【一次現代】02

「…………」
 腰の位置に刀を納めた鞘を当て、目を閉じる。柄に手をやり、意識を周囲全体に向けた。前方、後方、左右、どこも音は立てられていない。当たり前だ、ここには私しかいないのだから。
 ――その一瞬。カン、と一際高い音が鳴った。
 同時に私は左腕に力を込め、最速のスピードで抜刀し、力の限り振り抜いた。勢いで体を反らせた体勢になりようやく動きを止め、そしてまたゆっくりと刀を鞘にしまう。
 コロコロ転がっているのは、半分に斬られた野球ボール。硬式競技用のものだが、軟式と比べ飛んでくる速さがある為稽古用に使っている。私の五メートル先にある自動ピッチャーマシンから撃ち出されたそれを斬るのは、実に難しい。だからこそ、私はこの特訓を続けている。
 額から流れた汗を拭い、外していた胸元のリボンを結い直し衣服の乱れを整える。

 籠もっていた部屋の隣、黎明警察署の一室の入口には、『関係者以外立入禁止』と注意書きが貼られている。そこは例え所属している署員でも入る事を許されない、秘密裏に動く組織の本部だった。組織の名は《蒼天》。署長――総帥の名の許に、表の世界でおおっぴらに出来ない事柄を処理する特別部隊だ。警察の一部ではあるが、やっている事は他の不良達とあまり変わらない自覚はある。最近ではそれが悪質になっている気もするが、それはさておき。
 ドアノブを捻り、扉を開く。部屋の中は、警察署の中と思うには不似合いな和室。座布団が規則正しく並び、誰一人身じろぎする事なくその上に正座をしている。
 ――いたが、私が部屋に入るとほぼ同時に、幼さの残る少年が足を崩し、面倒臭そうに口を開いた。薄暮朱音だ。
「何? つまり、オレらにあの兄ちゃんを捜せって事なの? それとも、探すのは光の方?」
「……朱音、口調」
「黒音も思うだろ。はた迷惑な兄ちゃんだよなぁ、光を持って姿を消すなんてさ。つか、良く逃げれたよなぁ。無能な奴しかいなかったとは言え、誰にも見付からずに逃げるなんて普通じゃ出来ないねう」
 朱音の物言いに、その場にいた年配の男数人が彼を睨みつける。それに気が付いた隣のゴシック調の服を着たその妹、黒音が窘めても、まるでアウトオブ眼中。本当に、一卵性双生児なのかと疑いたくなる兄妹だ。
 他にいるのは夢幻だけか。全く、夜中は何を考えているのか全く分からない。重要な会合をすっぽかすとは……。私は溜息を吐きながら、いつも座る位置にひかれた座布団に腰を下ろす。右足の直ぐ隣に鞘に納めた刀を置き、スカートを巻き込ませながら膝を折った。
それが合図になったのだろう、会話をしていた全員が私に注目した。
「――話に聞いている通り、総帥のご子息が行方をくらまされた。宵口家に伝わる光を一緒に持ち出したところを見ると、恐らくは前々から計画を立てていたんだろう」
「用意周到だな。して東雲、策はあるのか?」
「飛鳥も同じ能力者なら、気配辿って見付けるとか出来ねーの?」
「無茶を言うな。光を使わん限り、出来る訳がない」
 私が肩を竦めて見せ、夢幻と朱音の発言を否定。
余程気配に敏感な者でないと、力を使っていない光の気配を辿るなど出来ない。それが出来るのならとっくにやっているし、会合を開くまでもないのだから。
「そこで、総帥から命が下された。『光を取り返し、颯を連れ戻せ』と。……方法は問わないそうだ」
「えげつねぇな、相変わらず」
「総帥、怒ってる……」
 黒音の悲しそうな声音と朱音の呆れたようなそれが、部屋の空気を陰欝なものに変える。次に空間に飛び出したのは、夢幻の事務的な台詞だった。
「まぁ、捜索をして詳しい事情を問い質そうじゃないか。でなければ進むものも進まんからな」
「……だな」
 何にせよ、張本人の口から事情を聞かなければ憶測の域を出ないのは確かだ。
 話し合いはそれで終わるはずだった。私が手元にある刀を掴み、立ち上がると、「あ、そうだ」と何かを思い出したように言った朱音の発言さえなければ。
「そういや、昨日朔月第一高校の近くで喧嘩見たぜ。片方はいかにも不良って感じの兄ちゃんだったけど、もう片方はぱっと見インテリ眼鏡の兄ちゃんでさ」
「インテリ眼鏡?」
「そ、喧嘩してるより図書室で本読んでそうな兄ちゃん。でもその兄ちゃんの顔と言ったら、もう楽しそうで仕方なかったわ」
「……少し、怖かった」
 手を眼鏡の形にしながら顔に当てる朱音と、少し怯えたような表情を浮かべる黒音。だが私は返事を返さないまま、顎に手を当てて考え込んだ。『インテリ眼鏡』というフレーズが、どうしても気になったからだ。
 そんな素振りを見せていた私に、夢幻が「どうした」と問うてきたので、結局何を思い出そうとしたのか分からなくなってしまった。
 とは言え、喧嘩ならば黎明町の治安を守る警察組織を名乗る以上放っておく訳にはいかないだろう。気は進まないが、明日にでも町に向かってみるか。
 私はひとつ溜息を吐き、解散を宣言する。
「分かった、その件については私が調べておく。今日は解散しよう」
「姉さん流石! オレ達も、何か分かったら連絡するよ」
「飛鳥にだけ、負担させる訳にはいかない、よね?」
「まぁ、期待せずに待っている」
 勢い付く二人に苦笑しつつ、私は窓の外をふと見遣る。外に見える明かりは夜を迎えたと言うのに眩しく、まだまだ消える様子はない。むしろ、これからが輝き時だろう。
 その風景を眺めていると、名を呼ばれたので向きを改める。呼んだのは黒音。不安そうに眉尻を下げ、困ったように首を傾げた。
「どうしたの?」
「……いや。そういえば、あの時も町はこんな風に明るかったなと、思っただけだ」
 『あの時』。それが何を指すのか、知っているのは黒音だけ。何の事か分からない朱音と夢幻は首を傾げているが、黒音だけは悲しそうな、複雑な表情を浮かべている。
「飛鳥、まだ……」
「気にはしていない。だが、本当にたまに――脳裏に浮かぶんだ」
 自分の目が細くなるのが分かった。目の前の夜景の明るさに負けたのか、それとも。一際眩しいライトの形が、瞳孔に焼き付けられる。
「ん? 何の話?」
「朱音には関係のない事だ、気にしないで良い。黒音も」
「……分かった」
「ちぇー何だよ、つまんねぇ」
「お前はもう少し、人の気持ちを考えるべきだ。東雲だって秘密を抱いておきたいのさ」
 夢幻の助け舟により、何とか朱音の追求を避けられた。心の中で奴に感謝しつつ、私は刀を手に取って立ち上がる。
「とにかく、今は情報収集を頼む。颯様の居場所把握が先決だ」
「了解した」
「以上、解散」
 再びそう宣言し、私は部屋を出た。了承の声は夢幻しか聞こえなかったが、大丈夫だろう。

   ■   ■   ■

 どうしよう。
 手元にあるのは鞄だけ。中には、お爺様から貰ったお小遣いをこっそり貯めていた通帳を隠してあるし、携帯も入っている。ただ、今は着信やメールを見るのが怖くて電源を消してある。そして、あの包みも。
 どうしよう。
 父さんに逆らった。逆らってしまった。もう、家には帰れない。
 隣を行き交う人全てが僕を、僕の持つ鞄を狙っているように感じて、大通りから生えた横道に入り込む。昼間にいた公園から動かなければ良かった。不良に絡まれたから急いで逃げたけど、あの近くに身を潜めていたら良かったんだ。
 戻ろう。戻ってから考えよう。とにかく、コレだけは奪われたらおしまいだ。
 ――ポン。そうやって焦る僕の肩に、唐突に、手が置かれた。

   ■   ■   ■

 夜中に唐突に、おでんを食べたくなる時がある。今日は特に大根を食べたくて、日向は夜の町を歩きコンビニにいた。
 家からは十分程度、街灯は多くも少なくもない。それなりに道は見えるが、横道に逸れると案外危険でもある。
 部屋着にしているジャージの上からガウンを着込み(本当は学ランで良いかと思ってたけど、清兄に補導されるから止めとけと止められた)、適当に履いてきたサンダル姿だが、知り合いに会う事もないだろうからまぁ良いとしよう。
 鼻唄混じりに歩いて着いたコンビニで、今日発売の少年誌を立ち読みしてからおでんを頼む。陳列棚に並ぶ弁当はどれも美味しそうだったが、流石に食える気はしない。大根と玉子、確かじいさんは白滝、清兄は牛筋と巾着だったな……と、自然に何を買うか選定していく。
 専用の容器に入れられたおでん達を湯たんぽ代わりに、自動ドアをくぐる。北風が冷たく、油断をすれば鼻から水が垂れてきそうだ。
「おー寒寒。さっさと帰ってこたつでおでん突きながら寝てぇ」
 寒さに身震いしつつそんな事を呟き、家路に就く。おでんの入ったビニール袋が、がさりと音を立てた。
「いやああぁ!!!」
 ふと、何処からか女性の叫び声が聞こえた。やけに大きく聞こえたのは、近いからか。それまでのんびり歩いていた日向は声の方に顔を向け、視線を鋭くさせる。
 予想通り、そちらにある横道から髪をポニーテールにした少女――自分より年上っぽいから女性か――が慌てた様子で飛び出してきた。勢い余って日向にぶつかりかけ、無理矢理避けようとしたせいで体勢を崩す。咄嗟に腕を出し彼女を右腕一本で抱えると、日向は問い掛けた。
「おい姉ちゃん、何があったんだ?」
「た、助けて……! こ、ころ、殺される……!」
 余程恐怖を感じたのか、体を震わせ呂律の回らない口調で話す。駄目か、と彼女にバレないよう舌打ちをする。
 この場合の舌打ちは何も情報を得られなかった事によるものではなく、面倒な事をしなければならない煩わしさからだ。正直言うと、縋り付いてくるこの腕さえも振り解いてしまいたい。だが本当にそうする訳にはいかないので、日向は彼女に声をかける。
「落ち着け、大通りまで逃げれば後はどうにでもなる。行けるな?」
「む、無理よ! 逃げ切れる訳が――」
 その時だった。女性が現れた横道から、まるで鎌鼬のような風が吹いたのは。
「――!?」
 咄嗟に右腕を振り上げ、防御体勢を取る。風圧は通りの木々を揺らし、ざわめかせる。チクリと痛みを感じ見れば、左腕からうっすらと赤い液体が滲み出ていた。それを見た女性が、また甲高い悲鳴を上げる。喧しいと振りほどいてやろうかと彼女を見るが、その視線は風が吹いてきた方を凝視している。
 そこから現れた人物に、日向は見覚えがあった。いや、今日会ったばかりだから忘れる訳がない。
「茶髪少年……?」
 短い茶髪、身にまとう制服、ネクタイの色。何より、手に握られた血が滴る短剣。全てが夕方遭遇したあの少年と符合する。のだが、どうしても《本人》だとは思えなかった。
 彼は低く唸ると、まるで番犬のようにこちらに向かってきた。女性が叫び、更に自分にしがみつこうとしてくる――前に手を打つ。半ば強引ではあるが、彼女を突き飛ばし無理矢理引き離す。そうする事で、少なくとも茶髪少年の矛先は自分に向くだろう。何より荷物を持ったままでは、機敏に動けない。
 短剣の切っ先が眼前に迫る。体を軽く捻りそれをかわし、同時にバックステップで距離を取った。
「少々おイタが過ぎるんじゃねーの? マジモンのドスなんてよ……っ!」
 対人間はまず後れを取る事はないと自負する日向だが、流石に刃物を持つ者を相手にした事は多くない。内心冷汗を掻きながら、突進してくる刃物の軌道を冷静に見極めつつ問い掛ける。
 がむしゃらに放たれた攻撃程避けやすいものはないが、逆に考えれば力の制御をされていない攻撃。喰らえば不利になる事は確かだ。
 だが、そんな挑発めいた言葉にも茶髪少年は応じない。口元は力を抜いたかのように半開きで、嫌に呼吸をする音だけが耳に届く。
「アアアアァッ!!!」
「っ……」
 顔面を狙った突きに再び反応し、右手を相手の腕に叩き付け軌道を逸らそうと試みる。だがギリギリだったらしく、顔を逸らせたにも関わらず日向の頬に赤い線が走った。
 避け続けるのも良いが、このままだと埒があかない。何より――我慢が出来ない。
 日向は双眸を、無意識に細めた。そこに先程までの気楽さと快活さはなくなり、逆に剣呑とした冷たさが宿る。
「大人しくさせてやろうってんのに、調子に乗ってんじゃ、ねーよっ!」
「ッ!?」
 手に持っていた、おでんが入った袋を容器ごと相手の頭にぶつける。プラスチックの容器はそれ程頑丈ではないので、衝撃で蓋が外れ、だしが茶髪少年の顔にかかった。彼の前髪が長めなので、この際目に直接当たらないよう祈りつつ。
 熱さで怯んだ相手の短剣を持った手を掴み、腕に力を込める。茶髪少年の手は意識とは逆に開き、握り込んでいる短剣を無理矢理離させた。
 カラン、と落ちたそれは蹴り飛ばして引き離し、取りに行こうとした彼の腹を思いっ切り殴りつける。それはもう、遠慮なく。
「ガァ……!?」
 押し出された空気を吐き出し、カエルが潰されたような声を出した茶髪少年は、やがて気絶したのか体から力が抜けた。そこでようやくやれやれと肩の力を抜き、ポキポキ首を鳴らす。
 女性は日向の思惑通り、逃げてくれたらしい。突き飛ばした時に倒れ込んでいた場所にその姿はない。
そして、地面に落ちた短剣に目をやった。
「体乗っ取りとか、悪趣味過ぎるぜー? 全く」
 光が妖刀と似通う武器ならば、これは所謂刀に宿った悪霊が所有者の体を乗っ取り、暴れたと言ったが正しいか。日向が茶髪少年の手から短剣を奪い捨てたのは、これこそが彼の異変の正体ではないかと考えたからなのだ。
 古来刀は自らの命を守る唯一の武器、片時も手元から離す事はまずない。悪霊はそうやって携帯する人間の精神を徐々に蝕み、やがては体を奪うという――そんな話が読んだ漫画にあった気がする。
 夕方見たあの様子では、四六時中持ち歩いていたと考える事も出来る。気絶させたから取り敢えずは安心であるものの、問題はこれからだと地面に落ちた哀れなおでん達を見ながら溜息を吐き出し、ふと思い出す。横道から飛び出した女性を。血が滴る短剣を。
「――っ!!!」
 弾かれるように、茶髪少年と女性が現れた横道に向かった。そして、日向は見た。噎せ返るような異臭の中に、眩しく思える月明かりの中に沈む人間を。
 一体こんなちっぽけな器の何処に、これ程の量の血液が入っているのだろうかとさえ思える赤い海。両方を二階建ての建物に囲まれていると言うのに、月明かりは絶妙な角度でそれを照らし、不気味な雰囲気を掻き立てる。
 赤い海には、腹を一閃され即死したであろう男性の死体が横たわっていた。
 それは――ぞっとするような“殺人現場”だ。常人なら、泣き喚いてそこから逃げようとするだろう。人の死に不慣れな人間は、目の前に映る「死の恐怖」に脆いのだから。
 だが日向は、叫ぶ事もせずただそれを見詰め、右手をジャージのポケットに突っ込む。直ぐに引き抜いた手に持っていたのは携帯。幾度か操作し、それを耳に当てた。
「あ、もしもし。日向です、伯父さん今大丈夫ですか? ちょっと仕事依頼なんスけど」

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