第22話 乗り越えるべき壁

たまに同じように国と国を旅する人にすれ違うが、やはり安全ではない荒野の移動。
魔物が食糧を狙って飛び付いてくる度に、一行は応戦せざるを得なかった。ちらほらと降る雪のせいもあり、体力が尽きないよう休みを入れながら歩いていく。

今も、

「クーザン、そっちに犬が行ったぞ! 殺すなよ、せめてオレが倒してやるんだから!」
「ちょっと待て、倒さないと俺が危ないから! しかも犬じゃない!」
「駄目だ! 犬大好きクラブ会員第一号のオレが倒すんだあぁ!!」
「そんなクラブがあるかあぁ! そして犬じゃないって言ってんだろ!?」
「今作ったんだよぉお!! 犬うぅ!!」
「悪いのは俺の言い方か、お前の耳か!?」
「貴様ら、呑気に話さないで真面目に戦わんか!!」
「アンタ達を殺すわよ!?」
「何で俺まで!?」

涙を流しながらクーザンを襲いに行ったウルフを倒そうとするホルセルに、クロスがスライムを斬りつけながら注意していた。サエリも魔法を発動させて野次を飛ばす。
クーザンは、ホルセルに言われたとはいえウルフを殺さない訳にはいかないので、片手剣を敵の足狙って薙いだ。
その際、「俺は無罪だ!」と言い返すのを忘れない。

リレスは当然の如くサポートに徹し、セーレが隣で待機していた。
最近の戦闘スタイルは、こんな感じになっている。

が、幾らこのやり方が完璧だとしても、防御が完璧だとしても必ず穴はあるもの。

「……っ、リレス、そっちに!」
「え?」

クロスが仕留め損ねた鳥獣の一体――グリフォンが、リレスの方に飛んできた。慌てて防御の魔法を唱えようと杖を掲げ、

ばぐっ!!

『ぐぴぃ!』
「っぶないな~……」

隣にいたセーレが素早くリレスの前に回り込み、グローブで鈍い音を立ててグリフォンの腹部にヒットさせた。ソイツはよろめいて地上に降り立ち、そこにサエリの闇魔法が炸裂して粒子になる。

「大丈夫?」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
「セーレさん大丈夫か?」
「ああ、危なかったけど」
「病み上がりなんだから無茶しないでよ」

周囲の魔物は殆んどいなくなったので、全員がリレスとセーレの近くに集まってきた。

「さて、進むぞ」
「あいよー」

クーザンとクロス、ホルセルが歩き出し、セーレが後に続く。
サエリも付いていこうとしたが、リレスが首を傾げて何か考えていたのに気が付いた。

「リレス?」
「……そのうち思い出しますよね! うん」
「はい?」
「気にしないで下さい!」

一人で納得して歩き始めたリレスの姿に、今度はサエリが首を傾げる番だった。

   ■   ■   ■

あれから数回別の魔物にも襲われたが、一行は何とかゼイルシティの国に着いた。時間は七時ちょっと前。

国にぐるりと張り巡らされているゲートで審査を受け、更に先にあったゲートを潜ると、眼下に大きな国が広がっていた。

「……何つーか……何度見ても……」
「凄いなぁ、これは……」

ゼイルシティという国は、地に開いた巨大な穴の中に造られている。
絶壁の岩肌には所々に家の扉のようなものが見受けられ、それをつたうように道が。
穴の底にも勿論石造りの家が建てられ、中央には広場らしき丸い敷地があった。
流石は、悪魔が造り出した国。

「移動は飛べば直ぐ。昔は道さえも無かったそうよ」
「私達は流石に住めないですね……」

この国出身であるサエリが言うと、リレスが少し寂しそうに呟いた。国の移動だけで一日は使いそうだ。

「さ、アタシの家に行きますか」
「でも、大丈夫なのか? 五人もいるのに」
「平気よ。甘く見ないで頂戴」
「甘く見たつもりはないけど」

サエリの家は、岩肌に造られた方だったようだ。入ってきたゲートの丁度近くにあるらしい。
が、もう一人の出身者――クロスは、ボンヤリと国を見ているままだった。

「クロス?」
「……」
「クロスー、置いてくぞー」
「……今行く」

ホルセルの呼び掛けにも直ぐには応えず、近くで名を呼んで初めて反応を返した。何時も以上に表情が強張っている気がするのは……多分気のせいではないだろう。

サエリの家は、ゲートの下に繋がる道を上から数えて直ぐにあった。
ちなみに一番下は『最下層』、階段を下から『一階層』、『二階層』と言うらしい。
つまり、『四階層』にあったと言う事だ。

「しんどい」
「つくづく人間には優しくないからね、この国は」
「ふぅん……」

サエリは懐から鍵を出し、錠前の穴に差し込んで開けた。木製のドアを押すと、簡単に開く。

「ただいま」
「あら、サエリちゃん?」

中は綺麗に掘り出されており、本当に洞窟なのかと疑いたくなるような造りになっていた。
小ぢんまりとしたテーブルと椅子が何個か、寒さ対策に暖炉。向こう側にキッチンが備え付けられている。
その向こうにも部屋はあるようで、ドアが二つあった。

椅子に腰掛けていた女性がサエリに気が付き、ブランケットを膝から退けて立ち上がろうとテーブルに手をつく。サエリは慌てて近付き、

「母さん、座ってなって!」

珍しく焦った声を上げて女性を座らせた。
そして、入口でぽかんと呆けていた一行に顔を向ける。

「ほら、アンタ達も入って来なよ」
「あ、ああ……」
「お友達?」
「そんなもんよ」
「お、お邪魔します」

おずおずと入ってくる仲間を手招きすると、サエリは腰掛けたままの女性に向き直った。
彼女と同じ、長い藤色の髪が印象的だ。

「紹介するわ。右からクロス・ホルセル・クーザン・セーレ。リレスは前に会ったわよね?」
「ええ。お久し振りです、レイニィさん」
「久し振りね、リレスちゃん。そっちの子達は初めまして。サエリが何時もお世話になってます」

ぺこ、と頭を垂れて挨拶をするサエリの母親――レイニィを見て、少し遅れて礼をする男子四人。

「まぁ、こちらがお世話になってる感ありありなんだけど……」
「違いないね」
「で、母さん。今アタシら旅をしてるんだけど、泊まるトコを探してるの。金使うのも何だからアタシの家に泊まろう、と来たんだけど、良いかしら?」
「構わないわ、寧ろ大歓迎」
「そう言ってくれると信じてたわ。母さんは晩御飯食べたの?」
「まだ。最近また食欲がなくて……」
「ちゃんと食べてって言ってるじゃない! はぁ……取り敢えず、男子は布団の用意、リレスは母さんの相手してくれる?」
「分かりました」

皆に指示を出しながら、冷蔵庫やら食器棚やらを漁るサエリ。
中を見て「やっぱり一人暮らしだから食材ないわね……」と一人呟き、爪を噛んでいる。何を作るか悩んでいるのだろう。

クーザンは指示されたように布団を用意しに行こうとしたが、住んでいる本人に聞かなければ分からないので、悪いと思いながらも話しかける。

「サエリ、布団は?」
「ん? ああ、その入口とこっちの入口二つ。入って右と左にクローゼットがあるわ。箪笥があるけど開けるんじゃないわよ」
「了解」

サエリが少ない食材プラス自分達が持ってきていた食料を使って完成させたのは、肉がない野菜多目のカレーとサラダだった。コンソメスープはレトルトらしい。

「やっと出来たわ……」
「サエリ、お疲れ様です」
「美味しそう。サエリちゃんの手料理久し振りだわ」

余程嬉しいのだろう、レイニィは嬉々として両手を合わせ食べ始めていた。
クーザン達もスプーンを手にそれに倣う。道中サエリが食事を作っていたので分かってはいたが、やはり美味い。

「所でサエリちゃん。あなた、一階層のあのお部屋の事覚えてる?」

レイニィから話しかけられたサエリが、暫し宙を見詰めて考え込む。
初めて訪れたクーザン達は当然分からないので、自然と視線は彼女らに集まった。

「一階層……ああ、『開かずの部屋』」
「そう。十何年も前から侵入禁止になっているあのお部屋。結局持ち主も見付からないから、とうとう片付けられる事になったの」

かしゃ!

スプーンと皿の擦れ合う音が響き、レイニィの声が遮られた。

「……あ、」

音を立てた本人――クロスが、全員から注目されている事に気が付いたのか、慌てて落としたスプーンを持ち直し、

「す、済まない、続けてくれ」

そう言った。
らしくない行動にサエリが眉をしかめ、彼に顔を向ける。
クーザンの隣に座っているホルセルが、スプーンを口にくわえながらクロスを見ている。驚いた表情を見る限り、やはり彼にしては珍しい反応なのだろう。

「……アンタ、やっぱり可笑しいわよ」
「気のせいだ、気にするな」
「……」

気にするなとは言っているが、僅かに戸惑っているような表情が浮かんでいる。本人は隠しているつもりなのだろうが、残念ながら隠し切れていない。

その後レイニィから噂話の類いを色々聞いていたが、クロスが反応したのはやはり最初の『開かずの部屋』の話だけだった。

風呂を済ませ、右の部屋に男子、左の部屋に女子とレイニィが寝る事となった。
ホルセルは「久々の暖かい布団!」と叫んでいたが、よく考えたら昨夜も宿で寝ている。
それを突っ込んだら、気分位浸らせてくれ!と怒られた。

その後四人は布団に潜り、明日に備えて早めに休んだ。

――暫くして。皆が就寝してから、二時間は経っただろうか。

「……」

コソコソと布団から這い出し、音を立てないように部屋から抜け出した者がいた。
丁度良くホルセルが、

「う~ん……オレ最強……むにゃ」

と寝言を言ってくれたので、容易に抜け出す事は可能だった。

というより、寧ろ何の夢を見てるのか激しく気になったが、取り敢えず無視をする。

   ■   ■   ■

「(行ったかな)」

クーザンは潜っていた掛け布団から頭を出し、ドアが静かに閉まったのを確認した。寝たフリをしていたのだ。
直ぐに布団から出て、毛布を丸めて代わりに寝かせる。
辺りが暗いから、ホルセルがもし起きても騙されてくれるだろう。
セーレは、……大丈夫。多分。

上着を羽織り、ズボンにベルトを通して片手剣を吊る。一応持っていった方が良いと思う。

そして、ホルセルが起きないよう静かに部屋を出た。

「あら、クーザン?」
「! ……何だサエリか」

突然声をかけられ、気配を隠すようにして出てきたクーザンは心臓が飛び出るかと思う程驚いた。

声の主は、サエリ。クーザンとしては安堵からそう言ったつもりだったが、彼女は気に障ったのかジロリと彼を睨んだ。

「何、アタシじゃ悪い?」
「いや、そうじゃなくて。どうしたんだ?」
「……出てったでしょ、アイツ」
「あ……サエリもか」

どうやら彼女も同じらしい。クーザンのように、今日様子が可笑しかったクロスをつけるつもりで出てきたようだ。
そう言われれば、彼女の腰には何時ものクロスボウも吊り下げられているのに気が付いた。

「行きましょ。『開かずの部屋』の場所なら分かるから」
「リレスとレイニィさんは?」
「ぐっすり寝てるわ。あれじゃあ二人は一時起きない。ホルセルとセーレも?」
「ああ、ホルセルは寝言言ってた」

まぁ、出てくる時に何か嫌な気配は感じたけど……とは、流石に言わなかった。

『リレスとレイニィさんは?』
『ぐっすり寝てるわ。ホルセルとセーレも?』
『ああ、ホルセルは寝言言ってた』

閉じられたドアの向こうから聞こえた声。
他は寝ていると当然思っているので気を使って声は小さかったが、一応言っている言葉は聞こえた。

さっきまで寝言を呟いていた少年の瞳は、ドアを見やる。
深海の蒼のように、暗かった。

   ■   ■   ■

夜のゼイルシティは暗い。
穴の底に国があるせいでもあるが、照明の少なさも相まって、最下層の方は殆んど真っ暗だ。
落ちたら吸い込まれそうな、闇。
「……なぁ」
「何?」
「一階層って言ってたよな……」
目の前の、底の闇を見下ろしながら訊く。何故かサエリも同じように見下ろす。

「そうよ」
「……直ぐに降りれる道ある?」

クロスをつけようとだけ思っていたせいで、すっかり忘れていた。
彼も悪魔、この国の移動は容易に出来る存在だった事を。

クーザンは勿論人間、翼を持たない種族。一階層まで行くのにどれ程の時間を要するのか。
僅かな期待を胸に彼女に聞いてみるが、返事は

「ないわよ」

の一言だった。

「……だよな」
「(仕方ない、尾行はサエリに任せるかなぁ)」
「だからアタシが来てるんじゃない」

心の声を読んだかのように、サエリが言い返してきた。

「え」
「アンタの事だから考えてないと思ったわ。人間でも空を飛べる移動手段。ほら」

彼女はクーザンに手を差し伸べ、言う。

「……もしかして、」
「連れてってあげるわよ。アタシ飛ぶの荒いからそこは勘弁してよ」

つまり、サエリは自分を持って飛ぶ、と言っているのだ。
しかしやはりクーザンも男、女の手を握るという行為は容易ではない。

「俺……重い、けど」
「この際我慢してあげるわ。それとも何? やっぱりユキナじゃないと手は繋ぎたくないワケ?」
「ち、違う! 分かったよ、繋げばいいんだろ繋げば!!」
「アンタ本当に分かりやすくて面白いわ」

繋ぐ、と言ったものの恥ずかしさでそっぽを向いたクーザンを見て、サエリはこそっと感想を洩らした。

飛ぶ前に崖から飛び降りる旨をクーザンに伝え、背中に集中して黒い翼を生やすと、二人は崖に向かって走り出す。
一気に柵を飛び越え、重力が働く前にバサッと翼を羽ばたかせる。重量があるせいで飛び難いが、仕方ない。

「し、舌噛んだ……」
「馬鹿ね。一気に飛ぶわよ!」

サエリはさぞ楽しそうに声を弾ませながら、目的の最下層へ翼を羽ばたかせた。

ざっ、と地面に降り立ち翼を仕舞うと、目の前の一軒の家のドアを見た。

『関係者以外立ち入り禁止』『危険入るな』等貼り紙がされていたが、お構い無しにドアに手を掛ける。
やはり鍵は掛かっている。

「……まさか、直ぐに見つかるとは思っていなかったが……」

腰のベルトから吊り下がっているポーチに手を入れ、随分錆び付いた鍵を手に取る。それをドアの鍵穴に差し込み回すと、

かちゃり。

と乾いた音を立てて開いた。
立て付けが悪いドアはぎいぃ、と音を立てて動く。

中は、一言で言うならば凄惨な状態だった。
サエリの家と造りはほぼ一緒だが、テーブルは脚が折れて倒れ、ソファーは布が色褪せ、切り裂かれた裂け目から綿が飛び出ている。
椅子も無惨な状態だ。もう修理するより捨てた方が良い。

足元に気を付けながら中に侵入し、真っ直ぐ右の部屋のドアの前に立った。
ドアを開けようとして、自分の手が震えている事に気が付く。

――恐いのか。

そんな自分の姿を想像すると、自然と自嘲の笑みが零れた。理由は分かっていた。
何故なら、此処は――。

「アンタの家だったの、ココ。鍵の持ち主がアンタだけなら、開かずの部屋と呼ばれて当然ね」

突然響いた聞き慣れた声に、クロスは振り向いた。自分の直ぐ後ろにいる、女悪魔と人間――否、サエリとクーザンに。

「……貴様ら、」
「バレないように抜けて来たのに、かしら? 残念ながら、気配がだだ漏れよ」
「俺とサエリしか気付かなかったみたいだけど。……所で、クロスの家にしては……」

キョロキョロと辺りを見回すクーザンは、凄く言いにくそうに口を閉じる。
それもそうだろう、家とは思えない程破壊されてるようなものなのだから。

「散らかってる、か?」
「違う。十年以上前に住んでいたんだろ? 何で家具が壊れて、こんな状態で放棄されてたのかが気になっただけ」
「まさか……アンタも、盗賊に襲われてとか言わないわよね」
「……盗賊なら、どんなに良かった事か」

サエリの言葉に、クロスは自嘲気味に笑みを浮かべた。その笑みは、正直痛々しく、おぞましい。

「この先に、何かあるの? さっき開けるの躊躇ってたわよね」
「……開ければ分かる」
「……開けて良いのか?」
「……良い。覚悟は出来ている」

扉を開けるのに何の覚悟がいるのか。そう思いながらも、了承を得たクーザンはドアノブに手をかけ、ドアをゆっくり開く。

その向こうは、入り口より荒れ果てていた。
机は真ん中で折れ曲がっていて、椅子も倒れている。恐らくはたくさん入っていたであろう本棚は倒れ、本が好き勝手に散乱し、その上大きな切り傷があり、まるで何かが暴れた跡のようだった。

と、サエリが鼻を押さえる。

「何これ……アンタ、ホントに何があった訳? しかも、何か薄いけど血の臭いが……」
「本がたくさんあるから書斎っぽいけど……」
「ここで、母親が死んだんだ。丁度本棚の……」

クロスが中に入って倒れた本棚に近寄る。そして、下の隙間に手を入れて、一気に持ち上げた。

下には、

「っ!」
「え……」

本棚の下には、気分が悪くなるような夥しい黒の玉。
良く見れば壁にも僅かに付着していて、年月が経っているのか黒くなっている。

「血……?」
「っ……」
「クロス!」

ふら、と身体がよろけたクロスをクーザンが慌てて支える。
一瞬触れた肌は驚く程冷や汗を掻いていたが、彼は直ぐに自分で立てる、と返し、口を開く。

「……済まない。小さい頃――俺が四歳の時だから十三年前か、父親が戦争で死んで、母はストレスからか可笑しくなってしまった。誰が誰なのかも分からなくなり、辺り構わず魔法で破壊活動を続けていたんだ」
「じゃあ、この家をこの状態にしたのは、クロスの母親?」
「ああ……毎日毎日奇声を上げながらな。そんな日が続いて、とうとう母は俺の事まで分からなくなった」

『おかあさん、おれだって!』
『ふふふ……騙されないわ、騙されない! あなたも私と話をしに来たんでしょう、無駄よ、無駄なのよ! もう何もかも駄目なのよ、あの人がいないから!』
『お、かあ……さん?』
『あの人の所に行くのを邪魔するのなら、あなたも私を邪魔するのなら、』
『っあ゛……!』
『コロシテアゲルワ……!』

脳裡に、あの時の目の前の情景が浮かび上がり、反射的に吐きそうになる。が、何とか耐えた。

「……」
「大丈夫?」
「ああ……。自分の息子の事まで分からなくなった母は、……絞めたんだ、俺の首を」
「なっ……親が、息子を殺そうとしたって事かい?」
「……幸い、絶妙のタイミングで現れたジャスティフォーカスの構成員が家の異変と俺の悲鳴に気が付き、止めようとして」
「母親は殺された、そういう事?」
「ああ。――あれ以来、しょっちゅう殺されそうになる瞬間の夢を見る。この家に来てどうにかなるという訳ではないが、来るべきだと思ったから今日来たんだ」

先程の「盗賊なら、どんなに良かった事か」と言ったクロスの気持ちが、今なら良く分かった。
愛されるべき母親に忘れ去られ、終いには殺されそうになった者の気持ちは、部外者である自分達には分からないかもしれないが、何となく想像は付く。

サエリもクーザンも、何だかやりきれない気持ちになった気がした。
自分の中で情報整理を終えたのか、彼女は溜め息を付きながら頭を掻く。

「もしその時知り合ってたなら、アタシだって何かやってやれたかも知れないね」
「無理だ。お前、2歳にもなってないだろう」
「あ、そうか……」
「……帰ろう。クロスも、今日は休んだ方が良い」
「夢は見そうだがな」
「分からないかも、よ。直接何かはしてないけど、アンタは自分の意志でこの……自分が、殺されかけた場所に来たじゃない。取り壊されて何もなくなった状態よりも、今来たのは少なくとも何かには繋がるはずよ」

クロスは驚いたような表情でサエリを見たが、暫くしてふ、と顔を背けた。

「ありがとう。済まなかった、二人とも」
「?」
「話して少し楽になった気がする。今まで、ホルセルにも本当の事は言えてなかったからな」
「俺達は何もしてないけど――どういたしまして」

こうして、三人は開かず部屋、いやクロスの家を去った。

サエリの家に戻ると直ぐに各自の部屋に戻り、再び明日に備えて眠りに就く。

翌日、早起きのホルセルによって起こされたクーザンとクロスは、残りのセーレを起こそうとする彼を部屋に残して居間に移動した。

「今日は?」
「……見なかった」

そう応えたクロスの表情は、何時もより穏やかだった。

彼の幼い頃に植え付けられた恐怖(精神的外傷)は、簡単には消えないとは思う。
けれど、自らが死にかけた場所に訪れた事で、それが少しずつ薄まっていけば良い、そう願わずにはいられなかった。

NEXT…