蒸気の城:02

 クエストを完了させた後、本当にありがとうございました、と繰り返し口にするふたりと別れた。彼らは《ギルド》と呼ばれる、所謂いわゆるグループに所属しており、《本拠地ホーム》を所有している。そこへ戻り、本日はこの世界から立ち去ることになるのだろう。
「今日もお疲れさま〜。はぁ、もう戻んなくちゃかぁ」
「お疲れ。仕方ないだろ、まだレポートあるんだから。明日は講義もあるだろ」
 ロッカとセツカも、ギルドにこそ所属していないとはいえ、自分たちの本拠地を所持している。くるりと城壁へと振り向き、歩み出した。
 ゴウン、ゴウンと鳴り響く低い音は、城壁の中にある幾多の蒸気機関が稼働する音。このゲームのパッケージにも大きく描かれている、高く聳えるように建つ建物が密集した街の中心には、この世界観のモデルになった国と同じように、時計塔が存在する。そこから全方面に広がり、ぐるりと囲まれた城壁よりも背の高い建物の壁には、配管が縦横無尽に張り巡らされているのがよく分かった。街全体を遠くから見れば城に見える、ということからついたゲームの名前が《Vapor Arxワポルアルクス》――『蒸気の城』。世間ではスチームパンクと称されることもある街の景観は、このゲームの人気を後押しする要素のひとつでもある。噂では地下にも広大な迷宮が広がっているという話だが、まだそこへ行くためのクエスト情報は存在していないらしく、話題に上がることは少ない。
 セツカの言葉に返しながら、ロッカがふところから何かを取り出す。それは丸い懐中時計で、この蒸気都市の住民の証のようなものだ。城壁の門番に見せることで、街の中に入れるようになる。門番風の姿をしたNPCは頷き、どうぞ、と城壁の門を開けてくれた。
 大きさの異なる石を不規則に並べて舗装された道は、中央の時計塔から蜘蛛の巣状に伸びている。配管と看板、そしてプレイヤーひとNPCひと自動人形オートマタに彩られた本通り。平日の夜だからか、人はとても多い。
 ロッカの返しに、セツカは嫌なこと思い出させないでよね、と言いたげに顔をしかめる。
「ロッカ〜、代わりに出といてよぅ」
「残念、俺も同時刻に面談です」
「ぐぬー……仕方ない。今日のところは大人しく、武器を修復して止めておきましょう」
 現実での二人は、実の二卵性双生児の兄妹である。両親は早くに亡くしており、以降は親戚を転々としながらも今日まで一緒にいたのだから、兄妹というよりは同い年の友人のようなのだが。
 そして、ともに機械工学科専攻の大学生でもある。もっとも、主要なカリキュラムは自宅のパソコンで会議ツールを介して受けることも可能で、それも必須の科目については既にある程度の目処はついている状態。そのためそれほどキャンパスに通学する機会もなく、故に、こうしてゲームをやる時間も学生にしては豊富にある、ということだ。
 そういった訳で、ゲーマーと言うほどではないにせよ、幼少の頃から他の女の子と異なりゲームが好きだったセツカ――白銀雪花は、その余暇時間を利用し双子の兄・白銀六華とともにこの世界を訪れては、日々強化のための素材集めに奔走しているのであった。
「そうしろそうしろ。女の子に夜更かしは敵だぞ」
「男の子もでしょ! 私が寝てからも遅くまでなにかやってるの、知ってるんだからね」
「やましいことはしてないから気にしなくて良いぞ?」
「そこはむしろ、思春期終わったとはいえ男の子なんだから、普通にやってても構わないんだけどなぁ? 同年代の子みたいに。むしろそういう類のものが部屋にないのが、お姉さんは心配ですー」
 男の子と言えば、と思っている訳ではないが、我が兄はいささか自分以外の女性との関わりに疎い。思春期の少年が持ちそうな興味の矛先を工学に向けていたからなのか、そういった浮ついた話も全く聞かない事を、セツカは心配していた。浮ついた話がないのは自分も同じなのだが、そこは棚に上げておく。
 そう言い返すと今度はロッカが顔を顰め、口元を引つらせた。
「さてはアンタ、また俺の部屋漁ったな」
「人聞きの悪い。集中したら周りが見えなくなるのはどこのロッカくんかなー?」
「……あー、あの時か……。俺はアイツ・・・と違って、別にそういうの興味ないしなぁ……」
 思い当たる節があったのか、うなだれるようにして頭を抱えるロッカ。夢中になり過ぎると寝食を忘れがちな兄を心配しただけであって、断じて漁りに部屋に入った訳ではないという意思表示をしたところで、軽く彼の肩を小突きながら頬を膨らませる。
 そんな二人のすぐ近くを、知らないプレイヤーが同じように談笑しながら通り過ぎて行く。温かい電球色の光を灯したランタンに照らされた街並みを歩きながら、何気ない日常会話を交わしていると、あっという間に本拠地の前に辿り着くのだった。
 一段高いところにある玄関ドアへと続く階段を登りながら今度はセツカが懐中時計を取り出し、玄関ドアのドアノブの下にある解析パネルへとかざす。すると、青い光が走ってすぐに『ロックを解除します』という文字が浮かび上がり、かちゃり、と鍵が解錠する音が鳴る。こういうところは、流石ゲームの世界。ドアを開け家の中へと足を踏み入れながら、すう、と息を吸って、声を発した。
「ミュースー? ただいまー」
 すると、蒸気機関車SLの汽笛に似た音が耳に届く。廊下の向こうからひょっこりと姿を現したそれは、ゆっくりとした動作でこちらに向かってきた。
「オカエリナサイ、ロッカ、セツカ!」
 全体的に丸っこい、鉄の体を持つ何か。大きな耳と合わせてネズミを思わせるそれは、《ミュース》と呼ばれる、このゲームのサポートキャラである。敵である蒸気兵と同じく身体に蒸気機関を搭載している自動人形であり、本拠地を購入すれば、代わりに管理する役目を担う一台が付属している。また、ナビゲーションをサポートするミュースとは別の個体だ。
 このゲームでは、強化可能な要素が三つある。そのうちのひとつが、このミュースだ。強化することによってサポートする能力が向上し、より一層広範囲を冒険することが出来るようになる。こういった強化要素の多さが、一部のニッチな好みを持つユーザーにウケているそうだが、真実のほどは分からない。
 足元まで近寄ってきた彼(?)のために、しゃがみ込んで視線を合わせると、セツカはよしよしと頭部を撫でながら応えた。
「はいただいま。ミュース、あなたの強化に使える良い素材が手に入ったから、今度早速使ってみましょうね」
「タノシミ!」
「本当にもらっちゃってよかったのかねぇ……」
「U字さんも96さんも良いって言ってたんだし、そこ気にしたらいっそ失礼よ。有り難く使わせてもらいましょ。それよりミュース、メール見せてくれる?」
「メール! ハイ、メールデス! シンチャク、三件!」
 ピロン、と軽い音を出して展開されたウインドウ。そこに表示されたボタンに数度触れ、内容を確認していく。
 三件のうち二件はキャンペーンのお知らせだった。たまに行われる、貴重なアイテムのドロップ確率補正やレアエネミー出現率補正など、そういった予告のお知らせが運営から届くのだ。題名を確認した限りだととりあえず早急ではないので、差出人が異なる残りの一通に目を落とす。
「あら、フレンドメールなんて珍し……」
 セツカの言葉が、その名前を見て途中で止まる。その名前は、良く知るプレイヤーのもの。やがて、くすりと笑みを浮かべると、ロッカにも見えるようにウインドウの前から少し体をずらしつつ、笑みを浮かべて言うのだった。
「噂をすればなんとやら、ね」

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