利口じゃの。さて、結論から言おう。この騒動は、全て演技じゃ」
「………………は?」

 言われた言葉の意味が一瞬分からず、思わず間抜けな声が出た。今、演技と言ったか。

「ジャスティフォーカスを脅かす無粋な者を捕らえようとしたのは本当じゃぞ。しかし、そいつは思ったよりも巧妙に組織に紛れ込んでての。そこで奴に自分から出てきて貰おうと、ホルセルを使ったんじゃ」
「つまり……あいつを囮に仕立て上げたのか」
「そんな事の為に……!」

 組織の事情の為に、ホルセルはあれだけの精神的ダメージを受けた挙句ヴィエントにたやすく主人格を奪われてしまったというのか。それはあまりにも勝手で、酷過ぎるだろう。
 込み上げてくる感情に当たり散らしたくなったものの、代わりに総帥を睨みつける。相手はこれっぽっちもそうは思っていないだろうに、口元に手をやり「おぉ怖い怖い」と首を振ってみせた。正直今すぐにでも飛びかかってやりたいが、返り討ちに遭うのが目に見えるのでぐっと堪えた。

「言っとくが、その話を持ちかけたのは我ではないぞ? 奴が『俺達を囮に使って構わない』と言っておったからの」
「奴? 誰の――」
「この話を持ち掛けたのはクロス、という事じゃ」
「……クロス?」

 思いがけない人物の名前に、クーザンが声を上げた。ギレルノも、声に出しともしないが目を見開き、そして小さく舌打つ。

「なるほどな……奴らの目的を利用し、セイノアは奴らを釣り上げようとしたのか」

 確かに、こちらには奴等の容姿のみが情報としてあるが、未だ正体や目的に繋がる確たる情報はないに等しい。組織に潜り込んでいるという推測すら、クーザン達は滝の家で見たジャスティフォーカスからの文書で知ったくらいなのだ。
 そこで、ホルセルという分かりやすい餌をぶら下げて、わざと狙って貰えるように仕向けたと言う事か。
 ――となると。ひとつ、腑に落ちない事が出てくる。

「……ジャスティフォーカス総帥。何故あなたは、俺達を狙っている奴と、組織に潜り込んでいる輩が同一だと分かったんですか?」

 釣ると言えど、相手がどんな目的を持って組織に潜り込んでいるのか、組織の人間には知るはずもないだろう。まして、クロスとジャスティフォーカス双方の得になるかという判断もつけにくい。
 なのに、総帥はホルセルで釣る事が可能だと判断し、クロスの策謀に乗った。つまりそれは、総帥自身も『ホルセルが何者であるかを知っている』事になる。
 話の流れで判断するなら、それは彼に教えられたものと取っても違和感はない。だが、当事者以外からしてみれば「あなたの許にいる構成員の少年に神が宿っている」というのは突拍子もない話である。例え証明出来たとしても、組織のいち構成員に頼まれて組織の重役まで動くのは、何かがおかしい、と思うのだ。
 何故、と問うたクーザンに、総帥は目を細めて満足そうに頷いた。その表情が誰かに重なった気がしたのは、気のせいだろうか。

「とある一人の男の話をしようかの。男は荒廃する国に憂い、自警団を結成した。それは国ひとつ守るには全くの力不足ではあったが、男には偉大なる神の加護があった。神は男に言った。『いずれ、この世界に再び闇が訪れる。その時神官共と、新たに生を受けた陸空海の三神もまた、ここに集まる事であろう。そなたはその勇敢なる羽根を力に変え、弱き者達を等しく助けよ』――百年程前、まだジャスティフォーカスという名の組織ではなかった頃の話じゃ」
「神……?」

 怪訝な声を上げながら、クーザンは自然と総帥の背後にいる構成員の、制帽に目を向けていた。
 構成員は特に制服の着用を義務付けられていない為あまりお目にかかれないが、制帽には、組織の紋章が縫い付けられている。誰もが『あれはジャスティフォーカスだ』と想起させるそれ。斜めに描かれた剣と交差するそれは、猛々しい鷲の羽根――。

「……まさか、」
「男は、若き日の我の父。そして神の名は、『ジズ』あるいは『セクウィ』――空の神として世界を見守る、中立の神よ」

 ジャスティフォーカスの前身である自警団の創設。そこには、空を象徴する神である《ジズ》の介入があった。
 ――つまりは、ビュー=ハイエロファント=カマエルや、カマエル家もまた、《月の姫》の御伽噺の真実を語るのに必要な者達だったのか。

「あなたが、俺の事を知っているのは」
「グローリーに聞いたからじゃよ。奴は《遺産 エレンシア》の在り処を探し求め、この物語の真相を調べようとしていたからのぅ。目的までは聞いておらんが。まぁ、我が童を追ったのは、つまりそういう事じゃ。表向きは逮捕と言っておったが、奴がその狙っておる者に捕まって利用されないよう、保護するという目的もあったんじゃぞ」

 ふ、と思い出したかのように再び研究室を歩き出した総帥は、つかつかと研究室のカーテンがかかったエリア――クーザン達から見て左側だ――に移動し、カーテンを一気に引いた。

「これで把握したかの? ホルセル」
「……納得はしてねーけどな」
「なんじゃ、相変わらず可愛げのない餓鬼じゃの。助けてやった恩を忘れおって」
「ホルセル!?」
「兄貴!?」

 そこには両手と両足を拘束され、空色の瞳をやや細めてじとりと睨んでいるホルセルがいた。
 総帥が部下に枷を取ってやれと命じ、かちゃかちゃと耳障りな音が響く。その間無言で睨みつけていた彼だが、手足が自由になっても奇襲するような真似はしなかった。
 代わりに飛びかかったのは、ギレルノの傍にずっといたリルだ。

「兄貴ーー!!」
「うわっ!? リル……!?」
「兄貴のバカー! バカー!!」
「……えーと、ごめん……?」

 ぽこぽこと涙を浮かべながら叩くリルの拳を受け止める表情は、ヴィエントのような険しい顔ではない。その瞳も、彼女と同じ空色に戻っている。少なくとも今は、ホルセル本人の人格が表に出てきているようだった。

「ここに大人しくおれば、少なくとも命を失う事はない。そして、貴様の存在を悪用される事もなかろうて。それでも行くかの?」
「当たり前だ。オレにはやりたい事があるし、やらなきゃいけない事もある。何より、じっとしてるのは嫌だ」
「残念じゃ。少々面倒な事態になっとるみたいじゃから、こき使ってやろうと思っていたんじゃが。ギレルノ」
「……? 何だ」
「お主もこ奴らと共に行くがいい。組織の問題はじきに解決するじゃろうから、暫く離れておけ。ディオル達には、ドネイトを通じて後で知らせておこう」
「何故?」

 突然名を呼ばれた上に、理由も告げられず組織から離れろと言われても、訳が分からないのは仕方ないだろう。彼らしく簡潔かつ不躾な質問だが、総帥も酷く簡潔に答える。

「お主に今の立場を与えたのは我じゃが、ドネイトの足枷にまでなっては敵わんからのぅ」
「ハヤトさんの……?」

 ホルセルの呟きに意味ありげな微笑を返すと、研究室のもうひとつの入口を指し示した。

「今、第二裏口で戦闘があっておる。行ってやれ」
「戦闘?」
「あ奴も、相変わらず貧乏くじばかり引いておるみたいだからの。道中構成員に襲われたら適当に応戦すればいい、腑抜けた奴らにはいいお灸になるじゃろ。ホルセルの冤罪については、必ず十日後に連絡を寄越させる」

 いまひとつ腑に落ちない事もあるが、ホルセルが見つかった以上長居は無用だ。クーザン達はその入口をくぐり、先に行こうとした。
 ホルセルが足を止め、総帥の後ろ姿に問いかけなければ。

「ひとつ聞かせて欲しい。クロスは、この組織にとって……アンタにとっての、何だったんだ」
「……さぁの。ただ、言うなれば――」

   ■   ■   ■

 抜けた先は、連絡用通路なのか誰一人として人影が見当たらない。だが忠告された以上、警戒は怠るべきではない。この先の道を知っているホルセルとギレルノが前を走り、クーザンとリルが後方の警戒を行う。

「――『逆らってはいけない君主に似ている』、か……」

 ホルセルが、ぽつりと総帥の言葉を反芻させた。
 逆らってはいけない君主。そこにどういった意味が込められているのか、今のクーザン達には知る事は叶わなかった。

「! 止まれ!」

 後方を走るクーザンが、何らかの気配を感じたのか叫ぶ。ホルセルは怪訝そうに、だがそれに従い足を止めた。
 一方ギレルノは、その正体にも気が付いているのか、眉間にシワを寄せ先を睨みつけている。
 先の通路から現れたのは、茶髪を刈り上げた長身の男。煙草をぷかぷか吹かしながら、ただただ黙ってそこに立っていた。腰のベルトに手斧を携え、力を抜いて油断しているように見える。

「は……ハヤト、さん……」
「……クソガキ、どこへ行くつもりだ」

 ホルセルが冷や汗を流し、彼の名を口にする。それに応えた訳ではないだろうが、ハヤトは煙草をくわえたまま器用に口を開いた。

「裏切り行為未遂に加え、脱獄ともあればただでは済まんぞ。大人しく戻れ」
「お言葉ですが、ドネイト殿。ジングは総帥のご厚意の上、俺達が連れ出している。脱獄ではない」
「じゃあ、お前らも同罪だな」
「――っ、クーザン達は関係ない! ハヤトさん、オレはオレの意志で先に進む事を選んだんだ!」

 ギレルノの反論も虚しく、彼は尚も警戒態勢を崩さない。どうやら、てこでも道を譲る気はないようだ。
 いくらこの事件そのものが演技だったとはいえ、これはまだ一部の人物しか知らない。ハヤトも、こちらがその事を知っているとは思っていないだろう。こんな、誰かが通るとも分からない場所でそれを話す訳にもいかない。だからこそ、この障害の突破は困難に思えた。

「(……ハヤトさんに逆らったら、もう戻れない。戻れない、けど)」

 キッ、と真剣な表情を顔に貼り付かせると、ホルセルは覚悟を決めクーザンとギレルノ、リルの前に立った。
 研究室を抜ける時に部下に渡された大剣を構え、切っ先を真っ直ぐ向ける。その先には、ハヤト。

「オレには、やらなきゃいけない事がある! ここで、立ち止まってる場合じゃないんだ……!」

 ハヤトの口元に、僅かに笑みが溢れた――ような気がした。

「青臭いガキが何を言っている。――フン、どうしても戻らないつもりなら、力ずくで戻すまでだ」

 腰の鞘から手斧を手に取り、ホルセルと同じようにハヤトも構えた。それを受け、残りの者もそれぞれの武器を手に取る。
 だが、やはり彼の威圧感と殺気は並大抵の物ではない。幾千もの戦を生き抜いてきた人物だけある。
 額から、汗が流れた。空間は硬直状態に包まれたが、ハヤトの煙草から灰が零れ落ちた瞬間、ホルセルは動いた。

「……おおおっ!!」

 威勢の良い叫びを発しながら飛びかかると、ハヤトは斧の刃でそれを防いだ。ギィンとけたたましい音が耳に留まる。
 競り合いに持ち込まれないようにか、彼はすぐさま大剣を弾く。ホルセルをも弾き飛ばす力量は、やはり大人と少年の違いか。
 クーザンが入れ代わるようにハヤトに剣を奮うが、今度は柄の部分で弾かれる。一対多だと言うのに、立ちはだかる壁は果てしなく高い。
 再びホルセルが飛び掛かる。大剣と斧がぶつかり合い、軋んだ音を立てた。やはり、力の差は歴然か――今度は弾かれず、そのまま競り合う事になる。
 だが、思っていた程の衝撃は来ない。

「(あれ?)」

 ハヤトは、数年前の戦争でもたくさんの人々を手に掛け、救ったような優秀な戦士だ。鬼神とも呼ばれていた程の人物と同じ力でせめぎ合えている事に、ホルセルは違和感を感じた。本来であれば、こちらが一方的にやられる方が正しいのに。

「――この先、」

 それは、大剣と手斧が軋む金属音で消されそうな小さな声だったが、確かにハヤトの声だった。

「この先の第二裏口……そこを抜けて門の手前を左に曲がれ。隠されたシェルターがある。それを使えば、この街からの脱出は出来る」
「え……」
「お前次第だ。……行くからには、成し遂げるまで帰って来るんじゃない。忘れるな」
「――! は」
「クロスによろしく言っておいてくれ」

 呟くように紡がれた言葉は、しかしホルセルにはしっかり届いた。
 ハヤトに話しかけようと口を開くが、すぐに剣を弾かれ体勢を整える。彼はもう『組織の重役』として、真剣な表情で手斧をホルセルに構えていた。その目からは、本気で自分を捕まえようとしているのが分かる。彼の先に見えるのが、第二裏口に繋がる出口か。

「クーザン! 出口まで走れ!」
「え!?」
「良いから!」
「逃がすと思うか?」

 ホルセルが叫んだ意図を掴み損ねたのか、クーザンは戸惑いながらも出口を睨みつけた。だがハヤトという障害は、大人しく通してくれそうにない。
 すると、後方から声が響く。

「離れろ! ――コール、ユニコーン!」
「えっ」

 現れた白馬に驚きの声を上げつつ、前衛二人は僅かばかり離れる。一体ギレルノは、何をやろうとしているのか。

「唸れ聖光――《セイクリッドアーツ》!」
「……ちぃっ!」
「今だ!」

 光り輝く光線が、真っ直ぐに出口を狙って放たれる。ハヤトは直撃を恐れ大きく横へと避け、標的がなくなったそれは出口の扉を破壊した。防犯装置が働いたのか、けたたましいサイレンが鳴り響く。
 だがその攻防により、ホルセル達と出口の扉の直線上からハヤトがいなくなった。今なら通り抜けられる、その状況を作り出すのを狙ったのだ。
 ギレルノはリルを担いだままユニコーンに飛び乗り、クーザンとホルセルも、追い掛けるようにハヤトの脇を摺り抜け出口へと走る。

「待て!」

 体勢を直したハヤトが、四人を追い掛けてくる。彼等のこれからを賭けた追いかけっこ。捕まる訳には、いかなかった。