06:二人だけの夜・後(エピローグ)

 ロッカが意識を取り戻した時、昼なのかと勘違いする程に周囲が明るいことに驚いた。原因は痛む体を起こすことで、すぐに理解する。何かが勢い良く燃え盛り、辺り一面が火の海となっていたのだ。その割には、自身が感じる熱は苦痛に思うような程ではなく、心の中で首を傾げかけるが、すぐにセツカの安否が気になり周囲を見回した。
 幸いなことに、彼女は自身の隣ですよすよと寝息を立てて寝かせられている。見たところ、特に怪我なども負っていなさそうだ。
 最大の懸念が解消されると、自分の周りへ注意を向ける。薄っすらと模様のようなものが、宙に浮かんでいた。楽譜の罫線に似ているような気もするし、似ていない気もする。ただ、本来そこにはないはずのもので、この何かが自分たちを周囲の炎や熱から守っているのだということは分かった。
 そして次に、自分たち以外の人影があることに気が付いた。炎の正面に立つ、その光に照らされている赤みがかった白髪の人物が、ゆっくりと視線を上げる。その表情に感情というものが一切見受けられず、また髪の色も服装も異なるというのに、それが面倒をみてくれていた青年――ナツヤ=シュミート本人である、と頭は理解していた。視線に気が付いたらしい彼は、一瞬にして見慣れた笑顔を浮かべ、声をかけてくる。
「おや、ロッカ。目を醒ましたかい? ああ、そこから出てはダメだよ。死にたくなかったらね」
「ナツヤ……? いや、アンタは、誰……? お母さまは――」
「ああそうか、この姿では初めましてだね。ふむ、ひとつずつ答えていこうか」
 『ナツヤ』は顎に手を当てて納得したかのように頷くと、滑るように言葉を連ねていく。
「『ナツヤ=シュミート』は、俺の人間としての名前だよ。真名は『ヴァル』。《大いなる意志》の遣いとして――いや、分かり辛いか。君たちの言う《カミサマ》が鍛造のために起こした炎から生み出された、世界の均衡を保つ役目を負う精霊さ。ああ、体調はどうだい? あと一歩遅ければ、君は彼らに『人でも精霊でもない生き物』に完全に作り変えられるところだった。物言わぬ、ただ殺戮だけを繰り返すだけの人形にね。全く、とんでもないことをよく思い付くねぇ」
 まるで、普段のナツヤの授業そのものである。それなのに感じるこの違和感は、《彼》――ヴァルの容姿が、『ナツヤ』と異なるものからくるものなのか。ロッカには分からなかったが、振られた問いに答えた相手が待っているのを見て、新たな疑問をぶつけてみる。
「何で、助けてくれたの?」
「おや、助けたように見えたかい?」
「違うの? お母さまに従っていれば、少なくともセツカは自由でいれるはずだったのに」
「それが嘘だったことは、君自身の耳で聞いただろう」
「……それは、」
「君が黙って従ってさえいれば、彼女らがセツカに手を出さないとでも思っていたのかい? 酷なことを言うが、彼女はそんなもの平然と踏み躙る人間だよ。君はそれで、きょうだいが何の支障もなく、何不自由なく生きていけると思っていたのだろうけど……残念ながら、人の世というものはそんなに甘くないのを味わったはずだ。悪しきものを生み出し、それに狂わされた者。見た目だけで恐ろしいと判断される者――それだけの理由で、何の罪もない幼子や家族を処刑する輩も存在する。ふふ、言っておいてなんだけど、これじゃあどっちが悪者か分からなくなってしまうね」
 突き付けられる現実。自分が今まで見てきた世界は、考えていた以上にずっと狭かったのだと認めざるを得なかった。
 対して、ヴァルは一切容赦してくれない。シルバーフィールド家内だけでも、様々な思惑が潜在していたことを知っているのだろう。自身で見聞きしてきたことを、ただ淡々と言い募っているだけなのだ。ロッカにはまだ難しいことも混ざっているが、濁されるよりはずっと有り難い。
「そんな理不尽しか存在しない世界に、君は彼女ひとりを置いていこうとしていたんだよ。本当にそれで構わなかったのかい?」
「…………」
 ロッカは返答することが出来なかった。だがヴァルは、それを気にすることもしない。あるいは、そうするしかないことに気が付いているからだろうか。
「よし、授業の続きだ。本当の『シルバーフィールド家の物語』について、しっかり聴いておくと良い」

 彼の話は、とても分かりやすいようで、分かり辛かった。
 シルバーフィールド家、つまり両親は工学の研究を隠れ蓑に、精霊の力を利用して人為的に人間を強化し、軍事利用することを目論んでいた。冬の街に存在した神、あるいは精霊の権能を模倣し、そのデータを反映した基板を人体に埋め込み、人外的な能力を持った人間を生み出す研究をしていたのだ。その結果を最大限に研究するには被験体は出来るだけ弱いほうが適しており、幼い子ども以上に、体が弱いロッカはまさにうってつけの人材だったという。
 ヴァルは、その模倣された存在からの救援信号を受け取り、この街に来た。そして、衰弱して弱まっていたその力が薄く感じ取れるこの屋敷に『ナツヤ=シュミート』という人間として潜入し、情報を集めながら機を窺っていたところに、今回の事件が起きたのだ、と。ところどころロッカでは理解し辛いところもあったが、つまりはそういうことらしい。
 一通り語り終えた後、彼はただ、と不思議そうに呟いた。
「ひとつ気になるのは……いくら模倣だとしても、人外の力をそう簡単に人間に馴染ませられる、なんて出来るはずがないんだ。実際に、街からさらわれてきた子供たちは過剰で過激な力に冒され、全員が廃人となってしまっていた。君が今もなお正気でいられるのは、不幸中の幸いと言って良いはずだよ」
「……神、あるいは精霊」
 廃人といった言葉に覚えはなかったが、薄っすらと記憶に残る苦しんでいた子どもたちのことを思い出し、背中に寒気を感じた。自分もまた、彼らのように苦しむ側だったのかもしれなかったのだ。
 それと同時に、自身とは一切関係がなかったであろう単語を口にする。そもそも、あくまでおとぎ話や言い伝えといった物語でしか知ることのなかった存在である。実際に会ったことはおろか、見たこともないはず。というのに、何故そんな幸運が起きたのか――。自身の左手を見ながら首を捻るロッカの、言外の問いを感じ取ったヴァルはそれに答えた。
「覚えておくと良い。少なくとも精霊は、気に入った存在に対して気にかけてやりたくなる者が多くてね……そういった逸話も世の中にごまんとある。生まれたばかりか、まだ意思がはっきりしていない頃ほど、その傾向は強い。雛鳥が、初めて見た親鳥についていくようにね」
 言いながら、懐に本を戻す代わりに取り出したのは、二輪の≪ニヴァリス≫の花。花弁が少し折れてしまったそれは、ロッカも見覚えがあった。だが、確認する暇もなく、ヴァルは今なお燃えている屋敷の残骸に向けてそれを放る。投げられた花は吸い込まれるように炎の中に消え、一瞬にして燃え尽きていった。
「何故助けたのか、と聞いていたね」
「え……あ、うん」
 彼の一連の行動をただ見守っていたロッカは不意に問われ、そういえば答えを聞いていなかったと思い出す。慌てて肯定し、その言葉の続きを待つ。
「そもそも俺は、君たちを助けようと思って動いた訳ではないよ。俺自身の役目を果たすために、シルバーフィールド夫妻を糾弾しただけだからね。絶体絶命に追い込まれていた君たちは、それによってたまたま助かった。――俺は、『同胞』の願いを聞いただけなんだよ」
 この時のロッカは、『同胞』という言葉の意味を知らなかったが、特別な意味を持つのだろうと感じた。目を覚ました直後に見た彼の表情と、今浮かべている彼の表情が、全く同じものだったから。
「さて。とは言っても、俺も役目というものがある……君たちを野放しにする訳にもいかないんだよ」
「え?」
「さっき、『完全に作り変えられるところだった』と言ったね。つまりは、完全にではないものの……君は既に、人ならざる者我々にとっての排除対象でもあるんだよ。それに直接的ではないとはいえ、精霊を殺すという大罪も犯している」
「――っ……」
 闇夜を照らすものと同じ炎の色が自分を見降ろし、ゆらゆらと蠢く。一瞬身を強張らせたが、すぐに仕方ない、と目を伏せる。彼の大事なものを、己の両親は傷付けてしまったのだ――どんな仕打ちを受けても仕方がない。今こうして生きているのが、奇跡のようなものなのだから。
 でも、ひとつだけ聞き入れてくれないだろうか。一抹の望みを込めて、恐る恐る口を開いた。
「……セツカだけは、どうにかならない? アイツは、何もしてないだろ」
 ――沈黙。そののち、ふ、と吹き出す音。あろうことか、ヴァルはそのまま声を出して笑い出す。今の発言のどこに笑う要素があったのかさっぱり分からないロッカは、訝しみながらも率直に問うてみた。
「笑うところあった……?」
「全く、君ねぇ。上位存在に殺されるかもしれないって時にまで、片割れを優先するとは……大抵の人間は、そこで自分以外の者を陥れてでも『死にたくない』と泣き叫んでいるところだよ」
「だって、オレはもうどうしようもないんだろ。でも、セツカはそうじゃないなら、」
「俺は精霊であり神の使いなだけで、神そのものではないからそこまで非情ではないよ。いや、この場合は逆に非情なのかな?」
 す、と宙に描かれた炎の壁を隔てて正面に移動してきたヴァルは、その壁を指し示しながら言葉を続けた。
「選択させてあげよう、『生』か『死』か。母親によって弄られてしまった君の身体は、残念ながら完全に元に戻すことは出来ない……その体では『生』を選んだところで、生きたまま地獄を歩むようなもの。数多の神秘に、敵意や殺意を向けられることになるだろう。それを望まないと言うのであれば、『死』を選ぶと良い。晶壁そこから完全に出れば、お望み通り灰になれる。どちらを選んだところで、君だけでなく、彼女も苦しむことになるけれど」
 ヴァルの言うことは確かだ、と直感が告げている。要するに、彼は「セツカを自分の不幸に巻き込むかどうかの選択」をロッカに強いているのだ。生きていくにしても、離別しない限りは彼女にも自分と同じ災いが降りかかる。死して避ければ、彼女ひとりを残すことになるだろう。どちらがマシなのか。どちらが、彼女にとっての幸せなのか。
 腕の中で、今なお目覚めない妹の顔を見下ろす。涙の跡がくっきり残っている表情で気持ちよさそうに、とは言えないが、すうすうと立てる呼吸音は平常にほど近い。
「セツカは、見えないところで勝手に大事なことを決められるのを嫌がるんだ。きっと、オレが相手でもそれは変わらない。たとえアンタのためだって言っても、それでもダメって言ってくるのがセツカだからさ」
 その頬に右手で触れ、静かに撫でる。
「セツカのためだと言うなら、選択肢はひとつしかない。でも、オレだって譲れないものはあるんだ。だって、セツカはオレの――」
 長く熟考し、自身に確認を取るように言葉を紡いだ末、答える。それを聞いたヴァルは、ロッカがそう答えるのを分かっていたのか満足そうに頷き、それに応えた。
「君ならそう言うと思っていたよ。ロッカ」

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