第10話 志を共に

建ち並ぶ建造物は、長い年月を耐え忍んできた風格を持つ。
街の中心には屋根のない闘技場が構えられ、それを中心にして波紋が広がるように、街は広がっている。
闘技場の名は、『ピォウドドーム』、そして由緒ある街の名は『ピォウド』と言った。

「……全く」

パタン、と読んでいた本を閉じ、薄い紫とも水色とも取れる色の、癖のある髪をした青年が悪態を吐いた。
切れ長の碧の双眸は髪に隠れかけ、眉間には皺。若草色のロングコートに身を包み、左右違う模様の袖に腕を通していた。背は高く、長い脚も組まれている。

「ギル~!」
「遅い」

ギロ、と威圧感のある視線を、彼は走ってくる少年に向けた。
彼の名は「ギル」ではない。ギレルノ=ノウル――それが彼の名だ。今のは、少年達が勝手に付けた愛称である。

たたたっと走ってくる少年は、ギレルノのその厳しい視線に臆する事なく、彼の正面に立つ。

「悪かったって。ホント」
「ゼノンが悪いのよ? 途中で喧嘩なんて買うから」

あっ、こら!と、少年が少女を咎める。
少年はかなり動きやすそうな服装で、背も結構高い。また、茶色の短い髪も綺麗に手入れされている。
彼の名前も『ゼノン』ではない。正しくは、『ネルゼノン』だ。

少女は、黒と白のコントラストが美しいワンピースに身を包み、金色の髪を肩まで伸ばし、黒色のリボンを結んでいる。大人しそうな少女だ。

「…………」
「ギル、抑えて抑えて。ゼノンの喧嘩癖は今に始まった事じゃないだろう?」

不機嫌さを露わにしているギレルノを、肩に手を置きながら宥める少年は、ディオル。
特徴的なのは、開いているのか分からない細い眼。理知的な顔立ち。手には、杖に見えるがそれよりは太く、剣の鞘よりも細い棒を持っていた。

「ちゃんと、情報は持ってきたよ。『神隠し』のね」
『……絶対、「盗った」の間違いだよな」
「ゼノン、何か言った?」
「何も言っていません」

ネルゼノンの頭に浮かんだ事を読んだように、本人が笑みを浮かべて彼を見る。マッハで首を横に振り、ディオルの言葉を否定した。

「ま、ともかく。その辺の喫茶店行かない?」

ギレルノを含むこの四人のグループは、実は《ジャスティフォーカス》に所属している。

彼らの任務は、世界の秩序を乱す事件の解明。つまり、『神隠し事件』の解明だ。
もっともギレルノは、特別に登録された一般人ではあるが。

「で! トルシアーナの神隠しは、偶然にもジャスティフォーカスの誰かが遭遇したんだって!」

エネラが、興奮した様子で言った。
トルシアーナの神隠しについては今も調査中だが、痕跡が残っていた今までの事件に比べるとまだまだ分かっている事は少ない。

「誰なんだよそれは」
「それは分からない。だけど、手掛かりとしては有力だね」

エネラ、ネルゼノン、ディオルの順で話す様子を、ギレルノは黙って見ている。
彼の前には、淹れたてのコーヒー。甘党ではないので、角砂糖は入れなかった。

「じゃあ、それも考える方向で。けど、どっちにしたって、またどっか旅に出なきゃなんないよな?」
「そうだね。旅費落とせるかなぁ……」

ディオルが眉尻を下げ、不安そうな声を上げる。度重なる任務のせいで、彼らが落とせる経費の限界値はとっくに超している。

「心配すんなよ。もしもの時はポーカ「んな事したら怒るよ?」……すんませんでした」

ネルゼノンは結構本気だったが、ディオルの笑みにビクビクしながら返事を返した。
その、刹那。

ボォオン!!

くぐもった音が、街全体に木霊する。
勿論、一行や他の街の人々も驚きに腰を上げた。

「!?」
「何だ!?」
「ドームの方だよね……」

エネラが、音が聞こえたドームの方を見やる。が、この喫茶店は建物が密集している地域にあるので、見えるはずはない。
嫌な予感が、する。

『緊急ニュースです。たった今、このピォウドのドームから、爆発音と思われる大きな音が確認されました。付近の住人の方は速やかに――』

喫茶店に備え付けられているラジオ。それは、ドームで何があったのかを淡々と喋っていた。

「……あ、はい。こちら、捜査第二十三班、リーダーディオルです」

突然話し出したディオルに驚いて彼を見ると、耳に付けているイヤホンマイクで、誰かと通信をしているようだった。表情は、真剣そのもの。

「はい、今ドームの近くの喫茶店です……はい。…………分かりました、直ぐに行きます」
「誰だった?」
「ドネイト捜査長。……ハヤトさんだよ。現在地を訊かれて答えたら、ドームに行けって言われた。まだどういう状況か、分かってないみたい」

彼が通信を終えたのを見計らい、ネルゼノンが声をかける。ディオルは返答し、イヤホンマイクを外しながら答えた。

ハヤト=ドネイトは、彼らの直属の上司である。
そして、ジャスティフォーカスに引き取られた孤児達の、『親』のような存在だ。

それ故に、三十という若さながらも大勢の隊員に信頼され、慕われていると言う事は、ギレルノも知っている。「仕事中でも煙草を吸うのは止めて欲しい。体の為にも」と言われても煙草を止めないのは、皆の悩みの種らしいというどうでも良い事までだが。

それよりも――ギレルノ自身、さっきから感じている妙な気配の正体を知りたかった。
強い黒の気配。それでいて、人外の力を感じる。

「じゃー、オレとエネラで北側!」
「僕とギルで、南側だね」

ギレルノが考えを巡らせている間に話が決まったのか、彼らはグループを分割させていた。そのまま、すぐさま目的地へ向かう。

「ねぇ、僕要らないんじゃない?」

露出度の高い服に身を包んだ、緑色の長い髪を持つ女性が口を開いた。隣には、幼い黒髪の少年がいる。

二人がいるのは、ドームの放送塔の天辺。つまり、屋根の上。風がごうごう唸り、髪を巻き上げようとする。

「……まぁ、そうやろな」

短いツンツンした黒髪と、漆黒の瞳を持つ少年が返す。
若干訛っている話し方は、何処かの地方で伝わっているものに良く似ている。

「帰って良い? 面倒だわ」
「待てや。お前がおらんと、このドームを封じれんやろが」
「別に、協力しないって言ってるんじゃないんだから」
「ほな、さっさと喚びぃや。仕事始めるで」

下の方が騒がしい。大方、ドーム内に仕掛けた爆弾が爆発したのだろう。
流石は情報収集のスペシャリスト、強力な爆弾の作り方まで拾ってくるとは。作った方の奴は、あまり気に食わないが。

「ああ、ダルいな」

女性が立ち上がると、手に持っていた鞭を掲げる。
風でスカートが舞い上がり、かなり際どい所まで見えそうになるのも構わず、言葉を紡いだ。

「異形なる世界の生物達へ、リスカ=キャロラインが命じます」

鞭から、正しくは女性の手から、どんよりとした光が漏れる。

「風に住む精霊よ、我の望む願いを叶え給え。――シルフィ」

光はより一層深みを増し、形を変えた。全身が緑色の、美しい女性。風の精霊、シルフィはリスカを見てクスクスと笑っている。

『なあに?』
「《疾風護》、お願い出来る?」
『わかった、まっててね』

シルフィが、ふわふわと踊るように周囲を飛び回る。

そして――今までの風よりも強い風が、二人の頬を撫でた。
周囲の風景に変わった所はない。しかし、そこに「何か」があるのは感じる。
《疾風護》は、簡単に言えば風の結界を張る魔法みたいなものだ。

「さぁ、後は任せたよ?」
「見てろや」

少年は、リスカをその場に残し、放送塔からコロセウムへ飛び降りた。

   ■   ■   ■

審査員の案内で、準備が整ったクーザン達は廊下を歩き、ゲートに繋がる出口へ向かっていた。
それにしても、やけに静かだ。

途中審査員に会う事はなく、たまに床に白い粉のようなものが散らばっているのが気になる。
衛生上にも良くはない――清掃の時間の前なのだろうか?
何か気味が悪い、とクーザンは思った。

審査員は一つのドアの前で立ち止まり、クーザン達の方を向いて言う。

「この先にゲートがあります。外にいる者が開けていますので、どうぞ」
「ありがとうございます」
「……良い旅を」

リレスの言葉にも結局笑顔を見せる事のなかった審査員は、帽子を脱ぐ代わりに敬礼をする。

と、突然クロスがホルセルとクーザンに近付き耳打ちをした。妙に真剣な表情を浮かべていたので、本気なのだろう。

『気を付けろ』

その言葉が何を意味するのかは分からないが、審査所の様子からして警戒するに越した事はない。
それに、クロスが二人に忠告をした本当の理由は、多分――。

「じゃあ、行きますか」
「ですね!」

男性陣の思惑など露にも知らず、サエリがドアのノブを回す。
審査員の男は、言った。

「逝ってらっしゃいませ」

――ざん!

ドアを開けた瞬間飛んできた鎌鼬の魔物を斬り捨て、クーザンは新たに向かってくる敵に目を向ける。

「やっぱり罠か!」

ドアの向こうには、確かに外壁の門が広がっていた。
しかし、その入口を囲むように、鎌鼬とラット、ウルフが立ち塞がっているのだ。

更には、後ろにいる審査員の男と同じ恰好をした人間も存在した。襲われているのではなく、何故か魔物と共に、一同を囲むような位置に立っている。

「うわっ!?」

後ろの方にいたホルセルの叫びが聞こえ振り向くと、審査員の男が彼と対峙していた。大剣と剣が、カチカチと音を鳴らしている。

「まさかこの人間、昨日の奴と一緒か……!?」
「かも、ね」

昨日、クロスやホルセルを追い回していた兵士とは背格好はまるで違うものの、雰囲気は全く同じだ。
ただ不気味な程に何も話さないのは、唯一の相違点だろうか。

どちらにせよ、再び襲って来たとしか思えない。

「取り敢えずここをどうにかしないと、ヤバくない?」
「え? え?」

クロスの言葉に冷静に返すクーザンだが、目の前の敵の数を確認して冷や汗をかいた。
ざっと見ただけでも、ラットが三匹とウルフ、鎌鼬が二匹ずつ、人間が三人。剣と弓、フレイルを持っているようだ。律儀に一対一で応戦していたら、やがて力尽きる数である。

リレスは未だに状況が把握出来ていないのか、慌てふためいている様子が目に映った。

「そうだな……。お前、炎魔法持っていたよな」
「だから、アタシはサエリ=ノーザルカだって……あ、良いわやっぱり。あるけど何?」

暫し黙考するクロスが顔を上げ、サエリを呼ぶ。

相変わらず相手を『お前』『貴様』と呼ぶ彼にうんざりとした表情で彼女は反論しかけたが、状況が状況だけに諦めたようだ。
クロスは、空に向かって人差し指を立てる。

「空に向けて一発放っておいてくれ。ジャスティフォーカスを呼びに行く手間が省ける」
「あ、成程」

つまり、この位置から炎魔法で騒音なり爆発なり起こせば、ジャスティフォーカスを呼びに行く手間が省ける、と言う事だろう。
何かがあったと察知して、組織が動くかはあくまでも賭けるしかないが。
サエリも察したらしく、大袈裟に溜息を吐いた。

「アタシは狼煙代わりかい? ったく……深淵の闇よ、天に昇らん炎の柱を! 《デスフレイム》!」

文句を言いながらも、サエリは直ぐに行動を起こした。早口気味の詠唱の直後、敵側の地面上に陽炎が立ち上ぼり、それが直ぐに本物の炎に変わる。
火柱は天に登るかの如く、勢い良く噴き上がり、地上にいた魔物数体を粒子に帰す。

「……っの、ヤロっ!」

剣と剣のせめぎ合いを続けていたホルセルも、炎の勢いに怯んだ相手を弾き返し一旦離れた。

直ぐに向かってくる元審査員の力は、そんなに強くない。握り直した剣の柄をしっかり持ち、下から上に振り上げる。
察知した元審査員は後退してその斬撃を避け、ホルセルの隙を狙って懐に飛び込もうと腰を屈めた。

だが、ホルセルは足を踏み込んで敢えて前屈みになり、頭上に振り上げた大剣を力一杯振り下ろす。

「《奇襲剣》っ!」
「がっ――!」

元々の重さに加え、振り上げた際と、振り下ろした時の遠心力が働いた大剣は、凄まじい威力の鈍器と化す。
更に、踏み込んだ事によりまだ攻撃範囲外だったにも関わらず、見事に元審査員の頭部に命中した。彼は低く唸り、やがて地に伏せる。

「良しっ」
「流石」

クーザンもラットの一体を撃破し、ホルセルを激励した。

そうして、五分後に立っていたのはクーザン達だけとなる。クロスが、溜息を吐いた。

「全く……こんな公共機関で襲われるとは思わなかった」
「ホントよ! 何で審査員に成り済ましてたのかしら、ムカつくわ」

憤慨するサエリだが、その表情はあまり怒っているようには見えない。リレスやホルセルも、うんうん、と頷いて同意した。

「ま、これでジャスティフォーカスが駆け付けてくれたらこいつら引き渡して終わりだし、気にしな……って、え!?」

ホルセルは頭の後ろで手を組むと、倒れている男達の様子を窺おうと振り向き、驚愕の声を上げる。

そこに、倒れていたはずの人間はいなかった。彼の声に他の者もそちらを見やれば、同じように反応する。

「なっ……いつの間に!?」
「でも、何も聞こえませんでしたよね?」

リレスの言う通り、人間が動く時は何かしら音がするものだ。草を踏み締める音、呼吸する音等が。
だが、クーザン達が会話をしている最中、それらしき音は全くしなかった。

「…………」
「おーい、君達!」

動揺する一同に、漸くジャスティフォーカスらしき人間が声をかけてきた。各々手に武器を持ち、黒い制服を翻しながら駆け寄る。
ホルセルが、「げっ、軍課だ……」と呟いたのを見ると、彼ら二人とは違う所属の者らしい。

クーザンは、そんな彼らには興味を示さず、男達が倒れていた場所に身を屈めた。
生えていた雑草は、何かが踏みつけた後のようにしなっている。ここに男が倒れていたのは間違いない。
更に、

「……? 粉?」

土の上にあった白いものが気になって手を触れてみると、それは細かい粉のようだった。指で擦りあわせれば、あっさりとその形を失ってしまう。

そういえば、建物の中の廊下で目立っていた粉。あれも、これと同じものだったのだろうか?

「おーい、クーザン! 一旦中に戻るぜー!」
「今行く!」

ホルセルの呼びかけに、クーザンは思考を中断して立ち上がった。

それから、クーザン達は軍課のジャスティフォーカス構成員に幾つかの質問を受けたのち、無事解放された。
彼らの中に、ジャスティフォーカスであるホルセルとクロスがいたのもあり、比較的早い段階で済んだらしい。

「(可笑しい……)」

クーザンは、頭を抱えていた。

「どしたのよクーザン、そんな馬鹿丸出しの顔して」
「馬鹿は余計だ。……お前、床見てた?」
「床? そういや、ヤケに小綺麗になってるわね。清掃済んだのかしら?」
「……いや、俺が悪かった」
「は?」

訊くだけ訊いておいて何なのよ、という顔を向けるサエリから離れながら、やはり可笑しい、と考えを巡らせる。

先程、クーザンは審査員(本物)に質問をした。自分達が戦っている時間帯から今まで、清掃をしていたかを。
返ってきた答えは、「NO」だった。

審査員はまだ出勤時間にあり、逆にこんな早くにこちらに訪れたクーザン達にびっくりした位だ、という返答である。

「(じゃあ、建物にあったあの粉末状の物体は、自ら消えたってのか?)」

有り得ない。
クーザンは自分の脳内に浮かんだ結論を、直ぐに切り捨てた。
粉が風もなく動き建物内からなくなるなど、馬鹿な話があってたまるか。

「全く、余計な時間を使った」
「ホントね。出国審査はちゃんとなっているし、気味が悪いわ」

クロスとサエリはそう言葉を交わし、荷物を手に取る。ホルセルとリレスも立ち上がると、考えに没頭していたクーザンも慌てて皆に倣った。

「では、仕切り直しですね」
「早く行こうぜ。……ここ、居辛いし」

ホルセルが、表情を伏せて言う。
一体どういう意味なのか――それは、容易に分かった。

彼らのいる部屋の外、審査所の庭に当たる庭園から、ジャスティフォーカスの構成員の会話が聞こえたのだ。所属は軍課の者らしい。

「またやらかしてくれたな、捜査課の二大ウィルス」
「あぁ。案外今回の事件も、アイツらの狂言なんじゃね?」
「マジうぜー。さっさとくたばれってんだよ。特に白い方」
「え? 俺は悪魔に早く死んで欲しいけどな」
「おま、酷い言い方するな! まぁ、その通りだがな」

ははははは……とその二人は高笑いをすると、庭園から姿を消した。

ホルセルが軍課を嫌がった理由は、あれがあるからなのだろう。
昔苛められていた、という話を聞いていたクーザンも、今のは流石にどうかと思ったが――クロスもホルセルも、先を急いで歩きだしたので、何も言う事なく後を追った。

   ■   ■   ■

南側にやってきたギレルノとディオルは、ドーム周辺に何か異変がないかを調べていた。
音がかなり大きかったので爆発でも起きたと思っている二人は、怪我をした住人がいないか気になったからだ。

しかし、

「……」
「静かだね」

ポツリと呟いたディオルの言葉が、周囲に響く。
人が、いないのだ。
もう逃げ出した後なのもあるかもしれないが、それにしては静か過ぎる。更に、もうひとつ。

「何処も爆破されていない……?」

ドームは、ギレルノが覚えていた形そのままである。爆発なら何処か崩れていてもおかしくないのだが、それすら見当たらない。

「ギル、どうする? 明らかにおかしいよ。あんな大きな音がしたのに、何処も爆発していないなんて」
「……ドームに入ってみよう。外はこのままでも、中は分からない」

相手の言い分ももっともだ――ギレルノは近くのドームの入り口を探し、そこに近寄る。

その時、ディオルの鼓膜に普通の風とは違う、異質な風の音が響いた。

「危ない、ギル!」
「!?」

ディオルの忠告と同時に、ギレルノは横に跳ぶ。

ビュオオォ!!

「風!?」

何もない空間から、まるで人の侵入を拒むかのように突風が吹いたのだ。あと数秒気付くのが遅れたら、ディオルの忠告がなければ――ギレルノは突風に巻き込まれて無事で済まなかったかもしれない。

「……結界か」
「結界?」
「優秀な魔導師や、召喚師が呼び出す精霊が使える、空間を切り離す魔法だ」
「それが張ってある、って事は?」
「誘われている。間違いない」

誰を誘っているのかは分からないが、中で何かが起きているのは確かだ。行かない訳には、いかない。

「ディオル、少し離れろ」
「え?」
「良いから」

ディオルが怪訝な表情で離れるのを確認すると、ギレルノは持っていた本を掲げ、目を瞑る。

本のページがひとりでに開かれ、光を帯びた。開かれたページには、この大陸の言語ではない言葉の羅列があった。

ギレルノは、何かを召喚しようとしていた。その何かの名は、古代文字で“ユニコーン”と書かれている。

「コール」

凛とした声が辺りに響き、本から光が離れた。
光はどんどん大きくなり、馬の形を作り出し、色がついた。頭に立派な角を持ち、逞しい背中からは美しい羽根が生えている。

ぶるる、と鳴いたユニコーンに本を閉じたギレルノが近付き、声をかけた。

「ユニコーン、結界を壊せ。一部だけで良い」
『承知した。マスター』

ギレルノが指を差した方を見たユニコーンはこくんと頷き、構えた。脳に響いた彼の意思は、肯定を示している。

ディオルが何をするのかと思った瞬間、ユニコーンの角からレーザーのような光線が放たれ、真っ直ぐにドームへ向かう。

「……《セイクリッドアーツ》」

パキン。

何かが、割れた音がした。
ギレルノは、再び入り口に近付く。今度は、何も起こらなかった。

「戻れ」
「ギル、急ごう。嫌な予感がする……」

ユニコーンを還し、ギレルノとディオルはドームの入り口をくぐった。

暫くは長い廊下が続き、その先に広いコロセウムと観客席が広がっている、のだが。

「……な……!?」

ギレルノは、目を見張った。
廊下は無惨に壊され、瓦礫が二人の進むべき道を塞いでいた。瓦礫の下には赤い液体が流れ、人の腕らしきものが覗いている。
不運にもこの場に居合わせた人間が、何人か巻き込まれてしまったのだ。

ディオルも気付いたのか、やりきれないような表情を顔に浮かべながらも、先を急ぐギレルノについてくる。
歩きながら、両手を顔の前で合わせ犠牲者の人々の供養を忘れない。

瓦礫を退かす事は二人では不可能なので、必然的によじ登って行く事になった。
何でドームでロッククライミングをしないといけないんだ、と愚痴を心の中で呟くが、それで疲労が軽くなる訳はない。

ひぃひぃ言いながら危なっかしく後を付いてくるディオルとは違い、ギレルノは慣れているのか軽々と移動する。
的確な出っ張りに足をかけ、上へ上へと登っていった。

瓦礫の山を越えれば、コロセウムへの入口は直ぐだ。
ディオルは乱れた呼吸を調えながら、ギレルノに視線を向け言う。

「ギルってさー」
「何だ」
「何か、インドア派かと思ってたんだけど……結構こういうのも慣れてるよね」
「……昔、少しな」

そう呟くと、後は何も言わずに黙々と歩き始めた。

ギレルノの過去を知っているのは数少ない。
元々、特に親しい友人がいる訳でもないし、ギレルノ自身があまり話をしない為、情報を得る機会がないのだ。ディオルを始めとする仲間も、ギレルノの話を聞こうとはしない。

それは――本人からしてみれば、逆に有り難い事だ。

「(俺の過去なんて、既に汚れているのだから。話す必要は、ない)」

苦労して辿り着いたコロセウムの入り口は、やはり無惨に破壊されていた。
閉じたまま衝撃を受けたらしく、歪んで簡単には開かない。
そして、ここにも瓦礫の下に、赤い血だまりがあった。恐らくは、扉を守っていた衛兵だろう。

再び黙祷を捧げ、ギレルノとディオルは一斉に、扉に向かった。予想通り、押しても引いても開かないので、

「そーれっ!」

と二人で体当たりをし、押し開けた。それを二回程繰り返すと、がごごっ、と音を立てて扉が前に倒れる。

その先には、

「ようこそ、にーちゃん達」

観客も誰もいないコロセウムに一人立つ、生意気な微笑を浮かべた少年がいた。