第38話 帰還せし翡翠

「ったく、キリがないな!」

そう愚痴を溢し、銃のトリガーを引く。
弾は既に尽き、今は濃度の濃い《月の力 フォルノ》を撃つのみとなっている。辺りに漂うそれが尽きる気配はないので、もう暫くは弾切れに怯えなくても大丈夫だろう。
だが、心配事は別にもあった。

『死ね!』

勢い良く突き出されたトンファーを寸での所でかわし、体勢を低くして銃を構える。だが、相手――サンは素早く踏み出し、銃の射程範囲より内側に入り込んで来た。
このまま撃てば、反動でユーサは大きな隙が出来る。

これ以上戦闘を長引かせると、体力が尽きるのはこちらの方が早い。
その上、背後を守りながらの戦闘である。それらはユーサにとってディスアドバンテージでしかなく、足枷となって重くのし掛かっていた。

『散れ! 残光の輝き、《ルーセントラッシュ》!』

サンの詠唱を短縮した魔法が炸裂する。
闇に閉じ込められたユーサは、その閃光が弾けると同時に重圧感に捕らわれ、押し潰された肺が余計な酸素を一気に吐き出させる。

「かはっ……!」

ぽたぽたっ、と、余計なものまで吐き出した己を恨みながら、素早く体勢を立て直す。酸欠状態になりかけたが、まだ倒れる訳にはいかないのだ。
ユーサが倒れれば、クーザンは確実に止めを刺される。

「(それだけは、絶対阻止する……! せめて、セーレが来るまで……!)」

チャッ、と再び銃を構え、サンに向けた。さっきからずっと彼の頭部を狙って撃っているが、ムカつく事に全て避けられている。

そうして、ずっと目標のみを凝視していたユーサは、背後に注意をやっていなかった。
対面しているサンが目を見開き、トンファーを身体の前に突き出す。

ぎぃん!

「!?」
『この……死に損ないが!』

襲ってきた片手剣を遮り、力のせめぎ合いを開始する彼ら。ガチガチガチ、と細かく震えている。

最初はクーザンが目を醒ましたのかと思ったユーサだが、それは浅慮という事実に気が付く。

濃い、のだ。

弾かれた武器をだらりと構え、サンを睨み付けるクーザンの瞳は、赤かった。
翡翠の宝石のような綺麗な色ではなく、あの――今まさに自分から流れ出ている、生温かい血のように。

キィン!
ギリギリで銃ではなく持ち変えた短剣で斬戟を受け、直ぐに弾き飛ばす。せめぎ合いをしている時にサンに襲われれば、元も子もない。
しかし、その瞬間ユーサは弾かれた武器と崩れた体勢を持ち直させたクーザンの剣が、何時もの片手剣ではなく、あの亡霊が携えていた剣なのに気が付いた。

「……まさか、君は」

無意識に呟いた確認は、再び向かってきた彼の威圧に遮られ最後まで続く事はない。
横凪ぎをバックステップで避け、銃のトリガーを引く。

「ごめん!」

パァン、とクーザンの手ではなく柄を狙って撃つ。衝撃で剣を落としてくれれば、と思ったのだが、そう簡単にはいかない。一体どういう洞察力をしているのか、瞬時に弾の軌道を読んで剣を走らせているらしい。例え連射に切り替えたとしても、相手を止められるかどうか怪しい所だ。

狙いの逸れた銃弾が、遺跡の壁に跳弾する。

『ちっ……両方死ねよ。愚者の彷徨きし冥界の果て、印なる石を砕き塵と化す。《ブーイオグレイヴ》』

サンの詠唱により巨大な十字架型の墓が宙に出現し、ユーサとクーザンが立つ大地目掛け落下を始めた。流石のユーサでも、十字架に弾を撃ち込む事は出来るが、それでは砕けた欠片でダメージを負う。
地面に落ちた影の外に素早く移動し、十字架が落下する前に攻撃範囲外に逃げた。

だがクーザンは避けずに、剣を薙いだ。
彼が得意とする技《空破刃》に違いはないが、生じた衝撃破は通常の比ではない。

ドオオォン!!!と衝撃破が十字架に当たり、破壊される。ぱらぱらと降り注ぐ破片は、紫煙を噴き出していた。
恐らくは、それが目的だったのだろう。周囲の視界が遮られたので、兵やラルウァも思うように身動き出来ていない。この混乱に乗じて、ユーサは一旦この場を離れる決断を下す。
反射的に閉じていた瞳を開くと、

「!?」

ユーサの視線の高さに、一本の剣が向かっていた。
目の前のクーザン――いや、クーザンの姿形をした誰かは、剣を振るった。狙いは、ユーサの喉笛。

「ユーサ!!」

ガキィ、と幾らか鈍い音を立て二人の間に割って入ったのは、セレウグ。グローブの金属部分に刃を巧く当て、ガチガチとせめぎ合いを開始した。
彼の体を濡らした水滴が、その勢いで地面に落下し吸い込まれる。

「セーレ!?」
「くっそ……! 何つー力だよ!?」

かかる負荷を利用して剣戟を逸らし、間合いを取る。
瞳だけがいやにぎらぎらと輝くクーザンの表情は、セレウグの知る彼のそれとは全くかけ離れていた。

素早くサンの位置を確認するが、彼の姿は見つからない。だが、セレウグの登場に気を取られた隙に外へと逃げられたのか、彼の血液が点々と地面に刻まれている。

逃げられたじゃないか、と叱責したい所だがそれは仕方なく後回しにして、ユーサは叫ぶ。

「セーレ、その子は洗脳じゃない、暴走してるんだ!!」
「暴走!?」

ユーサは、クーザンの異変にひとつだけ心当たりがあった。それは、この場に色濃く漂う異質な力。
彼自身の意識が身体を支配出来ないまま、その力の許容力過多によって暴走を来したのかもしれない。

「間違いない……早く力を何とかしないと、」

そこまで言いかけ、ユーサは言葉を失った。
クーザンの持つ剣は、確かに先程まで片手剣だったハズだ。異質な力を帯びた、片手で振り回しても遜色ない、最もスタンダードな武器。
それがまるで生き物のようにぐにぐにと震えたかと思うと、形を変えた。今彼が持っているのは、柄が長く先の方に鋭利な刃物が輝く武器、槍だ。

タン、と軽やかに地面を蹴れば、クーザンは槍を携えセレウグに襲いかかる。

「ヤバっ……!」
「セーレ!!」

拳を武器とする場合、その人物の腕のリーチにしか攻撃は繰り出せない。柄が長い武器には、不利な状況を強いられる。

それでも何とか攻撃を受け流すセレウグに、槍は容赦なく斬り上げの一撃を繰り出した。
刃は彼の二の腕を一閃し、赤々とした血液が滴り始める。激痛から、セレウグが呻きながら腕を庇い、片膝を付いた。
止めを刺そうと、クーザンが再び槍を上段に構えるその瞬間。

「止めてええええぇっ!!!」
「ばっ、ユキナっ!?」

セレウグ同様何時の間に来たのか、桃色を靡かせながらユキナがクーザンに駆け寄り、彼の腕を槍と一緒に押さえ付けた。一歩間違えば、セレウグの代わりに斬られてしまうと言うのに。
後に付いてきた数人のうち、ポニーテールの少女――サエリが声を上げ飛び出そうとする。が、ユキナはそれよりも先にクーザンの体に抱き付き、動きを抑制させた。

「クーザン、止めて! あんたはそんな簡単に、人を殺す奴じゃないでしょ!? セーレ兄は、皆は……っ!」

必死に説得を続けるユキナを一瞥したクーザンは、だが拒絶を示す瞳をぎらつかせ槍の刃を彼女に向ける。今の彼は例え助けると誓った相手でも、自らを狙っている敵としか認識出来ていないようだった。

その緩慢な動きを止めたのは、やはり他でもない彼女。

「どんなあんたでも認めてくれる、初めて出来た友達なんでしょ!?」
『良き友になれると、信じていますよ?』

「――  、  ……?」

ユキナの声は、果たしてクーザンの耳に届いたのか。
ぽつりと呟かれた声は音にならず、皆の耳には聞き取れなかった。

「きゃあっ!」
「ユキナ!」

ぶん、と腕を振り回し飛ばされたユキナを、セレウグが受け止める。

「大丈夫か!? 無茶しやがって……!」
「――……ない」
「は?」
「まだ……クーザンは、消えてない」

ユキナには、見えた。
突き飛ばされる一瞬、本当に一瞬だったが――クーザンの紅に冒された瞳が、元の色に戻ったのを。

それは、遠くで見ていたユーサにも見えていた。
だが彼はひとつ溜息を吐いて覚悟を決め、自らに生じた迷いを振り切るように首を振る。銃を横に構え、力のチャージを開始させた。

「セーレ! しゃがめ!」
「は? ――うぉあ!?」
「《聖ノ断罪》!!」

そして、撃った。

撃ち出されたのは火薬が込められた弾丸ではない。銃と同じような目映い光を放つ、実体のない弾。
だが、獣のように低く唸るクーザンは槍でそれを真っ二つに斬る。数名が、呆気に取られたような声を上げた。
そのまま向かって来る。

「っ! 深淵の闇よ、炎の……!」
「止めて、止めてサエリっ!!!」
「うわっ、待っ……!」

思わず魔法の詠唱を始めたサエリに、ユキナが必死の表情で止めるよう懇願する。集中が途切れた魔力は宙に霧散し、二人はギリギリで後ろに倒れ込んだ事で、槍の袈裟を避けた。

「クーザンに攻撃しないで!」
「バカ!! クーザンだけどクーザンじゃないの!! あっちは本気で向かって来てるのよ!?」
「でもっ……っ!」
「彼女の言う通りだよ。やらなきゃ、殺られる」

冷たいユーサの声に、ユキナが涙を浮かべた瞳で彼を睨み付ける。それが気に食わなかったのか、彼は眉を潜め更にキツい口調で続けた。

「じゃあ、君は何か出来るのかい? 彼を傷付けず、元に戻せるのかな?」
「それは……っ!」
「時間がない。皮膚が黒く染まり、変形し始めれば……人間でなくなってしまう」
「!」
「なっ……何それ!?」
「人間じゃ、なくなるって……」

サエリとユキナ、怯えるリルを抱えたアークは、たった今もたらされた最悪の事実に言葉を失う。クーザンと対峙するセレウグも知らなかったのか、小さく「嘘だろ……」と呟いた。
そんな彼を一瞥し、何故か悲しそうな表情を一瞬浮かべたユーサは、だが直ぐに真剣な表情で答える。

「嘘じゃないよ。……ラルウァは、白い光……《月の力 フォルノ》が体内で許容力を越した時、又は暴走した場合、人間を不死の殺人兵器と変える。しかもその攻撃力は元になった人間の能力に左右され、強い力を持った者から造られるラルウァは凶暴性を増す。だから、殺すしかない。……セーレ、君はサンを」
「……いや、平気だ。あっちにはアイツらがいる」

何処か確信を抱いたセレウグの台詞に、ユーサはその先を言うことなく頷く。

臨戦体制に入った二人の殺気を感じたのか、クーザンが八重歯を剥き出しにして襲い掛かった。その片手剣は、何時もの――少なくともサエリやアークといった幼い彼らの目には、彼の剣の動きが見えない速さで二人に向かっている。

ユーサとセレウグが両サイドに分かれ、同時に奇襲をかける。クーザンの視界から若干背面寄りの位置、反応はワンテンポ遅れていた。
だが元の、彼の物ではない片手剣に戻った武器は、持ち主の動きに沿って二人の攻撃を受け止める。弾き返し様に斬り返した斬戟から衝撃破が生成され、襲撃者を追い討つ。《空破刃》なのだが、何時もより明らかに威力が上がっている。
至近距離で放たれたそれをユーサは跳躍、セレウグは腰を落とす事で回避。目標を見失った衝撃破は、再び空中で自然消滅した。

蚊帳の外に追いやられたサエリ達の目では、この攻防を追い掛ける事が出来ない。速過ぎるのだ。
敵の位置が把握出来ない以上、魔法を撃つのも無謀。下手をすれば味方に当たる。
だから、三人は呆気に取られた表情で、ただそれを観戦する事しか出来なかった。

   ■   ■   ■

「随分進みました、ね……」

リレスは周りの景観を見回し、不安そうに呟く。

ヴォスに追い掛けられていた二人は、ひたすら走っていた。時折レッドンの指示で曲がる以外は、真っ直ぐ。
そのお陰か、追っ手の気配はない。この辺りで回復魔法を使っておくべきか判断をしかねるが、もしもの時を考え使うのを躊躇っていた。

その時、肩を貸していたレッドンの腕が身動ぎをしたのに気が付き、リレスは手を離す。
軽く頭を振った後、外していた帽子を被って言った。

「もう、大丈夫。歩ける」
「でも、」
「ずっと、甘える訳にはいかない。早く誰かに合流する、それ優先だ
。さっきの男、諦めていないとも……限らない」

つまり、誰かと一刻も早く合流する為には、話している暇はない――そういう事だろう。

「……そうですね。早く行かなくちゃ……」

正しい判断と分かっていながら、心の何処かでは一抹の寂しさを感じ、リレスは呟く。漸く会えたと言うのに、状況はゆっくり話す事さえも許してくれない。

「あ! おーい、リレス!」
「!」

自分を呼ぶ声に振り向けば、白髪の少年――ホルセルが大きく手を振りながら駆け寄ってくる所だった。何時もならぴんぴんしているハズの髪は、何故か元気がなくなっている。

ぜいはぁ、と乱れた息を整えながら、ホルセルは顔を上げた。良く見れば、足元には彼の身体から滴り落ちた水滴の跡がある。ああ、髪も濡れているから元気がないように見えたのか。

「リレス、逃げられてたんだな! 良かった!」
「何があったんですか、ホルセル」
「いや……オレも何が何だか……気が付いたら、びしょ濡れで倒れてた。周りに誰もいなかったから、仲間を捜してたんだよ」
「気が付いたら……?」

ホルセルの台詞を何時だったか聞いたように感じたリレスは、僅かに黙考し思い出した。リカーンで性格が変わった後の彼が、確かそんな事を言っていた気がする。

「って、お前!」
「え? あ、」

漸くレッドンを認識したのか、ホルセルが背中の大剣の柄に手を掛けた。そう言えば、先程のヴォスの話が本当なら、レッドンは彼らに刃を向けていた事になるのだ。
慌てて武器を構えそうになる二人の間に入り、仲裁を試みる。

「ほ、ホルセル、待って下さい! 良く考えて下さい、私を殴ったレッドンが、今は私と一緒に行動してるんですよ!」
「え? あ、そっか……洗脳されたまんまだったら、平気な顔して行動出来る訳ないか……」
「そうですよ。大丈夫です、今は洗脳……無理矢理解いちゃいましたから」
「……お前、」
「? 何だよ」
「……いや、何でもない」

取り敢えずは納得してくれたのか柄から手を離すホルセルを、レッドンは若干驚いた表情で見ていた。暫く彼を観察するように見つめ、何かを問い掛けようとしていたようだが、結局何も言わぬまま口をつぐむ。
訳が分からず首を捻るホルセルは、「変な奴」と言ったが追及する事はない。

「それより、クーザン! クーザン見なかったか!?」
「え? ホルセル達と……あ。いいえ、私達は見ませんでした」
「くそ……っ。早く合流してぇのに!」

ホルセルの問いに危うく普通に返しかけたリレスは、己の口を軽く塞いで止め、代わりに逃亡途中の様子を簡潔に話した。
悔しげに呟くホルセルの表情が印象的で、今度はリレスが問い掛ける。

「どうかしたのですか?」
「あ、えっと……。ちょっと、クーザンに色々聞きたい事があってさ……大した事じゃないぜ! それにはぐれたままだから、無事かも知りたいし……」
「それなら、進むしかない」
「へ」
「一番奥、気配が尋常じゃない。多分、他の者も」

そう言いながら振り向くレッドンの視線は、この先にも続く暗闇の道を見ていた。気配、と言われてもあまりそういう類いが得意でないホルセルは「そなの?」と問い掛けリレスを見るが、彼女もまた怪訝な表情をしていた。

「うーん……私は寧ろ、胸に取り憑いたままの嫌な予感が、奥から来ている気はします」
「へぇ……なら、さっさと行っちまおう! もし誰かが戦ってたら、援護してやんねーと」
「お前、行っても足手纏い。味方が困るんじゃないのか」
「んだと!?」
「レッドン、火に油を注がないでください」

激昂するホルセルに、レッドンが突っ込んだ。リレスは言い争いを始めかねない二人に、大きく溜息を吐く。

   ■   ■   ■

「ユーサ!」
「心配無用!」

動かなくなりそうな身体に鞭打ち、下らない虚勢を張るのは果たして何度目だろうか。
しかし、今は一人ではない。

体勢を立て直し、駆ける。
セレウグは前に出て、片手剣の筈なのに大剣並の重さを持つ剣戟をグローブの金属部で受け止めた。斬られた二の腕が、衝撃で悲鳴を上げ血を吐き出す。

幾らラルウァ化しかけているとはいえ、クーザンは腹に重傷を負っている。ユーサの応急処置では無茶をすれば、傷が開き先に肉体が力尽きるだろう。何としても、その前に意識を回復させたかった。

ギリギリとせめぎ合う両者の力は、僅かにクーザンの方へ傾く。不利だと察したのか、彼は宙返り気味に後退し再び構えた。

銃を吼えさせたユーサに向かい、《空破刃》を撃つ。スピードが増した斬戟は一瞬の恐れと言う油断を招き、避けたものの黒と青の服に細かい穴を空けた。

擦れ違い様覗き見た、絶対零度の硝子玉。月光の光を反射させてはいるが、そこにクーザンの意思は見えない。

「すまねぇ……っ、《轟断衝》!」
「!」

勢いのあるストレートだが、直線的な軌道の為避けるのは容易。するりとかわし、セレウグの首目掛け片手剣が疾走る。
だが、彼らはそれが狙いだった。

セレウグは向かって来た片手剣を両の手で挟み込み勢いを削る――所謂真剣白羽取り、というものだ――と、柄をしっかり握っていたクーザンの左手を掴んだ。成人男性の標準よりも強い握力を躊躇いもなく発揮すれば、痛みから彼は呻き片手剣を落とす。その隙に、ユーサが片手剣を強奪し二人から距離を取った。

そのまま身体の重心を無理矢理前に移させ、セレウグが前回り捌きで踏み込む。クーザンの左脇の下に自らの左肘を入れ、沈み込んだ身体を肩越しに、勢い良く地面に投げつけた。
背負い投げが見事に決まり、叩き付けられた肺が一気に空気を吐き出し、クーザンは一瞬の酸欠状態になる。
だが再び身体を起こし、ゆるゆると立ち上がった。瞳の赤は緩い明滅を繰り返し、より虚ろになっていく。

「はぁ、はぁ……、相変わらず何つー強さだよ……!」
「けど、武器は取り上げた。これで少しは……」

元々濡れていたせいで、最早額に流れる水が汗かどうかは分からないそれを拭うセレウグが、悪態を吐く。両者はぜぃぜぃと息を切らせ、相手を見据えた。

攻撃の要である片手剣は、今はこちらの手中にある。武器を失った今なら、勝機は格段に上がったとユーサは確信した。
ところが。

「え゛」

セレウグが、踏み潰された蛙のような声を上げた。口元は、これでもかと引き吊っている。

口内を切ったのか血を吐き捨てたクーザンは、左手に光を収束させた。集まったそれは現下し、もう一本の片手剣を造り出したのだ。

「《月の力 フォルノ》で武器の生成までやらかすの!? 面倒臭っ!!」
「言ってる場合かあぁ!!!」

自分の短剣をホルダーに仕舞い、取り上げた片手剣を右手に、銃を左手に構えたユーサが叫ぶ。緊張感のないその台詞に、思わず突っ込みが飛び、セレウグはそのまま動きを止めた。

「ん……? 《月の力 》?」

ユーサの発言に疑問を持ち、目を凝らしながら相手の再生した剣を見る。やがて、何か思い付いたのか手をぽんと叩き、駆け出した。

向かって来たセレウグに視線を向けた相手は、再び片手剣を振り抜き応戦の構えを取る。

ストレートを繰り出すが皆まで振り抜く事はせず、腰を落として足払いをかけた。重心が不安定になる身体はあっさりバランスを崩し、尻餅を付く。光で形成された剣も、粒子となって消え去った。

セレウグは素早く身体を起こし、無防備な相手の身体を、両手を背中側に回して地面に押し付けた。低い呻き声を上げ、束縛から逃れようと抵抗してくるが、流石にクーザンの力では彼を退かす事は出来ない。

「ユキナ!」
「っ!?」

セレウグの鋭い檄に、ユキナは身体を強張らせる。彼の行動を怪訝な表情で見ていたユーサも、いよいよ疑心を強めてきた。

「治療! お前の力なら、元に戻せる!」
「は? セーレ、何言って……」
「早く!」

切羽詰まったセレウグの声に足が動きかけるが、その先が続かない。
治癒の力は、ある。けれど、それでクーザンが元に戻らなかったら? 力及ばず、あの怖い化物になってしまったら?
そう思うと、恐くなった。

「……もし、ダメだったら?」

思わず言葉に出してしまったユキナの台詞を、セレウグは聞いていた。
ふ、と困ったような――だがどこか人を安心させる笑みを浮かべ、答える。

「お前、クーザンの目が大好きだって言ってたよな? オレも好きだよ、あの色。見てるだけで、心が落ち着く。あいつの髪と同じ、綺麗な翡翠をさ。……失いたくはないだろ?」

ユキナは押さえ付けられているクーザンを、正しくは彼の眼を盗み見た。

赤い色に染まってしまった、クーザンの眼。
そこには、本来なら綺麗な翡翠があった筈なのだ。光を跳ね返すだけの赤い硝子玉ではなく、翡翠の宝石が。

――失いたくない。
――失わせるもんですか!

大きく頷き返し、ユキナは傍らにひざまづく。尚も暴れるクーザンは見ていたくなかったが、そうも言っていられない。

「……ホント、何が“巻き込んでしまう”よね……。ごめんね、クーザン」

クーザンを守りたくて、自らが下した決断。それがこんな形になるなんて、皮肉にも程がある。
結果――彼は、死にそうになり、人々に害なす存在になりかけているのだから。

もし――もし、あの時自分が彼の傍にいると言ったら、今頃どうなっていたのだろうか?

神様、どうか。
彼を、助けて下さい。