「何だよ、珍しく手こずってたみたいだな」
銀髪の青年がユキナを抱えて戻ると、迎え人が立っていた。
端正な顔立ちを持った、ちょっと癖のある金髪と碧眼を持つ青年。
昼、二人の少年を追っていた人物だ。
純白のマントと制服に身を包んだ彼――マントは少し土埃が付着しているが――は、壁に寄りかかって銀髪の青年を待っていたらしい。
彼の言葉の真意を取りかねた銀髪の青年は、僅かに眉をしかめ口を開く。
「手こずった、ですって? 何時も通りですよ」
「嘘吐け。予告した二十分に、一分十八秒長くなってるぜ」
「……数えてたんですか」
個人的には、何故そんなに細かく数えるのかが理解出来ない。
しかも、秒単位で。
銀髪の青年は組織の集合時にも、遅刻が多い面々が多いにも関わらず彼だけは時間通りに待ち合わせ場所に着いている事を思い出した。
「まぁな。……で、ソイツが《パーツ》っていう存在なのか?」
金髪の青年は、彼から彼の腕に抱えらている少女――ユキナに興味の対象を変えた。
安らかにとは言えないが、眠るように気絶している彼女の表情は、年相応のあどけなさを残している。
「どー見ても、只の頭の悪そうな女にしか見えないんだがな」
「当然ですよ。《パーツ》はそう簡単に表に現れませんから。……フフ、これでまた、私達の目的に一歩近付きましたね」
微笑を浮かべた銀髪の青年は、心底嬉しそうだったが――その笑みは、ゾッとする程悪意に満ちていた。
「まだだろ、全員揃ってない。あれを舐めてかかると痛い目に遭う、と言ったのはお前だ」
「分かってますよ。意外に心配性なんですね? スウォア」
金髪の青年――スウォアが、苦い顔をして相手のやけにぎらついたような、それでいて静かに燃えているような色の瞳を睨み付け、
「お前が無茶ばかりして、俺達の事をバラしそうにするからだ。ゼルフィル」
と、彼――ゼルフィルに言う。
「そんなヘマはしません。貴方じゃあるまいし」
「どうだか。……キセラ達は時計塔に集合している」
「あの二人は?」
「……連れて行った。もうそろそろ出発する頃……」
そこまで言いかけ、だがスウォアは言葉を止めた。服のポケットに手を突っ込み、携帯を取り出す。
どうやら着信しているらしく、微かにバイブレーションが鳴っている音が聞こえる。
ぴっ。
スウォアは携帯を弄って、通話に出た。
ちなみに、携帯は彼の自作だ。
ゼルフィルより少し離れながら応答しようと、彼に背を向ける。
「何だよ? ……ああ? んだと?」
小言で一言二言交わすが、端正な彼の顔が段々不機嫌に染まっていき、口調も悪くなる。ゼルフィルも、そんな彼の様子を見ていれば電話の内容を予想出来るものだ。
終いには、
「お前ら何してんだよ!? 言い訳など聞きたくない、それはいつ頃だ!? ……分かった、テメエらはそのまま残ったガキを時計塔に連れて行って、見張っとけ。次ヘマしたら殺す!!」
と、声を荒げて通話を切った。
終わったのを見計らい、ゼルフィルが訊く。
「どうしました? と言っても、大方話は予想出来ましたが」
「ああ、奴ら……俺が『保護』したガキを一人逃がしやがった。どうやらもう一人のガキが逃がしたらしいが……」
「とんだ失態ですね」
「全くだ!!」
苦い顔をしながらも憤慨するスウォアに、ゼルフィルは「抑えて下さい」と声を掛けた。
それにしても普段沸点が低いとはいえ、彼のこの乱心の様子は些か疑問に思う。
思うが、直ぐに興味を無くしたゼルフィルが本人に訊く事はなかった。
どうせ、自分の部下の不甲斐なさに苛立っているのだろう。
「取り敢えず、私は時計塔に戻ります。貴方はこのまま逃げた少年及び他の《パーツ》を捜して下さい」
ゼルフィルの指示に少し嫌そうな顔をするも、スウォアが軽く頷く。
「了解。くそ、余計な手間かけさせやがって……」
彼は他にも、耳を塞ぎたくなるような罵声を吐きながら、白いマントを翻しゼルフィルに背を向け歩きだした。
実は、この時本人も気が付いていない。
スウォアがここまで憤慨するのにも、理由がある事を。
そして、それが分からないままゼルフィルもユキナを抱えてその場を去った。
■ ■ ■
その頃、トルシアーナのクーザン宅では。
「…………」
部屋は彼の物なのか、勉強道具や本などが置かれている。意外にも部屋は綺麗に片付けられていた。
しかし、温もりが感じられる木目調の家具にクーザンが癒される訳もない。
自室にあるベッドの上に横たわり、目を隠すように顔に腕を載せ、クーザンは考えていた。
何時もの緑の鞄は、ベッドの横に放られている。中から教科書やペンケースが飛び出し、散らばっているのを片す素振りは見られなかった。
あの後。
ユキナがいなくなった事で時間が再び動き出した三人に、案の定クーザンは事の顛末を訊かれた。
時間の停止は、それを行なったユキナ自身がその場を離れれば進むらしかった。
「お前、何なんだよあの女!!」
話を聞いた後に彼に叫んだのは、白髪の少年。
訊かれても自分だって何が何だか分からないので、取り敢えず状況説明だけはしておいた。
あまりにも少年が、怒りを露にしていたからだ。
ユキナが時間を止めた、と最後の辺りを言い表すと、流石に戸惑いを見せたが。
やはり、話すべきではなかったかと一瞬後悔するが、もう遅い。
「そんな能力、見た事も聞いた事もねーぜ……」
「そうですね……。確かに、未知の能力です」
三人は、時間が止まっている数分間を覚えていなかった。どうやらその時に意識があったのは、クーザンだけだったようだ。
「ユキナは只のノウィング族の人間だ。ユキナがやったんじゃない……と信じたい」
「でも、あの銀髪にはそんな能力ない筈よ。気配も感じなかったもの」
「くっそ……やっと手がかりを見つけたと思ったのに……!」
白髪の少年が、悔しそうに呟く。
手袋をしてはいるものの、握り締める力が強く下手をすれば血が出そうだ。
「おい、一般人。そいつらはどこへ行った?」
「ちょ……!! アンタまさか、追いかけるつもり!? 幾ら何でも、もう……」
「うるせーよ、お前らには関係ねーだろ!! 良いから、何処に行ったんだ!?」
声を荒げてサエリに返す白髪の少年を見て、クーザンは何となく分かった。
さっき、彼は確かに言った。
『妹を返せ。この……誘拐犯が!!』
と。
今し方、ユキナを連れて行かれた俺みたいに嘆く事なく。
彼は、大切な人の為に、必死に戦ってきたのだと。
「……。多分、国の外に逃げたよ」
「クーザンさん!?」
「! くそっ……」
クーザンの返答を聞くなり、白髪の少年は身を翻し駆け去っていく。
相当焦っていたのだろう、彼の背中はあっという間に消えた。
「良かったんですか? 彼を行かせて」
「……手伝って貰っただけだし」
傍にいたリレスが問いかけるが、クーザンは力なく首を横に振る。
「(それに、何となく――彼と、また会う気がする……)」
クーザンは、何の根拠もないが、漠然とそう思った。
心の声が分かった訳ではないだろうが、サエリはクーザンを見て呆れ顔を作り、溜息を吐く。
「アンタも、厄介な事になったわね」
「全くだ。……所で、何でこんな所にいたんだ?」
さっきから気になっていた事を、クーザンは二人に問うた。
散歩、というには時間が遅いし、深夜徘徊は学校が五月蝿い。
にも関わらず、二人が何故こんな時間にここにいたのか、気になった。
二人は一瞬目を見合わせ、サエリがゆっくり口を開いた。
「人を捜してた。アンタ……レッドンとアークって奴、知ってる?」
「知ってる。隣のクラスの……人気のある男子」
魔導学校のクラスは、一学年につき3クラスある。
クーザン、ウィンタ、サエリ、リレスは一組。
話に出て来ているレッドン、アーク、そしてユキナは三組。
三組にいるレッドンとアークは、全学年の女子に人気があるらしい(と以前ユキナが熱弁していた)。クーザンも、何回かはその姿を見た事がある。
直接的に話をしたアーク=ミカニス――金髪碧眼の容姿を持ち、中性的な顔付きをした少年は、前に一度同じ委員になった。
その時少しだけ話したが、良い人だったのを覚えている。
ただ、レッドン=オブシディアンと話した事は皆無に等しい。
「レッドンとアークは……私達の友達なんです」
初耳。
学校でもあまり話しているのを見た事がないので、かなり意外ではある。
「それで、今日二人の住んでいる寮に、ご飯でも作りに行こうかってサエリと話してて。でも、いざ行ってみると……」
「いなかったのか?」
「それだけならまだましよ……」
はぁ、と別の意味で再び溜息を吐くサエリの言葉に怪訝な表情を浮かべ、「どうしたんだ」と訊く。
「二人の部屋、荒らされてたの」
「!」
「ドアが開けっ放しになってたから、おかしいとは思ったんです。入ったら服とか本とか周りに散らかってて、窓ガラスも割れてて。挙げ句、タンスは横倒しになってました」
「性格上じゃなくて?」
「ええ。アークは兎も角、レッドンはあれで結構潔癖症ですし」
「ていうか、性格的にも問題あるわよね、普段から箪笥横倒しは。……で、おかしいと思ってこの辺りを捜していたのよ。そしたら、剣で打ち合いをしている音が聞こえて来たから」
「駆け付けてみたら、俺達がいたと」
サエリの後をクーザンが引き継ぎ、思わず溜息を吐いた。
只の成り行きで戦闘に参加していたのか。それこそ先程の銀髪の青年じゃないが、この二人は早死にするかもしれない、と密かに思ってしまった。
「……あなたはどうするんですか?」
「何が?」
「……ユキナさんの事です。行ってしまったんでしょう?」
……正直。追いかけなかったのは、後悔している。
何故、俺は動かなかったのだろうか。
何故、あいつを止められなかったのだろうか。
あいつは何を言われて、何を知ったのだろうか……。
「……ってく……」
「え?」
「捜しに……行ってくる」
多分、二人は無謀だと思っているのだろう。目を見開いて、俺を見ている。
「分かってるさ。簡単じゃないって」
「……」
「でも、行ってくる」
クーザンはそう言うと、二人の返事を待たずに駆け去った。
どちらかが声をかけてきた気がするが、振り切って逃げ帰ってきた今はもう、関係のない事だ。
――そして、今に至る。
「……虚しい」
ポツリ、と呟く。
ふと、ドアをコンコン、とノックする音が聞こえた。
クーザンは時計を見た。既に日付は変わっている。多分、母親だろう。それ以外だとしたら、不謹慎にも程がある。
「起きてるよ」
「……入って良いかしら」
「うん」
ガチャ。
ドアの外には、やはり彼の母親――マリノが立っていた。
クーザンの黒髪は彼女譲りらしく、美しく長い黒髪を背中に垂らし、普段は穏やかな表情を浮かべている。
が、今は少し戸惑っているような微妙な表情だった。
エプロン付けっぱなし……という事は、やっと店の片付けが終わったのか。
しかし、母親が自分の部屋に、こんな時間に訪れるのは今までなかった。
「何?」
「……今、ユキナちゃんのご両親から電話があったの。ユキナちゃん、昨日寮に帰っていないって連絡があって、その後の本人の電話で何か言った後から連絡が取れないんですって」
「……」
「クーザン……何か知ってるの?」
今、一番訊かれたくなかった事。
今日、クーザンは家に着いた後、店になっている一階を突っ切って部屋に戻った。
マリノがその際に声を掛けてきたのだが、クーザンは無視してしまったのだ。
それを見ていた母親は、その後にかかってきた電話でユキナの事を知り、何らかの関係があると悟ったのだろう。
変な所で、勘が良いから。
早く――早く、頭の中を整理したかった。
「ユキナが何を言っていたのか、訊いた?」
「たった一言……『ごめんね』って。凄く、泣きそうな声だったそうよ」
それだけで十分だった。
クーザンは覚悟を決めて、マリノの顔を見た。母親だったら、ちゃんと聞いてくれるかもしれない。
「……母さん。話、聞いてくれる? ユキナの父さん達には内緒」
「でも、ルナサスさん達も……」
「頼むよ」
何時もと様子が違う息子に気がついたのか、マリノは沈黙した。
クーザンも、相手の両親が本人を心配しているのは分かる。
しかし、今日の事を彼らの知らせれば、更に心配をかけさせる事になるだろう。
それは、ユキナが悲しむ。
「……何か、あったのね?」
「……」
「分かった。ルナサスさん達には言わないわ、話してくれるかしら?」
黙って頷き、クーザンは今日の事を話した。
今日、自分が何故出掛けたのか。ユキナがどうしたのか――。
マリノは口を挟む事もなく、黙って聞いてくれた。
話が終わると、また長い沈黙が周囲に落ちる。お互いに口を開こうともしない。
流石にこのままはマズい……と、クーザンが思いかけた時。
「クーザンはどうしたいの?」
と、唐突にマリノが訊いてきた。
「え……」
「ユキナちゃんを捜して、見つけて、どうしたいの? 今の話だと、彼女が大人しく帰ってくるとは思えないわ」
「……分かってる。でも、納得出来ないし」
それに、と心の中で続ける。
捜しに行かなければならない気がする。
そうしなければ、自分が納得いかない。
さっきから、心にぽっかり穴が空いたように感じている。
その原因も、知りたかった。
「彼女と……戦うかもしれないわ」
「うん」
「人を殺めてしまうのよ」
「覚悟してる」
「事件に巻き込まれるかも」
「既に巻き込まれてるような気がする」
「あなたの大嫌いな蛇に会うかもしれないわ」
「うっ……。だ、大丈夫」
「死んでしまうかも……しれないわ」
「死なない」
マリノが一番最後に問いかけた言葉に、クーザンは間髪入れず答えた。
「約束する。俺、死なずに帰って来るから。……大丈夫だって、ついでに姉さんも捜してくるから」
クーザンには、姉がいる。三年前から、行方知れずの。
ただでさえその事に傷心しているマリノに心配かける事だけは、したくない。
その言葉に安心したのか、肩の力を抜いたマリノは、
「……仕方ないわね。行ってきなさい」
と返した。
■ ■ ■
翌朝。
「じゃ、行ってくる」
「ええ」
クーザンは、まだ開いていない店の前に立っていた。
肩には旅荷物の入った何時ものバッグを掛け、腰には練習で使うような剣ではなく、自分の命を守る『剣』が吊されていた。
「クーザン。これ」
「?」
「お父さんの御守り」
マリノの手にあったのは、端に鎖が半分に割れたような飾りがついた黒い紐だった。
「これが?」
「あなたが旅に出る時渡せ、って言われていたのよ。御守りみたいなものだって」
「……ありがとう」
クーザンは受け取った黒い紐を首に掛けると、深呼吸をした。
そして、
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
生涯最後になるかもしれない挨拶を、マリノと交わした。
クーザンは、一度も振り向かず――振り向かないようにして、家と反対方向に歩き出した。
「――あなた。クーザンを守っていて下さいね」
ポツリ、とマリノが言った。
家から一番近いノースゲートに向かうと、見覚えのある姿が目に入った。
「……ラザニアル?」
「あ、おはようございます」
リレスはずっとそこにいたのか、ゲート近くにあるベンチに座っていた。
「行くんですね」
「……ん」
「ご一緒させて頂けませんか?」
そう言うと、彼女はベンチにある自分の荷物を指差した。自分よりコンパクトに纏められている荷物に感心しかけ、
「……付いてくるのか?」
「駄目ですか?」
当然と言うように返される。
とてもじゃないが……リレスはあまり戦い慣れてはいないだろうと思う。
それに。
「レッドンとアークは良いのか?」
「だから行きたいんです」
即答だった。
つまり、彼女も友人を捜す事を決意したのだろう。
銀髪の青年とは違う燃えるような紅い瞳は、揺るぎなくクーザンを見詰めていた。
「……分かった。まさか、ノーザルカもか?」
「ええ。少し待っててく――」
「お待たせ」
リレスが断りを入れようとし、同時にサエリが姿を見せた。
やはり旅荷物を持っている。
「良いのか? 親とか」
「大丈夫です。……というか、元々ここには住んでいませんし」
「アタシもね、実家は別のトコ。話をしている暇があるなら行くわよ。ほら」
サエリに促され、三人は出国審査所に向かった。
NEXT…