第35話 絶体絶命の中で

「はあぁっ!」

僕は気合の声と共に仕込み刀を一閃させ、最後のレッドキャップを斬りつけた。
致命傷を負ったそれは形を崩し、粒子となる。

クーザン君達と別れた後、僕達は反対側の入口から先へ進んでいた。
途中、何度か魔物の雄叫びを聞いたりしているが、僕達の前に立ち塞がるのは低級のその群れ位である。

「何か……拍子抜け」

僕は、ぽつりと呟いた。

剣にこびりついた魔物の体液を拭うと、嫌な臭いが鼻につく。
例えるなら、腐れた卵の臭いに似ている。腐卵臭、と言ったか。
かと言って放置すれば、剣の斬れ味に影響して来る。自分の身を守る為と割り切るしかないのだろう。

独り言と流されてもおかしくないその言葉に、返事を返してきたのはサエリさんだった。クロスと一緒に行動している女性で、個人的にはちょっと苦手だ。

「拍子抜けって……良いじゃない、強敵に遭った方が面倒よ」
「あぁいや、そうじゃないんだよ。う~ん……この遺跡、雰囲気が何か気持ち悪いでしょ? なのに、出てくるのは僕らでも倒せる低級魔物ばかり。何だかおかしい気がしてね」
「そうかしら? さっきのレッドキャップ、結構強かったわよ」

レッドキャップは、襲った人間を殺しその血で自らの帽子を染め上げるのを悦びとする、魔物の一種だ。
抱えている斧に気圧され、矢を撃つのを躊躇ったサエリからしてみれば、十分な脅威に思える。

でも、僕は首を振った。

「斧の大きさの割には、体が小さいから撹乱すれば早いよ。あれは」
「ふーん……」

彼女が周囲を見渡し、呆れたような息を洩らした。

遺跡は、戦闘をやった後でも妙に静かだ。錯覚からか、周りが不気味な程に白い。
オマケに、先程の剣についた臭いとは別の、鉄の臭いが微かに漂っている気がしてならなかった。
鉄の臭いから連想するのは、血。それが、より一層気色悪さを引き立てている。

「……誘われてるのかも、ね」
「可能性はあるわ」
「ま、誘われてるならそれで良いじゃねーか?」

どっちみち、戦う事に変わりはねーし。

と、ゼノンが頭の後ろで腕を組み、暢気に言う。彼はどんなにシリアスなやり取りをしていようとも、いつも通りらしい。

僕らの任務は、リルちゃんとアーク君をクーザン君達に引き渡した時点で終了していたはずだ。
それが、何故こんな形で付いてきてしまったのか――それは、ギレルノがふらりといなくなったからだ。連絡を取る手段はないから、捜すしかないという何とも迷惑な話である。

何にせよ、この場所で戦力があるのは喜ぶべき事、なんだと思う。彼らがここで何をやるのかは分からないが。
しかし、それを素直に喜べない理由があった。

「はぁ……所でアンタ達、あれ何とかしてくれないかしら。アンタ達の、昔馴染の仲間なんでしょう」
「す、凄い殺気……」

サエリさんは再び溜息を吐き、ちょいちょい、と右手の親指で前を指し示す。

その先には、相変わらず無愛想にしているクロスが黙々と足を動かしているのが見えた。
両手に構えたままの短剣が今にも飛んできそうな位の殺気を、隠そうともせず醸し出しながら。
それは、修羅と誰かが例えても否定出来ない有り様だった。彼に初めて会うアーク君は、あまりの恐怖に涙目になっている程。

僕は肩を竦めると、開いているのか分からない目を細め、サエリさんの申し出を丁重に断る。

「ごめんだけど、無理。ああなったら、あっちが折れてくれるまで機嫌悪いまま」
「じゃあ何? アタシらホルセル達に合流するまで、延々とアイツの愚痴や殺気を浴びてなけりゃいけない訳?」
「そうなるな」

僕達はもう慣れてしまっているから、早々に意識の外に彼を追いやっていた。
アーク君はともかく、サエリさんもやろうと思えば出来ない事もないのだろう。が、それをするには至らないという事か。

とくだらない事を考えていたら、突然グイッと顔を引っ張られた。
正しくはサエリさんに耳を引っ張られたのだが、それはクロスに知られないように話す為だったらしい。凄く小さい声音で、彼女は質問をぶつけてきた。

「ていうかっ。クーザンの事もだけど、アイツそんなにホルセルの事気にしてる訳?」
「いや彼ら男だし」
「良かったわね。もし異性だったら速攻ゴールインよ」
「サエリ……話がずれてるよ」

サエリさんの見当違いの言葉に、アーク君が軌道修正を試みた。突っ込み、とも言う。
そして序でに、とでもいうように、おずおずと気になっていた事を口にする彼の顔は真剣そのものだ。

「……サエリ、あの人の事が気になるの?」
「え? ……まぁ、一応ここまで一緒に旅をしたからね。気にならないと言えば嘘になるわ」
「……そう」

あーあ、声からしてすっごくガッカリしてる。分かりやすいよね、彼。

「けどよー」
「……それを抜きにしても、確かにやり過ぎてる気がしなくもないよねぇ」

そんな事はさておき、不思議な表情で呟いたゼノンに合わせ首を傾げる。
確かに、自分達の知っているクロスとは様子が違うのだ。普段なら、人間関係等気にしないで任務を忠実にこなす人物なのに。少なくとも、僕達が知る彼は。

んー、とエネラは口元に人差し指を立て、口を開く。

「あのクーザン君と喧嘩して、続け様にホルセルに怒られちゃったんだもの。それで気が立ってるだけじゃない?」
「いや……それにしちゃあ……」
「貴様ら、何をぐだぐだと話している。そんな暇があるならさっさと足を動かせ」

緊急ディスカッションを行なっていた一同に、前を歩くクロスが怒鳴るように先を促した。
これは、相当機嫌が悪い。期間は短いが、共に旅をしたサエリさんでもそう判断出来たようだ。兄弟喧嘩(仮)をしただけで、こんなにも機嫌が悪くなるものだろうか――と疑問に思っているのだろう。

サエリさんは、再び深く溜息を吐いた。

「「ぎゃしゃああぁ!!」」
「げ、また出やがった……」

そこに、人間の物ではない声が響き渡る。
魔物の襲撃に、ゼノンがうんざりした表情で構えを取る。
同時に進行方向に現れた敵に目をやるが、そいつは今までの魔物とは全く容姿が異なっていた。

「あれ? この魔物……?」
「真っ黒……」
「こんな魔物いたか?」

僕やエネラ、ゼノンは見た事がない種類の魔物だった。
四角い胴体に不釣り合いの長さの腕と足がついた、猿のような形をしている。ギラギラと紅く光る目以外は、全て真っ黒。

だけど、クロスとサエリさんはその相手を凝視している。表情に貼り付けられたその感情は、畏れ。

「……こいつ……っ、ラルウァ!!」
「いないはずがないとは思っていたが……まさか、ここで遭遇するとはな」
「知ってるの?」

会話の内容からして、彼らがこの正体不明の魔物の事を知っているのは察しが付いた。僕は問いかけ、答えを待つ。

「魔物とは違う、正体不明の怪物だ。こちらのあらゆる攻撃が効かない」
「攻撃が効かないって……じゃあ、どうするんだよ!?」
「ひっ! う、後ろにもいるよ……!」

エネラの悲鳴に後ろを見れば、確かに別の二体がいた。こちらはローブを被った人間のように見えるが、やはり黒い。
そして、両隣に一体ずつ。
計、五体。
良く良く見れば、さっきまで倒していた魔物まで復活している――背水の陣とは、この事だ。
クロスの説明が確かなら、僕達には魔物は兎も角奴等を倒す手段が、ない。

じりじりと迫り来るラルウァと魔物に誰ともなく後退し、だが彼らに残された空間はあまりにも狭かった。
直ぐに、誰かの背中にぶつかって動きを止める。

「やば……何時の間に囲まれてるっぽいし」
「ぽい、ではなく囲まれているんだ。……取り敢えず、この空間を抜け出すのが先だ。エネラとサエリは先に飛ん……」

こういう時、全体を指揮する能力は僕やゼノンよりクロスが適任だ。頭の回転も早く、即座にどうするべきかを判断し指示してくれる彼を、僕らは頼りにしていた。
そんな彼の指示は最良だったと思う。逃げるにしても、戦うにしても、場所は広い方が良い。翼を持つ女子二人だけを先に包囲網から逃げさせようと、クロスが背後に顔を向けた。僕も無意識に、そちらを見やる。

が、二人がいた場所には、ローブを被ったように見えるラルウァが、ゆらゆら揺れていた。
口と思われる部分を、人間がやるように歪めさせる。その向こうに続く口内は、闇。

「なっ……!?」

突然の事に驚くも、数々の経験を重ねていた体は反射的に相手を斬りつけていた。
やはり攻撃は効かないが、ラルウァが気持ち悪い声を上げて後退った内に離れる事に成功する。

「きゃああぁっ!!」
「――っ!」
「エネラ! ねーさん!」

ゼノンが、猿の形をしたラルウァの腕を何とかガードしながら叫んだ。
どうやら、如何にして撃退するか思考に没頭していた一瞬の隙に二人とも吹っ飛ばされたらしい。

「ちっ……! ゼノン、ディオル! 突破するぞ!」
「了解!」

彼女らの近くへ行かなければ、もし気絶でもしていたら魔物の餌食になってしまう。
クロスは、己の判断の遅さを呪うように舌打ちをする。

「ごめん、援護して! ――深淵より舞い戻る邪気、数多の光を呑み込め!! 《ベーゼペイン!》!」

アーク君が、直ぐに魔法の詠唱を開始する。攻撃が効かないとはいえ、目眩まし位には役に立つだろう。

「……闇魔法?」

詠唱の内容で魔法の属性を察したらしいクロスが、訝しげに眉を潜めた。

天使とは、言葉の通り――地上に降りた天の使いの子孫と言われている。彼らは光に愛され、絶対的闇を封じ込める力を持つ。
金髪碧眼という典型的な天使の容姿を持ち、現に白い鳥類の羽根を生やしたアーク君が、闇魔法を使おうとしているのだ。疑問に思わない方がおかしい。僕だって最初は驚いたものだ。
しかし、今はそれどころではないと理解しているのか、呟いただけで問い詰める事はしなかった。

詠唱が完了した魔法は、直ぐに効力を持つ。
アーク君を中心に威力の高い爆発が起き、更に闇の力が周囲をドーム状に囲む。
中に引き入れられたラルウァや魔物は、まるで操り人形のようにゆっくりとした動きになった。
爆発によるダメージと、動きを鈍くさせる効果のある魔法のようだ。

「今の内!」
「な、何なんだあの魔法?」
「闇の力で動きを封じたんだ。暫くは動けないけど、安心はしないで」

敵の動きが鈍い今、僕達は無事包囲網を抜け出す事が出来た。
魔法の効力が届かない距離の魔物を退け、二人が飛ばされた方へ向かう。

「エネラ!」

先に見つかったエネラは、ぐったりとしながらも魔法を詠唱して魔物から逃げていた。
自慢の黒いワンピースが埃まみれになるのも構わず、ゼノンの姿を見付けると駆け寄ってくる。背中の真っ白な羽根が振動で揺れているが、まるで彼女の心を表しているかの様に小刻みに震えている。

「ぜ、ぜのんっ、でぃおるぅっ! こ、こわ、こわかった……!! くろいのに、つかまって、とば……っ」

彼女は真っ直ぐゼノンの体に飛び付くと、ガタガタと自身を震わせた。余程の恐怖だったのだろう。見開いた大きな金色の瞳からは、ぽたぽたと涙が零れ落ちていた。

ゼノンは落ち着かせる為に彼女の髪を撫でると、「大丈夫だ、ごめん」と謝った。
彼女らが襲われて、こんな恐怖を味あわせてしまったのは、自分達がまだ未熟だから、と。
……だからと言って、こんな緊急時にいちゃつかなくてもいいとは思うけどね。

「後はねーさんだな!」
「サエリは、多分あっちの方に……ボク、先に行ってる!」
「あ、ちょ、アーク!?」
「貴様、勝手に……」

アーク君が指し示したのは、今自分達がいる部屋の隣の方。結構飛ばされてしまったのか、こちらからは見えない。

彼はいてもたってもいられなくなったのか、白い翼をはためかせ飛翔した。
多勢に無勢、そんな中で孤立しようものなら、殺して下さいと言っているようなものだ。当然クロスが止めようとし――

「――――」

声を、聞いた。

いや、声ではなかった。
言うなれば、あれは鳴き声と言うか、唸り声と言うか。
確実なのは、人間のものではないという事。
その場にいた全員がそれに動きを止めてしまったのは、声があまりにも不気味だったからだろう。

「さっきの鳴き声、一体何のバケモンだよ……」
「少なくとも、只の魔物じゃなさそうだね……クロス! 僕達も早く行こう。アーク君、行っちゃったんでしょ!」
「……あ、あぁ」

僕の呼びかけに、クロスは我に返ったかのような返事を返してきた。
鳴き声が気になったが、優先する順番を間違えるべきではない。

アーク君が向かった方に向かうには、ほぼ部屋を横切る形になる。つまり、あのラルウァを封じている範囲を越えなければならないのだ。
戦闘は極力避けたい。あの化け物の前では、悔しいがクロス達は丸腰と変わらない。

「……迂回しよう。暴れられたら厄介だ……」
「う、うん」

クロスの言葉に、僕もゼノンも頷いて足を踏み出す。
今は、無謀にもサエリさんを一人で捜しに行ったアーク君と合流すべきだ。

幸いにも、彼の魔法はまだ効果が続いている。時間はかかるものの、迂回して通った方が遥かに安全――

――なはず、だった。

僕は三人に続いて歩き出したけど、僅かに、本当に静かにだが――鼓膜が震えたのを感じた。
耳を澄ましながら周囲を見やれば、聞こえるのは呪文のように規則正しい鳴き声。

しかし、自分の仲間達は前で歩いていて、何かを話している素振りもない。そもそも、僕の仲間のでこんなに不気味な声を出す者はいないのだから。

なら、これは。

「――皆! 進んじゃダ……」

――ドォン!

突然、目の前が真っ白になる。
あまりに唐突過ぎて、何が起こったのかも理解出来なかった。

次の瞬間には風が吹き、身体には激痛が走る。
肌に、何かが流れる感触を感じた。生暖かい、何か。

「(――ああ、)」

この錆び付いた臭いは、
この感触は、

「(血、だ。)」

嗅ぎ慣れてしまった臭いの正体を呟いた僕は、そこで意識を手放した。

   ■   ■   ■

ローブを被った人間のように見えるラルウァが、この世のものとは思えない醜い笑い声を上げる。
一匹のラルウァが魔法の呪縛に捕まっておらず、魔法で彼らを攻撃したのだ。

魔物やラルウァは、言葉を発しない。そのせいで、警戒が遅れてしまったのだ。完璧な不意討ちである。
唯一危機を察知したディオルの忠告も、間に合わなかった。

地面には、魔物共々爆発したような跡があった。
白煙が風によって流されれば、その場に立っていた一同が倒れているのが見える。
全員意識がないのか、ぴくりとも身動きをしない。身体中に煤を被せ、至る所で血を流していた。
出血多量で命も危うい、という程ではないが――早く治療しなければ、本当に冗談では済まなくなってしまう。
服も、端っこの辺りがボロボロに焼け焦げている。
だが――治癒魔法を使えるエネラも、勿論その他の者も、目を覚まさない。

やがてアークの魔法が切れ、捕まっていた魔物やラルウァが彼らに向かい始める。
魔物は人間の血肉を貪る為に、ラルウァはまた別の目的の為に。
のそのそ、のそのそと。

ぎぎぎぃ、と、餌を待ちわびていたかのように、口の端から緑色の液体を垂らす魔物。
若い人間の血肉は、栄養も弾力もあり、魔物の大好物である。それが四人分もあるのだ、見逃さないはずがない。と言うより、見逃すと言う概念が奴らにはない。

紅い瞳を更にぎらつかせ、倒れている内の一人に真っ直ぐ向かうラルウァ。
それは、意思を持っているかのように真っ直ぐ。

狙われたクロスも、他の三人も、意識を取り戻さない。

彼らとラルウァの距離、僅か五メートル。魔物達が蠢く地上が、影で覆われる。

それは、何とも強大で、巨大な氷塊だ。否、氷塊など可愛らしい。あれは、氷山だ。北極の海に流れるそれが、より鋭利に、より鈍重に、宙に浮いている。

一体どんな仕掛けがあるのか、重力を無視して宙に浮かぶ氷山は、人間に手をかけたラルウァ達目掛け――

ガスン!!

勢い良く、落下した。

それは見事に下にいたローブ型のラルウァの脳天に直撃し、上から下へ一直線に貫く。
ラルウァは、悲鳴さえ上げる事なく消えた。

氷山は、そのラルウァだけでなく、近くにいた魔物をも巻き込んだ。
落下した衝撃で皹が入り、その皹割れは大きくなり、やがて割れる。

残った魔物とラルウァが、突然の事に動きを止めた。巻き添えを喰らった魔物の粒子を見つけ、食い付く奴もいるが――割れた氷山は、そんな奴等をも呑み込む。
魔物の肉が、血と思しき液体が、氷塊を伝って地面に広がる様は実に異様だ。

がら、と瓦礫に手を付き、血が抜けて思うように動かない身体を無理矢理起こしたのは、血まみれのクロスだった。

全身ボロボロで例外なく血が流れているが、何とか意識はあるようだ。
目の前をぼんやり見詰めるかのような瞳には、生気とは全く別の光が宿っている。

「……っの、下等生物が!!」

ぱきぃ、と彼の中の何かが、爆ぜた。

   ■   ■   ■

ざりっ。

「……おやおや、若いのに無理をしたみたいですね」
『若いから無理出来るんだろ。お前と違って』
「失敬な。私だってやろうと思えばやれます」
『どうだろうな。って、話してる暇があるなら回復してやったらどうなんだよ』
「ですねぇ」

   ■   ■   ■

アークは、白い鳥類の羽根を最後に大きく羽ばたかせ、地上に着地した。
歩く時に空気抵抗を受けないよう、羽根は素早く仕舞い込む。

直ぐに、辺りを見回して警戒する。
ラルウァ、というあの真っ黒な怪物に吹き飛ばされたサエリは、恐らくこの辺りに飛ばされた筈だ。自分の視力が正しければ、だが。

「……はぁ」

その一方で、先程彼女と話していた会話が、脳裏に甦る。

『……サエリ、あの人の事が気になるの?』
『え? ……まぁ、一応ここまで一緒に旅をしたからね。気にならないと言えば嘘になるわ』
『……そう』

「やっぱり、サエリは強い人が好きなのかなぁ……」

クロス、というディオル達の同僚。さっきは機嫌が悪かったので大した挨拶も出来なかったが、見た目とディオル達の信用性からして、きっと頼りになる人物なのだろう。

対して、自分はどうか。
たかが魔物にも怯え、同じ人間にさえビビる自分。
用心深いと言えば聞こえは良いが、ただの優柔不断で怖がりな自分。
とても、しっかりした性格のサエリに釣り合うとは思えなかった。そんな自分が側にいても、彼女の魅力を削ぐだけだ。

――ドォン!

「!」

突然、遺跡中に爆発音が谺した。
音の方向からして、今しがた自分が飛んできた方だ。
まだ、そこにはディオル達がいる筈。周りに姿が見えない所を見ると、爆発に巻き込まれた可能性もなくはない。

「ディオル達が……!」

咄嗟に戻ろうと方向転換をしかけるが、ふと足を止めた。

彼らとの付き合いは短い。が、アークは彼らを信頼していた。
ジャスティフォーカスの構成員としては気さくな、彼らの関係が好きだった。
それに、強い。
自分なんかより、遥かに。

「……っ」

アークは、拳を握り締めた。

「(――行こう)」

彼らが、簡単にやられる訳がない。
自分は、自分がすべき事をやろう。

自身の武器であるチャクラムを手に取ると、アークは爆発音とは逆の方へ体の向きを戻した。

すると、正面には誰もいなかった筈の空間に人が立っているのに気が付く。
金髪碧眼の青年が、アークが捜そうとしていた少女を抱えてこちらへ向かって歩いていたのだ。

相手も気が付いたのか、口をへの字にしながらアークの方へ歩み、ある程度の距離を残して立ち止まった。

「さえ……」
「……ちっ、美人が落ちてきたと思ったらヒモ付きかよ」
「……ボク?」

彼は、抱えているサエリを一瞥しながら悪態を吐いた。ヒモ、とは勿論アークの事だろう。

それにしても。
アークは、自分にそっくりなその青年の方が気になってしまった。
同じ金髪碧眼で顔付きも瓜二つ。なのに、性格は恐らく正反対だ。

アークの呟きは、青年が己に似ていた事で「自分がいる?」と言ったつもりだったのだが、彼は違う意味で捉えたらしく鋭い眼光を向けてきた。

不埒な目的で人間に成り済ます『シェイプシフター』のようだ、とアークは思いかけ――そんな事がある筈はない、と無理矢理納得した。

うだうだしているとあちらが痺れを切らしたのか、元々キツいのであろう双眸を更に鋭くし睨み付けられる。

「お前以外、誰がいんだよ! はっ、忘れたのは記憶だけじゃないみたいだな」
「……ボクが記憶喪失だ、って何で知ってるの?」
「あァ? 何だ、そっから話せってか?」

元々、あまり気が強い方ではないアークは、相手の一挙一動にも怯えてしまう。サエリが気絶していなければ、「しっかりしなさい、男でしょ!?」と叱られているだろう。いや、この場合自分の代わりに言い返しているだろうか?

しかし、今はそれに構っている暇はない。
萎んでしまいそうな自分を奮い立たせ、アークは青年を睨み付けた。

「じゃなくて、サエリを返してよ! 彼女は、ボクの友達なんだから」
「あ? ……ははーん、成程」

アークの台詞に、青年は何故か意地悪そうな表情を浮かべて笑う。擬音を付けるなら、にやにや、と。

「……な、何」

「盛んで大いに結構。恨んでなんかいなかったら、応援している所なんだがなぁ」

彼は比較的平坦な場所にサエリを下ろし、肩をポキッ、と鳴らす。
どう出るのか分からない相手の行動に、無意識に手に持つチャクラムを握り締めた。

「ん? 殺ろうってのか?」
「キミが、サエリから離れてくれないなら」
「ご丁寧なこった。なら――」

ひゅ、と風が鳴いた。

尋常でない速さで青年は相手に近付き、足払いをかける。大した訓練をしていなければ鍛えてもいないアークは、いとも簡単にバランスを崩した。
動きが早く、全く読めない。

「(はっ……、速ぁっ!?)」

気が付けば、自分の体はすっ転ばされ地面に仰向けになっていた。
首の直ぐ側の地面からドスッ!と音がし、見ればレイピアが深々と突き刺さっている。
もう少しずれていれば、アークの脛動脈は斬られていただろう。
そう考えると、背筋が凍る思いがした。

「……お前さ、何様? 本気で忘れた訳?」
「な、何の話……っ!」

アークの胸ぐらを掴み上半身だけを起こすと、青年は側に膝を付いた。その勢いで被っていた帽子は脱げ、美しい金糸は月光に晒される。

近くなった彼の顔立ちを見ると、やはり自分に似ている。もう、そっくりだと認めても良い。

「ふざけんじゃねーぞ」
「ふざけるも何も、気が付けば……」
「気が付いたら忘れてたぁ? それこそふざけてんだろうが。誰のせいで、俺がこんな体になったと思ってるんだよ!?」
「こ、んな……体……?」

アークには、青年が言っている事がさっぱり理解出来なかった。何しろ記憶が欠落している為に、何の事か判断がつかないのだ。

「馬鹿で阿呆で間抜けな誰かさんがあの時大人しく従っていれば、俺は少なくとも普通に生きる事が出来たんだ……! こんな犯罪に手を染める事もなく、拒絶に苦しむ事なく、平和で、平凡な暮らしが出来た筈なんだよ!」
「……」

先程までの余裕綽々とした態度から一変し、青年は怒りを露にしながら怒鳴る。耳元で叫ばれている為、アークの耳はとっくに麻痺していた。
ただ、これだけは理解した。自分は、彼に恨まれるような事をしたのだと。

「(……けど、)」

「……馬鹿みてぇ……こんな腑抜けに、俺の人生狂わされたってのかよ……! ご丁寧に見せ付けやがるし、わざわざ俺の名前を使って、のうのうと暮らしやがって!!」
「え?」

アークは、自分の聞いた言葉に驚愕した。本格的に麻痺したか、と思った位だ。

『アンタ、名前は?』
『……アー、ク』
『アーク? 変な名前。』

『アークは笑わないの? 笑った方が、楽しいよ!』

『アーク』という名前は、小さい頃サエリに拾われた時に自分で名乗ったものだ。

記憶喪失だった自分が、唯一覚えていたもの。
それが、自分が誰かに問いかける、或いは誰かが自分に問いかける言葉だったのだ。
その中にあった『アーク』という名を借りて、名乗っていたに過ぎない。

つまり、他人のものであっても何ら可笑しくはないのだ。

しかし――まさか、彼が?

「……キミが、『アーク』だって?」
「何もかも忘れた、って言いたそうだな。んだよ、そんなに嫌かよ!」

バキィ!

「……っ!」

青年は動けない(正しくは動けないように拘束された)アークの頬に、一発ストレートを放った。
痛みから反射的に殴られた箇所を押さえようとしたが、残念ながらそれも叶わない。

「殺す……お前なんか、殺してやる!!」

地面に刺さっていたレイピアを一気に抜き放ち、刀身を今度こそアークの喉笛に当てた。
このままレイピアが落ちれば、例え手を放したとしても、アークは死ぬ。

――シュッ

ガチャッ!

「っ!?」

だが、レイピアは狙った位置よりも大分離れた場所に再び突き刺さった。その隣に、時間差で何かが壊れるような音が響く。

「離れなさい」

一体何時の間に目が醒めたのか、そこには無表情のサエリが立っていた。

魔物の声が、遺跡に響く。
まるで地獄の底から響いてくるような、低く獰猛な啼き声だった。

NEXT…