第28話 別れ道

「後はさっきの娘とレッドン=オブシディアン、ウィンタ=ケニスト君はここにいるのかな?」

ぼそっと呟き、目尻を下げて悩むディオル。
その彼の何気ない一言を、聞き逃す事なく反応した人物がいた。

「……え? 何でウィンタ?」

クーザンが、目を見開いて発言したディオルを見やる。

そう言えば、先程ユキナと口喧嘩をした時も彼女が「ウィンタに迷惑かけちゃって!」と叫んでいたが、あれは例えではなかったのか?
理解出来ない、そう言った表情を向けていたが、その質問に応えたのはディオルではなかった。
隣で今まで黙っていた幼馴染が、クーザンの腕を掴んで声をかける。

「クーザン、知らなかったの!? 新聞にも載ってたでしょ? ウィンタが、アラナンの工房から何者かに拐われていなくなったって!」
「……嘘だろ? 何日前のだよ?」
「四日位前の!」
「四日……前……」

必死に思い出すかのように、日にちを呟く。

四日前、まだ自分達がゼイルシティにいた時期だ。
その日、クーザンは確かに新聞を読んでいた。
旅の最中は、情報収集の定番とも言える酒場は年齢上入る事さえも不可能だったので、唯一の情報源と言っても過言ではなかったからだ。
しかし、そのような記事は全く見かけなかったし、クーザンが気になる事件もなかったはずだ。
ただひとつ、可笑しいと思った事を除いては。

その日の新聞、確か一部が飛んでいた気がする。
新聞の作りから見て見開き一枚分抜けていたので、新聞社の手違いか、とその時は気にも留めなかったのだが。

「――クロス! お前、まさかその記事だけ新聞抜いて、俺に渡したのか!?」
「……ああ」

あの日、クーザンの前に新聞を読んでいたのは、他ならぬクロスだった。時間的にも、他の者が彼の前に読む暇はない。

確証も何もない質問だったが、問い掛けられた本人は僅かに瞳を見開いた後、あっさりと肯定した。
返事を聞くなりクーザンはクロスの胸ぐらを掴み、怒りを露にして叫ぶ。

「どういう事だよ!? 何でそんな事をした!!」
「それを知れば、お前は今みたいに、或いはゼイルの時のように怒りに我を忘れ、単身突っ込んでいくと判断した上だが?」
「何だと?」
「クーザン、もう止めろって! クロスだってお前を思って、」

険悪化する二人を止めに入るホルセルだが、結果的には逆効果となる。
それは、暗にクーザン以外のメンバーはその情報を既に知っている、と彼に教えてしまう行動になるのだから。

そして実際そういう意味として悟ったクーザンは、一瞬動きを止めてホルセルやサエリ、セレウグ、序でに彼らの同僚を一瞥し、

「……ああ。知らなかったの、俺だけかよ」

と、力なく呟いた。

「クーザン、違」
「何が? 何が違うって言うんだよ。まさか、俺がそれを知らなければ悲しまないとでも思ったのか? それとも、ホルセルだって知らない方が身の為だと思ってたのか?」
「貴様には言われたくないな。そのセレウグの件も然り、名前でさえ偽名を使っているお前にはな!」
「何を偉そうに。お前こそ隠し事してる癖に、同類じゃないか!」

クーザンが偽物の名前を名乗っているのは、既にクロス達には分かっていた。加えてセレウグとの関係も「昔の居候」としか明かしていないのだ、不信感が募っていても仕方のない事である。

だが、クーザンも負けてはいなかった。勿論、彼が言っているのはホルセルの事である。

「っ! 貴様……っ!」
「何だよ」
「す、ストップストップ! こんな所で喧嘩してる暇はないよ! クロスも落ち着いて」

とうとうあのクロスまでクーザンに殴りかかろうとするのを見て、ディオルがホルセルの代わりに間に入った。

元々の原因を作ったのはディオルだが、彼は自分達と合流してからまだ十分も経っていないのだ。クーザンが何者かもわかっていない彼に怒りをぶつけるには、あまりにも理不尽過ぎる。
それが分かっているからこそクロスも何も言わないが、少なからず苛立ってはいるようだった。

「……信じらんねぇ、人の幼馴染が危険な目に遭ってるのにそれを黙ってるなんて。もういい、お前と協力なんてうんざりだ!」
「奇偶だな、俺も貴様と同意見だ。不本意にも、な」
「ク、クーザン、クロス」

両者があまりにも凄い剣幕で罵り合うので、ホルセルの声は若干震え始めていた。
クーザンは自分のバックだけを背負い、一同の輪から抜け部屋の入口へ歩き出す。その後ろを、ユキナが背後を気にしながら追いかけた。

「あーあ、しゃーないな……悪い、オレも行く」

はぁ、と隠す事もなく大きな溜め息を吐き、セレウグも後を追う。
ホルセルは一度クロスの方を見――というよりも睨み、

「……っ。クロスの馬鹿野郎! セーレさん、オレも行きます!」
「……勝手にしろ」
「あ、兄貴っ、待って!」
「あらら……」

ディオル達が見守る中、彼とその妹も行ってしまった。
久々に見たクロスの相変わらずな言動と態度に、基本的には他人の事に無関心なネルゼノンでさえ溜息を吐きたくなった。

そしてその場に残ったのは、クロス、サエリ、アーク、ネルゼノン、ディオル、エネラの6人のみになる。
と、ディオルが気付く。

「あれ? ギル何処行った?」
「え? もしかして、一緒に行っちゃったかな……?」
「フン、馬鹿な奴等だ。勝手に野垂れ死ねば良い」
「アンタねぇ……」
「仕方ない、俺達も行くかー」

虫の居所が悪いクロスを筆頭に置くにはあまりにも不安があるので、ネルゼノンを中心として残った者も歩き出す。
去っていった者達とは、逆の入口へと。

   ■   ■   ■

一方、クーザン達の方は。

「つか……何でお前まで来てるの」
「気にしなくて良い」
「いや気にするし。ネルゼノン達といた方が良いんじゃないのか? ギレルノ」

ホルセルが怪訝そうに訊く。
その顔にはあまり他人に偏見を持たないホルセルにしては珍しく、心なしか嫌そうな表情が浮かんでいる。
リルはここに来るまでの間に少しは信頼してくれたのか、困ったように首を傾げていた。

「……」

ちらり、とそんなホルセルを一瞥する。
前に会った時から良く突っかかってくるこの少年は、多分自分の事が嫌いなのだろう。何故かは知らないが。

ギレルノは、エネラが言った通りクーザン達の方へやって来ていた。
最初は、自分もあちらに残ろうと思っていたのだ。しかし、勘――或いは第六感の感覚と言えば良いのか、それは自分とは全く違う考えを訴えていたのだ。

気が付いた時には既に足が動き、結果ギレルノはこっちに付いてきていた。

前を歩く、黒髪の少年を見やる。自分が無意識に、『ついて行くべきだ』と思った少年を。

「ク、クーザン?」
「何だよ」
「あ、のさ、良かったの? さっきの人、クーザンの友達だったんじゃ」
「あんなの友達なもんか。それよりユキナ、お前どうやって逃げて来たんだよ。レッドンに助けられた訳じゃないんだろ」

クーザンもまだ苛立っているのか、何時もより言い方が荒い。ユキナでさえ、言葉を選んで話しかけているように見える。

「それは」
「それは?」
「鍵が開いてたのは、本当よ。それを誰が開けたのかは、私も分かんない」

逃げる隙を伺う為にしきりに格子に手をかけていたら、何時の間にか開いていた、と。そういう事だろう。

「なら、レッドンがあんなになってるのにも気が付かなかったと」
「当たり前! そもそも、レッドン君まで捕まってたなんて知らなかったもの」
「ん? クーザン、『あんなになってる』って?」
「洗脳だろ、あれ。はっきりとは分からないけど、そんな気配がしたから」

クーザンの言葉に、セレウグが思わず足を止める。

「そうなの……?」
「確証はないけどな。そんな事よりも、早くウィンタを捜さなきゃな……」

クーザンにとって優先すべき事は、レッドンではなくウィンタなのだ。
確かに、他人を見捨てるのは後味も悪く始末に困るので、避けるに越した事はないが。

と、先程までギレルノと話していたホルセルが、ユキナとクーザンの間に割って入る。

「クーザン! オレも手伝う。ウィンタはオレにとっても友達だからな!」
「……ホルセル」
「確かに黙ってたのは謝る。けど、ウィンタを助けたかったのはオレだって同じだ!」
「……分かったよ、勝手にすれば」

あまりの気迫に押されたクーザンは、溜息を吐きながら了承した。それでなくてもホルセルの事だ、付いてくるに決まっているが。

そのまま歩みを止めないクーザン達と、立ち止まったセレウグの距離は開いて行く。
だが、少し後ろで歩いていたギレルノが追い付き、未だ動かない彼に声をかけた。

「どうかしたのか」
「……あ、いや」
「真っ青だが」
「……」

ギレルノに気が付いて返事をしたセレウグは、何処か動揺しているようだった。
しかし本人が言わない事には何も分からないので、勝手に大した事ではないのだろうと割り切り、クーザン達を追うのを促す。
彼は何かを口にしようとして躊躇い、結局黙ったまま皆の後を追った。

「それにしても、何か不気味よね……。夜の遺跡って」

ユキナが辺りを見渡し、消え入りそうな声で呟く。リルも凄く不安な表情をして付いてきていた。そのリルがくっついているホルセルも、キョロキョロと頭を動かしている。

「だよな、なーんか出そう」
「さっきから魔物は出てるけど」
「じゃなくて……」
「じゃなくて!」

クーザンの言葉に、ユキナとホルセルの二人が同時に反論の声を上げ、当人達が顔を見合わせた。
意外と息が合うらしい。

「お前も?」
「あんたも? 分かる? 幽霊とかそんなのいないと分かってても怖いって分かる?」
「だよな、幽霊とか本当怖いよな、突然真横にいたら逃げたくなるよな」
「……」

意気投合した二人をちらりと見るクーザンだが、やはりまだ苛立ちが残っているらしく、眉間に皺を寄せた。

と、突然ユキナは前を歩くクーザンの右腕に抱き着き、不満を漏らす。

「もうっ、クーザンったらこんな時こそ女の子を守りなさいよねっ! 幽霊とかに怯える女の子を守るのは男の仕事っ!」
「今この場にホルセルの妹以外の女がいるなら教えろ」

ユキナが抱き込んでいた右腕を乱暴に振り外し、再びすたすたと歩いていくクーザン。

「むかーっ! ウィンタとおんなじ事言ってくれちゃってぇ! もう、クーザンのバカああぁ! あほ! おたんこナス! 最低っ……歴史バカ……っ」

背後から聞こえた、癇癪を起こしたようなユキナの台詞は、最後には消え入りそうな声になっていた。

振り向くと、怒りながら泣くのを我慢しているという何とも器用な事をやってのける彼女が、自分を睨み付けていた。
あと一度何かを言えば、間違いなく泣く。

だが、彼女はクーザンが思っていたよりも我慢強くなかった。堪え切れなかった涙をポロポロと溢しそれを拭うでもなく、ユキナは言う。

「ホント……っ、訳分かんない……っ。何で、何で来たの……。来なかったら、クーザン、だって……ウィンタだって、こんな事には……っ!」
「……お前、まさか」

ユキナの台詞に、クーザンはひとつの仮定に行き着いた。
……まさかとは思うが、

そして、ユキナはクーザンの仮定通りの言葉を口にしかけたが、それを彼が聞く事はなかった。

「――!?」

突然クーザンが立っている地面が輝き始め、やがてその光が周囲にも広がり始めたのだ。気が付いた数名が、驚きの声を上げる。

セレウグには見えた。光が、二重の円と奇妙な記号の形に描かれているのが。
それが、以前見たあるものと酷似している、と脳が判断するのと同時に叫ぶ。

「クーザン!」
「クーザン! そこから移動し――」

しかしその言葉を言い切る前に、視界一杯に光が広がった為に、反射的に目を瞑ってしまい――光が止んだ時には、クーザンはその場所からいなくなっていた。

「……しまった……!」
「な、何なんだよ!? クーザンは何処に!?」

慌てる一同を他所に、セレウグは先程クーザンが立っていた場所を調べた。一見普通の、同じような色形をした煉瓦が並んでいるように見える。
が、一ヶ所だけ、煉瓦に円形の絵柄が書かれているのを見つけ、舌打ちをしながら拳をがつ、と地面に叩き付けた。

「迂闊だった! アイツら……!」
「そ、それは……?」
「遠隔式か、時限式の魔法陣だ。今オレがいても発動しない所を見ると、遠隔式だな……恐らく、探せばまだたくさんある筈だ……。こんな高度な魔法技術、イオス以外に使える奴がいるなんて」
「何の魔法か、分かるのか?」

セレウグの説明に、直ぐに質問を返したのはギレルノだ。彼も向かい側から魔法陣を覗き込んでいる。
どうやらこの面子の中で冷静を保てているのは、彼だけのようだ。

「……移動魔法だ」
「何?」
「奴等の仲間の、スウォアっていう奴が使ってた移動魔法の陣に似てる、と言うかそれだ。いやそれよりも、下手したらアイツ、敵の真っ只中に……!」
「その通り」

セレウグの言葉を肯定したのは、たった今話していたいるはずのない者の声。
即座に振り向けば、片手剣よりも細い剣を携えた白き死神の姿があった。

月の光で輝く金糸は揺らめき、細い蒼は一同を睨みつける。ばさぁ、とそれが纏うマントが風に翻り、余計に不安を煽った。

全員が――流石にリルは反応が遅れるが――直ぐ様臨戦体勢に入り、その蒼を睨み返す。
が、彼はいきなり襲いかかって来るような事はしなかった。

「スウォア! お前の仕業か!?」
「“イエス”と“ノー”。やったのは俺だが、動機は上の命令だ」
「何……」
「《ソーレ》は、余程復讐を果たしたいらしい」

現れた相手にホルセルが叫ぶように問い掛け、しかし彼は曖昧な答えしか返さない。
敵だという事を考えれば、当然の事なのだが。

スウォアは不機嫌そうな表情を歪めると、セレウグに視線を定めた。

「……お前、まだ生きてたのか」
「悪かったな。しぶとさだけはチーム一だからな」

その会話から、ホルセル達はセレウグがスウォアと知り合いだという事は想像が付いた。
ゼルフィルの事を知っていたので当然と言えば当然なのだが、だとすればスウォアも相当な戦闘能力の持ち主だという結論に至る。

「違いない。……可哀想に、死んでいた方が幸せだったかもしれないな。目も使えないクセに戻って来やがって」
「っ、どういう事だ!」
「言った通りだよ」

瞬間、一同が視線を向けていた場所から彼が消える。
慌てて姿を捜すセレウグの右頬が、ぴっ、と小さな音を立てて斬られた。

スウォアは、セレウグの前髪で隠れている左目側に立ってレイピアを構えていた。右目分の視力しか使えていない彼には、とてもじゃないが目に追えないスピードだった。

「……どうしても分からないのなら、自分で確かめるんだな。奥まで行け。今は攻撃しないでおいてやる」

しかし彼は呆気なくレイピアを仕舞い、いとも簡単にホルセル達に背中を見せる。
しかし、彼が向かおうとしているのは、神殿の奥どころか入口に向かう方だ。

「……っ? 待てよ、お前は何処に行くんだ?」
「あ?」
「奥は……こっちじゃないのか?」

セレウグがスウォアの向きと逆の方向を指し、訊く。

スウォアは、一瞬――見間違いかとも思える程の短い時間だ――泣きそうな表情を浮かべ、しかし直ぐに応える。

「……ま、野暮用だ」

それだけを言い残し、彼は次は振り返らなかった。

斬りかかれば倒す事も出来たのだろうが、襲いかかる威圧感は正面を向いていた時には敵わないとは言え、一同に行動を躊躇わせるには十分だった。

   ■   ■   ■

「ここは……?」

強制的に移動魔法で飛ばされた先は、広い空間だった。

人が通りそうなしっかりした通路が、白い煉瓦で壁に平行に敷かれ、中心へと向かっている。クーザンが立っているのは、その道が始まった辺りだ。
それと壁の中心に位置する直線上に、等間隔で柱も設置されていた。天井を支えているものなので、それなりに太い。

中央には僅かな段差があり、その上に椅子のようなものが置かれている。ようなもの、というのは、形で辛うじてそれとは分かるものの朽ち果てていてはっきりしないからだ。

そして、その後ろには、像があった。
恐らくは、椅子や床のものと同じ材質で出来ている白い像。
一糸纏わぬ石像の女性が、時計を抱えて佇んでいる。

クーザンは、それに違和感を感じた。

可笑しいのだ。
自分は初めてこの場所に来た筈だ。なのに、自分はその像がここにある事に疑問を抱いている。

ざり。
クーザンは警戒するのも忘れ、足を動かす。
一歩、また一歩と、像に向かって。
像の元へ向かうには、途中の椅子を回り込まなければならない。その際、丁度椅子の側に建てられている柱の横を通るのだが。
近くへと無意識に己を急かすクーザンには、その影に何かが潜んでいるかもしれないという考えは浮かばなかった。

それが、隙を生んだ。

柱の側にある闇が蠢いた次の瞬間、クーザンは柱に突き飛ばされた。

「!? わっ……」

受け身は取ったが、衝撃により三半規管が揺らされ、方向認識が出来ず動けない。
それを狙ったのか、闇から生えた腕はクーザンの首を軽く掴み上げた。

壁に押し付けられたまま、ぐぐ……と爪先が微妙に付かない高さまで持ち上げられる。

「……敵陣の中で油断とか、あんさん馬鹿じゃないんか」
「だ……っ、れだっ!?」

げほっ、と軽く咳き込むも、腕の力は弱まらない。

声の主は、ゆっくりと闇から現れた。
黒い短髪は寝癖のように――下手したらそれよりも酷くつんつんしており、快活な印象を与える。
独特な訛りを持つ声も若い印象を受けたが、実際に見た容姿は本当にクーザンと同じ年齢の印象だった。それで自分を持ち上げているのだから、尋常じゃない。
身に纏う服は黒と白のコントラストが目立っている。

クーザン自身は初めて遭遇する、ゼルフィル達と共に行動する少年、サン――それが、彼の正体だった。

「あー、本当に気ぃ抜けるわ。こないあっさり捕まってもーたら、張り合いがないやん」
「……あぐ、っ」

首を絞めるサンの手の力が、更に強くなる。脳に行く分の酸素が補充出来ないせいで、意識が僅かに麻痺をし始めた。
それには気が付かないのか、または気が付いてはいるが放す気は更々ないのか、少年は全く首から手を退かそうとしない。

恐らくは後者なのだろう――サンは鉄紺の瞳を愉快そうに細め、口の端を歪めた。
その表情を見たクーザンは、背筋に汗が流れるのを感じる。

(こいつ……、本気で俺を殺す気だ……っ)

「で、本題行ってえぇか? お前、一体何者? 今教えてもろたら……何して欲しい?」
「だ……っ、れが、い……もんか……!」
「ふーん」

酸素も満足に確保出来ない今の状態ではそう言うのが精一杯だったが意味は伝わったようで、興味無さげな返事が返ってきた。

「じゃ、さ。外せや、それ」
「そ、れ……っ?」
「リストバンド。何や、自分で外せないとか言わんやろな。しゃーない奴やなー」
「……! 止め……っ!」

サンは、振り外そうと自分の腕を掴んでいたクーザンの左腕を手に取り、手の平の方のリストバンドの端を口でくわえ躊躇う事なく外した。
布が破けたような音がしたような気がしないでもないが、この際関係はない。

この旅の道中、クーザンが決して外そうとしなかったリストバンドの下には、銀色のブレスレットが付けられていた。
一見、普通に売られているようなものと似たような作りをしているが、サンはそれを持っていた人物に覚えがあった。

リングの一部となっているプレートを強引に裏返せば、皮膚に鎖が食い込んだのかクーザンが僅かに悲鳴を漏らす。
サンは気にする事なく、彫られている文字を口にした。

「『ルクサレス=ヴィルトシュヴァイン=ブレイヴ』。……やっぱりなー。あんさん、グローリーの息子だったって訳かいな」
「……!」

そこに彫られていたのは、紛れもなくクーザンの本名だ。
以前、ゼルフィルが「誰かの太刀筋に似てるんですが」とぼやいていたのを思い出し、サンがくくっと喉の奥で笑う。

似ていて当たり前だったのだ。
大陸であのワールドガーディアンに匹敵する英雄、《地轢の巨大剣》グローリー=シャイターン=ブレイヴの息子。
それだけで、何もかも辻褄が合う。

「大方、名前隠さんと色々と面倒やったんやろ。グローリーは人々に希望と平和を与えたが、逆に恨みも妬みも買ったからな。そいで、勿論――ワイらも恨みを売った一人やけどな!」

パチン、と音が鳴り、サンの持っているトンファーに刃が生える。
そして、それを躊躇いもなくクーザンの脇腹目掛けて突き刺した。

「――っ!」

グサリ、とそんな生易しい表現では到底足りない。
刃はクーザンの身体に深々と刺さり、血が遅れて流れ始める。最初はゆっくり、だが次第に量が増えていく。
残っていた酸素でさえ今の衝撃で一気に吐き出してしまい、吸おうにも気道が塞がれて満足に吸えない体勢。

脳内で、警告が鳴る。
視界も血液が流れた為に大分狭まり、意識が朦朧としてはっきりしない。このままではあと五分もせずに意識を失うだろう、とぼんやり頭の片隅で思った。
蹴られても、痛みも感じない。まるで、糸の切れた人形のようだ。
腹の殴られた痛みなど、最早どうでも良い。

周囲が、暗くなる。

『英雄気取りか。変な奴』

白い盗賊が、苦笑を浮かべながら言う。
それは嫌味でも、蔑みでもない。
只の、嘲笑だった。

『何とでも言うが良い。我は、何と言われようと……例えこの身が滅びようと――』

(だ、れだ……?)

そして、クーザンは次の攻撃を待つ事なく、意識を手放した。

   ■   ■   ■

女性の像は、倒れゆくクーザンとそれを満足気に見下ろすサンを無機質な目で見詰めていた。
構成されている成分の中に、水等の液体は含まれている訳がない。
感情など持たないそれに、水分は必要ないからだ。

しかし像は、確かに泣いていた。
赤い、紅い液体を流しながら。

狂気に満ちた黒の魔導師が、呟く。そこに、サンはいない。
サンの姿をした何かが、ニィ、とおぞましい笑みを浮かべた。

「今度こそ殺してやるよ……カイル」

NEXT…