ホルセルとユーサのお話

「うーーーーん……」
 ホルセル=ジングは、とても困っていた。
 リルがいなくなっているのに気が付き、捜すまでは良かった。問題は、その彼女がいる場所だ。ちらりと影から見やり、二度目の唸り声を上げる。
 ここは宿屋の近くにある公園だが、人はまばら。ホルセルはその入り口の門に身を隠し、すぐ側にある花壇の縁を見ていた。視線の先には、花壇の縁に腰掛けて本を読む青年の背中に寄りかかり、くうくうと寝息を立てているリルの姿。
 誰かの傍にいる事自体は、別に珍しくもない。サエリやリレスといった、可愛がられている年上の女の子達にも懐いているから、良く遊んでもらっているのを目にしている。だが今回の問題は、その相手であった。
「――唸ってないで、こっち来たら?」
「へっ!?」
 唐突にかけられた言葉に、ビクリと両肩を震わせる。隠れられていると自信を持っていたものだから、まさか話しかけられるとは思っていなかったのだ。
 声の主は間違いなくホルセルの唸っていた原因で、彼は読んでいた本に栞を挟み込みながら、自分が隠れている門の影へと、顔を向けてくる。
「変に隠れてぶつくさ言われるよりは、見えるところで言われたほうが良いんだけど? この子を迎えにきたんでしょ」
 ああ、これは完全にこちらが誰なのか把握されている、と察した。こうなると抵抗は無駄、むしろ隠れ続けている方が不快だろう。なにせ、相手はホルセルにとって少しばかり苦手だと思っている、ユーサ=サハサなのだから。
 セレウグと同年代ではあるが、彼と異なり、ユーサは人を寄せ付けない雰囲気を持っている。付き合いは短いどころかつい数日前に知り合ったレベルで、彼の人となりは他の人との会話で知っているくらい。さしものホルセルも、年上だという事を抜きにしても付き合い方が分からないでいて、気軽に声をかけ合うような間柄には程遠いのだ。
 諦めて覚悟を決め、門の影から歩き出すと、相手が座っているベンチへと近寄る。リルを起こさないよう、念の為声量を落として口を開いた。
「えっと、あの、うちの妹がごめん、なさい……?」
「気にしないで。気が付いた時には寝入っていたから、そのままにしていただけ。はしゃぎ疲れたんじゃないかな」
「邪魔……だよな?」
「別に。邪魔だったら、とっくにドッペルでも呼んでるよ」
 てっきり肯定されると思っていたホルセルは、その意外な返答に目を瞬かせる。だがそれは悪手だったらしく、ユーサは一拍置いてから、大きく溜息を吐いた。
「キミねぇ」
「えっ!? はい!?」
「顔に思いっきり出てるよ。そんなに僕が子供慣れしてるの、意外?」
「あー、いや……はい……」
 ここまでハズレの回答を引いていると、最早取り繕ったところで更に悪化すると悟り、ホルセルは正直に答える。自分の顔に出やすい性格を、少しだけ恨みながら。
 しかしその後の返答は、思っていたよりも穏やかなものだった。
「一応、孤児院にいたからね。慣れてるだけだよ」
「そうなんだ……。いや、それも驚いたんだけど、リルがそうやって寝てるのも珍しいなって思って」
「そうなの? 彼女、結構誰とでも話しかけたり、遊んで貰ってるでしょ?」
「いや、よく見てると人を選んでるところはあるよ。少なくとも、初めて会って数日しか経っていない相手にそんなに懐くのは、珍しいんだ」
「ふぅん」
 軽く相槌を打つと、ユーサはちらりと自身の背中、否、背中にいるリルを一瞥する。彼の視線では彼女の頭ぐらいしか見えないだろうが、起きる様子があるかどうかを確認したのだろう。
 そして、起きるまでまだ暫くかかるだろうと判断したのか、自身の隣を指し示すと、座れば?と問われる。断る理由も思い付かず、ホルセルは数秒迷った後に、彼の言う通りに座った。
「昔、この子よりも少し幼い女の子を見ていた事があるよ」
 リルを気遣ってか声のトーンは抑えめで、ぽつりと呟くように口を開いたユーサは、表情こそいつも通りだが、そこに近寄りがたい雰囲気は微塵も感じられなかった。
「その子も人見知りでね、リ――知り合いの女性と暮らしていたんだけど、彼女が忙しい時は代わりに見てあげてたんだ。その子は喋れないものだから、意思疎通が難しかった。それでも、こんな風に誰かの傍で、安心したように眠っていたよ」
「……その子、今は?」
 過去形で締め括られる言葉に、ホルセルはそう尋ねてみる。まさかと思ったが、ユーサはさぁね、と言葉を濁すのみで、それ以上詳しくは話そうとしなかった。
「キミとこの子なら、僕よりは仲良くなれたかもね」
「仲良く、なかったのか?」
「いや。知り合い以上には信頼してくれていたと思うんだけど……色々と、ね」
 ホルセルは色々?と繰り返そうとしたが、それが言葉となることはなかった。背後から、ふあぁ、と気の抜けた声が聞こえたからだ。
「んむにゅ……あれ、兄貴?」
「おはようさん、リル」
「おはよう〜……ユーサお兄ちゃんも、おはよう〜」
「おはよう。姿が見えなかったから、お兄さんはキミを捜していたみたいだよ」
「ええ!? 兄貴、ごめんなさい! リル、そういえば兄貴に行ってきます、言わなかった!」
 あわわわ、と目に見えて狼狽えるリルに、気にするなと答える。一人でならまだしも、保護者であるユーサと一緒だったのなら、別に謝られる必要もない。
「さ、帰るぞ? そろそろサエリ達が飯でも作り始めてる頃だろ」
「うん! ユーサお兄ちゃんは?」
「え? ……そうだね、僕も戻ろうかな」
「じゃあ、いっしょに帰ろ!」
 はい!と何の躊躇いもなく自身の手を彼に差し出すリルに、ホルセルは慌てるを通り越していっそ感心した。彼女にとって、ユーサも『信頼出来るお兄ちゃん』のひとりと思っているのが、その行動で明らかだったから。
 ユーサは少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに彼女の手を取り、そして歩き出すのだった。