第42話 悲劇の序章

「クー……ザン……?」

 その場の皆の思考を代弁するかのような声は、驚愕の色に満ち溢れていた。真っ赤に染まっていた衣服が脳裏に焼き付いている者は、まさか昨日の今日で彼がひょこひょこ歩いているとは思いもしなかったからだ。
 名を呼ばれ、自身が注目されている事に気が付いているであろう彼は、黒髪を掻きながらあー、とばつの悪そうに唸った。

「クーザあああぁン!!!」

 誰もが追い付いていない思考に動けなかった中、どたどたどた、と激しく足音を立て、突進を喰らわせる勢いで彼に飛び付いた者がいた。ユキナだ。
 当然クーザンは逃げられず、かといって避ける事も出来ない。痛い、としがみついてくる彼女を引き剥がそうと、必死に抵抗する顔には冷や汗が流れていた 。リレスの治癒術で傷自体は塞がっているものの、まだ予断は許さない状況。当然、痛みもあるのだろう。

「良かった……良かったよぅ……クーザンが死んじゃうかと思った……」
「勝手に殺すな馬鹿」
「馬鹿って何よぉ……」
「クーザン君、『殺した』ってどういう事?」

 本気で泣き始めようとしたユキナの頭に手をやり、言葉とは裏腹に優しい手付きで撫でてやるクーザン。
 普通ならによによと茶化し始める所なのだが(実際サエリを初めとした他の面子はやけにニヤついている)、ユーサは敢えて問いかけた。それに応え、彼は視線を下げる。

「……ずっと、夢を見てたんだ。俺は《月の姫》の側近で、彼女の傍にいて……意識はあるけど身体は動かなかった。最期は、自らの剣で彼女の身体を貫いて……そこで目が覚めた」

 最初はいつもの曖昧とした夢かと思ったが、それにしてはリアリティがあり過ぎた、と続ける。
 握る剣は自分が持っているものより重く、それでいて頑丈。申し訳程度の装飾がついたそれは、深く深く《月の姫》の華奢な身体を刺した。抵抗しようと試みてはいたが、金縛りに遭ったように体は言う事を聞かず。
 結果、彼女は死んでしまった――それが、クーザンが『殺した』と発言した理由だった。

「《月の姫》の側近って聞いたら、すぐに浮かぶのは神官カイルだろ?」
「だから、カイルが《月の姫》を殺した……」
「有り得ない!!!」

 セレウグの、言葉を継いだ推測が最後まで続かない内に、木製のテーブルに拳を叩き付けた音が響いた。
 驚いて見れば、さっきまで普通に聞いていたユーサが双眸を吊り上げ、クーザンを睨み付けている。だがそんな事をしても無駄だと気が付いたのだろう、すぐに軽く頭を振ると失礼、と謝罪を口にする。

「ともかく、リツはそれが繰り返されるのを恐れてこのアミュレットを守った、という事か」
「そもそも、それと今の世界、どう関係ある訳?」
「今、世界は《月の力 フォルノ》に冒されつつある。これは実際御伽噺にも書かれていてね、災いを呼ぶ力とあるんだ」
「災い、ね」

 いまいちピンと来なかったのか、サエリが首を傾げる。

「例えばラルウァ。あれは人間が《月の力》に冒されて出来る化け物だ。あれが、世界中の至るところで生まれ、見境なく人を襲う事になる」
「通常の武器では倒せない化け物が、世界中に……!?」

 一同の脳裏に浮かぶ、黒く赤い目の歪な化け物の姿。人間を化け物染みたものに変貌させ、ただただ人を殺し《月の力》を吸収する生物。いや、生物と呼べるのかさえ分からない。そんなものが世界中に増え続ければ、やがて生物が死滅するのは火を見るより明らかだろう。かつても、そのせいでたくさんの人間が犠牲になってしまっているのだ。
 御伽噺ですら語られている、悪しき者の出現。阻止しなければ、御伽噺の二の舞となる。

「どうすれば阻止出来るんだ?」

 化け物が暴れている未来を想像したのであろう、青い顔をしたリレスの横で、ホルセが身を乗り上げて聞く。しかし、ユーサは先程まで見せていた余裕を潜め、それが、と口を開いた。

「僕みたいに、みんながラルウァに対抗出来る武器を持っていれば撃退は出来るけど、これはそう簡単に手に入るものではないし……世界中に発生するであろうラルウァの数相手じゃなぁ。僕一人じゃ、とてもじゃないけど全部を倒すのは不可能だし」

 肩を竦めて答える彼は当たり前だ、という突っ込みをセレウグから入れられてる。
 そんなやり取りを見つめながら、ユキナは何故か、この人ならラルウァを殲滅しようと思えばやってしまうのだろうな、と思った。それは悪手だと判断しているから動かないのであって、ひとりで殲滅する事が最善だと判断したのなら、彼はその身すら犠牲にして戦う事を選択する。
 ――そんな選択をさせたくはない。けれど。初対面の相手にそんな感情を抱くのを不思議に思いつつ、ユキナが何かないだろうか、とぐるぐる考えようとした、その直後。

『ああ、ならば神の力をお借りすれば、あるいはどうにかなるかもしれませんね』
「か、神様?」
「……アイラ、そういうのは思っても言っちゃ駄目な奴だよ」
『あら、貴方もそう発言しようとしたのでは?』
「…………」

 アイラの、人間側からすれば爆弾発言としか思えない言葉に、アークが素頓狂な声を上げ目を丸くする。ユーサの嫌そうな発言にもどこ吹く風、全く気にしていないようだ。
 神など、ユニコーンやドラゴンという現存する伝説と違い、本当に存在するのか分からないものである。それを平然と挙げた精霊に、やはり自分達とはどこか違う存在だと認めざるを得ない。
 はぁ、と諦めたように息を吐くユーサが、彼女のそれに続ける。

「そ。《月の姫》――この大陸には、彼女の父なる神の他に三体の神がいる。海、陸、そして空を司る神がね」
「海、陸なぁ……」
「?」
「…………」

 セレウグが、横目で意味ありげに二人を一瞥する。遺跡でヴィエントと名乗っていたホルセルと、リヴァイアサンを召喚してのけたギレルノの二人を。
 ホルセルは彼の視線に気が付きはしたが、何故見られたのかは分からないようだった。一方ギレルノはと言うと、ただ黙って顔を虚空に反らすのみ。

『力を頼るなら、中立の空を捜すべきだと思います。海と陸は絶対的に仲が良くないので、彼を仲介して協力を乞うのが妥当かと』
「空……セクウィか」
「世界を観察、或いは監視を行っていた大いなる神の懐刀。その刃は獣の爪のように、三本の剣を巧みに操る剣聖……。三体の神の、中立を貫く者です」
「で、でも、神様なんて見付かるの?」

 アークの質問ももっともである、というより当然疑問として出てくるものであろう。人類の手が及ばない力を持ち、崇められるからこそ神というものなのだ。そんな崇高な存在を人間が捜し出そうなどと、無謀を通り越しておかしな発言にしか思えない。

「ま、この世界を離れていたら不可能に等しいけど……その点は平気だろうね」
「俺もそう思う。正直、こんなオカルト話は信じない方ではあるんだが……認めざるを得ない、というのが俺の意見だ」

 三体のうち二体の存在を目の当たりにしてしまえば、いくら馬鹿馬鹿しいと思いつつも認めるしかないのだろう。難しい顔をしたままのギレルノが、そう継いだ。

「問題は、その捜索対象がどんな姿なのかが分からないという事かなぁ。流石に、伝承にある通りの恰好ではないだろうし?」
「伝承ではどんな奴なんだ?」
「長い白髪で、黒でも白でもない鳥の羽根を持っているとしかないんだ。人間に成りすませるから、もしかしたら全然違うかもしれない」
「砂漠から宝石を見付けようとする位無謀ね……」
「そうでもないかも。セクウィは常に世界を守る立場にあるから、こちらが世界を守ろうとする動きをしていれば、ひょっとしたら接触してくる可能性もあるし」
「どっかで擦れ違ってたりして……」
「まさか」
「……まぁ、詳しい事は後で考えるとして。取り敢えず、一旦解散しよう。気を緩めるのも、たまには必要だよ」
「だな」

 遺跡での完徹に近い連戦に、皆が体力を擦り切らせている事だろう。体だけではない。精神そのものも、休ませる必要がある。
 あれだけいろんな事があれば、頭の中の整理も必要だ。

   ■   ■   ■

 一旦解散となった数分後、この家の住人が使っていたらしい物置の前。暖炉にくべる薪や生活必需品などがたくさん収納されているそこに、数人の姿があった。
 誰の家なのかは分からないままだが、住人が見当たらない以上許可の取りようもなく。また、ここに自分達を連れてきた本人である者達自身が使えるものがないか探してくれ、と頼んできたので、躊躇いはあるものの要望通りのものがないか捜索しているのであった。

「あら? こんな所に弓と弓矢があるわ」

 そんな中サエリが、見付けた弓を手に取る。日光を受けたそれは銀色の輝きを放ち、不思議な存在感を示していた。弓幹には、作成者が刻んだと思われる印もある。
  素人目に見ても普通の弓ではなさそうだ、と感じる程には立派なもののようだ。

「ここに住んでいた方が使っていたものでしょうか?」
「きれー♪」
「ふぅん……クロスボウにしてから、全くやっていないのだけど」

 サエリは弓矢も手に取り、弓につがうと、物置の隣に聳え立つ樹木に向けた。ふぅ、ひとつ息を吐いて狙いを定め、――弓矢が放たれる。
 シュタン!と快い音を立てた弓矢は、樹木の真ん中付近に刺さっている。それを認めて満足そうに頷くと、弓を掲げて言った。

「これ、借りちゃダメかしら?」
「さ、流石に止めた方が良いんじゃないですか?」
「ちゃんと事が終われば返すわよ。魔法だって、武器がなければ集中し辛いし」
「でも……」

 リレスが困ったように発言する。勝手に持って行っては盗みになってしまうので、彼女としては止めたいのだろう。しかし、サエリが武器を失って不便なのも分かっているのだ。
  アークもそれは同意見なので、そうだよ、と言おうとして。

「使ってくれた方が、ボクは嬉しいな」

 だが、実際に口から出たのは全く異なる言葉だった。むしろ思考と真逆とすら捉えられるそれに、アーク自身も動揺する。

「? 何でアンタが嬉しいの」
「……何で、だろ?」
「リルも嬉しいよ?」
「あ、ねぇ君達」

 首を傾げるアークを怪訝そうな目で見るサエリだったが、そこに現れた人物の声で、その視線は彼から外れる事となった。
 現れたのは群青色の髪の青年。ユーサ、と自己紹介されたのを思い出し、呼び掛けに応じ振り向く。

「ウィンタ君どこに行ったか知らな――あれ、君それどこで見付けたの?」

 彼は、問いを最後まで口にする前にサエリの手元――つまり先程見付けた弓に気付き、目を丸くする。

「え? この物置の扉の近くに立てかけてあったわよ? アンタ、誰のものか知ってるの?」
「……ちょっと見せて」
「はい」

 彼女から弓を受け取り、ユーサは主に弓幹をまじまじと見つめる。作成者の印で視線を留め、何か納得したのか縦に深く頷くと、やがてサエリに返しながら、口を開いた。

「ありがと、それ使うなら壊しちゃ駄目だよ」
「これ、誰のか知ってるの?」
「持ち主はもういないから、それは君が使っても問題ないよ。それに……そいつも、ここにいるより使われた方が良いだろうし」

 時が止まったままの箱庭に意味もなく在るよりも、誰かを助ける為の力に。何かを知っていそうな彼だが、やはり多くを語る事はなかった。
 ともあれ、正式なものではないが使用許可も下りた。サエリは嬉々としてその他の物資まで物色をし始めたので、アークは先程の違和感を振り払ってその手伝いを始めたのであった。

   ■   ■   ■

それと同時刻。

「ごめん」

 クーザンは、ウィンタに頭を下げる。彼は何の事か分からなかったのか、目をぱちくりとさせた。
 二人は湖の家の裏手にいた。木漏れ日が気持ち良く頬を撫で、時の経過さえも忘れそうな場所だ。

「少し考えれば分かる事だった。普通は知られる事のない事件の噺をすれば、ウィンタまで狙われる事になるって。巻き込んでしまって、本当に――」
「はいストーップ」

 むぎゅ、と彼の右手で口を塞がれ、少し怒ったような顔でウィンタが続ける。

「気にすんなって。話を聞きたいって言ったのは俺。こうなるかもしれないのは分かってたさ。俺よりも、お前は自分の心配すべきじゃないのか?」

 少しだけ真剣味を帯びた海色の瞳が、自分を映しているのが見える。彼の言っている事は確かだ、他にも考えなければならない事はたくさんあった。

「お前の素性と、その怪我と。それもまぁ問題だけど、一番はユキナが敵に狙われる存在である以上、大人しく家に帰す訳にもいかないって事。ここは彼氏として守ってやる所じゃね?」
「……ウィンタ、怒るよ」
「へへへ」

 真面目ながらもクーザンをおちょくるような発言はやはり健在で、軽く睨み付けると変な笑いが返ってきた。

「だからさ、あいつらと一緒に行ってこいよ。男なら当たって砕ける!」
「砕けたら駄目だろ」
「その勢いで行けって事さ。大丈夫、あいつらならお前の事知った上で、仲間って言ってくれるだろうし。――帰って来るの、待ってるからな」
「うん、絶対帰るから。ウィンタこそ、あんまり寝過ぎてジュンさん達に迷惑かけないようにね」
「ははっ、肝に命じておくわ」

 ウィンタは苦笑混じりに言いながら頭を掻き、顔を背ける。その一瞬、喜怒哀楽がない交ぜになった複雑な表情を彼が浮かべていたのを、クーザンが気付く事はなかった。

   ■   ■   ■

 その数時間後、ウィンタはユーサの好意により、アラナンへと帰して貰える事となった。
 考えなければならない事は多い。だが取り敢えず、ウィンタがいるべき場所へと戻れたのは喜ぶべきことだろう、とクーザンは胸を撫で下ろしていた。
 まだ体調も万全ではない、家の中でゆっくりしていよう――そう思った時だった。まさに向かおうとしていた家の中から、怒鳴り声らしき大声が聞こえてきたのは。

「ふっ……ふざけんなよ!?」
「ゼノン、落ち着いてってば!」

 会話と声からして、ギレルノと共に行動していたジャスティフォーカスの三人組である事は間違いない。彼らが、家の中で何かを言い争っているようなのだ。

「何かあったのか……?」

 漠然と嫌な予感を抱え、クーザンは家の中へ向かう。
 居間では、声を聞き付けた何人かが既にテーブルを取り囲んでいた。その中心には、黒く四角い機械――パーソナルノートがある。

「どうかした?」
「あ、クーザン」

 クーザンに振り向いたセレウグが、何故か周囲を見回してから手招きする。

「ヤバい事になった。心して見てくれ」

 セレウグが指し示したのは、そのパーソナルノートの液晶。ホルセル達のものは姿を消したクロスが持っていた為、これはディオル達のものだろう。
 そこには、文書が表示されていた。「緊急指令について」と明記されたタイトルを読んだだけで、クーザンの嫌な予感は更に強くなる。そして、それは当たってしまった。

「『ジャスティフォーカス捜査課の、全構成員に告ぐ。以下の人物は、我が組織を脅かす者である。発見次第捕らえるべし』。……!!」

 定形文の下には、正にその者の名と顔写真が載っている。それを見た瞬間、クーザンは我が目を疑いたくなった。
 そこには、見慣れた顔が並んでいたからだ。

「な……何でホルセルとクロスが!?」
「しっ、声がデカい!」

 驚愕から発した言葉をセレウグにたしなめられ、慌てて周囲を見回す。先程の彼の行動は、そのせいだったのか。
 ディオルがその疑問を受け、困ったように首を左右に振る。

「僕らにも分からない……。一体、遺跡にいた間に何があったんだ?」
「ホルセル達がジャスティフォーカスを裏切るなんて、あるはずがないのに……」

 どうやら困惑しているのは、クーザン達だけではない。その指令を受けたディオル達も、本部の意図が分からないのだろう。
 現在、意気消沈としているホルセルに追い討ちをかけそうだから、セレウグは本人がいないのを確認してクーザンにそれを知らせたのだ。
 と、怒声を発したネルゼノンが腰を上げ、拳を握り締める。

「オレは納得いかねぇ。本部に戻って、ハヤトさんに問い質す!」
「で、でも、これハヤトさんが発信したんじゃないみたいだよ。何時もと書き方が違うし、これと同じのが軍の方にも流れてるみたい」
「だからって、ダチを売れるかっての!」
「とにかく、原因を調べる必要はありそうだよな。どっちみち行くつもりだったし、ユーサが戻って来たら一度本部に行くか……」

 セレウグが、腕を組んで思考を始める。それとほぼ同時に、今まで壁に背を預け立っていたギレルノが、不意に動き出した。

「ギル?」
「……貴様は何をやっている」

 不可解な行動に、眉間に皺を寄せたディオルが声をかけるが、彼は黙ったまま家のドアを開ける。そしてギレルノの視線の先、ドアの階段付近には、身を隠すようにして壁に耳を当てるホルセルの姿があった。

「ホルセル!?」
「何処から聞いていた」
「……えと……その……。――ごめん!」
「あ、ちょっと……!」

 悪戯が見付かった所ではない、顔中を引き吊らせた表情に、話は全て聞かれていたと判断出来る。
 何とか謝罪だけを吐き出し、ホルセルはマフラーを靡かせ走り出してしまった。

「ホルセル!」
「任せて」

 追いかけようとしたディオルを押さえ、クーザンがその後を追う。腹部の傷はまだ痛むが、動けない程ではない。
 重量級の武器を扱う戦士タイプにしては足の速いホルセルに、だがそれ以上に速かったクーザンが追い付いたのは、プルガシオン湖の湖畔だった。
 彼の右肩を掴み、無理矢理停止を促す。

「ホルセル!」
「っ……! 離せっ!」
「いたっ……」

 がっ、と掴んだ腕を振りほどかれ、その衝撃で走った痛みにクーザンが小さく唸る。
 それで我に返ったのか、ホルセルは「大丈夫か!?」と声をかけた。

「大丈夫、ちょっと痛かっただけ」
「……。……ごめん」
「何で謝るんだよ。今のは俺が悪いだろ」

 沈黙を貫きかけるホルセルに溜息を吐き、クーザンは口を開く。

「あのさ、俺が気絶してる間に何があったのか、教えてくれよ。俺も……話すからさ」

 湖畔に腰を下ろし、二人は話をした。
 ホルセル曰く。クーザンがはぐれてから敵に遭遇して、戦っていたらそこから記憶が曖昧になって。何故かびしょ濡れで遺跡を歩いき、何とかリレスとレッドンと合流して。
 そして――長年の相棒、クロスとの離反。
 他にも色々あったような気がするけど、と話を締めくくった。

「正直まだ頭ん中ぐちゃぐちゃで、分からなくなってる。そういうの、苦手だし」

 たはは、と力ない笑みを溢したホルセルには、確かにいつもの快活さがない。かなり堪えているのだろう。

「……オレ、何かしたかなぁ……。確かに色々失敗してたけど、ジャスティフォーカスを裏切るなんてこれっぽっちも思った事ないのに」
「なら、誤解って事で話をするしかないな。それに、えっと……ハヤトさん、だっけ? 彼だって、何らかの手を打ってくれてるかも」
「…………そうかな」

 彼のその一言を最後に、二人から会話がなくなる。
 目の前の水面に、どこからかやって来た白鳥が飛び込んだ。ぱしゃぱしゃぱしゃ、忙しなく首を動かして獲物を捜す。跳び跳ねる水飛沫が日光を受け、反射させた。
 やがて、白鳥は動きを止める。水面に体を預け、ゆらゆら揺れながらも、視線は水中に真っ直ぐ定めていた。

「……クーザンの父さんさ、グローリー=ブレイヴなんだろ?」
「!? 知ってたのか?」

 突然、今まで必死で隠していた事をホルセルの口から聞いたクーザンは、目を見開いて彼を見る。

「いや、その……オレがセレウグさんに聞いたんだ。ザナリアさんがクーザンの姉さんだと知って、じゃあ父さんってグローリーさんなんじゃ、ってさ……」
「姉さんに会ったのか?」
「会った……って言うか、その辺りはセレウグさんに訊いた方が良いかもしれないぜ」
「……分かった」
「何で隠してたのか、訊いても良いか?」

 彼なりに聞きにくい事を聞いているのは理解しているのだろう、恐る恐るといった感じで問いかけてきた。
 一方クーザンはと言うと、今から話そうとしていた秘密を既に知られていた事で、躊躇いも何もなくなってしまっている。大きく頷き、開口した。
 白鳥は、まだ動かない。

「父さんの英雄譚は知ってるだろ? いろんな所で、種族差別なく人の助けになって、たくさんの人々に慕われてる。……けど、尊敬している人がいれば……当然逆の人間も現れる」
「逆……恨みを持った人間、か?」
「そ。そういう奴等は、父さんの名前で俺達の家を探し出し、報復を試みる」

 ばしゃ!
 白鳥は長い首を曲げ、水中に潜った。暫くそのままの姿勢でモゴモゴと身動ぎし、やがて顔を出す。
 その嘴には、ぴちぴち跳ねる活きの良い魚。捕らえた魚を口内に閉じ込めたと思うと、首の皮膚が波打つ。そしてまた、次の獲物を探し始めた。

「良くあるだろ? 報復を叶える為に子供や身内を人質にしたり、代わりに殺したりっていうの。それを避ける為に、本名を隠した。父さんの意向でね。……これが俺の秘密。ま、ブレスレットを外していればもっと隠せていたのかもしれないけど」
「それ、着けとかなきゃいけなかったのか?」
「んー……形見、みたいなものだしね」
「……わり」
「良いよ、気にしてない。――そろそろ戻ろう。皆心配するかも」

 立ち上がり、ぐーっと体を伸ばす。慣れない長話を座ってやっていたせいで、大分筋肉が委縮しているような感覚がした。
 何だか、自分の正体を全て話したお陰ですっきりした気がする。張り詰めていた気を久し振りに落ち着かせる事が出来て、気持ち良い位だ。
「(……けど)」
 隣のホルセルを一瞥する。
 色々話したものの、やはり彼の憂いの種は然程減っていないようだ。立ち上がろうとする動作からも、明朗快活とした意思が見えて来ないのだから。
「(……俺も、クロスには謝らないといけないしな)」
 遺跡で衝突した後から会っていない少年を思い出し、空を仰ぐ。
 彼はクーザンの身を案じて敢えてウィンタの事を伝えなかったのだ、と今は思える。それなのに、怒りに任せて一方的に言ってしまった。出来る事なら、もう一度会って謝りたい。
 白鳥が水面から勢い良く飛び上がり、彼の視線の先を、優雅に飛び去っていった。

   ■   ■   ■

 緑が眩しい森は、たくさんの命を育む生物の棲みか。今日も、この場にはいろんな動植物が集まっている。

 ばささ、と喧しい音を立て、白鳥は再び水面に足を浸けた。クーザン達がいた場所から南西、ルナデーア遺跡に近い方角だ。
 周囲には、白鳥以外にも様々な種類の水鳥が波に揺られている。

 その白鳥は顔を上げ、頻りに鳴き声を上げた。空に――いや、顔を向けているのは木の上に、か。まるで、自分の何かを相手に伝えようとしているように。
 ばささ、ばささと羽根を羽ばたかせ、自己の主張を目立たせる。

 その相手は――。