第50話 奇妙な邂逅

「分かりました。情報提供感謝します」
「どうも」

 数分後。クーザンは、目の前にいるジャスティフォーカス構成員と話をしていた。
 ここは、ジャスティフォーカス本部の一室。いかにもそれらしい部屋にあえて名を上げるなら、事情聴取室とでも言おうか。
 とにかくここに侵入出来たのは、一重に街での一件のお陰だ。それさえも、クーザン自身がそうなるように仕組んだのだが。
 『普通に街を歩いて情報収集を行っていると、突然現れた悪魔の男が魔法で炎の槍を呼び出し、見境なく暴れ出したので、被害を最小限に留める為に飛び出した』という状況を作り、事情聴取という名目でジャスティフォーカス構成員直々に案内してもらい、本部内侵入を成功させたのだった。悪魔の男はもちろんドッペルゲンガーであるドッペルが変身した姿であり、彼は影の中に隠れて逃げ切った。
 本部に移動する間も構成員に騒動の話を根掘り葉掘り聞かれたのだが、光が反射してよく見えなかっただの犯人らしき人物が逃げたから追いかけただの、よくもこんな嘘八百がほいほい浮かぶと自分で感心しつつ、はぐらかし続けた。ゼルフィルの特徴を言ってやろうかと思わなくもなかったが、安易に喋って自分の首を絞めるような事態は避けたい。
 そして二時間にも及ぶ事情聴取の末、ようやく解放されたのだ。外はすっかり暗くなっていて、もうじきセレウグ達も動き始める頃合いだろう。ちら、と自分の影を見る。何の変哲もない影だが、ドッペルは確かにそこにいる、という確信があった。
 誰もいない廊下に差し掛かった所で、怪しくないように監視カメラを確認しすぐ側の部屋に飛び込む。部屋は真っ暗だが、恐らくは給湯室、だろうか。炊事場と似たような設備があるが、それよりは簡易的だ。

「ドッペル、一旦セーレ兄さん達に連絡に行ってくれ」
『それは良いけど、大丈夫か?』
「とりあえずここから動かない。人が来たらその限りじゃないけど」
『分かった。気をつけろよ』

 外に声が洩れないように会話を続けると、ふ、と気配が消えた。ドッペルがクーザンの影から離れたのだ。
 動かないとは言ったものの、ここに人が入ってくれば一発でアウトだ。緊張感は半端ではなく、息を殺すのにも必死である。
 とりあえず、後方に見付けた棚の一番下に体を滑り込ませる。幸運にもそこには何も入っておらず、またクーザンが入れる大きさだった。出来る事なら、ドッペルが帰ってくるまでこのまま誰も来ないで欲しいのだが、そんなクーザンの淡い願いは簡単に砕け散る。
 コツ、コツ、コツ。部屋の近くを、誰かが歩く音が聞こえた。どうやらそれは一人ではない、恐らくは二人。明るい談笑も聞こえ、クーザンは首を捻った。
 足音は部屋の前で止まり、あろう事か自分が隠れる部屋に入ってきた。ぱち、という音は、電気をつけた音だろう。
 棚の扉を僅かに開け、隙間から入ってきた誰かを伺い見た。
 背の高い、銀髪の軍服を着た青年。温厚な顔立ちをしている彼は、水道の蛇口を捻りながらヤカンに水を入れているようだった。
 その人物は、紛れも無く自分の知り合いである。

「……カナイさん?」

 思わず口をついてしまった名前に反応した彼は、キョロキョロと辺りを見回す。こうなると、隠れても無駄な気がして扉を開けた。
その判断を、クーザンは一瞬で後悔する事になる。

「こんばんは」
「!!? く、クーザ」
「し、シーッ!!」

 場違いな挨拶を、しかも思わぬ場所からやれば誰でも驚く。実際自分が相手だったとしても、同じようなリアクションを取るだろう。カナイが仰天の声を上げるのを、クーザンは慌てて諌める。やっぱり隠れていれば良かった、と今更ながら後悔した事は言うまでもない。

「ど、どうしてこんな所に」
「事情が事情で……ホルセル=ジングという構成員を捜しているんです」
「え? ホルセル君を……?」
「何か知ってますか?」

 ちらりと部屋の外を一瞥し、カナイもしゃがみ込んで尋ねてくる。彼は場の適応力は相当なもので、最初は驚いたものの次の瞬間には真剣な表情になっていた。小声なのも、こんな所に隠れているクーザンに合わせての事だろう。

「同じ先輩の部下だったからね……今は違うけど。残念ながら、僕も今彼がどこにいるかは分からない」
「そうですか……」
「君がここにいるという事は、セーレも?」
「セーレ兄さんは別行動です。今は、俺しか」
「そう……僕も協力したかったのだけど」
「大丈夫です。カナイさんの立場が危うくなるような真似は、しないでください」
「うん、分かってる」

 苦笑するように返事をしたカナイは、じゃあ、とクーザンに声をかけた。まだ仕事が残っているのだろう、これ以上邪魔する訳にはいかない。
 入れ違いに戻ってきたドッペルに先程の話を伝え、クーザンは「さて」と立ち上がる。棚の天井に額をぶつけかけたが何とか回避し、再び本部内を移動する。
 クーザンは、最後まで違和感に気が付かなかった。何故カナイが、別行動しているセレウグ達がここに侵入しようとしている事を知っていたのか。
 クーザンは、見れなかった。部屋を出た彼の表情が、おぞましいまでの笑顔を浮かべていたのを。

   ■   ■   ■

 レキアの襲撃から逃げ仰せたギレルノは、先程の場所から二階程下った廊下にいた。
 どのみち同じ建物内にいるのだから、また襲われる可能性は高い。だが、彼はここから逃げるという選択肢を選ばなかった。

「ギル!」

 名を呼ばれた方を見ると、ネルゼノン達三人がこちらに向かって駆けてくる所だった。普段なら「廊下を走るな」とでも言うのだが、如何せん時間がない。
 正面で止まったディオルが、息を整えながら小声で大変だ、と口を開く。

「ついさっき、ホルセルがここに現れて、捕まえたって連絡が……!」
「なに? あいつは妹達と一緒にいたはずじゃなかったのか」

 滝の近くにあった古家で別れてからこまめに連絡をしている訳ではないが、少なくとも彼らは彼らで固まって動くものだと思っていた。指名手配されているのを承知で本部に来るなど、冷静に考えれば自爆行為のなにものでもない。
 自分の認識が誤っていたのだろうかと口にするが、エネラもぶんぶん首を左右に振り否定を示した。

「そのはずだよ~!! 何で捕まってるの、ホルセルったら!」
「黙ってらんなかったんだろうよ。クロスもいねぇから、止める奴いねぇし。ほんっとアイツ、根が正直過ぎるよな」

 やれやれ、と言いたげに言うネルゼノンの言葉に、ディオルとエネラが互いに顔を見合わせ、揃って彼の方に視線を向ける。見られた本人は「な、何だよ」と居心地が悪そうに顔をしかめた。

「ゼノンって、弄り倒して遊ぶ割には、ホルセルの事僕達より分かってるよね」
「はぁ!? 何でそうなんだよ!?」
「本当の事じゃない。って、今はアンタの事なんてどーでも良いの!」
「どうでも良いってなんだよ!」
「そうだった。そっちは見付かった?」
「いや、こちらも彼らとは接触出来なかった。だが、図書室で調べものをしていたら、レキアに襲われた。やはり《狐》は奴の可能性が高く……いや、俺はもう奴だと確信している。となると、敵の手にかかったという考えも……」

 本来ディオル達が捜していたのは、数日前に帰還を果たしたと言うジャスティフォーカス構成員の先輩である、ザルクダ=フォン=ネイビブルーだ。彼に協力を取り付けられれば、少しは組織に対して有利に動けるのではないか。そうでなくても、新たな情報を手に入れられるのではないかと考えたからだ。
 だが、唯一知っていそうなカナイの姿もなく、割り当てられた部屋にもどこにもいないとなれば――あまり考えたくない事だ。
 相当の手練れであるはずの彼らが敵の手に落ちたという事は即ち、こちらにとって不利な条件が加算された事に値する。下手をすれば、もう最善の策などないのかもしれない。

「……これ以上闇雲に捜す位なら、もうジングを捜した方が良いかもしれんな」
「ホルセルを?」

 ディオルが驚いたような声を上げる。それもそうだ、今までホルセルの事を気にかけていた素振りは見せていなかったのだから。普段から犬猿の仲と揶揄されるのを自覚しているギレルノは、眉間に皺が寄るのを自覚しながらも答えた。

「恐らくは、この本部のどこかに捕まっているはず。捕らえろと言った本人が同じ場所にいるかどうかは分からないが、当てがない以上は有効だと思う」
「でも、牢にもいなかったのよ。これ以外どこに……」
「例えば……研究室」
「研究室!? あそこは構成員でさえ入れないんだよ!? それに、何でまたそんなところに」

 ジャスティフォーカス本部には、研究室がいくつか存在する。事件解決に繋がる物質を解析したりする用途に使われるのがほとんどだが、中には構成員の彼らでさえ入室を許可されない部屋もあるのだ。そこで何が行われているなど、自分達が分かるはずもない。
 しかし、「構成員でさえ入れない」、つまり引っくり返せば「幹部や関係者以外の入室を制限出来る」という事であり、隠すと言う意味ではまさに適当な場所である。

「構成員ですら入れないから、好都合なんだろう。少なくとも見付かる可能性は低い」
「あ、そうかなるほど……。でも、どうやって」

 と、ジリリリリリリリリリ!!!と静かな廊下に、突如けたたましい音が鳴り響く。非常事態――あるいは、構成員全員に警戒を促す警報だ。

「何!?」
『構成員に告ぐ。現在、本部入口に侵入者を発見。直ちに取り押さえろ――繰り返す』
「侵入者……?」

 エネラの問いに応えるかのように、備え付けられたスピーカーから事務的な声が発される。本部内に、侵入者。穏やかな話ではない。

「……ディオル、エネラ。お前達はアナウンスに従え」
「え? ギルは?」
「俺は元々ジャスティフォーカスの構成員じゃない。従わなくても大丈夫だろう、このまま捜索を続ける」

 ギレルノは、あくまでジャスティフォーカスに荷担する人材の一人だ。協力者と言っていいか、とにかく正式な構成員ではない。
 という事はつまり、構成員は必ず当たらなければならない任務や、突然の警戒体制に従う必要もない。二人は一瞬逡巡したようだが、先にディオルが頷く。そしてエネラに「行こう」と促し、くるりとこちらに顔を向けた。

「分かった、気をつけて!」
「ホルセルをよろしくね……!」

 駆け出した二人に頷きかけ、ギレルノも逆方向に足を向ける。何だか、嫌な予感がした。

   ■   ■   ■

「やっぱりさぁ、敵の陣地に突っ込むって言えば、正面突破だよね。裏口だけど」
「ライに言われたろ……正面突破だけは止めろって…………」

 どうしてこうなったのか。取り敢えず、こうなった理由の一因である目の前の友人の後頭部を思いっきりひっぱたいてやりたくなったセレウグだったが、それは止めておく。
 やるならやるで巻き込むのは自分だけなら良かったのに、と背後で状況に追い付けず、目を白黒させているアークとリルを見ながら盛大に溜息を吐いた。せめて犯罪にならぬようやり過ぎる前に自分が止めようと、目の前に立ち塞がるジャスティフォーカス構成員の壁を睨みつける。
 厄介なまでの人数の構成員が、わらわらと集まってきている。恐らくジャスティフォーカス本部にいた者達が、先程門の目の前で堂々と発砲したユーサの銃声を聞き付けたのだと思われた。
 ドッペルの話だと、彼は既に本部の中にいるんでしょ? なら僕達が入り口に構成員を引き付ければ、彼が動きやすいよね。という訳で、と流れるように動いた彼を止める暇もなく行われた一連の行動は、確かにユーサの思惑通りに、構成員を引き付ける役目を果たしているように見えた。だが、彼はこの後をきちんと考えているのだろうか? 向こうはまだ、本部内に何十人も控えている。対してこちらはたったの四人。多勢に無勢も良いところだ。

「ん」

 そんなセレウグの葛藤に気が付いているのか、はたまた気が付いていながら無視をしているのか。ユーサは腰のホルスターに収納している愛銃を手に取り、ぱち、と安全装置を外す。そしてパァン!と、何の合図もなくそのまま、後方に撃った。
 弾は瞬速で空を裂き、ほど近い木の幹に当たった。よく見れば、そこには人影がある。
 人影は、今の銃声でざわめきだした本部の明かりに照らされる。黒い制帽。銀髪。黄緑色の瞳。見間違えでなければ、セレウグもユーサも既知の友人であった。

「カナイ!?」
「久し振りだねぇ、二人共」

 彼はにっこり笑いかけると、肩に担いだライフルを誇張するかのように持ち直す。逆に、それが恐怖を抱かせた。口調は比較的ゆっくりとしているのに感じられる戦意――いや、殺意。

「こんなところで何やってるの? 道にでも迷った?」
「キミの上司が、後輩を監禁してるらしいって聞いてね。確かめに来たんだよ」
「へぇ。でもおかしいなぁ? 君達みたいな一般人は、ゲートで精密な審査を受けないと国にも入れないはずなんだけどなぁ。ちょっと話を聞かせてくれないかな?」

 ガシャ、と長い銃身を構え、銃口をこちらに向けられる。口は笑っているが、眼光が獣のように濁り、覇気もない。何より、既知の間柄にも関わらず放たれた台詞には、明確な拒絶が感じられた。
 驚愕していた隙に、彼らの背後から新たなジャスティフォーカス構成員が見えた。前はカナイ、後ろは構成員。もう、逃げ場はない。

「もしかして、洗脳?」
「いや、違う。というより、カナイじゃないな、あれ」
「カナイじゃない? どういう事――ああ、それ?」

 アークの台詞を、セレウグは否定した。その言葉に、声音に、「そうなのか」と納得させる威圧を乗せて。ユーサも怪訝な表情を浮かべていたが、視線はカナイに向けたまま問いかけてきた。

「良く分からんが……目が痛む。あれは、カナイとは異なる誰かだと思う」
「目?」
「あー、アーク達は知らないんだよな。でも説明してる場合じゃないからなぁ」

 セレウグは申し訳ないと返しながらも、警戒は怠らず目の前の相手の一挙一動を見逃さないよう、右目で睨みつける。未だ包帯に巻かれた左目が、じくじくと疼くような気がして、左手で押さえながら。
 自身の左目は、世間から見れば忌み嫌われるものだ。何の説明もなしにそれを晒すのは、自分よりも相手にショックを与えてしまうかもしれない。何より、セレウグ自身がそれを実行出来る気がしなかった。
 カナイがライフルから片手を離し、頭上に掲げる。

「総員、構えろ。怨みはないけど、消されかけた事へ怒り――キミ達で晴らさせて貰う」
「消された、だと?」
「あぁ。あの薄暗い森でのね」

 クス、と息を漏らすと、彼は背後の構成員に見えない角度で嘲笑した。カナイ本人なら絶対に見せない、そしてセレウグ達も見た事がない、挑発的でいびつな笑みだった。

   ■   ■   ■

「総帥、どうしても駄目でしょうか」
「当然。何を言われようと何を積まれようと、私はアレを手放すつもりはないぞ?」

 最上階。そこは、階下の騒ぎもどこ吹く風といったように静かな空間があった。
 ヴィエントが、単独で乗り込んできた部屋――総帥の執務室には、現在来客がいる。いや、客という表現は正しくないか。

「一体、総帥にとって何の価値があるって言うんでしょうか。あの子供に」

 サングラスを頻りに直し、マーモンが言う。手に隠れて口元は見えないが、その細い眼光からは並々ならぬ怒りを載せていた。
 何か言わなければ殺す、くらいの威圧を受けているというのに、涼しい顔でかわし続ける相手――ジャスティフォーカスの総帥は、何と図太い神経をしているのか。

「そなたに言っても分からんであろう。分かったなら、早く指示を出しに行ってやればどうだ」
「生憎、俺の部下はそこまで柔ではないからな。こうなれば、アレの居場所を突き止めてやりますよ」
「フ……出来るものならやってみぃ。ただ、アレは既に私のもの。何をしてでも、守り抜いてみせようぞ」

 疾る閃光。互いが互いの視線を返し、場に尋常でない殺気が漂い始めた。それに横槍を入れたのは、突然執務室のドアを叩いた伝令の声。

「クラティアス長! 報告します!」
「何だ」

 入ってきた伝令の制服は黒。軍側の、マーモン直属の部下である。自分の目の前で頭を垂れる伝令に視線を向ける事もなく、マーモンは言葉少なに続きを促した。

「現在、第二裏口にて侵入者がありました。応じているのは、我が隊狙撃手のカナイ=アラレイ他数名です」
「第二裏口か。レキアは?」
「レキア様にも伝令を向かわせました。ただいまそちらに向かっているものと思われます」
「分かった、オレも向かう」
「はっ」

 端的に、だが的確に状況説明を聞くなり、マーモンが手を挙げる。下がれ、という意味合いを込めた仕種であり、それを把握している伝令は即座に退室した。

「では、総帥殿。願わくば、アナタ様の愚考が変わっている事を願ってますよ」
「安心しろ、変わる事などありはせん」
「……フン」

 総帥の余裕淡々とした微笑に、マーモンは口の端を歪めて答え、その場を後にする。本当に感情も読めない、気味の悪い人間だと思う。
 扉を閉め、詰所に足を向けながら、懐から端末を取り出す。そして、ある相手に通信を繋げた。少しばかり間があって、相手が通信に応じる音が耳に届くと、名乗りもなく口を開く。

「おいおいレキア君、逃げられてんじゃねーよ。お仲間が侵入してんじゃねーか」
『テメェ、耳早過ぎだろ! うっせーな、ワザとじゃないっての。だから今、こうして第二裏口向かってんだろうが』

 マーモンも、また応対した相手も、普段の敬語はどこに行ったと思われそうな程の口調の変わりようである。同じ部隊の人間が見れば驚きものであろうが、マーモンはこれが『素』なのであった。そして、恐らくは向こうも。

「一手遅ぇっつーの」
『オメーの指示だろうが! あ、あとオメー多分正体バレてるからな。助けてやんねぇからそのつもりで』
「少なくともお前には助けられたくねぇし、想定通りだっつの。じゃあ、オレが行くまでそっち片付けておけよ」
『あぁ!? 勝手な事ぬか――』

 相手が言い終わる前に通信を切り、止めていた足を動かす。向かっているのは、侵入者が現れたと言う第二裏口。

「全くよぉ。面倒臭ぇな」

 つまらなさそうな呟きとは裏腹に、マーモンは嗤っていた。

   ■   ■   ■

 廊下を、一人の構成員が歩いている。油断なく左右を見回し、横から何かが飛び掛かってくればすぐにでもその剣で斬り捨てる事が出来るだろう。
 仮眠をしていた構成員だが、先程のけたたましいサイレンで起こされたせいで、今は機嫌が悪い。安らかな時を妨げた侵入者とやらを、法に触れない程度に痛め付けてやろうかとさえ思っている。
 だが彼を襲った者は、彼の思わぬ場所から現れた。

「まさか、こんな簡単に成功するとはね」
『……確かに』

 クーザンは、今しがた自分が昏倒させたジャスティフォーカス構成員の服を剥ぎ取り、着替えている。影から生えているドッペルは、感心しているのか呆れているのか分からない表情をしていた。恐らく後者。
 制服は黒。出来れば軍課ではなく捜査課のものが良かったが、廊下を歩いてくる者にとって死角になる場所に隠れて、初めて来たのが彼だったから仕方ない。

「その人起きそう?」
『ぐっすり寝てるな。しばらくは起きねーんじゃねーの』
「ま、念には念を」

 気絶したままの構成員の腕を後ろ手に回し、先程部屋で見付けた紐で縛る。顔は見られてないと思うが、起きて騒がれても困る。

「よし、行くか」
『逞しいなぁ、お前……』

 制帽を深めに被り、クーザンは一度廊下を見渡す。周囲に誰もいない事を確認して、それにしても、と一度溜息を吐く。

「建物が広過ぎて、自分のいる場所が分からない。ほんとここどこだよ……」
『案内板か、案内人がいれば良いんだけどな。俺もあまり知らねーし』
「ジャスティフォーカス本部だぞ。そんな都合良く……」

 ある訳無い、と返そうとした直前、廊下に足音が響き渡った。一応軍の制服を身に纏うクーザンは隠れなくても大丈夫なはずなのだが、そこは反射的にと言うべきか。
 足音は、走っているのか歩いているのか分かりにくい間隔で近付いてくる。自分の格好が軍課のものである事を確認し、覚悟を決めて顔を出す。

「あ」
「!」

 つい声を上げてしまった。相手も驚いたようで、だが恐らくは自分の服装に怪訝な表情を浮かべながら、口を開く。

「貴様……ブレイヴか?」
「とりあえずそれで呼ぶのは止めてくれないかな。せめてジェダイドにして欲しい」

 遺跡や滝の家で出自はバレてしまったとはいえ、まだ第三者が聞いてしまう可能性のある場所でその姓を呼ばれる覚悟はついていない。そう懇願すると、相手――ギレルノはそれは悪かったな、と謝罪してきた。
 互いを確認し合いつつ、クーザンは彼を隠れていた部屋に招く。立ち話では、あっさりジャスティフォーカス構成員に捕まるかもしれない。

「ここにいたんだ」
「いたも何も、本部に帰るという話だっただろう。それは良い、何故お前がこんな所にいる」
「忍び込んだと言うか……建物で迷ったと言うか……」
「その格好じゃ説得力がないぞ」

 呆れたような――実際呆れているのだろう――表情でギレルノが問う。答えるとそんな言葉が返ってきて、まぁ確かに、と同意した。
 建物で迷ったのであれば、軍の制服を身に纏っている事への説明をつけられない。忍び込んだのであれば、正規の手段であろうが罰則は避けられないだろう。そのどちらとも取れる状況である事をすぐに指摘出来る彼が、いかに聡明であるかを意図せず再確認する事となった。

「ほら、郷に入れば郷に従えってやつ」
「……。ジングを捜していたんだろう」
「うん、何か知ってる?」

 珍しくもっともな事を言ったと思ったのだが、彼は何の反応も返さず話を変えてきた。少し悔しかったりもするが、冗談を言っている場合でもないので、クーザンは流れに合わせる事にする。

「残念ながら、俺も奴がどこに閉じ込められているかまでは知らない。今捜している所だ」
「君が?」
「何かおかしいか?」

 ギレルノがホルセルを捜している――その事に疑問を持ってしまい問いかけると、彼は眉根を寄せ聞き返してきた。何だか、「またか」と思われている気さえする。
 確かに彼らが仲が悪いとはいえ、よくよく思い出せばホルセルが一方的に嫌っているだけのように見えた事も多かった。ギレルノは別に何とも思っておらず、むしろ何故嫌われているのかとすら疑問に思っているのではなかろうか。
 ならば、何故嫌われていると分かっている相手を捜していたのか理由を聞きたくもあるが、そう簡単には話してくれないだろう。クーザンは大人しく首を振るだけに留め、口を開く。

「いや。なら、一緒に捜してくれないかな……俺ここの構造、全く分からないからさ」
「別に構わんが」
「ありがとう。早速なんだけど……ここの建物は、本部のどこなのかな」
「本棟。重要な設備が揃っている。俺が歩いてきた方にある建物が、西棟で主に寮がある」
「じゃあ、あれが東棟」
「あぁ。俺は東棟にある研究室が怪しいと思っている。……一応言っておくが、学校などにあるようなお遊び目的の部屋では」
「わざわざ解説を付けなくても流石に分かる。で、研究室? ホルセルをそんなとこに閉じ込めて、一体何をするつもりなんだよ」
「構成員から隠すにはもってこいなだけで、意図は分からん。行って確かめれば良いだろう」
「……その通りだね」

 あっさり言い退けるギレルノの物言いに内心怯えつつ、クーザンは同意を返した。すると彼は怪訝そうに首を捻り、更に言葉を続ける。

「お前がここにいると言う事は、侵入者とはまさか貴様の仲間じゃないだろうな」
「侵入者?」
「先程、侵入者が第二裏口に現れたので構成員は向かえという連絡が回っていた」
「セーレ兄さん達がそんな……。……あ」

 セレウグならそんな無謀な事はしないと断言出来る、と思いかけたところで、クーザンは思い出した。
 内部に先に侵入してホルセルを捜すという役目は、構成員に見付かるリスクが高い。故に、セレウグと共にいるユーサなら、『要は構成員を別の何かに注目させれば、目の数は減って中にいる駒が動きやすい』と考え、そして行動に移すだろう。
 ルミエール院でライラックに釘を刺されていたし本当に実行に移す訳がない、と思いつつも、一方で大人しく従う人ではないな、と思うのも事実なのであった。

「何だ? その反応は」
「ちょっとそれがあり得そうな事を思い出しただけだよ。話せば長――」

 ふと、鼓膜がこの場にいる人間以外から発される僅かな音を拾った。
 相手も気が付いたようで、ギレルノが口元に人差し指を当て、静かにするよう促してくる。口を閉じ耳を澄ませると、それが暗闇に隠れている自分達に気が付かないまま、通り過ぎる構成員の足音だというのが分かった。何かを話しているようだが、慌ただしいその音に消されて聞こえない。
 ただ、まさに自分達が捜そうとしている者の名が聞こえた気がした事や、不穏な雰囲気を感じた事から、嫌な予感を感じた。

「……話は後にして、急いだ方が良さそうだな」
「うん。彼らが歩いてきた方って、何があるの?」

 念の為、と浮かんだ疑問を彼に投げ掛けると、眉間に更に深くシワを寄せたギレルノが答える。声は、さっきよりも大分トーンが低かった。

「向かっているのは、恐らく第二裏口。歩いてきた方向が、……研究室、だろうな」