第13話 新しい日常

「ココ、ドコだろう……?」

暫く自分の泣く理由を考えていたが、それではどうにもならない――そう思った少年は、涙を拭い部屋を見渡した。
すると、自分が寝かせられていたベッドの隣に、もう一つベッドがある事に気付く。

そちらには、幼い顔立ちの少女が眠っていた。印象に残る白髪がベッドの上に散らばり、目蓋は閉じられているので瞳の色は分からない。寝ているのか、静かな呼吸音が繰り返されている。

「あ」

コンコン。

少年が何かを思い出したように声を上げるのと、ドアにノックをされるのは同時だった。

「あら、起こしてしまいましたか?」

ドアから顔を覗かせそう言った女性は、片手に洗面器、片手にまだ小さい赤ん坊を抱いたまま部屋に入ってくる。軽くウェーブのかかった黒髪と、穏やかな光を帯びる黄金色の瞳の女性だ。焦げ茶色のストールを羽織っているので、服装はあまり分からない。

彼女は洗面器をベッドの横の棚に置き、同じく横にある椅子に腰掛けた。

「びっくりされたでしょう? ここは私の家です。私はイノリ」
「えと、ボクはアークです。お姉さんが、ボク達を助けてくれたんですか?」
「えぇ。病院へ行っていたら、道端でお二人が倒れているんですもの。怪我、痛くない?」
「怪我? あ、ホントだ」

全く気が付かなかったが、少年――アークは体の至る所に細かい傷を作っていた。包帯や絆創膏で、少し動きづらい。

「ごめんなさい。夫がいたら、傷を癒してあげられると思うのだけど」
「いえ、これだけでも嬉しいです。助けてくれて、ありがとうございます」
「ん……」

アークが礼を述べた直後、もう一つのベッドの上で人が動く気配がした。
振り返ると、少女が目を醒ましてぼんやりと天井を見ている。

「あ、君も目を醒ました?」
「良かった。大丈夫みたいね」

声をかけ、イノリが少女の額に載せていて温くなったタオルを取ろうと手を差し伸べた。

「……やっ、やだぁ!!!」
「!?」

が、彼女の手は少女にはね除けられ、アークも驚いた表情をする。

「やだっ、ぶたないで……っ! リル、何もしてないもん!! 兄貴のとこに帰してよぉっ!!!」

大きく見開いた空色の瞳からは大粒の涙を流し、小さな体を震わせて叫ぶ少女。
それにより、図らずもアークは彼女がどんな状況に遭っていたのかを知ってしまう。

「……えぅ、ん~。んぇ~!!」

と、イノリが抱いている赤ん坊が、腹が減ったのか、或いは少女――リルの叫び声で泣き出す。

耳が張り裂けんばかりの泣き声に、アークは思わず耳を塞いでしまった。
それに反し「あらあら」と、然程焦っていないような表情で、イノリは赤ん坊をあやす。

「ふふ、産まれてまだ半年位なのよ。直ぐに泣き出してもう大変」
「はぁ……」
「ご飯にしましょうか。何か食べれば、気分も落ち着くわ。――ね?」

イノリの作った食事は、喫茶店でも開けそうな程美味しいものばかりだった。
簡単なものしか出来ないけれど、と言ってアークと少女に出されたものはリゾットで、家族が病気になった時とかに良く作るんだそうだ。
腹ペコだった二人の為に早めに出来る料理を、と作ってくれたものだった。

「そう言えば……その子の名前って、何て言うんですか?」
「え? あら、言ってなかったわね」

今更ながら訊いていなかった赤ん坊の名前を聞くと、「トワ」と返ってきた。

「エアグルスの隣の大陸、琉大陸の言語が特殊なのは知っているかしら?」
「……??」
「琉大陸の言語は、『カンジ』って呼ばれる文字が使われているの。書き方も読み方も難しいけれど、その文字一つ一つにちゃんとした意味が込められているのよ。『永久』は、えっと……終わりのない、って意味だったかしら?」
「へぇ、琉大陸か……」
「この大陸でも、何百年か昔には使われていたみたいね。たまに、『カンジ』で書けそうな名前の人を見かけるもの。例えば、《月の姫》の神官とか、ね。神官の名前、知ってる?」

目を丸くして疑問符を飛ばすアークに、イノリは苦笑混じりに問い掛ける。
《月の姫》を読んだ事はある。あるが、登場人物の名前など細かく覚えていないアークは、正直に首を振った。

「分からない……」
「トキワ、シオン、ミシェル、アストラル。トキワは『常磐』、シオンは『紫苑』って書くの。なかなか難しい名前なんだけどね」

イノリがその文字を紙に書いていくが、アークではその文字は読めなかった。

「私のは、『祈り』って書くのよ。で、この子は『永久』」
「んー……。分かんなくなってきた」
「そうね。私だってこれ位しか分からないわ。……でも、この一文字で、その人につけられた名前の意味が分かるんだもの、凄いと思うわ。トワの名前はね、夫がつけてくれたのよ」
「……そう言えば、トワちゃんのお父さんは?」

アークは何気なく訊いた事だったが、イノリはそれまでの笑顔を消し、俯いた。
何かあったのだろうか――気付いた時にはもう遅かったが。

「……あの人は、罪を償いに行ったわ」
「つ……罪、ですか?」
「もう一年は帰ってきていないんじゃないかしら。ある日全身ボロボロで帰ってきて、うわ言で何かを呟いていた。その時に言っていたのよ、『償いを』って」

その翌日、愛用していた剣を家に置いたまま、誰にも理由を言わずに旅立って行ったわ、とイノリが零す。
口調は怒っていたが、その眼差しは相手を心底心配しているものだった。

「トワだって産まれたばっかりだったのに、ろくに連絡も寄越さないで、馬鹿なんだから。帰ってきたら愛の鉄拳でも喰らわすつもりよ」
「……信じているんですね」
「何も言ってくれないけど、それはあの人の優しさだって知っているからかしら。それに、惚れちゃったのは私だからね。不器用で無愛想で、必要な事は自分の中に仕舞い込んで一人で解決させようとするし、聞き分けは悪かったりするけど、私はあの人の碧くて綺麗な瞳に惚れたんだから」

   ■   ■   ■

一頻り虚しい笑みを溢したユーサは、一つ溜息を吐くと机の上にある箱を手に取った。
蓋を開けて取り出したそれは、色々な柄が書かれた紙の束のようだ。しゃかしゃかとそれを混ぜながら、彼がイオスにカードゲームを持ち掛けたのは、既に三十分も前――。
ちなみに、イオスが劣勢だ。

「……登場人物は、大体揃ったね」

ゲームの誘い以降全く喋らなかったユーサは、群青色の瞳をカードに向けながら言う。

「そうだな。神隠し事件の被害者、それに連なる関係者。ジャスティフォーカスもそろそろ本格的だ。――Aを二枚」

Aのカード二枚を、築き上げられたカードの山に置きながら、イオスが軽く状況確認をする。その裏では、自らを勝利に導くべく必死でゲームの戦略を組み立てているのだろう。

「ドッペルにも協力を取り付けたし、近い内にでもあの場所へ行く事が出来そうだね。二」

二のカードと、代わりに使えるジョーカーを更に山の上へ置く。その瞬間ユーサの手札はなくなり、勝敗が決まった。
がくり、とイオスは項垂れる。

「ポーカーでも負け、大富豪でも負け……私は真面目にやっているのに、何故だ?」
「何もかけてないだけまだマシでしょ? もう一回」
「まだやるのか……」

渋々とカードを切り始めるイオスを見ながら、ユーサは考える。
度々思い返す、彼の姿。そして、いつも抱く疑問に目線は下降し、無意識に溜息を吐いた。

「(もし、彼が憶えていたら……僕はどうすれば良いのだろう)」

ここ数日、やがて来るその瞬間に思いを馳せ、考え込む時間が増えている。幾ら考えても、答えは一つなのに。

「ほらユーサ、カード」
「……ん、ありがと」

自分に回されたカードを受け取り、礼を言う。慣れた手付きで、数少ないカードを念入りに切った。

「んじゃ、やるか?」
「うん。バトルスタートだ」
「……ゲームスタートじゃなくて?」
「良いんだよ、バトルで」

これは、僕らと彼らの「戦い」のスタートなのだから。

不思議そうに見る彼を横目に、ユーサは手札の二と書かれたカード四枚をテーブルに叩き付けた。

   ■   ■   ■

帰らずの森を抜け、一行はアラナンに辿り着いた。
アラナン――その昔、大天使が天使達の為に造り出したと言われる国。
煉瓦造りの、殆んどが二階建てである住宅が並ぶ道は、たくさんの露店と人々で賑わっていた。

「あっ、いか焼きあるぜ! リンゴのキャンディーも!」
「ホルセル、少し黙らないか。遊びに来たんじゃない」
「わぁ、可愛いですね。これとか」
「ちょっとクロス、金貸しなさい。出世払いで返すから」
「手元が狂っても貴様には貸さん。もとより、いつ出世するつもりがあるんだ」

街に繰り出したクーザン達は、ワイワイ騒ぎつつ祭りを満喫していた。露店に並ぶ様々な食べ物に食欲旺盛な少年達は引き寄せられ、あれやこれやと食べ歩く。
かくいう女性陣も楽しんでいない訳ではなく、珍しいアクセサリー等を流し見ていた。

今日は建国祭の真っ最中で、誰もが浮かれる日。つい先日トルンの建国祭があったが、元々国はほぼ同時期に造られたので重なっていてもおかしくはない(クーザン談)。……約一名、気に食わない顔をしてはいるが。

一応ホルセルの保護者のような立場にいるクロスとしては、祭り等に浮かれていないでさっさと与えられた任務に当たりたいのだろう。
しかし、残念ながらこのメンバーはお祭りといったイベントに良く食い付いていく性格の者ばかりだ。ホルセルは、好奇心からはしゃいでいるように見える。
早く言えば、楽しいものが好きというか。

「アラナンか……人が拐われたっていう噂は聞いた事ないな」

そんな中、唯一あまりお祭りムードになっていないクーザンが呟く。祭が嫌いな訳ではないが、元々賑やかな場所はあまり得意ではない為若干疲れてしまうのだ。
クロスが、前を歩く三人に呆れながら彼と並んだ。

「そんなに頻繁に神隠しが起こったら、俺達ジャスティフォーカスの体力が持たん」
「それはそうだけど」

事件が起これば、直ちに近場のメンバーが駆り出される組織に所属している彼らの事だ。
その事件の内容が、例え小さな子供が怪我をしたというものでも、例え何らかの傷害事件だとしても、連絡さえ入れば駆け付けなければならない。

「ま、今日位のんびりしても良いんじゃないの?」
「フン……ここには、あくまでも休憩に寄っただけだ。はしゃいで疲れても同じ事だとは思うが……気は抜けん。全く――」
「え?」
「何でもない」

クーザンは、クロスが最後に呟いた言葉をはっきり聞き取れず聞き返したが、彼は顔を背け前を歩いていた。
怪訝な表情を浮かべ、しかし大事な事ではなさそうだから良いか、と頭を切り替えて祭りを楽しむ事にする。疲れてはいるが、こんな楽しい時間を無駄にするつもりはさらさらない。

その後、適当に安い値段の宿屋に部屋を取った一行は、夕方まで各々休憩を取る事になる。
リレスとサエリは買い物に(旅に必要な物の買い出しを頼んだ筈だが、彼女らは他に何か買う気満々だったようだ)、クロスは任務の報告書作成の為に部屋に籠っていた。

「クーザン、暇か?」
「まぁ、暇って言われれば暇だけど」
「じゃあさ、手合わせしてくれね? 素振りだけじゃ手応え無くてさ」

どうやらホルセルは、報告書作成には関わらなくて良いらしく(恐らく関わったら作業が進まないからだろう)、手持ち無沙汰にしていたようだ。断るという選択肢は、クーザンにはない。
ホルセルの誘いにより、クーザンは彼と宿屋の近くの公園へ向かった。公園には人がいるが、数は少なく巻き込む心配は無い。

「ほれ、クーザン」

ホルセルは持ってきていた木刀をクーザンに投げ渡し、自分の木刀を握り締める。
手合わせするのに、真剣では相手を傷付ける恐れがある。
勢いを乗せて振り抜けばそれでも切り傷位は出来るだろうが、たかが手合わせにそこまで必要とする意味はない。
クーザンは綺麗にキャッチする。この際、木刀をどこから出したのか等、問題ではないだろう。

「手合わせとはいえ、手加減しないでくれよな?」
「まぁ、二分の一位は出してあげるよ」
「少ねー! ま、良いや。絶対全力出させてやるから!」

両者は軽口を叩きながらも、真剣な表情で木刀を構える。
剣を握れば、自身の弱さをさらけ出す程に不利になる。何時でも全力で、それが剣士と剣士の暗黙の約束だ。余所見をすれば自分の首が飛ぶ。
そう言えば、手合わせなんてこの前の授業でやったウィンタ以来やっていない。その代わりに嫌という程実戦をしてきているので、腕が落ちているか云々は杞憂に終わるか。

「行くぜ!」

ホルセルの一声が試合開始の合図の代わりとなり、二人はぶつかり合う。

最初の一撃は、両者とも力を込めた通常の袈裟だ。相手の力量を見極め、且つ自らの限界を悟らせない剣筋。
直ぐに互いを弾かせ間合いを取ると、再び木刀と木刀が幾度となく交わり、軽快な音を奏でる。
動きとしては、クーザンが攻撃を受け、ホルセルは連続して攻撃を仕掛けてきた。

かん、かん、かん。

一歩下がったクーザンが木刀を持ち直し、ホルセルの脇腹の少し横を狙って突きを繰り出す。
しかし、それに反応したホルセルはすんでの所で避け、木刀は空を切った。

素早く木刀を引き寄せ、再び一歩下がる。そこにホルセルの袈裟斬りが来たが、横に跳び避けた。
だが。

「っ!?」

横に跳び退くのを見越していたのか、ホルセルの木刀はクーザンが着地した場所にまで動いてきた。
驚きながらもしゃがんでかわし、同時に足を伸ばしてホルセルの足を払う。

「っうわわっ!?」

不安定な体勢で軸の中心となっている足を蹴られ、見事にバランスを崩したホルセルは後ろにふらつき尻餅をついた。

「俺の勝ち」

木刀をホルセルの首筋に当て、クーザンは勝利の宣言。
ホルセルは参った、と気の抜けた笑みを浮かべながら両手を上げる。

「何分の一?」
「二分の一」
「くっそぉ、駄目か!」

クーザンの返事に叫びながらも、表情は笑っている。

「やっぱ、お前強いわ。会った時から思ってた。下手したら先輩達より強いなー」
「会った時? トルンから?」
「ああ。一度は手合わせをしたいと思って――今、こうやって打ち合ってるのが楽しいぜ!」

木刀を杖代わりに地面に差して立ち上がり、ホルセルは再び構える。まだやる気なのだ。
――いや、こういう場合、「リベンジする気」なんだろう。

「我流、だろ?」
「まぁね」
「さっきの突きとか、防御の仕方とか、あんまり決まってないし。その場その場で最良の避け方を考えて、行動に移してるって感じだったから。オレが袈裟斬り出したのがいけなかったかー」

ホルセルの分析は、少なからず当たっていた。
僅かに驚いたクーザンは肯定し、彼の認識を改める。成程、弱冠十五歳でジャスティフォーカス構成員として活躍するだけの力量はあるのだろう。

「じゃ、次行く?」
「お手柔らかにお願い致しまーす」

ホルセルの返事に苦笑しつつ、自分も木刀を構えるクーザン。
再びホルセルが声を上げ、一歩踏み出す。

   ■   ■   ■

「ハヤトさん、どうしてだよ!? 何であいつ等を捕まえなかったんだ!?」

ダン、と机を叩いて激昂するネルゼノンは、執務室の高そうな椅子に座って煙草を吹かすハヤトに突っかかった。
本人は何処吹く風と、さして相手にしていない。

ネルゼノン達は、破壊されたピォウドドームに到着した同志達によって保護され、最低限の状況説明をした後に本部へ戻ってきていた。捜査にかかっていたハヤトに会うのは、三日振りだ。
意識を失っていたギレルノは直ぐに治療班に運ばれた。命に別状はなかったという報告があったが、まだ目を醒まさないらしい。

「お前なぁ……。状況考えろや。別に俺一人だったら捕まえに行ったけど、お前らがいたんじゃ満足に戦えなかっただろ」
「何だよ。その言い方、まるでオレ達が役に立たないって言ってるみたいじゃないか!?」
「違うのか?」
「ゼノン、やめようよ。ハヤトさんの言うとおりだ」
「あの女はともかく、ツンツン頭はあと少しで捕まえられたのに!!!」

歯を食いしばって悔しがるネルゼノンを一瞥し、ハヤトは溜息を吐く。

「調子に乗んじゃねぇ。あの餓鬼をあそこまでヘトヘトにさせたのはギレルノだろ。お前がやったんじゃねーのに、偉そうに吠えるな。お前は感じなかったのか? あの女と餓鬼の異常な雰囲気を。あのまま戦っていたら、少なくともお前ら三人は殺されていたな」
「ンだと……!?」
「ゼノン、やめて!!」

飄々と言ってのけるハヤトにとうとう我慢の糸が切れたのか、構えを取るネルゼノン。
しかし、後ろにいたエネラが彼に抱き付き、必死に止める。

「もういいじゃない、皆助かったんだから!! ハヤトさんは私達を守ってくれたんだよ?」
「守った覚えはねぇ」
「それに、あの人達は、ハヤトさんの言うとおり……ヤバイ雰囲気を纏っていた。僕らの勝てる相手じゃなかったよ」
「……ちっ」

エネラとディオルの必死の説得によりネルゼノンは振り上げていた手を下ろしたが、そのままハヤトと目を合わせずに部屋を立ち去っていった。乱暴に閉められたドアが軋む音がしたが、気にしない。

「……はー……。あの餓鬼にも困ったもんだな」
「ハヤトさん……」

ガシガシと頭を掻き、丁度吸い終わった煙草を灰皿に戻す。

「ディオル、悪いな。あんな小煩い餓鬼と組ませちまって。しっかり者のお前だから、良かれと思って組ませたが……心労は絶えんだろう」
「いえ、そんな事ないです。逆に楽しいものですよ。いつも僕の考えが及ばない行動を始める辺り、危なっかしくてひやひやするけど……僕は、ゼノンの事嫌いじゃないです。組ませてくれて、感謝しています。『父さん』」

ここでは先輩って呼べって言ったろ、と小突くハヤトとディオルの姿に、エネラは少し悲しくなった。

ネルゼノンとエネラ、ディオルの三人は、幼い頃に両親を亡くし、ジャスティフォーカスに保護された孤児だった。
どこへ行けば良いのかも分からない状況に手を差し伸べてくれた大人達に恩を返す為、また同じような状況に置かれている子供達を救う為に、自分達はこの茨の道へ進む事を決めたのだ。

エネラを保護してくれた構成員は、去年の始め頃に起こった紛争を抑える任務中に、消息を絶った。
ネルゼノンの育て親も、もう随分前に亡くなっている。
悲しい事だが、これがジャスティフォーカスに所属する者達の宿命なのだ。

そして、存命しているディオルの育て親は、ハヤトだった。
ディオルと仲良くなったエネラとネルゼノンも、ハヤトにちょっかいを出しては怒られたり、仕返しをされたりしていた。
生みの親を覚えていないエネラにとっては、ハヤトは二人目の『父親』だった。

(もう手に入らない、親からの愛情……か。)

「エネラ?」
「! あ、どしたの?」

物思いに耽っていたせいで、至近距離に近付いていたディオルに驚き、慌てて返事をする。

「また任務だってさ。キボートスヘヴェンにある遺跡の調査」
「分かった。じゃあ、それまでにギレルノも元気にならないとね! お見舞い行かなくちゃ!」

調査の連続で身体の疲労は溜まっていたが、そうも言っていられない。今ここでこうしている間に、もしかしたらこの世界の誰かが戦っているかもしれないから。

「――エネラ」
「はい?」

応接室を出ようとしたエネラは、呼び止められ足を止める。
ハヤトは椅子から腰を上げ、彼女に歩み寄る。そして、立っている彼女の頭に手を置き、

「あまり無理をするな。ゼノンの嫁になるには、ぶっ倒れてる暇なんかないぞ?」
「――っ!! わ、私は馬鹿ゼノンとはくっつきませ――んっ!!」

労いとからかいの言葉を口にすると、真っ赤になったエネラの抗議の声をはいはい、と流し、ハヤトは二人よりも早く応接室を出て行った。

一方――。

「…………」

応接室から抜け出してきたネルゼノンは、町の中をぼんやりと歩いている。
話している時は、頭に血が昇っていた所為か「何故」「どうして」としか思っていなかったが、町を歩きながら頭を冷やしていると、漸く冷静に物事を考えられるようになった。
そうなって一番に思った事は、「情けない」だった。ずっと、ハヤトの言葉の意味を考えていた。

『お前らがいたんじゃ満足に戦えなかっただろ。お前がやったんじゃねーのに、偉そうに吠えるな』

敵の力も知らない状況でハヤトに加勢しても、自分達は彼にとって足手纏いにしかならない。最悪、人質に取られて状況を悪化させていたのかもしれないのだ。
ツンツン頭の少年を疲労させたのは、自分じゃなくてギレルノ。それをチャンスだと言い張り、敵を捕えようとした自分は、何て愚かなんだろう。

「はは……、ダッセー」

自暴自棄に呟きふと気がつけば、ネルゼノンは病院にいた。
しかもギレルノが運ばれた、ジャスティフォーカスの契約している病院だ。
無意識にここを目指していたらしい。

受付でギレルノの病室を訊き、エレベーターを使ってそこを目指す。他に行く当てもないし、見舞いでもしようと思ったのだ。
病室の前に立ち、少し躊躇ってからドアをノックする。音は控えめに。

「ギルー」

ガララ、とドアを開けると、正面にベッドが備え付けられている。が、ギレルノの姿はない。
当の本人は、

「…………」
「…………」

病室の窓に足を掛けて、降りようとしていた。

「何しに来たんだ」

病院服に身を包んだギレルノは、自身の窓からの飛び降りを全力で止めたネルゼノンにそう言った。因みに、その当人は肩を激しく上下させている。

「何しに、来たとか、関係、ねーだろ、が!!」
「追っ手が来たと思って逃げる所だった」
「何で窓から!?」
「入り口に敵がいたら窓しか逃げ道はないだろう」

腕を組もうとして、片方の腕はギプスに包まれていたのを思い出し、仕方なくそのままの姿勢でいる。

「あの後、どうなった」
「あの後?」
「リヴァイアサンを召喚した所までは覚えている。あの少年はどうなったんだ」

説明を求められたネルゼノンは、分かりやすいよう細かい所までギレルノに話した。彼は始終黙って聞いていてくれた。

「誰も、奴等に手を出してはいないな?」
「…………」
「ゼノン」
「手は出してねぇ。……オレは、捕まえるべきだと思ったけどな」

ハヤトさんに止められたよ、と付け加えると、彼は安堵したかのような、無表情な顔をしていた。

「お前らしい。だが、手を出さなくて正解だ。奴等は強い」
「でも、良かったのかよ? また奴等はお前を狙ってくるかも知れないんだぜ?」
「他人を巻き込むよりは良い。……巻き込むつもりもない。俺も、そろそろここを離れた方が良いんだろう」

病室の窓に近付き、窓を思い切り開け放つ。
気持ち良い風が頬を撫でる。

「信用、してくれないのかよ」

ネルゼノンの声が、窓際に立つギレルノの耳に届く。だが彼が振り向く事はしなかった。

「ギルには、たくさん助けて貰った。その礼もしたいのに、同じ位助けたいのに、させてくれないのか?」
「気持ちだけ貰っておく。だが、あまり首を突っ込むな」
「良いのかよそれで!? オレは」
「突っ込むなと言っている!」

普段は怒鳴ることなどないギレルノが声を荒げ、ネルゼノンを制する。叫び声に驚いた彼は肩を振るわせ、動きを止めた。

「一人にしてくれ。頼む」
「…………」

もう話す事はないとでも言うように、ギレルノが固まっているネルゼノンを見ることはなかった。

仕方ないので、ネルゼノンはドアに向かって歩き出す。
しかし、ドアノブに手をかけ、一言だけ。どうしても、伝えたかった言葉。

「オレは、オレ達は……ギルを信じるから」

窓際に立つ彼からは、一言も返事は来なかった。

NEXT…