第37話 動き出す、

 その頃、スウォアを退けた(敵前逃亡、と言えなくもないが)アークとサエリの二人は、回廊を歩いていた。彼に言われた通りに進んだものの、戦闘が終わった後だったのかそこには誰もおらず、そのまま奥を目指している。
「これさ……はぐれたまま置いて行かれたりしてないわよね」
「流石にそれはないよ……」
 まだ脇腹の切傷が痛むのか、その部位に手を当てたままサエリは呟く。怖い事言わないでよ、と冗談めいた口調で言いたくもあったが、そこは流石に空気を読んだ。
 先程から、嫌な予感が膨らむばかりで落ち着かない。仲間達に会えないのも相俟って、不安は募るばかり。しかし、この沈んだ雰囲気はそれだけではない。
「…………」
「まだ気にしてるの? スウォアの話」
「……うん。覚えてないとはいえ、酷い事した……」
 名前は、人間がこの世に生まれて初めて貰う、初めての自分の財産。決して他人が勝手に使って良いものではない、それなのにアークはそれを犯した。――例え、記憶を無くしたせいだとしても。
 しかし、サエリの口から放たれた言葉は、アークは予想もしていない事だった。
「ホント……。アタシのせいね」
「……え?」
「アンタにその名前答えさせたの、アタシでしょ。なら、それはアタシのせい」
「そ、そんな事ない!」
「あるわよ。これでも、自分の態度が他人に威圧的に感じられてるって自覚してるのよ。アークはアタシの問いに答えなきゃいけないと思った、だから“アーク”と名乗った。そういう事じゃない」
 確かに、サエリの言っている事も間違ってはいない。幼いあの時、アークは彼女の瞳に怯えて「答えなきゃ」と思ったのだから。
「……でもあの時、ボクは正直に覚えてないって言う事も出来た。それなのに、唯一記憶にあった名前を使おうと思った。ボクが悪いんだ。サエリは悪くない」
「……あーもー」
 サエリは埒のあかないやり取りに頭を掻こうとしたが、自分の両手は自らの血で汚れているのを思い出し留まった。そんな手で掻きたいとは思わないのだろう、女性として。自慢であろう長い藤色の髪をうざったそうに退ける様を眺めていると、何やら耳慣れない音がしたような気がして、足を止める。
「……? あれ?」
「何?」
「今、声みたいな音が……」
 アークがキョロキョロと辺りを見回し、音源を探る。だが、辺りにそれらしい影は見当たらない。
 が、その直後。ガラララと、今度ははっきりと何かが崩れる音が聞こえた。こんな所で崩れるもの、と言えば……。嫌な予感がして隣の彼女に視線を向けると、サエリも妙な表情で側にある神殿の柱を見、次に高い天井を見上げ、最後に廊下の先を見やり、口元を引きつらせてまさかね、と呟いていた。

 それから少し歩き、やはり置いていかれたのではないかと良からぬ考えが浮かび始めた頃。明かりが少ないせいでかなり歩きにくいが、手探りをしながら進んだ先に。その考えは唐突に打ち消され、視界に飛び込んできたものに圧倒される。
「…………………………………………は?」
「な、何あれ!?」
 昔は集会場にでも活用していたのか、軍隊一つが余裕で入ってしまいそうな広さの部屋に、それはいた。
 三つ首の龍、否、あれは大蛇? それが、巨大な身体を惜し気もなく振り回し、神殿を破壊している。六つの赤い目は全てが血走り、相当怒りに暴れているらしい。
 刹那、巨大な龍の身体が撥ね飛ばされる。が、やはり硬質的な鱗は見た目通り頑丈なのか、大したダメージはないらしい。
 しかし、サエリの気の抜けた声はそれに対してではない。その証拠に、彼女の視線は遥か上の天井――があったはずの場所を睨み付けている。
「……重要文化遺跡破壊……気のせいであって欲しかった……」
 何もかも察したように、呆れたような声で言う。重要文化遺産と言えば、確かエアグルス大陸を統治する一族によって定められた、大陸の文化を象徴するものの総称である。今の状況がどれだけとんでもない事なのか、アークはなんとなく察し、頬に冷や汗が流れたような気がした。
 その怪物から視線を逸らすと、砂埃が舞舞う少し離れた場所に、辛うじて見える位置に誰かがいるのが見えた。桃色の髪――それが誰かは、一瞬で分かった。
「ゆ、ユキナさん!? あ、あんなとこにいたら巻き込まれちゃうよ……!」
「ったく、あの子ったら!」
「サエリっ!」
 アークが言うと、彼女は傷を押さえよろけながらも駆け出した。それが痛むのか顔を顰めているが、敢えて止めずに追いかける。幸いユキナは入口の近くに立っており、サエリは相手が悲鳴を上げ、見た事もない巨大な化物に狙われるのを恐れ、彼女の口を塞いで引き寄せる。その際、彼女に抱き着くように立っていた白髪の少女――リルも一緒に倒れてきた。やはり驚いた表情で、だがユキナと違いサエリ達の顔を見ているので、暴れたりはしなかった。
「むーっ!? うむーっ!!!」
「暴れないで! バレちゃうでしょ!」
「う?」
 突然伸びてきた腕に暴れるユキナだが、サエリが小声で話しかければすぐに抵抗を止めた。上を見上げる仕草をし、口を塞いだ人物の姿を認めると目を見開く。
「良い? あいつにバレない内に逃げるわよ!」
「……ぷはっ! ま、待って……! セーレ兄が、バハームトが!」
「は?」
 二人のやり取りを流し聞きながら、怪物のほうを注視していたアークは、周囲一帯が異様な空気に包まれるのを感じた。例えるなら上級魔法として取り扱われる、天気を操るといった、自然の理を捻じ曲げるような。自分も魔法を扱うから分かる――これは、何か大きな力で、何かをしようとしているのだ。
「サエリ、あいつ何かして来そうだよ!? 今まで感じた事のない、力の移動が……!」
「……っ! ユキナ、悪いけど時間ないわ! 行くわよ!」
「そんな……っ!」
 口を解放されたユキナが訴えるが、自分たちには何の事だか把握出来ない。アークの脳内では、一刻も早くここから離れるべきだと叫んでいた。ユキナは恐らくまだ誰かがいるのだと訴えているのだろうが、呼びかける時間も、その誰かを捜す時間もない。
「サエリ!」
「……致し方ないわね!」
 アークは強くサエリを呼び、その意図を察してくれた彼女は頷く。そして、なおも渋るユキナの腕と、白髪の少女――リルの腕を掴むと、二人は駆け出す。目指すは、すぐそばにあった広間からの出口。

 そこを全員が通り抜けた直後、再び鳴き声のような声が聞こえ、周囲の空気が震えた。早く、もっと早くあの場から離れないと。でなければ、何か恐ろしいものに自分たちもまきこまれてしまう。
 恐怖に震え焦る気持ちは、だがユキナの声で急激に冷えていった。振り向くと、しゃがみ込んだサエリをユキナが見下ろし、それを不安げにリルが見守っていた。
「サエリ、怪我っ!」
「ご、ごめん、大丈夫?」
「た……っ、大したもんじゃないわよ……」
 見た目ではそうひどくなくとも、血を流していたのだ。決して『大したものじゃない』はずがない。それなのに、焦って足を動かす自分の速さに付き合わせて。申し訳なさと罪悪感で、でも、とおろおろする事しか出来ない自分が情けなかった。
「何だったら、アンタ達だけ先に逃げなさい。アタシも後で追いかけるから」
「そ、そんな事出来ないよ! そうだ、じっとしてて!」
 ユキナはそう言うと、目を閉じてサエリの怪我に手をかざす。すると、温かな光が彼女らを覆うように広がった。リレスが使う治癒魔法とはまた異なるような――自分はその光景をどこかで見たような気がして、はて、と首を傾げる。記憶喪失である自分が『見た事がある』、と感じたのは何故だろうか。重要な事のような気がしたが、今はそれどころではないのを思い出し、一旦頭の端に追いやる事にした。
 光が収まり、ユキナが目を開ける。治療が終わったのだ。サエリが驚いた顔で、口を開く。
「アンタ、それ……」
「黙っててごめん。あんまり人前で使うものではない、って言われてて。今は、それだけで納得してほしいな」
「……分かった。ありがとう、助かったわ」
 困ったように言う彼女に、サエリもそこで追及を止め、立ち上がる。先ほどまでかなり痛がっていたのにその様子が見られないところを見ると、ユキナのお陰でだいぶ楽になったようだった。
「ありがとう、ユキナさん。……でも、サエリは無茶しちゃダメだよ?」
「それなら、戦闘頼んだわよ。アタシ、武器もなくしちゃったし」
 サエリが、ついと進行方向を指し示す。そこに現れたのは、またもや鎌鼬とレッドキャップの数体。気合い満々な彼らの威圧に気圧されながらも、魔法を発動させる。遠距離攻撃を持たない前衛が相手だ、後衛がメインのこのメンバーでは先手必勝の、有利な作戦で行くしかない。
「流れる時に、激動の衝動螺旋。全ての命を、絶望の風へと誘え! 《サブリエ・クレアシオン》!」
「《シャープエッジ》!」
 鋭い刃を鳴らすチャクラムが魔物を蹴散らし、吹き付ける強風に煽られ、自らそれを喰らいに行ってしまう魔物もいた。それでも、一番近くにいた魔物は彼らに直接襲ってくる。それらには、自分がチャクラムで叩きのめし、時間差でリルが魔法で撃退する。
 現れた魔物をものの数分で蹴散らした一同は、更に奥を目指す。嫌な予感を、引き摺ったまま。

   ■   ■   ■

 暖かな光が、消える。イオスの治癒魔法により、ネルゼノン達のある程度の傷は塞がった。が、意識がいつ戻るかは分からないままだ。
 ゆっくりとした動作で立ち上がりウィンタに礼を述べると、イオスがクロスとドッペルの二人を振り返る。
「さて、これで取り敢えずは大丈夫でしょう。そろそろ先に進まなければ、後々大変な事になってしまう」
「……どうやって、運ぶつもりだ」
 クロスは、ネルゼノン達を指差して訊く。この場を早めに去る事には賛成だが、一つ問題があった。気絶している彼らを、運ぶ手段がない。イオスはそうですねぇ、と口にすると、ドッペルゲンガーに視線を移し言った。
「ドッペル、乗り物に変身」
『出来ません』
「いや、やる前から諦めたら駄目なんだ。自分は出来ると考え、イメージする事が大切だ。ドッペル、君ならやれる。だから、」
『無理です。というか、俺は基本的に無機質に変身するのは無理だぞ』
「担げば良いだろう……人数も丁度足りる」
 人間と魔物の訳の分からない言い合いに呆れるように、提案するクロス。だが、正直今の自分の身体で担ぐとなると、エネラ辺りが精一杯だろう。倦怠感がひどく、僅かに頭痛もする。原因は、考えるまでもなかった。
『え、襲われたらどうすんだよ』
「うーん、載せるものが無理ならそうするしかないか……仕方ないな」
 確かに担いで移動する場合は、魔物に襲われた場合自分たちの武器を構えられない訳だから、襲われた場合は相当不利になる。それは百も承知だが、だからと言って置いていく事も出来るはずがない。方法がない以上、危険を冒してでもそうするしかないのではないか――クロスはそう述べようとしたところで、三人ではない声が聞こえた。
「その必要、ないよ」
「何? ……ディオル!?」
「はは……ごめん、真っ先にやられちゃって」
 振り向けば、傷だらけの細目の少年が立っていた。ディオルだ。手に持っている、刀が仕込まれた杖を器用に操りながら、この灰と瓦礫の地面を歩いている。イオスが彼のその行動を見て眉を潜ませたが、それを口にはしなかった。
 傷が僅かに痛んだのか、ディオルが呻きバランスを崩して倒れそうになる。とてもじゃないが、置いていけるような状態じゃない。やはり、彼らを抱えて先へ行くべきだ。
「った……、おっと」
「馬鹿か、貴様は! まだ寝ておけ!」
「そうは、いかないよ。クロス達は先に行かなきゃ……足手纏いは、置いていくべきだ」
「出来るか!」
「しなきゃいけない!」
 普段、ニコニコとした笑顔以外に感情を表す事のないディオルが、クロスに向かって怒鳴った。流石に驚き、動きを止める。
「そういうものでしょ? 任務って、何よりも優先させなきゃいけない事でしょ? 私利私欲を挟んでちゃ、出来るものも出来なくなる! 僕らとクロス達は確かに同じような任務内容だ、だけど僕らは動けない。なら、君等が行かなくてどうやって事件を解決するって言うんだよ!」
「……それは、」
「何かを犠牲にしてでも、君は敵を追うんだ。それが、我らの『正義の力』になる」
 目の前の個人より、その先に待つ大勢を優先しろ――つまりは、そういう事だ。仲間を優先すればその者は助かるが、先にいる何万、何億という人間が危険に晒される。逆に後者を優先させれば、仲間の犠牲だけで大勢の人間を助けられるのだ。
「……僕らなら平気だよ。一応、君より長くジャスティフォーカスにいるんだし、自分の限界なんて嫌と言う程分かる。エネラもネルゼノンも、伊達にやられる人じゃない」
 強がりなのは、分かり切っている。さっきも歩くだけでふらついていたのだ、爆発により負った傷の出血は相当だったのだろう。ネルゼノンもエネラも、いつ目が醒めるか分かったものではない。
 だが、ディオルは先を促した。止まっているべきではない、と。次に魔物やラルウァに襲われれば、命を失いかねないと言うのに。その精神は例えるなら、自らの君主を信じて特攻を行う兵士らのそれに似ている。死への迷いを捨て去り、ただ結果のみを見据える、傀儡人形のような。
 一歩も譲らず、クロスとディオルは互いを睨み続けていた。それを破ったのは、わざとらしく発された咳払い。イオスだった。
「仕方ありませんね。それなら、私も残ります」
「え?」
「何?」
 イオスの言った事が理解出来ず、ディオルは思わず呆気に取られる。それはクロスも同じで、幾分呆けたような表情をしていたかもしれない。
「ディオル君達はまだ動けそうにないですし、クロス君も大人しく行ってくれそうにない。なら、私がここに残って治療を続けますよ。それならクロス君も安心でしょう?」
「でっ……でも! イオス教授も、まだやる事がおありでしょう!?」
「生憎、今やれる事は全てやってしまいました。それに、医者という立場からしたら今やるべき事は、君達の傷を治す事ですね」
 肩を竦め、おどけた様子でイオスが言い放つ。
「どうですクロス君。私がついているなら、貴方も安心して行けるでしょう?」
 確かに、ここにイオス教授が残るのであれば、彼らだけ置いて行くよりはずっと安心である。他の案も思い浮かばなかったクロスは、数瞬葛藤しない事もなかったが――結局彼にお願いします、と頭を下げ、任せる事にしたのだった。

 イオス達と別れて、一人で神殿を駆け抜けるクロスは、周りの様子が来た時より随分変わっていた事に気が付いた。『濃い』、と感覚で分かるそれは、一体いつから変化していたのか。ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。煉瓦が敷き詰められているとはいえやはり歩きにくいその通路は、天井から光が降り注いできている。お陰で迷う事はないが、逆に敵に狙い討たれる可能性も高い。
 いや、それより――足を止める。こんな見通しの悪い場所で立ち止まるのは自殺行為に他ならないが、確認しておきたい事がある。鋭い眼差しで左右を見渡し、何もいない事を確認すれば、自らの影に視線を落とし。不自然なその行動を訝む相手もいないが、構わず口を開いた。
「ドッペルゲンガー、いつまで隠れている」
『はぁ!? き、気付いてたのかよ!!』
「それで隠れているつもりだったのか。魔物がいつの間にか消えていれば、悪魔でなくとも警戒する」
 話し掛けられた本人――ドッペルゲンガーは、驚いたように目を開けた。未だにクロスの影に隠れているので、まるで怪奇現象のように見えなくもない。そのままにゅうぅ、と影から這い出ると、抽象的な形をした三本の指は、悔しそうに拳を握り締めていた。
 ドッペルゲンガーという魔物の本質は、対象に気付かれる事なく影に潜り、脅かす事だ。それが出来なくなったのだから、悔しがるのも頷ける。
『でなくても、鋭過ぎだ! イオスやユーサでさえ気が付かねぇのに……!』
「それは残念だったな。無駄話をする時間はない。何故、教授から離れて俺の影にいた。奴の命令ではないだろう」
 クロスから見たイオスという男は、好き好んで相手のストーカーを魔物にさせるような奴ではないだろう。そう判断したからこその問いだが、ドッペルゲンガーはやはり目を丸くして視線を向けてきた。
『そこまでお見通しかよ……やっぱお前、』
「お前が思っている奴とは違うと思うぞ」
『……なら、何故ラルウァを倒せた? お前だけ倒れていた場所が違ったし』
「知らん。誰かが助けてたんだろう」
『答えろよ!』
「……だから、」
『じゃあ、その灰色の鳥の羽根はなんだよ。お前悪魔じゃなかったっけ?』
 クロスは、まるでしつこい勧誘を見るような目でドッペルを睨み付けようとする。と、ドッペルゲンガーが面倒くさそうに指差しながら発した言葉に、何、と自身の背中を振り返った。まさか、戻り損ねたか――だが自身の背中から生えている羽根は、見慣れた蝙蝠の羽根であった。
『おや~? 何をそんなに慌てて振り向いていらっしゃる?』
「……貴様」
 人を小馬鹿にしたようなそれに、クロスはカマをかけられた事を悟る。
 悪魔のものでも天使のものでもない、灰色の鳥の羽根。それは、自身にとって重要な意味を持つものであったし、他人に漏らしてはならない事である。であるにも関わらず、このドッペルゲンガーは知っている。どこの誰かは知らないが、今すぐに消しておくべきか。腰の鞘から短剣を抜こうと、柄を握った。
『おっと、別にバラすつもりはねーぜ。それに、お前さんの仕事監視を邪魔するつもりもねぇ。俺はただ、一人じゃ心配だからってイオスに頼まれただけだからな』
「それを信用しろと?」
『誓っても良いぜ。それに、俺は契約もしてる。お前の良く知る奴とな……手を出すな、逆らうなとは言われているが、お前に手を貸す事は禁じられてねぇからな』
「……まぁ良い。こんな下らん討論に時間を費やしている場合ではない、ついてくるなら勝手にしろ」
『勝手にさせて頂きますよ』
 してやったり、とにやけるドッペルの嫌味な言い方に、クロスは半強制的に話を打ち切り、再び歩み出そうと足を出した――その時。
 突然、前方を何かが横切った。白く美しい毛並を持った、一角の白馬。蒼い目が焦りを含んだ色を浮かべていて、どこか落ち着きがない。
一角獣ユニコーン? 何故こんな所に……?」
 一角獣は獰猛な性格の個体が多いが、人間嫌いな為こういった人が現れそうな場所にはいない。深い山岳地帯や、人類未踏の森林等に棲んでいる。が、今目の前にいるのは、紛れもなくその種族の生き物だ。
 声が聞こえたのか、白馬はクロスの方を向いて目を輝かせる。近付いてきてブルル、と一声鳴き彼の頬を舐めると、自らの背を気にし始めた。何か、知らせたいのだろうか。
「何だ? ……!」
 それに従い視線を向けると、白馬の背中に人間がうつ伏せで乗せられていた。若草色のコート――ギレルノだ。気絶しているらしく、ぴくりとも動かない。
 どうやら、ユニコーンは彼を背負って逃げ回っていたようだ。よくよく見れば四本の脚は土に汚れ、体に細かい傷を負っている。それを見て、一角獣がこんな所にいる理由も把握した。彼が契約している召喚獣だろう。
 白馬の背中のギレルノに駆け寄り、軽く揺すりながら声をかけてみる。彼はすぐに目蓋を震わせ僅かに開いたが、焦点が合ってないのか視線を彷徨わせた。光がない瞳をクロスに――恐らく声がした方に向けると、呟いた。
「……せ、……ぃ……?」
「!?」
「……、う……。……お前、セイノア……か……?」
 虚ろなまま口にした彼の言葉に、クロスが目を見開く。だが、その直後目に光を取り戻したギレルノは、軽く頭を振り、改めて目の前の人物を確認した。
「……あぁ。平気か、体は」
「っ……。正直、辛い」
「だろうな」
 平静を装い、取り敢えず白馬から降りるよう促す。それで自分の状態に気が付いたのか、ギレルノは降りて白馬に礼を言った。彼には、さっきの可笑しな様子は微塵も残っていない。目の錯覚と、幻聴だったのだろうか? ちらりと、影に潜んだままであろうドッペルゲンガーを一瞥する。いつの間にか影に戻っていたそいつは、何のリアクションもないままクロスの細かい動きを地面に写していた。
「何があった?」
「……ピォウドを襲った奴に襲われ、対峙した。ジングが可笑しくなって、俺が召喚獣を戻せなくなった。《月の力 フォルノ》が何とか……それで、召喚獣の力で他は流された。力を使い果たした召喚獣は、消えたみたいだ。それから、覚えていない」
「……そうか」
 気配こそぴりぴりと感じてはいたが、やはり、ホルセルはまた代わっていたようだ。残虐な笑みを貼り付かせ、情け容赦なく刃を振り回す人格に。
「ディオル達は?」
「……はぐれた。今は俺一人だ」
「そちらもか。合流する場所は」
「決めていると思うか?」
 クロスは、敢えて「はぐれた」と言った。詳しく説明する時間は惜しいし、何より自分でも上手く説明出来る自信はない。
「仕方ない、行くか」
「どこへ?」
 ギレルノが、首を左右に振り怪訝な表情を浮かべる。どこへ行っても同じような光景だ、そう思っているのだろう。肩を竦め、クロスは答えた。
「気配を辿るしかないだろう? はぐれてから、ずっとそうしていた」
 サエリ達のように、手探りで進まなければいけない判断をやむ無く下す。この広い神殿の内部を知っている者でも、人を捜すのなら結局はそれに頼って進むしか、方法はない。ギレルノは未だに納得出来ないようだったが、時間がないぞ、と敢えて急かすように声をかけるのみに留めたのだった。