御伽噺:06

 当初の目的であった神官の増強は、カイルの加入以来積極的に行われる事はなかった。従者や衛兵の入れ替えは多々あったものの、神官の統括を握るアストラルの目にかかるような逸材は、存在しなかったらしい。
 そして、世界の歩みは目的地へと差しかかっていた。
 “滅び”という、運命へと。

 ――ザン!
 止めの袈裟で残り一体だった化物を倒し終えたカイルは、共に討伐に来ていたトキワとシオンの姿を捜した。その手にはスィールから貰った剣が握られ、羊飼いだった時から愛用していた片手剣は腰のベルトに吊るされた鞘の中に納まっている。
 所で、この剣――最初は只の装飾された剣だと思っていたのだが、よく見ていると相手を斬り付ける一瞬、僅かに振動エネルギーを発しているのだ。
 特別に何らかの動作をするでもなく、勝手に振動を起こす――まるで、剣が意思を持っているかのよう。彼らは、その剣を“振動剣”と呼ぶ事にした。
 そのメカニズムは全く分からないのだが、それでも武器調整を得意とするミシェルの興味と職人魂を引くには十分過ぎる力だったらしく、躍起になって解明しようとしていたのを思い出す。何でも、《月の力》を引き付ける力を他の神官の武器に付加させて、討伐がもっと楽になるようにしたいんだとか。
 話は逸れたが、カイルが捜していた二人は無事発見できた。自分が最初にいた地点から然程離れていなかったお陰で、直ぐに合流出来るのはありがたい。
 二人は掠り傷程度の怪我を負っているが、ここでたむろしていた化物は倒せたようだ。荒れている地面の、比較的座れる場所で休む彼らに近寄り、カイルは問う。
「大丈夫か?」
「あー、うん。この通り」
「オレも。……ただ、ちっとばかし化物に手こずっちまったな……」
 肩を上下させながら乱れた呼吸を整え、手をひらひら振り呼びかけに応じるトキワ。その傍らで、シオンは腕を組み難しい顔で、人と異なるものが見える紅い瞳を周囲に向けた。彼の返答に、カイルは先程の応酬を思い返し眉を顰める。
 確かに、最初こそ彼ら神官と化物の力は天地の差があったはずなのだが、最近は一匹相手でも妙に手に余るようになっている。
「《月の力》も濃くなってきているし、その影響か……?」
「濃く……?」
「あぁ、つまりな」
 シオン曰く、こうだ。
 化物が強くなり始めた時期と、《月の力》が増加し始めた時期が一致するのだという。比例するかのように重なるこの二つの現象は、人が化物になる原因を踏まえると無視は出来ない。
 人は、《月の力》を僅かながら人体に宿している。それを求めて化物は人間を襲う訳だが、大抵の者はその力と対抗する力を持たない為、なす術なく殺されてしまう。人体に宿っていた力はその時に放出され、大気に溶け込む濃度が高くなり、人が化物になる確率が上がるのだ。悪循環にも程がある。
 しかし、最近の《月の力》の増加はその循環以外の何らかの原因で、急激に増えているのだ、と。
「その……。《月の力》が濃くなる原因は、まだわかっていないのか?」
「あぁ、さっぱり。姫さんも分からないのに、オレが分かる訳ねーだろ」
「けど、原因を突き止めなきゃこの被害は拡大する一方だ。……化物なんて怪物、もう生み出したくなんかないし」
「そうだな」
 化物が消えた場所で、胸に手を当て黙祷を捧げるトキワを見習い、カイルも目を瞑る。そして、自らの意思に反し化物となってしまった者を悼み、心の中で弔う。
 一刻も早く、こんな悲しい運命を辿る犠牲者がいなくなる事を、切に願いながら。

「……?」
 国に戻ると、何だか街の様子がおかしい。
皆殺伐とした形相で、一目散にどこかへと駆け去っていくのだ。小さな子供は好奇心が疼くのか彼らが走ってきた方角に向かおうとするが、それに気が付いた親が血相を変えて家に連れ戻している光景も目にする。
「お祭り……じゃ、ないね。あんな顔だと楽しくなさそうだし」
「だな……」
「行ってみよう」
 住人の行動を不審に感じた三人は、彼らが向かってきた方向へと駆け出す。
途中、人を罵るような怒号が進行方向から聞こえてきた。声がここまで届くとなると、目的地が近いのか――はたまた、叫んでいる者の声量が大きいのか。
なぜここにいるんだ。
呪われた子供。
去れ。
――死ね。
住人から上がる陰惨な罵声に、カイルは思わず耳を塞いでしまいたくなったが、思い直し騒ぎの元へ行こうと足を速める。
一方、トキワとシオンはこの騒動の原因に薄々勘付いているのか、口を噤み複雑な表情を浮かべたままだという事を、前を走る彼はとうとう気が付かなかった。

 そして、彼らが辿り着いた先では一人の女性と、二人の子供が一悶着を起こしていた。
 女性は手に赤子を抱え泣き腫らした目で、眼前にいる子供にあらゆる限りの罵詈雑言を吐き出している。それを子供二人が彼女を睨みながら黙って聞き、周囲に集まった野次馬がその状況をエスカレートさせているといった状況だ。
 遠目から見た赤子は、恐ろしく青い肌をしていた。人間の肌が、あんな色になるのかと思う程である。瞼を固く閉じ、ステータスである快活な泣き声を上げる気配もない。
 母親であろう彼女の様子と赤子の状態から、その子はもう息をしていないのかもしれないという予想は簡単に付く。病気か、と思うのも束の間、新たな罵声が響く。
「あんたたち忌み子が、国に来たせいでこの子は死んだのよ! 返して、私の子を返して頂戴!!」
「知らねぇよ!! 俺らが何したってんだよ
!?」
 対峙している二人の子供のうち、スカイブルーの髪の少年が怒気を孕んだ声音で言い返した。隣の銀髪の少年も何か言いたげだったが、女性の威圧に気圧され最初の少年の陰に隠れている。
「ソーレと、ヘリオス……?」
 カイルは、少年達がリツの家に住んでいる双子だと直ぐに気が付いた。だが、なぜこんな所にいるのだろうか。
 そう思案していると、少年――ソーレの台詞が女性の勘に障ったのか、再び暴言を吐きながら赤子を抱いていない右手を振り上げた。これは、まずい。
 咄嗟に駆け出し、振り上げられたか細い右手を止める。愕然として手を掴んだカイルを見る女性の目には、透明な涙と嚇怒の念が映っていた。その瞳に怖気を感じ寒気がしたが、何とか堪えて開口する。
「止めて下さい、落ち着いて」
「し、神官様……」
 それで緊張の糸が切れたのだろう、彼女はガクリと膝を付き、冷たい赤子を抱いたまま大声で泣き喚いた。
 騒ぎで外に出ていた住人の一人、初老の男性が彼女に近付くと、その震える背中を擦りながら家へと促す。覚束ない足取りを見かね、ギャラリーと化していた数人が彼女を支え連れ帰るのを見送ると、彼はカイル達に向け頭を垂れた。女性の父親なのか、どことなく彼女の面影がある。
「神官様、お騒がせしてすみません。彼女は夫を亡くし独り身でして、子供だけが支えだったのですが……その子供も不治の病に侵され、今日帰らぬ者となってしまいました」
「……さっきの赤ちゃんですね。それで、やり場のない怒りをあの双子に押し付けたと」
「はい、恐らくは……。坊や達にはすまない事をした、謝らせてくれ」
「…………」
 一旦は上げた頭を、再び双子に向かって下げる初老の男性。双子の兄は硬い表情を保ったまま何も言わずに弟の手を引き、国の外へ通じる道を歩き出す。弟は初老の男性に向け何かを呟いたようだったが、こちらにまでは聞こえてこなかった。
 そして初老の男性も去り、カイルはトキワとシオンに向き直る。
「忌み子、というのは……」
「あいつらの事だ。ソーレとヘリオスは、忌み嫌われた子供と呼ばれてんだよ」
「忌み、嫌う……」
 何て――嫌な言葉だろうか。
 ポツリと呟いたカイルの言葉にも煩わしそうに頷くトキワは、眉間に皺を寄せたまま補足説明をする。
「具体的には、《月の力》を纏い欠落を持つ者の事。彼らは翼が欠如していたり、通常では有り得ない羽根を持っていたりして生まれて来ています。不吉の象徴なんですよ。人を愛する《マグニス》が一番嫌う存在って奴です」
「……だから、子供が死んだ理由を、たまたま街に来ていた彼らのせいにした……?」
「だな。しっかし、あんなあからさまなのは初めて見たぜ……」
 そう言えば、リツが彼らの事を話す際に訳ありだと言っていた気がする。国で暮らしていたならば、成程それは惨憺な状態になってしまうだろう。
 悲しい話だ――、カイルはそう思い、双子が去っていった方角を見つめた。

何だかすっきりしない気分のまま神殿に帰還すると、そこには思わぬ組み合わせの来客があった。
リツはまだいい。問題は、その隣で無愛想かつ凶悪な表情を浮かべたヴィエントがいる事だ。彼を視界に入れた瞬間ディアナを狙ってきたのではないかと身構えてしまったが、ここに残っていたミシェルやアストラルの姿を認め、直ぐに警戒を解く。
そんな帰還組に気が付いたディアナは、何食わぬ顔でいつものように迎える。
「おかえりなさい、三人共」
「何かあったのですか?」
「何かないと来ちゃいけねぇのかよ。チッ、途中でコイツにさえ会わなけりゃ……」
「ヴィ・エ・ン・トぉ? あなた、誰のお陰で神殿に入れたと思っているのかしら?」
「あー、分かった分かった。分かったからマフラー放せ、首絞まるだろが!!」
 彼を一瞥しながらの問いかけに気が付いたのか、ヴィエントはぶっきらぼうな返事を返してきた。
 すると、いつの間に彼の後ろに回ったのかリツがマフラーを左右に思い切り引っ張り、彼の首を絞める。幾ら神という崇高な存在でも、息が出来なければ苦しいらしい。
 カイルがそんな的外れな事を思っているとは露知らず、若干瀕死に陥りかけているヴィエントを放ったリツが真剣な面持ちで一同を見回し、口を開いた。
「それはそうと。《月の力》関係で、あなた達にも伝えておきたい事があるの。――この前ね、久し振りに顔を出したリヴァイアサンが頻りにこっちの方角を気にしていたの。その後は、またいつものように海に戻っちゃったけど……」
「こちらを……ですか?」
 ディアナが、不安そうに呟く。
 《月の力》に敏感な神のひとりであるリヴァイアサンが気にしたものとは、果たして同じ力を抱擁する彼女の事なのだろうか?
 そう危惧する一同だが、それに異を唱える者がいた。――ヴィエントだ。
「違ぇよ。ディアナの力なんざ感じ慣れてんだから、俺達が気に留めるはずねぇだろ。アイツが見たのは、恐らくこの先だ」
「この先?」
「こっちの方角に、ちょっと前に墜落してきた隕石で出来た中央丘があっただろ。そこにある何かから、今までのものとは違う《月の力》が放出してんだ。俺はてっきりお前の部下が何かやらかしたと思って、問い質す為にここに来たんだよ」
 ちょいちょい、と南西の方角を親指で指し示し、面倒臭そうにヴィエントが言う。
リツの家と海があるのは丁度反対の方角で、それと神殿を結んだ線の延長に、確かに彼が言っていると思しき中央丘はある。カイルやディアナ達が生まれる前から存在していたが、大陸に住む住人は誰もが恐怖を感じる場所なのか、近寄る者は少なく人跡未踏の地となっていたはずだ。勿論、カイル達も例外ではなくそこに足を踏み入れた事はない。
 ディアナがそう話すと、彼は表情を歪め白髪を掻いた。
「あぁ……? じゃあ誰だっつぅの。この大陸に住む奴で《月の力》を左右出来る能力持ってんの、お前ら位だろ」
「確かに。けど、対抗策を持つ僕ら以外の人物が化物を倒せた、って言う例外もあるし、他に同じ事が出来る人間がいてもおかしくはない」
 トキワはそこで、視線を一瞬カイルの方に向け言っていたのだが、当の本人はそれに気付く事なく会話を見守っていた。視線に気が付いたらしいヴィエントも、口をへの字にしつつ「まぁな……」と同意を洩らす。
「どうだろう。その中央丘を調査してみる、というのは」
「……そうです、ね。では、ミシェル以外は明朝その中央丘へ出発し、着き次第調査をお願いします。ミシェルも、別口から情報収集を」
「承りました、っと」
 アストラルの申し出にディアナは頷き、翌日からの任務を下命する。神官五人のうち四人も同時に動く事は滅多にないが、今回は調査の手が全く入っていない未知なる領域へ赴くのだ、用心に越した事はない。
 取り敢えず今後の方針が決まり、その場は解散となった。リツはディアナの傍へ歩み寄り、久し振りの雑談を楽しんでいるようだ。
 と、突然カイルの肩に何かが置かれる。何事かと見ればそれは手で、もっと言えばヴィエントが自分の肩に手を置きニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「くたばんじゃねーぞ、英雄気取りの神官。テメェ殺すのは俺だ、忘れんな」
「断る。知らない」
「んだよ、そこは『受けて立つぞ』とか言う所だろ?」
 それは再戦を意味する宣戦布告だったが、彼には前のような刺々しさはなく、ごく普通の青年と会話をしているようだった。しかし、どこか悲壮感を帯びているように感じるのは、気のせいだろうか……?
「じゃ、あばよ。カイル」
 自分の背中を思い切り叩いて去っていくヴィエントの後ろ姿に、カイルはもう会えないのではないか、と漠然に思った。根拠はないが、心のどこかでそれを寂しい、と感じている。
「じゃあ、わたしも行くわね。……あ、」
「どうかしましたか?」
 踵を返し帰ろうとしたリツが、ふと何かを思い出したのか一同の方へ顔を向けた。
「最後に、一つだけ。こんな状態じゃ、誰が化物になってもおかしくないし。――化物になった人間は、知っての通り自我を失って、本能のまま暴れるのみ。助けたいと思うのなら、躊躇わずに斬ってあげて。それが、彼らにとって唯一の救いとなるのよ。……それだけ言っとこうと思って」
 彼女の言葉は神官となってから幾度も聞かされたものだったが、なぜだか今回は――それが、苦痛になる予感がした。

 リツが去ってから、カイルは町で会った双子の事を彼女に伝え忘れているのを思い出す。が、また彼女と会う時でも良いだろうと思い大して気にも留めなかった。
 この時は、まさかこれが最後の別れになるとは、思ってもいなかったのだ。

 その夜。
 あらかたの雑務と出発準備を終え、自室へと戻るカイルは、重い体を引き摺るようにして歩いていた。
どうも最近、体調が芳しくない。食欲もあまり沸かず、ディアナやミシェルに心配されてしまった位だ。戦闘で……というより、移動や溜まった心労による疲れのようだが。
すっかり覚えてしまった神殿内を歩くと、バルコニーへ向かう階段を通りかかった。いつもなら素通りするのだが、今日は何となく階段に足をかける。
果たして――そこには人がいた。
風に靡く、月光で銀色にも見える長い桃色の髪。この神殿の者でその髪を持つ人物は、一人しかいない。
「ディアナ?」
「! ……カイル?」
思った通り、その人影はディアナだった。名を呼ぶ彼の気配に気が付いていなかったのか、驚いた表情でこちらを振り向く。カイルは、不調を悟られないように階段を上がり、彼女の隣に立つ。
「どうかしましたか?」
「いえ? ただ、この場所が好きなのです。ほら、見て下さい」
「え? ……!」
ディアナに促され、カイルはバルコニーから広がる風景を見渡した。
空と繋がっているのではないか――そう錯覚してしまう程、国は真っ暗だが輝いていた。ぽつぽつと住人が焚いた光が星のように疎らに散らばり、それが幻想的な風景を作り上げているのだ。
「――私はね、」
静かに口を開いたディアナの顔は暗さでよく見えないが、その瞳はまっすぐ前を――国をしっかりと見据えている。
「この景色、大好きなのです。たくさんの人間とこの雄大な大地があってこそ、初めて地上に“空”が出来るの。人が、自然と同じものを作れるのよ! 勿論これは一人では駄目だし、作れるはずがない。だから、私はこの国を守りたい。明日も明後日も、一年先も、未来永劫ずっと、この光を――この空を見ていたいの!」
口が動くにつれ気分が高揚してきたのか、彼女は興奮気味に話し、そして笑った。夜空を背景にしたディアナは美しく、輝いて見える。まるで、空に浮かぶ月のように。
「月、か」
――私も、その月の輝きをずっと見ていたい……。
「え?」
「何でもありません」
誰にも聞こえないよう呟いた言葉は、カイル自身も少なからず驚くような台詞だった。羊飼いとして生きる事しか出来なかったあの頃の自分なら、絶対に言わない。
しかしディアナには少し聞こえてしまったらしく、聞き返してきた彼女に慌てて誤魔化す。内容は聞いていないようなので、カイルは心の中で安堵の息を吐いた。別に、聞かれているならいるで話してしまう所だが、そうでないのなら言う必要はない。
所詮は違い過ぎる身分に遮られ、叶う事のない願い。あの日、なぜ林で襲われた彼女を見て助けたいと思ったのかは未だに分からないが、助けて良かったと思う。
「――カイル」
 自分を呼ぶ声に振り向けば、さっきまであんなに輝いていた笑顔はどこかに隠れ、不安そうな表情を浮かべたディアナ。いやに真剣に切り出してきたものだから、こちらも少し表情が強張ったのが分かった。
「カイルは……私のこの願い、手伝ってくれますか?」
 ――あぁ、そんな表情をしないで下さい。
 喉まで出かかった台詞を危うく飲み込み、カイルは大きく頷く。月が輝く空を、例え命が尽きようとも――彼女の隣に立てなくとも、自分はその美しさを引き立てる星のひとつとして、助けになりたい。その気持ちだけは、神官になると決めた日から全く変わっていなかった。
「貴女の御心のままに従います。この空に――誓って」
「……ありがとう!」
 カイルの返答に、そんなに不安だったのかと問いかけたくなる程困り顔だった彼女は、一瞬にして笑顔になる。口調とは裏腹にコロコロと変わるディアナの表情は、本当に見ていて飽きない。
 思わず、なかなか笑わないという自覚があるカイルも、自分の口元が緩んでしまっているのが分かる。それが恥ずかしくて、顔を背けつつ開口した。
「さぁ、ディアナ。ここは冷えます。民を守るという大義名分を果たすのなら、風邪などひいている場合じゃないでしょう?」
「……やはり、そう来ますか。分かっています、もう少し見ていたいけれど……それは明日も出来ますね」
 大分低くなってきた気温の変化で風邪をひかぬよう、カイルは彼女を神殿の中へと促す。多少名残惜しそうにはしていたが、ディアナは自分のエスコートに大人しく従い、神殿の中へと歩き出した。

 翌日、カイルは朝っぱらからミシェルに呼び出され、彼の自室へとやってきていた。
 部屋の造りは己のものと――恐らくは他の神官のものとも大差ないが、床には箱に入り切れなかった工具がごろごろと転がっていて、歩きにくい。決して居心地が良いとは思えないが、踏むと地味に痛いそれらを踏まぬよう、慎重に歩を進める。
 それに気が付いたミシェルは、寝ていないのか目の下に隈を作ったまま笑顔でカイルを迎えてくれる。
「おはよー、待ってたよカイル! 見て、これ!!」
「……? 武器?」
 彼が指し示した机の上には、他の神官達が愛用している武器が並べられていた。しかし、前に見た時より装飾が増えている。
 何より、
「……もしかして、この剣の……」
「そ、カイルの振動剣を解析して、同じような動作をするよう改造してみたんだ! まぁ、《月の力》の搾取スピードを速めて、循環するそれを相手にぶつけられるようにしか出来なかったけど。やっぱり、精霊が持つに相応しい、素晴らしい武器だよ。それ」
「やはり……。ディアナの持つペンダントよりも、《月の力》が滑らかに流れている」
 カイルの持つ剣は、精霊スィールから貰った物なので、一体どうやって造られたのか、また誰が造った物なのか定かではない。だが通常の武器と比べれば、その性能はそれらを遥かに凌駕する。
 そんな複雑難解な武器を研究し、理解出来たと言うのか――見た目に反し、ミシェルは随分明晰な頭脳を持っている、と再認識させられる。という事は、ここに並んでいる武器もこの剣と同じように、使っている者を《月の力》から守ると同時にそれを化物に直接ぶつけられるようになったのだろう。
「間に合って良かったぁ……。出発までには完成出来そうな作業だったから、つい夢中でやっちゃった」
「……ひょっとしなくても、寝ていないだろう?」
「うん、正解」
 ごしごしと目を擦りつつ欠伸をするミシェルは、やはり十代前半の幼い子供にしか見えない。果たして、この姿を見た人間に彼が十八歳だと言って、何人の人間が信じるだろうか。
 そのあどけなさに、本当にこれらの武器の改造を彼がやったのかと問いかけたくなったが、カイルはその言葉を飲み込んだ。
「……分かった。なら、後は私からこれを渡しておこう。ミシェルは姫の護衛もあるんだから、少しの間ゆっくり休んでくれ」
「え? うーん……ごめん、お願いするね。ふぁーあ……気をつけてね」
 カイルが武器を手に取り始めると同時に、ミシェルはふらふらと覚束ない足取りでベッドへと向かう。靴を脱がずに倒れ込むと、そのまま気持ち良さそうに寝息を立て始めた。
 自分より年下だというのに、大したものだ……と微妙に落ち込みながら、カイルは静かに彼の部屋を後にする。
「あれ? カイル?」
 集合場所へ向かおうと踏み出した直後、横から聞き慣れた声がし振り向く。声の主は、トキワだった。
 彼がミシェルの部屋まで来た理由は大方察しがつくので、手に持っている預かった武器のうち、自動拳銃を彼に差し出す。
「これか?」
「あ、そうそう。ミシェルのとこに取りに行こうと来たんだけど……え? これ、僕の銃ですか?」
 肌の色と比べ重苦しい印象を残す黒い自動拳銃は、カイルからトキワの手に渡った。幾らか装飾が増えた自らの武器に目を白黒させたが、彼は開口する。
「ま、良いか。ありがとうカイル、助かりました。それにしても、何か具合悪かったりしない? 顔色悪そうだけど」
「……そう、か?」
「うん」
 カイルの顔を覗き込んだトキワの表情は、いつものすまし顔とはいえ心なしか沈んでいる。こんな軽い性格の奴でも、心配する時はしてくれるのか。……恐らくは、体調が芳しくない者と共に討伐に挑み、足を引っ張られる事を危惧しての事だろうが。
 ――誰か一人には、言っておくべきか。
「……トキワ。私は……多分永くない」
「……はい?」
 トキワが、気の抜けた声を上げた。それはそうだろう、突然訳も分からない事を自分は言ったのだから。
 腰に下げている振動剣を抜き放ち、前に掲げる。太陽の光に照らされ輝く刀身は、いつ見ても綺麗だ。
「この剣……人間が造ったと思えるか?」
「……全然。僕らには十年かかっても解明出来なさそうな力を持っていそうだし、そもそもそれに使われている鉱物は今までに発見されたどれとも違うもの。とても、人間が生み出したとは思えない代物です」
「なら、誰が?」
「スィールが持っていたというのなら、妥当な線で……神」
「私は、そう思っている」
 人間ではない何者かが造り上げた、未知なる力が宿る剣。そんな業物を人間が使えば、先ず何らかのリスクが付き纏うはず。強大な力は使用者の身を滅ぼす――それは、《月の力》と化物の関係に似ている。
 加えて、この体調。幾ら休息を取っても抜ける事のない疲れを感じ始めたのは、振動剣を使い始めた頃と一致するのだ。
 神が造ったと思われる剣、不調を訴える身体――多少強引ではあるが、関係ないとも言い切れない。
「で、カイルはだから自分は長く持たないだろう、と。前の剣に変えるつもりはないんだね?」
「あぁ、誓ったから。……お前には、何から何まで迷惑をかけっぱなしなのだが――」
「ストップ」
 同じ《月の姫》を護る者、神官として存在するトキワに本当に伝えたかった事を話そうとしたが、それは彼によって中断された。嫌にニヤニヤとしている口元とは逆に、その金色の瞳は真剣さを物語っている。
「何を今更? 君が謝るなんて、月が三回回って落ちる位に愉快で不吉、有り得ない現象ですよ?」
「……何だ、その阿呆のする行動の喩えは」
 あまりの言われように、カイルは微笑しながら言い返す。
「あくまでも喩えですよ? いつもなら、姫の言い付けだけ伝えてさっさと帰っちゃうくせに。珍しい事されたら、こっちの方が調子狂うってもんです」
「……お前は、」
「ん?」
「……いや、良い。何でもない」
「ちょ、何ですか。気になるから言え」
「うわっ!? 何をする……!」
 真剣な話をしている時位、態度もそれに合わせられないのか――そう言いかけたが止めたカイルに、トキワが食いついた。途中で切られたのが気に食わなかったらしく、緑がかった白髪を引っ張られる。後方に加えられる力のせいで歩きにくくなるカイルには堪ったものではなく、振り払おうと手を払った。
 だがその手は直ぐに離れていき、見れば相手はさも可笑しそうに肩を震わせ、必死に笑いを堪えている。
「――っ、あー可笑しい! 最近神官らしくなったなーと思ってたけど、やっぱり変わってないね、カイルは!」
「お前な……!」
 憤慨し怒鳴る勢いでトキワを睨み付けるが、ふと心の中にあった死への不安が薄くなっている事に気付く。
 ――まさか、わざと……。
 自分の不安を和らげる為に、わざと阿呆な事を言ったりしたのか……と思ったが、元々こういう性格の奴だ。本当の所そうなのかは分からないが、取り敢えず感謝だけはしておく事にする。
「さーて、今日は調査か。中央丘って、一体どうなっているんだろうね」
「……さぁな。しかし、間違いなく何かあると思っている」
「それは同感。――というか、そもそも《月の力》って何だろうね? 化物を倒すには必要だけど、僕らが取り込み過ぎたら化物になるし……なくなった方が良いのか悪いのか、全く分からないよね」
「なくなった方が良い。……まぁ残りをどうやって倒すかは考えなければならないが、少なくともこれ以上増える事はない」
 ――そう、ない方が良い。人間に害なすものは、例え後に必要となろうと。探せばまだ安全な方法は残っているかもしれないのだから、堂々巡りになるよりはその一筋の可能性に賭けた方が、余程ましだ。
 はっきり言ったカイルを、トキワはなぜか複雑そうな微妙な表情で見やりながら、相槌を打つのみだ。
 そうして集合場所である馬舎に着いた時には、シオンとアストラルが準備万端な状態で既に待機していた。遅れた事を詫びつつ(とは言え、まだ指定された時間には達していない)、ミシェルから預かった武器を彼らにも渡し、発問する。
「どうだ? 状況は」
「いつでもOK。お前達二人を待っていたんだぞ? 何をしていたんだ」
「……すまない」
 苦笑を浮かべ言うアストラルに、申し訳なさそうに謝罪する。その隣に座るシオンも、頭の後ろで腕を組みながら立ち上がった。
「別に良―けどさー。早く出発しねーと、終わるのも帰るのも遅くなるぜー?」
「そうだね、何だか雲行きも怪しいし……急ぎますか」
 会話もそこそこに、一同はすぐさま出発する事にした。神殿に残る従者と一言二言交わし、共に中央丘へと向かう者には始終神官の指示に従って貰う旨を伝達する。
 そうしていよいよ出馬という時、見送りにと意外な人物が現れた。
「皆、待って下さい!」
「ディアナ!?」「姫?」「姫さん」
「……どうした、ディアナ? 外は危険だと……」
 カイル、トキワ、シオンが彼女の姿に同時に驚きの声を上げ(トキワはまたも敬称になっている)、唯一あまり動じなかったアストラルが代表して諌める。
 現れた者――ディアナは僅かに息を切らし頬を紅潮させながら、彼らの前に立った。
「たまには、送り出してあげようと思って。いつも知らないうちに出て行ってしまうんだもの、あなた達」
「だからって……」
「ま、気持ちは嬉しいけどさ。ありがとな、姫さん」
「フ……。すまないが、俺達が行った後の姫の護衛も頼む」
 アストラルが神殿に残る従者に言い、彼らから了承の意が返ってくるのを横目に、ディアナがカイルの乗る馬の傍に駆け寄った。自分よりも大分上にある彼の顔を見上げ、微笑みを浮かべる。
「……ディアナ」
「ごめんなさい。でも、どうしても来たかったのよ。――頑張って下さいね、私はあなたを……皆を頼りにしていますし、早く帰って来て欲しいと願っていますから」
「――はい、分かっています」
「お二人さーん、語らいも良いけど、行かねーともっと遅くなるぜー」
「わ、分かっている……!」
指摘されたのが恥ずかしかったのか、カイルがどもりながら言い返す。シオンはにやにや笑いを浮かべ、彼の様子を楽しんで見ているようだ。
ディアナは道を開け、一同の行進の妨げにならない場所へ移動した。それを確認したアストラルが、カイルに合図を送る。
そして、主である《月の姫》の見送りを受け、彼らは中央丘の調査へと出発した。