御伽噺:05

 カイルが神官に即位した後の数日間は、以前までの彼には想像もつかない出来事の連続だった。
 一生縁のない事と思っていたディアナの演説を間近で傾聴し、毎日化物・魔物を問わず夥しい数の脅威の根滅を目指し奮戦する。何より、毎日の食に苦しむ事のない生活は、心の中で密かに願っていた事だ。
 傍から見れば羨ましい事この上ないが、長年ギリギリの生活を続けてきたカイルにとっては、正直戸惑いを抱かずにはいられなかった。最初は、小綺麗な神官の制服にも恐縮の念を抱いていた位である。
 ともあれ、カイルは下された主命を確実にこなし、時には同じ神官と共闘しながら、着実に信頼関係を築いていった。

「…………?」
 カイルは討伐を終え、ディアナのいる月の間へと向かっていた。今回の標的は大型の魔物が相手だったが、然程苦戦を強いられる事もなく倒す事が出来、無事神殿へ帰還したという報告をする為だ。
 その道中、神殿を出る際には――いや、神殿に暮らし始めてから今まで見かけた事のない姿に、目を丸くする。
 この神殿に住む者は、ディアナやミシェルを除くとほとんどが二十歳を超えている大人達が大半だ。だが、今自分の目の前にいるのは、明らかにミシェルより子供である。
 ――迷子……?
 取り敢えず話しかけてみようと、男の子か女の子か分からない体躯と容姿をしたその子供に近付く。足音は、怖がられないよう意識的に大きく立てた。
 それに気が付いたのか、外の景色を縁に腰掛け見ていた子供はカイルの方を向き、大きな空色の瞳をぱちくりと瞬かせた。
「……こんにち、は」
 子供と触れ合った事のないカイルは、後の印象付けにも成り得る第一声を何にすべきか一瞬悩んだが、無難に挨拶をしてみる。相手はきょとんと呆け、直ぐに満面の笑顔になり縁から軽やかに跳び下りると、彼へと駆け寄ってきた。
 そのまま彼の腰へダイブし、ぎゅうぅっと力を入れて抱き付く。意外と力強い勢いに転倒しそうになるが、男の意地と根性にかけて踏ん張った。
「家、は?」
 公の場とも言えるこの場所で迷子とは、冷静に考えれば有り得ないだろう。しかし、万一この子の親が捜していたら大変だろうと思い、それなら早急に送り届けるべきだ。
 だが、そんな彼の思慮とは反し子供はくっつくばかりで、何も答えようとしない。嫌がられるよりはマシだが、こうも懐かれると逆に接し方に困る。
「あ、スィール! こんな所にいたの……カイルも、お帰りなさい」
 そこへ、天の助けと思えるディアナの登場に、スィールと呼ばれた子供はカイルから離れ彼女に抱き付いていった。
「ディアナ……? この子は……?」
 ようやく慣れてきた呼び捨てでの問いかけに、ディアナは一笑し頷いた。心なしか、喜んでいるように見えるが気のせいだろう。
「スィールと言って、私ととある友人との橋渡しの役目を担ってくれている子です。人間と同じに見えるけれど、この子は精霊と言う世界を守る“神族”の一人。あまり人には懐かない、人見知りする子なのですが……」
「世界を守る、“神族”?」
「はい。人前に現れる事は少なく、私達と同じような姿をしているので見付けるのも困難だとか」
 ディアナの話によると、この世界に存在すると云われている神は、そのほぼ全てが人間に紛れて暮らしているそうだ。その彼らを纏めて“神族”と呼び、度々力を貸して貰っているのだと言う。
 と、そこでディアナが一旦閉口し、何かを模索し始めた。その間カイルは、再び腰に抱き付いてきたスィールに戸惑うばかり。
 やがて彼女が顔を上げ、ポン、と両手を叩きながら発言する。
「カイル、スィールをお家まで送ってあげてくれませんか?」
「え?」
「お家でしたら、この子が教えてくれます。それに、一度は彼女に会っておいた方が良いでしょう。あ、お疲れなら断って頂いて構いませんよ?」
「彼女……? えぇ、構いませんが……」
 突然の提案に、カイルは訝しみながらも頷いた。ディアナの言う彼女が何者なのかは察しがつかないが、例え「断って良い」と言われても主の願いを聞かない訳にはいかない。
 ディアナはカイルの了承を得ると、スィールの傍に腰を落とし、言い聞かせるように問う。
「スィール、このお兄さんをあなたのお家まで連れて行ってくれませんか? また、ここでいつでも遊んで良いですから」
 その言葉に、スィールは二人を交互に見やる。僅かに首を捻った後大きく頷き、カイルの黒衣の裾を握った。どうやら、連れて行ってくれるらしい。
「じゃあ、お願いしますね」
「はい、行ってきま……、ちょ、待……」
 ディアナの笑顔の見送りに答えようとしたカイルだが、先を急ぐのかぐいぐいと引っ張るスィールに気を取られてしまい、返事もままならなかった。

 前を歩く子供の様子を見ていると、成程他の人間の子供より大きな力を感じるな、とカイルはぼんやり思う。
 中性的で少年とも少女とも取れる顔立ち、少し尖った耳。髪が風に靡く様は、まるでたゆたう白波のようだ。
 とてとてとて、と歩く歩幅はやはりカイルよりも狭く、時折危うく転びそうになる。そういった時は自分が支えてやるのだが、スィールは礼を口にはせず、代わりに嬉しそうな表情で抱き付いてくる。こちらが話す言葉は理解しているようなので、恐らくは喋れないのだろう。そう思う事にした。

 そうして辿り着いたのは、内陸の窪みに入り込んだ水が溜まる湖――後に、浄化と言う意味を持つ“プルガシオン湖”と呼ばれるようになる場所だ。穏やかに立つ漣に波の花が映え、覗き込めば自分の顔が綺麗に映し出されている。
 水辺に棲む動物が集い、綺麗な湖水で己の喉を潤す。辺りの木々も瑞々しい木の葉で着飾り、湖をよりいっそう美しく仕上げる要素となっている。
「……凄い」
 見た事もない壮麗とした風景にカイルが茫然としていると、スィールが再び服の裾を引っ張ってきた。早く、と先を促しているように見えたので、「すまない」と謝罪し慌てて足を動かす。
 暫く水辺を歩いていると、不意に歌が聞こえた。楽器の演奏で形成されるものではない、ただ人の声だけのアカペラが。
 更に進むと、やがて水辺に動物の群れが見えた。鳥や栗鼠、狐といった小動物は、一ヵ所に集まって佇む。少し離れた所には、汚れ一つない白い毛並みを持つ一角獣が、動物の群れに加わる事なくぽつんと立っている。
 スィールがカイルの許を離れ、それらの方へ駆け寄っていく。それに気が付いた動物達は道を開け、中心にいる者へと行けるようにしてくれていた。
「――と、スィール。おかえり」
 己へと飛び付いてきたスィールをいつもの事のように受け止めた人物の声は、先程まで歌っていた声と同じ声だった。女性特有の、高いソプラノ。
 彼女は、所在なさげに立っているカイルを一瞥すると、湖に浸していた足を抜き取る。スィールを抱いたまま立ち上がり、彼に向けて微笑んだ。
白緑の髪は前からではクセのあるショートカットにしか見えないが、動物の尾のように長い一束のそれは一括りにされている。あまり派手な服装でもなく、大人の落ち着きや清廉潔白とした印象を抱かせる女性だ。
灰色のブラウスの上にはベストを羽織り、ふわふわ揺れるフレアスカートは膝下以上の長さがある。
動物達に道を開けてくれた事の礼を口にしながら、彼女は早足にこちらへと歩み寄ってきた。
「初めまして、よね? スィールを送ってくれてありがとう、ディアナの神官さん」
「あ、いえ。貴女が、スィールの……」
「えぇ、姉……かしら。わたし、そんな年齢でもないしね。わたしはリツ。あなたは、何て仰るのかしら?」
「カイルです。という事は、貴女も神族なのですか?」
 簡単な自己紹介と一緒にかけられた問いに、彼女は一瞬きょとんとし(その表情はスィールに酷似していて、やはり姉妹のようだと思う)、直ぐにコロコロと笑った。
「いいえ? わたしはただの人間よ。ちょっと彼らに近いだけで、神様じゃないわ」
「……?」
「そうねぇ……神様と人間の子供、と言ったら良いのかしら。――立ち話もなんだから、わたしの家に行きましょうか」

 彼女の住んでいる家は、湖の側にあった。
 道中もたくさんの動物が、彼女を慕い近寄ってくるのを見ていると、リツもまたどこか人間離れしているのだと感じる。
木造二階建ての家に住んでいるのを知り、カイルは魔物をどうやって退けているのかが気になった。訊いてみると、
「彼らが追い払ってくれるのよ。それでも、まれに中まで入り込んでくるのがいるんだけど、その時は魔法をお見舞いしてあげているの」
という、多少冗談なのか本気なのか分からない返事が返ってくる。その視線は、周囲にいる動物や少し後ろから付いてくる一角獣に向いていた。
 家の扉を開き中へ招かれれば、生活に必要なもの以外はあまりなくすっきりとした、暖かい雰囲気の部屋に迎えられた。何となく――もう帰る事はない、誰もいない自分の家を思い出す。まだ家を出てから数日しか経っていないというのに、少し懐かしくなった。
 棚に並べられているポットと茶葉が入った瓶を手に取りながら、リツはカイルに椅子を薦める。礼を言い腰かけると、ギシ、と木が軋む音がした。
「ディアナが来て以来だから、何カ月振りになるのかしら。お客さんが来たの」
「ひ……ディアナも、ここへ来るのですか」
「えぇ、たまに。元々住む所を追われる身だったから友人もいなくて、行く当てもないって時にディアナと会ったの。ここに住む手配とか、色々手を焼いてくれて感謝してるわ。――はい、お茶」
 楽しそうに声を弾ませながらリツは答え、淹れたお茶のカップを差し出してくる。この匂いは、ジャスミンティーだろうか。
「あ、ありがとう。……それで、あの」
「分かってる、話の続きね? 結構長くなるんだけれど、大丈夫かしら?」
「えぇ、お願いします」
 リツは自分のカップをテーブルの上に移し、空いていた椅子に座る。
「お願いされました。カイルは、この世界にいる神様と神族をどれだけご存知?」
「ディアナやスィールが、神族だと聞いています。神は……我々を生み出した大いなる神《マグニス》、この前少し触れた陸、空……それ位、ですか」
 右手を指折りながら数えていくと、意外に名前だけなら知っている事に驚く。だがそれはあくまでも“聞いただけ”であり、“知っている”と言える程ではない。
「そう、陸は《バハームト》、空は《ジズ》。陸と空とくれば残りは海。海は《リヴァイアサン》という名の神様なの。訂正するなら、ディアナは正しくは神族なのではなく《神子》なんだけど、まぁこれはどちらでも良いわ。そういった意味では、わたしも神子と言えるのかな」
「と、言うと?」
「わたしはね、歌で《月の力》の制御が出来るの。その力を使って、ディアナや中立の空と同じように世界のそれのバランスを保つ事が、わたしの役目。彼女達のように大きく貢献してはいないけれど……でも、神様や魔物の気を静め、均衡を保つ事は私にしか出来ないから」
「……???」
 教学を受けられる場所など行けるはずのない人生を送ってきた自分は、彼女の話だけでも相当難解に思えてしまう。それに腹が立つが、それでも必死に理解しようと試みた。
 そんな彼の姿が面白かったのか、リツは苦笑交じりに吹き出す。
「そ、そんな必死に理解しなくても良いわ。要は、わたしとディアナ、空が《月の力》の調整役と思ってくれれば、間違いじゃないんだから」
「め……面目ない……」
「話を戻すわね。早く言ってしまえば、ディアナ達や精霊といった《月の力》を使う者達を“神族”と呼んでいるの。神族は、本来人目につかないよう姿を変え、人間に紛れて世界を見ている。《マグニス》とディアナは、別だけどね」
「隠れて……」
「触れたって事は、会ったんでしょう? セクウィに」
「! 彼、が?」
 先日の盗賊捕獲の際、現れたあの切れ長の瞳の男。確かに人間とは思えない容姿と身体能力を持っているとは思ったが……彼が、その一人なのか。
そこまで考え、カイルはふと首を傾げる。
「……彼は、ヴィエントという盗賊を追っていた。もしかして、」
「あれ、ヴィエントにも会ったのね。なら、話は早いわ。あいつは陸のバハームトよ、ベヒモスでも間違いないけど。しょっちゅう役目を放棄してどこかへ行くものだから、セクウィが追いかけているのよ」
「なるほど……」
 世界を見守り先導する役目を負っているというのに、彼がやっている事はそれとは真逆の、混乱に陥れかねない行為だと自分でも分かった。セクウィが“仕事”ではなく“義務
”と称したのは、この為だったのか。
 妙に納得した気分でそう結論付けていると、リツが不安そうに目を伏せるのが目に入った。

「ただでさえ、最近は力の均衡が乱れて大変だって言うのに……」
「……バランスが、ですか?」
「世界に存在する《月の力》のバランスが崩れる原因はね、色々あるの。確かに魔法エネルギーに変換すれば絶大な力にはなるけど、世界の均衡を崩す事になる。人にとって、弊害をもたらす麻薬になるのよ。幾ら《月の力
》を糧にする神様だって、許容以上のそれを体内に取り込めば化物になってしまうわ」
「化物……」
 カイルは、己の育て親と言える存在だった老人の最期を思い出す。
 ぎらぎらと嫌に輝く赤黒い目、黒い体。非力な人間とは言え、異形のものとなってしまったその力は、恐れを抱かずにはいられない。もし、神と呼ばれる程の強大な存在が化物と成り果ててしまえば、
「確実に、世界は滅ぶわね」
 自分の思考を先回りしたような発言にしては、彼女が簡単に口にした世界の未来に、カイルは思わず咎めるような視線を返す。
「だってそれ以外にないでしょう? 現実に起こりうる事だから、目を逸らしてちゃそれこそ身の破滅だわ。だから、バハームトにも役目を全うして欲しいのだけれど、あいつああいう性格だし。出来れば……リヴァイアサンが呑まれてしまう前に、」
「え……?」
 彼女が最後に言おうとした言葉が上手く聞き取れず、カイルは訊き直そうと開口する。
しかし、それは
「ただいま、リツ!」
という少年の声に阻まれた。
 声の方を向くと、玄関の入口に二人の少年が立っている。髪の色や瞳は違うが、驚く程にそっくりな容姿を持つ二人は、どかどかとリツの傍に駆け寄ってきた。
「おかえり、ソーレ。ヘリオスも」
「ただいま」
 きらきら輝く銀の短髪を持った少年が、声をかけたリツに赤い瞳を向ける。
「カイル、この子達も私の同居人よ。こっちがヘリオスで、そこの無駄に元気なのがソーレ」
「無駄に元気とは何だよ!」
「本当の事でしょう?」
 変に紹介された事に異議を唱えたスカイブルーの髪の少年――最初に家に入ってきた方で、こちらがソーレらしい――は向かいに座るカイルを睨み付ける。
 やたらじろじろと、観察でもするかのような不躾な目で見られる側としては堪ったものではない。座っていて彼からは全身を見られる訳でもないのに、自分の全てを注視されているような気さえする。
 そんな言いようのない不安に駆られ話しかけようかどうかカイルが悩み始めた頃、彼はようやく踵を返し、
「フン」
と鼻息荒く部屋に戻ってしまった。もう一人の少年――ヘリオスは困ったような表情を浮かべたが、やがて兄を追いかけて部屋に消える。
「驚いたでしょ? 双子なの。ディアナの弟……みたいだけど、ちょっと事情があるとかで一緒に住んでいるのよ」
「ディアナの、弟?」
 神官になってから――いや、神官になる前も合わせると、自分が一番話をしているのは多分、ディアナだ。普段の出来事、狩りが好きな訳、他にも色々話したが、彼女に弟がいるとは聞いた事がない。それを不思議に思いつつ、自分には関係のない事だと頭の隅に追いやった。
 それにしても、弟の方はともかく兄の方は些か気性が荒そうだ。
「あら、もうこんな時間。夜は危険だから、早めに帰った方が良いわ。今日は、来てくれてありがとう」
 リツが言いながら眺望する空の日はまだ高い位置にあるが、大陸のこの時期の日没は早い。それに、彼女から聞いた《月の力》の脅威と性質を考えるなら、早く帰るに越した事はない。
礼を述べられたカイルは、腰を上げながらとんでもない、と首を振った。
「いえ、こちらこそ。色々話も聞かせていただきましたし、大変参考になりました。では、これで失礼し……わっ!?」
 失礼します、と言い続けようとしたカイルだが、突然背中より下からの強烈な衝撃に体勢を崩す。危うい所でテーブルに手を付いて転倒を免れるが、下手をすればそれと共にひっくり返っていたかもしれない。
 衝撃の正体は、先程まで話を静かに聞いていたスィールだった。
 地味かつ強力なダメージに疲れた顔で振り向くカイルは、相手の小さな背中に不釣り合いな、さっきまではなかった無骨な剣があるのに気が付く。
「……これは?」
 自分の視線に気が付いたらしいスィールは、いそいそと剣を鞘ごと背中から下ろし、水平に掲げた。まるでカイルに渡そうとしているようなその行動に、リツが驚きの声を上げる。
「珍しい……スィールが、初めて会った人間に物をあげようとするなんて。しかもそれ、大切にしてた剣じゃない」
 リツの台詞にスィールは頷き、今度は背伸びしてまで剣を持ち上げ始めた。重そうにしていたので慌てて受け取ると、嬉しい時に見せた笑顔を浮かべている。
 カイルは取り敢えず、剣を構えてみた。今自分の腰に吊っている、育て親の彼から貰った唯一のものである片手剣よりは少し重いものの、扱えない重さではない。
 柄はまるで昔から使っていたかのように己の手に馴染み、初めて持った気がしない、と思う。中抜きにされた刃には何らかの文字が書かれ、中央には緑色に輝く宝石が嵌め込んであった。
「これを、私に?」
 スィールの行動の意味を問えば、返ってくるのは肯定を示す笑顔。だがリツはそれに難色を示し、開口する。
「その剣はね、わたしの本と同じで神様の力が宿っているのよ。ディアナの祈りと同等、いえそれ以上の力を持つそれは、勿論《月の力》だって跳ね返せるわ。でも……刃に、文字が彫ってあるでしょう? それ、“護るべきもの斬りし時、汝の命尽き果てん”ってあるの」
 小物や書物が並んでいる、棚の隅に寝かせている本を手に取り胸元に掲げながら、リツは言う。その本も、とても普通の本とは思えない“何か”を感じる。
「……だから、生半可な決意で使わない方が良いかも。スィールには悪いけど」
「護るべきもの……」
 カイルは、彼女の言葉を呟くように反芻させた。それを問われ、自分の心に直ぐ浮かんだもの。
 それは――。
「……いいえ、是非使わせていただきます」
「大丈夫?」
「はい。私は、決して彼女――ディアナに、刃を向ける事はしません。それを、この剣に誓おうと思います」
 腰のベルトに手をかけ、剣の鞘を取り付ける。左右に分けると動きにくいので、左手で抜きやすいよう右側に一貫した。
 カイルの強い言葉とその翡翠に宿る思いを察したのか、リツはそう、とだけ呟いてそれ以上止めようとはしない。何か言いたそうではあったが、カイルが敢えてそれを訊く事はなかった。