04:執行の炎

「……う、」
 朧気だった意識が、一気に覚醒する。積雪による気温の低下が激しい時期にそぐわない、薄い布地の衣服の襟を掴み、僅かでも温かみを得られないかと縮こまった。
 最近、意識がしっかりしている時間のほうが少ないと感じる時がある。今だってそうだ、こんなところに突っ立っている理由すら思い当たらない。隣で壁にもたれている、自分と同じくらいの少年がどこの誰なのかも知らないし、何故自身の屋敷にいるのかも分からない。
 夕刻頃に、従者から呼ばれていると母親の元へ連れて来られた。そのあと、身に着けていた服をひっぺがされ簡素なものに着替えさせられたかと思えば、いくつか検査を受けて――そうだ、その最中に今横で転がっている子どもの悲鳴が聞こえたのだ。それを回収しろと命じられたところまでは覚えている。そして、もうひとつ。
「セツカは、だいじょうぶ……だいじょうぶ?」
 何故そう確信しているのか、思い出そうとすると痛みが走る。まるで自分の思考ではないみたいに、勝手に脳内を駆け回る思い。あの子は、もう大丈夫。頼れる者に、預けたから。きっと彼なら、彼女を安全なところに連れて行ってくれるから。
 ふと、自分の左腕が視界に入った。おおよそヒトの肌の色として見たことがない、漆黒に喰われそうになっているそれは、物語の中で語られる魔物や、ヒトではない者の特徴でよく見かけるものである。
「……バケモノみたいだなぁ、オレ」
 それを見て、自然と思ったことが口に出た。
 ロッカは、両親が話す難しい話は一切理解出来ていない。当然だ、同じ年の子より大人びているとはいえ、まだまだ幼い子どもなのである。ただ、何も知らない子どもにとって、『他と比べると明らかに異質な自分』は、大人が思うよりも本人に暗く影を落とす。
 母親が、自分とセツカの扱いを全く同列に考えていないのは分かっていた。彼女はシルバーフィールド家の次期当主としての勉強を受ける傍ら、自分は何年も前からこの家の『研究成果』として名を遺すであろうことが、誰でもない母親本人から口にされていたから。それを嫌だ、と拒否することは出来なかった。拒否したところで、子どもに抵抗するすべもない。
 それでも、セツカに対して暗い感情を向けるつもりも、両親が何をやっているのかを話すつもりもなかった。彼女の中に描かれている『自慢の両親』を否定して、泣かれるのが何より嫌だから。自分が黙ってさえいれば、少なくとも彼女だけは何不自由ない人生を生きていけるのだろうから。

 隣に転がっている少年を左腕で引き摺るように抱えて研究室に戻ると、まだ騒動の真っただ中だった。
 研究室に集められていた子どもたちが逃げたため、研究の再調整を行っていたロッカに回収しろと命じられていたのだ。他の大人たちは研究機材の現状を確認するのにてんやわんやで、ほとんど薄着のまま外から戻ってきた子どもを気にもかけない。いつもの光景だ。
 きょろきょろと母親の姿を捜すと、彼女は父親とともに部屋の一番奥のコンピューターの席にいた。画面を二人して凝視し、何やら議論を行っている。話しかけて良いものか一瞬迷ったが、話しかけずにいても返ってくる言葉は同じなので、気にせずお母さま、と声をかけた。
「ロッカ。『失敗作』は無事回収したようだな」
「……うん。でも、セツカが襲われてたから、セツカにも知られちゃった」
「なんだと!? あれほど知られるなと――」
「フユキ」
 フユキは激昂の声を上げるが、直後それを諫めるように名を呼んだユウの視線に一瞬で縮こまる。
「逃げた『失敗作』よりも私が指示を出すのが遅かったのだから、いくら“実験で強化した”ロッカの足でも物理的に間に合うはずがないだろう。しかし、誰かを襲うだろうと思ってはいたが、それがセツカなのは不運だったな……それなら、あ奴にも実験に協力してもらうしかあるまいな」
「……え」
 今、何と言ったのか。ロッカは自分の耳を疑った。この人は、自分や街から連れてきた子どもだけでは飽き足らず、セツカも実験を行う?
「なに? ユウ、いくらなんでも――」
「跡継ぎはまた、改めて産めば良い。それともなんだ、フユキ。お前も一緒に体験してみたいのか?」
「……い、いいや、そんな滅相もない!」
 ロッカはまだ、その時はそれがどういう意味で発言されているのかまでは分からなかったが、それは傍から見れば一目瞭然であった。つまり、『内密にしていた事柄を知ってしまった者の処分』である。だが分からなくとも、両親のやろうとしていることが自分にとって、そしてセツカにとっても良くないことであることだけははっきりと感じ取っていた。それが間違いでないことを確信するには、ぶんぶんと手を横に振りながら否定する父親、フユキの姿を見るだけでも充分である。
「……お母さま。それは、ほんとうに家のためなの?」
「何を言う。我々の研究は、世の中の軍事に対して驚異的であり、効率的な戦力強化を図ることが出来るようになる。それを欲しがる者に提供し、本当に役に立つことを証明すれば、シルバーフィールドの家は引く手数多となる。永遠に貴族としての地位に居座るため、この技術を追求してきたのだ。当然に決まっているだろう」
 あ、だめだ、と思った。このひとは、『オレたち』を見ていない。自分たちの犠牲の上にある、『追い求めている素晴らしい技術』のみを見ている。それに気が付いてしまったロッカは、自然と口を動かしていた。
「……だめ、だよ。お母さま」
「何?」
「セツカは、あの子・・・はダメ」
 セツカにあんな思いさせてはいけない。オレが、オレだけが犠牲になれば良かったはずなのに、なんで。ぐちゃぐちゃになっていく感情と思考を表すかのように、ロッカの左腕が黒く染まり、影がうごめくように揺らめいた。キイィ、と耳元で耳鳴りのような音が鳴り響き――。
「――ロッカ!!」
 それを打ち消すかのように響いたのは、通りの良い聞き慣れたソプラノ。それは、正気を失いかけていたロッカ自身の思考をふ、と呼び戻した。聞き間違えるはずのない声の主は、あろうことか研究室の入り口の中央に立っている。幻聴であれと願っていたが、その思いも空しく声の主はやはりセツカ本人だった。
「セツカ――何で来たんだ! お母さまはアンタを、っう……」
 母の前に出てくるのは危険だと、だからこそ、誰か大人にセツカを外に連れ出そうとしてもらおうと頼んだはずなのに。そこまで思考したところで、ズキリと頭が痛んだ。なんで、どうして。冷や水を浴びせられて冴えたかと思った思考が、再びこんがらがる。
「…………セツカ。こちらに来てはダメだと躾けたはずだが、お前はいつから言うことを聞かない出来損ないになり下がったんだ?」
 ユウが、ちらりと入り口の周辺にいる研究員を一瞥する。そこは一連の騒動により、誰もが忙しなくしている有様だった。誰も、絶対に入れるなと言われていたはずの主任の娘がこっそり入ってきていたことにすら、気が付いていないようだ。
 そのまま振り下ろされる、セツカと似ているようでいて正反対の、冷たい刃のような声。感情など感じられない絶対零度の瞳は、双子を射抜くように向けられていた。セツカが自身の体全体を使ってユウから自分を隠そうとするが、母の冷酷な瞳に気圧されながらも、絶対にそこから逸らすまいと自身を奮い立たせているのが、小さな震えとして伝わってきた。
「お母さま、ロッカになにしたの?」
「何とは? 私は病弱なロッカの治療を――」
「うそつき! わたし、知ってるもの。ロッカにセイレイさまの力を植え付けて、ひとを傷付けようとしたってこと! そのために、街の子たちを利用して実験してたってことも!」
「…………セツカ、それは誰がお前に話したんだ?」
「わたしが聞いたの! だれが言ったのなんて、カンケーない! ロッカが痛くて苦しい思いをしてるのは、わたしはイヤだ! ロッカだけじゃない、なんで、みんなが苦しまなきゃいけないようなことをするの!? お母さまとお父さまは、みんなをしあわせにするための研究をしていたんじゃなかったの!? わたしには、そんな風に見えないよ!」
 素直過ぎる。傍から聞いている人間がいるならば、そう感想を口にするだろう。セツカの主張は、純粋な子どもであるからこそのものであっただろうが――それは、ユウを相手では彼女の神経を逆撫でるだけだった。
 ユウは一歩近寄り、あろうことかその右手を自らの娘の首にかけたのだ。避けるという思考を持たないセツカはあっさり捕まってしまい、軽々と持ち上げられてしまう。
「言わせておけば、馬鹿娘が。出来損ないになってしまうとは。私は悲しいよ――実に残念だ」
「あうっ……!」
「セツカ!!」
「やはりお前ごときに家は任せられない。新しく後継ぎを産むことにしよう、お前たちは用済みだ」
 ギリギリ、と首にかけられたユウの手の力が強められたのか、セツカの足がよりバタバタと振られ始める。だがそんなことをしても、幼い彼女の足が地面に触れることは、絶対にない。
「お、かあ、さ……」
「セツカをはなせよ!!」
 苦しげな、弱々しい声。容赦なく締め上げられているのだろう、このままでは危険だとロッカは声を張り上げ、自らの母親に向かって駆け出す。反抗した先に待つのが更なる苦痛だったとしても、今は彼女を助けるのが先だと思った。
 ――ビーッ ビーッ ビーッ!
「っ!?」
 刹那、耳をつんざくような不快な機械音が、研究室の空気を容赦なく揺り動かす。その場にいた者たちは、驚愕して動きを止めた。それはロッカも例外ではなかったが、動くなら今だ、といち早く硬直から抜け――。
「おっと、それ以上はいけないよ」
 その声は、平常時よりけたたましい音が鳴り響いている空間であるにも関わらず、静かに、だが厳かに鼓膜に届いた。これまたよく知る者の声と、何かが斬れる音。同時に真っ暗になる視界。暗闇から感じる温かさで、恐らく声の主に目を塞がれたのだろうと分かる。何故か抵抗しようという意志は湧いて来ず、逆に一種の興奮状態だったロッカの感情は、徐々に落ち着いていく。大人たちの怒号も、鳴り続けるブザー音も、セツカの声も聞こえない。彼女は大丈夫だろうか、痛いと泣いてはいないだろうか。
「誰だ、貴様は」
「……え?」
 暗闇から聞こえた声に、ロッカは耳を疑った。自身の目を塞いでいるであろう彼は、双子がもっと幼い頃から『両親から雇われた教育係』だと称し、屋敷に存在していた。だがユウのその問いは、まるで二人が契約関係であるどころか、これが初対面だと言っているようなものである。対峙しているであろう人物は、いつもと変わらぬ口調でそれに答えた。
初めまして・・・・・、《奥様》に《旦那様》。僕はナツヤ=シュミート。『貴女がた自身に、お二人のご子息の教育係を任されていた者』だよ」
「貴様のような者を雇った覚えはないが」
「それはそうだろう。何故なら僕は、貴女たちに『教育係』と認知してもらえるよう、接する人すべての認識能力や記憶を、『少しばかり弄らせて』もらったのだから」
 ロッカには彼――ナツヤが何を言っているのか、さっぱり理解出来なかった。どういうこと?と訊ねようと名を呼ぼうとしたが、それは叶わない。会話が途切れたところで彼が囁くように、まるで言い聞かせるように耳元で呟かれた声を、鼓膜が拾う。
それ・・は、ヒトの子どもの体には負担が大き過ぎるんだ。同調し過ぎると、この子自身・・・・・も消えてしまうよ。返してあげなさい」
 まるで、自分ではない誰かに諭すような言葉。それはロッカにとっては子守唄のような安心感を与えるようで、不思議なことに昂ぶっていた感情はそこで全て失われ、入れ替わりに強烈な倦怠感が押し寄せてくる。
「――ま、まってナツ……ヤ……」
 力を振り絞って口を開くが、それに応じられたかどうかすら分からないまま、ロッカの意識は底へと沈んでいった。

   ■   ■   ■
 
 ロッカの意識が沈んだのを確認すると、ナツヤはセツカの隣に寝かせた。ユウに突然宙から現れた炎の槍が当たった衝撃で彼女は拘束から解放されたが、その際に気を失ってしまっている。幸い、いや狙い通り・・・・研究室に備え付けられたソファの上に落とされたので、締められた首以外に目立った外傷はない。むしろ、こんな状況で意識があるほうが、幼い子どもにとっては辛いものでしかないかもしれないが。
 さて、と立ち上がり、未だこちらをナイフのような鋭利な視線で睨み付けているユウに向き直る。彼女は訳が分からないと言いたげだが、ひとつ間違えればたちまち激昂の色を浮かべるのが容易に想像出来る。だというのに、対峙するナツヤはいつもと変わらぬ表情でそれを受け止めた。周囲は未だ、機械系統の異常を知らせるブザー音が鳴り響いている。
「まさか、実の子に手をかけようとするとはね。流石にヒヤッとしたかな……さ、大人の話をさせてもらおうか」
「こんなことをして、無事に帰れると思っているのか?」
「そんなもったいないことをするつもりはないよ。何故ならば、僕は貴女に用があるからね。これ、何か分かるかい?」
 言うと、ナツヤは懐から何かを取り出す。それは数枚の紙を麻紐で纏められた束と、親指大の小さなチップが収められたケースだった。紙束の表紙にはいくつかの文字と、シルバーフィールド家の家紋が押印されている。怪訝そうに顔を歪めていたユウとフユキの表情が、それが何なのかを認めたのち、僅かに動揺のそれへと変化していく。
「……何故、貴様がそれを持っている? 保管庫に、厳重なパスワードをかけた上で保管させていたはずだが」
 ナツヤが持ち出していたのは、シルバーフィールド家が手を回してきた事業の契約書や、研究資料の一部であった。それも、表の顔で行っているものではなく、裏の顔で活動している――つまり、非人道的な人体実験を要する研究を支持する者たちとの契約書。それらを一歩外に出されれば、即座にシルバーフィールド家の信頼は地に落ちることだろう。
「厳重ねぇ。僕にとっては簡単過ぎるくらいだったよ、もう少しセキュリティに気を使ったらどうかな? 特に耐燃性とかね」
「……貴様か。セツカに、うちの研究を漏らしたのは」
 視線だけで人を殺めることが出来そうな視線にも臆することなく、ナツヤはおもむろに紙束を広げ、ふむ、と相槌を打つ。
「◯日、補充予定の被検体が到着。コード『ニヴァリス』のデータインストール完了。状態は良好のよう。経過観察に入る。――◯×日、現段階で最良のデータは集まった。アップデートと身体能力向上の程度を測るため、身体的に優良とは言えない被検体を利用して観察する必要がある。適合出来なかった被験体は身体の不調を訴え、嘔吐している。――◯◯日、今まで順調に被検体にインストールされていた精霊の力が、少し弱まっている。原因追求を行う予定」
 それは、報告書のようであった。一日一日の内容が仔細に記述されており、どのような研究がされていたのかは一目瞭然である。――それはもちろん、彼女らが「被検体」と称する者たちへの扱いの記録も存在していた。
「シルバーフィールド家は、医療と工学の発展のために研究・開発を行っている。しかしそれは表向きの評価であり、実際には冬の街の幼い子どもたちを利用して人体を人工的に強化する手段を模索し、軍事方面への利用を企てていた。その取っ掛かりとして、善良な精霊の力を解析し模倣……いや、これは搾取と言ったほうが正しいか。搾取したその力を人工のマイクロチップに移植し、それを子どもたちの体内に埋め込んだ。その実験を繰り返して製錬された試作品がどこまで効力を発揮出来るか調べるため、跡継ぎとしては不要である病弱な実子を利用し、どの程度の身体能力向上が見られるかを確認していた、といったところかな。実験が上手く行けば同業者への牽制にもなるし、失敗しても身内の不幸ということで処理が出来る。子どもたちは、街に設置されている装置を利用し、積雪地帯にありがちな遭難を装って確保したんだろう。技術を売って得られる富に目が眩んだかな? ――どこか間違っているところがあれば、指摘してくれると嬉しいな」
 すらすらと、教鞭を振るう教授のような語り口調で読み上げられたそれは、お世辞にも健全な事業の業務日誌とは言えないであろう。むしろその逆――。紛れもなく、人が踏み入れてはいけない領域へ突き進もうとする愚かな行為の記録であった。ご丁寧に、非人道的な行為すらも詳細に証明している。
 しかし、それを読み上げられてもなお、ユウは顔色ひとつ変えずにいた。あまつさえ、ふん、と開き直ったような表情すら浮かべているようで。
「指摘箇所か。敢えて言うなら――私の目的は、金などではない。この家の、永久的な地位だ」
「…………なるほど」
 この時、ナツヤの声が僅かに低く、また殺気を強めたことに気が付いた者は、果たして存在するのか。持ったままの冊子とチップを前に掲げ、依然として氷のような視線をこちらに向けている彼女に声をかけた。
「これらを街に提出すれば、すぐにでも非人道的な人体実験を行っていたという、シルバーフィールド家の闇は明かされるはずだ。まして、当主から直に雇用されている人間からの告発。信憑性を疑われることもない、完璧な証拠になるね」
 くすくす、といっそ馬鹿にしているのかと思われかねない薄ら笑いのナツヤに、ユウの表情が次第に険しくなっていく。今この場で双子に意識があったとしても、微塵も理解出来ないであろう対話が淡々と行われている光景は、異様なものである。
「それを許すとでも?」
「当然、貴女は許さないだろうね。合図さえ出せばすぐに僕を取り押さえられるよう、数人の武装した人間や機械兵士を周囲に待機させているのが良い証拠だ」
「なっ……!? 何故それを」
「フユキ!」
「おや。カマをかけたつもりだったけど、当たっていたか。――まぁそんな子ども騙し、僕には効かないんだけどね」
「そこまで知られているからには、なおさら貴様を逃がす訳にはいかないな」
「残念ながら、貴女たちの許す、許さないは関係ないよ。何故なら、罰はここで執行する・・・・・・・・・・のだから」
「罰? 貴様、一体――」
 ユウの問いかけが全て発されないまま、勢い良く吹き上がった熱風。まるで研究室をかまどに仕立て上げようとしているかのごとくうねるそれに、場にいる者たちは視界を遮られる。彼らが眼球を守るために瞼を下ろし再び開いたとき、そこには第三の者が存在していた。
 うっすらと赤みがかった白髪の、フードのついた厚手のローブを纏った青年。そこにいたのは『ナツヤ=シュミート』という青年であるはずなのに、まるで映写機のコマがひとつ抜け落ちたかのように、気が付いたら現れていたそれ。
 青年がす、と右手を振った直後、彼の周囲に様々な形の、炎で形作られた武器が浮かび上がる。その数、百以上。普通の人間にはとても真似が出来ぬ芸当であり、即ち『彼』の異質さを浮き立たせた。空調の不調により外気で冷え切った室内に、突然発生した熱源。当然室内の温度は急上昇し、それぞれのコンピュータが鳴らす危険信号のブザー音が重なって、奇妙なメロディとなっていく。
 その圧倒的で美しく揺らめく紅蓮はそこにいる人々の視界に光を写し、目の前の恐怖に満ちた表情を、ゆらゆらと照らし出す。
「……まさか、貴様が《執行者》……!?」
「いかにも、と返しておくけど、君たちが我らを如何様に呼びようとも、そこに興味はないよ。《大いなる意志》を脅かさんとする者に、余すことなく罰を下さんと……そして我が《同胞》である、精霊の呼びかけに応え参上したまで」
 彼は薄ら笑みすら止め、いっそ無とも言える表情でユウたちを視界に収めた。周囲で蠢く炎をそのまま切り取ったかのような双眸に映し出されたフユキの姿が、ぶるると震え上がる。
「ユウ=シルバーフィールド、及びフユキ=シルバーフィールド。貴女たちは神聖なるものを亡きものとし、人間として・・・・・、入ってはならない禁忌の領域に足を踏み入れた。君たちは一切気が付いていないだろうけど、俺は今怒っている。いくら愚かな人間でも、何故かくらいは説明しなくても分かるだろう。――君たちにはずかしめられた、《同胞》のお返しをさせてもらおうか」
「主任! いくら消化活動を行っても、収まるどころか強く――」
「に、逃げられん! 助けてくれぇ!」
「く……、衛兵! 機械兵士だけをこちらに回して、機械の鎮静と消化に集中しろ!」
 ユウの指示が鋭く飛ぶ。この部屋を包み込む炎は文字通り青年の一部であり、彼が出力を止めないことには決して鎮火しないことを、消火活動を行う者たちは知ることもない。愚劣な足掻きを眺めることにしよう――そう決め込もうとした瞬間。ぞわり、と背中に悪寒を感じた。
 炎で生成した紅蓮の武器。それは炎を司る青年にとって手足のようなものであり、また自身を守る要塞バリケードである。自身の意思で生成から消失、増減に至るまでを制御出来る――つまり、少なくともヒトのような生半可な存在ではそれを掻い潜り、自分の背後に回ることは不可能なはず。今この場に存在している中で、それを可能にする者と言えば。
 思い当たる節がありつつも、手の中に紅蓮の武器を生成し殺気を伴いながら振り返ろうとしたところで、腰よりやや下のほうに軽い衝撃を感じた。少しだけ視線を下げそれの正体を確認すると、少年が青年の腰に半ば右手だけで抱き着くようにして己の体を支えている。自身の予想通り、意識を失っていたはずのロッカだった。子どもに不釣り合いな異型の左腕は引き擦るようにしているため、もしかするとまだ自分の意思では動かせないのかもしれない。既視感に納得しつつ、彼の名を呼ぶ。
「ロッカ? いや、今はどちら・・・・・だい?」
 他の者が聞けば意味不明であろう問いかけだが、相手がロッカでなければそれで通じる。果たして、と彼が口を開いた。
「……ヒトのこたち、ツミ、ナイよ」
 返ってきたのは問いの答えではなかった。拙いながらも人間たちの操る言語そのものであり、片言の言葉はまさしく『彼が彼ではない』という証拠。いくらヒトの身体を借りていようが、声帯で発する方法や言語の規則というものを知らなければ、おのずとそうなるのである。青年は予想していたのか、その返答に僅かばかり笑みを浮かべて応えた。
「安心しなさい、承知しているよ。しかし、悪い子だね。返してあげなさい、と言ったはずだよ」
「……………………」
「……すまない、少し意地悪を言った。人間の体を借りないことには、既に対話することすらも出来ないのだろう?」
 ぶす、と少し不貞腐れたような顔をして黙り込む少年に、悪戯が過ぎたかと謝罪しつつ、柔らかな黒髪をかき混ぜるようにして撫でる。本来精霊は、ヒトのように実体を持たない。故に力を模倣され、奪われた精霊は魔力を用い、自身の姿を現すことさえ出来なくなっているのだろう。の者が、ロッカの身体を借りて対話しているのだ――最後の力を振り絞って。
「ならば《同胞》よ、心残りがあれば乞うと良い。せめてもの手向けに、叶えてあげようじゃないか」
 自らの全てを心無い人間に奪い取られた者は、せめてもの力を振り絞り、誰かに見付けて欲しいと花に願いを込めた。そのお陰で、手をこまねいていたシルバーフィールドの闇に踏み入る切っ掛けを作れたのだ。せめてもの礼として、彼の者の願いくらいは聞き入れてあげようと問うたものだったが――。
「        」
 全てが結びついた時、なんて皮肉なことなのだろうと口元を歪ませたのを思い出す。死にものぐるいだった精霊のもとへ自身を誘ったのは、彼の者に危害を加えた張本人の子どもであったのだ。そして、声なき声の願いはまたその皮肉を助長させる。けれど、性質から言えばそれは当然のことだった。彼らは――いや、自分も含めた・・・・・・精霊たちは、元来純粋な意志しか持ち合わせていないのだから。
「……ああ、承知したよ。後のことは任せなさい。――ゆっくり休むと良い、良い夢を」
 そう言うと、彼の者の気配はすう、と消え去っていった。崩れ落ちそうになるロッカの体を支え、再び地面に寝かせながら、残されたものに視線を落とす。
 彼の者の気配の代わりに現れたそれは、二輪の花びらが折れた《ニヴァリス》の花。折れないように、だが力強く茎を握りしめ、青年は周囲の人間や機械兵士に視線を戻した。その瞳には、先程までの穏やかさとは真逆の、燃え盛る炎のような激情が浮かんでいる。
「人間ごときが生み出した無機物が、どの程度俺の炎に耐えられるか……最後くらいは意地を見せてみなよ、愚かな人間たち」

 ――その翌日。雪の街の郊外にあるひとつの貴族の屋敷が、全焼したとの一報が冬の街に届いたのだった。

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