第21話 静かな戦慄

翌朝も、クーザン達は聞き込みの為に朝早く起き出していた。
未成年の情報収集の手段として新聞は不可欠であり、クーザンも既に朝起きてそれに目を通すのが日課となっている。

食堂に顔を出すと先にクロスが新聞を読んでいたので、読み終われば貸して、と伝えてから飯を取りに向かった。

「うわぁ、楽団が来たんだって?」
「そうそう。エルメスには劣るらしいけど、結構上手いグループらしいよ!」
「あは、そんな事言ったらダメだよ~」
「だって、エルメスの踊りは天下一品よ? 他のグループなんて足元にも及ばないわよ」
「楽団?」

その言葉に興味を持ったのは、飯を喜々として受け取っていたホルセル。

「楽団は、名の通り音楽を愛する方達の事。音楽を奏でたり、それに合わせて踊りを踊ったりするんだ。エルメスはその中でも一番有名で、実力のあるグループの名前。結構色んな所に公演をしに行ってる。俺も見た事はないけど……」
「へぇ……」

本当に初めて聞いたのか、興味津々に相槌を打つホルセル。

「(……あ、そうか)」

「ホルセル、何なら見に行く?」
「え?」

クーザンは昨日の話を思い出し、ホルセルを誘った。
彼は驚いたように発言者を見、しかしちらりと相棒を見る。行きたいが、クロスがなぁ……と言う事らしい。

席に戻ると、サエリやリレスも来ていた。クロスから新聞を受け取り、先程聞いた楽団の話を持ち出してみる。
案の定彼は渋面を浮かべた。

「クーザン。俺達は遊んでいる場合じゃない」
「俺も見たいし、買い出しは殆んど昨日で終わっただろ? ま、俺だって男同士で踊り見るのは好きじゃないけど……祭りみたいなもんだし」
「しかし」
「良いんじゃないの? 行かせてやんなさいよ。そん代わり、アタシ達とコイツも付いていくわ」

サエリがセーレを指差して示す。
彼女は話を聞いていなかったがどうやらクーザンの真意に気が付いたらしく、フォローを入れてくれたのだ。聡い相手がいて良かった、とこっそり息を吐く。

「あ、サエリ。私は大丈夫ですよ、今日は宿で休んでますから」
「……そう?」

しかしリレスは、申し訳なさそうに手を挙げ言う。
悉く言い訳を潰されたクロスは、本当に呆れたように顔を歪め、

「……分かった。但し、トラブルに巻き込まれたりするんじゃないからな」

渋々許しを出した。
途端にホルセルの表情が明るくなり、「ヨッシャー!」と両手を上げて喜んだ。

「クーザン、行こうぜ!」
「分かったから待って、新聞読んでから行く」

クーザンは早々に食事を終わらせ、手早く新聞を読み進める。
ふとページ数に目が行き、本来なら順々になっているはずの数字がばらばらになっているのに気が付いたが、乱丁か何かだろうと大して気にも留めなかった。

「迷子になるから固まりなさい、アンタ達!」

楽団が来ているという公園では、沢山の人で賑わっていた。
見渡せば色々な出店も出ており、小さな子供はチョコバナナや綿菓子を買って喜んでいる。

「えっ、出店ある出店!」

アラナンの建国祭といい、自分達は余程運が良いのだろうか。
それとも大陸の住人の殆んどが祭り好きなのだろうか?

祭りに良く遭遇するなぁと考えていると、隣のホルセルが大きな空色の瞳をクーザンに向けて言う。余程はしゃいでいるようだ。

「うんあるね」
「やっべ~、オレ焼きとうもろこし食いたい。ない?」
「う~ん……あ、焼き鳥と焼き烏賊あるよ」
「焼きもろこしならさっき入り口付近で見掛けたわよ?」
「マジで!? ちょ、待ってて。買ってくるから待ってて。オレ焼きとうもろこし食べたいから」
「どうでも良いから早く行ってきなって」

待ってろよー!と叫んで元来た道を全力疾走するホルセルの姿を見ていると、とてもじゃないがクーザンと同い年には見えない。

「はぁ……」
「やっぱり読みは当たったみたいね。祭りとか好きそうだけど、中々来れないんでしょうね」
「まぁ……あんな経緯の持ち主だし、ジャスティフォーカスだし……。何より、クロスがなかなか遊ばせてくれなさそう。無理もないと思う」
「そんな心配しなくても大丈夫って言ったら、ホントに嫌そうに見張りを頼まれたわよ。アンタはホルセルの母かって言いたくなったわ」

ケラケラと笑うサエリの言葉に、クーザンも確かに、と苦笑した。過保護と言うか、何と言うか。

「さてと、じゃアタシはおいとまするわ」
「? 付いてくるんじゃないのか」

てっきりそう思っていたクーザンは訊いた。が、よくよく考えてみればサエリはフォローをしてくれただけ。
口実と考えても間違いではない。

その考えは外れていなかったようで、彼女は口をへの字にして答えてきた。

「あのね。私は協力しただけで、楽団に来たいと思った訳じゃないの。アンタの口だけじゃクロスを撒けないと思ったからよ。じゃ、退散させて貰うわね」
「分かった」
「ちゃんと捕まえておかないと迷うわよ? 見張りは任せたから」

それだけを言い残すと、サエリは人の塊を抜け出すようにして消えていった。
残されたクーザンは、これからホルセルとセーレを連れて行く事に早くも疲労感を覚える。

「大変だな」
「全くだよ……」
「……なぁ」

うーあー、と悶えるクーザンにセーレが声をかける。

セーレは、結局今でもぼろぼろのマントを被って移動していた。
目の怪我だけは全く治る兆しが見えず、一日に二、三回は包帯を代える。
それでも何とか体力は回復したようで、クーザン達の旅に同行して貰っていた。

驚いた事に、彼は何とか戦闘をこなす事も出来た。体が覚えているのか、理由は兎も角結構助かる。
道中、何かと聞いてくるホルセルに困った事もあったが……対応から察するに、まだ記憶は戻っていないらしい。

「クーザン……だったよな。やっぱり、オレが記憶戻ってないの、ショックだったろう?」

ぼんやり考えていたら、セーレがそんな事を訊ねて来た。本人は、クーザンの様子を窺っている。

「う~ん、でもあれだけの重傷だったし……記憶喪失だけで良かった、と思ってたから。でも、やっぱり寂しい……かな?」
「……」
「でも、セーレ兄さんがそれを気にする必要はないよ」
「……ありがとう」

少し困ったように、だが微笑んで礼を言うセーレ。
その笑顔は、やっぱり自分が覚えている彼のものと一緒だった。

クーザンは彼から視線を外し人々の塊を見て、ポツリと一言漏らす。

「逆に、今思い出して貰っても困るんだけど、ね」
「え?」
「ん、何でもない」

今思い出したら、多分皆に隠せなくなるし。それだけは勘弁して欲しかった。

   ■   ■   ■

ホルセルが、サエリが見付けていた焼きとうもろこしを買いに走り出した頃。

「ユーサ、お前に手紙」
「? 良く届いたね」

ユーサとイオスの二人は、ブラトナサに建てられているホテルの一室を借りてゆっくり身体を休めていた。

草原で情報交換したユーサとドッペルはブラトナサのホテルでイオスと合流し、今に至る。
二人は数日の間にこの国で調べものを終えた後、一旦家に帰る予定だった。

「フロントの人が言うには、背の低い少年が届けに来たって言ってたけどね」
「……少年?」
「黒髪のツンツン頭で、魔導師みたいな格好をしていたらしいが」
「ありがとう」

一瞬険しい顔を見せたユーサだったが、大人しく手紙を受け取った。
イオスに断りを入れて二つある部屋の内一つに入ると、ドアの鍵を掛ける。

ぴりり、と封筒の端を破り、中の便箋を取り出す。
便箋には、文字が書かれていた。

“親愛なる勇者へ”

「……ふざけんな」

便箋を破きたくなる衝動を取り敢えず抑え、ゆっくりそれを開く。
こんな事を書くのは奴しか思い浮かばない。

達筆に書かれているそれは、今世界で使われている――つまり、誰もが読める言語ではなかった。

ユーサは食い入るように文字を読み進め、

ぐしゃ!

読み終えたそれは突然の圧力にぐしゃぐしゃになり、握りしめた手の中で音を立てた。

「……本当に、殺してやる」

そう呟いたユーサの目には、何時もののんびりとした雰囲気は微塵もなくなっていた。

「イオスさん!」

ユーサは部屋から出てくると、リビングで寛いでいたイオスに呼び掛けた。
彼はソファーに腰掛け何かの文献を読んでいたようだ。

「何だ?」
「ごめん、僕ちょっと寄らなければいけない所が出来た。家に帰れなくなる」
「……そうか。じゃあ、《例の日》に《あの場所》の前で集合で良いか?」
「分かった。行ってくる」

本当に急いでいるのか、ユーサは直ぐに自分の部屋に戻り荷物が入ったバッグを取ると、「ごめんねー」と叫びながら部屋を出ていった。
嵐のように去っていった我が子を見送ったイオスは、テーブルの上に置いていたカップを手に取り、自分で入れたコーヒーを飲んだ。

「良かったのか?」

かちゃ、とカップをソーサーに戻したイオスに問い掛けたのは、影から顔を出した黒い幽霊。その声は、耳からではなく脳内に響くテレパシーのようなもので話し掛けてきていた。

戸惑う事なく、寧ろ良い笑顔でそれに振り向いた彼は、呆れたように首を振る。
ドッペルはそのアホ面に平手の一つでもくれてやろうかと思ったが、生憎今は霊体なので諦めた。

「仕方ないさ」
「……敵からの手紙、じゃねぇの?」
「多分、いや間違いなくそれだ」
ユーサのあの言動、先程の慌てよう。そうだと考えない方が可笑しい。

「でも、私には止める理由はない。私は彼に奴から見付からないように居場所を与え、彼は私が情報収集及び『傍観』しやすいよう努める、を条件にね」
「利害関係だけを結ぶ者、としてか」
「そう。私は事を見届ける為に、彼は捜し者をする為に。……まぁ、『親』として心配かと問われれば、心配だが」

苦笑しながらそう語るイオスは、壁に掛けてある時計に目をやり、

「いけない、もう寝なければ」

と呟いた。

「は? まだ昼過ぎたばっかだぞ」
「夜に移動するからだよ。今から寝とかないと、次何時寝れるか」
「……さいですか」

何処までもマイペースな自分の契約主の『義父』に、ドッペルはやれやれと手を広げた。そのまま彼は影に隠れ、イオスは寂しくなったリビングからベッドのある部屋に移動し、仮眠を取る準備を始める。

   ■   ■   ■

イオスが仮眠を取る為にベッドに向かったのと同時刻、クーザンとホルセルとセーレは楽団の車の近くに立っていた。

「おお……ツカサ達の車と同じ位大きい……」
「開いた口が塞がっていないよホルセル」

楽団は国と国を移動する為、殆んどの確率で遭遇する機会はない。
国の外で遭遇すると一発でそれと分かる大きな車は、荷台部分の屋根が開かれて簡易的なステージになっていた。上には楽団員か、様々な楽器を用意する作業を行っている。
周りには何処から用意されたのか、沢山のパイプ椅子が並んでいた。

「チーム『ソングダンサー』、か。確か『エルメス』の次に有名な楽団だ」
「そうそう、エルメスって凄いのか? さっきもそう言ってたよな」
「現存する楽団で最も素晴らしい歌と舞を見せる事が出来るチームと言われてる。人々はエルメスに入る事を夢見ているけど、彼らは本当に少数の人数しか雇っていないらしい」

ま、中々お目にはかかれないだろうけど。とクーザンは説明を締め括り、どちらかと言えば中央に近い場所の椅子に腰掛けた。ホルセルにも座るように指示して、彼もステージの方に目をやりながら座った。

始まりの時間になったのか、衣装を着飾った女性が車のステージ上に現れた。
肌の露出が激しく目のやり場に困る女性は、今日楽団の公演に赴いてくれた礼を客に伝える。どうやら彼女がこのチームの踊り子のようだ。

そして、それが終われば他の演奏者が彼女の周りに現れ、それぞれのポジションに付く。人数は、大体十人前後。
バイオリンとフルート、ラッパ等多種多様な楽器が置かれている。

音楽は、静かに流れ始めた。

   ■   ■   ■

「……」

窓から見える公園から、穏やかな音楽が流れてくる。
楽団の音楽は始まったらしい。

「クロスさん、お茶入りましたよ?」

ドアを開けて入ってきたのは、リレス。
両手に持っているのは、今しがた入れたお茶が入ったティーポットとソーサー付きのカップが二組置かれたトレイ。
お茶菓子もある。

窓に寄りかかっていたクロスは、お茶の匂いに釣られるようにテーブルの方に歩み寄った。

リレスがティーポットからカップにお茶を静かに注ぎ、アールグレイの匂いが部屋に広がる。

「済まない」
「いいえ、お茶を淹れるのは楽しいですから。元は叔父に教えて貰ったのですが、何時の間にかその叔父にも褒められる程に上達した位ですし」
「そう、か」

砂糖のスティックに手を伸ばしながら言うリレスは、心からそう思っているような表情だった。
クロスの方は砂糖は入れず、そのまま一口飲む。成程、確かに美味い。

「……? 叔父?」

ふと、彼女の言葉を反芻させる。クロスが言わんとしている事に気が付いたのか、リレスはカップを戻して苦笑した。

「言いませんでした? 私、孤児ですよ」
「聞いて……ないな」
「父と母は医者でしたので、小さい頃に私と姉を置いて戦地に赴いて、その戦争に巻き込まれて戦死しました。途方に暮れていた時に、父方の兄が孤児院を開いたので来ないかと言われて、そこで数年前まで暮らしてました。今はトルンの寮にいましたが」
「……」

リレスは話し終えると再びカップに手をかけ、口元に持っていった。

「で、その叔父の知り合いの息子さん――先日お会いしたツカサさんがそうなんですが――大陸を回る仕事をされていましたので、私も度々ついていってました。サエリ達にはその時に」
「……そうか。今は不自由とかはないんだろう?」
「ええ。叔父が何とかしてくれていますので」

にっこりと微笑んで返したリレスに、クロスは苦笑で返す。
お茶を一口飲み、

「幸せそうで何よりだ。羨ましい程にな」

と呟く。
リレスは最後の方は聞こえなかったようで首を傾げていたが、二度も言うつもりはない。

と、頭にある事が思い浮かんだ。

「ちょっと待て。お前、名字は」
「ラザニアルですよ?」
「……叔父と言うのは、イオス=ラザニアル、か?」

かの有名なテトサント大学の名教授であり、数々の優秀な功績を残す若き秀才。
彼は確か、故郷ホワイトタウンに孤児院を経営していたはず。リレスと同じ赤い髪を持ち、魔導を極める者だという共通点があるが、まさか?

そう心の中で呟いたクロスの問いに、

「はい」

ときっぱり答えたリレス。

「イオスさんですよ。やっぱり有名ですね」
「……」

驚愕するクロスを見て悪びれもなく言った彼女は、やはりにっこりと笑って言う。
こんな所であの有名な教授の知り合いに会えるとは思わなかった。

公園から聴こえていた音楽は、先程ののんびりとしたバラードから一転、テンポの早い快活な曲に変わっている。

「隠すつもりはありませんでしたけど、どうしても叔父が自分からは言うなって言うものですから。悪いとは思っていました」
「確かに、色々不便だろうが……」
「……叔父だったら、今回の事件の事、何か分かるんでしょうか?」

ふと顔を曇らせて呟いたリレスは、少し考えるように首を傾げた。
話を無理矢理脱線させた気はないのだろう。

「話を聞くだけでも価値はあると俺は思う。とは言え、教授は忙しいだろう? 最近は中々大学に顔を出されないと聞いたが」
「そうですね、その噂は聞いてます。私も最近連絡を入れていないので、分かりません」
「……まぁ、機会があれば聞いてみたい。所で、この事は隠しておいた方が良いのか?」
「出来ればの範囲でお願いしますね。私は大丈夫なんですけど……」

複雑な表情でそう返したリレスは、お茶を飲もうとしてカップの中に残っていなかったのに気が付く。
ティーポットの中に入ったお茶は、既に温くなっていた。

「あ、淹れ直してきますね」
「いや、構わないが……」

こちらも温くなっていたカップの中のお茶を飲み干そうと、クロスはそれを持ち上げる。

「……クロスさんは、故郷がお嫌いですか?」

かしゃん!

リレスの問いかけに動揺したクロス――何時もならポーカーフェイスのままやり過ごす彼は、カップから手を離してしまいソーサーの上に落とした。
カップはヒビが入り、残りのお茶が飛び散る。

「……何故?」

顔には、明らかな動揺――怯えが張り付いていた。何故、気が付いたんだ? そう訊いているのだろう。

「ホルセルさんの話の時とか、私が家について話をしている時、何だか悲しそうな顔をしていましたから。あと、今日の打ち合わせの時も」
「……」
「“ジャスティフォーカスに保護される孤児には、誰しも辛い過去がある”んですよね?」

クロスが落としたカップを片付け、台拭きで零れたお茶を拭きながら、昨日彼が口にした言葉を言った。

「言わなくても良いです。でも、何かあったらちゃんと相談して頂ければ嬉しいです。何か力になれるかもしれませんし」

最後に笑って言ったリレスは、クロスの返事を待たずにキッチンに移動してしまう。
残されたクロスは、それから楽団の音楽が鳴り止むまで固まったままだった。

「あ~、凄かったなぁ!」
「ホルセル、称賛するのは良いけど少し声落として。ほら、周りに見られてるから」
「ははは……」

結局始終興奮しっ放しのホルセルを諫め、クーザンは周りを気にしながら歩く。セーレはそんな彼の姿に苦笑した。

「クーザン、ありがとな」
「良いけどさ。ホルセル忙しそうだし」
「いや、それもだけど。クロスだよ」
「あ……」
「帰ったら後で小言言われそうだ」

どうやって回避すっかなー、と言うホルセルだったが、初めての楽団には楽しんでくれたようだ。

「それはサエリにお礼言いなよ。俺だけだったら撒き切れてない」
「だな。サエリスゲーな」
「同じ悪魔だからね」

周りを見渡すと、漸く片付けを始めた屋台の店主達が作業をしている。
今日はこの後、さっさと家に帰って残り物をどうするのかを考えたりするのだろう。

「……いや、やっぱりクーザンもスゲーな」
「……は? 何で」

クーザンが呑気に考えていたら、ホルセルの突然の称賛の声に反応するのが遅れた。彼は少し怪訝な顔をしていたが、構わず続ける。

「何つーか……幼馴染を助けるって決心した事もだけど、剣だって我流なのに強いし、物知りだし。何か慣れてるような気がする」
「普通じゃないの?」
「いや、少なくともオレが会ってきた奴らにそういう奴はいなかった。……クーザン、お前やっぱり旅した事あるんじゃないのか?」
「無いって」

呆れたように即答したクーザン。
が、ホルセルは珍しい事に、彼が返事をする直前、一瞬だけセーレに目をやったのに気が付いた。

「(……やっぱり何か隠してる、な)」

クーザンは一般人にしては強いし、賢い。
ホルセルは、数日前――丁度クーザン達と出逢った頃にクロスに言われた事を思い出した。

『クーザン=ジェダイドという人間は、この大陸にはいない筈なんだがな』
『は?』
『国の住人を調べたが、いないんだ。多分奴のは偽名で、本名は別にある』
『……偽名なんて、何で』
『俺が知るか』

偽名を使ってまで隠す何かが、彼にはある気がしてならない。
だが、思い当たる事は全くない。

「(セーレに聞ければ何か分かったかもしれないけどなぁ……記憶喪失じゃ、なぁ)」

しかし、セーレに関しては、何処かで見た覚えがある。何処で何の時に見たのかは覚えていない。
『見た』という自信はある。
こういう時、ホルセルは自らの記憶力の悪さを恨んだ。

「……ホルセルは、さ」
「んあ?」
「有名人と仲良くなりたい、とか思う?」

クーザンが質問してきた事に多少戸惑いながらも、ちょっと考えてみる。

「どうだろう……。オレ達の上司が既に有名人だからあまり実感ないけど……でも、憧れの人物には会ってみたい気はするな」
「憧れ?」
「そ。ツーハンデッドソードと呼ばれる巨大な剣を振るい、この大陸の危機を救った剣士グローリー=シャイターン=ブレイヴ!! その剣は地をも砕き、豪快な剣捌きなのに素早く敵を討つ《地轢の巨大剣》!! カッコいいよなぁ」
「確かに。彼の剣はホルセル憧れそうだね」

ツーハンデッドソード――両手で柄を支えなければ重さに耐えきれず、扱える者は限られると言われる剣。
場合によっては最低限の防具のみ身に付けて戦場に赴く必要もあるその剣は、豪快かつ鈍重な武器として知られる。故に、弱点は素早さ。

グローリー=ブレイヴはその巨大な剣を巧みに操り、十何年前の戦場で大いに活躍した剣士だとされている。
大剣を振るうホルセルなら、憧れの対象として見ていても可笑しくはない。

そう思ったクーザンは、少し驚いたような反応をしたが、苦笑して言った。ホルセルが、そのクーザンの反応の意味を知るのは、まだまだ先の話だ。

「クーザンは?」
「うーん……俺もかな。グローリー=シャイターン=ブレイヴは、剣士なら誰もが憧れる偉人だからね」
「だよなっ! 他にも、龍族とか――」

ホルセルは賛同してくれた事に嬉しそうに言うと、「よし、それなら早速特訓ー!」と張り切って拳を振り上げる。
それには流石のクーザンも「ちょっと待て!」と慌てていた。

「何?」
「特訓、今から?」
「当たり前じゃん。オレ達はあのゼルフィルとかスウォアとかいう奴等に挑むんだぜ? 何度も手を合わせて分かった、あいつらにはオレ達はまだまだ適わない。なら、せめて特訓してないと気が済まないんだよ!」
「でも、今日は休んでおこうよ、な?」
「えー」
「えーじゃないよ」

前を歩くクーザン達の微笑ましい姿を見ながら、セーレはゆっくりと後を追いかけている。

片方しか出していない瞳は、しっかりクーザンの方を見ていた。
顔には、他人に見られないよう気を付けながらも、親が子供を見ている時のような穏やかな表情が貼り付いている。

「……アイツらなら、お前の事受け入れてくれるんじゃねぇのか? クーザン……」

NEXT…