第19話 孤独

一行はブラトナサへの道を戻っていた。
リレスとサエリはまだダメージが残っているのか歩く速度が遅く、皆それに合わせて歩いているのでなかなか国に着かなかったのだ。

「クーザンは、アイツムカつかないのか?」

ホルセルが言う。
まだ機嫌は直っていないのか、少しぶっきらぼうな話し方をしている。アイツというのは、当然スウォアの事だろう。

「……ムカつくも何も、俺はアイツとは何の接点もない。第一、悪い奴だという実感もないし」
「アイツはリルを浚って行ったんだ! そんだけで理由になるだろ!?」

クーザンは、ホルセルが激昂して叫ぶのを初めて見た。
前を歩いていた、サエリとクロスとリレス、エッジとシグも二人の方を見やる。彼は直ぐに気が付いて、気まずそうに「ごめん」と顔を背けた。

「確かに、人浚いという行為を行ったのは彼かもしれない。けど、それだけで悪者と決めるには、彼は優し過ぎる」

リカーンでは、彼は戦う事なく自分達に道を譲った。
さっきは、彼からしたら裏切りにも取れる行為――敵である自分達に情報を教えてくれた。

とても、敵……だとは思えない。

「まぁ、俺からすればゼルフィルの仲間だという認識しかないけどね」
「……けど、オレはやっぱりアイツがキライだ」

そう呟いた彼は、何故か辛いような、悔しそうな表情を浮かべていた。
それからホテルに戻る道中に、ホルセルがクーザンに話し掛ける事は無かった。

「お前……」
「少し喧嘩みたいなのをやってた。クロスは心配しなくて良いよ」
「……」

自分達の方に寄ってきたクーザンに、クロスが問い掛けたが先回りされ、口を閉じる。彼が聞きたい事を速攻で答えられては、何も言えないだろう。

「妹が心配なのは分かるけど、頭に血が登り過ぎてる。丁度良いんじゃないの」
「まぁな。――ホルセル……いや俺達には、親がいないのは知っているな?」
「? うん、感付いてはいた」

以前、ホルセルの剣にヒビが入り修理に持っていく時の事。
買い直しを薦めるサエリに、彼は悲しそうな顔で『父さんに貰った唯一の物だし』と答えを返していた。
裏を返せば、ホルセルの親はもうこの世にはいない、と言う事。

「ホルセルの両親は、奴が小さい頃に盗賊に殺された」
「!!」
「夜に部屋に忍び込んだ盗賊は、奴の両親を無惨に斬り殺した後金品を強奪し、家を放火した。二人は親に言われてクローゼットの中に隠れていたらしい。偶々パトロールしていた構成員が両親の悲鳴を聞き付け、放火を押さえる事は出来なかったもののホルセルと妹のリルを家から助け出し、保護したと聞いている」
「ちょ……それ、本当?」
「嘘を吐いてどうなる。……ジャスティフォーカスに保護される孤児には、誰しも辛い過去がある」

クロスの口から語られたホルセルの過去は信じ難いものがあったが、それなら、異常に妹を心配する気持ちが分かる気がする。
そして、そんなに大切にしている妹を連れ去ったスウォアを憎む気持ちも。

「それからとある構成員の養子となって、十歳の誕生日を迎える少し前に構成員の補充の知らせが来てな。その為に、毎日剣の修行をしていた」
「……」
「許してやってくれ」
「分かった、後で謝っとく。今は多分、そっとしておいたが良いし」
「多分奴が謝ってくるとは思うがな」

その後、会話はぱったりと途絶える。居心地悪い沈黙が周囲を包み、皆黙々と歩く。シグとエッジはさぞかし肩身が狭かったろう。

それが、国のゲートが見えて来る辺りでリレスが「あっ!」と声を上げるまで続いていた。その声は、漂っていた暗い雰囲気をあっさり取り払った。

「リレス?」
「すっごい今更なんですけど……この国には、碑はなかったんですか?」
「……あ」

大蛇の相手とスウォアとの遭遇、ホルセルの事ですっかり忘れていた。
このブラトナサにも碑は建っていたのだが、まだ場所も分かっていない。碑に行くとなれば、明日にしか行けないが。

そう考えを巡らせると、クロスが口を開いた。

「碑は見ただろう」
「え?」
「大蛇のいたあの空洞。石があった」
「あ! 確かにあった……」

戦っている時にちらりと目には入ったが、まさかあれが碑だったとは。

「『追憶の碑』……『幸せなんて、掴める筈ない』、か」
「よく読めましたね……。私なんか、気絶してたから見る事も出来ませんでした」
「仕方ない。……何だ?」
「! あ、い、いや何でも……」

じっと自分を見られていたクロスは、目線の主であるクーザンに訊く。彼は慌てて謝罪するが、何かを考えていた。

「(おかしいな、何かに引っ掛かったんだけど)」

今のやり取りで何に引っ掛かったのか、全く分からない。
あまり重要でないのなら良いが……。

国に帰り着いた時には既に七時を回っており、クロスは事後処理の為宿の一室に閉じ籠っている。
エッジとシグは、取り敢えずブラトナサの支部に報告に向かうと言う事だったのでゲートで別れた。
ホルセルも何時の間にかいなくなっており、合流したセーレは何処かに出掛けたらしく、書き置きが残してあった。
まだ記憶は戻ってないのに……心配と言えば心配だが、まぁ大丈夫だろう。
リレスとサエリは食事を共にした後仲良く部屋に戻り、もう寝ている頃だ。

俺も疲れたし寝よう、とクーザンは欠伸を噛み殺しながら部屋へ向かった。

   ■   ■   ■

夜の静かな廊下を、ウィンタは歩いていた。
アラナンの街は既に眠りに就いており、自分だけが取り残された気さえする。一人分の小さな足音が、少しだけ響く。

「明日は……クロッドさんの剣の修繕とマーカスさんの武器の手入れか。今から5時間寝て、起きたら直ぐ準備して……ふぁあ。眠」

翌日の予定を確認し、小さく欠伸をしながら、目的の仮眠室へ歩いていた。
と、

「ん?」

こんこん、と窓ガラスが叩かれた音がしたので、自分の横にある窓を見る。
外は相変わらずの暗闇だが、ウィンタは音の正体に気付く事が出来た。その人物は、窓の外に立っていたのだから。
時間が遅い事を差し引いても、知り合いが立っていたら誰でも家に誘うだろう。ウィンタは窓を開けて、相手に話しかけた。

「あっれ? お前何してんの?」
「……」
「あ、もしかして泊まるとこ探してる? 何なら泊ま」

完全に警戒が解かれているウィンタは、自分の頬に痛みを感じた。何かが、頬を流れる。触れて見れば、それは赤い赤い液体。

「……何、すんの?」
「……」

相手は、さっきからずっと黙ったままだ。
まるで、意志が欠落したように。

と、挙げられていた手の周囲に、黒い霧のようなものが集まる。魔法を発動させる気なのだろう。
ウィンタは慌てて窓から外に出て、相手から離れるように庭を移動する。このまま建物内にいれば、師匠や先輩達にも被害が出かねない。

辛うじて庭を突っ切れる、という時に、とうとう相手の魔法が発動された。
地面から真っ黒な手が幾つも現れ、逃げるウィンタを捕らえようと動く。
その光景は、おぞましいに他なかった。

「――っ!!」

何時の間にか手に持ち変えた鎚を振り上げ、地面に叩きつける。
真っ黒な手は、それでも残った数だけウィンタを狙う。

「(本体を叩くしかねー……けどっ)」

相手は知り合いだ、叩くに叩けない。そんな油断は、戦いには十分な隙になる。

真っ黒な手に気を取られて、ウィンタは術者が自分の背後に回っている事に気が付けなかった。

「――っ!」

がしっ、と首に腕が回され、身動きと呼吸を封じられる。腕を外そうともがくが、並の男の力よりも強い。
チラリと見えた漆黒の瞳が、ウィンタを蔑むように見下ろしていた。

「しんえ……る……ろよ、ほ……の唄……」
「!」

聞いた事がある、詠唱。
ウィンタはその魔法の効果を知っていた。
だからこそ、覚悟を決める。

「……ごめんっ!」

どすっ!と相手の腹を肘で力の限り殴り、力が緩んだと同時に逃げ出す。
何故アイツが自分を襲うのかは分からないが、兎に角、今は逃げる。中心街まで行けばジャスティフォーカスの駐屯地がある。そこまで逃げ切れば!

だが、運は何処までも彼を裏切った。相手は音もなくウィンタの背後に立っていて、

「……逃ガサナイ」

音が、途絶えた。

   ■   ■   ■

「!」

クーザンは、誰かに呼ばれた気がして目を開けた。
が、部屋には自分しかいない。

「……気のせいか?」

クーザンは、相部屋(セーレ)なのに相手がいない事もありさっさと寝ようとしたのだが――。

「(寝れ、ない)」

胸のざわつきが気になって、眠ろうとすればする程寝れなくなっている。布団に潜ってから、かれこれ二時間は経っていた。

「……駄目だ」むくりと起き上がり、黒のTシャツの上に何時もの緑の上着を羽織る。たまには夜の散歩でもしようと思ったのだ。

まだ雪が残る道を歩き、近くにあった筈の公園に向かう。
剣は一応、腰のベルトに吊るしてきた。護身用のつもりで。

空は良く晴れていて、月が見える。
まだ半分も出てきていない。が、少ない光量を雪が反射させ、幻想的な空間を作り出している。

「そういえば……」

――次の満月、ルナで会おう。

消える直前に聞こえたスウォアの声。
信じるとすれば、満月の夜にルナという場所で会おうという事なのだろうが……。

「(ルナ……ルナ……)」

クーザンはその二文字を繰り返し思い浮かべるが、どうしてもユキナの名字の方が思い浮かんでしまう。

「ルナで何があるって言うんだよ……」

ボソリと悪態を吐くと、気を取り直して早足に公園に向かっていった。
の、だが。

ドクン。

「っ!!?」

突然、本当に突然に、心臓に痛みが走った。あまりの激痛に堪えかね、道路に座り込んでしまう。

「な……ん、だよっ、これ……!?」

まるで心臓を何かに抜かれてしまう、或いは潰されてしまうような痛み。同時に感じる、喉の渇き。異物感。激しい咳を手で押さえれば、鮮紅色の血。

リレスがいたら、ルオンで回復して貰えるのだが……生憎、今は独り。
このまま痛みが治まるまで、耐えるしかないのだろう。
直ぐ側の建物の壁に身体を預け、その時が来るまでじっと待つ事にした。

「クーザン?」

ふと、頭に響く動悸の音の合間に、聞き慣れた声が聞こえた。
半ばボンヤリとした頭に鞭を打って目を開ければ、道の向こうには白い少年が。

「クーザン、お前大丈夫かよ!?」
「……ほる、せる?」

慌てて道を渡ってきた白い少年――ホルセルが、持っていた紙袋を脇に置いて座り込む。

「つか何でこんなトコにいるんだよ!? 早くリレス達のトコに戻――」

戻れ、と言いかけたのだろうが、ホルセルはそのまま固まった。
クーザンが、腰の剣を抜いて彼の首に刃を当てていたからだ。少しでも動けば、刃は首の皮膚を切り裂く。

「……何のつもりだよ」
「嘘吐きは嫌いだ」

まだ胸を押さえたクーザンは苦しそうな表情を浮かべているが、眼は真剣だった。

「ホルセルじゃ、ないだろ」
「何言って」
「何もかもで、濁っ、てる、その眼が、嫌いだ」

焦ったように声を荒げるホルセルとは対照的に、クーザンは淡々と告げる。
暫く呆気に取られていたような表情を浮かべていた彼だが、――やがて、双眸がすっ、と細くなった。

「……オマエさ、ホントに何で分かるワケ?」
「さぁ」
「暗いから目の色が濃くなってても見つからないと思ってたのにさ、こんなあっさり分かりやがってさ。何の為に芝居してたと思ってんだよ?」
「知らな、い。取り敢えず、退け」

がらりと雰囲気が変わったホルセルは。いや、変わっていないフリをしていた彼は、ニヤリと笑った。
さっきから感じる狂気にも似た殺気が気持ち悪い。退けと言った筈なのだが、彼は一向に退いてはくれなかった。

「折角のチャンスを自分から溝に投げ棄てたくはない」
「殺し、やすそう、なチャンス、て事だろ」
「勿論」
「!」

首に当てられている自分の剣を素手で握られ、クーザンは目を見開く。
彼に怪我をさせたくない為に力を込められないとは言え、やはり力はホルセルの方が上で、逆にクーザンの首に刃が当てられる。
彼の手から、血が零れ落ちる。

「ここで殺してやろうか?」
「……断る」
「遠慮するなよ」
「遠慮、するか」
「分かった、意外と恥ずかしがり屋なのか」
「違う」
「そんな心配すんなって。恐怖に狂い死ぬのと一瞬で死ぬのどっちが良い?」
「どっちも嫌だしさっき断ったよな俺」

しょうがないと溜め息を吐くホルセルだが、全くと言って良い程解放する気は0らしい。

どうしたものか。と考えていると、ふと気が付いた。あれ程傷んだ胸の痛みが、消えている。

「……?」
「ま、良いや。お前殺し甲斐がありそうだから生かしておいとくよ」

ひょい、と立ち上がると、握っていた刀身から手を離した。手から血が滴ったが、痛みを感じていないのか平気そうな顔をしている。
と、ホルセルが再びクーザンに向き直った。

「お前、呪いとか受けた事あるか?」
「の、呪い? ある訳ないだろ、そんなの」
「ふーん……あんまり月の力を体に溜め込んだら、さっきみたいに発作出るぜ。お前、溜め込みやすい体質みたいだし」
「は? 何言って……」
「じゃ、どっかでコイツ血塗れになって倒れてたら回収宜しく。あとその紙袋は持って帰らなくて良いからな」
「ああ……じゃなくて! ちょっと待て、殺しに行くのかよ!? ってもういない!!」

クーザンにとって全く意味不明な話をされた挙げ句、殺人だけは止めなければと引き留めようとした相手はとっくの昔に逃げ去られてていた。盗賊かお前は。

「……呪い? これが呪い、って言うのかよ?」

もう今は感じない、激痛。吐血。
思い出すのも躊躇う程のあの気持ち悪い感触が、また何時か起こるのだろうか。

「……ていうか、アイツ何しに来たんだ」

その一言を最後に、クーザンはもう考えない事にした。
考えれば考える程ハマっていく思考の闇から逃れるように、今度は宿へ早足で帰っていった。

   ■   ■   ■

広大な草原は、各地に点在する大きな国と国を繋ぐもの。

自然に出来た大きな亀裂や、生命の育みを感じさせる森、遠くまで続く水平線。
遮るものが何もないこの場所で、ユーサは寝転がっていた。
魔物は周囲にいたものは粗方片付けたので、もう暫くはこのままでも良いだろう。

この場所は、ファーレン地方にあるアブコットという町の近くに当たる。
ファーレンとキボートスヘヴェンを繋ぐ、唯一の港町だ。
街道も通っており何より空気が美味しいので、ユーサも気に入っている場所である。これで、もう少し寒さが和らげば最高なのだが。

「んー、やっぱり気持ちいいなぁ」

そよそよと髪を揺らす風を身体に受けながら、そう呟く。
彼は、待ち人をしていた。いや、正確に言えば“人”ではない者を。

何処までも蒼い空に、もう一度寝ようかなぁ、と思い始めた頃。
彼の周囲が暗くなった。

大地に光を届ける太陽が、大きな何かに遮られたのだ。
影は大きく、まるで空の半分の大きさに感じられる。
ばさっ、と何かが羽ばたく音が聞こえると、近くにいたらしい鳥達が鳴きながらそれから逃げ出した。

「やーっと来たかぁ。遅いぞー」

ユーサはゆっくりと立ち上がり、その大きな何かに向かって叫ぶ。
内心では、昼寝が出来なかった事を僅かに悔しがっていたが、仕方ない。本来なら、こうしてゆっくりしている時間さえないのだから。

手はぱんぱんっ、と服をはたき、寝転がったせいで付いていた草を叩き落とした。

大きな何かはユーサを見つけると、ゆっくりと空から降りてくる。
長い身体をくねらせ、鋭い爪と厳格のある顔つきをしている生物。翼は雄々しく羽ばたいていたが、陸に着地する前に動きを止める。
何かの正体は、龍だった。
空に浮かぶ雲よりも鮮やかな、どちらかと問われれば白銀の躯を持っている。

龍は地上に降り立った刹那、光に身を包み大きく咆哮する。
光は徐々に小さくなり、最終的にはユーサと同じ位の大きさになった。
光が止んだ時には、あれ程存在感と威圧感を感じさせる巨大な龍はそこにおらず、代わりに一人の人間が立っている。

彼こそが、ユーサの“待ち人”。
元来人間達の敵である筈の、忌むべき存在。

しかしユーサはそんな事は一切気にせず、逆に物凄く機嫌が良さそうな表情を浮かべ口を開いた。
こういう時は、逆に機嫌が悪い。しかも、最悪な程に。

「僕を待たせるなんて、いい度胸をしているね。お陰で草まみれになっちゃったじゃないか」
「だから、悪かったって。ちょっと予定が狂ったんだよ!!」
「ふぅん? そう言うんなら、その狂った予定ってのを聞かせて貰おうか? ドッペル」

彼の裏のある笑顔で言った言葉にうー、あーと唸りながら自らの髪を掻く、ユーサにそっくりな外見を持つ彼。

否、そっくりな外見に成りすましている彼は、帰らずの森でクーザンを助けたドッペルゲンガー、通称ドッペルだった。
相手本人や、その心に住む大切な人物に化ける事の出来る、レイス族の魔物である。

ユーサとドッペルは、契約者と召喚獣という関係だ。
契約者であるユーサが望めば、ドッペルは何時何処にいても助けに現れる事が出来る。

尤も、真面目な場面で呼び出された事は両手で数えられる回数しかなく、殆どが雑用に似た用件だったが。
それでも、文句も言わず手伝うしかない。それが契約というものだ。

「……何も、いなかった」
「え? 何も?」
「魔物も、動物も、ましてや人もいる訳がない。おかしいんだ、いなさ過ぎて」

彼は――魔物なのでこの表現が正しいのかは疑問だが、外見上は正しいだろう――ユーサに頼まれ事をしていた。内容は、とある場所の偵察。

それは、ユーサ達が探している人物がいる可能性が高いとされ、大陸の住民なら誰しもが知っているであろう場所だ。

「“幾人もの人々が慕い、敬い、支えていった美しい姫が暮らした場所。姫の名に因んで付けられた神殿の名は、”」
「――≪ルナデーア≫」
「ルナデーア遺跡は中央に神殿を構え、何千人という人々が暮らしていたとされる建物が点在している。そこには、常人では手の出しようもない恐ろしい化け物が暮らしている――案外、噂通りだったりしてね」
「笑えねぇ冗談は止めてくれ」
「フフ……冗談で済めばいいけど」

中途半端に長い前髪を掻き分け、空を仰ぐ。
ドッペルも同じように身動きする。

「『常人では手の出しようもない、恐ろしい化け物』。それは恐らく――いや、間違いなくアレだ。アレが、もしかしたらこの近隣にもいるのかも知れないし、遺跡の方にも生息しているのかも。……生息、っていう表現は正しくないね。『徘徊』って言った方が正しいかな」

ドッペルは、ユーサの台詞にその場景を思い浮かべた。
昔一度だけ見たきりだが――成程、生息には程遠い化け物だ。
思い出したついでに、その化物の感想を思ったまま口にしてみる。

「……魔物でもない、人間でもない、真性の化け物。墜ちた存在」
「それを消し去る為に、何としても捜し出さないと。大群を討つにはまず元凶から、ってね。そして決着を」
「でも、アレがアイツの仕業って決まった訳じゃないんだろ?」
「アイツだよ。だって――あんな化物を作り出す力を持ってるのは、アイツだけだし。僕は倒す力、タスクは……」

蒼い空を見つめるユーサの表情は何処となく悲しそうで、何処となく力強かった。

ドッペルは、ユーサがどんな思いでこの戦いに身を投じているのかは分からない。ただ、彼からは尋常でない怒りを感じるのだ。
憤怒、と言った方が適切か。
それが、彼を柄にもなく立ち回らせている根元だろう。
ユーサという人物は、本来ならば戦いなど望まない、脆弱な人間なのだから。

彼が戦いを、人を殺すと言う事に躊躇いがない程の覚悟を持っている事は知っている。

付き合いはもう十年以上になるが、その間、彼が人を殺めるのに戸惑ったのを見た事はない。

だが、そんな強い覚悟を持った人間程、

(覚悟が砕かれた時、どんな行動をするのかは予想不可能)

特に、こんな≪不安定な存在である彼≫ならば尚更。

(――ならば、オレはユーサ〔コイツ〕を全力で守護するのみ)

例え、喚ばれなければ助けられない存在だとしても。
例え、彼の憂いの原因が、自分ではどうしようもない次元のものであったとしても。

一つ溜息を吐き、

「仰せのままに。契約者よ」

そう呟く。
その呼び方キライなんだけどな……と、ユーサが言ったが、ドッペルは聞こえなかった振りをした。

next….