第102話 語り継がれる物語

「お疲れ様、ノウル!」

上司や同僚から労いの言葉を貰いながら、ゲートに埋め込まれるように建てられた検問所を出る。
すると、国の外のようにも見える長閑な大地と、遠くの廃鉱山の風景が広がっていた。既に二年程見続けてきた、故郷の景色だ。
吹き抜ける風が気持ち良く、肩にかけた鞄をかけ直す。カシャ、と腰から下げた剣の鞘が鳴った。

三年の時が経ち、世界は様々な事が変わっていた。
《月の力 フォルノ》が悪影響を及ぼす事もなく、空気のように世界に溶け込んでいる。

ギレルノは、あの戦いが終わった後――恐らくは、リヴァイアサンが身体から浮かび上がった時から――召喚の力を失っていた。ディアナの、「これからの世界に不必要なものは全て持って行く」という言葉通りだ。
その為、必要の無くなった《遺産 エレンシア》であった本をレンの一族に返還し、召喚師を辞め、現在は剣士として、ソルクのゲート警備の職を全うしている。
ブランクはあるものの、ゲート周囲に出てくる魔物程度なら難なく撃退出来る。時には大物を仕留め、砦で表彰された事さえあった。
ついて来てくれた精霊達とは、力を失ったのと同時に契約を破棄したのだが、彼ら自身が他所へ行こうとせず、主にギレルノが留守にしている間の自宅の番犬代わりになっている。全く物好きだな、と呆れたものだ。

家の門をくぐれば、脇に現れる姿。ぐるる、と声を鳴らし、ユニコーンが出迎えてくれた。

「ただいま」

出迎えの礼と共に言葉をかけ、軽く頭に触れる。ユニコーンは、気持ち良さそうにされるがままになっていた。

その時、ばたん!と喧しく玄関の扉が開かれる。
現れたのは、目まぐるしく成長し今や快活に動き回る愛娘、トワ。
彼女は開くのも待てないといった調子でこちらに駆け寄ってくると、ぼすん!とギレルノに飛びついた。いつかどこかで見たような動きに苦笑しつつ、勢いで倒れてしまわないよう足に力を込める。

「おとーしゃん、おかえりなしゃい!」
「トワ、ただいま。良い子にしていたか? それと、危ないから静かに来いといつも」
「お帰りなさい。今日もお疲れ様、ギル君」
「おかえリ!」

遅れて出迎えてくれた妻と共に出てきたのは、琉大陸に帰ったはずのレン=タツミ。
ギレルノは怪訝そうに眉間にシワを寄せる。

「……何故いるんだ、タツミ」
「ふっふっふ。決まってるだロ、お前が娘にデレ……じゃなかった、しっかり父親しているか確認しに来たんダ」
「だからと言って、わざわざ琉から来る奴が……いるか」
「ここにナ! ――まぁここまでは冗談としテ」

冗談だったのか、とギレルノはじとり目でレンに視線を寄越すが、どこ吹く風と気にしていないようであった。
頭の天辺で括られたポニーテールが、彼女の動きに合わせて揺れる。トワが、ギレルノに引っ付いたままそれをじぃ、と見上げていた。

「今度、私達の一族がこちらに何人か来る予定なんダ。自分達の崇める神が生きた大地を、この目で見たいって長老様が仰られてナ」
「だからと言って、俺に何の用だ?」
「ルナデーア遺跡以外で、どんな場所があるのか確認したくテ。三年前に旅をしていたお前なら、文献に載っていない場所も知っているだろウ?」

そういう事か、とギレルノは納得する。
確かに、それに関してなら自分達で調べるより、実際に同じ目的で旅をしていた者達に聞く方が手っ取り早い。

各国に存在する碑、文献を調べるならテトサント大学、と行った場所の名を挙げたところで、ふとあの滝を思い出す。
セイノアの手によってあの滝の洞窟は潰されてしまったが、恐らく行く価値はあるだろう。

滝の家――リツが住んでいた家は、あのまま朽ち果てさせるにはもったいないという事で、今年中に引っ越す予定である。精霊達にとっても町中よりはずっと良いだろうし、自給自足をするにはもってこいの環境だ。既にあちらで何をしていくか、などの予定も立ててある。
買い出しなどは不便ではあるが、ユニコーンが張り切っている辺り、手伝ってくれるつもりらしい。そんな話を、つい数日前にしていた。

……そういえば、セイノアは元気だろうか?

久々に思い返した名前に、ギレルノは会話を続けながら空を仰いだ。

   ■   ■   ■

「ホルセ……捜査長代理! 捜査長代理! こっちは終わったぜー!」
「言い直すな、繰り返すな! だから、お前が捜査長代理[それ]呼びは止めろって! くすぐったいだろ!」

こちらの姿を見つけたネルゼノンが、ぶんぶん両手を振りながら己を呼んだ。
わざとらしい友人の自身への弄りに、最早口癖となってしまった言葉を吐いていると、別の新米構成員の代表が敬礼をしながら報告する。

「捜査長代理、任務完了致しました。ご指示を」
「ああ、今日はもう終了でいい。宿舎でゆっくり体を休めてくれ。明日の予定は、また連絡するから」
「了解しました。では、お先に失礼致します」

敬礼の姿勢は少しも崩さず、彼と他の新米構成員は下がっていった。疲れたやら、今日の飯は何だやら、各々呟いている。その後ろ姿を、何ともなしに見つめていた。

と、横からくすくす笑い声が聞こえたので振り向き、途端に仏頂面になった。そこにいたのは、もうすっかり見慣れた姿である。

「……何笑ってんだよ、サエリ」
「いーえ? ホルセルったら、すっかり捜査長代理が板に付いたと思って?」
「うん、かっこいいよ」

すっかり大人の女性になり、個人的には若干目のやり場に困るサエリが、けらけら笑って返す。それに続きアークまで同意するものだから、ホルセルは勘弁してくれよとばかりに頭を抱えた。

二人は魔導学校を卒業した後、ジャスティフォーカスへの入隊を希望した。本来ならば先程の新米構成員達のように研修から入るのだが、ビューの計らいにより、現在は組織でも有名な三人組として、日々任務に当たっている。普段はこの町にいないのだが、今日は任務経過の報告に訪れていたのだ。

「二年でここまでの信頼を得るのは大変なんだぜ? 少しは誇れよ」

そんな二人が入隊を希望した理由、三人組が有名になる要因となったスウォアの茶化しに、ホルセルはとは言われてもなぁ、と溢す。

《月の力 フォルノ》の影響は少なくなったとはいえ、半ラルウァである以上普通に暮らす事は不可能だと自嘲した彼に、ホルセルは無意識のうちにジャスティフォーカスへの入隊を薦めていた。
リルを危険な目に遭わせた張本人であり、それを完全に許した訳ではないが、帰る場所がなくなる寂しさは知っている。
それに、スウォアなら組織でもやっていけるだろうと言う自信もあった。

結局、そんなホルセルの思惑の通り、スウォアはたった二年で首席に上り詰めるだけの功績を残した。身内内では、『瞬剣』なる異名まで付けられているそうだ。
ホルセルを助けるために仲間が本部に突撃した時、スウォアは幹部代理として変装していたらしい。巡り巡って、今度は実力でその席に座っているのだから、なんとも妙な話だと本人達は笑っていた。
そんな経緯があって、スウォアとアークはホワイトタウンのファイの家で暮らしながら、ジャスティフォーカスで活躍している。サエリもそこに厄介になっているらしい。

「そうそう! みーんな無理だと思ってたのに、あのハヤトさんにお墨付き貰っちゃってるんだからねー!」
「ハヤトさん、か……」

はー、と溜息を吐く。
あの戦いで瀕死の重傷を負ったハヤトだったが、エネラを筆頭としたジャスティフォーカス構成員の懸命な治療が功を奏し、辛うじて一命を取り留めていた。
だが、その時運悪く靭帯を損傷してしまったのだと言う。その為――。

「まさかそのまま、オレに捜査長の席を押し付けちゃうなんてなぁ……」

現在、彼は新規で入隊してくる隊員達の教育顧問を請け負っている。鬼神と呼ばれた頃のようには戦えないが、鬼教官としての噂は良く耳に入ってきていた。

そして、ホルセルは今やそのハヤトが座っていた席にいる。正確には、『捜査長代理』となっているが、それは単にホルセルが若いからだ。もうあと三年もすれば、代理は外され『捜査長』と呼ばれる事になるのだろう。
ビューによる組織再編成が行われた際、ハヤトと共に指名され、跡を継いだ。
或いはあの時――あの戦いで指揮権をホルセルに渡した時から、こうする事を決めていたのではないかと、今は思っている。

ついでに、クロスが指揮権を放棄した理由も、今なら分かる。彼はあの時点で、自分の本当の責務を果たすと、一連の事件が終わればこの地を離れるつもりだったのだ。
だからハヤトに自分を推薦し、クロス自身は暗躍を選んでいた。未来へと繋げる為に。

「そういや、そのハヤトさんはどこ行ったんだ?」

ネルゼノンの声に思考の海から引っ張り出され、ホルセルは視線を向ける。
アークが困ったように笑いながら、その答えを口にした。

「三日間の連休貰って旅行に行っちゃった。カナイさんとディオルも一緒」
「やれやれ、荒事は若者に任せて自分達はバカンスかよー。羨ましいなぁ」
「でも、ハヤトさんはホルセルと代わるまでずっと任務してたでしょ? 少しは良いんじゃないかなぁ」
「そーね。存分に羽休めして、また戻ってきたら動いて貰えば良いのよ」
「うわぁ、姐さんえげつねぇ!」

ネルゼノンの突っ込みを皮切りに、あはははは、と底抜けに明るい笑い声が青空の下で響く。

ホルセルは、あれから何度か考えた。
もしかしたら、彼らは自分達のように、こうして笑い合う事を望んでいたのではないか、と。天使のアーク達やエネラと、悪魔のサエリが、一緒に笑って話している。もちろん、ノウィング族の自分達も。
みんなその過去は悲惨とも呼べるものばかりだが、差し伸べられた手を取り、それを乗り越えて来た。

ならば、彼らの為に出来る事はひとつしかない。それをこれからの人生で、実現させられたら良い、と思う。

「――だから、さっさと戻って来いよ。クロス」

次に会った時は、ふんぞり返って成長した自分を見せてやるのだ。そして、笑っておかえり、と言ってやりたい。
それまでに、みんなで守った世界は、ちゃんと守っているぞ、と自信を持って言えるように成長しなければ。

決意を新たに、ホルセルは談笑する彼らに声をかけ、任務へと戻るよう促した。

ばさり、と何処かで羽根が羽ばたく音がした。

   ■   ■   ■

「あー? また暴動? はいよー。B部隊、対応を頼む」

部屋に来た伝令に指示を伝え、ガリガリと頭を掻きながら、ジャックは溜息を吐く。

リニタの部屋はいやに広い。王族の一室なのだから当たり前なのだろうが、貧乏性な所がある自分としてはあまり落ち着けるような気分にはなれない。

《輝陽 シャイン》達との最終決戦の場になったダラトスクの街は最優先で復興が行われ、以前程ではないが活気に包まれている。平和になった、と言ってもいいのではないだろうか。
ここと同じように廃墟になりかけたアブコットも、我が姫が躊躇いもせず復興に全力を注いだお陰で、人がまた普通に暮らせる程度には回復していた。

そして当人はと言うと、部屋の奥にカーテンで仕切られているベッドの上で寝間着に身を包み、上半身だけを起こしていた。

戻ってきたジャックに微笑み、ありがとう、と礼を頂戴する。

「全く、毎度毎度忙しいなー。こういう輩はいつまでも消えねぇな」
「でも、ノイモントが主犯の暴動は起きてないんですよね?」
「あー、まぁ一応。裏で手を引いてたとしても、やり方が違うしなぁ」

ガリガリと好き勝手に爆発しているような自分の髪を掻きながら、リニタの問いに答える。

ラニティはこうした大っぴらな手口は好まない。住人達への煽動や暴動への手引きなど、持っての他である。あくまでジャックが感じた限りではあるが。
だがそうなると、最近増えているように思える暴動の数である、犯人がさっぱり見当つかないのも本音であった。こういう時、ユーサやイオスがいれば助言を貰うのだが。

そんなジャックの心中を知ってか知らずか、リニタは首を傾げながら微笑みを浮かべる。

「見極めてくれているんでしょうか」
「多分な。律儀な女だな」

彼女は父親の死によってねじ曲がってしまっただけで、もしかしたら本当は心優しい女性であったのかもしれない。実はずっと直接リニタに会わせたいとも思っているのだが、残念ながら三年経った今もその機会には恵まれていなかった。

と、リニタが「ジャック」と己の名を呼ぶ。
いつもの調子ではなく、真剣な話をする時のニュアンスだと気が付いたジャックは、黙って話の続きを促した。

「私、初代のディアナのように、この大陸を素晴らしいものにしていきたいです。ノウィング族、天使、悪魔、そして貴方のような人狼族の方々にとっても。ノイモントの人達に認めて貰えるよう、命をかけて全力を尽くすつもりです。その為には、私一人の腕では到底足りません」

そして、ふい、と移された視線の先。
リニタは、寝具とは異なる毛布の塊――否、そこに包まれた赤子を抱え、ふふ、と微笑みかける。
まだ話す事は出来ない赤子は、彼女とは異なる――そして自身と同じ色の瞳を、こちらに向けた。あう、と声が漏らされる。

「だからこれからも、私の執事として一緒にいてくださいね。この子と一緒に」
「……お嬢、……」

何を今更、とも、当たり前だろ、とも言えなかった。
男としてしてやられた気分になり、ことごとく天然気味な我が主を恨みすらしたくなる。

「あのなぁ、そういうのは女が先に言ったら駄目だろうが……」
「はい?」

辛うじて口にした苦言も彼女にダメージを与える事はなく、むしろ自分が何をしたか分かってすらないようだ。長年の付き合いなのでそういうリニタの性質を把握してはいるが、把握する事と認める事はかなり難易度が異なる。

ああもう、こうなったら。

「今更言われなくったって、とっくの昔からその覚悟はしてるっつーの!!」

思いっきり顔を明後日の方向に逸らしながら、精一杯言い返してやった。

   ■   ■   ■

小高い丘の上は、以前来た時から変わらず優しい風が吹いていた。

大地に等間隔に突き立てられた、石盤。その前には誰が置いたか知れない、色とりどりの花。
石盤に刻まれた文字は、人名。

寂しささえ帯びた場所を訪れたのは、カナイとディオルを引き連れたハヤト。そして、イオスとシアン、タスク、リレス。
それぞれが黒を基調とした衣服に身を包み、ディオルが二束の花束、シアンが一抱えのそれを持っていた。

「何時来ても、ここは静かですねぇ。魔物達も見当たりませんし」
「だろうな。魔物が近寄らん理由は知らんが、ゆっくり眠れてこいつらも幸せだろ」

イオスが周囲を見渡していると、ハヤトが手に持っている杖でこっちだ、と進行方向を指し示す。靱帯を損傷したせいで、バランスを保つのに杖が手放せなくなってしまったのだ。年寄りかよ、とぼやいていたのはいつだったか。

「じゃ、俺はこっちだから。先に終わってたら、ここの入り口で待っててくれ」
「私も、先にこちらと会ってきます」
「りょうかーい」

シアン達と別れ、ハヤト達は目的の墓石の前に立ち止まった。

「よぉ。今日は珍しい奴も一緒だぜ」
「お久し振りです、アーリィ、クレイ」

イオスがディオルから受け取った花束を、ハヤトが酒の入った瓶をそれぞれの墓石の前に据え付けられた献花台へと置いた。

「俺も遂に半引退状態だ。生涯ジャスティフォーカスに身を置くもんだと思っていたが、他の道に進むのも悪くないかもしれんな」
「とか言って、子供達を脅すんですよね」
「仕事が溜まってる時とか、働きたくない時とか。最近の先輩からは、昔ほど威厳が感じられませんよ?」
「んだとカナイ」
「ごめんなさいハヤトさん、僕も少し思っていました」
「でぃーおーるー?」

普段通り、いつもと変わらない会話に、イオスは笑みを浮かべる。これでは、どちらが上司なのか分からない。
いや、恐らく彼らには「上司」と「部下」という自覚はない。「父親」と「子供」の関係そのものだ。

「お前はどうなんだよ。大学の講師辞めたって聞いたぞ」

うじうじ小言を言われるのから逃れるように、ハヤトがイオスに話を振った。どこからそんな話を聞いたのか少し不思議ではあったが、間違いではないのでええ、と肯定する。

「今現在を言葉で表現するなら、『無職』と言う奴でしょう。孤児院経営は継続しているので、厳密には違いますけど」
「んなら辞める必要はなかったんじゃねぇのか?」
「いえ、これは言わばけじめというやつです。……私はこれから、子ども達の為に生きようと決めたんです。そう、彼女とも約束しましたからね」

自身の知識を欲する手は数多とある。それらを全て蹴り、イオスは隠居する選択を取った。
彼女を救えたとは言え、元々の原因を作ったのは自身の弱さと知識だ。もう二度と彼女と同じ境遇の人間を生み出したくないという思いで、安定する職である教授職を捨てたのだ。
不安は勿論ある。だが、ひとりではないのだ。子供達と手を取りあって生活していくのが、今の自分の一番の幸せなのだと思っている。

その決意を読み取ったのか、ハヤトはそうか、と溢した。

「良ければ、うちの魔法を専門職とする奴らをしごいてくれんかと思っていたが」
「良いですよ? 常駐が出来ないだけで、働き口を頂けるならお受けしますよ」
「お、マジか」
「ええ。……では、私はあちらの方にも顔を出してきますね。ごゆっくり」
「おー。また後でな」

すくっと立ち上がると、ハヤトはひらひら手を振ってそう答えた。彼らとは違い、イオスはここでもう一箇所行くところが――いや、会う人がいるのだ。

歩きながら、思い出す。

あの羊皮紙の紙飛行機は、サエリが言ったようにイオス宛の手紙であった。
自我が消えゆく中書かれたと思しき、見覚えのある筆跡。その手紙には、ただ一文だけ書かれていた。

『アンタの話、結構楽しかったわ』

ちゃんと聞いてくれてはいたのか、ともう会う事の出来ない後輩の姿を頭に浮かべる。同時に、喪失感と罪悪感が蘇る時期もあった。
だが、その度に思い出すのだ。子ども達をちゃんと守ってあげろ、という彼女の最期の言葉を。

仕事の方はそこまで心配していない。生活には困らない程度に貯金もあるし、ジャスティフォーカス構成員の指導ともなれば給与は良いはずだ。子供達を守ると啖呵を切った手前、無職では示しが付かない。

「貴方達が、命をかけて守ったものです。なら、私達も全力で良くしていかないといけませんよね」

ふ、と顔を上げて、一人呟く。
返ってくる返事こそないものの、イオスは苦笑を溢し足を動かした。

イオスがこちらに向かって来ている頃、シアン達もまた目的の場所に辿り着いた。

「久し振りー。また来たよー」
「土産は花くらいしかあれへんけどな」
「『別に貰っても嬉しくないんだけど?』」
「ユーサさん、本当にそう言っていそうです」

墓――『ユーサ=サハサ』の名を刻んだ石板の前で屈みながら、シアンとタスク、リレスが笑う。

ユーサは最後にディアナに伝えたように、世界が変わったその先を少しだけ見届けると、つい半年程前、眠るように息を引き取った。
当時の話が御伽噺になる程の時間を、意識的には生きていたのだ。身体はともかく、意識はボロボロだったに違いない。

ユーサがいなくなった直後のタスクは、酷いものだった。
来る日も来る日も「自分が死ぬべきだったのに」「ユーサは何も悪くないのに」と呟き続けていて、見かねたシアンが諭すまで時間がかかったものだ。
そんな彼も、今は笑っている。

「俺が終いになってしもたな」

泣き腫らした眼で遠いどこかを見つめ、そう呟いていたタスクが。

勿論リレスも大泣きした。
本当の両親と同じ医療への道を選んだのは、身近でその壊れようを見ていたのも大きい。彼をどうにか助けられないか、という想いも少なからずあったからだ。
だからこそテトサント大学へとレッドンと共に進み、勉学に励んでいた最中での訃報は、衝撃の何物でもなかった。
また間に合わなかった、と己の力のなさに本当に嫌になったのは、これで何度目だっただろうか。

だが、そこで立ち直れたのは、一番悲しかったであろうシアンの言葉だった。『アンタ達、あんまり泣いてたらアイツに怒られるわよ』と叱られ、タスクもリレスも平静を取り戻す事が出来た。

「まぁねー、前からそんな感じがしてたもの。覚悟だけはしてたし、それが今来ちゃっただけよ」

以前、何故そんなに平静にいられるのかと問いかけた事がある。するとそんな答えが返って来て、自分は到底姉には敵わないな、と思ったものだ。予感がしていたのに、彼の前では一瞬でも悲しそうな顔をしているのを、リレスは見た事がなかった。
そんな彼女のお腹の中には、既に七ヶ月目となった新しい命が宿っている。丁度ユーサが亡くなる一ヶ月前に妊娠が判明し、楽しみだと話していたのを思い出す。

「ちょっと聞きなさいよユーサ、あと三ヶ月もすればアンタの子供が産まれるわよ! その時はちゃんと考えてくれた名前付けてあげるから、安心しなさいよね」
「シアン、凄く楽しみにしたはるからなぁ」
「あったりまえじゃない! ふふふ、来年にはその子も、ここに連れて来れるはずよ」

悲しくないはずはない。だけど、シアンは笑っていた。
だから、リレスも笑顔を浮かべる。墓前で陰鬱な表情をしていると、彼に本当に怒られてしまう気がするから。

   ■   ■   ■

「それじゃ意味がないんだよ。――って、言いに行ってあげたかったなぁ」

くすくすと微笑みを浮かべながら、ヴァルが言った。
姿形はサマなのに、どこかセクウィと似た雰囲気を醸し出していることに、クーザンは最後まで慣れる事が出来なかったようだ。残念だとは思うが、それも仕方のない事だと、今でも思う。

「彼らがユキナちゃんを捕えたのは、カイルを誘き出すと同時に、彼女のその力を恐れたからだよ。ディアナの力は、《月の力》そのものをあるべき姿へと戻す力だ。それ即ち、世界を構成する大いなる力――マナ、と呼ぼうか。《月の力》は元は、悪しきものではなかった。世界を構成するにあたって重要であり、正の状態であればむしろ、必要不可欠と言ってもいい位だ。《月の力》が悪しきものになった理由――それはね、彼のせいなんだよ。僕ら[神]が《月の力》を必要とすることを知った時点で、答えを導けたはずなんだけどね」

今まで自分達に悪い影響しか及ぼしてこなかったせいで、仲間達にとっては《月の力》イコール『自分達にとって悪影響を及ぼすもの』という認知であるはずだ。
それを、セクウィやヴァル――そして《遺産》も、エネルギー源としてそれぞれの力を使うことが出来る。ただの悪しきものなら、その力の循環には疑問を持つべきだったのだ。
では、何故《月の力》のせいで魔物や人間が化物になってしまうのか。

「それが、ソーレの罪だよ。彼は生物の魂を弄って、過剰な《月の力》を寄せ付けるよう、作り変えたんだ。三つに分かたれてしまった彼のように。魂に刻まれた焔の烙印は、あらゆる水を寄せ付けず、また受け入れられることもない。そして、輪廻に戻った時に再び脅威となることのないよう二つの魂に分けられ、またその悪意から化物を作り上げた、というところかな? ディアナ――ユキナちゃんの力も。時を操ることでも、傷を癒すことでもない。『魂の構成を作り変える』力、なんだよね」

癒しの力ではなく、傷を負った魂には治癒力を促させ、驚異的な速度での完治を。
時を止めるのではなく時の流れから個体を切り離し、行動を抑制し。
《月の力》を纏い過ぎた魂には、力そのものから解放させる。
それがディアナ――ユキナの力の本質なのだと語った。

「前回のラルウァ増殖は、月から与えられる《月の力》の供給源をカイルが封印したことで終結した。単純に考えれば同じことをすれば事態は収束する……その先の何百年かは、な」
「カイルが封印した結果が、今の彼らなんだよね」

そう、封印したと言っても存在がなくなった訳ではない。
今回のこの事態は、再び生を受けたソーレによって封印を解放され、起きた事。また次も同じようなことが起きないとは、言えない。

「そこに強大な力があると分かっている限り、堕ちてしまったソーレは諦めないし見逃さないからね。だから、違う手段でこの事態を収束させる必要があった。《月の力》を封印するのではない、他の手段で」
「そんな手段があるなら、もっと早くに試している。《月の力》が封印出来ないなら、消滅させるしかなかった――はずだった。全く、つくづく面白い存在だ。人というのは」
「ねー。見てて飽きないよね。……ところで、戻ってあげないの?」

淡々と一人で語っていたサマは、向かいにいる人物へと質問を投げる。

「……そのうち、な。もう少し落ち着いた頃にでも、顔くらいは出してやるさ」
「俺とキミって、割と似た者同士だよね。過保護なのか過保護じゃないのか」
「お前と同じにするな! 俺はお前みたいに偏屈ではない」
「酷いなぁ、俺だって偏屈のままだった覚えはないよ。これでも大分丸くなったと思うんだけど」

酷い言われようにサマは肩を竦め、ふいと空を見上げる。
快い晴天。天気は夜まで変わらないと言っていたから、今夜は良い月が見える事だろう。

「おめでとう、クーザン君。これからも運命に縛られたままのはずだったキミの人生は、まるで違うものに変わった。これからは、キミ自身の人生を送りなよ。――ウィンタの分もね」

   ■   ■   ■

「ユキナちゃん、楽しそうね」
「おばさん!だって、今日はクーザンとセーレ兄、ザナ姉が帰ってくるじゃないですか」

クーザンは見聞を広める為、大陸を旅するセレウグを始めとしたワールドガーディアン一行について行っている。彼らは相変わらず、大陸を守ってくれる勇者達と慕われていて、何でも屋のように日々困った人々を助けて回っていた。

そしてユキナ自身はというと、魔導学校卒業後はマリノの店を手伝いながら、もう一人の居候相手に家庭教師紛いの事をしている。
そのため、あれから一般家庭にも普及した通信機器のお陰で週一で話はしているものの、直に会うのは半年振り。喜ばない方がおかしい。

「そうね。あの子落ち着けば良いのに……折角家族が増えるんだから」
「クーザンはあれで良いんです、多分」
「ごめんなさいね、変な所がお父さんに似ちゃってて」
「その文句は本人に言います! それに、家族が増えるって伝えた時は顔色変えて帰って来てくれたから、特に不満には思ってないですよ」
「あの時は面白かったわねぇ」

くすくすと、その時の光景を思い出したのか笑うマリノにつられ、ユキナも笑った。

と、上の階からぱたぱたと軽い足音が耳に届いた。
振り向くと、そこには満面の笑顔を浮かべたリルが。足を出すのももどかしそうに階段を駆け下りるので、危ないよ、と声をかける。

彼女は、あれからすぐにトルシアーナ魔導学校に入学するのを希望し、ユキナと共にこのクーザン宅に厄介になっている。魔法を専門に、治癒魔法も使えるように勉強したいのだと熱弁したらしい。
寮だと、ホルセルが心配のし過ぎで仕事に集中出来ないという事で、ならばとクーザンが(半分呆れながらだが)我が家を下宿先として提供したのだ。

「ユキナお姉ちゃん! クーザンお兄ちゃん、もうすぐ近くまで来てるよ! 鳩さんが教えてくれたー」
「ほんと!?」
「うん! お迎え行くんでしょ?」
「ええ、その前に行くところがあるから助かったわ。マリノさん、行ってきます」
「ええ。ご飯用意して待ってるから、早く帰ってくるのよ」
「はーい!」

ユキナは白いワンピースの裾を翻し、机に置いていた花束を抱えて店を飛び出した。

ねぇ、ディアナ。
あなたはごめんなさい、と謝っていたけれど、あたしはあなたの生まれ変わりで良かったと思ってるよ。
良いことばかりではなかったけれど、あたしは大切な絆と、大切なものを手に入れられたから。

ねぇ、ウィンタ。見てるかな?
約束した通り、あんたの分まで必死で生きていくよ。また会った時、嫌と言う程お土産話を出来るように。聞いてくれなきゃ許さないんだからね。

やってきたトルンの川の縁に立ち、両手に溢れんばかりの白い花を愛おしそうに見つめると、思いっきり投げ込んだ。
白い花びらが散って、川のせせらぎと共に流れていく。
これは、旅が終わってから始めた、自分なりの追悼だ。
ディアナやカイル達、ウィンタ、そしてあの旅で出会い、命を落とした人達に向けての――。

「おーい、ユキナー!」

誰かが、自分を呼ぶ声がする。
はーい、と反射的に返事をし、一拍置いて今の声が誰のものだったか把握すると、ユキナは満面の笑みを浮かべて彼らに小走りで駆け寄った。

ディアナとカイル、みんなが愛していたこの世界は、あたし達が守っていきます。

だからどうか、見守っていて下さい。

破壊された、ルナデーア遺跡の女神像。
台座だった部分に添えられたアミュレットの宝石が、差し込んできた光に反射して輝いていた――。

―― FIN ――