御伽噺:03

ディアナ達がカイルの家を訪れ、膝を交えて話した日から数日が過ぎた。

昨日は水瓶をひっくり返したような土砂降りだったが、その激しさも深夜を過ぎた頃から勢いを失い、夜が明けた今は完全に上がっている。地面から生える草花や木の葉に溜まっていた水滴が、それを伝い落ちた。

結局、今日まで彼――カイルが神殿に現れる事はなく、それでもディアナや神官達は、今までやってきたように民衆を守る為の戦いを続けている。
唯一変わった事と言えば、以前にも増して化物の話が多くなってきた位だろうか。多い時には一日に五・六回の討伐をするようになり、担当する神官は朝から夕刻まで怱忙を極めていたのだ。

それだけ、世界を“汚染”している《月の力》が、濃くなっているのだろう。

その日神殿には、それまでと少し違う仕事が舞い込んでいた。内容的にはいつもと変わらないのだが、違うのはその標的だ。

「白い……賊?」

ディアナは、今し方伝達された従者の話に出た単語を復唱すると共に、僅かに表情を曇らせた。

「……彼、ですよね」
「あいつです。ったく、今度は何を企んでいるんだか」
「と言うより、“白い盗賊”と聞いて他に誰かいる?」
「いないな、間違いない」

待機していたトキワ、ミシェル、シオンも口々に声を揃え、複雑な表情を見せている。最近では珍しく仕事が少ない日だったが、アストラルは昨日から魔物討伐に出向いている為留守にしている。

白い盗賊――正しくは“白い髪の盗賊”の事なのだが、一同には心当たりがあった。誰もその人物の名を口にしない中、ディアナが緊張した面持ちで言明する。

「ヴィエント……ですね」

“疾風の盗賊”ヴィエント。持ち前の素早さと残虐さで、狙った獲物は人であろうが動物であろうが逃がさず、自由奔放に生きる青年。この神殿、いやディアナも狙われた事があったが、偶然居合わせた紫の双眸を持つ仲間セクウィによって、事なきを得たのを思い出す。

そう、彼が躍起になって捜し回っている人物でもあるのだ。

神出鬼没で普段何をしているのか想像もつかない相手だが、それがどうやら国の中を彷徨いていたらしく、見かけた住人が従者の一人に連絡してきた。

「今の所何もしてはいませんが、ヴィエントの事ですし何かしないとも限りません。このまま大人しく、という訳にはいかないかと」
「うん、同意。ディアナ、今のうちに捕まえちゃう?」
「うーん……」

確かに、現時点で彼が何かやらかしたという報告は入っていない。だがトキワの言うように、この先何もしてこないという確証はないだろう。ならば潜伏している今から捜索を始め、釘を刺しておいた方が得策か。
ディアナがそう考えを巡らせていると、月の間の入口から足音が聞こえてきた。

「その仕事、彼にもやらせてみてはどうだろうか? ディアナ」
「アストラル! お帰りなさ……い……」

聞き慣れた声に振り向けば、そこには魔物討伐を終えたアストラルと、彼に連れられて来たらしいカイルの姿があった。ディアナは彼を視界に入れると驚愕し、続けるはずだった労いの言葉を飲み込んだ。

カイルはと言えば、ここまで徒歩で来たのか服の泥が先日よりも更に目立ち、道中の苦労を感じさせる。よくよく見れば目の下に隈も出来、細かい傷が覗く。そのせいなのか、少々居心地が悪そうにしていた。

いや、そんな事よりも。彼が、カイルがここに来たという事は、

「あぁ、同志になる決心が付いたそうだ。帰りに街道近くで偶然会ってな、ついでだから羊達も預けてきた」
「……本当は、最終手段として放牧地に置いておこうかとも思っていたので、助かりました。考えが纏まるのに時間がかかってしまいましたが、私にも出来る事があるのなら――そう思い至り、話を受ける事に決めました」
「カイル……」

羊を守る為に戦っていた彼の事だ、そう簡単に考えを改める事は出来ないと思っていたのだが、それは余計な心配だったようだ。

「ディアナ、アストラルが言うように彼にもお願いしてみますか。彼の実力も見られる事だし、一石二鳥です」
「えぇ、それは良いのですけど……その前に、少し休まれた方が。道中厳しかったでしょう? 流石にそのままでは、実力を見せる所か倒れてしまいます」

トキワの発言に賛同しつつ、ディアナはカイルの体調を気遣い休息を促した。
彼の家と神殿は馬で一時間単位の距離があり、人の足では軽く一日を費やす。その上、話通りならアストラルと合流するまでは羊を引き連れていた事が窺えた。とてもじゃないが、その疲弊した体では神官を納得させる実力は出せないだろう。

「じゃあ、彼が起きてくるまでは僕が国を見て回るとしますか。情報も少ないし、民とでも歓談してきますよ」
「ボクはいつも通りだねぇ。どうせシオンも行くのでしょ? ほら、その前に武器の調整しとこっか!」
「へ? ――ぐえ、何すんだよミシェ……」

己より背の高いシオンの襟を掴み、ミシェルは工房へと向かう。身長差のせいで引き摺っているように見えるが、慣れているのかシオンはその体勢のまま器用に歩いているようだった。

放たれる文句をフェードアウトさせながら去る彼らを見送ると、トキワも従者に姫の護衛を任せ国へ出ていく。残ったアストラルがカイルの案内を申し出たが、彼も討伐任務を終えたばかりだ。

「カイルの部屋の掃除と案内は、私と召使いに任せてください。アストラルもお疲れでしょう?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて休ませて貰うが……迷わないようにな」
「大丈夫です! あれから必死で覚えましたから! ゆっくり休んでください」

にっこりと微笑んで明言するディアナに、一抹の不安を感じ苦笑を洩らしたアストラル。気合いを入れる彼女の耳元に顔を近付け、カイルに聞こえないよう囁いた。

「――ディアナも、彼が欲しいのなら頑張る事だ。健闘を祈る」
「え? …………、――!? あ、アストラル、そんな訳じゃ……!」
「では、カイル。ディアナを頼んだ」
「え? は、はい」

アストラルの言葉にディアナは顔を赤くさせ反論するが、彼はそれよりも早くカイルに声をかけ、月の間を去った。逆じゃないのかと首をひねる彼に、二人で残されてしまったディアナが悶々とした気持ちを抑え込み、ぎこちない笑顔で向き直る。

「……え、えっと……。取り敢えず、お食事ですね! あなたの口に合うかは分かりませんが……。その間に、私が部屋を準備しておきます!」

神殿に住んでいる者への食事は、基本的に従者が用意をしている。
非番や本人の気が向いた時にはミシェルやアストラルが紛れ込んでいる事もあり、その場合大抵が大きな騒動になる。本当に料理が上手いアストラルはともかく、まるで何かの実験のように料理するミシェルのものは、まともに仕上がった試しがないのだ。

話を戻し――食材は、民の営む農家や商店、遊牧民からの献上物として納められたものが大半である。ディアナが彼らに呼び掛けたつもりはないのだが、彼女の人柄の為か毎日何らかの食材が運ばれてくる。
今の時間なら、恐らく昼食の準備をしている頃。行けばパンとスープ位は直ぐに出せるかもしれないので、それなら彼の口にも合うだろうと思う。

そう考えながらの食堂へ続く廊下で、緊張からかずっと黙ったままだったカイルが、躊躇いがちではあるがようやく開口した。

「……姫様、私は」
「ディアニカリア、です」
「え?」
「長いし言いにくいと思いますので、単にディアナで構いません。彼らも、私の事をそう呼んでいたでしょう?」

話し掛ける切っ掛けとして彼の口から出た自らの呼称に嬉しくなりながらも、ディアナは訂正を入れる。
それは彼を神官として、或いは仲間として迎える意を示す意味もあったが、大部分は彼に自分の名を呼んで欲しいという彼女の願いの表れだった。
カイルは数秒考え込み、やがて

「……ディアナ、様」

と、敬称付きで言い直した。やはり体に染み込んだ階級の違いは、簡単にはなくなってくれないらしい。

「先に、呼び捨てで構わないとも添えるべきでしたか……。仕方ないですね、突然の事ですから」
「あ、いや……そうではないのです。私はまだ、神官と正式に認められていません。それなのに、貴女を呼び捨てなどと……」
「それなら、安心してください」

躊躇いがちに話すカイルに、ディアナは凛とした声音で言い放つ。

「私は、あなたなら皆認めてくれると信じています。そんなに厳しい人達ばかりじゃないんですよ、彼らは」
「…………」

ふと歩みを止め、廊下の壁にくり抜かれた“窓”の縁に手を置き、外界の景色を見下ろした。

眼下に広がる地面とは異なった、灰色の四角い塊とその間を行き交う人々。その上空には、快晴とまではいかないが気持ちの良い青空があり、鳥が高く飛んでいる。傍目から見れば、こんなに平和的で何でもない風景の中に脅威が潜んでいるとは誰も思わない――思えないだろう。

だが、実際《月の力》は勢力を増加させながら宙に漂い、人間や魔物を豹変させている。それは、信じ難いが疑いようのない真実、なのだ。

「――私は、この世界に住む人々が大好きです。だから守りたい、死なせたくない。けれど……残念ながら私だけの力では、世界どころかこの国の人々を助ける事さえままなりません。だから、色んな同志に助けられ、支えて貰っているのです。どんなに弱くても、いずれ大きな力になると信じて。私は、助力したいという者が現れるのなら来るのを拒みはしませんし、喜んで仲間に迎え入れたいと思っています」

くるり、と国の景色に背を向け、ディアナはカイルに向き直った。自分の動きにつられ視線を動かすその瞳は、やはり綺麗だ――そう思いつつ、彼に右手を差し出す。

「私に、力を貸してください。カイル」
「……勿論です。私は、その為にここへ来ました。私の些細な力で、彼のような悲しい運命を辿る者が、一人でもいなくなるのなら――」

カイルはその手を取り、右足を引いて跪いた。白い手の甲に軽く唇を落とし、言葉の続きを口にするべく顔を上げる。

「この命、貴女様に差し出す所存です」

慣れない事をしているという自覚があるのか、カイルは少し赤くなりながらはっきりと決意を口にした。それを聞き、ディアナは自分の頬の方が、もっと赤く染まっているんじゃないか、と思う。

彼女としては普通に握手を求めたつもりが口付けで返されるとは思いもよらず、気恥ずかしくなってしまったのだ。悪い気は、しなかったが。

食事を簡単に済ませ、案内した彼の部屋――と言っても、必要最低限の家具と固いベッドしかないのだが――に着くと、ディアナは丁重な礼を述べられた。

着替えを用意している事まで伝えると、彼を残して部屋を出る。暫くして、少し様子が気になった彼女はこっそりと彼の部屋を覗き見る。
余程体力を消耗していたのか、はたまた寝付きが良いだけなのか、カイルは服を着替えた後直ぐに眠りに就いたようだった。まだ、十分も経っていないはず。

取り敢えずそれを確認すると、音を立てないよう静かにその場を去る事にした。

日が沈む時間が近くなってきた頃、先に国へ出ていたトキワが戻ってきた。
彼の詳述により、《疾風の盗賊》ことヴィエントは国の北東に潜伏しているかもしれない、という事が分かった。

北東の地域は、神殿の近くに唯一の市場があり、昼も夜も住人が賑わう場所だ。
そこで先日、それらしき人物が歩いていたのを見た、という住人がいたらしい。今もその周辺にいる可能性も十分に考えられたので、早急に確認する必要がありそうだ。

そして、昼少し前から睡眠を取っていたカイルも起きてきた事により、いよいよ調査に乗り出す事となった。

彼は来た時の泥だらけな服装でも寝る際の薄い衣服でもなく、ディアナが用意していた従者が身に纏っているそれだ。仮の物だが、それでも普段より綺麗なその服に若干戸惑っているようで、しきりに服の手触りを確認している。

「じゃあ、説明するよ? 今回街に行くのは僕、シオン。カイルはシオンに付いて行ってね。ミシェルとアストラルは、ディアナの護衛も兼ねて待機。先ずは、市場の周辺から行こうか。ヴィエントを見付け次第、有無を言わさず捕獲する。……かなり要約したけど、大体こんな感じかな」
「質問」
「却下」

国の地図の右上、つまり北東部を指し示しながら説明するトキワに、シオンが手を上げ異議を唱える。だが彼は、その発問の内容も聞かず一蹴した。

「聞いてくれたって良いだろ。何でオレの方なんだよ、お前の方が教育は得意だろ?」

何が、とは言っていないが、当然カイルの事だろう。無視したはずの質問を受け、トキワが盛大な溜息を吐いた。

「絶対言うと思った。効率で言えばシオンは単独の方が動きやすいし、あいつを見つけても直ぐに追えるだろうさ。でも逆に言えば、それは身勝手な行動が多いって事だし、追跡に夢中になって連絡を怠るかもしれない。まぁ……カイルは監視役って所かな? どうせ、ヴィエント見付けたら思う存分殺り合おうって思っていたんだろう?」
「バレてた?」
「短慮軽率且つ直情径行。意味は僕以外に聞いてくれ」

その会話の意図を図りかねるカイルには、アストラルが横でシオンについて簡単に話をしていた。

シオンは元々盗賊だったせいか、野蛮で好戦的な所がある。例え任務中だったとしても、強敵や興味が湧いた者や獣に出会えばそっちのけで挑んでいくという、困った習性の持ち主だそうだ。トキワは、そういった時に彼が暴走しないよう馬で言う手綱――カイルを付けたのだろう。

ふと、そこで何かに気が付いたらしいトキワが、手をぽんと鳴らし開口する。

「おっと……そう言えば、自己紹介させてなかったね。こっちの二人は、僕らと同じ神官の」
「ミシェル=イルミナティ! 護衛の他、主に武器の製作・調整、及び《月の力》の調査をやってるよ。よろしくね!」
「シオン。聞いての通り、強い奴と拳を交えるのを生き甲斐にしている。足引っ張んじゃねーぞ」
「はい。私は、カイル=エン……」
「ストップ」

カイルが続けて名乗ろうとしたにも係わらず、それが言下しないままシオンが遮った。何か、不快にさせてしまう事を言っただろうか――そう思いながら彼の方を見るが、シオンは別に怒っている訳でもないようだ。怪訝に思い、彼の言葉を待つ。

「お前、普段からそんなキャラなのか?」
「……え?」
「主人に大人しく服従する犬みたいなキャラしてんのかって言ってる。確かにお前にとっちゃオレらは目上の、それも普通に生きてりゃ会う事もなかった人間だ。けど、状況次第じゃお前もこっち側になる。今からそんなんで、この先どーすんだよ」
「…………」
「敬語要らねぇからさ、普通に言え普通に。別にきりきりする必要もねぇし。姫さんが良いって言ってるしよ」
「シ・オ・ン? いい加減、口を慎んで貰おうか」

ボキ、と軽く指を鳴らしつつ、裏がありそうな笑顔を浮かべるトキワ。その目は笑う所か怯みそうな怒りの感情を映しており、きっと彼の怒りはピークに達している事だろう。

(そう言えば、私はまだカイルの“素”を見ていないわ……)

やはり大きい身分の差は、彼の本質を出させてくれないらしい。
今日までに彼とは二度会ってディアナが気付かなかった事を、シオンは気が付いた。野性的に見えて、意外と人を見ている――と言えば聞こえは良いが、彼女は彼の右眼が何なのかを知っている。それを裏付けるかのように、彼がいつもそこに巻いているはずの包帯が、今日はない。

そんなディアナの憶見に気が付かないカイルは、暫し考え込むように顔を俯かせた後、皆に向かって力強く首肯した。

「ありがとう。それなら、お言葉に甘えて敬語を止めさせて貰うよ。改めて、私はカイル=エンデュミオン。まだ正式に、とはいかないが……よろしく」
「おう」

さっきまでの自信なさそうな言葉とは打って変わり(恐らく、敬語が不慣れだからだ)
打ち解けた挨拶に、シオンは満足して頷き返す。トキワが未だ呆れた表情のままだが、それ以上咎める気配はない。

場が和んだのを好機とばかりに、ミシェルがわざとらしい咳をして自らに注目させると、笑顔のまま口を開いた。

「よーし、こんな所で雑談してても仕方ないし、街に出てヴィエントを捜そう!」
「お前、居残りだろ」
「うん。だからシオンは、ディアナの馬車馬の如く働くんだよ」
「何だそれ!」

二人の舌戦に誰からともなく苦笑し、そのまま一頻り笑った後は解散となった。