第27話 裏切りの狼煙

「くー、ざん?」
「ユキナ……!?」

え、何でこんな所に? そりゃここに来たのはユキナを捜す為で、でもユキナは自らの意思でゼルフィルに付いていったはずで、それならこんな場所で俺とぶつかるのも可笑しい訳で、という事はやっぱり違ういや、偶然って事もあるかもしれない世の中だしやっぱり偶然……ってそんなの信じて堪るかーー!?

冷静に状況判断をするべく辺りを見渡すクーザンだったが、彼の脳内はそれと程遠く、混乱したように目の前の光景を認識していた。とは言え表情は露骨には変わっておらず、恐らく皆には、ぼんやりとユキナを見るクーザンとして写っているだろう。
仲間達も状況が飲み込めていないらしく、呆然とこちらを眺めている。

取り敢えず、この場の硬直した時間を再び流す為に何かを言わなければ。そう判断したクーザンの一言は、

「……重い」

女心を全く気遣わない、寧ろ怒りを逆撫でする言葉だった。
案の定、その直後にはパシーン!と軽快な音が神殿に木霊する。それは、頬を怒りで赤く染めたユキナの平手打ちがクーザンの頬にクリティカルヒットしたものだった。
それを見ていたセレウグが、

「ああ、やっちまったあいつ」

と呆れたように呟く。

一瞬動きを止めた彼だったが、何をされたかを理解すると充血した箇所を掌で覆い、眉を吊り上げて非難の声を上げる。

「何するんだ、この馬鹿!?」
「馬鹿はあんたじゃない!! 相も変わらず人がかーなーり気にしてる事をさらりと言ってくれちゃって!!! あんたにはデリカシーってものがないの、ってかデリカシーって言葉も知らないんでしょ、セーレ兄と一緒で地学歴史学以外取り柄がないこの最低男!!!」
「お前の方が取り柄がないだろうが! 数学は赤点ギリギリまたは最下位、他の教科も俺やウィンタの協力で漸くクリア出来る位しかないくせに!! だから知らない男にもほいほい付いていったんだろ、馬鹿だからな!!!」
「馬鹿って言った方が馬鹿なのよ、そんな事も知らないお馬鹿さん! あたしは馬鹿で良いから何度も言ってやるわよ馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!! お陰でウィンタにも迷惑かけちゃって!!!」
「あー、二人共、ちょっと良いかしら」

突如口喧嘩に発展した二人を止めたのは、笑いたい衝動を必死で堪えているサエリだった。肩が小刻みに震え、目には涙まで浮かんでいる。リレスは、彼女の隣で僅かに笑みを溢しながら「仲が良いですね」等と話していた。
話に出たセレウグは通路の端で何かをブツブツ呟きながら、地面を弄っている。ユキナはセレウグの姿に気が付いてないようなので、尚更始末が悪い。

そんな中で、ホルセルだけが心配そうに二人を見ていた。額から流れる汗を拭っているが、ここまで休みなしでかっ飛ばしてきたのだ、恐らくは体温調整の為に体が起こした生理運動だろう。
ホルセル自身でさえそう思う事にしていたが、これが緊張感からくる冷や汗だとは誰も思わなかった。

「何(何よ)!?」
「うん、先ずユキナ退いたら? こんな所でラブコメやってる場合じゃないって分かってる? 自分達の恰好に気が付いてない?」

同時に聞き返すとサエリが返事を返し、それでクーザンは漸く気が付いた。

クーザンはぶつかった時の衝撃で仰向けの形に倒れ、上半身を起こしている。対してユキナは、こちらも衝撃の反動によりクーザンの上に乗る形で倒れて、そのまま言い合いをしていた。
つまり見ようによっては、自分がユキナに押し倒されているように見えるという、ある意味恥ずかしい恰好だという事に。もっとも、そのお陰でユキナには大した怪我がなかったのだが。

鈍感な彼女も流石に気が付いたらしく、先程とは違う意味合いで顔を赤らめさせ、勢い良く退いた。あまりにも予想通りなユキナの行動に、堪えきれなくなったサエリがケラケラと笑い始める。

「ち、違うからねサエリっ! ただ気が付かなかっただけで、別にっ」
「あら、ムキになっちゃって。可愛いわねぇ」
「だぁから、違う~っ!」
「……五月蝿い女が増えた」

ユキナとサエリは、学校でクラスが同じだった。共通点が見受けられない二人が何故仲良くなったのかは知らないが。
まぁ、学校内で噂のサエリの親友達に接触した時にたまたま話してみたら、気が合って仲良くなったのだろう。

良くユキナの話に彼女が出てきていたのを思い出し、放っておかれたクーザンが口を開く。

「お前、何でこんな所にいるんだよ」
「それは、その……」

痛い所を突かれ、ユキナが落ち着かない様子で唸り始める。

ユキナとしては、あの夜の喧嘩別れにも似た状況以来のクーザンとの再会なので、気まずくて仕方ないのだろう。
宙に視線を彷徨わせ、引き吊った笑みで応対する彼女は、酷く滑稽に見えた。

それに助け船を出したのは、クーザン達の中の人物ではなかった。

「俺が逃がしたからだよ」
「!?」
「あ」
「久し振りだな、クーザン=ジェダイド。学校で会ったきりか?」

声がした方には、もう一人の行方不明者として名前が上がっていた少年、レッドンが立っていた。
特徴的なとんがり帽子の鍔で右目しか見えていないが、長めの前髪の下の瞳は優しげにこちらを見ている。

と、クーザンが返事を返す間もなく、誰かが横切って彼に向かっていった。確かめる必要もない。自分達の中に赤い髪を持つ人物は、一人しかいないのだから。

彼女は足が縺れそうになりながらも、彼に飛び付いた。
レッドンは勢いで後ろに倒れ込みそうになっていたが、何とか踏ん張ったようだ。

「レッドン……レッドン!」
「リレス」

リレスが、瞳に涙を浮かべて彼の名を呼ぶ。レッドンも優しい笑みを浮かべながら、いなくなる前と変わらず彼女を受け入れた。
それで緊張の糸が解けたのか、瞳に溜まった水滴はぼろぼろと零れ落ちる。

「もっ……、会、えないかと……っ、思ってま、したっ……!」
「ごめん。リレス……俺を捜してくれてたんだね。俺はここにいる、ね?」
「は、いっ……!」

傍目から見れば、自らが照れてしまうような恥ずかしいような台詞をずけずけと口にするレッドン。
感動すべき場面なのだろうが僅かに羞恥が混ざってしまうのは、やはり年頃の少年少女だからだろうか。

こう言う事が好きそうなユキナはさぞかし目をキラキラさせて見ているんだろうなーーそう思いつつ、クーザンは彼女に目をやる。

だが、予想とは違い彼女は顔を青白くさせ、両目を見開いてレッドンを見ている。自分の服の裾を握る力も強く、小刻みに震えているのか感覚が伝わってきた。

「どうした?」
「…………」

怪訝に思い声をかけるが、聞こえていないのか返事はない。

「リレス!」

下手すればこの場が殺し合いの舞台になるという、それに相応しくない和やかな雰囲気を吹き飛ばしたのは、さっきまで笑っていた中々感情を荒げる事のないサエリの声だった。

古来、悪魔族はその気性の荒さと戦闘能力の高さから酷く恐れられていた。実際には差別と間違った噂による偏見なのだが、成程あの雰囲気からはそう解釈されても仕方ないのだろう。
彼女は彼の腕の中で泣く親友の名を呼ぶと、今までになく厳しい表情でレッドンを睨み付けた。

リレスはびくり、と肩を震わせるが、彼女が何故怒っているのかは分からないようで、困惑した表情を自らの親友に向ける。

レッドンについては相変わらず鍔で隠れてはいるが、若干不機嫌そうなオーラを感じる。大方、彼女との触れ合いを邪魔されたからだろう。
サエリの視線を真っ向に受け止め、且つ睨み返す。そこだけバチバチと火花が散っているように見えるのは気のせいだろうか。

「……リレス、ソイツから離れなさい」
「何でだ? リレスと俺の仲は周知の事実だ、今更何をやろうと」
「アタシはリレスに言ってるわ。アンタには言ってない」
「……さ、サエリ?」
「大丈夫、リレス。彼女は攻撃出来ないから」

今にもクロスボウを構えそうな気迫に、いよいよ泣きそうになってきたリレス。だが、そんな彼女を守るかのように抱き寄せるレッドンは不可解な事を口にした。

彼の余裕の表情が勘に障ったのか、サエリは自身の武器であるクロスボウを手に取る。クーザンが何かに気が付いたのか彼女に向けて叫ぶ、が。

「駄目だ、サエリ! 構えたら」
「五月蝿いっ!」

時既に遅し、サエリはクロスボウの射出口をレッドンに向けていた。トリガーには既に人差し指が当てられ、安全装置も外されている。本気だ。

「リレスを離しなさい、レッドン!」
「さ、サエリ、止め」
「サエリ、武器を無闇に人に向けない事だ。でなければ、」

にぃ、と嫌な笑顔を浮かべたかと思った次の瞬間、彼女の首筋に手刀を入れ意識を奪ったレッドンの一連の行動は、まるで戦い慣れている傭兵のようだった。
リレスは激昂するサエリに完全に意識を向けていた為抵抗する間もなく気絶し、力をなくした体はそのままレッドンの腕の中に収まる。
全ては、一瞬だった。

「あっさりと、人質にされる事だってあるんだからな」
「……っ」
「え? どゆ事?」

彼らの関係を全く知らないホルセルが、訳が分からず問うた。
その問いにサエリが答える事はなく、代わりにクーザンが苦い表情で口を開く。

「あまりにも自然なものだから、あいつ、話し方がちょっと変わってたの忘れてた。そうだろ、ユキナ」
「う、うん」

レッドンとあまり話した記憶がない自分よりも、噂や憧れから結構な頻度話した事もあるユキナの方が詳しいと判断し、クーザンは彼女を振り返る。
ユキナは直ぐに頷いた。怯えていたのは、自分が彼に尾行されていた事を知ったからだろう。

そして、それならサエリの変貌ぶりにも頷ける。

「だから、レッドンじゃないのなら、リレスが傍にいる状況で武器を向けるのはヤバいと思ったんだ」
「……つまり、一杯喰わされたという訳か」
「アンタ、何をしたか分かってるのかい!?」
「フン。そちらこそ、この状況を分かってるのか? さっさと武器を下ろせ。さもなくば、この女に何があるか分かったものじゃないぞ?」

何処から出したのか、レッドンは細かい装飾が施された槍を一回転させ、順手に持ち換えリレスの首筋に刃を当てがった。奇しくも、その槍は記憶にある通りの彼の武器だった。

そして、刃が当てられたその辺りには大きな動脈が通っているから、その刃を軽く引くだけでも簡単に血飛沫が上がるだろう。
リレスは意識を失っているので逃げる術はない。例え意識があったとしても、あれでは抗う余地さえないだろうが。

ーーいや、意識がないのは、不幸中の幸いなのかもしれない。

自分がずっと捜していた恋人が、自分を殺そうとしていると気が付いてしまえば。彼女の事だ、深く傷付いてしまうに違いない。

とすれば、やれる事はひとつ。

「……っ」

ギリ、と歯軋りをして悔しさを現しながらも、サエリは安全装置をかけたクロスボウを自分の足元に投げた。
クロスボウは地面や、転がっている瓦礫に当たってガチャ、と軽く音を立てる。

「要求は?」
「その前に、後ろの奴等は外さないのか? それなら、別に構わないが。腕がなくなるだけだからな」
「……何故俺達まで武器を捨てる必要がある? 俺はそいつとは」
「クロス、後で真っ黒になりたくなければ捨てた方が良いよ」

クロスが反論を試みていたが、クーザンはベルトのフックから剣を収めたままの鞘を外し地面へ投げ、彼に声をかける。
別にサエリへの文句ではないが、後々の事を考えると逆らうべきではないと判断した上の発言だった。

ホルセルも持っていた大剣を地面に投げ捨て、セレウグはグローブを手から外していた。
それを見たクロスは、小さく舌打ちをした後で二振りの短剣を手放す。

全員が武器を地面に落としたのを確認したレッドンは、刃の位置はそのままで先程の言葉の続きを紡ぐ。

「さて、ちょっと手間取ったが……そちらのジャスティフォーカス構成員とパーツの女だけこちらに来てくれれば、彼女に危害は加えない」
「オレとクロスと、クーザンの幼馴染だけ?」
「余計な詮索は無しだ。早くしろ」

妙な取り合わせに若干腑に落ちないながらも、要求に従わなければリレスの命が危ない。

クロスは今日はもう何度吐いたか分からない溜息を吐く。
見捨てて抵抗するという手を考えなかった訳ではないが、寧ろ自分一人ならそちらを選んでいたが、そうすればホルセルやサエリが黙っていない。

ホルセルは、人を犠牲にするのに慣れていない。
ましてや、数日間共に行動してきた『仲間』なら、自らの命を捨ててまで助けようとするだろう。現に今、レッドンの隙を探すかのように妙にキョロキョロしているのだから。
仕方なく、クロスはクーザンの隣で震えているユキナに声を掛けようと口を開いた。

次の瞬間、

「伏せてーっ!」
「!?」

何処からかの指示の声に素早く反応した一同は、頭上に虹色の橋が現れたのに気が付いた。
虹の中央部から強烈な光が発生し、咄嗟に目を閉じかける。

「天架ける虹色の光! 《レインボーラジエィション》!」

誰かが魔法を発動させたのだろう、光の連鎖は音を伴って炸裂した。ぱん、ぱん、と不規則に鳴り響く音が周囲に木霊する。

「お前ら、こっちだ!」
「早く早く!」

光の中から届いた声に導かれ、クーザン達は訳も分からぬまま、武器を拾ってその方向へ駆け出そうとする。

しかしホルセルが、サエリが逆の方ーーレッドンがいる方向へ駆け出そうとしているのに気が付き、彼女の腕を辛うじて掴んだ。

「サエリ!」
「放しなっ! リレスが、リレスが捕まってんのよ!」
「馬鹿、逃げるのが先だって!!」
「五月蝿いっ! あの子を置いて行ける訳ないで」

ぱしん!

行ける訳ないでしょう、と続くはずだったサエリの言葉は中断され、代わりに乾いた音が響いた。頬を叩かれた彼女は、一瞬動きを止める。
彼女の頬を叩いたのは、もちろんホルセルだ。錯乱状態にあるサエリに話を聞いてもらうにはこうするしかないと判断したのだろう、その表情は悔しげだ。

「ここでやられちゃ助けるも何もねーだろ馬鹿っ! そういう事考えるのはお前が得意なんじゃねーのかよっ!?」
「……っ!」

ひっぱたいたホルセルはそう叫ぶと、掴んだままの彼女の腕を強引に引っ張り、先に部屋の入口へと避難していたクーザンを追い掛けた。握られた腕が痛い。
大剣を軽々と振り回す位だ、握力はあると分かってはいたが、その力には悔しさが籠っているようにも思えた。

悔しくない、訳がない。
普段は呑気に笑ってるホルセルも、れっきとしたジャスティフォーカス構成員のひとりなのだから。
民を守る立場にいる自分が、成す術もなくリレスをあっさりと捕らえられたのだ。きっと、内心では自責の念に駆られているのだろう。

今度は、サエリも抵抗しなかった。する気も起きなかった。

虹色の橋が自然に消えた時には、レッドンの眼前には人っ子ひとり残っていなかった。
唯一、先程人質に捕った少女は意識を失ったまま自分の手中にある。

やがて彼は再び『寡黙な人形』に戻ると、何の前触れもなくその場を離れた。
静かになった遺跡の廊下には、風の音だけが通り過ぎる。

   ■   ■   ■

謎の声に導かれ逃げ込んだのは、部屋にしてはやけに広い面積を持った遺跡の一室だった。内部は複雑に入り組んでいるので、見付かるのは時間の問題だとしても稼ぐ事は出来るだろう。

「危なかったなお前ら! 感謝しろよ、見付けたのオレだから。敬え」
「済まない、助かった。だが敬いは却下だ」

再び逃走劇を繰り広げた一同は息を整え、声の主とその同行者を見やる。

クーザン達を助けに入ったのは、同じく遺跡に入っていたネルゼノン達だった。
たまたま近くを通り掛かった時に彼らが武器を捨てているのを見て、助ける隙を伺っていたのだと言う。

「兄貴ぃー!」
「リル!」

その中で一番幼い少女が、半ば涙目でホルセルに飛び付く。白基調のワンピースが良く似合う、ホルセルと似た容姿を持つ少女だった。どうやら、彼女が捜してた妹らしい。

「大丈夫だったか? 怖かったろ」
「こ、怖かったけど、リル、頑張ったよ! で、でも、うぅ」
「よしよし。もう大丈夫だからな、ごめんな、怖い思いさせて」

ホルセルが腰を下ろし、宥めるように彼女の頭をぽんぽんと撫でてやる。しかし堪えきれなかったらしく、リルは彼に思いっきり抱きついて泣き始めてしまった。
仕方ない、まだ十二歳で兄と無理矢理引き離されて怖い思いをしてしまったのだから。

そして、もう一人。

「サエリの馬鹿っ、何で一人で行こうとしたんだよっ!」
「ちょっ、取り敢えず離れなさい! 悪かったからっ!」
「かなりびっくりしたんだからね!?」
「分かったから! 何度も謝ってるでしょう!?」

こちらも嬉しい再会のはずなのだが、リル同様涙目でサエリの先程の行動を責めているアークにたじたじとなっている彼女の図は、何とも新鮮に思えた。
何しろ、何時もは余裕ぶっているあのサエリがアークに焦らされて いるのだ。これを新鮮と言わずに何と言うのか。

「おーい、そろそろ良いかー」

控えめにそれらを宥めたのは、意外にもセレウグだった。一同は一瞬固まると直ぐに落ち着き、今の状況を整理する。

「合流したは良いが、また新たにあちらに捕られてしまったな……」
「残りは誰だ?」

クーザン達の方は、リレスが抜けてユキナが加わっているので人数的には変わらず六人のままだ。
対してネルゼノンの方には、本人とエネラ、ディオル、ギレルノ、そしてアークとリルの合計六人。

しかし、この後の何気ない一言が、一同の運命をねじ曲げたと言っても間違いではない。
誰もが予想しなかった、そして言って欲しくなかった一言がーー。

NEXT…