セレウグ=サイナルドについて

記憶の底から思い出せる限りの、古い記憶?

父親の記憶はないな。
オレはずっと母さんと、ふたりで住んでいた。
悲しくはなかった。血が繋がっているとは言われても知らない人なのだから、悲しさなんて湧いてくるはずがなかった。
母さんは不便な生活を強いてしまってごめんと何度も謝っていたけど、オレはいつもそんな事思ってない、と答えていた。むしろ、そうなってしまったのは息子である自分のせいなのだから。

生まれた時から、オレの左目は血のように赤く、忌み子と蔑まれていた。
気味が悪い、姫に忌み嫌われた子、災いを呼ぶ子。それはもう色んな言葉で、似たような意味を指す言われ方をしてきた。
何度それを言った当人を殴ってやろうかと思った事かーーそれをしなかったのは、母さんの存在があったから。
母さんはそう疎まれている我が子を、オレを、それでも愛してくれていた。大好きなのだと、抱き締めてくれた。心無い言葉から、守ってくれていた。

『良い? セレウグ、あなたは利口な子だから、自分がされて嫌な事はしては駄目よ。母さんとの約束ね」

それが、母さんの口癖だった。
でも、周りの言葉が心労を積ませてしまい、結果母さんは病にかかり、そのまま帰らぬ人となってしまった。よりによって、嫌な事をしては駄目と言っていた当人に、裏切られてしまった。

裕福な家庭とは真逆だったから金もないし、親戚の人達はオレを怖がっていたから引き取ってくれるはずもなくて、行く当てはどこにも存在していなかった。孤児院も、最初は歓迎こそすれど、幼心にもこの左目の不気味さは分かったのだろう。次第にオレに対する態度とか、空気が悪くなっていき、最終的には逃げ出した。

逃げ出した末辿り着いたスラムの、朽ち果て忘れ去られた遊具が佇む広場で、オレは一晩中泣いた。泣いて、泣いて、泣いた。
その後、スラムで生きて行くしかない事を悟り、以降四年間はその公園の遊具に住んでいたと思う。期間ははっきりしない。何せ、今日が何日なのかなんて気にする事も出来ない生活を、送っていたのだから。

少ない金銭は盗まれたり、日々の食料に変えたりして底をついてから、一日に一回まともに食べられれば御の字の生活だった。齢七歳の子供がよく生き残れたと、自分でも思う。

その日は、三日間何も食べていなかった。
空腹の極みであったオレは遂に、孤児になってしまっても守り続けていた母親の言葉を裏切る行為を実行すべく、相手を見定めていた。ーー盗もうとしたのだ。食料を、お金を。
生きる為と言い訳をし、必死に自分の正当性を頭の中で繰り返して。思えばこれは、理性の方で嫌がっていたのだと思う。母親を裏切るのを。
でも理性とは別のところで、「母さんも裏切ったのだから大丈夫だ」と思ってたんだよ。酷い息子だよ、ほんと。

オレが標的として見定めたのは、スラム街の側にある街道を頻繁に行き交う、一人の少女だった。
母親と無邪気に笑い合いながら歩く彼女が、憎かった。己がもう求めても手に入らないものを、見せ付けられているような--被害妄想とでも言えば良い。とにかく、その姿がとても癪に障ったのだ。

虎視眈々と機会を窺っていた中、彼女が一人でその街道を歩いていたのを見た。
絶好の、母さんがくれた機会だと思ったよ。そんな事、母さんが望むはずないのにな。……うん、悲劇のヒロインならぬ、悲劇のヒーローを気取ってた自覚はある。

狙いを定めて、彼女に近付いて、肩から下げているポシェットを奪って、逃げ切る。ただそれだけを脳内に描きながら、実際に体を動かして。

でも、ポシェットの紐を掴んで逃げようと思った直後。何故かオレは、空を見ていたんだ。
地面に寝転がって、嫌に明るい水色の空を見上げていた。これは解説が非常に悲しいんだが……オレは、女の子に背負い投げされていたのさ。
いや、ほんとびっくりしたよ。か弱そうで、当時は体もそんなに強くなくひょろひょろなオレでも押さえ込められそうな相手を選んだのに、その相手に背負い投げされたんだぞ?
まぁ、その時は悲しさよりも、訳が分からない気持ちの方が強かったけど。

当の背負い投げした本人は、はっとした後慌ててごめんなさい、と謝ってきた。

「あーやっちゃった……大丈夫!? 痛くない!? 痛いよね!? お詫びに手当てしてあげるからうち来て!!」

凄い勢いだったからオレも思わず抵抗するのを忘れてて、気が付いたら女の子に腕を引かれて、何処かに連れて行かれた。振りほどこうとしても、悔しい事に相手の方が力が強くてさ。自覚してなかったけど、ロクな飯食べてなかったせいで、力も弱ってたみたいだ。
あと、どう考えても自分を狙ってた盗人に言う事じゃないよな。盗人になりかけたオレが言うのもなんだけど。

--脱線したけど、まぁそれで、後はクーザンも知ってる通り。あ、覚えてないか。
その女の子はザナリアで、一人で歩いていたのはマリノさんに何かプレゼントしたいって事で、探しに行こうとしていたらしい。そしたら後ろから何やら気配を感じて、無意識に手が出たし体が動いたって言ってたよ。
オレとしては色々と衝撃的ではあったんだが、まぁそれがザナリアとの出逢いだ。

彼女に出逢ってからのオレの人生?
そりゃ、毎日毎日を生きるのが精一杯でお先真っ暗だったのが、突然ライトを直射されたかのように眩しい光を照らされて、目の前に道が出来たって感じだよな。クサい? 酷いな。

ザナリアに連れられて、マリノさんに迎えられて、クーザンにはちょっと警戒されて、グローリーさんには死にかけるレベルでしご……鍛えられて。
最初こそなんだよこの人達!とも思ったけど、ザナリアに対して対抗心を抱いた時点で、逃げるのは無駄だったんだよなぁ。

でも、あの時ザナリアに会っていなかったら、オレはここにいなかった。
きっとトルシアーナのスラムで、一人死に行く運命だったと思う。
だから、ザナリアには感謝してる……アイツには、人生そのものを救ってもらったから。

あと--ユーサと出逢ったのも、オレにとっちゃ大事かな。
そりゃ出会い頭に今と同じ勢いでヘタレだの根暗だの色々言われたけど、アイツ、目については一言も触れないんだよ。……考えてみりゃ、アイツは最初っからオレがシオンと繋がりがあるって気が付いてたのかもな。その時言われたのって、どちらかと言えば内面の事ばかりだったから。
それに、敢えて敵を作ってる感じがしてさ。だから放っておけないっつーか、まぁそこも対抗心だよなー。言われるばっかりじゃムカつく、っていう。
相変わらず、心は開いてくれてなさそうだけど。

「--という話を聞いたんだ」
「セレウグさん、あまりそういった悲観的なところがないので、普通の生い立ちかと思っていました……。私、今度謝ります」
「ノロケ話は置いといて、何アイツ。僕が心を開いてくれるとでも思ってるの? 思い上がりもここまで来ると哀れだね」
「…………」
「何か言いたそうだね? 発言を許すから言ってごらん」
「いや、何でもない(十分心開いてるだろと突っ込んだら終わるな……)」