第30話 新たな存在

「ドネイト捜査長……!」

ハヤトは、自らの役職名を呼んだ構成員を見やった。入口のドアから申し訳程度に顔を出し、不安そうな表情を浮かべている。

今は会議中だ、と怒鳴り返してやろうと思ったが、構成員の必死そうな表情に何かを感じ取り、ハヤトは他の者に謝罪し席を立つ。

今現在、捜査課の最高責任者であるハヤトは会議の真っ只中。
議題は魔物退治の活動をもう少し活性化させるとか、町の治安維持に何が必要なのか、と今までも散々己の頭脳の限界と闘ってきた議題だ。
内容そのものは面倒な事この上ないのだが、こういったお偉い方が一堂に介する場では、流石の自分でも煙草を口にくわえるつもりはない。
煙草は吸うと落ち着くが、時と場所と場合を考えずに吸える程、自分は偉くもないし落ちぶれてもいないと思っている。

そして、一応はしっかり会議に参加している風を装おっていたのだが、立ち上がろうとしたハヤトに掛けられた声は不機嫌を露にしていた。

「待て、ドネイト。勝手な行動は慎めと、あれ程言っておいたはずだ」

声の主は、長方形のテーブルの一番奥に座る人物――の隣に立つ人物だ。総帥の補佐を務めるラグス、だったか
微妙に薄暗い会議室、そちらの方には明かりが僅かに届く程度で顔は分からない。

「生憎、『正義の力』の名の下に存在する者としての責務に背くつもりはねーよ。それに勝手な行動なら、軍課総指揮官クラティアスの方が出過ぎてると思うぜ」

ハヤトは向かいの、椅子だけがぽつんとある席を見やる。

本来、そこには軍課総指揮官マーモン=クラティアスが鎮座していなければいけない席だ。
しかし、本人は何やら手が放せないと今回の会議を欠席している。ジャスティフォーカスという大組織の重要会議をすっぽかすとは、いい気なものだ。

「(マーモンめ……騎士の生まれだからっていい気になりやがって)」
「背く背かないの話ではない。貴殿の行動に問題があると言っている」

と、相手が言いたい事はそちらではなかったらしく、少々怒りが籠った声音で返事が返ってきた。
その場にいない者への文句を呟きかけたハヤトは、のんびりと顔を相手に向け直す。

「あの問題児共に、何を肩入れする必要がある? 中でも悪魔の子は何を考えているのか分からん。誘拐されていた天使の子供は分かるが、何故得体の知れん召喚師までも我が組織に」
「お言葉ですが」

“問題児”の言葉に一瞬眉をしかめ、しかし黙って相手の言葉を聞いていたハヤト。
だが彼もあまり気が長い方ではないし、何より知り合いを侮辱されて黙っていられるはずがない。
彼は、元々そういう人間だ。

「私は、『ジャスティフォーカス』の捜査長である以前に、一人の『大人』です。大人は子供を庇護すべき責務を負っています。大人が子供を守らずして、誰が世界を護れましょうか」
「偉そうな事を……」
「偉そうかどうかは、ご自身の行為を見直してから判断願います。それと、俺は子供を守る為なら命も惜しまない覚悟だ。子供達を蔑むのなら、例えあなた方でも容赦はしない。……失礼」

そうはっきりと宣言をし、ハヤトは会議室を足早に出て行く。すっきりした気分だ。
彼が出ていった部屋の中では、気分を損ねたラグスの隣で、総帥らしき人物の口元が歪んでいた。

一度、部下である構成員が心配そうな表情で自分を見ているのに気が付き、「心配ない」と苦笑を浮かべる。
無理もないだろう、自分が飄々と言い返した相手は、ジャスティフォーカスという組織のナンバー1――通称「総帥」とその側近なのだから。

「(それにしても……敬語など使ったのは何時以来だろうか)」

最後に使ったのは恐らく、ザルクダを叱った時ではないだろうか、と記憶を辿る。
あれ以上の阿呆面は暫く拝めないな、と溜息を吐き、ハヤトは呟いた。

「ったく、馬鹿餓鬼共め……」
「貴方から見れば、私も餓鬼なのでしょうね」

独り言に返事をされ、ハヤトは構成員に振り向く。
彼も、ホルセル達よりは幾らか年上だが――確かにまだ幼さが残っているようだ。
違いない、と皮肉も込めて返してやれば、彼も苦笑を浮かべてですね、と同意する。

ハヤトにとって、組織の部下は『仲間』と同意義。
そして仲間は、『家族』『戦友』と、自らにとって最も近しい立場だ。
それ故に、勤務中に「捜査長」と呼ばれるのに抵抗を感じるのである。

会議室から離れた廊下で、ハヤトは足を止めた。ここなら、軍課の構成員や重鎮の人物にも聞かれる事なく情報をやり取り出来るだろう。

「んだよ、どうかしたのか」
「えとですね、捜査長から仰せつかっていた状況の報告に参りました」
「何?」

ハヤトは眉間に皺を寄せる。

確かに、ある件について自分は部下に調査を頼んでいた。
それは、例え自分が重要な会議に出席している場合でも、優先的に報告しろと言っている。構成員が会議に乱入した理由が漸く掴めた。

先程僅かに流れた和やかな雰囲気は一蹴し、直ぐに張り詰めた空気がその場を支配する。

「粛清の件ですが、やはりその際に何らかの人物が仕切っているようでした。一番最近のとその次の粛清の資料を手に入れたのですが……」
「見せてみろ」

構成員が言葉を濁したという事は、恐らく良くない事でも判明したのだろう。説明されるよりも見た方が早い、とハヤトは資料を受け取る。
がさがさ、と一枚の写真を手に取り、見て絶句した。動きを止めたハヤトに、構成員が恐る恐る訊ねる。

「……捜査長。彼女は」
「ああ。舐めた真似しやがって……間違いない。ザナリアだ」

写真には、瓦礫の街が写っていた。
アングルも何もあったものではないが、仕方ない。これは、遺体が握っていた写真機のフィルムを現像したものなのだから。

それよりも重要なのは、被写体である。
そこには、召喚した獣を使って残虐に人間を殺す女性の姿が辛うじて写っていた。服や表情は分からないが、鮮やかな緑色の長い髪は間違いなく彼女のものだ。側には、魔物らしき真っ黒な生き物もいる。

二枚目の写真には、その生き物が人間を噛み殺している様子が遠目に撮られていた。レンズに赤いものがついていたから、恐らく持ち主はこの瞬間には殺されていただろう。

「(くそっ、イオスにこの事を伝えないとな……。せめてあと少し早ければ……)」

正直、会議のせいで駆け付けられない自分がもどかしい。
今この瞬間に、自分が成長を見守ってきた子供達が戦っているのだと思うと――直ぐにでも駆け出したくなる。

ハヤトはその写真から目を逸らし、窓に象られた夜空を見上げる。
月は満月。写真の赤を見過ぎたせいか、それは赤く見えた。

   ■   ■   ■

イオス――標的が真っ直ぐ向かってきたのを察知し、様々な人間を型どったゴーレムが、我先にと雪崩れ込んで来る。
さっきよりも増えたその数に怯む事も躊躇う事もなく、手短に詠唱を開始。近付かれる前に、魔法を発動させる気だ。

「恐怖の光――《ライトセイバー》!」

群がるゴーレムの頭上に光が収束し、分裂する。輝く雨となった光は、それらに降り注いだ。

詠唱がこんなに短くて済むのも、元はあの頃の研究や努力があったからだ。本当は、もっと長ったらしく属性の特徴を言う必要があるのだが。
だからと言って、それが良かったとは思えない。
あんな非道な行為をしてしまったせいで、今目の前に彼女が立ち塞がっているのだから。

それは、イオスにとって赦し難い事だ。

光が剣を象ったような形を何本も作り上げ、切っ先の部分がゴーレムに向けられる。そのまま、落下した剣に貫かれたゴーレムは生き絶えた。

続いて、剣を中心としまるで水面に波紋が広がるように光が波打ち、周囲のゴーレムにまで光が襲う。光の剣の貫通よりはダメージが低いものの、決して少ない訳ではない。その上、ゴーレムは光が弱いのか再生してこないようだ。

《ライトセイバー》は、最初の光の雨と第二撃の剣、最後の光の波の三段攻撃で成り立つ高位魔法。
使える者は、かなり限られる。

そうしてゴーレムを粉砕したイオスは、向かってきたウィンタの一振りを横に飛び退いて避けた。

間一髪、当たっていれば頭蓋骨が無事だったか分からない。

「鎚とはまた、ダメージでかいものを……!」
「諦めなさい、アンタは天罰を受けるのよ!」
「生憎、神を信じている訳ではありませんから! 私は根っからの現実主義です! ドッペル!」
『あいよっ』

ウィンタが直ぐに体勢を立て直し、突っ込んでくる前にドッペルを呼ぶ。

彼は、何時の間に移動したのかキセラの影から飛び出した。
瞬時にユーサの姿を模し、彼女に抱き着くようにして動きを封じる。

「はっ……離しなさいよ!?」
「年下も捨てたもんじゃねーよ?」

けけけけ、と変な笑いを浮かべながらも、ドッペルの手からは紫色の光の粒子が溢れた。キセラは気が付かない。

「お前、私達よりずっと年上だろう……」

彼らの様子に呆れたイオスはボソッと呟き、直ぐに気持ちを切り替えてウィンタを見据える。

彼は再び突進するようにイオスに向かい、勢いを利用して鎚を振りかぶった。
バックステップで辛うじて回避したものの、大型武器の割に矢継ぎ早に繰り出される攻撃に、避けるのが精一杯である。
ドゴォ!

「っぐぅ……!」

イオスは溜息を吐いた直後、避けるのを止め真正面から二回目の鎚の攻撃を腹部に受けた。

良く動き回る鎚を避けて彼に近付くのは、学者であるイオスには至難の業である。
それよりは、敵にダメージを与えた彼が動きを止めるこの瞬間を狙った方が遥かに簡単だ。
腕等でガードしなかったのは、衝撃により骨折するのを危惧した為。

吐き出された酸素を直ぐに吸い戻すと、近くにあったウィンタの頭部を鷲掴みにし、詠唱を開始する。

「汝を我が手に――《ブレインウォー》!」

バチィ、と電撃にも似た音が鳴ると、反発した魔力の衝撃で両者とも身体が跳ね飛ぶ。ウィンタの手からは鎚が離れ、近くに転がった。

「あたたたた……」
「っ……こ、こは……」

盛大に尻餅を付いたイオスは背中を擦り、ウィンタの方を一瞥する。彼は正気に戻ったのか、打った頭を抱えていた。

『成功、か?』
「あぁ、何とかな」

既に霊体に戻って影に入り込んでいるドッペルに話しかけられ、苦笑しながら答えた。

そう言えば、とキセラの方を見やると、彼女は怒りを露にしながらもその場に佇んでいる。
身体から紫色の光が出てきているから、多分ドッペルに魔法封じの呪いをかけられたのだろう。心なしか、辛そうな表情を浮かべている。

「イオス……アタシは、アンタを許さない。泣いて許してくれって言ってもね。アンタだけは、絶対殺してやるんだから!」
「……キセラ」

人差し指をびっ、と突き付け、キセラが言う。
イオスは先程のような悲しそうな表情を浮かべ、彼女の名を呼び――。

と、その時、遺跡の何処からか何かの鳴き声が聞こえた。

「!」

何の声かは分からないが、恐らくは遺跡に潜んでいる魔物の呻き声か咆哮だろう――と考えていると、ふと横にいるドッペルが慌てたような素振りを見せた。

『あの声……』
「どうした?」
『いや、何でもない』

主人と同様、あまり取り乱す事のないドッペルの慌てように僅かに興味を持ったが、今はそれよりも目の前の事である。ドッペルの主人なら、そんなのはお構いなくずけずけと問い質すのだろうが。

イオスは、隣にいるウィンタを守るような位置に立つと、彼に話しかけた。

「君、動けるかい?」
「あ、はい……?」
「話は後だ。ここはルナデーア遺跡なんだが、道は分からないよね?」
「……すみません」
「気にしないで良い。何なら休んでくれて構わない。あの魔法は人の脳に直接影響するから、まだ満足には動けないはずだ」

ルナデーア遺跡など、その辺の一般人が興味本意で来るにはとてもじゃないが魅力的ではない。
イオスのような学者や、考古学専門の者ならその限りでもないが。

この少年も恐らく来た事はないだろうと判断した上で尋ねたが、予想は当たっていた。
ふらっ、と身体をぐらつかせるウィンタを見て、最後は言うつもりはなかったが敢えて付け加える。

「ドッペル」
『ん。この餓鬼安全なとこ連れてけって言うの以外なら協力するぜ』
「…………」
『だってよ。今この遺跡に、安全な場所あるか?』
「……ないな」

推測ではあるが、遺跡に入って来た時間を考えるともうあちこちで戦闘が始まっていても可笑しくない。
また、入って来た時に撃退した魔物を思い出し、確かに安全な場所はないと思い直す。

「じゃあ、残るは……」

キセラを一瞥する。今はまだ動く気配はないが、おぞましいばかりの殺気と憎悪が感じられた。
魔法封じの呪いが消えれば、また強力な光魔法が飛んでくるのは容易に予想出来る。
自分一人なら退けられる自信はあるが、今は事情が違った。

『まさか、あれやるのか?』

ドッペルが何かを察したのか、両手をだらしなく下げたまま問いかけた。何とも、やる気の見られないポーズである。
イオスは、頷く。

「仕方ない。さっきのでお前も警戒されているしな」
『えぇー……行けるのかよ』
「行くしかない」
「アンタ達、さっきから何をコソコソと……!」

両手に再びクナイを構えたキセラと、まだ残っているゴーレムが各々の武器を掲げ、士気を高める。

しかし、イオス達は戦うつもりは、ない。

ウィンタの手を取り元来た入口の方へ回れ右をすると、全力疾走で逃亡を謀る。
数が少なくなったとはいえ、三対多では結果は火を見るより明らかだ。

「三十六計、逃げるに如かず!」
「あっ……! ゴーレム! 追いかけなさい!」
『なぁ、オレらカッコ悪くないか』
「時には逃げるのも大事なんだ、早く走りなさい! ――聖なる光、《ホーリー》!」
「??」

追いかけてきたゴーレムに向けて魔法を発動し、光の輪が彼らの身体を切断する。足止め程度だが、彼女相手にこれでは大した時間稼ぎにならない。

入口を潜って廊下に出た所で、イオスは再び振り向いて詠唱する。最後に、一番強力な魔法をお見舞いさせようと全力で口を動かした。

「流れ星、光輝く空の雨――《スターダスト》!」
「なっ……!!」

暗転した天井から降り注ぐ煌めく星の大群が、ゴーレムを、キセラを襲う。その光の様は、正に雨と呼ぶに相応しい。

キセラはその魔法を知っていたのか、顔を青ざめて防御魔法を唱えかけ――呪いのせいで、魔力は分散した。
しかし、イオスは直撃だけはしないようコントロールしたので、死ぬ事はないだろう。
地面と星が衝突する音を効果音に、イオス達は素早くその場を離れた。

ある程度がむしゃらに走った所で、彼らは足を止める。
乱れた息を整えながら後ろを向き、取り敢えず追ってきてはいない事を確認した。

「……はぁ、はぁ」
「はぁ……やれやれ、久し振りに全力で走りました」
『運動しないでずっと家か研究室に籠ってるからそんなにキツいんだ、自業自得だろ』
「少年、怪我はないかい?」

ドッペルの嫌味は思いっきりスルーし、イオスはウィンタに声をかける。
流石に鎚を振り回していただけの事はある、彼はイオスよりも息を切らしてはいなかった。
僅かに、若さに対して嫉妬心が芽生えかける。

「あ、はい……って、貴方もしかして、イオス教授!?」

ずささささっと効果音が付きそうな勢いで、後退ったウィンタが言う。
どうやら、今まで気が付いていなかったらしい。
自分の有名さに若干嫌気が差しながらも、イオスは苦笑を浮かべて肯定する。

「はは……そうだよ。私はイオス=ラザニアルだ。良く分かったね」
『ただの三十路過ぎのおっさんだぜ』
「そしてコイツは一応魔物だけど、この通り失礼で嫌味しか口にしない非常に人間臭い奴だから怖がる必要もないし、気にしないでくれたまえ。で、君」
「はい?」

余計な一言を言ったドッペルを睨み付け、序でにやり返しながら、イオスはウィンタに視線を移す。
話の内容が分からない彼は、案の定きょとんとした表情を浮かべていた。

「君は、ウィンタ君で間違いないよね?」
「はい、ウィンタ=ケニストです」
「…………」
「……な、何か?」

本人か否かの問いを投げ掛けたイオスだったが、何故かウィンタの顔を目を細めて観察し始めた。

観察対象である本人は、なまじ綺麗な顔をした年上の男に顔を見詰められ、恥ずかしさから居辛くなり。
それで漸く気が付いたのか、イオスは「失礼」と断りを入れて口を開いた。

「知り合いに似てたものだから、つい。さて、ドッペル。ユーサと別れたのはどの辺だ? ゼルフィルにはまだ訊きたい事も、殴ってやりたいのもあるからな」
『げ。バレてたのか……』

ドッペルが顔をしかめ(と言っても、目が中心に寄ったようにしか見えない)、頭部に手をやった。
イオスは肯定し、考えを口にする。

「幾ら因縁の相手だとは言え、一人で闘うには些か不利になる点が目立つ。現実的な意味でも、精神的な意味でもな。――身を隠しながら移動しよう。ひょっとしたら、セレウグに会えるかもしれない。セレウグでなくとも、誰でも良いんだが……」

キセラと仲違いをしてしまった事実は、取り敢えず置いておく事にする。
後回しにしてはいけない事ではあるが、今は良い解決策が浮かばない。

正直、今の自分が行ってどうにかなるものでもないが、それでもやはり“息子”の事は心配だ。

それに、長い時間同じ場所に留まるのも得策ではないし、動いていた方が誰かに出会う可能性は高い。

そう口にすると、イオスの台詞にウィンタが反応した。

「え? セーレ兄さん?」
「あ、君も知っていたね」
「セーレ兄さんがここに? じゃあ、クーザンとユキナも……」

セレウグが、昔居候していた家の子息と共に行動していたのはイオスの耳にも入っていた。
そして、その子息――クーザンの情報を掴む為に、ただの幼馴染である彼、ウィンタを奴等が拐っていた事も。
だからこそイオスは彼の容姿を知っていて、ゴーレムと共に始末せずに済んだのだ。
当然、セレウグがウィンタと接触したというのも耳には入っている。

正気に戻れば他人ばかりな上に知らない土地、確かに不安だろう。
そんな中で唯一知り合いの名前を聞いて安心して、つい呟いたのだとイオスは思った。が、それにしては。

「嬉しくないのかい?」
「え……」
「とても嫌そうな顔をしているよ。複雑な事情でもあるのかい?」
「……」

ウィンタは、イオスから視線を逸らすように俯き、黙り込む。無意識に顔に出ていたのに気が付かなかったのだろう。
暫し嫌な沈黙が下りたが、やがてウィンタが折れたのか、ぼそ、と呟いた。

「……会いたい、けど。嬉しいけど、何だろう……合わす顔がないって言うか、」

その表情も、嬉しさ半分、悲しみ半分といった複雑なものに見える。
話に聞いていた“人当たりの良い兄貴分”といった彼のイメージとは、全く違っていた。

「拐われたのは君のせいじゃない。それとも、他に何か理由が?」
「…………」

「(何か、あったんだな)」

人の事は言えないが、彼の動作や態度は何かを隠しているものだ。恐らくは、捕まっている間に拷問ないし尋問でもされたのだろう。
敵のメンバーを考えれば、その可能性も無下には出来ない。だからこそ、ユーサはタスクを助けたがっていた。

思い出したくないものなら、言いたくないのも頷ける。

「……まぁ良い。取り敢えず、ここを抜けるまでは私達に付いてきてくれ。私もそんなに手練れてはいないが、全力は尽くす。戦い慣れていないだろうから、無茶してはいけないよ」
「……はい」
「さぁドッペル、行こうか」
『りょーかい』

一つ溜息を吐き、イオスがドッペルの方に向き直る。
彼は抽象的な、三本しかない指を揃え敬礼の真似事をして了承した。

話したくない事は誰にだってある。これでは頑として喋りはしないだろうと判断し、このままユーサの所に向かう事にする。
言いたくないと言っているのに聞き出すのは、イオスもやりたくなかった。
これが、事を急ぐ実験の結果や自らに関係するものならまた変わってくるが。

――まさか、これが彼の運命を決めてしまったとは、当の本人でさえ知らない。

一見何の関係もなく思える天才学者と鍛冶師見習い、そして魔物の行動が開始された。
次なる目的は、取り敢えず誰かに遭遇する事か。

「そう言えば……」

イオスは、ふとドッペルの方を向いた。

「ドッペル、さっきの声は何だったんだ? 知っているのか?」

彼が言っているのは、逃走する直前に聞いた声の事だ。
ドッペルも察したらしく、「え? あ、うーん」と語尾を濁らせた。

こうして見ていると、他のドッペルゲンガー達と比べ彼はどうにも人間臭い。
“人間の恐怖を自らの身体に貼り付け、相手を喰らう”という伝承から、誰もが恐れる怪物のイメージを見事に覆してくれたのだから、相当のものだ。

『……あのさぁ、今から言うの笑うなよ?』
「? 何かヤバいのか?」
『色んな意味で』
「……興味が勝ってしまうからなぁ。分かった、笑わない」
『じゃあ、言うわ。その前に』

ドッペルはイオスの影から抜け出し、一瞬でユーサの姿を身に纏う。ただし、何時ものように瞳は赤黒く、首に黒いチョーカーは付けたものだが。
それを初めて見たウィンタは目を見開いて驚いたが、ギリギリで抑えたようだった。
腕を伸ばしたり肩を鳴らし、軽く準備運動を行うドッペル。

「……と。やっぱこっちが魔力使わなくて良いわー」
「で、早速良いか」
「ああ。結論から言うと、あれは魔物だ。ただし、そこらの平野やこの神殿に現れる魔物なんか比じゃない、大いなる存在の」
「大いなる存在?」

突然の言葉に、流石のイオスも声が高くなる。

ドッペルは頷き、進行方向を睨み付けながら続きを紡いだ。

「俺がさ、ドラゴンになれるの知ってるだろ?」
「あぁ……あれだな。初めて見た時は驚いた。あんな生物が、この世界に存在しているとは」
「してねーよ」

イオスの言葉を否定し、ドッペルが一つ溜息を吐く。

「あれ、《バハームト》だから」
「…………。ドッペル、もう一度言ってくれないか」

さらりととんでもない事を言ったドッペルに呆気に取られ、幻聴だと思ったイオスはそう返した。相手はニヤリ、と怪しく笑う。

「更年期障害が出ちまったか。イオス、そろそろ現役降りたらどうだ」
「……恐怖の――」
「ストップごめんなさいオレが悪かったから」

闇の属性を持つドッペルにとって、イオスの光属性の魔法は非常に相性が悪い。その上先程の威力を見ていたのだ、あれを喰らえば彼でも只では済まない。
素晴らしい反応スピードで、地面に付くんじゃないかと思う程腰を曲げ、頭を下げた。

「バハームト……にわかには信じられないのだが、本当か?」
「あぁ、本当だ。で、イオス。それで推測される事実はあるか?」
「……」

顎に軽く手を当て、もう片方の腕に肘を載せて、イオスは考える。

あの伝承の発祥は、八百年前だ。ドッペルは余裕で生まれているから、不可能ではない。
しかし、あの《運命の日》の戦いの伝承以外で、バハームトが現れた記録は残っていない。とすれば、

「……お前、まさか海神と空神、陸神の戦いを見てた……のか?」
「お、流石」
「本当なのか!?」

珍しく自信なさげに答えたイオスだったが、ドッペルの肯定に声を荒げた。そして直ぐに敵陣にいる事を思い出し、声量を押さえる。

「普通に考えたら、そうなるよな。まぁ半分違うっちゃー違うんだが。確かにあいつらの戦いも見てたよ、この目で」

あまりのスケールの大きさに、声も出なくなったイオスに構わず、ドッペルは当初の目的である声の正体を語り始めた。

NEXT…