本編:VSイズミ戦

「ソライシ博士の研究って?」
「ソライシ博士は、この町の先にある『流星の滝』と言われる洞窟で発見された、隕石の研究をされているの」
「隕石……?」
「ええ。マグマ団やアクア団は、その研究を利用して何か企んでいるようなのだけど……博士ったら、自分の研究に興味があるって言われたら、ホイホイついて行っちゃって……」
 傍から見れば、何故そんなものにと思うかもしれない。だがユウキの脳裏には、ひとつの記憶が過った。
 昔、両親に連れられて行ったカントーの科学博物館。そこに並べられた展示物の中には、月から落ちてきた石というものが飾られていた。『月の石』は特定のポケモンに影響を及ぼし、新たな力を与えてくれる道具のひとつ。『隕石』と『月の石』――呼び方が異なるだけで、どちらも『宇宙から降ってきた石』である事に違いはない。ただの隕石だからと切り捨てるには引っかかる……何かされる前に、何とか博士を連れ戻した方が良いだろう。
「ユウキ君!」
「ハルカ」
 思考を巡らせていると、自身を呼ぶ声が耳に届き、顔を上げる。声をかけてきたのはハルカで、手を大きく振りながらたたたっとこちらに駆け寄ってきた。
「ユウキくんもここに来てたんだね! なんだか騒がしいみたいだけど、何かあったの?」
 問われた答えを返そうとして、ふと思い留まる。話すのは簡単だが、相手は何か怪しい動きをしている大人達だ。危険な事に巻き込んでしまうのではないか?
 数秒考えたのち、ユウキはハルカの両肩に手を置くと、初めに話そうとしたものとは異なる言葉を口にした。
「ハルカ、ちょうど良かった」
「え?」
「町の人たちが、旅をしているトレーナーのポケモンを見てみたいって言うんだ。オレはちょっと急用があるから、代わりに見せてあげてくれないかな? じゃ、頼んだよ!」
「えぇ!? ちょ、ちょっと待ってそんな突然!? 待っ……」
 どのみち時間もない――ならば、暫く動けなさそうな頼み事をして足止めしておく方が良い。ユウキはソライシ博士の奥さんとハジツゲタウンの人たちへの対応を全てハルカに押し付けると、アクア団が消えたという流星の滝へと急いだ。

 ハジツゲタウンから然程かからずに辿り着いた、流星の滝。数人の足跡が残った入口を潜り抜けて一番に目に飛び込んできたのは、洞窟の奥から流れ出してくる水が形成した滝だった。流星の滝と呼ばれるくらいだ、確かにこれは圧巻の光景だろう。
 入口からすぐにある階段の上、そこから観瀑にももってこいの場所であろう橋の上に人影が見え、極力音を立てずに、息を潜めて近寄ってみる。
「それで? その隕石とやらはどこにあるんだい?」
「ええ、それは私が持っていますが……」
「さっさと寄越しな。それはアタシらが役立ててやるよ」
「えぇ? ちょっとお話が――」
 友好的なやり取りをしているのであれば、町の人達の勘違いだと説明しようと思い聞き耳を立ててみるが、どう捉えてもそうだとは思えない。博士らしき男性が戸惑う声が聞こえた辺りで、ユウキはわざと足元の砂を蹴り上げ、音を立てながら物陰から出た。こちらに気が付いた相手が、ギロリと睨みつけてくる。
 女性一人に男性二人。男女が見覚えのある服装を纏っている事から、こちらがアクア団の人だろう。という事は、白衣の男性がソライシ博士か。
「ねぇ、道のど真ん中に立ってると邪魔だよ」
「ああん? 何だい、このクソ生意気なお子ちゃまは」
「そっちこそ、こんな人目につかなさそうな場所で何してるの? オバサンたち」
「オバッ……、……ふ、フン。見りゃ分かるだろう、アタシ達はソライシ博士と大事な『大人の話』をしてんのよ。お子ちゃまは終わるまで大人しく待ってな」
 アクア団の格好をした女性は一瞬すごい形相を浮かべ、すぐにそれを引っ込めると、こちらに向かってシッシッと手を払う。軽くあしらおうとしているのを察したが、ここではいそうですかと帰るなら、わざわざこんな場面で顔を出したりはしない。
 ユウキは、ソライシ博士に視線を投げかける。本当に『大人の話』であるなら、博士も女性と同じ態度を取るはず。視線に気が付いた彼は怯えた表情で、二人に気付かれないように小さく首を振った。勘違いでなければ、横に振るのは「違う」の意思表示である。ふう、と息を吐き、腰のベルトに着けているモンスターボールを手に取りながら、にっこり笑って答えを返した。
「そうは行かないんだよね。何せオレ、その人を連れ戻して欲しいって頼まれて、ここに来たからさ」
「正義の味方気取りかい? 過ぎたる好奇心は自分を殺しちまうよ!」
 だが、女性の行動はこちらがボールを投げるより速かった。相手の指がこちらを指し示すと同時に、隣にいたグラエナがトップスピードで両者の距離を駆け抜け、気が付いた時にはその牙がユウキに襲いかかっていた。
 ガキィ!と洞窟内に響く鈍い音。ユウキの肌まであと数センチというところで鋭い牙の攻撃は止められ、グラエナが静かに現れた影に、驚愕の表情で目を白黒させている。
 傍に現れたのは、近場に潜ませていたユウキのポケモン、ストライクだった。腕にある鎌の刃はグラエナの口内にあり、あと数センチ突撃していれば、グラエナは悲惨な目に遭っていただろう。ストライクと距離を取ったグラエナが、主人の指示を仰ぐ体勢を取る。
 ユウキは流星の滝の入口に着いたところで、念の為に手持ちであるストライクをボールから出していた。相手は博士を誘拐するような集団だ、何があるか分からないと予想出来たからだ。――にしても、もうちょっと隠れてくれてて良かったんだけどな。目でそう訴えるが、ストライクはふんすと鼻息を荒くするだけで、どうも聞く耳は持ってくれないようだった。
 一連の流れを唖然と眺めていたアクア団の下っ端と女性だが、女性はは、と口の端を吊り上げ、妖しく笑う。
「出て来る前に、近くにポケモンを忍ばせていたとはねぇ? なかなか肝が据わっているお子ちゃまだ。けど、その余裕もいつまで持つかねぇ!」
 女性が声高に叫ぶと、付き従っている下っ端も慌てたようにポケモンをボールから出してきた。ヘドロポケモンのベトベターだ。こちらはストライク一体、相手はグラエナと合わせて二体。数では不利だと、ジュプトルが入っているボールを取ろうと動く。
「“メガドレイン”!」
 指がボールに触れたところで響き渡った声に、思わず動きを止める。
 相手のグラエナの周囲に緑色の薄い膜が現れ、かと思えば唸るような鳴き声を上げる。“メガドレイン”は対象のポケモンの体力を吸い取る技。生気を吸い取られたグラエナは、少しぐったりしているようだった。
 声が聞こえたのは、洞窟の入り口。そちらに顔を向けると、予想通りの人物が、キノココを肩に乗せて仁王立ちで立っていた。
「その『お子ちゃま』相手に二人がかりなんて、どこが『大人』のやる事なんでしょうね!」
「また新たなお子ちゃまか。ボウヤの彼女かい?」
「断じて違うし」
 立っていたのはまさに、先程ハジツゲタウンの住人を任せてきたはずのハルカだった。茶化すような問いは全力で否定した後、駆け寄ってきた彼女に問いかける。
「何で来たのさ。危ない事に首を突っ込むと、親父さんに怒られるよ」
「そういうことだと思った! だからって、黙って見てられないよ」
 一応、手持ちはまだそこまでダメージを受けていないから平気だけど、と突き放す事も出来るが、そんな事をしたところで引き下がるような子でもなさそうだ。
 ――コイツら二人、オレらも二人。ま、倒すなら最善か。
「分かった。悪いけど、力貸してくれる?」
「お願いされなくても、そのつもり!」
 彼女の肩に乗っていたキノココがぴょいんと飛び降り、ストライクの隣に並び立つ。笠の裾をかさかさ鳴らし、自分を鼓舞するかのように鳴いた。
「はっ、アクア団サブリーダーのイズミ様も舐められたものだねぇ」
 アクア団の女性――イズミは笑みを崩さないまま、笑っていない目でこちらを見た。
「良いさ! 口のきき方を知らないお子ちゃまには、たーんとお仕置きしてあげなきゃねぇ!」
 その言葉を合図に、ストライクにはベトベターが、キノココにはグラエナが向かってくる。なんとか下っ端のポケモンを倒して、数の有利を取りたいところだ。
「ベトベター、“どくどくの牙”!」
 グラエナの猛攻を間一髪で避けたキノココだが、一瞬の隙を狙ったベトベターの攻撃でダメージと毒をもらってしまう。毒状態を放置すると徐々に体力が奪われる為、早く毒治しを、と言いかけ、気付く。毒状態である割には、キノココはやたらと――むしろ、調子が良さそうな顔をしている。ハルカも何故か道具を使おうとしていないのを見て、ああなるほど、と納得した。
 キノココとグラエナの間にストライクを滑り込ませる。グラエナは先程から、若干足元をふらつかせている。“メガドレイン”を喰らっているのだ、恐らくはストライクの攻撃で倒せるくらいの体力しか残っていないはずだ。
「ストライク、削り切るよ! “翼で打て”!」
 ユウキの声に応じるように鳴いたストライクが、一瞬動きを止めた相手に翼での一撃をお見舞いする。予想通り、まともに喰らったグラエナはバタンと倒れてしまった。
 イズミはグラエナをボールに戻し、もう一方の手から別のモンスターボールを出すと、ニヤリと笑う。
「お子ちゃまだと油断し過ぎたようだねぇ。良いさ、それならコイツでどうだい!?」
 ――しまった、二体目がいたのか! 手っ取り早く弱っている方を倒す事で、相手よりも数の利を得ようとしたのが仇に出たのを知り、警戒を強める。
 イズミが投げたボールから勢い良く飛び出した影は、下に流れる水流へと飛び込んだ。そしてすぐにバシャン!と水を弾いて飛び出したのは、赤と青の体とヒレ。それら以上に目を引くのは、グラエナ以上に鋭い牙と顎を持った口だ。
「ユウキくん、気を付けて! キバニアの身体に接触すると、『鮫肌』でこっちのポケモンがダメージを受けちゃうよ!」
「忠告ありがと」
 『水』タイプが相手なら、ジュプトルが有利に立てる。一旦ストライクを引っ込めたほうが良いか――一瞬、躊躇った。
「キバニア、“アクアジェット”!」
「!? ストライク、避け――」
「キノココ!」
 水の中に戻ったキバニアが、ベトベターを仕留めたストライク目掛け、ものすごい速さで突進を繰り出した。すぐ後ろにいたキノココも巻き込まれ、頭から噴き出した種を撒き散らしながら、共に橋の下へと落下してしまう。
 キバニアが再び水流に姿を消し、イズミは何がおかしいのか、肩を震わせて高笑いをする。
「ストライクはともかく、おちびちゃんのほうは流されちまったかねぇ? ほぅら、次のポケモンを出しな。全部倒してあげようじゃないか」
「あなた……! キノココを笑った事、絶対許さない!」
 ハルカが形の良い両眉を吊り上げ、激昂の声を上げたのに、ユウキは自分でも戸惑う程に驚いた。笑顔ばかり見ていたので、『彼女も怒れたのか』という驚きである。
 彼女はイズミを睨み付け、他の手持ちが入っているであろう腰のボールに手を伸ばしかけていた。ユウキはそれを、彼女の前に手を出して制止する。ジュプトルには悪いが、ここは譲ってもらおう。
「出さなくて良いよ」
「え?」
「技を指示する準備をしていて。合図を出したら放つんだ」
 視線はアクア団の二人に向けたまま、敵に聞こえないようハルカに小声で言う。『ポケモンを出さずに指示を待機』がどういう意味を持つのか、果たして伝わっただろうか。確認をしたいが、そんな余裕はなかった。
 水中ですいすい泳ぐキバニアの魚影が、薄っすらと水面に浮かぶ。それがより濃くなるタイミング――つまり、キバニアが水面の様子を窺う為に上がってくる瞬間を見極めるのだ。
「――ストライク!」
 影が大きくなった瞬間、ユウキが自身のポケモンの名を呼ぶ。
 直後、橋の下に落ちたはずのストライクが、小脇にハルカのキノココを抱えたまま現れる。水面スレスレまで上がってきていたキバニアに音もなく近付き、その側の水面に強烈な羽の一撃を放つ。音を立てて弾かれた水面は大きく波打ち、キバニアの姿を、こちらにはっきりと視認させた。
「今だ!」
「っ! ――キノココ! “ギガドレイン”!!」
 攻撃と水面への衝撃で怯んだキバニアの隙を逃さず、ハルカの指示に応じたキノココがキバニアから体力を吸い取った。『水』タイプは『草』タイプに弱い。キバニアはそれが決定打となり、気絶して水面に落下。ぐるぐると目を回して浮かんでいた。
「キバニア!? 何であんなおちびちゃんに……!!」
「特性と種だよ、オバサン」
 憤慨するイズミに、ユウキはストライクが地面に下ろしたキノココを指し示した。キノココは彼女に向かって、勝ち誇った顔で舌をんべーと出している。
「キノココは自身の特性と、“アクアジェット”を受けた時にキバニアに植え付けた“ヤドリギの種”で、体力を回復してたんだ。後は水面を叩いてキバニアを驚かせ、怯んだ隙に弱点の技を確実に当てさせた、って訳だよ」
 先程ベトベターに与えられた『毒』の状態異常は、普通であればポケモンの体力が奪われるという厄介なもの。だが、キノココの特性『ポイズンヒール』は、『毒』状態であれば、逆に体力を回復する。事前に弱点である技でダメージを受けていたのに、キバニアの“アクアジェット”にキノココが耐えられたのはその為だ。
 そして、キバニアが突撃してきた時に勢いで吐き出したヤドリギの種は、その名の通り宿主の体力を奪う。キバニアは徐々に体力を奪われていたのだが、水中に身を潜めていたので、イズミ達が気付く事はなかった。ストライクとキノココが同じ方向に飛ばされていて、かつストライクがキノココを助けていなければ成立しなかった反撃だったが、上手く行って良かった。
「さて……さっさと観念して、ソライシ博士を解放してくれないかな。アクア団」
 きっ、とユウキが意図的に目を細めて視線を向けたが、アクア団の下っ端が間抜けな声を上げただけで、イズミは不愉快そうな表情を崩さないまま。無言の睨み合いになるのか、それなら受けて立ってやろうと思い始めた、その時。
「フン……子供風情に手こずるとは笑止なり。アクア団の者共よ」
 ここにはいないはずの、聞き覚えがある声が背後から耳に届く。声の主は足音を洞窟内に響かせ、ユウキとイズミの視界に入ってくると、歩いていてズレ落ちたのか眼鏡の位置を直した。ハルカが、怯えた声で誰、と呟いたようだった。
 眼鏡の男――マツブサは、その呟きを拾ったのかこちらを一瞥し、だが何も触れずにイズミへと視線を戻す。彼女は呆れたように笑った。
「マグマ団まで来やがるとはねぇ。仕事熱心な事だ、マツブサ」
「そちらこそ、アオギリはどうした。下っ端如きが完遂出来る任務でもないだろう」
「アンタと違ってアオギリは忙しいのさ、準備やら何やらでね。アンタもホムラがいるんだから、こき使えば良いじゃないか。アイツの良い運動にもなるだろうよ」
「こちらは基本的に、適材適所なのでな。ここに来るのは私が相応しい、と判断したまでだよ」
 敵対している同士にしては、互いに互いの内情に詳しいような、とイズミが発言した『ホムラ』という名前に覚えがあるユウキは感じていた。マグマ団の幹部である者の名をアクア団の者が知っているのは、何故なのか。目の前で繰り広げられる会話に、より集中しようとした直後。
「仕方ないね。オイ! 取り敢えず、隕石を奪っちまいな!」
「アイサー!」
「うわっ……!」
「あっ……ソライシ博士!!」
 イズミの指示で動いた下っ端が、状況に付いて行けず戸惑っていたソライシ博士の腕を掴み上げ、彼が持っていた箱を奪い取った。博士の救助という目的がすっかり頭から抜けていた自分に舌打ちし、用がなくなったアクア団に突き飛ばされた博士を受け止める。その隙に、イズミとアクア団の下っ端は洞窟の出口へと走り始めていた。
「隕石と煙突山の莫大なエネルギーを合わせられれば、あたしらアクア団の望む世界にドーンと近付けるんだ。マグマ団も、何も知らないお子ちゃま共もジャマすんじゃないよっ! そんじゃーね、お子ちゃまアンドマグマ団!」
 捨て台詞を吐く敵をすぐに追いかけようと思ったが、ふとこんな場所に、しかも得体の知れない組織のリーダーとハルカを一緒に置いて行って良いものか、と思い直す。馬鹿でも分かる、良いはずがない。潔く、追跡は諦めた。
「……フン。逃げたか」
「マブツサ様。逃げたアクア団を追いかけないと」
「待てよ、マグマ団リーダー」
 踵を返し、アクア団が去ったのとは逆の入り口に向かおうとする相手に、ユウキは声をかけた。ハルカが、慌てたように自分の名を呼んで止めようとする。マツブサは返事もなく、だが顔は僅かにこちらに向けてきた。
「どこの輩が愚行を働いているのかと思えば……貴様は、カイナの博物館で我々の邪魔をした子供だな」
「その節はどーも」
「見たところ、貴様はアクア団と対立しているようだが」
「だったら、詳しく教えてくれるのか? アンタが何でここにいるのかとか、マグマ団とアクア団が実は繋がってるんじゃないか、とかの答えを」
「まさか。目的を話せば、貴様は我々の目的すらも邪魔するだろうが」
「人間やポケモンたちに害を成すなら、な」
 ユウキがきっぱりと答えると、相手は難しい顔をしたまま眼鏡の位置を直す。どうも見定められている気がして、居心地はとても悪い。
 やがて、マツブサは息を吐くと、口を開いた。
「…………まあ良い。我々がこの場に居合わせたのは、アクア団と同じ目的だったからだ。先を越されてしまったがな。そしてあのイズミという女と、博物館で貴様も会っているホムラは、過去に同じ研究所にいただけだ。今は袂を分かち、敵対している」
「『目的』? ソライシ博士が持ってた『隕石』のこと? あれは何なんだ?」
「流石にそこまで答えてやるものか。……さて。アクア団とじゃれあうのは構わんが、くれぐれも我々の邪魔にならぬよう気を付ける事だな。ものの一秒でも我らに楯突こうものなら、このマツブサ……子供相手だろうと、容赦はせぬ。ゆめゆめ、忘れぬ事だ」
 そう言うと、マツブサは踵を返し、マグマ団の下っ端を伴って入ってきた洞窟の入口へと歩み出した。ストライクが威嚇の声を低く唸らせるが、ユウキは止めた。
「またじきに会う事になるだろう、ポケモントレーナーのユウキ。――ではな」

 完全にマグマ団一行が去り、訪れた静寂。ユウキは緊張を解き、帽子の上から頭を掻いた。
「逃げられた……いや、『逃された』、のかな」
 敵であるこちらに躊躇いもなく背中を見せ、堂々と去っていったのを思い出し、大きく溜息を吐く。完全に子供だと舐められていると感じ、だからこそストライクも威嚇したのだろう。貴様に何が出来る、そう言われたような気がした。
 マグマ団、そしてアクア団のやつらが何を企んでいるのか。それを、確かめねばならないな――そんな事を考えていたが、突然背中に衝撃を加えられ、「うわ!?」と間抜けな声が出た。思わず背後を振り返ると、怒っているのか泣きそうなのか、とても微妙な表情をしたハルカに睨み付けられた。
「『逃げられた……』じゃないよユウキくん! バカ!」
「な、何だよハルカ!? 今なんでぶった!?」
「ぶってない!! どうしよう、マグマ団の人に容赦しないって睨まれちゃった……!」
 ああ、これはだいぶパニックを起こしている。成り行きとは言え、悪事を働いている組織と面と向かって敵対してしまったのだ、ハルカのような女の子には怖くて仕方がないのだろう。やはり、彼女を置いてアクア団を追跡するのを止める、という選択は間違ってなかったようだ。
 痛む背中を擦りながら、ユウキはひとつ息を吐き、落ち着かせる為に口を開く。
「ハルカはまだ、名前は知られてないから大丈夫だろ? アクア団の前でも名前で呼ばなかったしな」
「え? ……ええ!? ご、ごめんユウキくん、あたし思いっきり『ユウキくん』って……!」
「あー、オレは別に良いよ、マグマ団には自分から名乗ったし。さっきのヤツの話、聞いてただろ?」
 そう、マグマ団リーダーのマツブサには、既にカイナシティの博物館で自ら名乗っている。ハルカのせいではないのだ。
 とはいえそれでも気になるのか、彼女はがっくりと肩を落とすと、でも、と続けた。
「あたしのせいでユウキくんを危険に晒しちゃったと思うと、ものすごく申し訳ない……うう……」
「何言ってんの。ハルカみたいな女の子が危険に晒されるよりは、ずっとマシだろ」
 言いながら、これからの進路を考える。流星の滝を抜けたところで辿り着くのは第一ジムがある町、カナズミシティ。デボンコーポレーションの社長に手紙を渡した報告はしなければならないものの、今行く必要は特に感じられない。どの道ソライシ博士をハジツゲタウンに送らねばならないし、それなら一旦キンセツシティに戻り、煙突山に登る準備をするのが得策か。よし、そうしよう。
 思考をまとめながら意識を失ったソライシ博士の肩を担ぎ上げ、ユウキはハルカの方に向き直る。
「さて、オレはソライシ博士をハジツゲに送ったらまっすぐキンセツに戻るけど、ハルカはどうする? 同じなら送る――」
 彼女は、先程とは一転して、目を丸くして驚いたような表情を浮かべていた。何故か顔、いや耳までをも赤くし、口をコイキングみたいにぱくぱくさせ、何かを言おうとして失敗しているように見える。自分は彼女を怒らせるような何かを口走っただろうか、と不安になりつつ、彼女の名を呼んでみる。
「ハルカさん?」
「え!? あ、い、いやなんでもないなんでもない! ごごごごめんね、なに!?」
 どう見ても『何でもない』風には見えなかったが、ここは触らぬ神に祟りなし。深く追及する事は止め、もう一度同じ質問を彼女に投げかけるのであった。