第26話 突入と、再会

夜の神殿というものは、神秘的な何かを感じさせると共に、人間に恐怖を与えるものだ。

地下の部屋で、キセラが溜息を吐く。
吐いたからと言って今悩んでいる事柄が飛躍的にどうにかなる訳ではないが、寧ろどうにもならないのだが、困るとそうしたくなるのは人間だからだろうか。

彼女が向かい合っているのは、唯一の光源であるパーソナルノートに表示されている、文字の羅列。どうやら誰かのプロフィールらしく、画面の右上には、顔写真も表示されていた。

「一応、こういう学校の書類に必要な事柄は事細かに書かれてるけど……。一体、国は何をしているのかしら」

自らの行なっている、恐らく罪にもなるであろう事は完全に棚に上げたキセラが呟く。

彼女は今、同胞のゼルフィルの指示で、とある人物の情報を掻き集めている最中だった。
機関や組織の重要なネットワークに侵入して情報収集をするのは、彼女にとっては呼吸をするのと同じ位容易い事。

しかし検索ワードはとことん跳ね返され、パーソナルノートはエラーを起こしてフリーズする。
その上、組織のマザーコンピュータにハッキングして苦労して手に入れたその者のプロフィールも、とっくに熟知してしまったものばかりだから尚更やってられない。

「全く……手っ取り早く情報を得ようと拐ってきた奴は一言も話そうとしないし。厄日だわ」

ちら、と背後を見やると、両手を後ろ手に縛られた少年が見えた。意識はないままだから、自分に迷惑がかかる事はない。

人間というものは、何故他人にこうも拘る事が出来るのだろうか。
他人は所詮他人、自分さえ被害を被る事がなければそれで良い筈、寧ろそれこそが最善の策だと思うのだが。
自分が死んでしまえば、そこまで。全くもって、人間は面倒な生き物だと思う。

なまじ常人よりも優秀な頭脳を持つせいで、キセラは自分の目の前にいる少年の考えが全く分からない事に苛ついていた。

「……はぁー……ん?」

再び溜息を吐き出すと、キーボードを叩く指を止めた。それは、先程表示されていた者のプロフィール画面ではない、別の人物のものだった。
キセラは食い入るように画面を見詰める。その目は、軽く驚愕の色に染まっていた。
暫くじっと見つめていたが、やがてほぅ、と詰めていた息を吐き、

「……そんな訳ないわね。あーやだやだ、年かしら」

自分の中に一瞬浮かんだ思考を馬鹿にするように振り払い、欠伸をした。

と、石造りのドアのない入口から人の気配を感じ、振り向く。ぱたぱた、と人が走る音が響いてきた。

「オバハン、フィルから連絡……」

ひゅっ!

そこから顔を出した、短い跳ねた黒髪の少年がそう口を開いた瞬間。
キセラは袖口に隠し持っている自身の武器、クナイを彼に向かって放った。秒速である。
女はいざという時、男よりも強くなるという誰かが残した馬鹿っぽい迷言を思い出させる程の鮮やかさだ。

少年は「う゛ぉっ!?」と声を上げ、咄嗟に首を捻ってそれを避けた。標的を見失ったクナイは彼の後ろの壁に刺さる。
バランスを崩して壁に寄りかかった少年は、そのクナイを青い顔で一瞥し、キセラに向き直る。

「っぶねーな! 何すんねん!」「サン、取り敢えずアンタを殺させて貰うわ。何度言えば訂正するの、ワタシはまだ三十路にも達してないわよ?」
「オレより10も上ならオバハンやないか、そう呼んで何が悪いん!」
「一度と言わず二度も……良いわ、一発で息を止めてあげる。同胞のよしみよ」

キセラは、一体何処に隠し持っているのかと問い掛けたくなる程の数のクナイを手に持ち立ち上がる。その数、二十以上。

デリカシーのない少年、サンも流石にヤバいと思ったらしく、顔を違う意味で引き吊らせ冷や汗を流す。彼の脳内には、何処かの国で有名な「口裂け女」という化物の名が浮かんでいた。が、決して口にはしない。
せめて死を逃れようと、サンが必死で口を動かした。

「ま、待ちぃや! もうアイツらそこまで来てんねんて!」
「……何ですって?」

今にもクナイを乱射しそうだったキセラは眉を動かし、問う。乱射という表現は相応しくないかもしれないが、気迫はそれに似ているように感じた。
話を逸らすのに成功したサンは心の中で安堵し、伝言を口にする。

「フィルの話だと、遺跡の各地点に気配が三個。うち一個は、《存在しない存在》で間違いないってゆうてたで」

「フィル」と言うのは、サンが彼を呼ぶ時のあだ名だ。
本人は最初の頃こそ嫌がっていたようだが、最近では気にならなくなったのか……または諦めたのか、サンを咎める事もなくなった。多分後者だろう、この子供はさっきのように言っても聞かないので。

「……そう」

クナイを元あった場所に片付け、付けていたパーソナルノートの電源を切る。
その一部始終を見ていたサンだが、彼女が何処に何本のクナイをなおしているのかは分からなかった。時折靴を脱いで何か弄っていたので、前身至る所に収納場所があるのだろう。

クナイをなおし終わると、キセラはびしっとサンを指差し、言う。

「サン、先に行ってなさい。ワタシは準備があるから」
「分かった」
「あと、一応覚悟してなさい。帰って来たら八つ裂きだからね」
「……」

キセラはとぼとぼと入口を潜るサンを、続いて床に寝かせられている少年を一瞥する。
最後にパーソナルノートの隣に置いてある写真立てを見ると、両方を鞄に詰めてチャックを閉めた。

   ■   ■   ■

『月がまぁるくなったら、暗い所に気をつけなさい』

良く晴れた空に浮かぶ輝く月を見上げながら、そんな言い伝えがあったな……と、クーザンはぼんやり思い出した。
月が丸くなれば光量が増して尚更安全になりそうなのだが、今この場所を見て良く分かる。

確かに、光量が多いので良く見える。見えるのだが、荒廃した町ではそれが逆に恐怖を煽るのだ。

窓という物が存在しなかった古代の建物は、中に光が届かず真っ暗闇のまま。足を踏み入れるには、勇気が要る。
その上、どちらかと問われれば白い建築物の表面は、中とは正反対で光を反射させ淡く光っているように見える為一層恐怖を増している。

まるで、ホラーな小説の世界に迷い込んでしまったようだ。

「な……何か、夜の遺跡って……ぶ、不気味だな」

ホルセルが、用心深く辺りを見回しながら言う。額には冷や汗が流れて、顔色も幾分か悪い。

「無理して付いてくるからだ。幽霊やその類いが苦手なくせに」
「こ、怖くなんかねぇよ! ただ、何か嫌な感じがするだけだって!」
「世の中ではそれを怖いと言うのよ、ホルセル」

ニヤニヤと嫌な微笑を浮かべながら、サエリが言った。明らかに反応を楽しんでいる。

しかし、つい最近通った帰らずの森もここと同じ位不気味だったようなと疑問に持ち、クーザンはホルセルに訊いてみた。逆にあちらの方が、エントや蜥蜴が棲んでいそうで恐ろしいと思うが。
エントは、魔物の一種で人類未踏の森に棲むとされる木の怪物である。

「……」

恨めしそうに細められた視線と沈黙を返事として返され、「察してくれ」と幻聴が聞こえた気がしたが、気にしない。

カタ……。

「!」

微かに、自然の音ではない音が聞こえた。
風の悪戯とも思えるが、仮にも敵の本拠地かもしれないこの場所なら、警戒するに越した事はない。
直ぐ様音のした方を見やりながら武器に手をかけ、構える。敵が何処から来ても良いように、全員が背中合わせになった。

……ズズ……ズッ……。

何かを地面に擦り付けるような音がしたかと思うと、突然異常な殺気が辺りに立ち込める。
辺りにある瓦礫の下で、何かが動く気配がした。

「……まさかとは思うが」
「俺も、まさかと思う」
「え? え?」
「サエリ、あの建物に魔法打って」
「アンタに指図される覚えはないけど……分かったわよ! ――深淵なる闇よ、焔の槍を! 《イグニースランケア》!」

クーザンの指示にサエリは素早く詠唱を終え、示された建物目掛けて焔の槍を放った。

建物は音を立てて呆気なく崩れ落ち、灰が舞う。
そして、地面に降り立つと形が変化し、次々と人形になって一同を囲む。それは、ゼイルシティでゼルフィルが連れていたゾンビもどきと全く一緒だ。

「やっぱり、あの時の!」
「……気を付けるんだ。あれは多分、ゼルフィルの仲間が操るゴーレムの下っ端だ。ゾンビと同じく、生者の血肉を好む」

セレウグが憎々しげに舌打ちをし、呟く。
《ワールドガーディアン》の一員と言う事実がこの場にいる者達にバレた為、隠す必要がなくなったのだろう。

それにしても、ゴーレムとは確か、土人形が意思を持った伝説上の生き物の事ではなかっただろうか?
そんなものを操る召喚師が、敵にいると言うのか……?
いや、そもそもそんな伝説上の魔物が本当にいたのか?

とにかく、この包囲網を脱出しない事には話が進まない。以前の戦闘で、二回倒したら復活しない事は知っている。

しかし、まだわらわらと現れる気配を見せるゴーレム達を全て倒していってもキリがないのは、簡単に予想出来た。

「クーザン、お前はホルセルと一緒に前に行け! 俺とサエリで、後ろから来る魔物を魔法で牽制する」
「分かった」

クロスの判断により、ここはまともに相手をせず進む事に。
前の二人で活路を開き、後ろの二人で魔物の進行を止める。残ったセレウグとリレスは体力温存だ。

クーザンとホルセルが斬り棄てたゴーレムが復活するまでには、クロス達が追い付いているだろうから魔法で一網打尽に出来る。

「《アイシクルエッジ》!」
「《デスフレイム》!」

氷の刃と焔の柱がゴーレム達を薙ぎ倒し、直ぐに復活出来る者は復活する。粘土で人間を作る映像を早送りさせたかのように再生スピードは早い。
だがゴーレム自身のスピードは圧倒的に遅いので、撒けない事はない。
一行は遺跡の中心、神殿跡地へ向けて走り出した。

「……」

蒼い目は、それを見送る。

   ■   ■   ■

クーザン達が、ゴーレム達に追われて逃げ出した、丁度その頃。
遺跡の反対側でも、戦闘が行われていた。

――ぱん!

「「ぐぎゃああぁ」」
「ふぅ……これで終わりかな」
「恐らくは。嫌な感じが辺りに立ち込めてて、気配が分からないけど」

ユーサとドッペルが流れた汗を拭い、イオスは手に持っている投げなかったダーツの矢を自分の懐にしまった。目の前で、レッドキャップが粒子になっていく。

遺跡に降り立った途端襲ってきた魔物達に、ユーサ達は今の今まで応戦していたのだ。ルナデーア遺跡にここ最近魔物が現れ始めたのは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。

「ふぅ……先に進もうか。奴等は神殿にいる」
「何で分かる?」
「本でも何でも、こういう展開で敵がいるのは中心地だから」

ユーサの真剣且つ阿呆らしい返答に、ドッペルは危うく卒倒しかけた。
近頃自分が魔物らしくないと自覚してきたが、大半の原因は目の前の彼だろう。

「待て待て待て待て! そんな理屈かよ!?」
「そうですね……なら、早く行かなければなりませんねぇ」
「…………」
「ユーサ」

ドッペルが、自分の考えが間違っているのか本気で考え出す。
ユーサはそんな彼に気にも留めず、焦るように先を急ごうとした。しかし、そんな彼をイオスが呼び止め、仕方なしに足を止める。

「ユーサ、悪い。私は別行動させて貰おうと思っている」
「え?」

イオスの突然の離脱宣言に、ユーサは目を丸くした。
だが、彼の真剣な表情に何かを察したのか、何かを問い詰める事なく了承する。ドッペルから見れば、ユーサにしては珍しい事だった。

「……良いのか?」

すまない、と謝罪しながら道を逸れていったイオスを見送り、ドッペルはぼそりと訊く。

「敵になる訳じゃないんだ。あれは……多分」
「多分?」
「……いや、何でもないよ」

何だよそれ、と不満を洩らすドッペルは無視をし、ユーサはイオスが駆けていった方を見やった。

   ■   ■   ■

遺跡の道は思ったより長く、もう何匹斬ったのか、何発魔法を打ったのかも分からなくなってきた頃。
ゴーレム達を撒けた事を確認し、クーザン達は足を止めた。

「はぁっ、はぁっ……」
「ちょ、休憩……」

地面にぺたん、と腰を下ろし、皆息を整える。とは言え、クーザンやクロスは膝に手を付いただけだが。

「鍛え方が足りんな。これ位でくたばられては困る」
「いきなり全力疾走するからだろー!!」
「だけど、何時までもここにいたら危ない。早めに移動しないと……」
「確かにね」

辺りを警戒しながら、サエリも同意する。
幾ら撒いたとはいえ、奴等は灰になって追いかけてくる可能性があるからだ。さっきの奴らも、恐らくサエリの魔法で半壊した瓦礫が決め手になって再生したのだろう。

「そうだ。セーレ兄さん、ゴーレムって……?」

クーザンは、何気なくセレウグに訊いた。
先程「ゼルフィルの仲間の召喚師が……」と説明していた事から、彼が誰の仕業なのかを知っていると判断したのだろう。

しかし、セレウグは口を開く事なく俯いた。その表情は、悲しいとも腹立たしいとも取れるような、微妙なものだった。

「……神殿、どっちの方だっけ?」

彼の様子に聞き出す事は無理だ、と判断したクーザンは、遺跡の中心に見えている神殿を見やる。
それを察したのか、怪訝な表情をしながらも訳を訊かず、クロスが答える。

「大分走ったが、まだかなりあるな」
「マジかよ。どんだけ広いんだ」
「辿り着く前に、体力が無くなってしまいそうです……」

元々体力が少ないリレスには、確かにキツいだろう。しかし、立ち止まっている暇はない。

「行くわよ。またゴーレムとか、今度は本物のゾンビでも襲ってくるかもしれないわ」
「そうだな」

サエリのもっともな意見にクロスも頷き、皆が立ち上がる。ぱんぱん、と服についた埃を叩くと、皆視線を一点に集めた。

神殿への入口は、直ぐそこだ。
矛盾してはいるが正直、そうでも思ってないと身が持たない。広過ぎる上に似たような景色しかない遺跡を歩いていると、気が狂いそうだ。

――ずず、とまた近くで何かが引き摺る音がした。暗闇に、赤い光がぽつぽつと灯る。

「……ちょっと遅かったようね」
「「ギャアアァア!!」」
「ここから一気に走り抜けよう。敵も直ぐそこだ!」

向かってきたオークの棍棒の軌道を片手剣で反らし、体勢が崩れた所を右斜め上からの袈裟で斬りつけながらクーザンは叫んだ。

神殿が安全だとは言えないが、ここよりは幾分マシだろう。
――その先には、こんな魔物よりも凶暴且つ残酷な人間がいるのかもしれないが。

魔物は完全に息の根を止めない限り、光の粒子となって消えてはくれない。まともに相手をするだけ無駄だ。
せめて、馬や何らかの早い足があったら良かったと心底思うが、無い物ねだりをしても意味がない。
過去の自分の失態を恨むより、現在の自分を守る術を考えなければ。

ホルセルとクーザンの目前に、再びゴーレムが形作られた。

クーザンは反射的に居合いをしようとしたが、それよりも先にホルセルの大剣に変化が現れた。

「《霧氷剣》!」

冷気を帯びた剣先で斬りつけられたゴーレムや魔物達は、その部分が凍りついて容易に動かせなくなった。ホルセルはそこに袈裟を繰り出し、やがてそれは灰と化す。

驚いて大剣を見詰めながら、クーザンは背後から迫っていた蝙蝠を斬る。
蝙蝠はあっさりと2つに斬れ、瞬時に光の粒子となった。

「それ……」
「あ、言ってなかったっけ? この前修理して貰った時、クーザン達いなくなったから……あの後ウィンタの親方さんが来てさ、父さんの剣にちょっと手を加えて魔力を使えるようにしてくれたんだ。オレ、魔力ゼロだから」
「魔力が、ない?」
「そ。……取り敢えず、先に進もうぜ!」

それー、と続けて旋回剣を繰り出すホルセル。
クーザンは、彼を見ながら前に授業で聞いた事を思い出す。

下らない世間話や役に立たない無駄な知識ばかりを口にする教師の話だったが、ごくたまに話す世界の仕組みについては、クーザンは覚えていた。

普通、天使族や悪魔族は勿論、ノウィング族でも少なからず魔力を内に秘めているものだ。
寧ろ、魔法を操る為に必要な濃密な魔力を有するのは、実はノウィング族が大半である。魔法使いが多いのもこのせい。
魔力を内包出来る器を持たない人間は何かと弊害が起こる可能性がある、と言われる程、人にはそれが必要なのだ。

しかし、ぱっと見ホルセルに何らかの異常があるようには見えない。あるとすれば、

「(……考え過ぎか)」

自分でそうは思うものの、クーザンにはこれが何かに関係しているように思えた。

『あんまり月の力を溜め込んだら、さっきみたいに発作出るぜ』
『溜め込みやすい体質みたいだし』

ふいに、あの日聞いたホルセルの中に巣食う彼の、ヤケに意味深に聞こえた言葉が脳内に蘇る。
結局、意味は分からないままだ。

人間は、知っている事は瞬時に思い出す事が出来るが、突然その知識が必要になったり、全く聞いた事がない事柄については脳の反応が鈍い。
クーザンの場合は後者に当たるが、そもそも月の力なんて誰に訊いても分からない気がする。

「クーザン?」
「あ……、いや、何でもない」
「? ふーん……」

不思議そうに問い掛けてきたホルセルの声に我に返り、慌てて口を開いてそう言った。

   ■   ■   ■

それからまた随分と歩き、襲い掛かる魔物達と戦いながら一行は漸く遺跡の中心に辿り着いた。
中心――即ち、神を崇める聖なる場所、『神殿』だ。

観光名所であるこの遺跡、造りはかなり複雑に入り組んでいる。建物の中央が吹き抜けになっていて、天井が高い部屋が何個かある。
灯りは勿論ないのだが、壁もないので月明かりが直に中に入ってきていた。光を受ける白いブロック状の壁が、反射によって自ら輝いているようだ。

天井が高過ぎる入口付近でうろうろとしているホルセルは、口をあんぐりと開けて見上げていた。
クーザンも初めて見て驚いてはいるが、間抜け面だけは晒さぬよう心の中に留めている。

「……貴様ら、その呆けた口を閉じろ」

が、抑えきれていなかったらしくクロスに睨まれる。
歴史的建造物、それも自分達の暮らしの基盤になった文化のものだから、クーザンは危険な場所と分かっていながらも惹かれてしまうのだった。

「ルナデーア神殿って、観光に来る奴もいたんじゃなかったっけ?」
「最近は魔物が彷徨くようになったからな……よっぽどの物好きじゃなきゃ来やしないさ」
「研究者とか?」
「研究者とかだ」
「という事は、オレらも物好きなんだな」
「……否定はしないさ」

ホルセルの疑問にも律儀に答えるセレウグ。そもそも、クーザンの歴史分野の知識の元は彼だ。
あ、と声を上げ、リレスがセレウグに話し掛ける。

「そういえば、セレウグさんって考古学者なんですよね」

セレウグ=サイナルドは、《ワールドガーディアン》の拳闘士と同時に、この世界の謎を研究し続ける学者だと言われていた。
リーダーのザルクダ=フォン=インディゴがジャスティフォーカスの一員であるように、《ワールドガーディアン》の者は何らかの副業を持っている事が多かった。

「とは言うものの、もどきみたいなもんだ。一応そういう資格は持ってるけど、本物じゃないさ。趣味が高じてやってるだけ」
「すっげー! 考古学ってあれだろ? 地面調べたり恐竜の化石発掘したりする奴だろ?」
「……まぁ、そんなものかな」

実際のセレウグの分野は戦跡考古学と歴史考古学というもので、何れも恐竜や化石には掠りもしていないのだが、そんな事をホルセルに話しても分からないだろう。
何より、彼の純粋な意見を否定するのには抵抗があった。
セレウグは敢えて肯定はしないが、否定とも取れない曖昧な返答を苦笑して返す。
無意識に、手は茶色の自らの短い髪を掻いていた。

クーザンはその様子を遠目に見ながら、後ろからついてきていた。
その瞳には、何時もの快活さは見えない。何時もが快活という訳でもないが。

クーザンのそんな様子に気が付く者は、誰一人としていなかった。

入口を潜って数歩、しんと静まり返っている遺跡の中では自然と声を抑えてしまうのは、誰もがやってしまう事だろう。ましてや今回は、何処に敵がいるのかも分からないのだから。

そんな中、細かく別れている部屋の入口の前を通ったクーザンに不幸が訪れた。

――ドンッ!!!

「いっ!?」

突然、恐らくは部屋から飛び出してきた何かがクーザンにぶつかり、神殿内に派手に鈍い音が響いた。

クーザンは反動で尻餅を付き、音で後ろを向いた仲間達に名前を呼ばれた。軽く右手を上げて、自分の無事をアピールする。
叩き付けられた左腕や、前身が僅かに痛み顔をしかめるが、これ位なら何ともないだろう。
腰には何かが乗っているのか、重みを感じた。不快を感じるような重さではないが。

ぶつかったショックから開放されると、一体何だったんだと目を真正面にやり――髪を整えようとしたままの姿勢で固まった。
そこには、有り得ない事が起こっていて――自分が渇望していた光景が広がっていた事に驚いたからだ。驚き過ぎて呼吸が止まるかと思った。

「ったぁ~……」

顔面を掌で覆って痛がる様子を見るに、それをクーザンの体で強打したのだろう。薄い桃色の長い髪は四方八方に散らばり、纏まりがなくなっていた。
『それ』は慣性の法則に従ってクーザンと共に倒れ、抱き付いているようにも見える。

同じく驚愕で固まっていた一同だったが、動き出すのもまた全員同時だった。

『ユキナ(さん)!?』
「ふぇ?」

クーザンとセレウグ、リレスとサエリの四人の台詞がぴったりと重なる。リレスのみ敬称がついたが、タイミングはほぼ同じだった。
自分の名前を呼ばれた彼女は気の抜けた声を上げ、手を顔から退けて周囲を見渡した。
ホルセルは「え? え?」と置いてけぼりを喰らったような子供のような表情を浮かべ、クロスは呆れているように見える。

ユキナはリレス達(声が聞こえた方)を見て、場所を確認する為に天井を見上げ、そして。

「……クー、ザン?」

目の前とも言える位置にある、幼馴染の名前を呟いた。

遺跡に降り注ぐ満月の光が、彼女の美しい髪を照らし、淡く輝いている。

NEXT…