第25話 今宵の空

強く、なりたいか?

勉強をやっていたと思われる少年は、まだあどけなさの残る瞳を問いかけた男に向けた。

男――今から何処に行くのかと問いかけたくなる格好のその者は、短く刈り上げた黒髪混じりの茶髪をガリガリ掻きながら、少年と同じ目線になる為にしゃがみこむ。それでも、身長が平均より高い男の方が上になるのだが。
そして、もう一度少年に同じように問うた。

「つよく?」
「そうだ。お前は、強くなりたいと思うか」
「……?」

困惑した表情で首を傾げる少年の姿に、男は真剣な雰囲気を打ち消し、苦笑する。

「お前にはまだ早かったか。分からなくてもいい、何時か分かる時が来た時の為に言っておく。強さとは、紙一重だ。強ければ強い程守りたいものは守れるが、逆に自分を破滅に導く事もある」
「かみひとえ? はめつ?」
「ああ」

はめつってなに?と訊いてくる少年に、男はまぁ聞け、と質問に答えず話を続けた。
同時に、最近母親に切って貰ったと喜んでいた彼の黒髪をポンポン、と撫でる。

「だからな……。お前が力を手に入れた時は、悩め。ひたすら迷え。自分は何をしたいのか、何を守りたいのか。そうして悩み抜いて導き出した答えは、必ずお前を助けてくれる。……覚えたか」
「う、ん?」

こてん、と首を横に向けながら肯定されたが、本当に理解したのかは分からない。
まぁ、仕方ない。彼は、まだ十歳にも満たないのだから。

男は立ち上がると、さて、と呟いて部屋の外に続くドアに足を向けた。直ぐに家を出、男は戦いに向かわなければならなかった。
少年も一緒になって立ち上がり、男を見上げる。

「おとうさん、いっちゃうの?」
「ああ。俺はもう行かねばならない。……マリノを困らせないよう、良い子にしているんだぞ。クー」
「うん! いってらっしゃい!」

へにゃ、とはにかみながら笑った少年に、男は再び頭を撫でてやりながら返事を返した。

   ■   ■   ■

「目的は、何なの」

ユキナが問う。
目の前にいるのは、彼女に宛がわれた飯を運んできた金髪の青年――スウォアだった。

ルナデーア遺跡。エアグルス大陸に現存する遺跡の中でも、最古と言われる遺跡だった。
観光客もいると言われればいるが、今は冬の時期の為少ない方だ。

立ち並ぶ煉瓦造りの家々は寂れきって、凄まじいまでに荒れている。
中には、室内(果たしてそう呼べるのかは定かではないが)に草花が生えているものもある。数え切れない程の冬を乗り越えた草花は、その姿を見せつけるようにしっかり立っている。

平屋しかない家々の中心に、一際目立つ建物の成れの果てがあった。
それこそが『神殿』と呼ばれる、昔噺《月の姫》が住んでいたとされる場所だ。

壁は存在しない。
無数の柱が組み合わさって石の天井を支えている。その為、冬の冷たい空気は隙間を抜け神殿の中にも入っていた。

そして、観光客には知られていない地下の部屋にも。
二人は、その一室――と言うには広過ぎるが――に立っている。
スウォアが、面倒臭そうにユキナを見た。

「……あ?」
「あんた達の目的よ……。あたしを拐ったり、クーザン達に襲いかかったり、何の為にやってるのよ」

声は、震えていた。

正直、怖いのだ。
この問いをしてしまえば、状況によってはユキナは二度と地上の光を拝めないだろう。

だけど――訊かずにはいられない。こんな理不尽な事、本来ならあってはならないのだから。

ユキナは、自分のせいでクーザンやウィンタに危害が加わるのを恐れて自らこちら側に来た。
しかし彼らは、自分を追いかけている(と思われる)幼馴染達を襲っていたのだ。約束が違う。
一体何の為にそこまでするのか、知りたかった。

そのユキナの心情を知ってか知らずか、スウォアはあっさり口を開く。

「世界征服」
「……嘘でしょう、それ」
「まぁな」

ユキナが真偽を問えば、またもやあっさりと答えるスウォア。ご丁寧に肩を竦め、両手を空に向かって広げていた。

「あながち間違いでもないと思うぜ。まぁ、俺には関係のない事だ」
「はぁ? 関係ない訳ないじゃない! 世界が征服或いは壊されたら、あんただって自由に生きていけなくなるのよ?」
「別に……どうでもいい。俺は生きるのに精一杯だからな」
「え……」
「生きる為なら、手段は選ばないって事さ。普通の身体じゃないから、これ」

スウォアは自らの身体を親指で指し示し、言う。
ユキナが怪訝な表情で彼をじろじろ見るが、見た所彼の身体に、変な所はない。
居心地の悪そうに止めろ、と言うと、彼は溜め息を吐きながら話を続ける。

「表面上はお前らと何ら変わりはないさ」
「どういう事? 人間じゃないって事なの?」
「ああ。俺は、生ける屍みたいなモンだ。ゾンビだゾンビ」

ゾンビと聞いてユキナが思い出すのは、ゼルフィル達が従わせているあの兵士の集団。甲冑等を身に付けていかにも兵士と思わせているが、それはまさにゾンビだった。
死ねば灰になり、再び人体を構築して人になる。二回のみ、という限定条件があるが。
原理は知らない、だが、脅威に違いはなかった。何より、彼女はあの腐臭が嫌いだ。

彼女の思考を感じ取ったのか、スウォアは苦笑しながら口を開いた。

「言っとくが、あのゾンビじゃねーよ」
「う?」
「確かにあれもゾンビだ。けど、あいつらと違って俺は生き返りはしない」
「じゃあ、どういう事なの?」

自分の考えをあっさり否定され、ユキナは若干不機嫌になりながら彼に訊く。答えてくれないだろう、と思いながら。

しかし、彼女の意に反して、スウォアは「つまり」と口を開いた。

「血を吸わなきゃ、生きていけない」
「……それ、どっちかって言うと、吸血鬼じゃないの?」
「生者の血じゃねーよ。……お前は知らなくて良い事だ」
「な、何よそれ!」
「言葉のままだ。なぁ、リスカ」

憤慨したユキナを押さえながら、スウォアは彼女とは全く違う方に視線を向けた。彼から見て、部屋の入口から若干左の方だ。

すると、入口のぽっかりと開いた空間に、エメラルドグリーンの長い髪を靡かせた妖艶な女性が現れた。僅かに顔に笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
そして、二人からは、彼女が腕に何を抱えているかもはっきり見えていた。

「それ以上話そうとしたら、僕が始末しようかと思ってたよ。気がついてくれて良かった」
「どーも、そんなに鈍感でもねーよ。それに、今話したのは俺の事だけだ……そいつ、運ぶ途中だったんだろ。さっさと行ったらどうなんだ」
「あ……、ああっ」

スウォアが、リスカの腕に抱えられた少年――ウィンタに一瞥をくれ、言う。ちらっと見ただけでも、やつれているように見える。

ユキナはと言うと、目を見開いて驚愕していた。リスカを指差して。
そんな彼女に呆れ、リスカが言う。

「人に指を差してはいけません、と習わなかったのかな?」
「ざ……ザナ姉……!」

忠告を無視してユキナが呟いた言葉は、震えていた。リスカは一瞬怪訝な表情になるが、直ぐに嫌な微笑を浮かべる。

「ザナ……? ああ、この体の前の持ち主の名前か。残念だけど、今は僕、リスカ=キャロラインだから」
「……ザナリア、姉さんじゃないの……?」

半ば放心しながら呟いたユキナを嘲笑うように言えば、リスカは彼女に一歩ずつ近付いた。
一歩、また一歩。

「君が知ってたザナリア、という者は死んだ。まぁ、捜せば何処かに魂位漂ってるんじゃない?」
「……!」
「ま、魂なんて見えないだろうけど?」

リスカが近付いているのに気が付いたユキナが、恐怖からか震える足を後退させた。
しかしあっさりと腕を掴まれ、リスカのしなやかな指がユキナの頬に触れる事はなかった。

ぱしん!

軽快な音が部屋に響き、リスカが気だるそうに音源である手を見やり、その先にあるものを見た。

「……行けっつっただろ」
「怖いねぇ、ヒーロー気取りかい?」
「……フン」

ユキナに触れようとしていた手はスウォアに阻まれ、宙を漂っていた。
鋭い視線を受けたリスカは渋々手を引き、入口に向かう。

スウォアも直ぐに同じ入口を潜り抜け、ガシャン、と格子に鍵をかけた。

独り残されたユキナは、暫く経って漸く地面に座り込み、身体を抱えた。まだ、恐怖に震えているのが分かる。

「……ひっ、く……」

言いたい事はあった。クーザンを執拗に追うのは止めて、とか、何故レッドン達を拐ったりしたのか、何故奴がウィンタを抱えていたのか、とか。
何時もの、気が強い自分だったら言えた筈だ。

しかし、恐怖には勝てなかった。やはり、自分は一人じゃ弱い。

ユキナはそんな自分が不甲斐なくて、次々と溢れ出る涙を止めようともせず、独り泣いた。

部屋には、少女の嗚咽だけが響く。

   ■   ■   ■

「アーク!」

浅瀬でのんびりしていた金髪碧眼の少年の耳に、彼を呼ぶ声が届いた。
ディオルの声だと直ぐに気が付き、水に浸していた足を抜いて立ち上がる。

神隠しされていた(とされる)アークとリルを連れたギレルノ達は、既にルナデーア遺跡の側にある湖に待機していた。

名前はプルガシオン湖、だったか。『浄化』という名を持つその湖の水は、底が浅いと思わせる程に透き通っている。

茶系の短い髪を項の場所だけ結び、双眸を瞼で隠したディオルが、アークの側に着くと肩で息をして口を開いた。相当急いでこちらに来たらしい。

「アーク、やっぱここにいた。捜したよ」
「うん、ごめんね。どうしたの?」
「パーソナルノートの調子が悪くってさ。見てくれない?」
「良いよ、分かった。靴履くからちょっと待って」

機械に詳しいアークは、ディオル達の持つ特殊な機械の調子が悪くなった時などに良く見てあげていた。
元々機械好きでもあった為、高価で中々手に入りにくいパーソナルノートを触れるのなら、と喜んで引き受けたのが最初だった。

早速側にある自らのショートブーツを手に取り、履き始める。
その間、ディオルは湖に顔を向けていた。

「良しっ、終わったよ」
「……アーク、君はもしかして、今まで湖を見てたのかい?」
「え? うん」
「3時間ずっと?」
「うん……3時間!?」

景色を見ていると時間を忘れる事は多々あるが、まさかそんなに経っているとは思わなかった。
すっとんきょうな声を上げると、ディオルは気が付いてなかったのか、とでも言うように顔を向けてくる。

「嘘っ……もうそんなに経ってたんだ」
「中々戻って来ないって、皆心配してたんだ。景色とか見るの好きなんだね」
「うん……。でも、好きっていうか……」
「?」
「……何でもない! 行こっ、パーソナルノートの調子悪いんでしょ?」
「う、うん……」

ディオルは、アークが何を言おうとしたのかは当然分からなかった。ただ、何か言いにくそうな事を言おうとしていたのは確かだ。

だからといって問い詰めるのはいけないよな、と自分に言い聞かせ、ディオルも彼の後を追って湖を去った。

   ■   ■   ■

「ユーサ?」

ドッペルゲンガー……否、ドッペルが、真っ白なシーツを敷かれたベッドに寝転がるユーサに声をかけた。今は、群青の髪を持つ赤い眼の青年の姿だった。
ユーサは返事もせず、ただただ天井に向かって腕を伸ばし、掌を広げている。
直感的に、ドッペルは空〔天〕に向けているのだと思った。

「……ユーサ、オレイオスを迎えに行ってくるから。戻って来たら直ぐに行けるよう、準備しといてくれよ」

ファーレンとキボートスヘヴェンは遠い。唯一架かっている橋を使って移動しようとすれば、軽く二日は要るだろう。
その為、一度『家』の様子を見ておきたいと言って帰ったイオスを迎えに行く必要があった。
ドッペルゲンガーである彼なら、龍に変身してホワイトタウンに行き、またこちらに戻る事も容易だ。
2時間もあれば、戻って来れるだろう。

「……ん」
「……???」

しかし、ユーサはやる気がないような気の抜けた返事しかして来なかった。まるで、心ここに在らずといった感じだ。
不審に思ったドッペルは、彼に近付いてみる。

「……ユーサ?」
「ん?」
「ホントに何かあったか? それか具合悪いとか……」
「ドッペルの分際で良く訊けたね。僕が簡単に口を開くと思うかい? デリカシーのない奴……あ、そっか。魔物にデリカシーを求めても無駄だね。ごめんごめん失念してたよ」

どこかにあるスイッチが入ったかと錯覚する程に、突然よく動くようになったユーサの口からはドッペルを罵倒する言葉しか出て来なかった。
まともに聞いたドッペルは、戦闘する時よりも酷いダメージを受けたかのように凹んだ。

「……良いよ良いよ、どーせオレは魔物だよ畜生……」

終いにはいじいじと床を弄り始めたドッペル。そんな彼を一瞥すると、ユーサはぽつりと呟いた。

「……って……」
「え?」
「人間って……酷い、と思ったんだよ」

そう呟いたユーサの表情は、結構付き合いが長い方だと思うドッペルでも見た事がない、寂しさを称えていた。

「人間ってさ、皆が皆寄り掛かりながら生きてるでしょ? 普通に笑って、普通に泣いて、普通に怒って。それらを共有しながら、人と係わりを持ちながら、一生懸命生きてる。ノウィング族、天使族、悪魔族も、それぞれ家族と一緒に仲良く暮らしてる」

いきなり問いかけのような話をし始めたユーサの言葉を、ドッペルは顔だけを向けたまま聞いている。
正直、彼からそんな言葉を聞くとは思っていなかった。

「……でも、さ」

天井に向けて伸ばしていた手を、握りしめる。
その手には、一体何が掴めたのだろうか。

「人間って、魔物や人ならざる者――例えば自分らの脅威になりうる者。そういうのは一切排除しようとするでしょ。ホントは、イオスさん達だって信用しちゃいけないんだよ、僕は。本来なら持ち得ない力を得てしまった、人であって人ではない、僕らは」

参ったなー、と呆れたような声音で言うユーサは、伸ばした腕をそのまま顔の上に載せる。
それは本当に泣きそうな声だったが、泣いているのかは分からない。

「……ごめん、訳の分からない事言っちゃって。イオスさん迎えに行――」
「セーレと、クーザンっていう餓鬼を見たからか?」

気分を振り払って送ろうと口にしたユーサの言葉は、だがドッペルの発言によって遮られた。
図星だったのか、ビクリ、と僅かに反応してしまっているようだ。

「……やっぱりか」
「羨ましいのかな。そういうの、ないから」

様子が可笑しいはずだ。
ドッペルは話に聞いただけだが、ユーサはイオスに拾われる以前の話は全くしようとしないそうだ。
それは、ただ思い出したくない過去なのか、それとも。

どちらにせよ、ユーサは完全に『家族』や『仲間』からの『愛情』、というものが欠落していると思われた。
たまに見せる寂しそうな、悲しそうな複雑な表情は、それを無意識に渇望しているように見える。

そして、人をおちょくるような言動や態度は、言わば本心の裏返し。自らの感情や事情を相手に悟らせないようにする為に、ユーサが手に入れた悲し過ぎる仮面だった。

矛盾しているのだ。
人からの『愛情』を求めながら『干渉』を拒む、ユーサという人間は。

ドッペルは時計を見上げる。
そろそろ出なければ、間に合わなくなってしまう時間帯だった。
だからといって、こんな状態のユーサを置いて迎えに行く程自分は薄情じゃない。と、思う。
軽く舌打ちをして、口を開いた。

「時間ないから簡潔に、これだけは言わせてもらう! ユーサ、お前は一人じゃない。イオスやシアン、孤児院の餓鬼共、それに楽団の奴らだっている。人間の仲間は信じられないって言うんなら、オレだっている! お前さえ良ければオレを兄弟とか、仲間だと思えば良いさ。契約とは言え、オレは裏切るつもりはないし」

ここまで一息で捲し立て、一旦息継ぎで言葉を区切る。

「だからな……一人で考えんな! 以上、行って来るぞ!」

一番言いたかった事を素早く言い捨て、ばん!と扉を閉めた。
静かになった部屋で、ユーサは起き上がる事なく口の端を歪めた。

「……何それ。しかも、その辺の家具の影から行けば早いクセに……馬鹿みたい。戻って来たら絶対殴ってやる……」

声はさっきよりも震えていて、前髪の隙間から見えた群青の瞳からは僅かに涙が零れていた。

「……ありがと」

聞こえる筈はないと分かっていながら、寧ろ分かっているからこそ、ユーサはぽつりと言った。

   ■   ■   ■

ルナデーア遺跡が背負う夕焼けは、幻想的な光を帯びていて美しい。
何時もと同じ夕焼けのはずなのに、まるで遺跡自体が光を発しているかのような錯覚を起こさせる。

満月が、半分だけ姿を見せていた。

「ああ、やっぱりお前、シアンの妹だったのか。似てると思ってたんだ」
「はい」

クーザンとホルセルとサエリ、そしてクロスはかなり前を歩いている。戦闘になればリレスはサポートに回る為、セレウグは彼女と並んで後ろの方を歩いていた。
丁度向かい風なので、この距離なら二人の会話が彼らに聞こえる事はない。

「最後に会ったのは何時だ……? いや、そもそも会った事あったか……?」
「一度だけです。……私も、名前を聞いてからやっと思い出したんです」

ゼイルシティに移動する途中起こった魔物との戦闘の際、窮地に陥った彼女を助けたのはセレウグだった。
リレスはその時、彼の背中を見た事があるような、でも見てないような不思議な既視感を感じていた。
そして、先日漸く思い出したのだ。

「楽団についていってトルンに行った時、私、町で迷っちゃったんです。不安でいっぱいいっぱいだったのに、飼い犬が吠えてきて。その時、側を通ったセレウグさんが犬に取っ組み合っていっちゃったんですよ? 忘れたくても忘れられないです」
「……思い出した、その時噛まれたせいでオレ暫くウルフとか倒せなくなって、今もそれでおちょくられてんだよ……」

どよーん、と暗い雰囲気を背負い始めたセレウグの姿に、リレスはクスクス、と笑う。
しかし直ぐに不安気な表情に戻ると、胸に手を置いて遺跡を見やった。

「……思えば、私達は何処かで必ず繋がってます。ユーサさんの言っていた通り、やはりこの世界に何かが……?」
「分からない。でも、確実に今夜あの場所で何かがある。それこそ、世界に関わる何かが……」

考えても分からないから考えないようにしてるけどな、と締めくくると、セレウグは何かに引っ掛かったのかリレスに質問する。

「ユーサの事は言ってなかったのか?」
「当然です! 言えば何をされるか……」
「はは、同感」

普段はこれでもかという程におっとりとしている少女が顔を青くして恐れているのを見ると、問題の青年が如何に恐ろしいのかが分かってつい笑ってしまった。

そして、前を歩く四人は。

「ライト」
「トルシアーナ」
「縄張り」
「栗鼠」
「砂場」
「馬さs」
「貴様ら、遠足じゃないんだが」
「暢気ねぇ、全く」

ホルセルに付き合わされているクーザンはしりとりをしていたが、クロスに咎められ僅かに苛ついていた。
サエリも呆れている。

「(だから俺は無罪……)」
「分かってるのか? 今日これから行くのは、ひょっとしたら敵の縄張りかもしれないんだ。貴様らのように気が緩んでると――」
「分かってる、分かってるから! だってさ、移動中って暇じゃんか。だからしりとりくらい許してくれたって……」
「却下」
「クロスのケチ~……」

剥れるホルセルを無視し、クロスは目前に近付いている遺跡を見やった。
そろそろオレンジと紺色のコントラストに移り変わろうとしている空は、不気味な雰囲気に思える。

「……『誰かが犠牲になる世界など、意味がない』」
「え?」
「何でもない」

そう、意味がないのだ。

犠牲を産み出さずに平和を作る、それがJFの活動方針であり、目標だった。そしてこれからも、それは続くのだろう。

「まっ、ちゃちゃっとリルとアーク達と合流して、ユキナとレッドンを連れ戻せば良いんだろ?」
「安直過ぎる。大体、俺達が勝てる保証も無いんだぞ」
「分かってるよ。でも、やるしかないじゃん。ここまで来たら」

まぁ、正論ではある。
ここまで来て帰るつもりもない。

「なら、全員無事で帰れるように努力するだけだって」

何故か、このホルセルの言葉が、クーザンには重たく感じた。

『全員』、それには勿論自分も入っている。

遺跡を見る。その向こうに、徐々に闇に包まれる空が見える。
そして、遺跡は僅かな満月の光で青白く光っていた。
まるで、演奏会の時にステージが良く見えるようライトアップされたかのようだった。

それは、全員が見ていた。

そろそろ行こうかと準備をし始めた、湖に滞在していた者達。

魔物が化けた龍に乗って遺跡へ向かっていた者達。

大切なものを取り戻すべく遺跡を目指す者達。

そして、遺跡で待ち受ける者達が。

演奏会開始のサイレンは、静かに、だがはっきりと、響いていた。

第一章 完