月光に照らされるは、神に見捨てられた祭壇と、高らかに咆哮する、神。
大陸が出来た頃から伝わる御伽噺に、こういったものがある。
世界には、対となる神が三体、人間共を見守る――或いは監視するように棲んでいる。
陸、空、そして海。
互いが互いの属性を支え合い、時には浸食しながら、それでも世界は均等に保たれていた。
神の信頼する人間は、二人しかいなかった。
一人は、〈月の姫〉を始め大陸に現存する御伽噺に現れる、女性。
そしてもう一人は、神の声を聴くという天使。
彼女は、〈世界を調律せし巫女〉と呼ばれていた。
しかしとある咎人の手により、バランス良く共存していた神のうち一体が自我を喪い、力のみを求め、他の神をも呑み込もうと巨体を奮った。
大陸の〈月の姫〉が抱く力を取り込み、憤怒を露にしながら暴れる神を抑えたのは、それらを支えていた同じ神。
暴れていたのは、荒れ狂う海を司る神――リヴァイアサン。
それを抑えたのは、強靭な肉体で陸を守る神――バハームト。
と、普通に読み進めれば、大抵の人間がここで一つの疑問に行き着くだろう。
矛盾しているのだ。
数十日間に渡る神と神の戦いの後、と書かれているのだが、本来の〈月の姫〉の物語――結末が白紙の物語の方だ――では、彼らは衝突していない事になっている。
大陸の御伽噺は、大抵のものが〈月の姫〉に由来する。その理由は、似たような話と人物が、それらの御伽噺に綴られているからだ。
しかし、こういった物語の矛盾は、実は良くある事。
伝わる媒体が人間である以上、物語の割愛や正当化、危険度の低下は当然だ。中には、それを「何らかの人間による事実の歪曲」と捉え研究する者もいる。
実際にどうなのかは――現代に生きる自分らには、分かる筈がない。
大体、〈神〉が本当に存在するのかでさえ分からないのだ。
――と、ギレルノ自身も思っていた。
そう、三年前までは。
あの時――傭兵として旅をしていた時、不運にも遭遇した戦場で深手を負い、背後の海神を召喚するまでは。
――オ、ォォォン……
五月蝿い位に掻き鳴らされる動悸の隙間に聞こえたのは、明らかに異質な、だが聞き覚えのある啼き声。
気配を感じ振り返れば、獰猛な牙を剥き出し、六つの鋭い目を此方に向けた三つ首の龍が。
「お前は――!?」
それを確認したギレルノは、珍しく動揺を顕にした。
それもそうだ。彼は召喚に必要な精神力を込めている場合でも、そのような意思を持っていなかったにも関わらず、通常では召喚の仕方も分からないリヴァイアサンが勝手に現れているのだから。
魔力の暴走、とも考えられるが――それでは、何の為にこの本を持っているのか分からない。
「はっ、あんなの隠れてる内に入んねーか。気配だだ漏れだったしな」
「お前……お前は、一体何なんだ……っ!?」
ホルセルでないのは確かだが、そこにいる人物は確かにホルセルだ。
しかし――ギレルノは、無意識に『誰なのか』ではなく、『何なのか』と問うていた。心の奥底で、彼が別の何かだと察していたのかもしれない。
そして、その元凶――ホルセルであってホルセルではない彼は、何ら気分を害した様子もなくギレルノの質問に応えた。何ともやる気のなさそうな表情なのは余裕があるからか、はたまた面倒だからか。――恐らくは後者だろう。
「あ? 別に『コイツ(ホルセル)』はコイツだぜ。人畜無害の正義の味」
「ふざけるな!」
ホルセルが言い終わる前に、ギレルノは叫びにも似た叱責を飛ばし、僅かに咳き込む。
何故か、気持ちが苛々と荒み始めるのを感じた。他人所か、自分でもあまり感情を動かさない自分が、である。
だが、彼の誰何に応えたのはホルセルではなかった。
「バハームト……?」
「……何?」
その呟きを吐いたのは、呆然とした表情でホルセルを見続けるユキナだ。セレウグが一瞬目を見開いたが、それには誰も気が付かない。
あまりにも馬鹿らしい答えに、ギレルノは普段なら絶対に出さない間抜けな声を上げた。
が、その後を継ぐようにしてセレウグが口を開く。
「――“海の神と大地の神、愚かな咎人の手により望まぬ衝突を迎えん。長い、永い闘いの末両者は相討ちとなりて、調律を司る巫女と中立の者の前にて母なる海へと還りけり。荒れ狂う海の神、対なる大地を支える神、互いが未来再び邂逅さすれば世界は滅びに向かいけり。その高名たる名、”」
セレウグは淡々と、〈月の姫〉とは異なる御伽噺の一節を紡ぎ、そこで一旦息を吸った。
「“海の『リヴァイアサン』、大地の『バハームト』”。〈神様のお話〉の一節だな。そしてそれになぞるなら、そっちに現れた蛇はリヴァイアサン、敵対するお前は」
「……バハームト、ってか?」
「そんな、馬鹿な話が……」
一瞬脳裏に浮かびかけた事を周りに言われ、軽く頭痛を感じたギレルノは頭を振る。
ギレルノも、その存在が御伽噺の中に現れるのは知っていた。
〈疾風の盗賊〉と謳われた青年の姿で世界を渡り歩き、空・海と対となる大地を見守っていた神の存在。
「我々人間を何処かで見ておられる」と、至る所で信奉されているが、その性格には問題があったと聞く。
しかし、まさか現実にいるのだとは露にも思えず、否定しかけたギレルノ。
言葉を止めてしまったのは、思い出したからだ。
あの御伽噺が、遠い昔に実際にあった話だという事を。
その証拠に、今大陸の大地に碑が、この遺跡が現存しているのだから。
「……事実、なのか」
「お前に答える義務も、権利もねぇな」
「……」
ギレルノは何となく、ホルセルが自分を嫌っていた理由を悟った。
自分が、自らを殺めかけた敵リヴァイアサンを宿している事に、彼は本能か何かで――ひょっとしたら、それは『バハームト』の影響で気が付いていたのかもしれない。
が、そう理解しても、現実には有り得ない事は信じられないのが人間というもの。
再びホルセルを睨み付け、立ち上がる。
「……だとすれば、お前が俺を狙うのは、リヴァイアサンに復讐をする為か」
「さぁな。つか、」
「お前のお遊戯なんかに付き合う暇はないんだ。本物なら――」
「……あー、お前邪魔!」
突然、ホルセルは尚も問い詰めようとするギレルノに向かって大剣を振り上げた。遠目に見ていたユキナ達も声を上げるが、その視線は別の方を見ている。
咄嗟の判断でギレルノは避け切り、その背後でぐちゃり、と何かが潰れた音が響く。
恐る恐る背後を振り向けば、正に今、ギレルノを――己を召喚した主人を喰い殺そうとしたリヴァイアサンのひとつの頭部の左目が、大剣に潰されていた。
己の背後に迫っていたリヴァイアサンの頭に、ギレルノは気が付いていなかった。もしあのまま立ち尽くしていたら、今頃はあの魔物の腹の中だ。
リヴァイアサンは、胴体から伝わる痛みからか、一際高く咆哮する。
暴走、しているのだ。
ドク、ン。
また、一際大きく心臓が啼いた。
動悸が激しい中、ギレルノは必死でリヴァイアサンを制御しようとするが、自らの命令は悉く跳ね返される。
「……!? コントロールが、効かない……!」
「何だって!?」
リヴァイアサンは再び咆哮し、腔内に力を溜める。その視線が睨む先は、ホルセル。
召喚獣が、主人の命令無しに動く事は皆無に等しい。但し、それが神クラスに当てはまるのかと問われれば、話は別だ。
ギレルノも送還しようとするのだが、此方の命令を全く受けようとしない相手に流石に戸惑いの色を見せた。
「送還も、無理だ」
「流石はカミサマ、ってとこか……!」
「違うな」
セレウグが舌打ちしながら口にするが、ホルセルは何処か馬鹿にした様子で首を振る。
ユキナとリルは、何が起こったのかまだ分かっていないようで、後ろの方でガタガタと震えていた。
「そんだけじゃねーよ。……月の力を吸い過ぎた上に、自分を殺した俺がいるから、我を失ってんだろ」
その台詞は、暗にホルセルの中にいる彼がバハームトだと認めているも同然だったが、セレウグは敢えて訊かなかった。
代わりに、今引っかかった疑問を問い掛ける。
「吸い過ぎた?」
「気付いてねーのか? この遺跡、さっきから月の力が濃いんだよ。人間や魔物は、元から月の力を包容する力は持っている。だが、……後から詳しく話してやるよ、俺の気が向いたらだけど」
そして直ぐに屈み、大きく跳躍してその場を離れる。
一瞬後に、その場をリヴァイアサンの尾が叩きつけられ、がごぉ、と音が鳴った。
慌ててセレウグ達も避けたが、細かい石礫が飛んでくる。
その衝撃か――天井を支えていた柱が崩れ、重要文化財である神殿は崩壊し始める。
「あいつ、全部破壊する気なんじゃねーのか!?」
「かもな」
「そんな落ち着いてないで! どうすれば良いんだよ、遺跡壊れたらやべーし幾ら何でも神様相手に勝てる訳ねーぞ!」
「別に、勝つ必要はねーよ。……おい、女子供は邪魔だ、退がっとけ」
しっしっ、とまるで犬か猫を追っ払うような仕草で、ホルセルがユキナ達を後退させる。この仕草も、何時もの彼なら絶対にしないであろう行動だ。彼は、無類の動物好きなのだから。
「要は、暴れさせて月の力を減らせば大人しくなる。……俺がその後代われば、暫くは大人しくなるだろ。〈遺産 エレンシア〉の循環機能もあるんだからな。お前も召喚術使えよ」
「〈遺産 エレンシア〉……?」
「気が付かないと思ったか? それは、俺達の方が関わりが深いからな」
ギレルノは、相手が言った意味が分からず聞き返したのだが、彼は自分の持っている本に視線を向けただけで、その続きを言う事はなかった。
■ ■ ■
「――っ、ん……?」
目を開けると、そこには見知らぬ誰かがいた。
身体を起き上がらせ、痛む首を出来る限り動かし見渡せば、そこは然程広くない神殿の部屋のようだ。
そして、見知らぬ誰かの直ぐ隣には、ずっと捜して旅をしていたレッドンが倒れている。
「れ……レッドン? どうしたんですか!?」
「お、目を覚ましたか。だけど残念、王子様は暫く起きないよ~。リレスちゃん」
それがあまりにも生きているようには見えず、リレスは慌てて声をかける。同時に手を伸ばそうとしたが、後ろ手に縛られているようで動かせない。
そして、返答はレッドンからではなく、目の前にいる男からだった。
濃い茶髪をオールバックにした男は、髪は全体的に少し長めであるが、邪魔にならないよう項で一つに結っている。
年齢は、叔父位だろうか? リレスやレッドンよりも余裕で背が高く、顔付きも大人のものだ。
細いレンズのサングラスの位置を人差し指で調整しながら、こちらに振り向く。
纏っている衣類は黒なのか、闇に溶け込んでいてあまり分からない。
だがリレスはそれを無視して、レッドンの様子を探ろうとする。暗いので、全く分からない。
その様子に気が付いた男は、地に臥せるレッドンを見下すように一瞥し、口を開く。
「あぁ、無理無理。そいつ、洗脳されてる上に強化魔法もかけてるしね。今はその影響で寝てるだけだから、心配しなくて良いよ」
「……せん、のう?」
男の言葉が信じられず、復唱する。
その言葉の意味が分からない程馬鹿ではないが、もしそれが本当であるなら、何らかの治癒魔法で解除出来るかもしれない。
そう思い自らの武器を探すが、残念ながら杖は男がかけている瓦礫の側に転がっていた。とてもじゃないが、手が縛られている今の状態では取り戻す事は出来ない。
「あ、貴方は誰なんですか! こんな事をして、沢山の人を傷付けて、許されると思っているんですか!?」
「ははー、心外だなぁー。別に、許して貰うつもりもないからね」
男は立ち上がると、彼女の側に歩み寄る。リレスは思わず逃げ出そうとするが、相手の表情とは真逆の殺気に気圧され、足がすくんで動けない。
「因みに、私はヴォスだ。頭の片隅にでも留めておいてくれたら嬉しいな、リレスちゃん?」
「誰が、貴方なんて!」
「おやおや……おっとりした温厚な娘だと思っていたら、意外と気が強い所もあるみたいだね。しかし、忘れてないかな?」
ヴォスと名乗った男は、動けない彼女の顎を簡単に手に取り、嫌な笑みを浮かべる。
背筋に悪寒を感じたリレスは、それを見た瞬間察した。
――この男に、逆らってはいけないと。
感じ取った狂気と恐怖に、最後の気力で抵抗しようとしていた腕が動かなくなる。
「君は今、身動きが取れない。そんな時に私を挑発するなど、自殺行為と思わんか?」
「……は、放し……」
「君を気絶させたのが、そこで眠る彼だと知ってもそう言えるのか?」
「え……」
リレスは、言葉を無くして呆然とした。
確かに、意識を失う前に誰かに頭部、というより首の後ろを殴られた覚えはある。が、信じられない――いや、信じたくはない。
「……そんな……」
「信じられないねー。愛する娘を殴ったりして、ホント酷い少年だなー」
実際には洗脳されていた為、レッドン個人の意思と言う訳ではないのだが――ショックと恐怖で錯乱状態に陥りかけているリレスにはそこまで考えが回らず、かと言ってヴォスも訂正する気は更々なかった。
訂正をしてショックから立ち直られると、彼もやりにくくなるので当然の事だろうが。
「さーて、絶望した所で、おにーさんが慰めてあげようかな? ふふ……久々に、若い娘の唇を貪るのも良いかもね」
「いやっ……!」
必死に嫌がるものの、恐怖に支配された身体では顔を背ける位の抵抗しか出来ず、意味がない。男の力に、女が敵う筈がないのだ。
リレスは双眸を見開き怯えながら、必死に大切な友人達の名を叫ぶ。口は動かせないので、心の奥で。
「(アーク……、サエリ……! 助けて……!)」
「(レッドン……!!)」
――ザンッ!
「……な……」
「……え?」
何かを、刺した音。
ヴォスの手が自分から離れた事に驚き、リレスが恐る恐る目を開ける。
彼は、背後の暗闇を睨み付けたまま左腕を庇って後退る。左腕は、赤く染まっていた。
そして、彼の目線をきちんと追えば、暗闇の中に人影が浮かんでいた。
「……リレスに、何をする」
ドスの聞いた低音で、ヴォスに向かって呟くように口を開いたのは、苦しげに呼吸をするレッドンその人だった。右手には長い棒に刃が付けられた武器――槍が握られている。
刃から、ヴォスの血が滴り落ちた。
「れ、レッドン!?」
「……だい、じょうぶ……、? リレ、ス……っぐぅっ!」
「レッドン!」
「洗の……影響、心ぱ……ないで……」
カラン、と手から離れた槍は音を立て、遺跡中に谺する。
頭痛がするのか、苦し気に悶えるレッドンに、リレスは既に泣きそうな表情になっていた。
そんな彼女に覚束ない足取りで近寄り、頭に手を当てレッドンは僅かに笑みを溢す。無理矢理作っているのだろう、歪な微笑みだったが、リレスを安心させるには十分な力を持っていた。
レッドンは、自身の槍の刃で彼女の腕の縄を千切る。
「馬鹿な……キセラの洗脳を自分で解いただと……!?」
ヴォスが驚愕の表情で二人を見やり、叫んだ。
彼の様子を見るに、レッドンにかけられていた魔法は強力なもので、絶対的な自信があったのだと察する事が出来る。
――それを、自力で打ち砕いたと言うのか。
確かに、それならレッドンが頭痛で苦しむのも分かる。正規の解除方法で解いた訳ではないのだ、それなりの代償、或いは作用があるだろう。
しかし、そんな事が可能なのだろうか……?
リレスは、再び自らの呪杖の位置を確認した。
先程までヴォスの近くにあったので手は出せなかったが、今なら取り返せる。相手は腕の痛みからか、レッドンだけを凝視しているから。
そう判断した瞬間、体は勝手に動いていた。
手負いのヴォスが満足に動けないのを利用し、隙を見て呪杖が落ちている位置まで駆ける。
サエリや他の皆が見れば、何時ものリレスからは想像しにくい行動に驚くだろう。
銀で造られた呪杖を手に取り、ずっしりとした現実感のある重みに安堵しながら構える。
「穢れ無き白に生えし金色の翼、天より浄化の慈悲を与え給え! ――〈サテライトレイ〉!」
言葉を紡ぎ終えると、リレスを中心に光の波が起こり、何もない空間から黄金の宝石が現れる。
そして、それから金色の翼が生え、中心からヴォスに向かって真っ直ぐな光線が放たれた。
「レッドン、歩けますか!?」
「……君は、相変わらず、無茶をする……」
「……っ!!」
チリ、と頬を焦がす音が直ぐ側でしたが、ヴォスは何とか避ける。
しかし光線は追尾型らしく、彼の避けた先まで追いかけて来た。
リレスは自らの肩にレッドンの腕を回し、支えるようにしてこの隙に逃走を図る。男の面目丸潰れではあるが、残念ながらレッドンの体力はかなり消耗していた為、彼女の力を借りなければマトモに歩く事も出来なかった。リレスが治癒魔法を使えば良いのだが、それをやっていればヴォスにまた捕まってしまう。
「糞が……っ!」
しかし、ヴォスが罵声を吐きながら取り出したのは、長い柄についた小柄な斧の刃と、その反対側に小さな刃がついた武器だ。
更に柄の先にも刃がつけられている所を見ると、あれが斧槍[ハルバード]と呼ばれる武器である事は間違いない。
身に纏う黒衣が、風に煽られ揺れる。
「〈襲重撃〉!」
素早く光線の発信源――黄金の宝石に近寄ると、斧槍を降り下ろして真っ二つにしてしまった。宝石は、現れた時と同じように空気に溶け込んでしまう。
「ちっ……逃がすかよ!」
ヴォスは悪態を吐き、逃げたリレス達を追う。
男を抱えて逃げているのだ、そう簡単に逃げ切れる筈がない。
「……リレス」
「何ですかっ! 置いていって、て言うのはなしですよっ!」
遺跡侵入の際に全力で走ったリレスの体力は限界に近かったが、それより今は敵からの逃走が最優先だ。こんな状態のレッドンと術師の自分では、パワーのある斧槍に敵う筈がない。
そんな時に、レッドンは口を開いた。
「次、右……」
「え?」
「神殿の、奥に行ける……。逃げても、また次、の奴が、来る」
「……それ位なら、奥に行こうという事ですか?」
リレスの問い掛けに、僅かながら頷いたレッドン。
確かに、奥になら何かがありそうではあるし、他の誰かが辿り着いているかもしれない。その誰かと協力して、あの男を倒す以外に方法はなさそうだ。――絶望的な賭けには違いないが。
だが、リレスは迷わなかった。
「……分かりました!」
言われた通りに横道に逸れ、神殿跡の奥を目指して挫けそうな足を奮い立たせた。
■ ■ ■
所変わり、セレウグ達はと言うと。
「――相変わらず、馬鹿みてーに尻尾振りやがってよ!」
ホルセル(仮)は軽口を叩きながら大剣を振り下ろし、固い筈のリヴァイアサンの鱗を削った。
鱗に覆われている比較的柔らかい皮膚までもを裂き、そこからはきな臭い臭いが漂う。
だが、元々厚い皮膚を持つ相手だ、それが致命傷になる事はない。
「大丈夫なのかよ、そんな攻撃して……」
「馬鹿野郎、攻撃させなきゃ技使わねーだろ」
そう突っ込むセレウグはというと、流石にガントレット――人間の力では神の皮膚には適わないと察したのか、やたらと目やその周囲といった柔らかい場所を狙って攻撃を続けていた。
再び左手にスティレットを数本構え、右手に大剣を携えたまま、ホルセル(仮)がリヴァイアサンと対峙する。
「……う……っ、」
ギレルノは、尚も止まない動悸を押さえ付け召喚術を使っていたが、とうとう限界が来た。元々そんなに日焼けしていない肌は、既に蒼白だ。
ザッ、と地面に膝を付き、項垂れる。
オオオン、とリヴァイアサンが啼いた。その声は呼び出した本人と同じで、とても苦しそうに感じる。
しかし、それを聞いたホルセル(仮)は、今までとは違う焦ったような声を上げ言った。
「ちっ……お前、逃げろ!」
「へ?」
「馬鹿デカイ水流起こすつもりだ! オメーみたいなちっせー人間、巻き込まれたらひとたまりも――」
だが、その言葉が終わる前に、リヴァイアサンの周囲に具現した水流が現れた。それはクロスの〈スプラッシュ〉等比べ物にならない、正に荒れ狂う海の怒り。
神殿跡の壁に叩き付けられた水が、壁を抉りながら彼らへ向かう。
あまりに咄嗟の事で、周りに掴めるものもないセレウグとホルセルは流れに呑まれる。
リヴァイアサンの召喚者であるギレルノの周囲には、まるでそこだけが切り取られたかのように、水流が避けていた。
「うわああああぁ!!?」
「ちっ……!!」
身体がいとも簡単に流される感覚に舌打ちをし、だが同時に、確信も抱いた。
これだけ強力な魔法を使ったのだ、月の力は既定値――生物に影響を与えない数値まで下がるだろう。
力を失ったリヴァイアサンは形を保てなくなり、姿を消す。
それならば、流される価値もあるというものだ。
そう判断すると、抗う事なく流れに身を任せ、意識を飛ばした。
■ ■ ■
その数分前――。
目の前で始まった、神と人間の戦い。
その異質な光景に、ユキナは側にいるリルの小さな身体をきつく抱き締める。
「(も……もう、何なの!? 何でこんな……っ!?)」
元々良く働く方でないユキナの頭は、次々に襲いかかる自らの危険にショートを起こしかけている。それは、リルも同じ。
そんな二人の背後は、薄暗い廊下へ繋がる入口。
そこから黒い手が伸び、ユキナの口を塞ぐ。
「っ!?」
突然の事にパニックに陥ったユキナは声を上げかけたが、口を塞がれている為戦っているセレウグ達に聞こえる事はない。
どうにか手を振り外そうと暴れるユキナ。
もう、あんな人達の元へなんか帰りたくはない!
だが、
「暴れないで! バレちゃうでしょ!」
頭上から降ってきた聞き覚えのある声に、思わず暴れるのを止める。
「……え?」
そして、ユキナとリルは、三人に気付かれる事なくその場からいなくなっていた。
暴龍の起こした荒れ狂う水流は誰もいない空間を呑み込み、直ぐに消える。