02:冬の街

「ロッカ! 街に行こう!」
 自室に入ってくるなり元気過ぎる声が響き渡り、ロッカはその言葉の意味も相まって頭を抱えていた。
 『検査』が終わってからセツカとナツヤのいる部屋に戻り、授業を受けたあと。メイドに出された昼食を食べ、ふたりには穏やかな時間が与えられていた。教師役であるナツヤに他の仕事が入っている日は、昼の授業がなく自由時間となっているのだ。ロッカはその時間は毎回授業のおさらいや、読書などで過ごしているのだが、セツカは屋敷の庭に出て探検したり、好奇心の赴くままにうろうろとしている。――と、こう言われるまでは思っていたものだ。
 シルバーフィールド家の屋敷から街までは、そう距離がある訳ではない。幼い子供二人とはいえ、道中に遭遇するとマズい動物が生息しているというのも、メイドから聞いたこともない。ただ行くだけなら、何の問題もない。――問題は、そもそも最初にあるのだ。
「セツカ。お父さまやお母さまに、町に行くことは禁止されているだろ」
 ふたりは両親に、街に行くことはおろか屋敷の敷地内を勝手に出ることさえ禁止されている。メイドたちに問うても理由を話してくれるはずがなく、ロッカは窓から見える街の光景しか見たことがなかった。
 だが、セツカは大丈夫だよ!と胸を張りながら、自信満々に答える。
「だってわたし、ここからこっそり抜け出せる、とっておきの道を知っているから!」
「何をしてるんだよ……」
 流石に言わずにはいられない。あの両親の目をかいくぐり、屋敷の外はおろか街まで行っていたとは。これは果たして好奇心の本領発揮なのか、それとも――。と、真面目に片割れの所業について思考を巡らせているロッカの腕を、セツカが手に取った。そして、急かすようにぐいぐいと引っ張り出す。
「いいから! 行こう! ナツ兄もいない今のうちなんだから!」
「わっちょっと待て待て、分かったから引っ張るな! でもその前にアンタ、そのままで行くつもりか!?」
 セツカはきょとんとして、自身を見下ろした。今の彼女の服装は、いかにも良いところの子供ですと言いふらしているように小綺麗なワンピースなのである。目敏い者なら、すぐにどこの子供か分かってしまうはずだ。両親に告げ口されようものなら、どんな目に遭うか想像付いたものではない。それだけは避けないといけない、と幼い思考ながらも思い至った上での言葉だったが、
「? そうだけど。いつもだよ?」
「…………逆にすごいと思ったよ、今」
首をこてんと横にしながら肯定されてしまう。ロッカは彼女の危機感の薄さに頭を抱え、今度ナツヤに相談しないとと溜息を吐くのだった。

   ■   ■   ■

 冬の街はちらちらと雪が降っていたものの、それを溶かす勢いの活気に満ち溢れている。その理由は、《ニヴァリス》の開花が近い――即ち、祝福の訪れがもうすぐそこだからだ。
 街道は自動で起動する温暖装置によって整備され、最低限の降雪による危険からの安全は確保されている。もっともそれもつい最近導入されたもので、シルバーフィールド家の影響力の高さを垣間見るものであることは、物心ついた頃より、家の敷地内からの必要以上の外出を禁止されているふたりは知る由もない。
「うわぁ〜! 前に来たときよりもにぎやか!」
「セツカ、はしゃぎすぎ」
 セツカは目を輝かせながら、そわそわと周囲を見回している。長い髪は結わえ、その上から被せたキャスケットの中に全てしまい込んでいる。服装も女の子らしいものから、一見少年にしか見えないものに。ロッカが、せめて着替えて目立たないようにしようと苦心した結果である。当の本人は、「探偵さんみたい!」と言って以前読んだ物語の主人公を彷彿とさせたのか、ひたすらはしゃいでいるだけだったが。こちらの服も普通に比べれば上質なものではあるが、あくまでも目立たなければ問題ないだろう。
「いいな、『わたし』じゃなくて『ボク』だ。バレないようにふるまうんだぞ」
「まかせて〜! よゆうよゆう!」
 念を押すように言うが、セツカは軽く流すだけ。本当に大丈夫だろうかと不安に思うものの、ここまで来てしまったら後はなるようになれだ。それよりも――と、ロッカは彼女のあとを追いかける。目を離した直後には視界から消えていそうな勢いでうろうろキョロキョロとしている彼女は、幸いにもすぐに一点を見つめて立ち止まった。
「ロッカ! あれなんだろ?」
 視線の先には、円形の花壇に囲まれた大きな石像。ベールに包まれた顔は全く見えないが、両手いっぱいの花を抱えたそれは、僅かに微笑みを浮かべているようだった。まるで、絵本や物語の挿絵に出てくる天使のような造形に、ロッカは思い当たったことを口にする。
「たぶん、『カミサマの像』だろ。みんなが信じている《カミサマ》とやらを型どったもの、かな」
「こら、そこの坊主!」
「うわっ? な、なに……?」
「とやら、なんて言ってると《執行者》に怒られちまうよ! あの像は、うちの街を守ってくださる方々の象徴なんだからね」
 突然の背後からの大声に、ふたりは体をビクリと跳ねさせた。声の主はすぐそばの花屋の女主人で、恰幅の良い体を仁王立ちに、こちらを見下ろしている。
 《執行者》という言葉をまさに数時間前に聞いたロッカは、僅かに肩を震わせた。結局あの場ではなんの事かさっぱり分からなかったが、そんな存在の話を両親がしていたのは、どこか不気味に感じてしまう。一方セツカは微塵も恐ろしいなどとは思わないらしく、花屋の女性の説明にへぇ!と目を輝かせた。
「お花屋さん、《シッコウシャ》ってなぁに?」
「おや、知らないのかい? 《執行者》ってのは、我らの《神様》の代わりに善を祝福し、悪を断罪する。要するに、代わりに話をしてくれる偉い人ってことだね」
「かっこいい! 会ってみたいなぁ」
「アンタたちが良い子にしてたら、祝福しに来てくれるだろうよ。全く、うちの子供もアンタのような素直な子だと嬉しいんだけどねぇ」
 無邪気な言葉に、花屋の女性は渋面を浮かべ、腕を組みながらうんうんと頷いた。セツカははてなマークを浮かべ、首を傾げて尋ねる。
「お花屋さんの子?」
「いやねぇ。そっちの《ニヴァリス》の花壇はうちの売り物なんだけどね、うちの子が踏み荒らして行っちまったんだよ。お陰で花の元気がなくなっちゃってねぇ。元気なのは良いけど、最近は手に負えなくなってきたもんだよ」
 そう言うと、花屋の女性が手に持っていたものをふたりの前に差し出した。二輪の《ニヴァリス》の花だが、その茎はぽっきりと曲がってしまい、花びらも少しだけ折れてしまっている。こうなると茎が曲がったところを切るしかないから、と花壇から摘んできたらしい。売り物として生育されているものでなくとも、花を踏み倒すという行為自体があまり印象の良くないものであるから、花屋の女性の表情も納得である。
 セツカはそれを聞いて、なら!と手を上げた。
「お花屋さん、そのお花、わ……ボクにください!」
「え?」
「は?」
 突然の発言に、花屋の女性とロッカは気の抜けた声を上げる。持ち前の好奇心で屋敷の花壇にある花を観察することは好きらしい彼女だが、花を買うという一連の行動は実践したことはないはずだ。
「それは構わないけど……良いのかい? 売り物の綺麗な《ニヴァリス》の花もあるけれど」
「ボクは、そのお花がいいんです! お願いします!」
 ずいずいっと前のめりになる勢いで懇願するセツカに、分かった分かった、と折れたのは花屋の女性のほう。持ち帰られるように綺麗に包装してくれるらしく、ありがとうございます!と元気良く礼を言う彼女の思考がさっぱり読めない。結局、ロッカが気を取り直すことが出来たのは、花屋の女性が店の中に姿を消してからのことだった。
「お、おいセツカ、なんだよ突然……」
「え、だってかわいそうじゃない。あのお花、キレイなお顔でセイレイさんをお出迎えするつもりだったんだよ? それなのに、その出番がなくなっちゃったってことでしょ? それだったら、わたしがかわりに見てあげたいの!」
「見てあげたいって……はぁ。ナツヤにバレないように、家に帰ったらすぐに花瓶に突っ込まないといけないな……」
 彼女が突拍子もない行動や思考をすることは、特に珍しくもない。今回もその類なのだろう、とロッカは深く追及することを止め、見付かった場合の理由をセツカの代わりに考え始めるのであった。

 綺麗に包まれた《ニヴァリス》の花を抱えたセツカが、ご機嫌に鼻唄を歌いながら歩いている。花を受け取ったあと、彼女は目に留めた建物全てに駆け寄り興味を示し、そのたびにロッカは答えた。そんなやり取りを続けていると、頭の上にあったはずの太陽はすっかり山の向こうに落ちようとしていた。
 すると、彼女はふとぴたりと足を止め、《カミサマ》かぁ、と呟いた。何の意図があってそう呟いたのかは分からない。
「《カミサマ》、会ってみたいなぁ」
「ほんとうにいるとは思えないけどな」
「そうかな? わたしは信じてみたいな、ロッカを元気な体にしてくれるかもしれないじゃない?」
「ちっぽけな人間ひとりを助けてくれるわけないだろ?」
 屋敷にある幾多の本にある逸話、おとぎ話、言い伝え。そのどれもに描かれている、全知全能の存在。そんなすごい力を持っているのなら、そもそも何千何万といる力のない人間を気に掛ける訳がない、と反論する。それに、確かに生まれた時より病弱な体ではあるが、それは研究に必要とされているもの。それがなくなってしまうと――。
 否定的なロッカの言葉に、セツカが不服な声を上げた。
「きちんとイイ子にしてたら、陽気なおじいさんがプレゼントだよって言ってお願いも叶えてくれるかもだよ? 《シッコウシャ》さんもおじいさんなのかな?」
「それは別の話がまざってないか? ほら、もういいだろ。そろそろ帰らないと、見つかったら怒られるんだからな」
「あ、うん! あ、ロッカ待っ――」
 元気良く返事をしながら、後ろからセツカが近寄る。空いている右手でロッカと手を繋ごうと、彼の左手に触れようとした、その直後。
「――っ!?」
「きゃっ!?」
 反射的にパシィ、と音を立てて彼女の手を跳ね除け、少し距離を取った。全て無意識の動作だが、ロッカ自身も何故そんな行動を取ったのかは分からない。一連の流れに理解が追い付かず、セツカが行き場のない右手をそのままに、ポカンとした表情で彼を見つめている。
「……ごめん、右ならいいから」
「……う、うん。わたしこそ、いきなり手をつなごうとしてごめんね」
 謝りながら、右手を彼女に差し出す。セツカはそれをしばらく見つめたあと、小さな花束を右手に持ち替え、おずおずとその手を取った。そのまま、ふたりは屋敷へ帰る道を辿り、歩き出す。
「怒ってる?」
「怒ってない、びっくりしただけだから。……それにしても、何で街に行こうって言ったんだ? 言いつけまで破って」
 いつもより少しだけ落ち込んだように問うてくるセツカに、努めて落ち着いた声音で返す。そしてすぐに、尋ねたかったことを口にした。
 街に来てやったことと言えば、公園の隣の花屋で花を買ったこと。商店で見たこともないような色とりどりの雑貨を見たこと。自分たちと同じくらいの子どもたちが、わいわいとはしゃいで遊んでいるのを見たこと。ただそれだけであり、わざわざ言いつけを破ってまですることではないのでは、とロッカは感じていた。だからこそ、何故?と疑問に思っているのだ。
 その問いにセツカは、えっと、と首を捻る。どう答えようか迷っているのか、表情をくるくる変えながら唸り続けるさまを暫く眺めながら、足を動かす。やがて、笑わないでね、と前置きをしてから、彼女は答えた。
「初めて家を抜け出してここに来たとき、子どもたちがみんなではしゃいでるのを見て、いいなって思って……ロッカとふたりで、街に来たいと思ったの。だって、いつもロッカは部屋で本を読んだりして、いっしょに遊べてないもの。いっしょに歩いて、あの子たちと同じようにはしゃぎたかった」
「…………」
「あっ! わたしみたいにロッカの体が元気じゃないってのも知ってるのよ? でも、街を歩くだけだったらだいじょうぶかなって」
「だからって、お母さまたちにだまって抜け出そうって言い出すなんて、思ってもなかったよ……」
「怒られたら、そのときはロッカは悪くないって言うつもりだったもの」
 うう、とまるで犬猫が怒られたときのような顔をするセツカに、溜息を吐く。やっていることは褒められたものではないが、理由が理由だけに怒れる気がしないのだ。もとより、止めるどころか一緒に抜け出したのだから、ロッカには怒る資格もない。だから、彼女の頭をぽんぽんと撫で、泣くなよ、と声をかけた。
「落ち込むなって。オレも楽しかったし、な?」
「ほんと?」
「うん。ありがとな、セツカ」
「じゃ、じゃあ、またいっしょに来ようね! ぜったいだよ!」
「……今度はちゃんと、外に出る許可をお母さまたちにもらってからな」
 そんな言葉を交わしながら、ふたりは手を繋いで屋敷への帰路を辿って行くのだった。

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