第39話 夜明けの絶望

「――……」

先頭を歩くレッドンが、右手を広げ後続を制止した。訝る二人に、口元に人差し指を当て静かにするように、と示す。

彼らの現在地は、月の間に繋がる回廊と横道の合流地点だ。廊下の幅はこちらが狭いので、余程の事がなければ人には見つからない。
動きを止めてから数十秒後、彼らが見守る回廊を誰かが駆ける音が聞こえてきた。

レッドンと同じ短い黒髪に、白黒の装束。だが、身軽さはあちらが上か。
何やら背後を気にしながら走っているが、その様子は敗走したというより、計画的な逃走といった感じだ。

間違いない、あいつは――。

確信した瞬間、その少年は足を止めた。ゆっくりと振り向いたのは、こちらではない。

タンッ、と軽い音を立て少年の前に現れたのは、長髪の少年。それを見たホルセルが「あっ!?」と叫びそうになり、リレスが慌てて口許に人差し指を立てている。

「……お前だな? 神隠し他一連の事件の首謀者は」
『ちっ……ここにも邪魔者がいたか』
「答えろ」

ホルダーから双剣を抜き放ち、順手と逆手に構える彼。それに応じ、短髪の少年もトンファーを腕に携えた。
レッドンは、その様子に軽く首を傾げる。

『訊きたいなら、訊き出してみればどうだ?』
「……穏便に済ませようという、こちらの気遣いは無駄のようだな」

砂が、岩棚に打ち付ける波のように爆ぜる。

「――参る!」

ガキィ!

重い短剣の一撃が、交差したトンファーに止められた。素早くバックステップで移動し、第二撃に繋げようと、逆手に持ったもう一方の短剣を掲げる。
その瞬間、刃に薄い水の膜が張った。膜の肥大により、短剣が片手剣並の長さに延長した。
長さが増した短剣は、リーチの長さと速さというアドバンテージを得られがむしゃらに、しかし良く見れば急所を外すような位置目掛け振り回される。元々術者系統のサンだったが、自らを狙う刃をピンポイントで打ち落とし、ダメージを最小限に押さえさせていた。

『ははっ、本気出すなんて大人気ないな!』
「貴様のような犯罪者に加減してやる程、俺は甘くない!」
『フン……襲い来る鷲か、貴様にぴったりじゃないか? ――〈ペネトレイト〉!』

凄まじい猛攻も意に介さず、皮肉混じりに嘲笑す少年がトンファーを相手に向けた。
短剣を弾き返し硬直を促すと、両断するかの如く彼の右肩を殴り付け、みしっと嫌な音が響く。

「――っ!!!」

だが、傷みに短剣を落とす事はなく、長髪の少年が一歩後退する。
そこへ――

「〈ライトアンドダーク〉!」

何処からか響き渡る凛とした声に呼応し、両者の足下に円陣が浮かび上がる。少年は目を見開いたが、長髪の方は動じずにただ光を見詰めていた。

『ぐ……っ!』
「かかったな。この光は、善と悪に公平な処置を下す。善には癒しを、悪には罰を。動けないだろう、光に逆らったお前には毒だからな」
『ちっ……!』
「死んでくれ。――世界の為に」

再び構えた短剣を、動けない少年との擦れ違い様に薙ぐ。
交差した斬戟は彼の胸部を引き裂き、夥しい血液を吐き出させる。返り血が幾らか衣服に飛び散ったが、然程気にする素振りはない。
地面に崩れ落ちる彼の身体に、だが長髪の少年は尚も刃を向けた。致命傷ではあるが、確実に止めを刺す為だ。

「セイノア、そこまでにしておけ。鼠がいる」
「何?」

その行為は、突如として舞台に現れた若草色のコートを身に纏う青年の言葉によって抑制された。

彼は今後こそレッドン達のいる方を睨み付け、本を構えている。

――潮時か。

戦う意思がない事を示す為に両手を挙げながら、即断したレッドンは回廊へと身を滑らせた。リレス達の話が本当なら、あの二人も自分を敵と思ったままだろう。

案の定、長髪の少年とコートの青年は身構えたようだった。
だが、

「――待って下さい!」
「リレス……!?」

隠れさせたはずのリレスが、少年と青年の二人と自分の前に躍り出て叫ぶ。足は慄然として、気を張っていなければ満足に立っていられないだろうに。こればかりは、あまり感情を表さないレッドンでも驚き、慌てた。

「確かにさっきはおかしかったですけど、今は正気を取り戻しています! 敵じゃありません! 信じて下さい、クロスさん!」
「…………」

やはり忽然と現れたリレスに喫驚し、最早呆然とするしかない長髪の少年――クロスと、コートの青年。

「……分かった、リレス。お前が言うのなら、間違いないんだろう」
「じゃあ」
「だが、それなら何故さっさと出て来なかった」
「そ、それは……」
「リレス、言う必要ない。気にするな」

鋭い眼光にたじろぐ彼女の前に出て、言い放つ。
クロスは何か言いたそうに睨んでいるが、それで気が付いたのだろう、レッドンとリレスの更に後方――つまりホルセルを注視する。

「……お前もいたのか」
「……クロス、何で」

両者ともばつの悪そうな表情で呟き、ホルセルに至っては泣きそうな顔をしている。
後で聞いた話だが、二人はジャスティフォーカスの同僚であり、意見の食い違いで別れたきりだったらしい。――当然の展開だろう。

茫然自失としたホルセルの問いに主語は存在しなかったが、クロスは何を訊かれているのかすぐに分かったようだった。ひとつ溜め息を吐き、発言する。

「世界に害成す存在だったからだ。それに、邪魔者だしな」
「だからって……!」
「だから……何だ?」

向けられた視線は、はっきりと分かる拒絶の感情が込められ、またそれだけで息を止められそうな鋭さを宿していた。
その目に、ホルセルの右足が無意識に退く。

「……そうか」

何もかもを悟ったように呟くクロスは、踵を返し元の位置まで戻る。硬直から解放されたホルセルが名を呼ぶが、彼が振り向く事はなかった。
リレスもまた何か言おうと開口し、止める。これは、他人である自分が口を出して良い事ではない。そう、判断したのだろう。

『所詮、人間は屑。そうだろう?』
「「「!!」」」

沈黙しかけた場に響いたのは、他の何かが重なった少年の声。
致命傷を浴びたはずの相手に、一同が弾かれるように彼が倒れた場所を見やる。

――畏怖。

そう言えば良いのか、彼の血に濡れた身体と表情は、それを一同に感じさせるに充分な異質さを持っていた。
胸部を裂かれた傷があるというのに、痛みを感じていないような残虐な笑み。血は何故か流れていないらしく、一滴でさえも地面に染み込んでいかなかった。

『死なないよ。君なら知ってると思ってたんだけどね』
「化物か……!!」
「……っ」

その姿に、コートの青年は戦慄とした言葉を吐き捨てる。リレスも恐怖に身を震わせ、レッドンのジャケットを握り締める力が強くなっていた。

「ま、化物と言ったらそうなんでしょうね?」
「お前らと一緒にしないでくれるかな」
「何時、誰が君と僕らを一緒にしたの? 不愉快だなぁ」
「えー……」

ザッ、と砂を擦り新たに現れたのは、三人。
紅い髪の女性と、露出の多い衣服の女性。そして、先程リレスを襲おうとしていた男、ヴォス。何れも衣服はボロボロで、だが自身は疲労困憊としていないようだ。

敵の半数以上が、この場に介した事になる。
対して、こちらは五人。
満足に戦える者は、皆無に等しい。
絶体絶命、だ。

「リレス、逃げて。俺が」
「嫌です!」
「……それに、逃げられないな。結界がある」
「あれ、気が付いた? そっか、君が打ち破った奴だしね」

レッドンは自らが敵を引き受け、リレスだけでも逃がそうと口を開いた。だが彼女は拒抗し、また逃げ場が既に絶たれている事もコートの青年が指摘する。

「くそ……っ」
『どうだ、袋の鼠になった気分ーーは……』

更に嘲笑を浮かべようとするサンだが、突如両眼を見開く。それと同時に、クロスとレッドンは空を見上げた。

――啼いていた。

生み出された大量の積雲から洩れ出す、月の光。
それはやがて集結し、地上のある一点を差していた。この神殿の、月の間を。

光は、徐々に力を喪失し、満月と共に、消え去った。

   ■   ■   ■

「――“禍在りし時、姫は嘆きのあまり自身を喪失す”……」

イオスは、何時だったかブラトナサを訪れた時に聞いた言い伝えを呟く。
突然呟きを発した彼を見るウィンタも、それに倣い空を不安そうに見上げた。ディオルは周囲を警戒しながら、そんな二人を見る。

禍――災い。
姫は、つまりディアナ、“月の姫”の事。
現代的に直せば、“災いが起ころうとする時、月は姿を無くす”と言っているのだ。
今の、遥か上空に広がる夜空のように。

「忙しくなるなぁ。文献荒らしに大学と、ブラトナサと……ダラトスクにも行ってみるか」
「……何か、凄くのんびり言いますね。これ、実は結構ヤバいんじゃないんですか」

あまりに緊張感のない彼に、呆れたように突っ込むウィンタ。治癒魔法を使い通しで疲れているとは思うが、それにしては些かのんびり過ぎないか。

月明かりが消えた、神殿。
星の光があるとはいえ、微々たるものだ。地上に届くまでになくなってしまうそれは、人間に満足な光を与えるには不十分である。

「うん、ヤバいね」
「なら、」
「やー、あれだ。“なってしまったものは仕方がない”」
「……やっぱりあれ、月がなくなってるんですか。月食とかじゃなくて」
「月食はもう暫く先だったはずだよ。我々の研究では、あれは天体の一部として明確な“物体”だった。星と、恒星と一緒のつくりをしている、実体のあるもの。――恐らくは、それが間違っていたんだ」
「と、言うと?」
「月は、両方とも力の塊だったんだよ。魔力とは違う、何らかの強大なエネルギーで実体を得た物質。文献が改竄されていた……或いは、最初から間違っていたのかもしれない。悪い誰かがそれを知って、力を悪用しないように」
「……それが、使われてしまった」

ウィンタの言葉に、やはりイオスはのんびりと頷いた。

   ■   ■   ■

『ふふふ……っ、あははははっ!!』

サンと、もう一人の誰かが重なった哄笑が、神殿内に谺する。余程可笑しいのか、くの字に曲げてまで身体を捩らせていた。

「……嘘、月が、」
「消えた……?」

リレスが、遥か上空にあったはずの物がなくなって呆然と呟き、ホルセルもそれを継ぐ。
満月が無くなると、新月の時のような暗さだ。明かりひとつない神殿内では、星明かりで漸く人が見える程度である。

『我々の目的は達成された。もう、こんな所に用はない』
「あら、そうですか。なら、この場はどうされます?」

キセラが、嬌笑を浮かべ問い掛ける。その視線は、暗闇に佇む五人に向いていた。

『用はない、と言ったはずだ。〈月の力 〉が世界に定着した今、そんな餓鬼など恐るるに足らん』
「そりゃそうだな。帰ってやらないかん事も出来た事だし」
「ホントに酷薄な人だね、君って」
「言ってろ。――おい餓鬼共、追い掛けようとしたって無駄だぜ。何れ、手も足も出なくなるからな」
「その声、やはり……」

リスカとヴォスの他愛なさそうなやり取りも、全てが闇の中から聞こえてくる。
クロスの呟きは、彼に届いたのか――ニヤリと狂気をちらつかせる笑みを浮かべ、だが返答はして来なかった。

   ■   ■   ■

――東雲の微光。
何時の間にか、そんな時間になってしまったのか――空が昇ってくる太陽に照らされ、ほんのり明るくなっている。

「――負け、か」
「そうだね……」

太陽の光を跳ね返す恒星が無くなっている事に気が付いていたセレウグとユーサも、その光景をぼんやりと見詰めていた。

全員生きてはいるが、負けた。月の喪失を、許してしまったのだから。
目的を知っていた。なのにそれを易々とこなされてしまった屈辱に拳を握り締め、何処かにぶつけたい衝動に駆られる。

なので、

――ガスッ!

「痛ぇっ!! 何すんだ、ユーサ!!」
「むしゃくしゃしたからやった」
「何でオレに」
「君、頑丈だから平気でしょ」

ユーサは空を凝視していたセレウグの脳天に向かい、容赦のないストレートを放つ。油断しきっていた彼は頭を押さえながら反論してきたが、何処吹く風とスルーを決め込んだ。

「……さて、」

その先、再び気を失ったままのクーザンを見やる。近辺で彼の仲間である少女や、奴らに捕まっていた二人も様子を見ている事だろう。

彼は、無事ラルウァ化するのは避けられたようだ。今は静かに眠っている。
次に目を醒ました時、“クーザン”なのか、それとも今回暴走した“彼”なのかは――その時にならなければ、分からない。

そして、ユキナは。
突然慣れない力を使い、強大なそれを操ったせいか、倒れた。身体的ダメージ自体は大した事はないはずなので、暫くすれば起きてくるだろう。

「どーしよっか、これから」
「決まってんだろ、あいつらの目的……絶対に阻止してやる」
「ザナリアも、タスクも取られたまんまだしね」
「……あぁ」
「うわぁ、流石に月を消された場合は考えてないよ。どうしよう」

はぁ、と今までで一番大きな溜息を吐き、頭を抱えた。
絶対に止めてみせる、そう決意していただけに――失敗するとは思っていなかった。故に、その際の対処も考えていない。

でも、きっと何とかなる。
再び年下の少年達を一瞥し、ユーサは漠然とそう思った。
希望は、全ては失っていないのだ。

「今度こそ……守ってみせる」
「あぁ、そうだな。……ん? 今度?」
「…………。そ、今度」
「ザナリア達の事か?」
「そういう事にしといてよ」

苦笑してはぐらかすユーサにセレウグは首を傾げたが、何も聞かずまた空を見上げた。

夜明けは、来た。
だが、彼らの心には暗い闇が広がったままだ。

   ■   ■   ■

「全くもう、アンタって子は!! 気持ちは分かるけど敵陣の真っ只中と言う事を考えて行動出来ないのかしら!?」
「ご、ごめんなさいサエリ! 謝ります、謝りますから! 痛いです、止めてくださいよぅ」
「……さ、サエリ、もうその辺で止めてあげようよ」

数時間後、昨日侵入した方角とは全く逆の方角にある森の入口で合流出来た彼らは、無事を喜んだ。場所を決めていなかったものの、ドッペルゲンガーの契約者であるユーサの提案により互いの位置を調べ、導いて貰ったのだ。
とはいえ、それも手放しで喜べるものではない。昨日の今日で、得たものはなくとも失ったものは大きいのだ。

出会い頭に、サエリはリレスに向け叱咤の声を上げその頭を押さえ込む。耳の少し上を拳でぐりぐり押さえ付けると、やられている本人は必死で許しを乞うた。
慌てて仲裁に入るアークを見ながら、ユーサはぽつりと呟く。

「元気だねー」
「年寄りか、お前は」
「僕は野蛮で筋骨隆々な君と違ってデリケートなんだよ。インドアで頭脳専門、言わば中枢神経に値するポジションなの」
「……何か貶されてる? オレ」
「そういう馬鹿な所が役に立つんだよ、君は」

比較的整った芝生の上に寝かせたクーザンの隣に腰かけるセレウグに向かって、容赦なく吐き捨てる。そしてすぐに、その表情を険しくさせた。

「……さっきの話、ちゃんと皆にもしてあげてよ」
「分かってる。いつまでも黙ったままじゃ、逃げてるだけだもんな。お前はどうすんだ?」
「別口から情報を集めてくる。君達といたんじゃ、目立って仕方ない」
「あー……」

自覚はあるのか、セレウグはポリポリ頬を掻いた。
突入時よりも増えた人数が全員で行動すれば、確かに目立つ。追われている身としては願い下げだろう。

「もし近くに来るんなら、孤児院に寄ったって構わないよ。シアンも喜ぶ」
「あぁ、サンキュ」
「あ……あの!」

笑顔をセレウグが浮かべた直後、その背後から声が響く。
甲高いそれは、あれから目を醒ましたユキナのものだった。独特の雰囲気を纏うユーサに話しかけるのに相当勇気が要ったのか、彼が振り向いた直後僅かに後退りする。
やがて、彼女は真っ直ぐにユーサの群青を見据え、開口した。

「……た、助けてくれてありがとう」
「別に、僕は何もしてない」
「結果的には一緒。あなたは、クーザンを助けてくれた」
「……」

確かに、クーザンが暴れ始めた時は彼に向かって発砲したりもした。だが、それがあったからセレウグ達の士気は上がった訳で――最終的には、助けた事になるのだ。彼女は、そう言いたいのだろう。

と、ユキナは首をコテンと傾げ、言葉を紡いだ。

「ねぇ、あなた……もしかして、あたしの事知ってたりするの?」
「え?」
「不思議なの。あたし、あなたに会った事はないと思うんだけど……懐かしい。それに、会った事もない人を助けたりはしないでしょう?」

ユキナが困ったような、嬉しいような色んな意味が込められた笑みを浮かべ、言った。
それらを向けられたユーサは渋面のまま彼女を見、溜息を吐く。肩越しにセレウグを親指で指し示し、口を開いた。

「分からないよ? そこの筋肉ダルマみたいに、我が身を呈して見知らぬ奴を助けようとする馬鹿もいるんだし」
「筋肉ダルマ……」
「セーレ兄は特別だもの。少なくともあなたは、そんな人じゃない。でも、優しい人だから、お礼言いたかったんだ。それだけ! 変な事言っちゃってごめんなさい!」
「え? あ、」

貶され落ち込んだセレウグはさておき、ユキナはそれだけ言い残すとすたこらリレス達の方へ戻っていった。恐らくは、迷惑をかけた事を謝りに行ったのだろう。
対し、その最後の言葉に目を僅かに開いたユーサは、彼女の行動を目視する。

自分は、セレウグのように無償の慈悲を見知らぬ相手に向けられる程、優しくはない。今回だって、ユーサは何一つ「優しい人」と思わせる行動を取ってはいないのだ。
だが、彼女はそんな自分を「優しい人」と言った。
気が付いていないのだろうか。相手が本当は優しい人だ、と言えるのは、その人自身が優しさを向けられた事があるからだという事に。
複雑な表情で、呟く。

「……会った事ないと、思ってるのか」
「え?」
「何でもない」
「あっ! ホルセル、イオスさん、こっちですよ!」

呟きを聞かれたセレウグからそっぽを向いた直後、サエリのお仕置きから開放されたリレスが両手を振り声を上げた。

見ると、そちらからはまだ遺跡に残っていた仲間を捜しに行っていた者が歩いてきた。姪の呼びかけにイオスが応え、軽く手を上げる。
リレスとイオスの関係は、既に皆には暴露済みだ。正しくは、彼女がユーサの事をつい「ユーサさん」と親しげに呼んでしまい、そこからバレたのだが。

イオスの後ろから歩いてきていたのは、ホルセルとギレルノ。そしてディオル達だ。
ネルゼノンとエネラも目を覚まし、治癒魔法の甲斐あって自分で歩ける程には回復していた。

その中に、一人姿が見えないのに気が付いたサエリが怪訝そうに顔をしかめる。
だが問いを発する前に、彼女の隣を駆け抜けた少女がいた。

「兄貴――!!!」
「っで! ……だからいつも飛び付くなって言ってるだろが、リル!」

少女――リルが一歩手前で地を蹴り、兄に向かってタックルをかますかの勢いで飛び付く。それを思いっきり腹に食らったホルセルは、叱咤の声を上げながらも彼女が地面に落ちてしまわぬよう受け止めていた。
彼の体に埋めていた顔を上げ、じい~っと己と同じ空色の双眸を見上げるリルに、ホルセルがたじろぐ。

「り、リル?」
「……うん、兄貴だっ!」
「へ?」

一人納得したように大きく頷けば、今度はキョロキョロと辺りを見回す彼女。興味対象がコロコロ変わるリルに付いていけないホルセルが、間抜けな声を上げる。

「ねー兄貴」
「あ、どした?」
「クロスは? まだおこってるの?」
「…………」
「兄貴?」

予想外の問いだったのか、不意打ちの彼女の問いかけに固まるホルセル。
リルの純粋な瞳に、不安の色が宿る。眉尻を下げ、一向に答えようとしない兄の顔を覗き込み再び声をかけるが、返事は返って来ない。ただただ、無表情に黙り込むだけだ。
何故か仲間の皆が彼らに視線を集め、辺りに妙な沈黙が舞い降りる――筈だった。

「心配する事はない、セイノアは他の任務に向かったんだ」
「えー?」

声の主を目で追うと、二人の近くで情報収集をしていたギレルノだった。いつから気にしていたのか両手を組み、リルを――いや、どちらかと言えばホルセルを真っ直ぐ見据え言葉を紡ぐ。

「暫くすれば戻って来るさ。お前が信じる道を歩いているなら、必ず」
「しんじるみち?」
「早く言うなら、良い子にしていれば良い」
「むー……分かった! リル、良い子にしてるー!」

ぴょこん、と擬音でも付きそうな勢いで手を上げるリルに(注視しなければ見えない位の)苦笑を溢し、ギレルノがホルセルを見やる。
勝手にはぐらかすな、と怒っているのか。それとも、不快に思っている相手に助けられて自分が情けなくなっているのか。
顔とは真逆の、中途半端な感情がない交ぜになった空色の瞳は、だが力強く彼を睨み付けていた。
そこへ、手を打ち合わせる音が響く。突然の事に殆どの者が視線をそちらに向けると、のほほんとした表情のイオスが口を開いた。

「何はともあれ、皆無事のようですね? 死人が出なかったのは奇跡ですよ。確かに約何名か、重傷だったり何らかのダメージを負ってはいますが……」
「…………」

現在――。
腹部の切傷はイオスのお陰で大分塞がったが、クーザンは未だ目を覚まさないまま。重傷を負っていたサエリ、ユーサ、ディオル達は何とか動ける位には回復している。レッドンも頭痛は落ち着いたらしい。
他の軽傷者は、然程気にしていないようだった。

「……満身創痍って感じじゃないね」
「そんな事より、一体何だって言うのよ? 突然現れて、話を聞けだなんて。理解し難いわ」
「サエリ!」
「良いんだよ、リレス。お嬢さんの言っている事も事実だしな。それに、ジャスティフォーカスの子らも思っているようだから」

不躾に尋ねたサエリをリレスが押さえようとしたが、イオスはそれを止めた。のほほんとした口調に先を急がせたくなるが、彼には効果がない。
ジャスティフォーカス構成員の少年達も一様に頷き、無言で言葉の続きを促す。

「君達は……月を見たかい?」

木々に伝う朝露が、太陽の光を帯びて地面に引き寄せられていった。

NEXT…