【一次現代】01

「え……?」
 茶髪の幼い少年は、目を見開き呆然と声を上げた。
 暗い室内。意図的に明度を下げられた照明が申し訳なさ気に照らされた先に、彼はいた。周囲を見渡せば、何とか見える範囲に数人の人間。大人達は何も言わず、ただただ黙っているだけ。それでも、少年の恐怖を煽る事に間違いはないのだが。
 そして、床に膝を付く彼の視線の先にいる人間。シルエットでは分かりにくいが、大柄な男なのは分かる。それは声を出すのも煩わしそうに、深く溜息を吐き声を出した。
「聞こえなかったのか、颯」
「……いえ、把握しました」
「なら、いつまでもそこに座っていないで行動に移せ。失敗は許されないのだからな」
「分かっています、父さん。――失礼、します」
 声だけで殺されそうな威圧と、殺気。実際茶髪の少年は怯えたような目をしかけ、直ぐに何も映さないよう閉じていた。
彼は逃げるようにその場を去る。一刻も早く、落ち着ける場所へ行きたかった。

   ■   ■   ■

「オーライ、オーライ!」
 ぱしっと軽快な音を立て、宙を舞っていたボールは構えていたグローブの中に収まった。
 朔月第一高校。黎明町にある、高校にしては少し特徴的な学校だ。それぞれが選択したコースの単位を修得し、規準をクリアすれば小中高とエスカレーター方式に進学出来る。最早、大学のカリキュラムに近いかもしれない。特殊な形式の学校らしく、やはり入学してくるのはそれなりの家柄の子供や、優秀な頭脳を持つ者達。彼らが日々自分を研き、将来に向かって学んでいる場所だ。
 ――と、一般的には認知されている。
 わっ、と歓声が上がり、その場が盛り上がる。彼がボールを取った事でアウトとなり、進行していた野球の試合はそのチームの勝利で終わったのだ。
「っしゃ!」
 ぐい、と帽子の鍔を上げ、日に照らされた赤い髪が覗く。彼に向かって走り寄る少年達は、皆が一様に笑っていた。中にはあまりの嬉しさに、涙を流している者もいる。
「流石日向、サンキューな!」
「痛いっつの、悟」
「よし、今日は祝いだー!」
 至る方向からバシバシ叩かれたり、首を絞められる少年としてはたまったものではないだろうが――彼はまんざらでもない表情を浮かべていた。
 彼の名は、曉日向。正式な野球部員ではない。スポーツ万能な彼は日々運動部に引っ張りだこであり、助っ人として試合などに参加しているのだ。今回も、野球部員の一人が欠席したので代わりに呼び出され、そして助っ人には勿体ない働きをこなした。
「日向、やっぱお前部活入ってねーの勿体ねーよ。野球部入ろうぜ」
 野球部員の中でも一際喜びを表していた少年、日向に悟と呼ばれた彼は半ば本気でそう問い掛ける。だが日向はんー、と気の抜けたような返事を返した。
「今度な。俺様忙しーの」
「またそれかよ。バイトしてるでもなし、何か勉強してる訳でもなし。一体何してんだよ、お前」
「男には秘密がある方がかっこいいだろー?」
「いつの時代だよ、いつの」
 にやりと笑みを浮かべながら言うと、今度は呆れた表情で返される。
 バイトについては、働く必要がないと言える。一応それなりの生活が出来る程度の仕送りは貰っているし、たまにその日一日限りのバイトをやってこ遣いを稼ぐ事もある。習い事は性に合わないからやろうとしないだけなのだ。
 と、グラウンドにいた野球部員の一人が彼らの名を呼んだ。それに気が付いた悟は「へい!」と元気のいい返事を返し、日向の腕を引っ張る。
「ホレ、キャプテン呼んでっから行くぞ」
「あ、ワリ。俺これから用事あるからさ、またよろしくって言っといて」
「へ? この後打ち上げだぜ、参加してけよ」
 野球部のユニフォームを脱ぎながら断りを入れ、首を傾げられる。確かに、打ち上げと言えば喜び勇んで参加するのが自分だ。騒がしいのは嫌いじゃないし、時間があるのなら参加したかったのも本音だ。
 だが日向には大切な用事がある。それも、何よりも優先的な用事が。
「俺、これからデートなの。元々予定を無理やりずらして来てっから、これ以上遅れっと逃げられちまう」
「…………何と羨ましい用事だ!! お前爆発すればいいのに」
「へへ、じゃーな」
 本気で悔しがる悟に憎まれ口を叩かれつつ、日向はひょい、とフェンスにかけておいた制服の上着を肩にかけ、右手をひらひら振りながら去った。
「ま、ほんとに彼女だったら良かったんだけどな」
 耳を澄ませなければ聞こえないような声でそう呟いたのは、当然誰の耳にも届かなかった。

 黎明町は、その昔武家が集う町として栄えていた。その為今も至る所に面影が残っており、中でも武家が住んでいたとされる侍屋敷などは資料文化財として登録されている程だ。
 故に、この一帯では武芸が盛んである。右を見れば剣道の、左を見れば合気道の道場と言った事は良くある事で、それらの建物も昔ながらのものを流用している所が多い。観光客が良く訪れ、興奮気味に写真を撮っている姿も珍しい光景ではない。
 そんな道をフラフラ歩きながら、日向は携帯を操作していた。
「りょーかい、っと」
 何度かキーを押した後、パコン、と携帯を勢いよく閉じる。と、通りかかった公園の方から声が聞こえた。
 三人、いや四人だろうか。金を出せだの、お前の父親に知られたくないならだの、友人にしては不穏で不自然な台詞。どっかの馬鹿が金欲しさにカツアゲをしているのだろう。
「全く、忙しいったらないぜ」
 呆れたように溜息を吐きつつぼやくと、日向は良く晴れた空を仰ぎ見た。今日は冬にしては、風も穏やかで気温もそんなに低くなく、良い天気だ。こんな日には、出来る事なら家の縁側で大の字になってひなたぼっこをしていたかったが、帰る頃には日は沈んでしまっているだろう。非常に残念だ。
 ――いや、急いで終わらせればまだチャンスはあるかもしれない。そう考え直すと、向かっていた方向から外れ公園の方に入る。
 声は公衆便所の裏手から聞こえていた。悪い事をするにはうってつけの場所だが、悲しいかな声が大き過ぎてバレバレである。どうやら興奮し過ぎて押さえが利かなくなっているのだろう、こちらとしては非常に面倒臭い。
 茂みに隠れて様子を窺って見ると、やはり人数は四人。いかにもと言った三人が、眼鏡を掛けた茶髪の少年を囲み話していた。三人は厭らしい笑みを浮かべ、ズボンのポケットに手を突っ込んだだらしない姿勢。完全に気が抜けている。
「お前、父ちゃんが偉い人なんだから金くらいがっぽり持ってるだろ」
「持ってません! 見たでしょう、鞄を返して下さい……!」
「嘘吐けよォ。ちょーっと貸してくれるだけで良いんだって、ほんの一万位。な?」
「ちゃんと利子付けて返すからさぁ」
 どうせ守りもしない条件を口にした相手に、日向は再び溜息を吐く。ただし、今回のは相当大きいものだが。
「お、何だコレ!」
 と、不良の内の一人が鞄(会話から察するに、茶髪少年の物だろう)から何やら布の包みを手に取った。仲間の二人も興味津々にそちらに顔を向ける中、その持ち主である茶髪少年だけはさっと顔を青ざめさせる。
「そ……それは駄目です! そのまま返して下さい!」
「何だぁ? 大きさ的に、まさかイケナイおもちゃでも入ってんじゃねぇのか?」
「おい、暴れねぇよう押さえてろ」
「入ってませんから! ああもう、それは……!」
 律儀に不良に突っ込みを入れつつも、包みを取り返そうと、茶髪少年は自らを押さえる不良を物ともせずに暴れる。だが奮闘も虚しく、それを見付けた不良は布の包みを剥がしてしまった。
「……? コレ、短剣か?」
 奇しくも、日向のいる側からはそれは見えなかった。かと言って無理に見ようとすれば、あちらにバレるかもしれない。包みを持っていた不良の手を覗き込むようにその仲間が顔を向け、ニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「お、良いモン持ってんじゃねーかよ! コレ貸してくれよ、俺達友達だろ?」
「だから、これは駄目です!! 返して……!」
 潮時かね、といよいよ本格的にカツアゲされる現場を目撃しそうなので、日向はザッ、とわざと砂を踏み鳴らし自身の存在を示す。すると三人の不良は気が付いたのか、こちらに顔を向けガンを飛ばしてきた。笑える位に迫力がないので、日向には全く効かないのだが。
「面白そうな事やってんじゃねーか。混ぜろよ」
「あぁ? 何だおま」
 一瞬。不良の一人、背の高い男が言葉を途切れさせた。いや、途切れさせるを得なかったのだ。蹴られた彼はそのままトイレの壁に叩き付けられ、衝撃からか気絶していた。残る二人が唖然とする中、日向はにこりと笑みを浮かべ両手をポキリと鳴らす。
「うちのシマではカツアゲ禁止。分かったか?」
 すると、二人は顔を青ざめさせコクコク頷き、気絶した仲間を抱えようと動き始めた。標的となっていた少年はぽかーんと呆気に取られた顔をしていて、成り行きをただ見守っている。
 ――朔月高校の制服ではない。彼らが着ているのは、灰色に近い色のブレザーと同色のズボン、真っ白のワイシャツ。ネクタイは何故かそれぞれ色が違う。
 朔月高校に通う日向は、今はだらしなく前を開けた学ランにズボン、赤チェックのワイシャツ。校則違反なのは知っているが、だからこそ自由になる放課後以外はきちんと学ランの前を閉めていたりする。
 そんな感じで、不良が持っていた茶髪少年の鞄を拾いつつ人間観察をしていると、カツアゲ未遂の三人組はそそくさと去って行った。残るはネクタイが緑色の、気が弱そうな少年と日向だけ。
 日向は彼に手を差し出し、問い掛ける。
「大丈夫か、少年」
「え、あ……はい。助けてくれてありがとうございます」
 彼はそれに応じ、日向の手を取る。勢いをつけて彼を立たせ、「ほらよ」と取り返した鞄と包みを手渡す。そしてにしても、と笑いかけた。
「お前も災難だったな。あーいうのは反応を見て楽しんでんだ、相手するだけ馬鹿を見るぜ」
「う……薄々感じてはいました……」
「なら、力づくででも逃げ出せば良かったんだ。何で相手してたんだよ」
「そ、それは……」
 少年は困ったように眉尻を下げ、鞄を持っていない方の手で頬を掻いた。大方「鞄を盗られていたから」という答えだろうと思い、深くは聞かなかったが。
 それにしても、こちらが不安になる程頼りなさ気な少年だ。少しも強そうには見えないし、それこそ不良には恰好の餌食にされる典型的な気の弱さを感じる。例えば、たかが学校指定の鞄を大事そうに抱えている所とか。そんなに鞄が――いや、布の包みの中にある短剣が大事なのだろうか。
 と、茶髪少年は改めて頭を下げ、口を開いた。
「すみません、僕は失礼します! 助けてくれてありがとうございました、それじゃ!」
 一言でそれを言い切ると、そそくさと公園を横切り去っていく。逃げる速さだけは素晴らしいな、と日向は茶髪少年の背中を見て呆れた。

 銃刀法、という物がなくなった訳ではない。むしろ、それらを所持しているだけでも人間性を問われる時代だ。鑑賞用のそれなら誰が、どういう物を、何故持っているのかと事細かに提示する必要がある。
 そして、そんな情報を全て管理しているのは警察だ。情報を管理しているパソコンのデータにアクセスするには、何重にも掛けられたファイアウォールとパスワードセキュリティをかい潜る。それはいかに優秀なハッカーと言えど、下調べを厳重に行いかかったとしても、解除出来る確率は0.何パーセントと言われている。
 とにかく、こんな時世に物騒な物を持つのは困難とされていた。しかし、唯一の例外があった。

 日向は、月曜と金曜だけ学校から帰宅する際に必ず寄る場所がある。学校から大通りには出らず、家の帰り道のルートの一つでもある道をのんびり歩く。その足並みは、何処か重たかった。
 暫く歩いて見えてきたのは、清潔感のある白い建物。黎明町で一番大きく設備が整っている、黎明総合病院だ。自動ドアをくぐり、そこらを忙しなく歩き回る看護婦を横目に足を動かす。受付に聞く事も、足を止める事もしないのは、目的の場所は分かっているから。
 長い廊下の手前を曲がり、エレベーターに乗る。四階――特別病棟のエリアにそれは停止し、日向は降りた。この病院は廊下が兼待合室になっているが、他の階と違ってここは廊下には看護師以外は数える程しかいない。それもそうだ、ここは主に医者の手を要する患者が集められている病棟なのだ。
 その病棟の一番南側にある病室の前に立ち、日向は呼吸を正す。意を決し、ドアを軽くノックすると開ける。
 中はただただ白い空間だった。中央に寝台が置かれ、テレビやらチェストやらも置かれているものの、使われた形跡は殆どない。開け放たれた窓の側で揺れるカーテンだけが、その空間では動いていた。誰かが見舞いに来ていたのだろう、ガーベラの花が花瓶には差してある。寝台の左右には点滴スタンドがあり、今は一つのパックが掛けられていた。
 そのノズルが伸びる先には、痩せ細った腕が――青年が横たわっている。
赤髪だが、日向のような四方八方に広がってはおらず、襟足が長め。元は端整な顔立ちだったと分かるのだが、頬は少し痩せこけ、瞳も固く閉じられたまま。口元には人工呼吸器が取り付けられ、機械音が室内に響く。
 日向は寝台の近くに置かれたパイプ椅子を引き寄せ、そこに腰を下ろす。
「……起きてはない、か」
 ふ、と悲しそうな笑みを零したその時、先程日向が入ってきたドアが再び開く。
「あ、日向君」
「お邪魔してます、一七さん」
 現れたのは、女性だった。セミロングの美しい黒髪と同色の少し大きめな瞳、容姿端麗という言葉が似合う身なり。日向の目測では、バスト八十台ウエスト五十台ヒップ八十台とかなりのナイスバディ体型だと思われるが、今は厚手の上着の下に隠されている。惜しい……じゃない。
 日向がそんな事を考えている事を知っているのかいないのか、彼女――十六夜一七は少しだけ口元に手を添えて笑った。
「そう言えば今日は金曜日だっけ。ふふ、すっかり曜日感覚なくなっちゃってて」
「一七さん、相変わらず不規則なバイトしてるんですか? 怒られますよ」
「だって、実入りが良いんだもの。まぁ、怒られちゃうだろうね。起きてたら」
 ふ、と明るい表情を浮かべていた彼女の顔に影が差す。しまった、と日向は自分の発言を後悔したが、時既に遅しとはこの事。慌てて話を逸らそうとあらゆる話題を考慮するが、悲しいかな自分にはバイトや人には言えない悪い遊びの話位しかない。そんなもの、彼女に聞かせても面白くも何ともないだろう。
 そんな日向に気が付いたのか、一七はにっこり笑顔を浮かべ口を開いた。
「あ、ごめんね。――週末は、またバイトかな? 次に会えるのは月曜かぁ」
 一七が僅かに眉尻を下げ、残念そうに呟く。
「あ、はい。いつもすみません、世話任せっぱなしになっちゃってて」
「ううん、むしろ私が感謝したい位よ。任せてくれて、本当に嬉しいの」
 色んな意味で申し訳なくなり頭を下げると、とんでもないと言わんばかりの表情で首を振られる。
 一七は、不規則とはいえバイトとこの病室に眠る人物の世話の両立で大変だろう。本来なら曉家の誰かが請け負うべきなのだが、生憎そんな人材はいない。だが彼女は、両手を胸元に当て瞼を閉じる。本当に美人だなと、聖母のような雰囲気を醸し出すその姿に日向は見惚れかけた。
「目が醒めた時に、一番に会えるのは私かもしれないでしょう? そう思うと、ずっと彼のお世話をしたいって思えるの」
 心の何処かが、ズキン、と痛んだ。またか、と叫んだ。
 そうですかと返事を返し、平静を装いつつ、余計な事をしでかさないように日向は椅子から腰を上げる。
「じゃあ、また月曜日に来ます」
「うん、バイト頑張って」
「はい。一七さんも、頑張り過ぎて倒れないで下さいよ」
 彼女は頑張り屋だ。自分がやると決めたら、誰が止めてもそれを成し遂げようと奮起し、時にやり過ぎてしまう。それを止める事が出来た唯一の人物が、あいつだった。
 冗談だと分かっているのだろう、一七はうん、とふんわり笑顔を浮かべ了承した。そして、最後にベッドで眠ったままの貴公子を見やる。何かの物語で、眠ったままのお姫様は王子様のキスで目を醒ます――という話があったが、それは立場が逆でも出来るのだろうかと余計な事を考えつつ。
「お前もさっさと起きろよな、あんま美人待たせんじゃねーよ。――陽向[ヒナタ]」
 返事は、なかった。

「ただいまー」
「おかえり~」
 ガララ、と昔ながらの家屋には良く見られる引き戸を開け、日向は声を上げた。一体何メートルあるのか、と普通の人なら目を疑うであろう、少なくとも競走出来る距離がある廊下が玄関の目の前に伸び、左右に幾つもの襖と分岐が並んでいる。方向音痴持ちなら迷うだろうだろうか、どうか。
 そのうちの一つの分岐から、この家屋には不釣り合いな茶髪の青年が、お玉を持ったままひょっこり顔を出す。日向の声に応じたのは、彼だ。
 白夜清一郎――外見から分かるように日向の兄弟でもなければ血も繋がっていない。丸っきり赤の他人なのだが、彼は現在この曉家に居候している。敢えて言うなら給仕、か。清一郎は奥の部屋を親指で差し示し、にっこり笑顔を浮かべる。
「奥で待ってるよ、家長が」
「うぇー……帰らなけりゃ良かった」
「そう言うなって、終わったらすぐ飯にするからさ。今日はお前の大好きな肉だぞ」
「分かった、腹くくってくる」
 うなだれていた気分はどこへやら、肉と聞いた途端にシャキンと背筋を伸ばし、日向はそちらに歩き始める。お前も現金な性格だよな、と苦笑された気がするが、気のせいだろう。

 曉家の家長、曉源三は齢六十七歳。だと言うのにその体躯と威圧感は未だ衰える様子を見せず、逆に一層恐ろしさを増しているような気さえする。家の武勇伝として伝わる話の中には、野生の熊とやり合った、無人島で一週間生き抜いた事があるなど真偽を疑う物もありはするものの、この人物なら本当にやりかねないと思ってしまいものだ。
 間には六畳程のたたみの距離があるにも関わらず、蓄えられた髭の存在感を再確認しながら日向は祖父の前に姿を現す。
 曉家は、裏の世界――最近では極道、マフィアなどと称されているか――では有名人と言える家柄だ。日向の父親は、イタリアで優秀なハッカーである母親と日々暗躍している。あくまで噂だが、つい最近の他国の政治家没落に一枚噛んでいるらしい。
 そんな祖父、いや家長を前に、日向は正座をし口を開く。

「お呼びですか、お祖父様」
「うむ。今日、光[コウ]と思われる気配を感じたのでな。ソイツを調べてくれんか」
「光? 光って、あれですよね。暁家に代々受け継がれている、あの」
 光は隠語だ。マフィア――と呼ぶかヤクザと呼ぶかは勝手だが――日向の家のような者達にとっては、重要な意味を持っている。
 現代に生きる人間達の先祖は、いつも争ってばかりいた。くだらない言い争いから命の取り合いまで方法は様々だったが、それはとにかく酷いものだったらしい。そんな人間達を見た大名は、彼等から戦う力を取り上げた。刀、弓、小太刀、とにかく農業で使うようなもの以外は全て。これが刀狩り、と呼ばれる事件だ。
 だが、数名の人間は武器を大名に献上しなかった。彼等こそが日向達の先祖、現代でマフィアやヤクザとして生きる家柄の者達である。
 さて、この刀狩り、実はそれ以外にも目的があって行われた。
「お前にはまだ伝えておらんかったか? 光は、選ばれた家の家宝として存在している。つまり、何個も存在すると言う事だ」
 その目的こそが、話に上がった《光[コウ]》なのだ。《光》は数千数万とある武器の中でも高価で、また危険でもある。見た目的には普通とそう変わらないのだが、問題はそれに秘められた力だ。妖刀のようなものと思えば間違いではないだろう。刀狩りはそれを回収する為に行われたに過ぎない。
 ちなみに――暁家の受け継がれし家宝、《紅[クレナイ]》もその一つ。門外不出の秘宝である為、日向も本物を見た事はない。
「もし光を見付けた場合は、分かっているな?」
「……破壊、もしくは略奪。流石に覚えてますって」
 そんな危険物を野放しにしておくのは、マフィアでなくても放っておく訳がない。日向は肩を竦め答え、それに満足したのか源三は下がれ、と背を向ける。
 と、日向はふと気になって彼に問い掛ける。
「お祖父様。光の気配を感じたのはいつ、何処でか分かりますか?」
「先刻の事だ、そんなに時間は経っておらん。場所は――だ」
「ありがとうございます」
 源三が続けたアドレスを脳裏に刻み込み、日向はでは、と襖を閉めかけた。だが、相手はそれを許さない。
「待て、日向。本来の話がまだ終わっていないぞ」
「…………」
「何だ、その『せっかくスルー出来そうだったのに何で気が付くんだよこのクソジジイ』とでも言いたげな顔は」
「してねーです。『まーた年寄りのわがままが始まったいい加減諦めてくんねーかな』って顔はしました」
「そっちが酷くないか、日向よ」
 さっきまでの緊迫した雰囲気は何処へやら、突っ込みに突っ込みで返しつつ日向は姿勢を正す。
「どーせまた跡継ぎの話でしょー? まだまだ人生のスタートラインな高校生の若者に、これからの一生を暗部に捧げさせるつもりなんですか?」
「高校生はとっくにスタートしていると思うが? 儂もそう長くない、後世への不安要素は早めになくしておきたくなるものだ。それに、儂が頭となったのもお前くらい若かったわ」
 源三がふん、と鼻息を鳴らし、呆れつつも日向を睨みつける。
 彼に会うと必ずと言って良い程聞かされるのが、早く曉家の頭領になれと言う内容。長話と説教が嫌いな日向は、それを聞くのが嫌で会うのを面倒臭がっていたのだ。
 曉家は、先祖代々続く家系にして通称《正義のマフィア》と謳われるテラロッサファミリーを束ねる長の役目を持っている。表向きは源三が趣味で始めた建築会社《紅地建設》の社長であるが、裏の社会では泣く子も黙る重役だ。曉家の家長を継ぐと言う事は、即ち――。
 こうなると最後、どんなに拒否をしても解放してはくれない。それよりも先に、この場から離れようと日向は背を向ける。
「あー、まだ俺やりたい事あるんでまたいつか話しましょう」
「小童が……」
「ワッパでもハッパでも俺は継ぎませんー」
「高校にもなって漫画だのゲームだの、世迷い言にばかりうつつを抜かしておるからそうなるのだ。じきに死ぬぞ」
 声音が変えられた彼の忠告に、その時だけ肩越しに振り向き、返事を返す。
「世迷いくらいしねーと、人生生きてけないですよ。お祖父様」

 部屋を出て真っ直ぐ清一郎の待つ食堂に向かわず、日向は懐から何かを取り出した。それは携帯で、カチカチカチ、と先程源三から聞いたアドレスを打ち出す。念の為インターネットでその場所を調べると、先程日向がいた公園と同じ名前が出る。時間は、確かに合っているだろう。
「……成程な、こだわる訳だよ」
 勢い良く携帯を閉じ、日向は微笑を浮かべた。

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