第33話 覚醒

現実は、何と脆く儚く、残酷なのか。

「うっそーん……」

クーザンが敵の罠にはまって離脱したホルセル達のグループは、先を急いでいた。

勿論、こんな敵が何処に潜んでいるのか分からない場所で、クーザンが孤立しているのを案じての事である。
居場所が分からない以上、先に進む以外道はなかった。過ぎた事を悔いても、過去が修正される事はない。

しかし、またしても一同の眼前には魔物が立ちはだかる。
鳥獣類や鎌鼬、レッドキャップと種類は様々。これで、3度目だ。
倒すのに苦労しない強さではあるが、これが繰り返されるとキツい。
だからと言って――この場所には、神隠し事件の犯人と思われる一味が潜んでいるかもしれないのだ。一々全力でこれらを撃破していては、いざという時に役に立たなくなる可能性もあった。

リルがバトンを持った両手を突き出し、詠唱を開始する。

「えーと、悪い子は燃えちゃうあっつい牢屋に閉じ込められちゃえ! 《インテンスヒート》!」

まるで踊っているような可愛らしい動きと詠唱だが、繰り出した魔法は凄まじい。
炎で象られた頑丈な檻に閉じ込められ、内部の尋常でない暑さに魔物は次々と絶命していく。果敢に檻を喰い千切ろうとしたウルフも、太陽に近付いたかのように呆気なく燃え尽きる。

サエリが抜けた事で魔法要員が欠けたと思われたが、リルの活躍により敵は一掃された。魔法の威力から、魔力を持たない(と自称する)ホルセルの妹とは思えない、素質の持ち主だと察する事が出来る。

「すごーい!」
「リル、さっすが!」
「えへへ」

セレウグが若干引き吊った笑みで魔物のいた方を見やり、ぽつりと呟いた言葉が、冒頭の一言である。
ホルセルは、リルとハイタッチを交わしていた。
ユキナも釣られて、ホルセルの次に同じ事をやっている。こうやって見ていると、彼女の髪の色素が薄いのもあってか、微笑ましい仲の良い姉妹に見えた。

と、ホルセルはそれらから目を逸らし、セレウグへ歩み寄る。
集団行動している時は大抵がクーザンかクロスの近くにいるので、この行動は彼にしては珍しい。

「セーレさん」
「ん?」
「あの……すみません、でした」
「は?」

セレウグは、ホルセルの突然の謝罪に呆気に取られたが、律義にも頭を九十度に下げた彼を慌てて起こす。

「い、一体何の事だ?」
「クロスのせい……いや、オレらのせいで予定を崩されたばかりか、クーザンを……」

ああ、成程。

つまり彼は、自分や身内がやった事で予定していた戦力を半減させ、且つセレウグの弟分であるクーザンを危険に遭わせる原因を作った事を謝罪したいのだろう。

「(気を使わせた、か)」

「気にするなよ、クーザンはあれで凹むような奴じゃないし、ましてやそこらの雑魚相手に倒れやしないさ」
「……でも、」
「ホルセル、クーザンに『友達』って言ってくれたんだって?」
「!」

話を逸らしたように感じたかもしれないが、セレウグは敢えてそう訊き返す。
ゼイルシティで記憶が戻りクーザンと話していた時、彼はその事を聞いていた。

――『俺とホルセルは、友達だってさ』

そう言って、少し恥ずかしげに心からの笑顔を浮かべたクーザンを見たのは、本当に久し振りだった。
初めて会ったリカーンで、ホルセルは確かに言っている。それは本心だったし、今も変わらない。

しかしクーザンがまさか、そんな話をしていたなんて。

「ならさ、友達を……クーザンを信じてやってくれよ。心配すんのは分かる、だけど今は、心配したってどうしようもないだろ?」
「…………」
「心配されるより、信じてくれている方が、心強いぜ?」
「……分かり、ました」

まだ納得はいっていないようだったが、取り敢えず了承を得たのでセレウグは前を見やる。

前方には、会話に入り辛いのかギレルノが先に行っていたはずだ。
後衛タイプではあるが、こういった行動は何故か率先して行ってくれる。

「…………」
「どうした? ――!」

しかし彼は、厳しい表情で先を見ていた。
それに気が付いたセレウグが声をかけるが、彼は黙ったまま片手で制す。

視線を追えば、その先には自然とは思えない竜巻が起こっていた。――いや、間違いなく自然なものではなく、新たな魔物が現れようとしているのだ。

風の中から現れたのは、風の衣を身に纏い、くすくすと妖艶に微笑む美女のフリをした精霊――シルフィ。

「……この気配……」

「(同じだ、あの時のものと)」

ギレルノは、つい数日前の事件を思い出した。

ピォウドのドームに侵入する際、何者かに張られていた結界の気配を。
あれと、今目の前を漂うシルフィの気配はそっくり、というより同じだった。
と、言う事は。

一方、セレウグも警戒心を露にしながら周囲を見渡す。
しかしながら、それは得体のしれないものをがむしゃらに探すと言うよりは、目的のものを探しているといった感じだ。

やがて、見つからなかったのか舌打ちをし、口を開く。

「レムレスか。隠れてないで出てこいよ!」
「五月蝿いなぁ……」

セレウグの誰何に応えた声は、廊下と言える通路の壁際――ガラスなど嵌められていない、石の窓枠に座っていた。さっきはいなかったはずだが、一体何時の間に現れたのか。

「僕眠いからさ、黙っててくれないかな? 《異眼の拳王》セレウグ。それに、今名前それじゃないし?」
「っ!? ざ……」
「あっ……!」
「やはり貴様か……」

ギレルノは予想通りの相手に警戒を強めるが、逆にセレウグは目を見張る。
ユキナも、本人が現れてから漸くこの事を伝えていなかった事に気が付いた。クーザンと再会し、直ぐに別離するという状況のせいで、忘れていたともいう。何ともばつの悪い表情を浮かべながら、セレウグ達のように彼女を睨み付けた。

現れたのは、緑色の美しい髪と瞳を持った女性――リスカだ。
ピォウドの時とは違い、顔や身体にマントは被っていない。
その為、艶かしい肢体を惜し気もなくさらけ出す服装なのだが――本人はそれにも関わらず膝を立てて腰掛け、剣呑な光を帯びながら一同を睨んだ。

「やぁ、成り上がり召喚師。久し振り。シルフィ、ちゃんと挨拶した?」
「ふざけてるのか? 挨拶など」
『きゃはははっ』
「げっ!」
「きゃあああぁ!」

相手に向けて本を突き出したギレルノが言葉を一蹴しかけたが、それが叶う事はなかった。

シルフィが一際高く啼くと、足下の砂が風に舞い、彼女を中心としてつむじ風が巻き起こる。
ホルセルがリルを庇いながら悲鳴を上げ、ユキナはセレウグが風から守るようにして、支えてやっていた。
風で舞い上がり鋭利な刃となった礫が、セレウグの左目周辺に巻かれている包帯を斬り落とす。

「《漏斗辻風[ロウトジンプウ]》。普通の挨拶じゃつまらないでしょ?」
「ちっ……」

「レムレスだなんて随分前の名前、まだ覚えてたなんてね? でも、それはもう終わり。丁度、新しいのを捜してたし、リスカになったんだよ」
「てめぇ……っ、ふざけんな! ザナリアを解放しやがれ!!!」
「それは出来ない相談だねぇ。だって、これ結構気に入ってるんだー。召喚術だって調子良いし」

何とか体勢を整えたセレウグが、普段の温厚篤実な態度からはとても想像つかないような、怒りを露にした様子で叫ぶ。
が、くるっと踊るように回るリスカは、そんなものは知らないと言うかのように心底楽しそうだ。
シルフィは彼女と共に宙に漂うと、ぽんっ、と消える。

ホルセルが、正面の女性から目を離さないまま激昂する彼に、おずおずと問いかけた。

「セーレさん、あの人……」
「……『ザナリーリウム=アヴォーリオ=ブレイヴ』。オレ達の仲間で、《豪力の巨剣》と謳われた豪剣士だ……」

セレウグは、呆然としたままホルセルの問いに応えた。
そう、彼女は――。

しかし、そんな彼の肩を――身長が足りないので腕を掴み、ホルセルが必死に首を振る。

ちがう。

聞き取り難かったが、彼の口は確かにそう言った。

「そうじゃなくて……あの人がザナリアさんなら、クーザンの姉さんでもあるって事なのか?」
「! お前……知ってたのか!?」

クーザンやセレウグが彼女の名を呟く時は、必要以上に周囲に気を配っていたつもりだった。有名人である彼女が兄弟だと知れば、連鎖的に家族関係でさえ知られてしまう。
故に、まさか聞かれていたとは思っていなかった。セレウグは己の早とちりに頭を抱え、彼女の名前を明かした事を早くも後悔する。

そして、そんなセレウグを他所にホルセルは、当然その先にある真実まで到達した。
クーザンの姉の苗字は、あの英雄と同じ物。彼女とグローリーは、人柄的には信じられないが、実の親子だと聞いている。

と言う事は、

「じゃあ……クーザンの父さんって!」
「ジング! 今はそんな事に気を取られている場合じゃない!」

更に問い詰めようとしたホルセルに、ギレルノの厳しい檄が飛んだ。
それにはっとし見回せば、周囲にはさっきからずっと倒してきたゴーレムが各々の武器を構えている。
今にも、飛びかかって来そうだ。

「お前! この大量のゴーレムは、あの女の力で間違いないのか?」
「……。いや、ここに現れてるのは、あいつの力にリンクしているゴーレム達だ。一応あいつを倒せば、この一帯にいるこいつらは消える……はず、だ」
「そうか、なら潰す」

セレウグに向けて発したギレルノの問いに、問われた本人は何とか頷いた。だが「倒す」という言葉辺りから、複雑な表情を浮かべる。

そしてゴーレムの電源とも言うべき女性は、先程と同じ場所で、まるで自分達を観察するように見ていた。

「…………」

そうだ。
詮索は、戦い終わって安全を確保してからでも、遅くはないじゃないか――!

ホルセルは背中の鞘から大剣を抜き、敵を見据えながら構える。
セレウグも未だ戸惑いを見せているが、両方のグローブを握り直した。例えリスカがザナリアだとしても、今は彼らの仲間ではない――頭では、分かっているのだが。

ユキナとリルだけが、不安そうにその状況を見つめている。

「取り敢えず、そこの兎だけでも返して貰おうかな。――契約者の誓いの許に、リスカ=キャロラインが命じます。《風天月下》!」
「コール、ユニコーン!」

魔物を使役する者が同時に詠唱を始め、僅かにギレルノの方に現れる召喚獣の方が早かった。

一角獣の白馬は敵を認めると、真っ直ぐに突っ込んでいく。
しかし、直ぐに行く手は阻まれた。

リスカが召喚したのは、猛々しい毛並みを逆立てさせた――俊足の足を持つ狼、フェンリルだ。ウルフより一回りも二回りも大きいその体を、低い体勢に保つ。

そして直ぐに、フェンリルはユニコーンの喉笛に噛み付こうと襲いかかるが、その鋭い牙は宙を噛む。
ユニコーンが、突進するのを止め後退したのだ。

額に生える角が、僅かに発光する。

「唸れ聖光、《セイクリッドアーツ》!!」
「わっ、と」
「ちっ……」

ユニコーンの光の矢はフェンリルにも、リスカにも当たる事なく、床に当たって霧散した。

「っと、危ね!」
「! ……助かった」

突然現れたゴーレムに反応し切れなかったギレルノを、セレウグのグローブが刃から守る。
短く礼を言えば、また彼はフェンリルとユニコーンの戦いに目を凝らした。

「リルを苛める子は、絶対れーどの吹雪に凍えちゃえ!! 《フロストブリザード》!」

くるくるっ、とバトンを器用に回し、再び両手を敵に向けて伸ばすリル。
現れたのは、先程の炎の檻ではなく吹き荒ぶ吹雪だ。

痛い位の落下速度で氷の礫が、ゴーレムやフェンリルに襲いかかる。
先程の《インテンスヒート》といい、やはり詠唱のノリと威力が比例していない。とは言え、弱冠十二歳の少女に長々と属性の詠唱をさせるというのも無理な話だが。

「!」
「観念しろよ!」

吹雪から目を守ろうと腕を上げたリスカに、セレウグがストレートを繰り出そうと右腕を上げ――。
「セーレ、痛いよ……っ!」
「!!!」
「なんてね?」

リスカはわざと何もせず、今彼にとって一番効果的な手段で攻撃を回避した。

一瞬怯んだセレウグの胸ぐらを掴み、遠心力を利用して勢い良く地面に叩き付ける。
そして、放り出された腕をヒールで踏みつけた。骨にまで響くような激痛が、セレウグを襲う。

「がっ……!」
「セーレ兄!」
「残念でした。あっさり引っ掛かったね」
「~っ……!」

ギリ、と歯を食い縛らせたのは、決して痛みに耐えるからのみではない。
その片方の瞳には、悔しさと苦悶の色が見え隠れしているのが、痛い程分かった。

「無理よ……セーレ兄がザナ姉を攻撃出来る筈がないもの……」
「え?」

ユキナの呟きに、ホルセルが訊き返す。
彼女は目の前の光景に、また泣きそうな表情を貼り付かせていた。

「セーレ兄にとってザナ姉は……大切な女[ひと]だもん……」
「ユキナ……」
「それなのに、何で……なんで、酷いよ……!」
「…………」

ぽろ、ぽろぽろっ、と再び目蓋から涙を流すユキナ。
学校で平和に暮らしていたままだったら、決して知る事はなかった現実。
国の外に出る時、好奇心がなかった訳ではない。
沢山、沢山の事を知れると喜びもあった。

なのに、これは――現実は、残酷過ぎた。

身体の芯から溢れ出る涙を、押さえ切れない。
と、今まで黙っていたギレルノが、リスカに視線を向けたまま口を開いた。

「現実から目を背けるな……。ここは、お前のいた学校じゃない。戦場だ」
「――お前な! そんなキツく……」
「学校では、他人に決められた事だけしか出来ない。だが、戦場なら、お前にも出来る事が沢山ある筈だ。嘆く暇があるなら動け。それが、お前の可能性に繋がる」
「!」
「諦めるな。最後まで」

彼の身も蓋もない言い方にホルセルが声を上げたが、ギレルノは最後まで言葉を紡いだ。

そう、ここは戦場。
守ってくれる大人はいない。
行動を促してくれる大人もいない。
自分で、自分の身を守り、戦うしかないのだ。

しかし、それは同時に『自由』を、『無限の可能性』を意味する。
自らの行動一つが悪い方へ作用する事があるなら、逆に良い方へ作用する事もあるのだ。

まだ、諦めるには早過ぎる。

これは、性格のせいで人を傷付けるような言い方しか出来ないギレルノなりの、励ましの言葉だった。

「可能性がないなら――作れば良い! ユニコーン!」
「――!」

フェンリルと対峙していた白馬は、契約者のギレルノの声に応えた。
再び角に力を集め、今度は寸分違わずリスカに向かって照射する。
音速の速さで突き進む光は、人間には避け難い。
光が、視界全てを支配した。

――パシュン!
光が止むと、リスカはセレウグの手を踏みつけた恰好のまま立っていた。
先程と違うのは、彼女の表情から笑みが消え、まるで傀儡人形のように佇んでいる事だろうか。

「避けられた!? どうやって……」
「……いや、」

ホルセルの声に、ギレルノが微笑を浮かべ否定する。

「成功だ」
「……やれやれ、こっちが目的か」
「あ……狼がいない?」

はぁ、と溜息を吐いて、リスカがギレルノを睨み付ける。
キョロキョロと辺りを見渡したユキナは、先程まで警戒心モロ出しだったフェンリルがいなくなっている事に気が付いた。

「召喚師本体を攻撃されそうになった時、召喚獣は殆ど無意識に本体を守ろうとする。攻撃が当たったのはフェンリルだ」
「フェンリルを使って攻撃を凌いだのか……」

ギレルノは、最初からリスカに攻撃を当てようとは思っていなかった。
彼女を守ろうとするフェンリルを戦闘不能にさせ、送還させようとしたのだ。

結果フェンリルは消滅し、リスカには召喚した際の疲労感が残るのみとなった。

ユニコーンがギレルノの傍らに戻り、主の敵を見る。
突き付けられた本を一瞥し、次のユニコーンの攻撃は避けられないだろう、と悟った。

「次は召喚獣がいないから、身を守るものがない。降伏しろ」
「……そうだね、降伏……」

リスカはもう一度深く溜息を吐くと、呟き。

そして、ニヤリ、と笑った。

「――すると、思って?」
『おおおおぉん!』
「!? ユニコーン!?」

突然、自らの側にいたユニコーンが苦渋の表情で戦慄き、倒れる。

ギレルノは、見た。
その向こうに、今まで消えていたシルフィが現れにっこり笑ったのを。

「油断したね……?」
「送還していた訳じゃなかったのか……!」
「誰も送還したとは言っていないし、簡単に送還したら面白くないじゃない。それに……準備も整ったみたいだし」

リスカがちら、と明後日の方を見やる。
ホルセル達からはそう見えたのだが、実際彼女がクーザンとサンがいる広間の方を見ているとは、誰も分からないだろう。

「準備……?」

セレウグの呟きに応える事はせず、リスカはただ微笑んだ。彼らには、それはどうしても悪魔の微笑みに見えて仕方なかった。

――瞬間。

「――っ!?」
「あ゛っ……!?」
「え?」
「兄貴っ!?」

ギレルノが、突然胸を押さえながら膝を付いた。
さっきまで無表情を貼り付かせていた顔には冷や汗を流し、呼吸も荒くなっている。

そして、それとほぼ同時に、ホルセルも体をふらつかせていた。
白髪を掻き毟るように押さえキツく目を閉じている所を見ると、頭痛か何かに苛まれているのだろう。
リルが悲鳴に近い声を上げ、彼に近付く。
そんな中、ユキナだけが別の方を向いた。

「……クーザン?」
「ホルセル、ギレルノ!?」
「あ~あ。殺っちゃったのかぁ、結局」
「レムレス……テメェっ、何をした!?」
「僕じゃないし。それに、『レムレス』じゃないってばー」

まるでシルフィのように(恐らくはシルフィの方が彼女の真似をしているのだろう)くすくすと笑うリスカに、セレウグが詰問する。が、彼女は問いには応えないまま。
何とか足を退かそうと尽力したのだが、思いの他彼女の力が強く振り払う事は不可能だった。

「(おかしい……っ、召喚の反動は、こんなに酷くはなかった筈……!)」

周囲で自分らを狙う視線を感じるというのに、ギレルノは立ち上がる事さえ出来ない。
動悸を収めようとゆっくり息を吸おうと試みるが、逆に過呼吸になりかけたので止めた。
そうしている間にも、痛みは徐々に激しくなる。

その症状は――前に、クーザンを襲った発作にも似ていた。

「――あ……」
「リルちゃん?」

リルが、心配して駆け寄った筈のホルセルから二、三歩離れる。
ユキナにぶつかり、何かから逃れるように彼女の腰にしがみついた。
恐怖で空色の瞳は見開かれ、それは自身の兄に向かっている。
ガタガタと体を震わせる小さな少女は、言った。

「――やだ……、兄貴じゃ、ない……っ!」

直後、ホルセルは苦しんでいたのが嘘のように地面を勢い良く蹴り、リスカに向かって駆け出す。

「!」

いち早く察した彼女は側にいたゴーレム二体に指示を出し、襲ってきたホルセルを迎え討つ。

が、彼は懐から取り出した十字架のような小さなナイフ――スティレット、という武器だ――を相手の眉間に投げ付ける。
スティレットは見事に命中し、ゴーレムの頭蓋を砕き再起不能にさせた。

ホルセルは、序でと言ったようにゴーレムを踏みつけて更に加速する。
そして、彼女と擦れ違うように、今度は大剣を振るった。

「なっ……!?」

数秒遅れて、リスカの横腹から血が滲み、衣服に染み込み始めた。
驚愕に足の力が弱まり、チャンスと取ったセレウグは素早く立ち上がって彼女を押さえようと動く。
しかし、手に持っていた鞭で彼を打ち怯んだ隙に、彼女は最初に座っていた位置まで下がった。
先程迄の余裕は、最早ない。

「話が違う……」
「何?」
「話が違うからって、俺のせいにすんな。糞が」

頭痛に魘されていた筈のホルセルがそう口にし、顔を上げた。言葉が、普段よりも投げやりで粗暴なのは何故なのか。
何時もの無邪気で、快活な表情はそこにはない。

あるのはただ、狂気に歪んだ喜びと――深海の色をした瞳だけ、だ。
この場にクーザンがいれば彼らにも事情が分かったのだが、生憎彼は今離脱している。

「悪かったなぁ? あの位の力じゃ死なねーよ。ははっ、馬鹿みてぇ」
「……」
「ま、並外れて許容力がデカい奴があんだけ苦しんでんだから、余程濃密な力なんだろうが」

最初の言葉は恐らくセレウグ達に向けられたのだろう、ホルセルは苦しむギレルノを文字通り一瞥する。
直ぐに向き直ると、醜悪な笑みを浮かべ問い掛けた。

「テメェら……こんな力持ち出して、一体何するつもりだ?」
「さぁ?」
「……気に入らねーな、アンタ。セクウィ並に」
「光栄だね。貴方に気に入られようなんて、思ってないよ」
「あっ、そ!」
が、それよりも先に、

「本日の天気は霰よりも痛くて冷たい、刃の大雨だぜ――〈氷柱雨〉」
「なっ!?」
「!?」

のんびりとした調子で紡がれた台詞に呼応するように、リスカの周囲に氷柱が出現する。
それに驚いたのは、セレウグとリスカだけだ。

「あばよっ!」

ホルセルが親指を下に向けると、それらが一斉に中心[リスカ]目掛けて落ちる

ズガガッ!

「きゃああぁっ」
「――ザナリア!?」

音が響いて砂埃が巻き上がり、ユキナは悲鳴を上げた。
セレウグはそれでも出来る限り目を開け、本人ではない仲間を捜す。

しかし――砂埃が漸く引いた頃には、彼女がいた筈の場所に何も残っていなかった。
恐らくは、この混乱に乗じて逃げたのだろう。

だが、少なくとも無傷ではない。
その証拠に、奥に向かう石段に血痕が残っている。

よって、ホルセルが放った魔法はゴーレムを一掃しただけに過ぎない結果となった。
尤も――それでも充分な結果ではあるし、セレウグ達の力ではそれさえも叶わなかったのだが。

「ちっ……逃げたか。ま、いっか。後で改めて潰せば良いし」

普段の彼なら、絶対に言わなさそうな物騒な言葉を呟くと、ホルセルはギレルノの方を見やった。
その瞳を見返せば、射抜かれたように体が動かなくなる。
静かな闘気と言えば良いのか、冷酷な殺意なのか――どちらにせよ、善い感情は感じられない。

それでも、精一杯の虚勢のつもりでギレルノはホルセルを睨み付けた。
そして、彼は不可解な事を口にする。

「で? 何時まで隠れてるつもりだよ、ただ長いだけのウスノロでっかち海蛇よぉ? まさか、人間に憑いて何もかも忘れましたー、って冗談は言わないよなぁ?」

――ド、クン。

「っ……!?」

ただでさえ原因不明の動悸が、今までより大きく跳ねた。
まるで、自らに棲まう者が呼応するかのように。
同時に、心の底から沸々と怒りの感情が沸き上がってくる。

――仕方がないです、ね?

五月蝿い程の鼓動の間に聞こえた、優しげな声。
それを認識した時には、ギレルノの背後にあの巨大な海龍が出現していた。
己を奮い起こすように、耳障りな啼き声を上げながら。咆哮は高らかに遺跡中へ響きその存在を、他者にも知らせる事となった。