国は、神殿から鳥瞰した際に抱いた印象通りの、喧騒と活気に包まれた町並みが広がっていた。
住み慣れている者ならまず迷わないであろう道は、二・三度位しか訪れた事のないカイルにとって迷路のように見えてしまう。意外にも道は複雑に入り組み、建物はどこを見ても似たような造りのものばかり。迷うな、と言うのが無理である。
市場はたくさんの人間が往来し、我先にと店へ飛び込んでいく。より良い食材を求めるのならここしかない、とでも言うように。
そんな中、カイルとシオンの二人は明らかに浮いていた。
簡素な装いをしている住人の中に、小綺麗な装束を纏い立っているせいでもあるが、一番の要因は、彼らの両腕と腰に存在する武器だろう。他の民は、誰一人として武装していない。
「……?」
行き交う人々を観察していたカイルは、彼らが皆同じ形をしたペンダントを下げているのに気が付く。遠目からでははっきりとした形が分からないが、丸……だろうか。
そんな彼の視線を追いかけたシオンが、ああ、と呟いた。
「あれ、姫さんの“祈り”が込められたペンダント」
「……“祈り”……?」
言葉の意味を理解出来ずおうむ返しに発問すると、シオンが頷いて説明を始める。
「神《マグニス》に祝福されている姫の祈りには、時間操作と同様不思議な力と加護がある。住人が《月の力》で凶暴化しないのは、そのペンダントがあるからだ。国の住人全員が持ってる」
「……シオンや、他の神官達は? 見た所、誰も持っていないようだったが」
「オレらのは、これさ」
腕に装着している鉄甲手を軽く鳴らし、シオンは神官が持つ武器に仕掛けがある事を口にした。
元々化物は、《月の力》に呑まれた人間や魔物が変化して生み出されたものであり、それによって強化された肉体は並みの武器では歯が立たないのだ。目には目を、歯には歯をとは良く言ったもので――それを打ち砕く事が出来るのは、同じ《月の力》を帯びた武器による攻撃だけ。そして、それを持っているうちは《月の力》に囚われる事はないのだそうだ。ちなみに、力を武器に宿らせるよう施したのは、やはり神官ミシェルらしい。
と、言う事は。
「化物になってしまった者は、凝縮された《月の力》でないと対抗出来ない……?」
「そう言う事だな」
何でもない事のように言うシオンは、話は終わったとばかりに再び目標の捜索に戻る。が、カイルは己の中に芽生えた疑問について思考を巡らせた。
――何故、自分に彼を倒せたのか、と。
シオンの話が本当なら、普通の人間では凶暴化した化物を倒す事は出来ないはずだ。例え腕に自信のある者や、日常的な戦いで経験を積んでいる者でも、相手にダメージを与えられなければ意味がない。
「――あーっ!!」
「っ!?」
思考の無限ループに陥りかけていたカイルの耳に、突如としてシオンの雄叫びが響いてきた。何事かと振り向けば、彼はいずこかへと走り出している所。その視線は、上空に向いている。
慌てて彼を追いかけ問えば、興奮した様子で空を指差し答えが返ってきた。
「見付けたんだよ、ヴィエントを!」
バサバサバサ、と首に巻いたマフラーが、喧しく音を立てながら風を泳ぐ。
神殿の次に高さのある建物、主に見張りに用いる塔の天井は、住人が住まう家々と同様平たくなっている。しかし、幾ら平たいとは言え、そこに人が乗れるとは誰も思わないだろう。そもそも飛び移るのが困難であり、命懸けの高さなのだ。
にも係わらず、今そこに人が立っていた。
ぴんぴんと好き勝手に跳ねた白髪は、特徴的な模様が描かれた青いマフラーのように、風に揺れている。その長さは、二十歳にしては高い彼の身長並にあった。
身に纏う衣服は所々泥が付着しており、裾は糸が解れボロボロだ。一見すれば、民族的な風習に則り服を何枚も重ね着しているようだが、実際にはとても身軽で動きやすい着こなしをしている。
そして、深海の蒼に似た瞳は眼下に広がる大陸――国を見渡し佇んでいた。
足場はしっかりしているとはいえ、吹き付ける風は地上のそれよりも強い。そんな場所に腕を組んで立つ彼は、とても面白くなさそうな表情だ。
「……ん?」
だがそれも、何かを見つけた事で嗤笑へと変化する。ニィ、と口の端を吊り上げ、国の一点を注視しながら呟く。
「何か面白ぇ奴がいんじゃねぇか……さて、暇潰しと行きますか」
すると彼は、優に百メートルはあるだろう塔の天辺から、まるで階段を下る時のような気軽さで、
国へと飛び降りた。
「……?」
最初は、気のせいだと思いつつ気配の出所を確認しようと注意していたが、カイルは考えを改めた。
――誰かに、見られている。
シオンの背中の向こうに見える塔が大きくなるにつれ、比例するように強くなる気配。否、殺気……だろうか。
心臓を射抜かれそうな鋭い殺意と威圧感は、辺りにいる同じような服装の国の住人が発せられるものではない。正体が分からぬ感覚に、額から嫌な汗が流れるのを感じた。
彼も気が付いているのだろうか――カイルは慎重に、殺気を放つ相手に悟られないよう自然な動作で、シオンに声をかける。
「シオン、今――」
「あ?」
前を疾走するシオンがカイルを見れば、彼は必然的に後方を向く事になる。それは、同時に前方への警戒が弱くなるのと同意義であり、攻撃されてしまっても直ぐに反応できなくなってしまう。
「――危ない!」
彼の前方から何かが飛んでくるのに気が付いたカイルは、ただ声をかけるだけでは間に合わないと判断し咄嗟にシオンの腕を引っ張った。バランスを崩した彼が気の抜けた声を上げた気がするが、気にしている暇はない。
飛来してきたそれは、一瞬前までシオンの左目があった高さを直線的に駆け抜け、背後の家屋の土壁に跳ね返った。からん、と乾いた音を立て地面に転がったのは、細やかな装飾がなされた十字架のような武器。先端が鋭利に尖っているが、刃は付いていない。
カイルは見た事のない武器に訝しげに注視するが、逆にシオンには覚えがあるのかほくそ笑む。体を地面から起こし、心底嬉しそうに武器が飛んできた方角を見やった。
「スティレット……来やがったな」
「もういい加減ウゼーんですけど、神官。心優しき姫は全ての民に平等に、の志はどうしたんだボケ」
現れたのは、先程塔の天辺で国を一望していた青年であり、彼こそが“疾風の盗賊”ヴィエントだった。羊を狙う盗賊を数え切れない程討ち倒してきたカイルだが、それらよりも一際激しく、恐ろしい殺気を放つ瞳に慄然とする。
一方、予想よりも早い彼の登場に闘争心が高まったのか、シオンは鉄甲手を鳴らす。その表情は、普通にしている時よりも生き生きと輝いているように見えた。
「アホか、お前。前科持ちのお前が何かしでかすんじゃねーかと心配した姫が、オレ達を寄越したに決まってんだろ」
「……“達”?」
シオンの言葉に、彼――ヴィエントは億劫そうに首を回し、近くにいたカイルと目を合わせてくる。そして一言、
「ああ、――お前か」
――っ!!
まるで、好物の獲物を見付けた獣のように薄ら笑うヴィエントに、カイルは今度こそ背筋を凍り付かせた。そして、先の殺気と威圧感の正体を悟る。
こいつは、相手にしてはいけない。頭の中で喧しくなる警鐘に、だがカイルは従わなかった。いや、従えなかった。
そんな彼の恐慌など露知らず、シオンは尚もヴィエントに闘志を向け続けている。根っからの戦闘狂には、己に向けられた殺意でさえも自らを奮わせるスパイスに過ぎないらしい。
だが、ただ豪胆な性格をしているだけで決して冷静さを失った訳ではなく、疑問に思う事を訊くだけの理性はあるようだ。
「知り合いか?」
「いんや、初対面。そんな事よりもよォ……お前、俺が大人しくお縄になるとでも思ってんのか?」
「全然。というか、そうでなきゃこっちも面白くねーんだよ」
「承知の上か、そりゃあ良い。二人纏めてかかって来いよ、相手してやる」
チャ、とどこかから出された十字短剣が、ヴィエントの手中に現れる。体型を見抜きにくい服を着ている為あとどれ位の予備があるのかは分からないが、少なくとも戦闘が直ぐに終わる量ではないだろう。
相手の攻撃姿勢に喚起され、シオンとカイルも各々の武器を構えた。尋常でない雰囲気を察したのか、外にいた住人達はそそくさと家の中に避難していく。取引に使われそうな標的がいなくなるのは、事前に聞いた彼絡みの事件の事もあり、願ってもない事だ。
「いっくぜええぇえ!!」
先陣を切り駆け出したのは、シオンだ。地を蹴り、砂を巻き上げながら右手を振り上げ、ときの声と共にヴィエントに殴りかかる。
だがそれをあっさりと避け、彼は振り向き様に十字短剣を放つ。狙いは、モーションが大きく体勢を崩したシオンの胸部。軌道を先読みしたカイルは即座にその間に割って入り、片手剣で遮った。
そのまま逆袈裟を繰り出しヴィエントがまたも避けたのを確認すると、一歩後退する。入れ替わりにシオンが現れ、相手の動きを押さえようと勢いを乗せた掌底を放った。煽られた前髪から覗く彼の紅い左目が、更にギラギラと輝き出す。
しかしヴィエントはそれさえもかわし、掌底は空を貫く。まるで蝶や鳥のように、身軽で軽捷な身のこなしをする相手である。
「流るる氷柱、全てを貫かん雨。氷よ、降り注げ」
「おっと……!」
言霊により具現した氷柱はシオンとカイルを取り囲み、ヴィエントが立てた親指を下に向けた瞬間、それが恐ろしい速さで飛翔――落下する。そのタイムラグの隙に落下地点から逃れられなければ、二人仲良く串刺しになっていた所だ。
魔法を使った直後は、直ぐには次の行動に移せない。それを逆手に取り、再び片手剣を向けヴィエントを見据える。今度は彼も避けず、手元に残っている十字短剣を交差させて攻撃を受け止められた。
「なかなかじゃねぇの……」
「っ!」
マリンブルーの瞳に見え隠れする狂気に、カイルは思わず目を逸らしかけるが、出来ない。体が彼の剣呑とした狂気に畏怖し、竦んでしまいそうだ。
十字短剣と片手剣、重量や質量では間違いなくこちらが勝っている。が、それが勝敗を決める要因には成り得ても、決定打にはならない。
――キィン!
互いの武器を弾き返し、距離を取る。
「へ……。お前、楽しいじゃねぇか。特別に名前を訊いてやる、言え」
「……カイル。カイル=エンデュミオン」
「カイル、か。お前には、俺と同じ何かを感じるぜ。とことん殺り合おうじゃねぇか」
「オレも忘れんなよ、ヴィエント」
「ハッ、知った事か。消えてろ!!」
一時の静寂を経て、ヴィエントが十字短剣を投げる動作を開始。シオンも弾丸の如く飛び出し、カイルが片手剣を上段に構えた。その、刹那。
――シュルシュルシュル!!
「!!?」
三人の間を、いずこから滑翔してきた何かが風を斬りながら通過する。それは地面すれすれを滞空したかと思うと急に高度を上げ、最初に飛んできた方向へと戻っていく。
パシ!と快い音を立て止まった物は、柄を中心に上下に片刃が付いた短剣だ。元々がそういった物――というより、普通の短剣二振りが石突きで繋げられている、と言った方がしっくりくるか。
その妙な武器を手元に戻した人物は、紫の双眸を怒りに染め、こちらを見下している。
「貴様ら……無用な争い等無駄だと、一体何度言えば理解する。見ているこちらが馬鹿らしくなるだろうが」
「ちっ……シオンみたいに目ぇ良くねぇクセに来やがった。しゃしゃり出てくんじゃねぇよ、セクウィ!」
ヴィエントの罵言を無視し、短剣の持ち主・セクウィは家の屋根から飛び降りた。着地と同時に立ち上がった為、風の抵抗を受けゆっくりと降下していた服の裾が一気に重力に引っ張られる。
「無用じゃねーぞ、セクウィ。こいつが何かしでかす前に紐付けとこうっていう、姫さんの指示だからな」
「む……。そういう事なら、仕方ないな」
引き合いに出されたシオンは、未だ鉄甲手をヴィエントに向け構えたまま開口した。カイルは己が口を挟んで良いものではないと判断し、静観する。
「冗談じゃねぇ、お前が言うと」
「当然だろう、本気なのだから」
「ちっ……折角良い遊び相手を見つけたってのに。しゃーねぇ、分が悪いしここはトンズラすっか」
「出来ると思っているのか?」
諦めたように息を吐き横槍を入れた追跡対象に向け、セクウィが腰のもう一振りの剣――刀身が細く、反りのない刀だ――に手をかけたまま、発問する。
今のヴィエントは、正面にセクウィ、左右にシオンとカイル、そして後方を街に在駐している従者に囲まれていた。もう暫くすれば、先程の会話の最中に出した従者の連絡を受け、トキワも到着するだろう。
四面楚歌、という言葉に相応しいこの状況で、ヴィエントが無事逃げ切れるとは到底思えなかった。
だが彼は嘲笑を浮かべ、言う。
「出来るぜ? ――狂乱せし氷雪、無慈悲に吹き荒べ」
「! させん!」
ヴィエントの意図に気付いたセクウィが一気に距離を詰めようとするが、それよりも早く顕現した吹雪が周囲を覆い尽くした。視界はホワイトアウトし、近くにいるはずの人間でさえ分からなくなる。
何分――実際には数秒だったかもしれない――もその状態が続き、ようやく視界が回復してきた頃には、そこにヴィエントの姿はなかった。
セクウィが体に付いた雪を払いながら、腹立だしそうに悪態を吐く。
「小癪な真似を……」
「くっそー、逃げられたか……。カイル、平気か」
「あぁ、大丈夫だ。……所で、彼は?」
シオンは悔しそうに頭を掻き、さっきまでヴィエントがいた場所を一瞥し愚痴を零す。
律儀にもそれに応えたカイルは、セクウィを視線で示し尋ねた。神殿、いや国に来て一度も会った事のない彼は、己にとって敵か味方かの区別がつけられないのだ。
「あぁ、味方のようなもんだから安心しろ。姫さんの友人、かつ保護者に」
「なるか。……お前がカイルだな。協力感謝する」
「協力?」
カイルは、ディアナから下命されヴィエントと戦っただけだ。先にも述べたように、会ったばかりの彼に感謝される事をした覚えなど、何一つ心当たりがない。
そんな彼の心境を察したのか、セクウィは片手を腰に当て言う。
「奴を捕らえる事に、だ」
「セクウィは、仕事をサボってウロチョロするヴィエントを捕まえようと捜してんだよ。大変だよなぁ、毎度の如く」
「仕事ではない、義務だ。……詳しくは、ディアナにでも聞くと良い」
「んだよ、もう行くのか?」
「当然。またヴィエントを捜さないといけないからな。時間も、残り少ない」
てっきり自分達と共にディアナの元へ赴くと思っていたのか、セクウィの発言を意外そうに受け止めたシオンに、彼は素っ気なく返す。
そして、背中から一対の羽根――白い天使の羽根でも黒い悪魔の羽根でもない、鈍色の鳥の羽根を生やした。広げれば、余裕で片方二メートルはあろうかという大きさだ。
「セクウィ、サンキューな。また神殿に寄れよ、姫さんも喜ぶぜ」
飛び去る直前にかけられたシオンの台詞には直接答えなかったものの、彼が羽根を羽ばたかせた際に片手を上げ了承の意を示していたのに、カイルは気が付いていた。
* * *
「……困りましたね」
神殿に戻ったカイル達は事の顛末をディアナに報告し、彼女はそう呟いて肩を落とす。
「ディアナ……様、彼らは一体?」
まだカイルは正式に神官となった訳ではないので、敬称を付け彼女に問いかける。ディアナもそれを分かっているのか、昼間のようには言ってこなかった。
「うーん……セクウィは、世界を“視る”存在なのです。何らかの異変が起これば、直ぐに解決しようと動いてくれる。早く言ってしまえば私と目指すものが一緒なので、たまに様子見として来てくれるんですよ。詳しくは、後日お話しますね」
「世界を“視る”……」
と言う事は、ヴィエントも彼にとって“世界の異変”と同じだから、始末しようと追っているのだろうか?
――いやしかし、セクウィはヴィエントが義務を放棄しているとも言っていたはずだ。義務とは、何だ……?
自らが見聞した事だけでは、答えには行き着けないであろう問いをカイルが延々と繰り返しているのを見て微苦笑し、ディアナは口を開いた。
「とにかく、お疲れ様でした。シオン、どうでしたか?」
すっかり忘れていたが、今回の下命にはカイルの実力拝見という試験的な意味合いもあった。それをぼんやり思い出していると、ディアナに話しかけられたシオンが答える。
「全然良いんじゃねぇの? 助けて貰ったのも事実だし、実力は申し分ねぇよ。オレが保証しても良い」
「ふぅん……じゃあ、ボクはトキワとアストラルが良いなら良いや。賛成で」
「トキワは?」
シオンの嘆賞に、元々主力の戦闘メンバーではないミシェルが同意の声を上げた。そして、アストラルの視線はトキワに向く。
「成り行きに任せます。シオンがそこまで言うのなら、先ず間違いはないと思うし」
最初からそうするつもりだったのか、肩を竦めて中立を宣言するトキワ。全員の意見が出揃い、最後に彼に協力的だったアストラルが是認した事で、カイルは晴れて神官の仲間入りを果たした。
ディアナは玉座から腰を上げ、カイルに歩み寄るとその手を取り、朗笑を浮かべる。
「カイル=エンデュミオン。汝を、我が懐刀として傍に置く事を認め、これを主命とします。以後、神や国の為に尽力してくれる事を期待しております。――改めて、よろしくお願いしますね、カイル」
「光栄にございます、ディアナ様。貴女の御心のままに、我をお使い下さい」
彼女の言葉に拙い敬語で恭順の意を示すが、ディアナは何故かぷぅっと頬を膨らませ目を泳がせた。何か、失礼な事を言って――。
「……あ。……ディアナ?」
「はい!」
不意に思い出し言い直すと、彼女は再び満面の笑みで返事を返す。良く表情が変わる、快活で純真無垢な人だ――カイルは、改めてそう思った。