第4話 時を操る少女

エアグルス大陸の冬の夜は、寒さが厳しい。

白髪の少年が銀髪の青年の腹部を蹴り飛ばす、数分前。

「さ、サエリっ! もう走れません~っ!」
「気張りなっ! 早く誰かに聞かなきゃ、アイツ等が何処行ったのかなんて分からないわよっ!」

月光が照らす夜のトルンの路地を、二人の少女が走っていた。
身に纏う冬用のローブの裾は、後方を走っている紅い髪の少女の、必死さを示すかのようにはためく。
彼女は完全に息を切らせたのか、言葉が途切れ途切れになりながらも前の少女に向けて叫んでいた。
何処かへ、向かっているらしい。

対して、肩が出ていて一見こちらが震えそうなワンピースを着た彼女は、最初の少女に檄を飛ばす。束ねた紫色の髪が、動きに合わせて揺れた。

走るスピード自体はポニーテールの少女の方が圧倒的に速いのだが、何故だか二人の距離の差は全く開かない。

「で、でもっ、皆が最後に見たのはっ、昼過ぎだって……! もっ、いな」
「だからって、大人しく家にいるつもり!? そんなんじゃ、何時まで経っても見つからないわ……」

ポニーテールの少女が相手に返事を返し、更に加速しようと足に力を入れた時。

――キィン。
キン、キィン。

風に乗って、微かにだが音が聞こえる。
この時間の街中には似付かない、金属と金属がぶつかり合う音。
紅い髪の少女も聞こえたのか、言葉を切った彼女に問い掛ける事なく、頭を傾げた。

この辺りには、鍛冶師の工房は皆無に等しい。
少女らが唯一知っている、学校の理事長が知り合いだとかで生徒の武器の世話を一手に引き受けてくれる工房も、ここからだとかなり離れている。音がここまで聞こえるとは、到底思えない。

となると、考えられる可能性は一つしか思いつかなかった。

誰かが――戦っている。

「……?」
「……こっちね」
「えっ? 行くんですか?」
「レッドンを捜すんでしょう? なら、立ち止まる暇なんてないわ。こんな時間に街中で、戦ってるなんて怪しい以外なにもないもの。関係ないとは言えないでしょ?」

風向きから音の発生源を察知したポニーテールの少女の行動に、慌てたように問い掛ける。
街中で、しかも夜に金属音を立てる輩など、鍛冶師を除けば先ずマトモではないのは承知の上。

だが、彼女は当然といった表情で相手に振り向いた。
そして見た者に寒さとは違う、悪寒を感じさせる妖しい笑みを浮かべる。
それはまるで、

  ■   ■   ■

話は戻り、クーザンは。

彼と白髪の少年に寄ってたかっていた内の、三人の兵士を相手にしていた。
参謀であろう銀髪の青年を討つ為の囮としては、優秀な方だろう。一か八かで行なった行動は、功を奏したと言える。
これで、頭を討つ役目を負った彼は幾らか戦いやすくなるだろう。

しかし、想定外――いや、想定はしていたが、出来る事なら起こっては欲しくなかった事が起こっていた。

「(……正直、この数を一人では……キツいな。っと)」

後ろに引いた足が、がくっと曲がりかけた。
慌てて膝に力を入れ踏ん張り、何とか事なきを得る。

既に数人の兵を倒していた自分の体力が、限界に近かったのだ。
呼吸など、意識的に抑えているだけでとっくの昔に乱れ切っている。
先程までは攻撃中心だったのが、今は防衛中心になっているのが自分でも分かる程に、体力を消耗してしまっていた。

剣で、太刀筋を逸らすのは容易い。
しかし、それには予想以上に集中力と精神力が求められる。そう長い時間集中出来ない、というよりじっとしているのがあまり好きではないクーザンには、それは疲労よりキツかった。

短剣を装備している兵士の剣戟を寸での所で受け流し、避けていた彼は、横から剣の攻撃が来そうなのに気が付かない。

――ザン!

「っ!?」

剣はあっさりと攻撃を許され、クーザンの二の腕を切り裂く。

切口はぱっくりと割れ、傷付いた血管から赤い血が流れ落ちた。
切り口一杯に広がった血液は腕を伝い、一筋の赤い線を描く。
しかし――クーザンには痛みに踞る暇もないまま、次から次へと攻撃が飛んでくる。

「それっ!」
「っ……!」

頭部を狙って繰り出された蹴りを避け、そちらを見れば――真剣な面持ちで体勢を整えるユキナが。
何時もの、何も考えていなさそうな表情はそこにはなかった。

「(そっちも真面目って事か……。けどな!)」

素早くしゃがみ込み、軸となっている彼女の右足を蹴り飛ばす。勿論、バランスを崩す程度の力しか入れていない。
だがユキナは「きゃっ!?」と短く悲鳴を上げながら、尻餅をついてしまう。

「お前が、俺に敵うと思うんじゃないっ……!」

胸ぐらを掴んで言ってやろうとしたが、残念ながらそれは叶わない。
クーザン自身の血を纏わせた剣が再び彼を襲い、舌打ちをしながら一歩後退した為だ。

ズキン、と斬られた腕が痛む。

再び振り下ろされた剣は避けきったが、その先にもフレイルを持った兵士が。
打撃に特化したフレイルの攻撃を受ければ、切傷にはならないものの暫くは痺れて行動不能になる可能性がある。頭部に喰らったり、骨に響けば尚更だ。ある意味、剣よりも質が悪い。
その分軌道は幾らか避けやすいが、厄介なのに変わりはなかった。

まだ無傷である、もう片方の片手剣を持つ手を握り締める。
この剣を手放せば――クーザンの身体は多種多様の武器に貫かれ、殴打されるだろう。どちらにせよ、命の保障はない。

これが、生命線だ。

同時に来たフレイルと剣の正面に自らの片手剣を水平に構え、受け止める。そのまま少しだけ下に傾け、武器の軌道がクーザンの右側に逸れるよう誘導させた。

「(――!)」

そこまで捌いた所で、一瞬目の前が真っ暗になる。血が抜けた事により、軽い目眩に襲われたのだ。
更に最悪な事に、短剣の第二撃がフレイルと剣の隙間を縫って来る。その太刀筋が狙うのは、自分の喉笛だと直ぐに判断出来た。
今度こそ、避けられない――そう察しはしたが、半ば願うように片手剣を自分の左斜め正面に動かす。
諦めが悪いのは、承知の上だ。

――しゅっ。きぃん!

「わぁっ!?」

衝撃を覚悟して閉じた目蓋の向こうからは、予想とは違った兵士の悲鳴が聞こえた。
恐る恐る目を開くと、兵士は短剣を取り落とし踞っている。良く見れば、鎧の隙間から太股に矢が刺さっているのが見えた。
どうやら目を閉じていた間に、何処からか飛んできた矢の痛みで短剣を落としてしまったらしい。
一瞬兵士の誤射かと思ったが、当の兵士は白髪の少年が先程倒した筈だ。
ならば一体誰が、と訝った所で、公園の入口からか砂を擦る音が聞こえてきた。

「――穢れ無き目映い白よ、彼の者を癒し救い給え! 《ルオン》!」
「!?」

綺麗なソプラノボイスの声が周囲に響けば、瞬時にクーザンの体が光に包まれる。
目を刺す鋭い光ではなく、まるで何もかもを包んでくれるような温かな光。

「こ、これ……?」

使い切ってしまう直前だった体力が、再び体の中に溢れてくる。同時に、斬られた二の腕の傷もみるみる内に治ってしまった。
それにより、さっきの光は魔法だったのだと、直ぐに理解する。
理解はするが、どのみち頭の混乱からは逃れられない。

「大丈夫ですか!?」
「アンタ達、何してるんだい!?」
「……お前ら、ユキナのクラスの……」

声の主を見れば、何処かで見た少女二人が駆け寄ってきていた。
危険だから逃げろ――そう叫びかけ、クーザンは街灯に照らされた二人を見た事があると気が付く。

二人は、クーザンの隣のクラスの者だ。同時に、ユキナのクラスメイトでもある。
毎日顔を付き合わせていないとは言え、同じ場所に集っていれば、見覚えもある訳だ。

「偶々、近くを通、りかかったら、剣の音が聞こ、えたんです。そしたら……」
「気になったんだから、仕方ないじゃない。ほら、大丈夫」

生地が若干厚そうな白いローブの上に、茶色の上着を羽織った服装。
美しい紅い髪を耳の横で束ねた、何故だか息を切らせた少女――リレス=ラザニアルが言う。
確か魔導師だと聞いた事があり、実際彼女の持つ武器は杖である事から、先程の魔法は彼女が発動したものなのだろう、とクーザンは判断した。
白いローブの裾が、風で舞う。

「アイツは、一体何だい? どうして、アンタ達襲われて……」

ポニーテールにした紫色の長い髪を掻き上げ、問いかけてきた少女はサエリ=ノーザルカ。背がクーザンより少し高く、こちらは薄い黄色のワンピースだ。
髪よりも濃い紫の鋭い瞳は、油断なく銀髪の青年を睨み付ける。
その手には、矢をつがえた木製の射出器――クロスボウを持っていた。

と、二人が白髪の少年と対峙している銀髪の青年の方に目を向け、そちらにいるユキナに漸く気が付く。
何時の間に最初の場所に戻っていたのか、しかしその顔にはクーザンと同じような驚愕と戸惑いが色濃く浮かんでいた。

「……成る程、ね」

リレスは「あれ?」と不思議そうな表情をしているが、サエリはそれだけで状況を把握したらしい。

「アンタ、ユキナに何をしたのよ? 全く」
「何の話だ?」
「彼女が浮気したんでしょ」
「断じて違う」

サエリがわざとらしく呆れた声音で言えば、片手剣を構えたままクーザンが即答した。
きっ、と元から鋭い翡翠の瞳が、更に細められて彼女を睨む。

そこへ、こちらへ戻った白髪の少年が、後に訪れた少女二人に忠告の言葉をかける。
相手をしていた銀髪の青年がユキナの側にいるのを確認し、クーザンも彼に向き直った。

「お前ら、何処の誰かは知らねぇけど、痛い目に遭いたくなかったら逃げた方が良いぜ。アイツら手加減してくんないだろうし」

やはり手練れなのかこういう状況に慣れているのだろう、彼が引き受けていた兵は全て倒され、銀髪の青年にも僅かながらダメージを与えていた。
だが、残念ながら倒すには至らなかったらしい。

サエリは彼の忠告を鼻で笑い、意地悪く微笑んだ。

「平気よ。結構、慣れてるから」
「加勢します!」

言うが早いかクロスボウを敵に構え、敵対の意を示す。リレスは、美しい宝石が埋め込まれた杖を掲げた。
一体何で慣れているのかを問い詰めたくもなったが、それは後回しにする事にする。

これで、何とか対抗出来るだけの戦力が揃った。
相手はクーザンと白髪の少年の奮闘により兵が二人、銀髪の青年にユキナの四人。
リレスのお陰で、こちらのコンディションは全く悪くない。

「第二ラウンドに突入してやるよ!!」

白髪の少年が、高らかに宣言した。それが、合図となる。

最初に飛び出したのは、やはり啖呵を切った少年。重量のある大剣の割にはフットワークが軽く、驚いたクーザンは僅かに出遅れた。
力強く振り抜かれた大剣は、しかしまたもや長い柄によって防がれる。ぎぃん、と音が鳴った。

飛び出さずにその場に残ったリレスは、背の丈程もある呪杖を水平に抱え、精神を集中させた。
足元に、複雑な模様や文字が書かれた光の円が浮かび上がる。

「援護します! ――穢れ無き白の加護、我らに力を! 《アクティブ》!」

先程のルオンとは違う、だがやはり穏やかな力が彼らを包み込んだ。身体の芯から、新たな力が沸いてくる。

真正面から受け止めた剣を受け流し、クーザンは片手剣の柄で兵士の頭部を殴りつけた。
兵士はふらつき、ドッと地面に倒れ臥す。
軽く脳震盪を起こしたかもしれないが、敵意を向けてきた相手の事など、気遣うだけ時間の無駄だろう。

と、突然銀髪の青年が動きを止めた。
クーザンと白髪の少年が襲いかかろうというのに悠長なものだ、と思ったのも束の間、それは間違いなのを思い知らされる。

「深淵より来れ、殺戮に彩る焔の宴。――《焔の協奏 フェルドコンチェルト》!」
「!」

術の詠唱を素早く終わらせると、早くもクーザンらの周囲に数本の、炎で形作られた槍が現れた。
サエリが、驚いたように叫ぶ。

「っ! やっぱり悪魔っ……!?」
「避けろ、右だ!」

白髪の少年の指示通りに移動した直後、炎の槍はクーザン達がいた場所を貫く。間一髪砂が焼け焦げ、真っ黒になった。

しかし、ただ避けるだけではなかった人物が一人。
同時にサエリのクロスボウから放たれた矢は、真っ直ぐに銀髪の青年へ向かっていった。咄嗟の行動だったので標的から逸れた軌道になったが、ギリギリ彼の身体を貫く道筋だ。

が、相手はあろう事か素手で矢の中央を掴み、勢いを殺す。下手をしたら、刃の部分を握ってしまう可能性もあるその行動を行なったのだ。攻撃を行なったサエリ自身も、流石に「はぁっ!?」と我が目を疑う。

彼はそのまま、矢をグニャリと曲げて地面に捨ててしまった。決して、柔な素材では出来ていないと言うのに。
あの細腕の一体何処から、馬鹿みたいな怪力が出てくるのだろうか。

「まだやりますか?」

パンパン、と両手を叩く。問いかけてきてはいるが、彼はまだまだ余裕そうだった。

やる気満々の一同が正面に並ぶのを見て、ユキナは問い掛けた。

「(どうして?)」

「(ねぇ、どうして?)」

それは、クーザンが公園に来た瞬間から今まで、ずっと問いかけていた言葉。

自分に、信頼する幼馴染に、名も知らぬ少年に、ただのクラスメイトの筈の少女達に。

そして、煌々と大地を照らす月が浮かぶ、空に。

「(どうして、あんたはあたしなんかの為に、闘うの?)」

あたしは……あんたを拒んだのに……。

「嫌……」

どうして、どうしてドウシテ。

見ず知らずの他人の為に、ただのクラスメイトの為に、闘えるの!?

あたしは、逃げたのに!!!

ユキナは、精神的に限界を迎えていた。
気丈に振る舞っていた筈の足が、震え出すのが分かる。

頭の中に、記号化した言葉が流れ込む。
まるで、ユキナを追い詰めるかのように。

アタシハ、ウマレテハイケナイソンザイダッタノニ。

アタシハ、アンタタチヲコロシテシマウカモシレナイノニ。

ドウシテ。

ドウシテ――!

何も、考えたくない。

何も、見たくない!

「嫌っ……嫌ぁあああっ!!」

「……っ!?」

今まで、銀髪の青年達の後ろで待機していたユキナが悲鳴を上げた瞬間、突風が吹いた。

ほんの、一瞬だった。

砂が入るのを恐れ、目を庇って立っていたクーザンが次に目を開けた時、風は止んでいた。

「何、今の……」

自分の横にいる筈のリレスやサエリ、白髪の少年はどうなっているのか、無事なのかと振り向く。
死なれてたりしたら、後味が悪い。

そう思って取った行動だったが、その光景はクーザンを驚愕させるには十分だった。

「――っ!?」

三人は、動きを止めていた。

いや、三人だけではない。
自分達を襲っていた兵士でさえも、動いていなかった。
風に揺らめく髪でさえ、そのままに。
まるで、リアルな石像だ。熟練した腕を持つ彫刻家の作品に、鮮やかに色が載ったような。

これは、氷や魔法で動きを封じられたとは言い難い。
例えるなら、そう。

「(……時を、止めた!?)」

「ははっ……。ははははっ!! 素晴らしい……これが彼女の、〈姫〉の力……!!」

銀髪の青年が哄笑する。
先程迄の彼の笑いとは、似ても似付かない笑みだった。前者を「静」とするなら、今の笑い方は「動」。

この現象を起こした当の本人は、気絶しているのか青年に抱えられている。
穏やかとは言えない――見る者を不安にさせる、苦しそうな表情を浮かべて。

「まさかユキナが……やったのか?」

信じられない、という表情で呟く。現実には、時を止める等有り得ないのだ。クーザンの常識を外れている。
しかし、脳裏に浮かぶのは先日の出来事。

――ユキナは、人間でありながら治癒能力が使える。……いや、治癒というより、怪我する前の時間に戻しているようにも見える。
そんな得体の知れない力だからこそ、ウィンタはユキナに忠告――

そして、一つの結論に至った。
時間を止めたのなら、加勢していた彼らがピクリと動かない事にも納得がいく。
にわかには信じ難い事だが、この状態を説明するにはこれしかない。

何かを知っているのか――そもそもの原因である銀髪の青年を睨み付け、クーザンは叫んだ。

「おい! お前……ユキナが何をしたのか分かるのか!? お前、何を知っている!?」

クーザンの声で漸く哄笑を止めた銀髪の青年は、それにより自分の存在に気が付いたようだ。
しかし、そのまま首を傾げる。

「……? おかしいですね……」
「何がだよ!?」

クーザンが返すと、銀髪の青年は不思議そうに彼を見、何かを考え始めた。会話が噛み合っていない。

余裕ぶった態度が余計に苛つくのだが、悲しいかな、それよりも恐怖の方が勝っていた。

その証拠に、青年は大鎌をきちんと構えていないにも関わらず、クーザンは彼に斬りかかっていけないのだから。
ユキナがいるからという理由もない訳ではないが、そちらは彼には気が付けなかった。

しかし頭を傾げた青年は、クーザンの問いには直接応えず、ポツリと悩みの理由を口にする。

「何故、貴方は動けるんです?」

怒りで熱された頭に、水をかけられたようだった。いや、水などぬるいものではなく――氷水のように冷たいものを。

何を言われたのか理解が出来ず、固まるクーザン。
数秒間沈黙の後に口をついて出た言葉は、

「……そういえば」

という疑問だった。

白髪の少年やサエリ辺りが動いていたら、思いっきり「遅!」と突っ込みをかましそうな台詞。彼もまた、銀髪の青年に負けずマイペースな性格だったらしい。

緊迫した雰囲気には相応しくない、気の抜けた言葉に、青年も若干眉間に皺が寄っている。

だが――指摘された事によって漸く疑問に思ったが、何故自分は体を動かせているのだろうか?
仮に時を止めた、とすれば、今この瞬間には普通の人間はこうやって何かを思考する事も不可能だろう。人間の命というのは、時間によって計られているのだから。
この時間が動き出せば、恐らく宙に浮く木の葉は何事もなかったかのように地面に落下するだろう。剣やクロスボウを構えている彼らも、さも当然といったように動作を始めるのだ。

いや、そもそも本当に時間等止める事が可能なのだろうか? それが出来るとして、なら何故自分だけでなく目の前の銀髪の青年も動けるのだろうか?

疑問が疑問を呼び、クーザンはすっかり黙り込んでしまった。
あまりにも難解な為、一度填まり込むとなかなか抜け出せない。

やがて大きく溜息を吐くと、銀髪の青年はユキナの背中と足を抱え、簡単に持ち上げた。俗に言う、お姫様抱っこという奴だ。
もう終いだと言うようにクーザンに背を向け顔だけ彼に向けると、うっすらと微笑を浮かべる。

「まぁ、良いでしょう。……覚えておきますよ、貴方の事は」
「待っ……!!」

ユキナを抱えた銀髪の青年は、更に冷笑をクーザンに向け、闇夜に消えていく。

不覚にも――クーザンは、動けなかった。
攻撃をしようという意思さえあれば、攻撃出来た。相手は無防備に背を向けていた上に、両手にはユキナを抱えているのだ。端から見れば、絶好のチャンスだっただろう。
だが、恐怖に当てられてすっかり怯えてしまった足が、それを許さなかった。
伸ばしかけた右手は空を掴む。

「くっそ……くっそぉぉぉぉお!!!」

黒髪の少年の虚しい慟哭が、無慈悲な月が浮かぶ夜に響き渡った。

   ■   ■   ■

今日も、どこかの家で御伽噺は紡がれる。
それは眠れない子供を安眠に誘う為であり、若しくはそれを研究する為であり……多種多様な目的があって、世界に必ずしも根付いている。

『月と太陽、似て非なるもの。

灯りを照らし、空に浮かび、強大な自身を我らに見せん。

今宵、月が増えた。

月とは違う月。強大な力を秘めたる月。

彼女はその紛い物の月を、いとおしそうに見上げている。

今宵、月が消えた。

その存在を知る者達は、誰もが災いを畏れた。

それはまるで、《月》の名を持つ姫の命尽きるかのようだったからだ――。』

NEXT…