第47話 壊れ行く正義

「静粛に」

 ざわざわとしていた広い部屋――会議室の雰囲気を、一人の男の言葉が貫いた。
 クーザン達がファーレン地方を出発した日から、二日。ジャスティフォーカス本部にある会議室には様々な人間が集結し、一様に黙り込んでいた。その中には、ザルクダやハヤトといった面々も混じっている。
 その空気を、会議室の扉を開く音が切り裂いた。
 現れたのは数名。中心に立つ髪の長い人物が、部屋にいる者達を確認するように見渡すと、ひとつ頷いてから口を開いた。

「これから会議を執り行う。近頃騒ぎの種となっている神隠しの件だ」
「神隠し? もう収まったのではなかったのか」
「被害者も全て帰ってきたという報告もある。そこまで取り立ててやる事でもなかろう」
「それとも何か関係が」
「あぁ、大いにあるとも」

 カツカツ、とヒールの音を響き渡らせながら、部屋の机に歩み寄る堂々とした態度は、先程よりもざわつく会議の出席者達を制した。カタン、とキセルを机に置き、中央の椅子に腰掛けたのは、総帥――ビュー=ハイエロファント=カマエルその人。
 たった一言口にしただけだと言うのに、困惑の色を浮かべていた出席者達を黙らせ再び沈黙に引き戻す。纏う雰囲気も相まって、ただ者でないのはすぐに分かる。

「クラティアスが持ってきた情報によれば、神隠しでいなくなっていた被害者は一部を除いて何らかの関係があるらしい。流石に何なのかまでは把握していないと抜かしていたが、同じく狙われていたであろうホルセル=ジングとクロス=セイノアと連絡がつかない以上確かめようがなくてな」
「…………」

 カマエルから大して離れていない位置に座るハヤトの瞳が、鋭く細められる。

「捜査課のウイルス共など、何故気にする」
「疫病神が……奴らを拾ってからだ。組織がおかしくなったのは」
「ここまで検問を広めていると言うのに、何処をほっつき歩いているのか見当も付かん。大方奴らが犯人ではないのか」
「なっ……!?」

 小さく声を上げたのは、制帽を取った姿のカナイ。ザルクダがトルシアーナを出発した直後に呼び戻され、組織に関わる情報を聞かれると危険だという事で集められた数人の護衛に入っていたのだ。
 が、参謀の一人が言った言葉に反応し、それを仲間の一人に窘められる。
 総帥の前、軍課の総務長――マーモン=クラティアスが座るべきはずの場所に座る青年レキアはそれを一瞥し、口を開く。

「失礼ながら、クラティアス様もそのように解釈されております。長期間の本部不在は、その行為を行う為の準備期間ではないか、と。聞けば、通信手段でさえなくなっているそうで」
「ちょっと、本人達がいないからってそれは……!」
「カナイ、黙れ」

 あまりの勝手な言い草に、我慢出来なくなったカナイが再び口を挟む。が、それを二言と視線で黙らせたのは、彼自身が尊敬の念を抱くハヤトだった。
 ホルセルとクロスが悪いように言われて、彼が黙っているはずがないと思っていたカナイだったが、その台詞に愕然とする。それは、彼等を疫病神と否定も肯定もしないものだからだ。
 ハヤトはそのまま視線をカマエルに向け、淡々と話す。

「一刻も早く、その二人を連れ戻せるようこちらも総力をあげて捜索しています。――手段は問わない、と」
「……流石、仕事が早いのぅ。期待している、ドネイト」
「仰せのままに」
「検問の強化は、主要都市の奴らに指示をしている。後は任せた」

 会議終了が告げられた後、解放されたハヤトが自身の執務室へと戻ろうとすると、カナイがものすごい剣幕で駆け寄ってくる。性格的に自分の行動に納得はしていないだろうと思っていたので、避けるのは諦め、その場に立ち止まる。

「ハヤト先輩、何故ですか! 彼等を悪いように言われて、悔しくも何ともないんですか!?」
「…………」
「答えて下さい、ハヤトさん!!」
「……あいつらの為だ」
「え……?」
「任務に戻れ。これ以上の職務怠慢及び阻害は、組織への裏切り行為と見做す」

 それだけを冷たく言い残すと、ハヤトは背を向け立ち去る。カナイには雰囲気が、その後ろ姿が、これ以上の詮索を許さないと言っているのが分かった。

「カナイ」

 名を呼ばれ振り向くと、そこには旧知の仲であるザルクダの姿。彼は困ったように微笑むと、ハヤトの去った廊下を見やり告げる。

「大丈夫だよ。ハヤトさんは、そこまで鬼じゃない」
「でも……!」
「確かに、疑問に思うけど……多分、何か訳があるんだ。俺達に言えない何かが」
「……何か……?」

 カナイには納得がいかず、茫然と問い返す。しかし、大丈夫と言った本人も肩を竦め首を傾げるのみだった。

 ――ダンッ!
 静かな廊下に、鈍い音がこだまする。

「……情けねぇ……っ」

 ビリビリ、と微弱な振動が壁から感じなくなった頃、彼は歯を鳴らし言った。

   ■   ■   ■

 ガタガタガタ、ガタン!
 荒野の荒れた道を、二台の車が豪快に駆け抜ける。
 時折凄まじい衝撃が内部に響き、タイヤは今にも抜けるのではないかと危惧する程揺れる。道の状態が悪いせいだと思われるが、明らかにそうではないと言える運転の仕方だ。

「シアン、もっとゆっくりで良いよ!」
「なーに言ってるの! 早く行かなきゃ、門番交代しちゃうわよぉ!」
「だからって、着く前に僕らがダウンしちゃ意味ないだろう!!」

 ユーサが、運転席に座る女性――シアンに聞こえるよう、大声で叫ぶ。だが彼女は気にも留めず、もっともな事を言われてしまった彼は薄ら笑いを浮かべるしかなかった。
 彼らが車に乗っているのには、訳がある。
 海を渡らせてくれた男に礼を述べ別れた後、海岸沿いに待機していたシアンやツカサ達楽団と合流し、ホワイトタウンを目指しているのだ。正攻法で行けば、入国審査や検問で必ずホルセルが危うい立場になる。
 また、彼だけでない。リルやセレウグもまた、怪しい立場に立たされている。それらを考えると、真面目に入国する気も失せるというものだ。

「わっ……きゃあっ!?」

 あまりの揺れの激しさに、座っていたリレスはバランスを崩し倒れかける。安全を確保するベルトをしていた上で、だ。
 それを、向かいにいたレッドンが軽々と支えた。

「……大丈夫?」
「あ、ありがとうございます……」

 合流してから、ずっとこの調子である。
 元々そういった関係だとは聞いていたものの、事ある事に見せ付けられればうんざりもするものだ。クーザンは微妙に眉を潜ませながら、後方から走って来るもう一台に視線を投げる。
 現在彼らは、計二台の車でキボートスヘヴェンの大地を移動中。こちらには先程の五人とユキナがいて、あちらにはそれ以外のみんながいる。別にじゃんけんや何らかの罰ゲームで決まった訳ではないのだが、比較的安定して走り続ける後方の車に、クーザンは自分の運の悪さを呪った。

 そうして激しい揺れに耐える事数時間、車のフロントガラスには目的地の城壁が小さく見えた。リレスがそれに気付き、嬉しそうに発言する。そういえば、彼女はあの国の出身者であったのを思い出す。

「あ、ホワイトタウン着きましたか?」
「みたいだね。シアン、脇道に逸れてくれる? まだ時間あるから、降りて説明しておかないと。丁度昼ご飯の時間でもあるしね」
「はいはいっ」

 ガタガタガタッ。
 商人が使う道はある程度整備されているものの、元々は魔物も蔓延る荒れ地帯。頑丈なホイールを装備している車であっても、激しい揺れにならざるを得ない。

「さて、昼飯休憩も兼ねて停車した訳だけれども……数人、大丈夫じゃなさそうだね」

 ユーサがそう口を開きながら、ぐったりとしているクーザンやアークを見て溜息を吐く。

「いやーあの運転だと、慣れないときついだろ。後でオレが説明しとくから、先にやっとこう」
「そう。じゃあ始めるよ」

 リレスとリルが、アブコットで買っておいたパンとお茶を配る。車に乗っていた人物は全員降りているはずだから、結構人数が多い。
 ルナデーア遺跡で共に戦った仲間に加え、シアンを始めとした楽団メンバーまでもが、ピクニックに来た時のように輪を作って腰掛けていた。また、アブコットからキボートスヘヴェンへ同乗を希望したリンもいるのだ。彼女には、自分達がちょっと訳ありとしか伝えていない。

「アブコットでの出港を一昨日の昼にしたのは、ホワイトタウンへの入国を遅らせる為だよ」
「入国を……遅らせる、だって? どういう事よ」
「普通に入国しようとすれば、セレウグやホルセル君が危ないからね」
「セーレ兄さんも?」
「あぁ。ジャスティフォーカスがホルセルを捜している以上、一緒にいると知られてるオレもまずいだろうさ」
「だから、入国にちょっとした作戦を立てたんだ。成功確率は分からないけど」

 ユーサの話は、こうだ。
 ホワイトタウンの入国審査所は――というか大抵がそうであろうが――一定の時間になれば人員を交代させるらしい。集中力の維持と休憩を兼ねた上での策だそうだ。
 丁度イオスの知り合いがそこで働いており、彼が交代する時間が夕方。その時を見計らい、念のため楽団の皆に協力して貰い入国する、という事だ。
 念には念をとはよくいうもので、これは確実に成功率の高い作戦。だが、一歩入国する時間を間違えれば面倒になる。

「どう動くにしても、拠点は必要でしょ?」
「そうだな……」
「ルミエール院なら適所ですね。町外れだからある程度は動けますし」

 旅の基本となる拠点は、確かに重要である。長旅になればなるほど食糧や備品といったものも必要になるし、たまには暖かいベッドで眠りにも就きたくなる。それがいつでも保証される場所は、ないよりもあった方がいい。
 だが、それを良しとしない者が約一名。

「……俺は抜けるぜ」

 不機嫌そうにくるりと背を向け、ホルセルはそう告げた。そのまま立ち去ろうとする彼を、クーザンは慌てて止める。

「ま、待てよホルセル!」
「回り道してたら、次の瞬間には逮捕しろっていう指令が出ないとも限らない! 今すぐにでも、本部に行く。行って、俺達は裏切り者じゃないって直談判してくる」
「無茶だ!」
「もしかしたら、姿を見せた瞬間殺されるかもしれないよ?」

 物騒な台詞を口にしたユーサを、ホルセルが睨みつけた。
 一度『裏切り者』の烙印を押された以上、その信頼回復にも途方な時間がかかる。その上、もう一人は現在行方不明なのだ。幾ら弁解しようとも、疑いが晴れる可能性は低い。

「じゃあ何だよ。大人しく捕まるのを待てって言うのか」
「落ち着けって言ってるんだよ。本部へ殴り込むにも、準備ってものが要るだろう?」
「そうだぜ。殴り込むのは、その後でも出来る。失敗する確率を上げるより、少しでも成功するようにしないと」
「……チッ。分かったよ、行けば良いんだろ」

 年上二人の物騒な話に、ホルセルは軽く舌打ちをし折れた。どうやら、正攻法な手段で冤罪を晴らす気はないようだ。

「本当に大変なようだネ」
「まぁね……悪いね、レンは関係ないのに付き合わせちゃって」
「構い……構わないヨ。冤罪なら、アナタ達は悪い奴らじゃないんだシ。出来る事なら、冤罪を晴らす手伝いをしたい所なんだけド」

 最後の一欠片を口にし、レンが言う。そして、ボソリと呟いた。

「冤罪……カ」
「え?」
「何でもなイ」
「じゃ、食べたらすぐに……いや、ちょっと休んでから行こうか。車の中で吐かれちゃたまんないし……」

 ユーサが、シアンの運転を思い出したのか言い直した台詞に遮られ、クーザンは聞き直すチャンスを逃した。旅は、まだまだ長い。

   ■   ■   ■

「ええっ……!?」

 日が落ちかけ、地平線の向こうから闇が這い上がってくる時間。予定していた時間ぴったりに辿り着いた一行は、入国審査所が見えるギリギリの位置で待機していた。
 何故待機しているのかと言うと、噂の審査所で働いている者に確認を取る為に、普通の人に成り済ましたドッペルを向かわせたからだ。
 結果的に、その行為は正解だったと言える。

「ドッペル、どういう事なの!」
「俺が知るかよ!? 何か突然変わったらしいんだって」
「うわ……困ったな」

 ドッペルの話では、審査官の彼は交代時間直前になって突然「今日は休みだ」と告げられ、困っているらしかった。理由を問えばあやふやな答えしか返って来ず、半ば無理矢理職場を追い出されたのだと聞く。

「しかもこっそり審査所見れば、何か見覚えのある服の奴らがうようよいるしよ……」
「見覚えって……」
「ジャスティフォーカス」
「! 先を越されたのか……!」

 審査官に所属している者を退け、ジャスティフォーカスが待機しているとなれば――目的は、明確だ。彼らも本格的に、ホルセルとクロスを捜し始めている。この状態で審査所に向かっても、どうぞ捕まえて下さいと言っているようなものだ。

「ヤバい、ね」
「どうするか……ホワイトタウンには、何としても入っておきたい」

 もしホワイトタウンをスルーした場合、次に近い都市はピォウド。しかし確実に入国出来ないのは目に見えているので、ここを逃せばこれからの旅は厳しいものになってしまう。
 その会話を、黙って聞いていたレッドンが口を開いた。

「……地下通路」
「えっ?」
「そう、地下通路! こんなに大きい国なら、どこかに侵入経路があるんじゃないのカ?」
「ホワイトタウンは、昔城下街だった。あってもおかしくない」
「地下通路か……リレス、シアン、知ってる?」

 顎に手を当て、ユーサは彼女らを見やる。

「すみません、私は知らないです……」

 リレスは困った表情で首を横に振る。気にしないで、と一言声をかけ、そのままシアンの方を見やり。すると、彼女は待ってました!と言わんばかりに右手の親指を立てて言った。

「こんな事もあろうかと! イオスさんに、最終手段って念を押されて教えてくれた抜け道にご案内するわ」
「そんなに簡単で良いのか、最終手段」
「あらー? じゃあ他に手があるのー? 言ってみなさいよほらほら」
「よ、よーしじゃあ行こうかその抜け道とやらに」

 呆れたように突っ込むセレウグに、にっと笑ったシアンが煽るように他の案をせがむが、流石にぽんぽん出るはずもなく。最終的に、その案を頼る事になった。

 一行は審査所から遠ざかるように移動し、城壁が視界を遮る大きさになる程の位置まで近付いた。太陽はすっかり沈んでしまい、僅かに太陽の光が空に見えるだけだ。方角的には、審査所の西側。赤煉瓦の城壁が、重苦しい雰囲気を放っている。
 キイィ、とブレーキをかけ停車すると、シアンが窓越しに周囲を見渡す。

「確かこの辺りなんだけど……あ、あったあった」

 目的のものが見付かったらしく、ひょいひょいと段差のある運転席から降りてきた彼女に促され、一行も続いて車から降りる。
 そして、その風景に目を向けた。
 荒野――それは間違いない。ないのだが、不自然に地面に刺さった木材や巨大な石が転々としている、不思議な場所だった。

「昔、ホワイトタウンに一時的に住まれていた王族が使ってたんですって。水の都と呼ばれるようになる前は、相当水害が多かったみたいね」

 ホワイトタウンは、海に近い東側の逆は地盤が高く、洪水等が起こった際はそちらの方に避難を指示される事が多い。地位の高い人間がより安全な場所に住まい、貧しい者や迫害を受ける人間は危険な場所に追いやられる。
 シアンがキョロキョロとしながら続ける。

「その王族は、やがて数々の悪事を暴かれて没落し、その地下通路を知る者はほとんどいない。イオスさんはたまたま、破棄される前の文献に書かれてたのを見たらしいわ」
「たまたま、なぁ」

 セレウグが訝しげに繰り返すと、くすくすと笑い声。彼女にも思う節はあるのだろう、まぁね、とだけ答えた。

「イオスさんは色々知ってるから。アタシには、その先まで詮索する気は全くないわ。それはアンタも分かってるでしょー?」
「……否定はしないな。というか、その点については助かる。どこかの誰かさんはすーぐネタにしちまうから」
「誰だろうね、そのどこかの誰かさんは」

 背後にいつの間にか立っていたユーサが、言いながらにっこり笑顔を浮かべたが、端からはどう見ても怒っているようにしか見えない。当のセレウグも若干冷や汗を浮かべながら「冗談だっつの」と返している。
 一つの巨大な岩に着目し、脇に屈み込む。何の変哲もないその岩だが、よく見れば表面に何らかの印が刻まれていた。

「これね。エアグルスの印」
「これが?」
「そう。ドッペル仕事よ! 岩どかして」
『へーへー』

 シアンの指示に、ドッペルが動く。子供でも描けそうな簡単なラインが、ボコボコと変化を始めた。それに伴い体の大きさも変わり、やがて最初とは全く違う姿になる。
 ゴリラのような、大きな図体をした生き物――いや魔物。襲われる事はないだろうが、それでもその迫力には恐怖を覚えなくもない。
 ドッペルの変身した魔物はズシン、と低い音を立て、岩に近付き手をかける。そして、人間の力ではとても持ち上がらないであろうそれを、いとも簡単に持ち上げてみせた。
 一連の行動に、周りで見守っていた一同は呆気に取られつつ――退かされた岩があった場所を凝視する。
 一見、なんの変哲もない地面。だが、僅かに自然のものではない切り込みのようなものが見え、どうやらそれは四角の形をしているようだった。

「こんな荒野のど真ん中に、扉……?」
「地下への入口よ。魔物にばれないよう、入口には岩を置いてたんだと思う」
「あれ? それじゃ、国から来た時は出れないんじゃないんですか?」

 ユキナの言う通りである。国の外側から地下に行く場合は今のように岩を退かせるが、逆になるとこちらに協力者でもいない限りこの扉を開ける事が出来ない。しかも、こんな大岩を持ち上げられる協力者など……。

「まぁ、その辺りは魔法でもどうにかなるよね」
「そうだな。それこそ、あのガキが使っていたような重力魔法とか」
「ガキ?」
「サンだよ、サン。あのちっせーガキ。黒髪の」

 セレウグの言う特徴を持った人物を思い出そうとして、クーザンは首を捻る。
 銀髪の、吸血鬼のような出で立ちの青年。アークにそっくりな、戦闘を好む性格の彼。思い浮かぶ人物はその特徴と思い切り掛け離れており、他にいたか――と考え始め、ハッとなった。
 遺跡での曖昧な記憶の中にある、闇に紛れた黒。二次元のようなただの形だったそれが、ニヤリと三日月のような形になり、更に闇が――。

「クーザン?」
「!」
「大丈夫? 汗だくだよ……?」

 心配そうに問い掛けてくるユキナの声に、闇に引き込まれかけた意識が戻ってきた。
 頬を、一筋の汗が流れる。意識せず表情を強張らせてしまっていたらしく、クーザンは前髪を避け大きく息を吐く。

「……あぁ、大丈夫」
「ホント?」
「ちょっと……ぼーっとしてただけだ」
「きつくなったらすぐに言ってね。でなきゃ、ビンタお見舞いするわよ」
「更にだるくなる。馬鹿かお前は」
「あーっ、馬鹿ってまた言ったわね」

 調子を戻す為か、クーザンとユキナの言い合いが始まる。その二人の後ろで、セレウグがユーサに小突かれる光景が広がっていた。

「さ、おしゃべりはここまで。アナタ達はここから移動して、先に《家》に戻っておいて」
「え、姉さん達は……?」
「アタシ達は、正規の手段で国に入るわ。車もあるしね」
「気をつけるんだよ、シアン」
「分かってるわよ」
「シアンちゃんはワタシ達がきちんと送ってあげるから。安心して任せなさいな」
「姉をよろしくお願いします、ツカサさん」

 シアン達楽団に急かされ、クーザン達は地下へと続く梯子に足をかける。
 地下は縦長になっていて、下りきった先から横に道が続いているようだ。梯子は大分老朽化しているが、使うのに支障はない。
 そうして全員が下り切ると、頭上に丸い光があり、その切り取ったような空間に、シアンがひょっこり顔を出す。

「魔物はいないと思うけど、一応気をつけて。入口閉めてから、ドッペルはそっちに向かわせるわ」
「お願い。助かる」
「これくらいお安いご用よ。じゃ、また後でね」

 彼女のその言葉を最後に、丸い光は低い音と共になくなる。
 それを見届けた後、クーザンは今から進む道の先を見遣った。薄暗い通路はレンガで組まれているのか、ひとつひとつが違う色のそれがずっと先まで並んでいる。

「行こうか。早く行動した方がいい」
「そうだね。全く、まるで盗賊みたいじゃないか」

 何気ないユーサの一言だった。それだけだったが、ホルセルが心なしか反応を示していたのを、クーザンは見逃しはしなかった。

   ■   ■   ■

「さて、と」

 彼らが消えた穴を塞ぎ終えると、シアンはパンパン、と手を叩く。そして、腰に当て周囲を軽く見渡す。

「こいつら、どうしましょうかね」
『呑気だな』
「あら、そう?」
「楽団やってるとねぇ。結構窮地に立たされる事もあるんだけど、これはそこまででもないものねぇ」

 周りには、個では決して強くないが、たくさんの魔物達が待機していた。数は少なくとも二十以上。
 しかし、シアンとツカサは怯むそぶりも見せず各々の武器を構え、魔物達に見せ付けるよう構える。車で待機している二人も、異変には気が付いているだろう。

「ま、包囲をかい潜って車に着けば勝ち。ドッペル、アンタも手伝ってよ?」
「当たり前だろ。ユーサに殺されるのは勘弁だ」
「ふふ、ごもっとも」
「頼もしいわねぇ」

 四面楚歌の状態とは思えないのんびりとした会話を続け、そして――飛び出した。

   ■   ■   ■

 長い、長い道。暗闇に伸び続ける回廊は、まるで永遠に続いているような錯覚を起こさせる。
 最初に時間の感覚が失われ、次に方向感覚、最後には気力を奪い去る。それは、景色が変わらぬ砂漠を歩いている時に似ていた。
 最初こそ暗くなりがちな雰囲気を明るくしようと、セレウグやリレスが談笑を続けていた。だが、それもなくなってしまい、今は人数分の足音が静かにこだましている。
 ホワイトタウンの郊外へと繋がるらしいこの回廊は、王族が使う抜け道らしく結構しっかりとした造りだ。決して同じ模様や形のない煉瓦が不規則に並び、それがより圧迫感を感じさせた。
 これからどうなるのか、先の見通しが立たない一行の心境を模ったような道。不安を抱くには、十分な理由だ。

「懐かしいね」

 そんな中、先頭を歩くユーサがぽつりと呟いた。

「え?」
「いつだったか、こんな感じの地下道を歩いただろ。……タスクを追い掛ける為に潜入した町で」
「あぁ、そういやちょっと似てるな」

 反応したセレウグも、髪を掻きながら回廊を観察し答える。
 クーザンには分からない話だが、内容からワールドガーディアン達の旅の事だと察しがついた。そして、安直に触れてはならないような話だという事も。

「ラヴィとザナリアが、臭いし暗いし陰鬱になるって最後まで嫌がってたよな……」
「ライがあそこで言ってくれなかったら、きっといつまでも進めなかっただろうね」
「……ねぇ、気になっていたんだけど。アンタ達以外のワールドガーディアン達は、今一体どうしているの? 世界が危ないっていうのなら、協力を頼む事は出来ないのかしら」

 突然、サエリが口を挟む。皆が聞くのを躊躇っていたその質問は、問われた二人の動きを止めた。
 リレスは慌てて咎めるような視線を彼女に向けるが、悲しいかなそれはあっさり回避される。

「サエリ」
「分かってるわよ、聞いちゃいけないって。でも、今はそう言ってる場合じゃないでしょう? 世界の危機なのよ、戦える奴らは協力すべきじゃないのかしら」
「俺も、同意見だ」
「…………」

 レッドンも、言葉少なく同意を示す。振り向けばその場にいる者全てが、セレウグとユーサに視線を向けていた。皆同じような意見を持っていたらしい。
 困ったような表情を浮かべたセレウグは、ユーサの方を見やった。ちらりと背後を見た彼は、再び前を見ながら黙々と歩き始める。

「戦わないんじゃない。戦えないんだ」
「え?」
「ザルクダとタスク、ザナリアは行方不明。ラヴィは引退。ライは……旅という名の音信不通。現時点で確実に動けるのは、僕とセレウグだけなんだ」
「――!?」

 一同が息を呑む。恐らくは、当事者達以外ではまだクーザンしか知らない事実――出来る事ならら知らないままが良かった事。
 世界を守護する英雄達の半分が、行方不明だと一体何人の人間が予想したのだろうか?

「ちょ……今、何て」
「これでもまだマシになった方なんだ、セレウグが見付かったから。けど、まだ見付からない仲間もいる。これで分かったかい? 彼らが戦えない理由」

 顔を正面に向けたまま、ユーサが冷たく言い放つ。彼が先頭を歩いているので、実質的に表情を窺う事は出来なかった。
 そして、セレウグもそれは同じだった。ただ彼は、僅かに右目をクーザン達に向け悔しそうに口を開く。

「何が……世界を護る者だって話だよな。正直、不甲斐なさ過ぎて大陸のみんなに申し訳ない」
「聞いても良いか。何があったのか」

 以前、クーザンの前で呟いた台詞を再び口にするセレウグ。レッドンの黒い瞳が、真っ直ぐに彼を捉えて問う。

「……あいつらに。シャイン達に負けたんだよ。負けて、オレ達の仲間はバラバラになった」
「僕はその戦いには参加してなかった。……すれば良かったって、何回思った事やら」
「ライとラヴィは逃げ切れた。けど、オレは暫く捕まってて……多分、他のみんなもまだ解放されていないと思う」
「捕まったって……」
「……無事でいてくれるのを、願うしかない」

 アークの台詞を先回りし、最悪の状況を回避した解答をする彼らの表情は、悔しさと不甲斐なさで歪んでいた。