第101話 黎明を告げる鐘

「そんなのダメ!! それじゃ、同じことの繰り返しじゃない!」

過去のカイルと同じ事をすれば、彼は命を落とし、また数年後、数百年後に同じ運命を辿る。
それは駄目なのだと、ユキナははっきり否定した。

う、と顔を歪めた後、クーザンは溜息を吐きながら口を開く。

「じゃあどうするんだよ。封印はダメ、それ以外に手は思い付かない、時間もない」
「考えるの!! 封印はダメ、絶対ダメ!! あたしも考える……」
「あのなお前、話聞いて……」

だが彼とユキナの言葉は最後になるにつれて途切れて行き、やがて二人揃って勢い良く振り向く。
クーザンはホルセルに、ユキナはリレスに視線を振り、当の二人は突然寄越された視線に訳も分からず、え、と狼狽えている。

だがそんな事はお構いなしにしばらくそのままで、やがてどちらともなく納得したように、手元のアミュレットを見る。

「……アミュレット、そういう事かな……?」
「……かも、しれないな」

そのやり取りを聞いたレッドンも、そうか、と何かに気が付いたように呟く。

二人は次にセクウィの方に向き直ると、勢いそのままにその考えを口にした。

「クロス! ソーレが作り変えた力の構成に正常に働くように、《月の力 フォルノ》を浄化させる事は出来ないのか!? ヴィエントが前にやったみたいに!!」
「ち、力を浄化? お前達、何を――」
「リレスが倒れた時も、《月の力》が体内で濃くなったからって月の草を使って軽減させたでしょ!? あれと同じで、あたしが《月の力》を浄化するの!! このアミュレットを使って!!」

今、大陸が高濃度の《月の力》に侵されている原因は、ディアナをラルウァに堕とすには十分過ぎる程のそれを、籠であった月の封印を解いて地上に引きずり落としたからだ。恐らくその地点が、遺跡の女神像なのだろう。
混ざり合った高濃度の力は汚染され、今クーザン達に見えるような形で世界を蝕んでいる。

ならば――その流れを正常に戻す、つまり『浄化』する事が出来れば、と二人は考えたのだ。

リカーンの夜の道で会ったヴィエントが、どうやってかは知らないがクーザンの不調を治したかのように。
あるいは、ホワイトタウンで倒れたリレスを助ける為に得た、浄化の力を持つ月の草のように。
それが出来れば、封印という手を――誰かを犠牲にしなくても済むのだ、と。

セクウィは目を見開き、聞いた内容を吟味する。本当にそれが可能なのか――。それを判断出来るのは、彼しかいない。

「だが、お前達ももう気が付いているだろうが、ユキナの力の本質は」
「そんなの良いから!! 出来るのか、出来ないのか!?」
「……出来る、はずだ。確証は持てないが、不可能ではない」
「力を封印するでもなく、消す訳でもなく、あるべき姿に戻すって事か。……それは考え付かなかったな」

ユーサが感心したように言うと、セクウィは渋面を浮かべたまましかし、と続ける。

「まだそれで解決出来ると決まった訳ではない。万が一成功しなかった場合、同じ道を辿るのだぞ」

カイルは実行出来なかったからこそ、《月の力》を封印する方法を取ったのだ。それはつまり、力が強大で簡単にはいかない事を表していると言っても過言ではない。
仮に浄化が出来なかった場合――その時こそ、世界の終わりか、過去の再現を取るかの究極の選択を迫られる。

そしてその場合の覚悟も、クーザンは既に出来ていた。

「その時は、俺だけで封印する。未来の俺に迷惑をかけるけど、滅びを迎えるよりはずっとマシなはず」
「クーザン!!」
「大丈夫!」

眉を吊り上げたユキナの怒りの声と、誰かの自信満々の声が重なった。
声の主はホルセルで、もう一度大丈夫だ、と繰り返す。

「クーザンと、ユキナなら大丈夫。なんか、そんな気がする」
「何を根拠に?」
「みんながいるから、だよ?」

彼の後ろからひょっこりと顔を出すリルまで、兄と同じように確信した表情で言うと、にっこり笑った。
その言葉にあれ、と疑問を持ち、少し考えて思い付いた答えを、おそるおそる目で確認する。

そうだな、と同意を返したのはギレルノ。
うんうん、と隣と同じ考えであると主張する数人。
仕方ないなぁ、と呆れ顔で肩を竦めるユーサ。
これは、どう考えても。

「……もしかして、お前ら……」
「え、当たり前でしょ? ボク達も行くよ」

アークを代表として返される答えに、やっぱりと頭を抱えた。何を当たり前の事を、と言いたげな雰囲気すら帯びている。
何があるか分からない、危険だと言っても聞いてさえくれない彼らは、クーザンが何か言うより先に逃げ道を潰して行く。

「一度目はその場にカイルしかいなかったから、封印するという手段を取るしかなかった。今はこの場にみんないるんだ、手は多い方が良いだろ?」
「クーザンさんとユキナさんだけでは行かせませんよ!」
「アタシも何も出来ないかもしれないけど、ここまで来たら最後まで付き合うわよ」

ああ、うん。これは何を言っても無駄だ。
そう悟ったのか、クーザンは頭を振りユキナを見る。
彼女も彼女で困ったような顔をしながらも、頼もしいばかりの仲間達に、心強いと思っているようだった。

「お前の負けだな」
「分かったよ。――行こう、みんな」

苦笑と共にかけられた言葉を認め、クーザンは黒い渦のような穴を振り返った。

   ■   ■   ■

全員が次々と黒い靄の穴に飛び込むと、その先にはどこまでも続く湖が広がっていた。湖の底から生えている、長めの草花が静かな波に揺れる。
幻影と言うからどんな恐ろしい罠が待っているかと思いきや、拍子抜けする程に穏やかな、寂しげな風景。
ちゃぽん、と足元の水が音を立てた。

「これは……」
「無目的に歩き回っても無駄だな。かといって、方角も分からなければ目印さえもない……」
「ある意味、一番迷わせやすい幻影だよ。同じ道を歩かせても分からないし」

ユーサがさらっと怖い事を言っているのを聞かなかった事にし、どう進むかを考える。
どうも見覚えがあるような気がするのだが、クーザンにはいくら思い出そうとしても思い付かなかった。どこで見たのだろうか?

『こっちよ』

くい、と手を引かれ、振り返る。
そこには変わらずユキナが――いや、いつもと雰囲気が違う彼女が、微笑みを浮かべていた。

「ユキ――いや、ディアナ?」
『不正解。私はルーナ――ディアナは、私の現世での名よ』

くるりと方向転換をすると、ユキナは一方向を目指し歩き出した。どうやら歩きながら話してくれるらしい。
それぞれに離れないよう言うと、クーザンは彼女に手を引かれるがまま歩を進める。

『《月の力》に意識を呑まれ、魂をソーレの幻影の地獄に囚われてしまってから、ずっと待っていたの。ディアナやカイル達[貴方達]が来るのを。大分、時が過ぎてしまったけど』
「え? じゃあ、ユキナは」
『この娘が私の生まれ変わりというのは間違ってないわ。囚われたのは《ルーナ[私]》の意識だけで、《ディアナ》はソーレに殺されたから』

この闇の中に、恐らくは八百年以上もの長い間一人で囚われていたと言う事は、ユキナが本当はディアナの生まれ変わりではないのだろうか?
という疑問に、彼女は先読みしたかのように答えてくれた。つまりホルセルのように、ディアナが主人格、《ルーナ》が副人格で、ディアナは殺されて転生し、《ルーナ》はここに囚われている、という事だろうか。

周囲の光景は変わらず湖だけで、数人の足が揺らす水音を背景音楽にして、彼女は続ける。

『ディアナは私の意識を失ってからも、幾度となく転生し続けた。でも、カイルは《月の力》の封印に多大なエネルギーを使ってしまい、転生する事が出来なかった。それが癒やされたから、貴方が生まれたのよ』
「……でもそれが、ソーレを」
『否定はしないわ。彼が、貴方がまたここに現れる事を予見して、この世に現れたって事は』
ディアナが残した《月の力》をカイルが封印した事を知っていたソーレは、殺して封印を解こうとしていたが、彼は力を消費していて転生出来なかった――つまり、殺す機会がなかった。
ソーレが待ち焦がれていた機会、それがクーザンとして生まれたこの時だったのだろう。

『でもね、カイルはディアナを助けられなかったけれど、貴方は違ったでしょう?』

突然足元が光り出し、うわ、と複数の驚いた声が聞こえる。彼女だけが落ち着いていて、口元に微笑みを浮かべたまま。

『道案内はここまで。――《月の力》を浄化する鍵は《貴方とこの娘》よ。クーザン』

光に包まれた彼らは、確かにその言葉を聞いた。

『貴方達は、私達と違う方法を選び、そして条件を揃えた。それを成し遂げられるかは――これからの貴方達次第』

■■■

周囲の光景が、一変する。
そこは闇の中でもなんでもなく、記憶の中にある場所だった。

「ルナデーア遺跡……」

細部は異なっているが、そこは間違いなく、あの遺跡だった。クーザン達の、『本当の旅』が始まった場所。《月の間》は人一人おらず、そこには一つの台座と、一つの女神像が佇んでいる。

「ん……」
「ユキナ!?」
「あれ? ここどこ?」

傍にいたユキナが目を覚まし、《ルーナ》ではなく彼女自身に戻った事を知る。
彼女はあの闇の中に残ったのだろう。何もなく、暗く寂しい場所に。

他の皆が全員目を覚ましたのを確認すると、クーザンは遺跡を見渡した。
目的の女神像は、数日前に見たのと同じ位置に変わらずあった。憂いを帯びた瞳を王座に向け、ただただ沈黙を貫いている。

しかしまぁ、何と分かりやすいことだろうか。
《月の力》を悪しき力に変換するにも、手当り次第にやる訳にはいかない。いくらソーレであっても、それは骨の折れる作業に違いないはず。
ならば、《月の力》が発生する場所で変換する力を使うと言うのは、効率的には一番良い方法だろう。世界に漂う普通の《月の力》の中に、悪しきそれが混ざり込んでいく仕掛けは。
しかし、それを女神像――ディアナを模したであろうそれに隠すとは、呆れを通り越して感心したものだ。

神に愛されたディアナ。
神に見捨てられたソーレ。

その違いが、それぞれをあれ程までに対立させたのだ。方や全てを慈しみ、方や全てを憎む。

女神像を見上げていたクーザンの隣に歩み寄ったユーサも、それだね、と口にする。セレウグは引き攣った笑みを浮かべていた。

「間違いない。めちゃくちゃ濃い《月の力》が溢れてる」
「いや、これちょっと……ヤバいぞ?」
「ヤバいのは知ってるよ。セーレ、どのくらいヤバい?」
「え、うーん、ものすごくヤバい」
「抽象的過ぎて分からない」
「ちょっと待て。今可視化させる」

眼の力で女神像の状況が見えているらしいセレウグとユーサのやり取りに呆れながら、セクウィが一歩前に出る。
一言何かを呟いたかと思うと、突如周囲に暴風が生まれ、その様相を露わにさせた。

女神像は、高濃度の《月の力》で埋もれている程に冒されていた。
先程までクーザン達を苦しめた黒い靄が蠢くように発生し、周囲を徐々に異物へと変化させている。

「うわっ何だこれ!?」
「おいおい……」
「な、ヤバいだろ」

あまりの禍々しさに驚く面々。
と、その靄が更に形を変える。まるで女神像が浄化を拒むかのように、両隣に靄で出来た化物が作られたのだ。

「仕掛けを止めさせない為の番人か」
「ソーレの奴、用意周到過ぎない!?」
「自分が倒されても世界が滅ぶよう、仕組んでいたんだろうな。こんな状況でなければ褒めるところなんだが」

クーザンは冷や汗をかいた。もし一人で来ていたら、浄化はおろか封印すら出来ずに殺されていたかもしれない、と容易に想像が付く。

最後に女神像が黒い靄に包まれ、それが晴れた時――クーザンは、今度こそ絶句した。

色素の薄い桃色の髪、知的でいてどこか快活さも感じさせる顔付き、感じられる魔力の流れ。
そのどれもが隣にいるユキナと瓜二つで、だが決定的に異なる《月の力》の異常さが、彼女に纏わりついていた。

「あたし……!? あ、違う、あたしにそっくりって事は、ディアナ……!?」
「趣味悪過ぎるぜ、ソーレの奴……!!」

そう、それはどう見てもディアナそのものの姿だ。ただ本当の彼女ではないらしく、その証拠に首元にあるはずのアミュレットがない。

クーザンは、クロスとユーサに視線を投げる。
流石に二人共動揺していたようだが、こちらに気が付くと、各々の武器を構え言った。

「恐らくは、奴自身が高濃度の《月の力》を生み出す元凶だ……女神像の皮を被せ、隠蔽していたんだろう」
「ど、どうすれば良いんだよ!? 倒すのか!?」
「倒せないよ。……倒せないんだ。あれが、浄化するべきディアナの力だから」

それはつまり。
封印されていたディアナの膨大な《月の力》の一部を使い、異常を来す程にあるそれを撒き散らす存在を生み出し、今の世界を危機に陥れたという事か。文字通り彼女から生み出したから、彼女の姿を纏っていると。
何と言う、彼女への冒涜だろうか。父グローリーといい、ディアナといい――自分に対する当てつけが過ぎる。

靄の化物に応対する為、クロスが双剣を抜きながら声を上げる。

「時間稼ぎで良い、本命はクーザンとユキナだ。二人に絶対に近付けないようにしろ!」

了解!と異口同音に返事が返り、左右に立ちはだかる靄の化物にそれぞれが攻撃。
指示の後、クロスはクーザンとユキナを振り返ると、微笑を浮かべながら「頼んだぞ」とだけ言い残し、自身も戦線に飛び込んでいった。

『ワタ、シハ、ハカイ、ハカイスル、セカイヲ、』

残る一人――姫の虚像は、最早人の声とも言えない音で言葉を紡ぎ、まるで自分に言い聞かせるように機械的だ。それしか自分が出来ることはないのだと、絶望しているようでもあった。
だから、二人は叫ぶ。

「そんな事言わないで、目を覚まして!」
「このまま大陸が、世界がなくなって、それで良いのか!? キミが一番大切に思っているものじゃないのかよ!!」
『タイ、セツ……セカ、イ……コ、ワ』

それはまるで、狂った人形だった。
クーザンは彼女に纏わり付く黒い靄を睨み付けながら、考える。

ソーレは何重にも準備をしており、こうして着実に世界を消滅させようとしたのだろう。世界の異常の根本たる力にディアナの皮を被せたのも、恐らく時計塔の、ここへと繋がる道を残したのも、全てその目的の為に。姫に再び殺されるとは、良く言ったものだ。
叫ぶ声が痛々しく感じ、心の奥底が痛む。これ以上、あんな姿の彼女を見たくない。

手元にある《クラヴィス》を一瞥し、すらりと鞘から抜き、構えを取ろうとした。

「だめ――――――っ!!!」
「!? ユキッ……!!」

そこでユキナが絶叫しながら、自分よりも早く飛び出したのは、完全に予想外。
クーザンは驚愕で動作が一歩遅れ、その間に彼女は一目散にディアナに向かう。
斬り付けられる刃で頬に傷が生まれようとも、長い髪のひと房が刈り取られようとも気にも留めず、ひたすらがむしゃらに。

そして遂にディアナの元へ辿り着き、彼女は勢いそのままに、その華奢な身体を抱き締めた。

「怖かったよね、悲しかったよね……。もう大丈夫。大丈夫だから」

するとどうだろう、あれだけこちらに向けられていた敵意が徐々に薄れていき、刃と化した靄の動きもぴたりと止まった。

「あなたはこの世界を愛して、とても大切に思っていた。それを壊せなんて、出来るはずがないよね。ソーレの呪縛か何か知らないけど、あなたがあいつに絶対的に従う必要はないの。あいつが許さなくても、あたしは許してあげるから」

両の眼に大粒の涙を溢しながら、ユキナは言う。

「あたしが帰してあげる。あなたの、いるべき場所に」

それを聞いた彼女は、瞳から一筋の涙を流し、コクン、と頷いた。
ユキナがそれに応じ、ディアナの力を発動させ――。

――世界が、真っ白になっていく。

   ■   ■   ■

懐かしい場所。
どこまでも続いていく夜の草原に、先程までの轟音とはかけ離れた、穏やかな風が吹き付ける。

いつもの夢かと思ったが、自分のすぐ隣にはこれまでとは違い、ユキナが立っていた。
彼女だけではない――ここまで苦楽を共にしてきた友人達も、そこに存在していたのだ。皆が皆、どういう状況なのか飲み込めず周囲を見渡している。

俺達はなぜここにいるのか、《月の力》はどうなったのか、ディアナはどこに行ったのか、他に誰かいないのか。クーザンもきょろきょろ辺りを見渡し、あ、と声を出した。

二人は、ずっとここにいたのだと言うように穏やかな表情で、こちらを見ていた。
ユキナが着替えただけなのではと思う程に似た容姿を持った女性と、その傍に控えるようにして立つ緑がかった白髪の男性。彼の方は、クーザンはもう何度会ったか分からぬ相手であった。

仲間達がそちらに視線を向け茫然とする中、ユキナが二人に歩み寄り声をかける。

「カイルと……ディアナ?」
『ええ、そうよ。ありがとう、ソーレの呪縛から解き放ってくれて』

先程と違い発された声は、ユキナより幾分か高いソプラノ。男性――カイルは微動だにせず、ただただこちらを見ている。

「《月の力》はどうなったんだ?」
『貴女達の目論見通り、異常な量の力は浄化されたわよ。今頃、大陸に存在していたラルウァは消え去っているはずだわ』
「そっか! 良かったー!」

へたぁ、と安堵のあまり座り込むユキナ。
失敗すれば大陸が、世界がなくなるという状況に置かれたプレッシャーは、自分が感じるよりもさぞ大きかっただろう。気が付けばこの空間にいて確認も出来ず、結果が気がかりで仕方なかったことだろう。
大袈裟とも言える彼女の反応にくすりと笑い、ディアナが手を差し出す。

『ありがとう、ユキナ……クーザン。そして、みなさん。あなた達のお陰で、世界は――エアグルスは守られました』
「全く、後継にまで迷惑をかけるな」
『言葉もないわ』

クロスの台詞に苦笑を返し、ディアナは肩を竦める。
彼女とて、ここまでこの世代の者達に迷惑をかけることになるとは思ってもいなかっただろう。ソーレの策略によってカイルに殺されていなければ、また違うかたちで後世に関わって行ったはずだ。リニタの祖先である、もう一人のディアナのように。
それが考えつかないクロスではないと思うが、こうして敢えて言ったということは、彼も全てが終わった事に安堵したのかもしれない、と思った。
と、そこでようやくカイルが動いた。一歩前に出ると、クーザンの前に立つ。
改めて見た、自分より少し上にある双眸は、成程鏡で見た時の俺の瞳とそっくりだ、と納得した。

『クーザン。私からも、謝っておこう。そなたに、色々迷惑をかけた』
「……ま、死にかけたり狙われたり、失ったものもあったり……確かに散々だったけどさ。でも、俺は別にあんたのこと恨んだりはしてないよ。こうして巻き込まれたお陰で、得たものもたくさんあるし。それに、さっきも助けて貰ったしさ」

そう、この旅であった出来事は、きっかけはカイルにあれど、「クーザン=ジェダイド」が歩んだ物語である。それら全てを否定するつもりは、クーザンにはなかった。
旅の道中の喜怒哀楽全てがあったからこその、今の「自分」なのだから。

「だから、お礼を言うのも何か変だけど……ありがとな」
『……ああ。ありがとう』

思考回路は同じはずのカイルは、クーザンのそんな考えを読み取ったのだろう。
彼もまた、微笑みを浮かべて言った。

『そろそろ終わりそうね。みんな、行きましょう』

何が、と問いかける必要はなかった。
夜の草原の地平線が姿を見せていて、淡い光がこちらを照らしている。
その光のせいなのか、ディアナ達のみならず、クーザン達の体もぼんやり薄くなっているのに気が付いたのだ。

『この先の未来に不必要なものは、私達が全て背負って行きます。あなた達に、迷惑をかけたお詫びとして』

それを合図と取ったのか、彼女の背後に一斉に人の影が現れた。

長い黒髪の女性はギレルノの傍に歩み寄り、ぽん、と彼の肩を叩く。
すると、彼から浮かび上がるようにしてリヴァイアサンが現れ、彼女に付いてきていた波のようにふわふわした髪の少女に捕まえられると、じゃれ合うようにしながらディアナの隣に戻って行く。
その様子をふふふ、と微笑みながら見守っていた女性も、ばいばいと手を振り後を追った。

その逆側では、金髪の少年と黒髪の青年、茶髪の青年がこちらを見ている。
彼らが他の、カイルと同じ神官達なのだろう――ユーサが懐かしそうに見ているのに気が付き、クーザンは思った。
そんな懐古も一瞬で消すと、彼はディアナに向き直り口を開く。

「僕は、多分もうそんなに長くはいれないと思うけど、もう少しこちらに残って先を見届けます。後始末も要るだろうしね。――みんな、先に行ってて」
『分かりました。貴方が来るのを、のんびり待ってますね。ゆっくり来るんですよ? 貴方は妙にせっかちなところがあるんですから、トキワ』
「余計な世話です」

む、と不服そうにむくれる姿は、彼にとっていかにディアナ達が大切な存在だったのかを思い起こさせる。
だがユーサは彼らとの別れを選び、微笑みを浮かべながら、かつての仲間達に背を向けた。

ディアナもその彼の決意を引き止めようとはせず、ただ少しだけ寂しそうな目でその背中を見ている。

『ったく、折角のシャバだってのによ』
「うわっ!?」
『まぁ、世話になったぜ。ガキ』

ギレルノと同じように、突然自分から現れた白髪の、盗賊のような出で立ちをした男――彼がヴィエントなのだろう――に、ホルセルが驚いて声を上げた。
ヴィエントはにししと意地悪そうに口角を吊り上げ、ぽんぽんと頭を叩くと、ひらりと身を翻し黒髪の女性の隣に移動する。

ディアナは視線をクロスに移すと、小首を傾げながら問いかけた。

『貴方はどうしますか? セクウィ』
「俺も行く」
「えっ……クロス!!」

返すと同時に、そちらに歩を進めようとするクロスをホルセルが慌てて呼び止めると、ぴたりとその歩みを止める。

「聞いていただろう。俺が関わり過ぎているのを」
「クロス、行っちゃうの……?」
「必ず戻る。それまで、任せた」

泣きそうなリルの台詞に微笑を返し、だがそこからこちらへと戻ってこようとはしない。

「繰り返すが、俺はお前達の手助けをしたことを後悔していないし、この先もするつもりはない。だから、微塵も気にする必要はないぞ」
「……お前、戻って来なかったら承知しねぇからなー!! 絶対だぞ――!!」

ホルセルは引き留めたかっただろう。ほぼ兄弟同然で育ってきた相手なのだ。
だが彼はその言葉を押し止め、クロスの言葉を信じる事にしたらしい。怒ったように叫んではいるが、両目には涙を溜めている。

各々の様子を見ていたクーザンは、ふとカイルに向き直り問いかける。

「サン……と、ソーレは」

体も意識も乗っ取られてしまった子供と、乗っ取った当人。
二人とも消えてしまったまま行方が分からず、カイルにも分かるかは不明だったが、果たして彼はその問いに答えてくれた。

『ソーレの事は心配しなくて良い。彼は、先に行ってしまっただけだからな。彼が乗っ取っていた少年も、じきにまたそちらに戻ってくるはずだ』
「そっか。――あいつに伝言出来たら頼むよ。『また今度な』って」
『分かった。それと、グラディウスだが』
「あ……折っちゃってごめんな」
『私は全く気にしていない。そのお陰で、そなたとそなたの友の絆が生まれたのだから』

元はと言えば自分の物ではあるが、やはり彼の一部であったあの剣を折ってしまった事は罪悪感が宿る。だがそれも察していたのだろう、自身の腰に提げられている剣を視界に入れたカイルは、ゆるゆると首を横に振り微笑んだ。
ウィンタの想いと、カイルの想い。この剣には、ふたりの想いも確かに宿っている。

「……俺は、正しい選択が出来たかな?」
『それは、これから確認すれば良い。まだまだ先は長いぞ』

ぽん、と載せられた手からは体温が感じられなかったが、彼の激励の気持ちが伝わってきたような気がして、ふ、と口元を緩める。
カイルは見ることが出来なかったその先の世界を、お前は生きることが出来る。だから、自身の選択の結果を見届けろ。そう言っているのだ。

「だな。――じゃあ」
『ああ』

地平線の向こうから顔を覗かせた太陽が、夜明けの空を照らし出す。
互いが互いの仲間達の元に戻ると、ディアナが両手を広げ、満面の笑みを浮かべた。

『貴方達の未来が――希望に満ち溢れた、素晴らしいものでありますように!』

黎明を迎えた光の中に消えていく彼女らを、クーザン達はいつまでも見守っていた。