01:双子の日常

 双子の住んでいる街は、ほぼ通年雪が降り積もり、常に真っ白な雪化粧を施された風景が広がっている。
 シルバーフィールド家の屋敷は郊外に存在し、窓から見える景色からはそこそこ大きな街であることが窺えた。道を見失わないようにと点けられた電飾に照らされた雪が輝き、時に視界を埋め尽くす。そこで人々が生活を営んでいる証拠――あまり街には出たことがない人間でも、こんな辺境でしっかりと生活出来るだけの技術を提供出来る者がどれだけの功績をもたらしているのか、垣間見えるというものだ。
 落ち着いた色調でありながら厳かな雰囲気を醸し出す屋敷の一室、そこにあるベッドの上で街の景色を眺めていた少年――ロッカ=シルバーフィールドは、ふと耳に届いた扉の電子ノック音に反応し、顔を上げる。
「ロッカ〜! おはよう!」
 部屋の主の返答を待たず、元気過ぎる声と共に部屋に突入してきたのは、彼の双子の片割れ。名はセツカ=シルバーフィールド――ロッカとは異なり、元気の有り余る快活な少女である。
 彼女はとてとてとベッドに歩み寄ると、可愛らしいワンピース姿にも関わらず、勢い良くダイブする。ベッドが大きく軋む音を立てたが、少女程度の重さでは壊れることはないだろう。
「おはよう、セツカ。ベッドは飛び込むものじゃないぞ」
「暖かそうだったから」
「寒いならもっと着て来れば良いだろ」
「動きにくいでしょ?」
「まぁ確かに」
「入れて~、寒い〜!」
「もう入ってるし、入ってる暇ないぞ。そろそろ勉強部屋行かないとだろ」
「ロッカだけ受けて」
「無茶言うな」
 もぞもぞと入り込もうとするセツカに呆れながら、手元の本に栞を挟み、チェストの上に置く。その横にある小型プロジェクターで映し出された時刻は、毎日の勉強を開始する時間を指し示していた。他愛のない軽い応酬を続けているが、準備を始めなければならない。
 と、彼女が開け放したままの扉のほうから笑い声が聞こえた気がして、そちらを見やる。案の定、黒縁眼鏡の青年がこちらを見て笑みを浮かべ、「失礼するよ」と言って入ってくるところだった。
「おはよう。セツカは相変わらず元気だねぇ」
「ナツヤ、おはよう」
「ナツ兄、おはよ!」
 ナツヤ=シュミート。真紅の短い髪と同色の瞳を持つ男はシルバーフィールド家の執事で、双子の世話役であり先生だ。その明晰な頭脳と、教師と紹介されても遜色のない指導力を買われ、同家の家長――つまり双子の両親に雇われている。その割には、雇い主の子息である二人に対して砕けた言動で声をかけているが、呼ばれた本人たちは気にも留めない。そもそも、そう懇願したのは双子たちのほうなのである。
 彼は苦笑しつつ、ベッドの上で上半身だけを起こしていたロッカに視線を戻し、小さく首を傾げながら問いかけた。
「体調はどうだい? どこか優れないところがあったら、すぐに言うんだよ」
「大丈夫。ありがとう」
「あれー? ナツ兄、わたしの心配はー?」
「セツカの元気で年相応なところは本当に好ましいけれど、その三分の一でもロッカ君に分けてあげたいね。先日もうっかり庭の花壇で顔から盛大に突っ込んだとメイドから聞いているけど、何をしたのかな?」
「えっと……それは多分、花壇の花をもっと近くで見たくて、柵を乗り越えようとしたのがいけなかったと思う!」
「なるほど」
「反省しろ、反省」
「してるわよ! さ、今日のお勉強のお時間です!」
 一瞬前までサボろうとしていたとは思えない速さで勉強に気持ちを切り替えたセツカを目で追いながら、ロッカは近くに立っているナツヤの名を呼ぶ。うん?と反応した彼に近寄り、張り切っている彼女には聞こえないように、小さく耳打ちした。
「あんまりアイツに、オレと比べるようなことは言わないで欲しい。シルバーフィールドに必要なのはオレではなくて、セツカだし。元気なほうが後を継いだほうが、両親も助かるしね」
 シルバーフィールド家は代々、子女を当主としている。現当主は、女性ながら様々な工学の知識を持ち、現在の家の立ち位置を築いた人物だ。双子の実の母親ではあるが、助手を務める父親共々多忙であるが故に、屋敷の敷地内にある研究室からなかなか出て来ない。時には月に一度程度しか顔を合わせることがないのもしょっちゅうであり、双子にとってはナツヤやメイドたちが親代わりでもあった。
 そして、その彼女の地位を継いで次の当主となるのは、セツカとなっている。しかし、例え跡継ぎの選定が長男優先となっていたとしても、恐らくロッカに引き継がれることはなかっただろう。生まれつき体が弱く、一日の半分以上をベッドの上で過ごしているような病弱者に、誰が好んで家の未来を託すのか。
 ナツヤは一瞬訝しむような表情を浮かべたが、すぐにああ、と納得の声を上げ、同じく小声で返答する。
「それは承知の上だよ、申し訳ないね」
「……オレ、ナツヤのそういうところは苦手だな」
「はは、つい言っちゃうんだよねぇ」
 そして、おもむろにロッカの肩を引き寄せ、耳打ちをし返した。
「……強がるのは良いけど、自分で本当にどうしようもないと思ったなら、遠慮なく僕に声をかけなさい。君はまだ、大人に守られるべき幼い子供なのだから」
 え、と目を丸くして見上げてくるロッカに、ナツヤはそれ以外何を言うでもなく。ただただ、いつもの笑顔を向けているのみだった。
「ロッカー、ナツ兄ー! 早くー!」
「あ……今行く!」
 急かすようにセツカに呼ばれたロッカは、どういう意味なのか問うことを諦め、彼女の後を追い勉強部屋へと向かう。更にその小さな背中をナツヤの紅い双眸が目で追いながら、やれやれ、と呟いた。

 シルバーフィールドの家の跡継ぎになるべく、セツカは両親から指示されて様々な授業を受けている。ナツヤによるそれは商業のノウハウから史実など実に広範囲であり、またロッカも彼女と共に受けるようにと言われている。もっとも、『先生』から出されるテストの成績は、ロッカのほうがより優秀だと物語っているのだが。
 ナツヤはテーブルについた二人を確認し、本棚から適当に数冊取り出した本を机に置くと、さて、と息を吐いた。
「今日はこの周辺地域の史実からやっていこうか。二人とも、《ニヴァリス》という花を知っているかい?」
「えっと……冬の終わりから、春の始まりに咲く花だっけ。昔、ロッカと一緒にここの花壇に植えたことがあるよ!」
「正解。《ニヴァリス》には、神のあるじ――精霊を束ねる存在のことだけど――その使いである彼らがこの大地に祝福を与えるための目印である花、とされてもいるね」
 早速出番だ、と持ってきた本の一冊をぱらぱらと捲り、目的のページを見付けると、二人に向かって差し出す。
 ほぼ通年雪が降り積もる街の、唯一雪が降らない季節。それは《祝福の月》と呼ばれ、街に様々な利益をもたらしてくれるのである。その始まりを告げるかのように咲き誇るのが《ニヴァリス》という雪のように白い花であり、街の人々はその時季をまだかまだかと待ちわびているのだ。
「あとは、『ラッキーシンボル』とも言われてるよね! 見付けたら嬉しくなるんだよね」
「そういえば、そうも言われているね。ただ、セツカは誕生日が来るまでは、花を摘まないように気を付けないといけないよ」
「女の子が早く摘んでしまうと、お嫁に行けなくなるんだよね? ヒサメさんに言われたわ」
「……ということは、手遅れだったかな」
「えへ」
「どういうこと?」
 ふたりのやり取りの意味が分からず、ロッカが問う。セツカの返しに呆れたように肩を竦めたナツヤは、こほんとひとつ咳払いをして、それに答えた。
「古い言い伝えで、婚前の女性……つまりお嫁に行く前の女性が、春が来る前に《ニヴァリス》を摘んでしまうと、不幸が訪れるとされているんだよ。お嫁に行っていない女性の不幸といえば結婚出来ない、したいと思っても相手が現れないことだろう? ただの迷信だと言う人もいるけれど、この地域ではそう信じている人も多いからね」
「なるほど。……セツカ」
「へーきへーき。たとえどんな不幸が来ても、ロッカと一緒になんとかしちゃうもん」
「そういう問題じゃない……というかオレも巻き込むのは決定事項なのか……」
 どこからそんな自信が出てくるのかと問いたくなる程に胸を張るセツカと、反対に頭を抱えて反論するロッカの対比。まともな人間がこの場にいれば「彼女は『双子』というものを何か勘違いしているのではないか」と訝しむところだが、残念ながらナツヤはそういった突っ込みはせず、ただ本日何度目かの苦笑を浮かべるのみだ。
 そこに、「失礼します」と三人以外の声があった。開け放していた勉強部屋の外側に、メイドの一人が綺麗な姿勢で立っている。
「ロッカ様、お勉強中のところ申し訳ありませんが、『検査』をお願いしたいとのことです」
「……、分かりました」
 呼ばれたロッカは少し声を詰まらせたものの、すぐに了承し席を立つ。直後にくるりと振り向き、ナツヤ、と声をかけた。
「セツカをお願い」
「ひどーい、なんのお願いなの!」
「ああ、行っておいで」
 不服な声に被せるようにして返事を聞くと、ロッカは扉のメイドに近寄っていく。彼女に連れられて行く姿を見送りながら、セツカがねぇ、とナツヤに声をかけた。
「いつも思っていたんだけど、ロッカって何の検査をしてるの?」
「うーん……健康診断みたいなものかな。奥様に呼ばれて、色々と計測をしているらしい。僕も良く知らないのだけどね」
「ふーん……」
 今しがたロッカが出ていった扉を眺めながら、セツカは相槌を打つ。納得したのかしないのか分かり辛いが、彼女のことだ、回答を得られさえすればすぐに興味は他に移ることだろう。
 ナツヤは回答時ほんの一瞬目を泳がせたが、扉を見ている彼女がそれに気付くこともなく。そして何事もなかったのように、授業を再開するのだった。

   ■   ■   ■

 ロッカはメイドの後ろをついて歩きながら、徐々に強くなっていく悪寒に必死で耐えていた。今向かっている先を思い起こしたからだ。『検査』とは言うものの、やることはいつも同じだ。ただ寝転がって身体を調べられたり、座ったまま数々の大人にあれこれと質問攻めにされ、その間にも何らかのデータを取っているだけ。それは別に問題ない、他人の身体的な異常は本人に聞かねば分からないのだから。それよりも、その大人たちの冷ややかな視線のほうが、幼い少年にとっては苦痛の何物でもなかった。その視線は、研究する者たちが実験用の動物たちを見る時と同じものである。
「……《執行者》なるものに始末された、とお話が……」
 ふと、目的の場所のほうから話し声がし、顔を上げる。
「なんだそれは! 自警団はきちんと仕事を全うしろと伝えるんだ」
「自警団すら後を追えない程に狡猾な手合いなのだろう。放っておけ」
 その声が誰のものか分かった瞬間、ロッカはひゅ、と喉が渇いた音がした。背中を伝う冷や汗が気持ち悪い。足を止めたくても、後ろから背中を押すようにメイドが付いてきていて、それが叶うことはない。
 声の発生源は、研究室の入口にあった。そこには三人の人物が話をしていた。男性のひとりはシルバーフィールド家の部下。もうひとりは、青い髪を短く刈り上げた初老の男。そして唯一の女性である人は、鋭い眼光を部下に向けながら、達観した言葉を口にしている。三人とも異様な雰囲気を醸し出しており、傍目から見れば、声をかけるのを躊躇う者のほうが多いだろう。だがロッカの背後にいるメイドはいかにも険悪な空気に臆することもなく、お話中失礼致します、と三人に声をかけた。
「奥様に旦那様。ロッカ様をお連れ致しました」
「来たか」
「……おそくなってごめんなさい、お母さま、お父さま」
 メイドの言葉に続け、謝罪を口にする。部下以外の二人は、ユウ=シルバーフィールド、そしてフユキ=シルバーフィールド。紛れもなく、普段は屋敷にすら姿を見せることが多くない、ロッカとセツカの実の両親だ。
 ユウはご苦労、とメイドに向けて一言かけると、続けてロッカに視線を落として口を開いた。
施術後・・・は安定するかどうか、一番確認しなければならない時期だ。今回のデータは、更に今後の研究に必要になる。ここさえ越えれば、次はいよいよ実用化に向けての交渉と、手順の効率化に移れる。正確なデータが取れるように、しっかりと検査してもらえ。――これは、我がシルバーフィールド家の繁栄のためだ。光栄に思いなさい」
 それは、実の子に向けてというには一切そのことを意識していない高圧的な台詞だった。ただ淡々と、事実を口にするだけの抑揚。これが、ユウ=シルバーフィールドという人間の普通なのだ。この場にそのことを指摘する者は誰もおらず、ロッカは両親の言っていることの半分も理解出来ないまま、ただ機械的に「はい」と答えるしかないのである。
 返事を聞いたユウは、それ以上何かを言うこともなく、フユキを伴ってその場を去っていった。

 両親と別れ、引き渡された研究員の男に連れられたのは、屋敷内にある研究室。
 ロッカにとっては巨大な、用途も見当付かないような機械が部屋中、自室よりも高い天井付近にまで所狭しと並べられており、閉塞的な雰囲気を助長している。煌々と部屋を照らすディスプレイの光が、目に痛い。
 開けた部屋の中央には寝台があり、その周囲には細々とした精密機械がバリケードのように並べられている。そしてその向こうに、ホワイトボードが吊るされた扉が見えた。恐らくは別の部屋に続いていると思われるが、定かではない。
「それでは、いつものように」
 促されるままに寝台に乗り寝転がると、検査に必要ですから、と薬を渡され、それを飲み下す。すると、そう時間も経たずに意識は途切れ、そして目を覚ますと既に終わっているのだ。これもいつものことで、『検査』とは言っても研究員が何をやっているのかを、受けているはずのロッカ自身は全く知らなかった。
 ただ、その日はいつもと異なる出来事があった。大人の声ではない、それこそロッカたちと同じくらいの幼い子供の声が、研究室のどこかから聞こえたのだ。
『ゴメンネ、チイさなヒトのこ。タスケたい、デキナイ――』
 誰に対する謝罪なのか。その発言の主は誰なのか。ロッカは誰かいるの?と宙に問いかけようとしたが、直後に襲い掛かってきた強烈な眠気により、意識は微睡みの底へと沈んでいった。

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