05:旅立ちの日

 夜も更けた時間に起きた、機械の暴走を原因とした火災。それはシルバーフィールドの屋敷内、主に研究室があったエリアを無慈悲に燃やし尽くした。
 当時その場にいたと言われる屋敷の当主であるユウ=シルバーフィールド、その夫のフユキ=シルバーフィールドは、研究所の焼け跡から軽微な火傷を負いながらも奇跡的に助け出され、冬の街の施設で治療を受けている。もっとも全快したところで、従事者たちに提示された資料や焼け跡から発見された研究物によりすべてが暴かれ、そのまま裁きを受けることになるのだろうが。利用されていた子ども達も同様に治療を受けているものの、数名は既に手遅れと言って良い程にダメージを受けているらしい。
 そして実子である自分たちは、研究所から離れた場所にいたため無傷であり、両親が行ってきた非道な所業も知らないということになっていた。その証言をした人間もはっきりしないというのに、周りの大人たちはさも当たり前のようにその事実を受け入れている。その点に関してセツカも不思議そうにしていたが、ロッカはなんとなく《彼》が何かをしたのだと察していた。自身が受けた母親からの人体実験の作用については、まるで誰かが口封じでもしたかのように話題に上ることはなかった。
 シルバーフィールド夫妻が冬の街からさらってきた子どもたち、そして実子であるロッカに施した実験は、『精霊の力を流し込むための器として受信しやすい体質に作り替える』ものであった。同化しやすい電波を解明し、それを発生させるマイクロチップを子どもの体内に埋め込み、徐々に精霊の魔力と順応していくようにする。しかしそれは受け取る量を調節出来ず、過剰に魔力を吸収してしまった人体には様々な拒否反応を起こさせる。だが、ここはまだ重要な問題ではない。最大の問題は、人工の電波により歪んだ精霊の力が引き起こす『狂化』なのだそうだ。ヒトよりも強大な精霊の引き寄せられた力と、狂った電波が混ざり合い、まるで不協和音のように誰も想像すら出来ない力となってしまう場合があるのだと、《彼》は教えてくれた。そして、その前兆が自身の左腕の状態なのであり、まるで喰らいついているかのように纏わりつく闇色の腕なのだと。少なくとも、ロッカ自身はそうなる意思があるはずもないが――繰り返し伝えられた『世の中の悪意』というものに、自分が巻き込まれない保証はない。
 また、事実として無害なのだと知っていたとしても、両親が罪人となった双子に対して、冬の街は優しくなかった。当然だろう、元々シルバーフィールド家以外の裕福な家は皆無の街で、尊敬と同時に畏怖の対象でもあった。それなのに、子ども達を私欲のための実験に利用し、あまつさえ殺人とも言える行為を行った両親の子なのだから。誰かが味方になってくれることもなかった。――世話役であり教師でもあった、ナツヤ=シュミート以外は。
 だから、幼い二人は決めた。街を離れて旅に出よう、と。このままこの冬の街にいても、きっと誰も幸せにはなれない――そう考えたのだ。

「好きにすると良い。正直、君たちがこの街に留まらなければならない理由もないしね。後のことは任せてくれて良いから」
 事件後、シルバーフィールドの家の悪行の証明人としてその後始末を請け負ってくれていたナツヤにその話をすると、何でもないことのように賛成してくれた。彼が自分たちを野放しにするだろうかと不安に思っていたロッカは、その反応に正直なところとても驚いたが、セツカはほんと!?と素直に喜んでいた。
「あ、でもナツ兄は……」
「ああ、僕のことは気にしなくて良いよ。一連の手続きが終わったら、取り敢えず近くの街で教職を探そうと思っているんだ」
「……分かった! 行く場所がきまったら、手紙なりなんなりで知らせるね」
「ああ、頼んだよ」
 今まで通り、これまで通り。何のことはなかったかのように、セツカとナツヤ、ふたりのやり取りは行われる。
 彼が『両親に正式に雇われた人間ではない』こと、そして『正体』は、ロッカしか知らない。彼女がそれを知ったところでどう反応するかはむしろ分かり過ぎるほどに予想が付くのだが、不用意に正体を明かすことは混乱に繋がりかねない、という《ヴァル》の意見に同意したからだ。だから彼女は、これからもナツヤを『ナツ兄』として慕い、接していくことになる。後ろめたくもあるが、きっといつか話す時が来る。でもせめてそれまでは、ロッカは彼女に余計なものはもう、背負わずにいて欲しいと思う。だから、《彼》の意見を受け入れようと思ったのだ。
 そんなことを考えているなどとは思ってもいないであろうセツカが、やったやった、と素直に喜んでいるのを眺めながら、ロッカは呆れたように溜息を吐く。
「――ロッカ、セツカ」
 するり、と自然に鼓膜に響いた声。直前まで聞いていたはずなのに、まるで別人に話しかけられたかのような厳かさを感じ、ロッカは思わず姿勢を正して発言者に向き直った。目の前にいるのは、間違いなく自分たちの知る『ナツヤ=シュミート』という青年であるはずなのに、《彼》の姿が脳裏を過ぎる。
「ここから始まるのは、君たちの意志によって導かれ、自力で手に入れた、君たち自身の人生だ。何があろうとも、悔いのないように生きると良い」
 それは、例えるなら普通の子どもが先生から受け取るような激励。そして、崇高な存在からの神託とも言えるのかもしれない。数多のヒトが望んだしても与えられない、それこそ教会で《カミサマ》を崇めている者たちですら。
 まさかそんなものだとは思っていないであろうセツカは、暫しの硬直からすぐに立ち直り、もー!と声を上げた。
「突然なぁに? ナツ兄、なんだかケンジャさまみたい!」
「おや? それは僕が見た目以上に歳を取ってると言いたいのかな? 傷付くなぁ」
「ちがうよ!?」
「ふふ、分かってるよ。セツカにそんな他意が芽生えることはないだろうからね」
「なんだろう、ほめられてはいない気がする……!!」
 いつも通り、変わらない。自分たちの立場が変わったというのに、何も。きっとこれで正解なのだ、とロッカは考えることを止め、この穏やかな時間を享受することにした。
 とはいえ、『穏やかな時間』という部分だけは直後に一瞬で壊されることになるのだが。
「しかし、目的のアテもない旅か。もちろんそれもありだろうけれど、当面の行き先を決めるには少し不便じゃないかな?」
「目的ならあるよ! この街に祝福を与えてくれていた、セイレイさんのあるじであるカミサマをさがして、ごめんなさいって謝りに行くの!」
「……は、はあぁ!?」
 ここ最近で一番だったのではないかと自分でも思う程に大きな声を上げてしまったロッカだが、それも仕方のないことである。何故ならそんな話、二人で話したときには一切していなかったからだ。まさに寝耳に水というものである。
「待てセツカ、そんなの聞いてないよ!」
「今言ったもん!」
「そうだけど! だいたい、見つかるわけがないだろそんなの! ほんとうにいるのかも分からないし、セイレイのあるじってことは、その――」
「……ふ、ふふっ……」
 言いかけたところで、ふと僅かに笑い声が聞こえることに気が付いた。この場には三人しかいない、ということは。ロッカが視線を残りの一人に向けると、こちらから顔を反らして笑いを堪えるという、ナツヤにしては珍しい姿がそこにあった。普段の彼は淡々と微笑みを浮かべるだけで、こうして肩を震わせ、耐えるように笑うことはほとんどない。果たして今のやり取りのどこで、彼の笑いのツボを刺激してしまったのか。いや、全部なのか。セツカですらぽかんとした表情で、彼の笑いが収まるのを待っていた。
「ああ、失礼……。まさか、そんなことを言い出す子がいるとは思っていなくてね。つい」
「ナツ兄まで〜……名案めーあんだと思ってるんだけどなぁ」
「ああいや、馬鹿にはしていないよ。良いんじゃないかな? 目的のあてにはなるし、もし見付からなくても、捜す過程で歴史の勉強にもなる。僕なら賛同するね」
「ほら! じゃあ決まり!」
 セツカは嬉々とした表情で手を叩くと、「じゃあわたしさっそく準備するね!」と言い残し、颯爽と部屋を去っていった。我が片割れながら本当にアイツは……と頭を抱える横で、ナツヤは心底面白そうに笑みを浮かべている。
「ナツヤ、何で止めないの? セイレイのあるじってことは、」
「うん、《ヴァル》の主でもあるね。何か問題あるかな? 良い考えだと思っているんだけど」
「……子どもなんかに見つけられるはずがないってこと?」
「いいや? ただ、いくら無謀だと分かっていてもなお面白いことを成し遂げようとするならば、それを見てみたいと思っているだけだよ。力なきヒトは、諦めることで成長を自ら止めることが出来る反面、諦めさえしなければいつまでも成長出来る存在なのだからね」
 ナツヤの言っていることが分かりにくいのはいつものことだが、今日は一段と良く分からない。ただ、少なくとも彼が人間らしからぬ思考をしていることだけは、幼いロッカにもなんとか理解が出来た。だから追求は諦める代わりに、ぽつりと口を漏らすのだった。
「……やっぱオレ、ナツヤのそういうところ苦手だ」
「まぁ、年長者の戯言と思っていてくれて良いよ」

▼▼ここから漫画の予定▼▼
「――セツカ。良かったのか?」
「何が?」
「あのままお母さまの言うとおりにいれば、少なくともアンタだけは、シルバーフィールド家の娘として暮らしていられた。苦労もなく生きることができたかもしれないのに」
「なんだ、そんなこと」
「そんなことって――」
「わたしたちは、双子のきょうだいだよ? どっちか欠けても、悲しいでしょ」
「…………そんな理由で?」
「理由なんて、わたしにとってはそれで十分だよ」
「それに、」
「ロッカはわたしがいないと、すーぐひとりで全部かかえちゃうからね!」
「……なんだ、それ」
「さ、行こう!」
「どこに?」
「分かんない! 分かんないけど……きっと、どこまでも行けるよ。ふたりなら」
「……そうだな。ふたりなら、行けるよな」

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