ホワイトタウンにて

【召喚師Sの旅路】

 入国審査を終えると、ゲートから少し進んだ先で足を止めた。真正面に続く、水道に挟まれたメインロード。その両脇に続く、白い煉瓦造りの家々。良く整備された水道の水面と合わさっていっそ眩しいくらいの光景に、圧倒されたのだ。
「あら、もしかして旅人さん?」
 そのまましばらく眺めていると、不意に声が聞こえた。燃えるような赤い髪を二つに括った、自分と同じくらいの年代の女性は、こちらの顔を覗き込むようにして眺めている。周りに人はおらず、声をかけられたのは自分だと判断すると、慌ててそうだよ、と返答した。その後、何故分かったのか、と問いかける。すると、少し微笑みながら「この時期の国の住人にしては、雰囲気が全然違うからね」と返ってきた。
「良ければ、国を案内しましょうか? アルブスだけでもいろんな場所があるから、すぐ迷ってしまうわ。何せ――」
 軽やかに、踊るようにステップを踏みながら、彼女はメインロードの丁度真ん中に立つ。そして両腕を大きく広げ、水面と壁面に反射した輝きを背負いながら、満面の笑みを浮かべて言うのだった。
「ここは巡る水路と、眩き白の国。ようこそ、ホワイトタウンへ!」

 まず今日の宿を確保しておきたい、とリクエストすると、アルブスでおすすめだと言う宿屋を紹介してくれた。高級過ぎず、その国の人々のこだわりを感じさせる赤と白のコントラストが映える内装のそこに不評など出るはずもなく、気に入った自分はすぐにそこに決めたのだった。旅の荷物を少しだけ減らし、外で待ってくれていた彼女の元へ戻る。水路の端に留まっている、舟にしては小柄な乗り物に乗った男性と会話をしているところで、こちらに気が付くと大きく手を振ってきた。駆け寄って、舟を視線で指し示しこれは?と問いかけてみる。
「ナヴィスっていう小舟よ。この国の大半は、これで移動することになるの。こちらは船頭のおじ様」
「よろしく、旅人さん」
 よろしくお願いします、と会釈し、促されるままにナヴィスに乗り込む。自分たち以外にも三人の客が乗り込んで、出発となった。
 数分もしないうちに、小気味よい音楽と楽しそうな人の声が耳に届く。近くの路地で演奏でもしているのだろうかと思っていたが、それからすぐに店が集まっている中央のロータリーに差し掛かり、音の発生源はそこだったと知る。楽器を持ち演奏している一団を、国民らしき人々が思い思いに眺めては拍手をしていた。
「あそこはアルブスの商店街。楽団が来ているのね」
 あまりにもいつもの光景、といった様子で言うものだから、思わず楽団?と口にした。楽団自体は他の大陸や国でも見かけてきたが、ここまで歓迎ムードなところは数える程しか記憶にない。それだけ、この国ではいつもの事、といった認識なのだろうか。彼女は目をぱちくりとさせたのち、ああ、と何かに気が付いたかのように声を上げる。
「ごめんなさい、説明が必要だったわね。この大陸では、楽団はひとつの主要な職業みたいなものなの。それぞれの楽団で特徴も様々だし、見ていて飽きないと思うわ」
「特にこの国は、大陸いちと言われる楽団の本拠地ホームでもあるからねぇ。そのお陰か国全体が楽団の活動に協力的で、毎日のようにいろんなところで、様々な楽団が演奏しているよ。興味があれば、見に行くと良い」
 補足の説明に納得しつつ、武器屋と道具屋はあの商店街にあるか、と尋ねた。国の文化にも興味はあるが、とりあえず必要な情報だけは先に得ておきたい。
「あるわよ。ロータリーの向こうに道があるでしょ? あの先に、武器屋も道具屋も集まってるわ」
 集まっている、ということは店の数は多いのだろうと予想し、おすすめの店があるかと問いかける。彼女は肩を竦めて、申し訳なさそうにいいえ、と首を振った。
「おすすめの店とかは分からないわね。知り合いなら知ってたかもしれないけど」
「なんだったら酒場とか行ってみると良い。他の旅人が集まるから、そういった話も聞けるかもしれないぞ」
「この国は、荒事に長けてる人があまりいないからね。並んでいる武器も、どちらかと言うと芸術品のほうが多いのよ」
 なるほど。そもそも国民性が文化の維持を優先し、戦争などの諍いごとからかけ離れているのだろう。他の国では過去に諍いがあったといった話も聞いてきたが、この国はそんな気配をかけらも感じさせない。良いことだとは思うが、その唯一性は一体どこからきているのだろうか、と少し疑問に思う。
 とりあえず、武器屋巡りは嫌いではないので探すことは構わないが、なかなか難儀しそうだなと今後の予定に訂正を入れる。最悪この国ではスルーして、他の国で手入れすることを考えねばか。
 軽く思考していると、旅人さん、と声をかけられる。商店街はとうに通り過ぎていたようで、いつの間にか左手側に大きな建物が迫っていた。他の建物と比べると雰囲気が異なるそれに、大きな建物だね、と口にする。
「ここは、かの有名なテトサント大学よ。ご存知?」
 名前だけは聞いたことがある。確か、エアグルス大陸で一番大きな、有名な大学だ。自分が知っていることだけを伝えると、そうそう、と皆一様に頷き、船頭の男性が補足してくれた。
「テトサント大学は、エアグルス大陸で初めて設立された大学でね。いろんな学科があるとか、大陸で一番叡智が集まる場所とかで、大陸中から通ってくる人がいる。講師の人たちも一流の、名のある人が揃ってるって話だ」
「まぁ、アタシには縁遠い場所なんだけど」
「俺もだよ、あっはっは」
「むしろ、縁近い人間のほうが少ないさ。あそこはエリート中のエリートが集うような場所だからなぁ」
 肩を竦めて言う彼女に、船頭の男性や同乗している客が笑って同意する。エアグルスの人間の学業水準がどの程度なのかは知らないが、余程聡明な人間でなければ通えないようなところなのだろうか。率直に聞いてみることにした。
「えっとね、この大陸って孤児が多いのは知ってる? そのせいか、大抵の子供は青空学校とか、両親や孤児院の先生に教えてもらうので終わりなのよ。両親がいて、通える財力がある子供は、ファーレンの方にあるトルシアーナの魔導学校や、ピォウドにある軍事学校に行くわ。その後に更なる知識を求めるような人が、テトサント大学っていう風にね。一応大学は他の国にもあるんだけど、大陸中の叡智が集まっていて、レベルが高いのはここだけなの」
 あ、孤児でも一応意思さえあれば学校は通えるわよ、と付け加えられるのを聞きながら、多少の階級による学びの場の差はあるのだと言ったふうに受け取る。魔導学校や軍事学校と呼び名が変わる事からも、同じ学校でも学ぶ事は変わってくるだろう。
 学校の話をしている内にも、ナヴィスは水路を進み続けた。整備された水路の水は、たまに底を泳ぐ生物の影が見える程には透き通っている。
 周囲が家から木々へと変わり暫くすると、進行方向に何やら大きな物が見えてきた。灰色のそれは遠目からでは何か彫られているのが分かるだけで、特に何もなさそうに見える。
「ここは建国記念公園。『恵愛の碑』という、とある女性の言葉を刻んだ碑があるの。あれがそうね」
 とある女性?と首を傾げる。
「『すべての生命は、等しく愛される権利を有している』――そう言った女性が、かつてこの大陸には存在していたのよ。まぁ、碑には古代文字で書かれているから、普通は読めないのだけど。この国の御伽噺、《月の姫》はご存知?」
 何らかの歴史的文化財のようなものだろうかと想像しつつ、知らない、と答えた。すると、彼女だけでなく同乗しているお客さんも、「おや」「どう話したものかねー」と嬉々として話し始めた。
「《月の姫》は、この大陸で最も知っている人が多い御伽噺なんだ。いろんな話があるが、中でも月の姫様と羊飼いの話が有名かね」
 船頭の男性の説明にへえ、と相槌を打つ。と、碑を眺めていた彼女がこほん、とわざとらしく咳をし、口を開いた。
「――『昔々、月の姫と呼ばれるひとりの女性がいました。彼女は大陸を治める王様であり、人々の幸せを願っていました』」
 歌うような、心地良いテンポの声。台詞の出だしからその御伽噺を語ってくれているのだと分かり、有り難くそれに耳を傾けてみる。
「『ある日、彼女はひとりの羊飼いと出会いました。ふたりは惹かれ合いましたが、それを太陽は良しとしませんでした。
怒り狂った太陽は彼女を化け物へと変え、彼を亡き者にしようとしました。羊飼いは、月の姫に剣を向けることを躊躇いました。ですが、月の姫は自分のせいで大陸が傷付くのを望みません。
やがて、羊飼いは彼女の望みを聞き入れ、覚悟を決めて刃を向けました。
――その後彼は、彼女の願いを聞き届け、前を向いて、姫の代わりに大陸を守っていったのです。』 ……終わり」
 ぱちぱちぱち、ナヴィスに同乗するお客さんが拍手をする。自分も同様に手を叩くと、彼女はえへへ、と恥ずかしそうに笑った。
「姉ちゃん、良い語り部だな!」
「ありがとうおじさま。そう言ってくれると光栄だわ」
 ところで、この御伽噺は悲恋ものなの? そんな疑問をぶつけてみると、同乗者のひとりがうーん、と頭を悩ませる。
「悲恋、といえばそうだな。子供たちには、『悲しいことがあっても前を向いて行きましょう』、みたいな教訓として語っているが」
「今アタシが語った物語は、子供向けに簡略化・改変されたものなの。本当はもっと長くて、三人の神様や、月の姫に仕える神官とかもいるのよ。羊飼いはその神官の一人でもあるし。更には、作者によって解釈も異なっているから、別の展開になっていたりもするのよ」
「旅人さん、もし《月の姫》の物語に興味があるなら、○☓地区の図書館に寄ってみると良い。様々な御伽噺の資料が保管してあるぜ」
「あそこね、とてもたくさんの書物があるわよー。本当はテトサント大学の図書室もおすすめしたいのだけど、関係者以外は手続きが面倒だし」
 地元の人たちにあれよあれよと勧められる辺り、本当にこの大陸に根付いた物語なのだろう。興味もあるし、この国、いやこの大陸に出回る蔵書は、元から見てみるつもりではあった。お勧めされた図書館を脳内でチェックしながら、行ってみます、と返しておくのみに留めておく。

 ホワイトタウンの水路は、国を一回りするには一日以上かかるということで、アルブスを一回りしてまた入出国ゲートの前に戻ってきた。ナヴィスを降りると、彼女は軽く体を伸ばしながら、口を開く。
「こんなものかしらね。お気に召したかしら?」
 とても満足の行く案内だった、と答える。すると彼女は、旅人さんへの道案内って初めてだったから心配だったのよ、と安堵したかのように息を吐く。初めの船頭さんとのやり取りやらナヴィス上での語り部やら、対人能力が優れた女性だなぁと思っていたので、そう思っていたことは少し意外ではあった。
 そしてそうそう、と手を叩き、そのままある方向を指差して続ける。
「もし郊外に行くのであれば、この先に酒場があるからそこで右に曲がって、ずっと歩けば良いわ。もっとも、用が出来る事はないでしょうけど」
 半ば確信を持って言っているように聞こえて、どうして?と尋ねてみる。すると、彼女は苦笑して答えてくれた。
「郊外は、強いて言うなら森と孤児院しかないから。そうそう用が出来るようなところはないわ……それに、スラム街にも近いしね」
 スラム街。戦争などで孤児となった子供、貧困の生活を余儀なくされた人間が集まる場所。あまり良い響きではない言葉に自分は無意識に顔を強張らせていたらしく、彼女は「あ、別に取って喰われるようなことはないわよ?」と訂正してきた。
「旅人だし、そういうところは近寄らないほうが良いかなって。一応忠告ね。――さて、それじゃあもう帰ろうかな」
 重い雰囲気を払拭するように言われた言葉に、慌てて何かお礼を、と懐に手を突っ込み漁るが、通貨以外には、相応しそうなものは残念ながら持ち合わせていなかった。
「ああ、良いのよそんなの。アタシがやりたかっただけだし」
 そうは言うが、結構な時間を付き合わせてしまった以上、自分が納得がいかない。うーむと頭を悩ませ、そうだ、と腰につけたままの鞄を漁る。取り出したのは、曇った紫色の鉱石の破片。ここまで砕けてしまうと本来の用途では使えないため、どこかで換金しようと思って持っていたものだ。それを、彼女に差し出した。
「くれるの? 宝石……とかではないわね、鉱石かしら。でも、綺麗な石ね」
 うん、と答える。もうそれは使えないし、自分には必要がないものだから。一応売れば多少の金銭にはなるはず、と答えると、彼女はくすくすと、面白そうに笑った。
「『もう使えない』って、変なこと言うのね。ありがとう、受け取っておくわ」
「おや、シアン?」
 直後、自分でも彼女でもない声がして、そちらを見やる。そこには、彼女と同じ赤い髪を持った男性が、目を丸くして立っていた。自分の知り合いではない、ということは。
「イオスさん! 帰り?」
「ああ、講義が早く終わったからね。そちらの方は?」
 思った通り彼女の知り合いのようで、彼女は嬉しそうに駆け寄る。そして男性の腕を引っ張って連れてくると、自分と男性を向き合わせてきた。
「旅人さんよ、国を案内していたの。こちらはイオスさん、アタシの叔父なの」
「初めまして、旅人さん。うちのが世話になったようで。是非、ホワイトタウンでゆっくりして行ってくれたまえ」
 むしろ世話になったのは自分のほうだ、と訂正しつつ、頭を軽く下げる。燃えるような赤髪だけでなく、どことなく雰囲気も似たふたりだな、と感じていたのは、間違いではなかったらしい。
「じゃ、アタシも帰るわね。旅人さん、アナタに月の姫ディアナの加護がありますように! またどこかで!」
「君の良き旅路を願っているよ。じゃあ」
 大きく手を振りながら去っていくふたりに手を振り返し、見送ると、自分はチェックインをした宿屋のほうへと足を向ける。
 ふと、ごそごそごそ、と身に纏うコートの中から、大きな帽子を被った小さな召喚獣が現れる。街中では流石に目立つのでずっと隠れてもらっていたのだが、人の気配が去ったのを見計らって出てきたらしい。
 楽しかったね。そう声をかけると、召喚獣は楽しそうに鳴くのだった。