第100話 最後の剣戟

クーザンの片手剣と、ソーレのトンファーと融合したかのような腕は、一見どちらが強固なのか分からない。だがこれは少なくとも、武器の強さが勝敗を決めるものでは決してなかった。

斬り上げからの斬り下ろし、腕で弾く、すぐに体勢を立て直しざまの斬り払い。一歩後退、一歩前へ。平たい地面が続く部屋では、足元のもつれや一瞬の躊躇いが敵だ。
ソーレも、相手の猛攻には流石に防戦一方のよう。クーザンもそれを承知で、休む暇なく斬撃を繰り出す。

幾度目かの、互いの武器が弾かれる音が響いた。

『貴様アアァ!!!』

一瞬の膠着状態が生まれた隙に、ソーレがクーザン目掛け、数十発の生成された黒い魔法の弾を放った。空いた距離を縫うように追尾式の軌道を描き、彼を狙う。どういう原理なのか――とそんな事を考えるより先に、回避するべく動く。斬れるかどうか、いや斬れたとしても数が多い、確実に何発かは貰ってしまう!

だが、それが標的を捉える事はなかった。
彼の目の前を横切るように飛んできた何かが直撃し、次々と宙で跡形もなく霧散したからだ。
ひゅるるるる、と空気を切る音を鳴らしながら、魔法の弾を斬り裂いたチャクラムが持ち主の手に戻る。

「クーザンにはもう攻撃させないよ!」
「アーク!!」

視線だけをそちらに寄越すと、螺旋階段で別れたアークが立っていた。階下のゴーレムやラルウァ達を処理し、応援に駆け付けてくれたのだ。

彼はクーザンの隣に立つと、力強い光を帯びた眼を向けながら、言った。

「おまたせ、クーザン。――ボクは決めたよ。過去は振り返らず、これからを生きていくって。でも、今回は間に合ったよ!」

それは、記憶を取り戻せずとも、生きる事を決めた光。
アークは笑顔を浮かべ、隣に立った。いつもの気弱さはなりを潜め、自らがすべき事を迷う事なく見定めている。

ソーレが赤い目をぎょろりと動かし、その様を視界に入れた。

『ミシェルの片割れか』
「もう片方もな!」
『――っ!』
「スウォア!?」

突然横から突き込んできた攻撃に、ソーレは応じる。純白の羽根を広げ、彼の視界外から近付いて来たのは、スウォアだった。
螺旋階段にいたアークと、塔の入口で別れたスウォア、どちらもいるという事は。

ガチガチと金属音を鳴らしながら、彼が変わり果てた姿のソーレの赤い目を見た。口の端を軽く持ち上げ、へ、と小さく洩らす。

「サン、じゃなかったソーレ。悪いが、俺はお前のやる事に従えない」
『従う意思はなかったくせに、よく言う』
「バレてたか。化けモンだろうが何だろうが、この世界に繋ぎ留めてくれる奴がいる限り、そんなに悪いもんじゃねーよ」

スウォアが、今は普通の人間に戻りたいと思っているのかは定かではない。ただ少なくとも、以前のように家族で平和な暮らしに戻りたいとは願っているはずだ。
だが、台詞を聞いた限りでは『自分が半ラルウァである』という事を受け止め、その上でソーレに剣を向けている。ピォウドドームよりもあからさま過ぎる、明確な、敵対宣言。

ソーレが、レイピアを弾き返す。
しかしその隙を逃さんとばかりに、双剣の一撃が彼を襲った。クロスだ。
魔法により強化された双剣の雨を繰り出すと、最後の一撃を思い切り弾き、一歩距離を取る。

「俺は、コイツらに未来を託した。人間達の未来を俺達が簡単に変える事すら、本当はあってはならない事だからな」
『役立たずな神だ。それが滅びを招くと分かっているのか?』
「何とでも言え。俺は人間達の行く末に任せたい。その先の結末は、今お前がやろうとしている事と同じ。俺達が手を加えるか、加えないかの違いだ」

クロスの魔法の予備動作と同時に、ソーレが腕を振り翳すと、そこを狙い光の魔法が飛来した。被弾し、後退せざるを得なくなる。

魔法を使ったのはリレスだった。ユキナの手を取りながら隣に立つ彼女は、別れる前とは明らかに違う、強い意志が宿った紅い瞳を真っ直ぐにソーレに向けている。
彼女の一歩前には、レッドンが守るように槍を携え立っていた。

「私達の行動が、全て善に動く訳じゃないのは知っています。ですが、働きかける事で何かが変わるのなら、最後まで諦めたくはないんです!」
「過ちを犯しても、人は変われる。その力が、人間にはある」

油断なく立ちつつも続けるレッドンの後を継ぐように、足音を響かせながらホルセルがソーレに斬りかかった。腕で受け止めたソーレとの力比べ、ギリギリと一進一退の攻防に発展する。

「その流れに、勝手に修正を加えられちゃ困るんだよ!! 神様は、見守ってる存在でなくちゃいけねぇんだ!!」
「いくら神であろうと、やって良い事と悪い事の分別くらいは付けた方が良いぞ」

ギレルノが後方からそう口にすると、いつの間にか召喚していたユニコーンの角から照射される光の帯が放たれる。
せめぎ合うホルセルを狙っていたが、彼はギリギリの所で懐から離脱した為、光線はソーレの腕のみを焦がす。

「カミサマが悪い子になっちゃダメなんだよ!」
「世界を消すなんて一方的な事をするんなら、この世界のみんなが神を信じなくなるわよ?」

唐突に後退したホルセルという力の押さえを失ったソーレがふらつくのを狙い、リルの魔法とサエリの弓矢が放たれる。

小さく舌打ちした彼が、矢と魔法を辛くも避け、二人を標的に魔法を使おうとした瞬間、右頬を強い衝撃が襲う。小柄な体はいとも簡単に吹っ飛ぶが受け身を取り、衝撃を起こした本人――セレウグを睨み付けた。

「そりゃ人間だし、ひとりがやろうとしても、影響力は小せえ。でも、それが少しずつみんなに広がれば、変われるはずだ」
「僕だって世界全体を見れば、今だって不可能だと思うよ。でも知ってるんだ、人間って本気になれば、何だって可能にしちゃう事」

ユーサは静かな声で言葉を紡ぎながら周囲の仲間達を見、口元に苦笑を浮かべながら、銃口をソーレに向ける。

全員が、無事とは言えずともこの場に辿り着く事が出来、心の中で安堵の息を吐いた。それがどんなに困難だったのか――もしかしたら命を落とす者がいた可能性も、決して低くはなかったのだ。

完全に周囲を囲まれたソーレに向かい、クーザンが剣を構えつつも一歩前に出た。

「ソーレ。お前がどうしても気に食わないって言うんなら、俺達は全力でそれを変えるよう努力するよ。もちろん限界もあるけど、悪い意味でなく良い意味で少しずつみんなに広がれば、悲しい運命を背負う人達は少なくなっていくはず」

そう、いくら願ったとしても、クーザンはまだ成人もしていないただの子供だ。
やれる事と言えば同じくらいの子供達よりは多いだろうが、大人達に比べればずっと少ない。
でもだからこそ、どんな行動をするか、どんな未来を選べるかの選択肢は多い。

彼らのような、悲しみを抱いて命を落とす人々を少しずつでも減らしていきたい。きっとそれは何処までも果てしなく、叶うには遠い道のりだ。
だが、クーザンはその道を歩もう、と考えていた。大丈夫、一人で歩く道のりではないから。

「まずはここにいるみんなから、家族に、友人に、そしてたくさんの人に。それを見守っていて欲しい」

――しかし、彼の意志は固かった。

『出来の良過ぎる夢物語だ。話にならない』

彼が示した答えは『否定』、『拒絶』。
腕を構え、クーザンを赤い双眸で射殺す様に睨め付ける。

『俺が考えを改める事はない。どのみち貴様らは再び姫に殺されることになる――阻止したいのなら、……っ!!』

突然、ソーレが言下しないまま慟哭を上げ始めた。体を縮こませ、獣のように、あるいは苦しそうに声を漏らす。
何かあればすぐにでも剣を振るえるよう、柄を握り直しながらそれを見守っていた。

「!? まさか――全員距離を、」
『あアああああアアああぁっッッっっ!!!!』
「うわっ!?」
「っ――!!」

直後、クロスが何かに気が付いたらしく退避の声を上げ、だがそれは僅かに遅く。
ソーレの身体から黒い濃霧が噴き出したかと思うと、馬鹿みたいに広く感じる空間全てを飲み込む勢いで覆い尽くす。ホルセルの叫び声と、ユーサの息を飲む声が聞こえた。

クーザンはユキナを一瞥し、恐らく意図的に彼女の近くにいたであろうクロスの姿を、悪くなりつつある視界に入れる。彼は一瞬で姿を本来のものに変えており、側にいる数名を結界で守ってくれていた。

「セクウィ、ユキナを!!」
「分かっている!! くそっ、体内の《月の力
フォルノ》が濃くなり過ぎて、許容量を超えてしまったか……!! 気を付けろ!!」

他の皆は無事か。いや、他人の心配をしている暇はない、自分はセクウィのように靄――高濃度の《月の力》から自らを守る術を持たない。下手をすればソーレともども、ラルウァの仲間入りをする可能性すらある。

《月の力》はまるで実体を持ったかのように、嵐の如く吹き荒ぶ。しばらくは耐えていたものの、クーザンもやがて力が抜けて吹き飛ばされた。
体を硬い床に叩きつけられ、肺から強制的に酸素が吐き出される。思うように身動きが出来なくなっていく。

だが――それでも、立ち上がらなければならない。

「ソーレ」

力が入らない。

「お前はさ、ただ悲しかったんだろ。誰しもに見捨てられて、一人で」

消え失せようとしている体中の力をかき集め、手足を動かす。

「俺も、育ててくれた彼を殺めてしまってからディアナに拾われるまで……そして、ユキナやウィンタと決別して再会するまで、一人だったよ。心は、一人だった」

遠い昔の記憶と、少しだけ昔の記憶。
一人だったクーザン[カイル]は、何かを失ったかのように無意識的に日常を生きていた。表面上には何ともなくとも、心に空いた穴は塞ぎようもなかった。

それから二人に再会するまで[彼女に会うまで]、自分は人に関わる権利はないと周囲を拒み続けてきた。でもそれは間違いで。

「それは自分が人から離れていってしまったのが悪いんだ。振り返れば、立ち止まって考えてみれば、確かに誰かが自分を見てくれていたはずなのに」

そこに光を向けてくれたのは、自分を見付けてくれたのはユキナ[ディアナ]であり、ウィンタ[仲間達]であり――だからこそ、自分にとって彼女らは命を捨ててでも守りたいものだった。

自分にはもったいないくらいの存在が、ソーレの周りにはいなかったのだ。

「早く見つけてやれなくて……早く会ってやれなくて、ごめん」

上半身を起こすと、《クラヴィス》を杖代わりに立ち上がる。まだ、闘志は折れていない。

「お詫びと言っちゃなんだけど、幕くらいは引かせてくれよな。お前は嫌だろうけど、俺がやるべきだと思うから」

ソーレがいたはずの方へ、歩を進める。
きっとそこまでの距離は、今までの道のり[生]よりはずっと短いはずだから。

――その時、世界は眩い光を帯びた。

   ■   ■   ■

「……く、クーザン……」

セクウィの結界に守られたとはいえ、濃密度の《月の力》により汚染された空間では、満身創痍だった仲間達は皆一様に動けない。息苦しさを感じ、誰もが身動ぎはするものの、立ち上がる力が残っていないのかもしれない。
ユキナも例外ではなく、それでも何とか立ち上がろうと体に力を込めた時、チャリ、と小さい音が鼓膜を震わせた。

「? ――あ」

首からかけているペンダントが目に入る。ディアナが着けていたアミュレットを模した、ダンビュライトが付いたペンダント。もう遠い昔のように思えるあの日、クーザンが露店で買ってくれた、大切な思い出――。

『リツ様は嘆いておられました。これだけは守らねば、繰り返されてしまうと』

ふとアイラの言葉を思い出し、はっとする。
慌ててスカートのポケットに手を突っ込むと、アイラから――彼女を通してリツから託された、ディアナのアミュレットを取り出す。ユキナさん、とリレスが力ない声で呟いた。

それは淡く輝き、まるで見付けてくれるのを待っていたかのようだった。
いや、きっと待っていたのだ。ユキナが存在を思い出し、手に取るのを。

大きく息を吐き、吸い込むと、全身全霊の力を込めて叫んだ。喉が張り裂けんばかりに、願いを――想いを込めながら。

「ディアナ!! 力を貸して!!」

すると、溢れる光がより一層強くなり、倒れている仲間達全員を包み込んだ。彼らの傷付けられた皮膚を再生させ、周囲の空気を――いや、濃密度の《月の力》を、空間から切り離す。

「《月の力》が……」
「……違う。俺達の周りだけ時間が巻き戻り、《通常の空間の状態》にしている」
「通りで……必死こいて守らなきゃいけない訳ね」

リレスの呟きに、レッドンが続けた。
広い空間を覆い尽くす程の黒い霧[月の力]では、先程味わったように自由に動く事は出来ない。
だがこれなら――ディアナの力で、一人ひとりの小型の結界のようなものがあるなら。
つくづく驚かせてくれるじゃない、とサエリが呆れたように笑う。

ユキナは気を引き締めた。
これが正念場なのだ。自分達も、世界も、みんなの未来の行き先が決まる。

「絶対に……諦めてなんてやらないわよ!!」

   ■   ■   ■

差し込んできた光は黒い靄に包まれた空間すら照らし、そこに隠れていた存在を顕にさせた。

自分達の三倍はあろうかという高さの巨大な身体に、鋏を持った腕が四本。
しゅるしゅると音を立てて舌を出し入れする様や漆黒の体は蛇のようで、変わらぬ血のように赤い目がクーザン達を見下ろしていた。地を震わせる程の低い唸り声が、ビリビリと空間を揺らす。
こんなラルウァが黒い靄に紛れて襲ってきていたら、自分達はひとたまりもなかった……そう勘付くと、背筋に嫌な汗が流れていく。

「何あれー!?」
「完全に化物になってしまったか……!」
「うそ……」

ギレルノの周囲にいた為守られていたリルが、慌てて彼に抱き着きながらもそれを見上げる。彼女の行動を許容しつつ、彼も冷や汗を流す。
自分より遥か上にある顔を見上げたアークが、呆然と呟いた。

赤い目が、ディアナのアミュレットを持つユキナを見る。その輝きが自分の毒であると、知能も失った頭で把握したのだろうか。

「アイツ、ユキナに狙いを定めやがったな」
「当たり前でしょ。自身を脅かす一番の原因なんだから」
「あんな奴、倒せるのかよ……?」

手を帽子の鍔のようにしながら見上げるスウォアに、ユーサが答える。二人の近くにいるホルセルも、流石に圧倒されてしまっているようだった。
そこから少し離れたところに立つセレウグは、拳を強く握り締めながら、絶叫する。

「どいつもこいつも……何でそんな結末しか選べねぇんだよ!! 馬鹿野郎!!」

そんな結末、がどういったものを指しているのか、クーザンは聞かずとも察してしまった。
きっと――塔の外で会ったゼルフィルとキセラ[二人]も――。

結局、《輝陽 シャイン》の面々は、スウォア以外の全員が救う事は出来なかったのだろう。
彼らがどんな過去を背負っていたのか、何故ソーレに加担していたのか、どんな思いで生きていたのか。
クーザン自身はそれらをまだ詳しく知らないが、彼らを思うと、やるせない感情が湧き上がってくる。

敵だったのだ。自分達に害なす、排除すべき相手だった。
だが、彼らの過去はどれもが悲しみ、苦しみに支配され、結果自分を守る為に、少しずつ狂って行くしかなかった。
そして、今目の前にいるソーレも。

「クーザン!! ああなっては仕方がない、やるぞ!!」

セクウィの声が届く。その台詞にどこか新鮮さを感じ、何だろうと首を傾げ――気が付くと、一瞬状況も忘れ噴き出していた。
それが彼にも聞こえたらしく、訝しげな視線を投げてくる。

「おい、お前何を笑って――」
「だってクロス、お前がその姿の時は俺の事『カイル』って呼んでただろ。少しびっくりしただけだ」

きっと、唯一当時を知る生き証人であるが故に、無意識に使い分けしてしまっていたのだろう。それが今になって破られるとは。
だから、クーザンも『セクウィ』ではなく『クロス』と呼んだ。『世界の監視者』ではなく、『ここまで共に歩んできた仲間』の名を。

陰鬱な気分を吹き飛ばす一言をくれた本人は、一瞬動きを止め、やがて意味に気が付いたらしく苦虫を噛み潰したような表情になる。やはり無意識か。

「…………馬鹿な事を言っている場合じゃないだろう! 全くお前は……!!」
「はいはい、それを言うなら説教してる場合でもないわよ!!」
「はは……」

言い逃れようとしたセクウィを、サエリの突っ込みが止める。乾いた笑いをしたのは、誰だっただろうか。

皆の顔を見渡す。
誰一人として、諦観した表情をしている者はいなかった。皆一様に目の前の敵を見て尚、戦う意志を見せている。

クーザンはひとつ頷くと、《クラヴィス》の柄を握り直し、駆け出した。

「――行くぞ、ソーレ!!」

敵ではあったが、彼もまた、悲しい存在だった。もう誰であろうとも、人間を――自分達を殺させたりはしない。

飛び出したクーザンに応じるように、仲間達もまた自身の役目を果たす為、それぞれの位置に駆け出した。
ソーレの鋏の根本が震え、四本のうち二本が大砲のように撃ち出される。狙いは明らかにユキナで、だがそれが届く前に、ホルセルのツーハンディッドソードが前に出る。
そして背後に誰もいない方へ、セクウィの氷魔法が鋏の勢いを逸らしつつ止めた。

「鋏一本通すかってんだよ!」
「クーザン!! ユキナは俺達が守る、こちらは気にするな!!」
「ありがとうホルセル、クロス!」

背後を気にする必要がなくなれば、攻撃に集中出来る。しかもあの二人なら、自分の心配など杞憂に終わる自信があった。

「鋏が厄介だな。俺とリルは魔法であれをもぎ取れないか、狙ってみるか」
「りょーかい!」

体力の温存を気にする必要はないと判断したのか、リヴァイアサンを背後に喚び出しながら、ギレルノが冷静に敵の分析を行う。リルはバトンを回しながら、気合十分な声でそれを了承した。

その時、ソーレの別の鋏がこちら目掛け飛んできた。
強烈な勢いだったがクーザンが《クラヴィス》の一閃を繰り出し弾き返すと、繋がった紐――ではなく腕がズルズルと縮小し、元の位置に収まっていく。腕が二対だけで、その攻撃方法からの推測だが、驚異的な速度ではないので、避け切れなくなるまで連発する事は出来ないはずだ。

「僕とスウォアとアーク君で、アイツの退路を限定する! 君は動きを予測して、攻撃して!」
「ミスんなよ!」
「無茶もね!」

突然ぬっと姿を現し、それだけを早口で言い追い越していくユーサ、背中をばしんと叩き激励するスウォア。
一歩遅れて駆け抜けるアークが、すれ違いざまに声をかけていく。天使の二人はそれからすぐに羽根を生やし、宙へと舞い上がる。

直後、水と焔の魔法がソーレの体めがけ飛んでいったのが見えた。ギレルノとリルが撃ったのだろう。

次にクーザンに追いついたのは、セレウグだった。並走しながら、彼はソーレを一瞥し口を開く。

「クーザン。あいつからは、もうソーレの感情が感じられない。だから……」
「分かってる。全部、終わらせる」

過去から続いてきた因縁も、悲しみの連鎖も。全てをここで終わらせると、もう誰も殺させないと決意をした。

その決意を口にすると、セレウグはぱちくりと瞬きをし、苦笑しながらクーザンの肩を叩く。訝しげに彼を見ていると、ごめん、と謝罪の言葉が返った。

「や、心配する事なかったなってな。――オレもユーサ達を手伝うぜ」
「セーレ兄さんこそ無茶しないでね」
「そりゃこっちの台詞だ」

負傷具合ではそっちの方が上だろ、とは言わず、頷いた。

そこに再びソーレの攻撃が放たれ、二人は左右に分かれて避ける。地面から突き出た鋭利な尾が、クーザンを狙い振り下ろされた。
最早本能で動いているらしいソーレは、がむしゃらに攻撃しているようでいて、ユキナがいる方を的確に狙っている。時折飛んでくる鋏の先も、クーザンやギレルノといった限られた面々が多い。ユキナの所にはセクウィ、ホルセルもいる事を踏まえると。

「《月の力》が一際濃いところ……か」

恐らくは、気まぐれに攻撃をする相手からもそれを感じ取り、本能的に攻撃行動を起こしていると見える。
ならば、優先して向こうに狙いを定めている横から無理矢理ちょっかいを出し攻撃すれば、比較的安全に攻撃出来るかもしれない。

自分の少し先を行くアークやユーサが足を止め、動くのが見えた。スウォアは多分、とっくにソーレに斬りかかっていると思われる。

そこで頭上から襲い来る鋏の影に気が付き、現在地から素早く離れる。が、僅かに遅かったらしく、二の腕を擦るように掠ってしまった。ちり、と皮膚に焼けたような痛みが走る。
しかも鋏は先程と異なり、上空に持ち上げられると、クーザンを追いかけるようにまた振り下ろす動作を見せていた。

「そのまま行け!!」

聞こえた指示に従い、影に構わず地面を蹴る。

後少しで押し潰されるというタイミングで、背後から誰かが飛び出し槍を払う。後押しするかのように放たれ、命中した炎の槍はサエリの魔法。

そのお陰で無事クーザンは影の下を通り抜け、レッドンも素早く距離を取る。

「援護は任せなさい!」
「全力でサポートします!」

走りながらでも感じられた、暖かな光。リレスの身体強化魔法が、連戦で疲れた身体に活力を与えてくれる。
サエリもその隣で、弓をつがえ攻撃を続けた。

――本当に、助けられてばかりだな。

誰にも気付かれないように小さく苦笑し、跳躍する。目の前に迫っていた黒い体目掛け、すれ違いざまに腕目掛け一閃、素早く身体に二閃。
ダメージを負ったと認識したソーレが呻き声を上げ、手元にある鋏で打撃攻撃を繰り出し、だがそれは飛来したアークのチャクラムに阻止される。

懐から脱すると、今度は逆側から、と視線を向けた瞬間、発砲音が。
見れば、まさに駆け抜けようとした所を直撃する軌道で待ち構えていた鋏が、銃弾の衝撃でもぎ取られようとしていた。
あとひと押し――と思った絶好のタイミングで、放たれるスティレットからの氷魔法が展開され、動きを封じる。

「クーザン! あと一本だ!」

上空からスウォアの声が聞こえた。
状況から見るに鋏の数の事で、あと一本をどうにかすれば、ソーレは体全体を使って暴れ回る事しか出来ないはず――。
と考えた直後に、セクウィの声が耳に届いた。

「離れろ! 魔法だ!!」

今まで対峙してきたラルウァに、魔法を使ってくる奴はいなかった。しかし今相手にしているのは、かつて神と呼ばれた者の成れの果て。

足元から噴出する、黒い靄。
これが空間にまた充満してしまえば、今度こそか弱い人間でしかない自分達は蹂躙され、力尽きてしまう。いや、実はこの空間こそが幻影で、解かれた瞬間、全然別の場所に飛ばされるという可能性もある。
今更攻撃を加えたところで、魔法の発動が止まるとも思えない――万事休すか。

だが、今度はそうはいかなかった。

「クーザンは――みんなは、あたしが守るんだから!!」

ディアナのアミュレットを握り締め、ユキナがそう叫ぶと、暗闇に浮かぶ月のように光をより一層強く輝かせ、黒い靄を押し返したのだ。

その光に気圧されたのかは分からないが、ソーレが動きを止めた一瞬を狙い、すかさずセレウグとスウォアの一撃が胴体を揺らした。

背後に回り、《クラヴィス》を構え直す。いつもなら淡かった輝きが、ユキナの力に当てられてか瞬くように強い。
ギレルノとリル、サエリの魔法がソーレの残る最後の鋏を剥ぎ取ったのを確認すると、クーザンは一度息を吐き、動き出す。

不安定な黒い体を駆け上り、もう少しで頭部に辿り着くところで、突然ソーレが体勢を低くする。が、クーザンはその直前に体を蹴り、跳躍していた。
ばたんばたんと暴れ回る頭に狙いを定め、下降する間に体勢を整え、そして――。

「「「クーザン、いけぇ――――!!!!!」」」」

みんなの声が重なる。

この一撃には、俺だけの力じゃない――ウィンタの、カイルの、みんなの想いも込めて――。

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!!!!」」」
『ヴガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!!!!』

ズガァン!!と見事《クラヴィス》の切っ先はソーレの頭部を貫き、赤い目を深く抉る。
慟哭を轟かしながら暴れ回る相手に、剣から振り払われそうになるのを必死に堪え、逆に力を込める。少しずつ、また少しずつ、刃が黒い皮膚に吸い込まれて行く。

――やがて、永遠とも思える時間を支配した叫び声はぱたりと途絶え。
ソーレの体は暴れるのをやめ、弾けるように黒い靄となって霧散した。
跡には渦巻く何かが、ぽっかりと穴を開けている。

「……終わっ、た?」

何やら不穏な気配を感じたので、それを避けて着地し、呟く。

どんなに周囲を見渡しても、ソーレの姿はないしラルウァも見当たらない。
だが――。
セクウィが頭を振り、忌々しそうに未だ残る黒い靄を睨み付ける。

「……残念ながら、まだだ。《月の力》の濃度が、濃いままだ」

そうだ、未だこの黒い靄は空間を支配し、ユキナの力が途切れればまた動けなくなるのかもしれない状態だ。
だが、この状況に陥れた張本人は斃れた。
それ以外に、何をしろと言うのか。

さっぱりあてのない疑問に頭を悩ませる一同に、ユーサが多分、と前置きをしてから話し始めた。

「滝の家の結界を解いたみたいに、何かしらの手段で元を絶たないと収まらないんだ……でも、」

最後までは聞かずとも、彼が何を考えているのか分かってしまった。
その、大陸の何処かにあるであろう『《月の力》を濃く噴出させている何か』を探すには、絶望的に時間がない。今現在ですら、この空間こそ無事だが、外ではどうなっているのか確認する術すらないのだから。

「アイツ、自分がやられても目的を果たす為に、こんな仕掛けを……!」
「冗談じゃねぇよ、ここまで来て……」
「スウォア、何か知ってる……訳ないよね」
「たりめーだ。知ってたらいの一番に言ってる」

期待はしていなかっただろう、ユーサが念の為スウォアに確認するが、残念ながら欲しい答えは返って来ない。何かを知ってそうな彼ですら知らない――というより、ソーレは彼が真に忠誠を誓っていないと勘付いていたようだから、まずボロを出している訳はないだろう。知ってそうな可能性があった人物達は、もういない。

「……再び、姫に……」

再び、姫に殺される。
ソーレが言っていた言葉を反芻し、クーザンは引っかかっている何かを思い出そうとしていた。

『姫』は、疑うまでもなくディアナの事だろう。それが『再び』。だがそれを言った後実際に襲ってきたのは、ソーレ自身だった。ならば、あの言葉は。意味ありげに呟いていたので、何もないなら何もないで逆に恐ろしい。

嫌な記憶が蘇る。ディアナがラルウァになり、カイルは王座に佇む彼女を。
ふとそこで奇妙な感覚――いわゆる違和感を思い出す。何もなかった場所に、何かが――。

あ、と気が付いた。

「遺跡だ」

クーザンが呟いた台詞に、皆が視線を寄越した。それには構わず、続ける。

「ルナデーア遺跡の《月の間》の、女神像だ。多分」
「え、あれか?」

ルナデーア遺跡の《月の間》に立ち入らなかった数人は尚もはてなマークを頭に浮かべているが、ユーサとセレウグは覚えているらしく、動揺したまま反応を返した。
手短に、思考がそこに至った経緯を話すと、現在と過去を知っているユーサが首を傾げる。

「確かに、過去にはなかった女神像が月の間にはあったけど」
「あの場は、ディアナがラルウァに堕ちて、俺が殺した場所だ……それにアイツ、この前は女神像の影から飛び出して俺を攻撃してきた。多分、像に勘付かれたくなかったんだと思う」
「……灯台下暗しとも言うしなぁ。可能性は高いね。ただ……」
「も、もし合ってたとしても、今からあんな所になんて行けないわよ!? ここから遺跡までどれだけ離れてると思ってんの!!」

そう、問題はここがキボートスへヴェン地方であるという事。
ルナデーア遺跡があるのはファーレン地方、しかも船で渡らなければならない大河まである。まともに移動するならば、一週間はかかる距離だ。
だが《月の力》は今見ている間にも次々と濃くなっていき、誰の目から見てもそんな悠長な時間がないと分かった。

すると、スウォアが片手を上げ発言する。

「あーいや、多分あの黒いブラックホールみたいなの、空間を捻じ曲げて遺跡に繋がってる道だぜ。ソーレが何度か使ってたの見てた」

突然もたらされた突破口に、数秒理解し損ねた後、僅かに早く把握したユーサが君ねぇ!と彼に食って掛かる。

「そういうのはもっと早く……!」
「ただ、問題は俺達が入ったところで無事行けるか分かんねぇって事。アイツの得意分野は幻影だし、そんな重要な場所に行く道をそのまま残すと思うか?」

残さないな。絶対何かしらの罠がある。

言葉にこそされる事はなかったが、その場にいるソーレを知る者の脳裏では、満場一致で同じ答えが出た。
つまりは、あれを通るならそれ相応の何かが待ち受けてると言う事か。

普段なら怪しんで避けるところだが、今は一刻を争う。危険を犯してでも、遺跡に行かなければならない。

「時間がない、それでも行くよ。何とかする」
「で、でも行けたとしても、何とかするってどうやって……」

しかし、リレスの疑問も尤もだ。
奇跡的にここからルナデーア遺跡に繋がる穴だったとして、辿り着いたとして。
高濃度の《月の力》の発生源が仮に女神像だったと確定して、それをどうするのか。
力の噴出をどうやって止められる?
それとも――。

再び思考の海に沈み始める者達。その耳に、うん、と小さく頷いた声が届き、誰もがそちらに視線を向けた。

「カイルは、己の命をかけて《月の力》を封印した。なら、俺にも出来るはずだ」

揺るぎない決意を胸に秘めた、はっきりとした声。それはあまりにも気軽で、あまりにも強い思いを秘めていた。

しん、と場が沈黙に包まれる中、ユキナはクーザンに向けて、声を上げた。