第12話 不思議な介入者

 森の入り口で、
「着いちゃった――!!」
「あれ、クーザンってそんなキャラ?」
と呑気な会話をしているのは、クーザンとホルセル。あまりに緊張感のない叫びに、というより二人に、後ろにいるリレスとサエリ、クロスは呆れている。
「……貴様等、少し黙らないか」
「え、今叫んだのクーザンなのに、何でオレまで」
「ここは魔物の巣窟だ。襲われたらどうする」
「オレの意見総無視かよ畜生! ああお前はそう言う奴だよ分かってたよ!」
 そういう会話をしながら、一行は森に足を踏み入れた。鬱蒼と生い茂った木々が、頭上の太陽の光を遮り光は全くない。良く目を凝らさないと、木の根に引っかかって足を躓いてしまいそうだ。
 引っかかると言えば――昨日、草でコケそうになっていたクロスは大丈夫だろうか、とクーザンが彼を見やる。今は大丈夫みたいだが、心なしか一歩一歩慎重に歩いているようだった。昨日と同じように、視界が満足に確保出来ない森の中だ、警戒を怠らないよう慎重に進む。周囲をキョロキョロと見回し、ホルセルも青い顔で口を開いた。
「……絶対何かいるぞ、ここ」
「気をつけろ。迷ったら助けに行かないからな」
「そんな事言うなよ、クロス……」
「当たり前よ。こんな所でがむしゃらに人を捜せば、自分まで二の舞よ」
「合流するのは絶望的……って事ですか……」
 恐怖を紛らわす為に、各々話し続ける一行。つまりは、皆怖いのだった。流石に、悪魔であるサエリと、心の中に氷でもありそうなクロスは平気そうだが。
 ――ガササッ。
「ひっ!?」
「うぉああああぁっ!?」
 物音がして驚いたリレスの悲鳴に、気を張っていた(が確実に他の理由もある)ホルセルも驚く。些か過剰な驚き方ではあるが、そんな事は関係ない。物音は、まだ続いている。
 ホルセルは、怯える彼女と音の根源の間に移動し、戦える自分が前に出て大剣を構えた。魔導師よりも防御力が高い剣士が前に、と判断出来る所は、正義の力と呼ばれる組織の構成員に相応しい。が、良く見れば足が笑っている。
「な、何だ……!?」
「……魔物……?」
 しかし、何時まで待っても正体は現れない。風が木々を揺らした音だったのだろう。再び風が吹き茂みを鳴らすまで大剣は構えたままだったが、何もないのを確認すると妙にかいた額の汗を拭った。
「くそ、驚かすなよ……」
「良かった……」
「さて、行こう……か……」
 ホルセルは、前を行く筈の三人の方に向き直り、絶句した。一瞬置いてリレスも気付く。
「あれ……? サエリ達がいない……」

「もう、あのバカ!」
 サエリは、ガサガサと茂みを掻き分けながら先へと踏み込んでいく。先程まではクロスと共にクーザン達の前を歩いていたのだが、話し声がしないと思い後ろを振り向くと、ついて来ている筈の三人の姿がない事に気が付いたのはまだ数分前の事。忠告までしたと言うのにあっさりとはぐれた三人への怒りに、自らが得意とする炎魔法で茂みを、それこそ森ごと焼き付くしてしまえそうなプレッシャーを発している。先程の彼女の叫びは、そんな彼らへ向けたものだった。
 一方クロスは、心底呆れたような溜息を吐いている。愚痴こそ口にはしないが、その心中では虚しさと怒りで一杯だろう。
「あれ程迷うなって言ったのに……!!」
「仕方ない。あっちにはホルセルがいるから大丈夫だろうが……。もし、二人と一人となっていたら厄介だぞ」
「ホルセルがいるのが心配なんだけど! こうなるんなら、商人殴ってでも捕まえるんだったわ。大丈夫かしら、リレス……」
 カリ、と爪を噛んで考えながら、先へ先へと進むサエリ。癖らしい。
「……他人の心配も良いが、」
 クロスは腰から提げている鞘から短剣を抜き、両手に携える。順手と逆手に持ち、周囲を油断なく見渡すと、
「自分の心配もしろ。ここでやられては……捜せるものも捜せない」
自分達を囲んでいた魔物達を睨み付け、言う。まるで出口のない迷路のように目の回りそうな木々に惑わされ、接近に気付けなかったらしい。サエリはそれを見ると頷き、クロスボウを構える。
「……全くね! 爆矢!」
 ジャキ、と矢が装填され、引き金を引く。矢は真っ直ぐに魔物達の方へ向かって行き、中にいた蛇に刺さった。
 更に、その蛇を中心に、矢尻に仕込まれていた火薬が爆発し他の魔物をも巻き込む。それにより何匹かは纏めて片付けられたものの、まだ生きている魔物は叫び声を上げ、二人を睨みつける。
「走るぞ!」
「分かってるわよ!!」
 武器を構えたまま、二人は一ヶ所だけ手薄な場所から魔物の輪の外へと向かって、走り出した。

「おーい。誰かいるー?」
 若干冷や汗を流しながら、クーザンは森を歩いていた。完璧にはぐれてしまったらしく、彼の呼びかけに答える者などいない。
「はぁ……最悪だ」
 一応いつ襲われても良いよう剣の柄に手をかけてはいるが、不安なのに変わりはない。周りは恐ろしい程に静かで、更に不安を煽る。まさか生い茂った木が動くんじゃないだろうか、とか、そこらに何かいるんじゃないかとか、余計な事ばかり考えてしまう。小さい頃に読んだ本で木の怪物が出た話があったが、そう言う魔物が出たっておかしくない雰囲気だ。
 ふと、気を紛らわす事を考えてみようと、思考を切り替えた。一々周りを気にしていれば、進めるものも進めなくなる。
「……手強い奴、か。一体何なんだ?」
 クーザンは、読書家とは言えないものの、それなりに本は読む方だった。今までに読んだ文献で、大方は魔物の種類は知っていたが……その“手強い奴”については、全く想像がつかない。学校の教師が忠告する位だ、多分誰もが知っている筈なのだが。
 兎も角、まず進まなければ合流もクソもない、か。残念ながら、怖いのを紛らわせる為に考えた事柄は、そうやって呆気なく結論を迎えてしまう。
 ――と、誰かが自分を呼んだ気がした。振り向いても誰もいない。そもそも、こんな所に人がいたら驚きものなのだ。なのに、
「クーザン」
と、今度は確かに聞こえた。つい先日までは毎日と言う程聞いていた、あの生意気な声。自分を呼んで、いる。
「え?」
「もう、クー! 聞こえてるの!?」
「……ユキ、ナ?」
 ゆっくり振り向けば、そこにいるのは、助けると誓った大切な幼馴染。――でも、何故こんな所に……?
 ユキナは足場の悪さも気にせず、ヒョイヒョイとクーザンに近付いた。
「えへへ~、やっぱり嫌になったから帰って来ちゃった! それに、クーにも会いたかったからね!」
「…………」
「ね、帰ろ? 道はあたしが教えるから! 行こ行こっ」
 彼の手を取り、森の道の先を指差す。その場にそぐわないテンションな彼女は、ぐいぐいとクーザンを急かした。
「――っ!」
 クーザンは、そんな彼女の手を、振り解いた。反射的な行動だった。反射的に、クーザンの脳が「触れられてはならない」と判断し、それが運動神経、身体を動かす器官に伝わって、無意識にユキナの手から逃れたのだ。事実、彼自身はその自分の行動に僅かに驚いていた。
 ユキナは不思議そうな顔をしてクーザンを見やり、自分の手を見、再びクーザンに視線を戻す。ああ、そうか。
「クーザン、どうしたの?」
「お前、誰だ?」
 ずっと手をかけていた剣の柄をしっかりと握り締め抜き放つと、ゆっくりと剣先を彼女に向ける。
「ちょ! もう、あたしよ!? 」
 慌てたように手を振って話す彼女だが、クーザンはそれでもなお剣を降ろさない。寧ろ、警戒を強くしている。
 確かに、その容姿、その表情、その声。全て彼女のものだが、違う。確証はないが、クーザンの心の何処かで、五月蝿い位の警鐘が鳴っていた。
「……ユキナはな、家の近くの店に行く途中で変な路地に入って迷う程、酷い方向音痴なんだよ。こんな森の出口、分かる訳がない。それと、幾ら他人でも、困ってる人を見捨てる程馬鹿でもない。……正体を現せ」
 こいつは、ユキナではない。ユキナの姿をした、別の何か、だ。
 彼女は呆然としていたが、数秒後におぞましい笑顔を顔に浮かべた。本物は、決して浮かべない笑みを。
「なぁんだ、バレちゃった?」
「一体、何なんだ。お前」
「あははっ。教えてあげても良いけど……」
 話し方をガラリと変えたユキナ――ではなく、ユキナの姿をした何かは、腕を上げて言った。その腕は、色を消して変形し、刃を生み出した。
「交換条件として、僕らの餌になってもらうよ」
「っ!」
 クーザンは飛び出してきた相手の太刀を片手剣で受け止め、防御する。ガチガチ……と刃が擦れる音が響く。女とは思えない、男以上の力で圧されている――明らかに人間ではない。
「僕らはねぇ、ここの森の住人なんだよぉ。ここで静かに暮らしてる。なのに、何で人間は僕らを殺そうとするのかなぁ?」
「やっぱり……魔物なんだな!?」
「そうだよ。君らがだぁい嫌いな魔物」
 魔物はもう片方の腕も変形させ、袈裟斬りを放つ。乱暴に振り回される刃は、闘志の籠った太刀よりも厄介だ。軌道が、読めないから。それでも何とか避けきってはいたが、クーザンは草に足を取られ反応が一瞬遅れた。
 ザクッ!
「っあ゛……っ!!」
 魔物の刃はクーザンの心臓を狙っていたが、間一髪避けたお陰で脇腹だけで済んだ。血がうっすらと滲む。斬られた脇腹を押さえ片膝を付く。魔物はケケケ、と笑うと腕の刃を振り払った。
「この姿に攻撃出来ないでしょ? 君の大切な子なんだからねぇ」
「……っ」
「人間の大切な者に化け、相手を殺してしまう魔物――人間はそう言ってるみたい」
 両手の刃を手に戻し、ユキナがやるように小首を傾げる。しかし、やはり表情は彼女のものではない。
「……思い出した」
 相手の記憶を読み取り、その人物が大切に想っている者に化ける魔物――その名は確か、
「ドッペルゲンガー……」
 自身には決まった形はなく、人の姿を借りて現れる魔物だった筈。間違いない。
「あったり~♪ ……分かった所で、どうこう出来る話でもないけどね」
「何で俺を狙う!?」
「正しくは君ら、だよ。もう、君の友人もこの森の住人に襲われている頃だ。何で襲うのか――まぁ、腹ごしらえ、かな」
「……俺達は、ここを通りたいだけだ」
「僕らの森に入った時点でもうアウトだよ。腹が減ってるし、血が足りない。大人しく、僕に殺られてよ」
 再び両手を刃に変え、襲ってくるドッペルゲンガー。せめて姿を変えてくれないものだろうかとぼんやり思いながら、クーザンも剣を堅く握り直し構える。
「おい。誰の許可があって、此処に来た」
「!」
 正に魔物の刃を受け止めようとした刹那、声が静かに響いた。声のした方を見やると、そこには青年が立っていた。
中途半端な長さの、暗闇に馴染む群青色の髪。冬だと言うのにかなり薄手な服。その上から、まるで縛られているかのように何本ものベルトが巻かれているが、最低限の動きは確保出来るようだ。そして、紅い眼。
 彼はポケットに手を突っ込んだまま、二人の近くに歩いてきた。
「誰なの? 僕の食事の邪魔をしないで欲しいなぁ」
「……最近、この森に住み着いて悪さをしてる奴がいると聞いた。手当たり次第に人間を殺し、魔物達でさえこき使っている、と。……お前だな?」
 青年は鋭い瞳を更に細め、魔物を睨み付けた。
「心外だね。魔物達は僕に従っているんだよ? こき使ってなんかいない」
「此処は元々、静かに暮らす連中が多い森だ。お前には、出ていってもらいたい」
「やだねっ!」
 両手の刃を青年に向かって振り下ろす。蚊帳の外にいたクーザンは、事態についていけていない。
「!」
「無駄だって」
 一瞬後、クーザンの前にいた青年の姿は消えていた。
「あははっ、僕の邪魔をするからだよ! いい気味だ!」
「阿呆」
 メキッ。何時の間にかドッペルゲンガーの背後に立っていた青年が、相手の顔を思いっきり蹴り飛ばし、呆気なく吹っ飛ぶ。
「(え……今の一瞬、移動したの見えなかった……)」
 動体視力には自信があるクーザンでさえ、青年の動きが見えなかった。人間離れをした素早さで魔物を蹴り飛ばした青年は、相変わらずポケットに手を突っ込んだまま悠然と立っている。逆に吹っ飛ばされたドッペルゲンガーは立ち上がると、青年を睨みつけ口を開いた。
「昔、この森に住んでいた一匹のドッペルゲンガーで、誇りを捨てて人間側についた奴がいたみたいだね。魔物達に慕われていたくせに、あっさりと故郷を捨てた馬鹿が」
 ぼそりと呟いた魔物だが、もう確信しているように自信満々な表情をしている。
「君、でしょ?」
「…………」
 沈黙は、肯定の証。ただ、青年の紅い眼だけは、動揺したかのように蠢いた。
「今更、この森を助けようなんてムシが良すぎるんじゃないの? そこの坊やと一緒で、未練があり過ぎる」
「ぼ……」
 俺は十五だ、と叫び返したくなったが、魔物の寿命は人間よりも遥かに長い。確かに、坊やと呼ばれても仕方ないかと思った。プライドにはダメージが来たが。
「別に」
「坊やも坊やだよね。坊やはこの子を助ける為に旅してるみたいだけど……果たして、この子は受け入れてくれるのかな」
 突然自分の方に話が戻ったのに気が付いたが、ドッペルゲンガーの質問の意図が分からず眉を顰める。
「どういう意味?」
「この子は自らの意思であっちへ行ったんだろう? なら、助けて欲しいなんて思っていないはずだ」
 ああ、と直ぐに気が付いた。魔物はクーザンの記憶を読み取り、ユキナの姿を模している。ならば、あの日の事を知っていても間違いではない。
『……あたしは、二人の近くにはいられない。巻き込んでしまうから』
『止めるなら、クーザンでも容赦しない。もう、決めたの』
 数日前の、あの夜。自分達からの決別を決めた彼女の言葉が蘇る。自分達の近くにいるのが、何がいけないのか……結局、今も分からないままだ。
 ただ、あれが覚悟を決めた言葉だったのは確かだ。あれ程に真剣な表情をしたユキナを、クーザンは見た事がない。確かに自分が助けに行っても、拒まれるだけかもしれない。それでも、
「俺は行く」
 行かなきゃならない。例え、拒まれても。
「ユキナに拒否されても良いさ。俺は、俺を信じて戦うだけだ!!」
 そうだ。その為に、自分は進まなければいけない。あの馬鹿の、目を醒まさせる為にも。大体、何故アイツが自分達と一緒にいてはならないのかさえ分かっていない。理由がなければ、はいそうですか、と簡単には頷けない。
 再び剣を握り締め、クーザンは魔物に向かっていく。
「愚かな人間だ! やはり、自分の事しか考えていない」
 振り下ろされた剣を、右手と左手を交差させて防御する魔物が叫ぶ。その声音は、幾らか楽しそうだった。
「自分さえ良ければ良い。そんな甘ったれた理想など、意味のない産物だ!」
「そうだろうな」
 再び魔物の背後に回っていた青年が、ボソッと呟いた。魔物は気が付いていなかったのか、あっさりと首を掴まれて動きを封じられる。遠目から見ても、首を絞める力は強いようだった。
「っが……!」
「だが……お前が思う程、人間は愚かではない。嘘だと思うなら、次にドッペルゲンガーになった時に人間とふれ合うか、人間に生まれ変われ」
 青年は静かに告げ、腕を掲げる。腕は先程のように刃に変化し、魔物の身体を迷いなく貫く。

「っあー!! まだ襲ってくるのかよ!?」
「も、私、走れな、いですっ……」
「頑張れリレス! 悪いけど、オレは止まられても抱えて逃げられないから!」
「それ、はっ、どういう、意味ですかっ!」
「いててっ、マフラー引っ張るな! 首絞まる、絞まるから! 間違っても体重的な意味じゃねえっ!」
 未だに襲われているホルセル達の体力は、限界だった。デリカシーのないホルセルの発言にリレスは憤慨するが、身体はついて行くのに必死らしい。今は彼のマフラーを握って引っ張って貰ってるような形になっている。
 魔物の一体一体は大した力はないのだが、如何せん数が多い。もう何体倒したのか、等分かる筈もなかった。と――。
「……? 何だ?」
 ホルセルの目には、魔物達が動きを止めたように見えた。

 それは、クロス達の方も同じであった。
「何なのかしら?」
「警戒するに越した事はない」
 双剣とクロスボウを構えたまま、魔物達の次の動きを待つ。二人も、怪我こそないものの体力が底を尽きかけていた。だが、魔物達は興味をなくしたようにクロス達に背を向け、森に帰って行く。
「……終わったのか」
 漸く気を抜けれるようになったクロスが、力なく呟いた。

 魔物からは、人間が怪我した時のように血は流れない。魔物が死ぬ――存在出来なくなった時、その身体は光の粒子となって消えゆく。
 青年に急所を貫かれた魔物は、消えるその瞬間、言った。
「これで終わりだと、思うんじゃない」
 そう言って、消えた。
 クーザンと青年――彼もドッペルゲンガーだった――だけになった空間は、空気が重く感じる。そんな中先に口を開いたのは、青年の方だった。
「お前だな。クーザンっていう、餓鬼」
「……何で名前」
 見ず知らずの、しかも魔物に自分の名前を言い当てられて、無意識に警戒するクーザン。それに気付いているのかいないのか、青年は話す。
「お前を待ってる奴がいる。俺はソイツと契約した身だが……ソイツに、お前を守れと言われてな」
「一体誰だよ、そんな奴」
「物好きな事は確かだな。進め、クーザン。ユキナを助ける道は、まだある」
 そう言い残し、青年の姿はボンヤリと薄まり影に消えた。
「……言われなくとも、進んでやるさ。たとえ、惨めに這ってでも」
 クーザンは立ち上がると、「さて」と呟いて辺りを見回した。薄気味悪いのは相変わらずだが、何とか脱出は出来そうだ。
「クーザン!」
 森の向こうから、自分を呼ぶ声が聞こえた。振り向けば、森の中から走ってくるホルセルとリレス。
「あーもー! 良かった、クーザンと合流出来て! 一生出れないかと思った」
「…………」
「クーザン?」
 何も言わないクーザンを不思議に思ったのか、リレスが声をかける。と、クーザンは突然ホルセルに腕を伸ばし、彼の頬をつねった。あまりにも自然な行動だった為、ホルセルは避けられなかった。
「いだだだだ、はにゃせ、くーひゃん!」
「……本物か」
 ぱっ、と手を離し、クーザンは辺りを見渡す。一方、訳も分からず理不尽につねられたホルセルは堪ったものではない。痛む頬を押さえながら、クーザンを睨み付ける。
「何すんだよっ!」
「詳しくは後でね。先にクロス達を捜さないと」
 が、自分の言葉をあっさりとスルーし残る仲間を捜し始めた彼に、ただホルセルは閉口するしかない。納得いかない、とぶちぶち小言を呟くが、それがクーザンの耳に入る事はなかった。

   ■   ■   ■

 ――捜さなきゃ。ボクは、捜さなきゃ。ボクなんかの代わりに捕まってしまったレッドンの為にも。ボクが、《カイル》って人を、捜さなきゃ……!
 暗闇をさ迷う意識は、繰り返しそう叫んでいた。だが、その空間は目映い光に支配される。
 どこからか、声が響く。エコーがかかっているようなそれは、何時までも耳に残って離れなくなった。
「壊したくないから、頼むから、立ち塞がらないでくれ。俺の前に……」
 懐かしい声は、光に吸い込まれ――

「……?」
 目が醒めると、見知らぬ部屋のベッドの上だった。温かな日の差し込む位置にあり、外は見事な快晴。それに加え、茶色やクリーム色といった穏やかな色調の家具達が心に安心を与えている。自分の部屋は、こんなに安らげる場所ではなかったはずだ。
 何故ここに寝ていたのかは知りようがないが、きっと行き倒れていたのを誰かが拾ってくれたのだろう――そうとしか考えられない。寝癖の立った金髪を整えながら起き上がると、ふと顔に、正しくは皮膚に違和感を覚えた。
 泣いて、いるのだ。意識はしていなかった。気付けば、泣いていたのだ。蒼の瞳から意識せずに流れ落ちる涙は、良く見ればさっきまで頭を乗せていた枕をも濡らしていた。
「……なん、で?」
 訳が分からずに困惑する少年は、ただ茫然としていた。

   ■   ■   ■

「ユーサ」
 イオスが、青年の名を呼んだ。距離は、それなりにある。窓際で読書をしているユーサは、やはり気がつかなかった。面白くなさそうに溜め息を吐く彼は、仕方なく近付いて再び声をかけた。
「ユーサ」
「……何」
 今度は返事が返ってきた。読書を邪魔されたので不機嫌になっているのか、かなりぶっきらぼうだ。仕方ない、この情報でチャラにしてくれると良いのだが。
「見つけたよ。君が捜していたもの」
「っ!?」
 驚愕に満ちた表情で、目線を本の文章からイオスに移す。
「……何処?」
「その前に訊きたい。お前は、本当に殺せるのか、奴を?」
「何を今更」
 自嘲気味に吐き捨てたユーサの表情は、何処か辛そうにしていた。
「殺せるよ。……僕の存在意義は、大半がそれなのだから」
「誰よりも、人を殺す事を嫌うお前が? 犬が目の前で死ぬのも嫌う癖に、良く言えたものだな」
 昔、自分が飼っていた犬が亡くなった時の彼の荒れようと言ったら、目を逸らせるものではなかった。
「そんなつまらない話は聞きたくない。昔の事だ! 良いから、早く奴の居場所を教えてくれない?」
 余計な事を思い出させない為か、ユーサが声を荒げて言う。一刻前までは穏やかだった彼の双眸は、今は剣呑な光を放っていた。
「(本気だな)」
 長い付き合いであるイオスには、分かった。今の彼が、何の躊躇いもなく人を殺せる事が。
「僕は、彼を取り戻す為なら、命だって差し出すし、人だって必要なら殺す。……彼を隠した、奴を殺す事も躊躇わない」
「……分かった。落ち着いて聞いてくれ」
 このまま話を進めては、彼と喧嘩になる事は目に見えている。そうなると、イオスに勝ち目はない。一応は戦える。が、ユーサに比べたらまだ弱い方なのだ。第一、この話し合いに喧嘩など必要ない。
 ユーサもそれを分かっているのか、大人しくイオスを見返した。諦めたようにため息を吐くと、口を開く。
「お前が捜している彼を隠した者は……、お前の親友を、行方不明にさせたあいつだ」
「……な、ん……だって?」
「同一人物なんだ。お前が言っていた人物像と、《ワールドガーディアン》を行方不明に追いやった死神が」
 しばし、沈黙する。ユーサは最初とは違う意味の驚愕を顔に貼り付け、イオスは彼の反応を見やる。
「……ははっ」
「ユーサ?」
 顔を下げ、肩を震わせる青年に嫌な予感を感じたイオスが、再び声をかける。
「ははは……っ、あははははっ!! またお前かい、ゼルフィル!! とことん邪魔をしてくれる……!!」
 狂ったように笑うユーサを、イオスは複雑な表情で見つめ、目を閉じる。
「何とも……滑稽な巡り合わせだな」
 運命は残酷なものだ――何処かの誰かがそう言っていたが、正にその通りだと、イオスは思う。
 願わずにはいられない。彼や、背負っている運命を忘れてしまったあの学生に、幸運があらんことを。