本編:石の洞窟

「石の洞窟……ここかー」
 ムロタウンジムリーダーであるトウキを撃破したユウキは、デボンコーポレーションの社長に託された手紙を渡すべく、その相手が向かったと聞いた『石の洞窟』の前に立っていた。トウキの話では、ここに珍しい壁画や石があるそうで、『ダイゴ』という手紙の受取人はそれを目的に喜び勇んで向かって行った、という事である。
 見たところ、外見は何の変哲もない、ありきたりな洞窟への入口。ムロタウンの住人達は口を揃えて「すごい発見だ」と称賛しているが、一見普通の洞窟にしか見えない。何かあるとすれば、洞窟の中なのだろうか?
「洞窟、ねぇ……何があるんだろうな?」
 頭の上に乗ったキモリと、隣に立つストライクに向けて問いかける。が、二匹とも首をひねるような動作をするだけで、答えは返ってこなかった。
 まあいい、取り敢えずは入ってみようか。ユウキは念の為ストライク達をボールの外に出したまま、石の洞窟へと足を踏み入れた。
 中は申し訳程度の照明があるとはいえ薄暗く、適度に整備された道が奥へと続いている。途中に立っている山男と一言会話を交わした以外は、寄り道せずにまっすぐに奥へと向かう。捜し人はおろか、奥から出てくる人とも全くすれ違わなかったので、入れ違いになったという事もなさそうである。
 そして、洞窟内の開けた場所に出ると飛び込んできた光に、ユウキは思わず足を止めた。
 整備されたのであろう、洞窟の中心へと続く道には明かりが控えめに灯されており、通路よりも明るい空間に思わず目を細める。視界が光に慣れ目を開けると、そこには洞窟内の壁いっぱいに描かれた、巨大な壁画が存在していた。
 巨大な怪獣のような生き物が二体、対峙するように描かれており、その迫力に思わず圧倒される。噴火する山々と、荒れ狂う海。なる程、これは確かに大発見だと言えるものだろう。壁画はまだ天井にも続いていそうだったが、現在の光源では頭上の暗闇に光が届かず、確認出来ない。
「すごい、なんだこれ……」
「――ふむ」
 自分ではない誰かの声が耳に届き姿を捜すと、一人の男性が、洞窟の中央にある階段を上がった先で、壁画を見上げていた。銀髪の、洞窟には不釣り合いな程に身なりの良いスーツの青年。彼が、手紙の受け取り主である『ダイゴ』なのだろうか。
 男性はこちらには気が付いていないのか、自身に確認するかのように言葉を紡ぐ。
「原始の世界においては、ここまで強大な力をまとっていたと言うのか。超古代ポケモン……凄まじいパワーだ。そしてこの姿は、メガシンカとも異なる何か。……うん、もう少し調査が必要だな」
「アンタ……いや、アナタが『ダイゴ』?」
 頃合いを見計らい、ユウキは自身よりも年上であろう男性に近付いて、慣れない敬語で話しかける。今の今まで他人の存在に気が付いていなかったらしい彼は、こちらを振り向くと僅かに目を見開いた。
「ん……? キミは?」
「オレは、ミシロタウンのユウキです。『ダイゴ』という人に用があって、ここにいるって聞いて来ました」
「そう、ユウキ君と言うんだね。――失礼。ボクの名前は、確かに『ダイゴ』だ。珍しい石に興味があってあちこち旅をしているから、手間をかけさせたね」
 すっ、と組んでいた腕を下ろし、ユウキと向かい合うように佇まいを直した男性――ダイゴは、軽く首を傾げながら名を問うてきたので、ユウキは名乗った。捜していた人物その人である事が分かって安心した反面、そのどこか品の良い動作を見ていると、ますますこんな洞窟とは不釣り合いに思えてくる。
「珍しい石……ああ、だからこんなところにいるんですね。あれ、でもここにあるのは『壁画』であって、『石』はないんじゃ……?」
「ん、良い疑問だ。それはそうさ、ボクがここにいるのは、珍しい石を探す為の情報収集だからね。――で、ボクに用、とは?」
 本題を忘れかけていたユウキは、向こうから問われてそうだった、と背中のバックパックを下ろし、目的のものを取り出した。宛名も差出人も書かれていない、業務用の封筒に包まれた手紙を、彼に差し出す。
「ええっと……これ。アナタに預かりものです」
「手紙?」
「『デボンコーポレーションからだ』と言えば分かる、って預かった人に言われたけど、分かりますか?」
 不思議そうな表情をした相手に、デボンコーポレーションの社長に言われた事をそっくりそのまま伝えてみる。すると、ダイゴは「ああ」と納得したように頷き、手紙の封は開けず懐に仕舞った。
「大丈夫だ。ありがとう、わざわざ届けてくれたんだね。そのうち、何かお礼をさせてもらうよ」
「大丈夫です。もう頼まれた人からお礼も受け取ってるし、旅のついでだったから」
「そうかい? ……じゃあ、ボクからキミに聞きたいことがあるんだけど、お礼はその報酬だと思って聞いてくれるかい?」
「オレに答えられるものなら」
「なに、難しいことではないからね。この壁画を見て、何か感じるところはあるかな?」
 言うと、ダイゴは洞窟の壁画を指し示しながら視線を戻したので、ユウキもそれに倣い壁画に顔を向ける。先程よりも間近になった壁画はやはりとても大きく、見る者を圧倒させる何かがあるような気がする。とはいえ、自分には何と表現すれば良いのか良く分からないので、思ったままのことを口にしてみる。
「すごい迫力だな、と。……あれは、ポケモンですか?」
「そうだね。ホウエンに伝わる伝承によれば、数千年の昔、原始の頃……その力をもって、ボク達人間の大いなる脅威となっていた、伝説のポケモンを描いたものだ。その力の凄まじさが、壁画を見ているだけで伝わってくるようだと思わないかい?」
「確かに、エンジュの塔と一緒で、何か神聖な感じがする……気はする」
「……エンジュ? ジョウト地方の『エンジュシティ』のことかい?」
 ダイゴが訝しげに聞いてくるのも、無理はない。『ミシロタウンの』と名乗っておきながら別地方の地名を知っているのは、珍しい事だろうと思う。ましてや、ホウエンにはカントーとジョウトのようにリニアがある訳でもなく、他の地方への容易な移動手段が限られているのだから。ユウキはこくんと頷き、その訳を口にする。
「そのエンジュで合ってます。オレ、最近ジョウト地方のアサギからこっちに引っ越して来たばかりで、エンジュには修学旅行で行きました」
「なるほどね。……エンジュシティの『スズの塔』は、ジョウト地方で語られている伝説のポケモンが舞い降りる場所、だったか」
「アナタもよく知ってますね?」
「ボクはまぁ、石を探す目的でいろんな地方を旅してきたからね」
「……月の石、とか?」
「ニビシティの科学博物館は、とても良いところだったと思っているよ。『月の石』に、古代に生きていたポケモンの化石……滞在中に三回は見に行ったけど、正直あそこに住みたいくらいだ。ああ、もちろんお月見山にも登ったよ。たまたま遭遇したピッピたちの集会を、見学させてもらったりね。残念ながら、この目で月の石を見付けるには至らなかったけれど」
 『月の石』と聞いただけなのに、まさかそれに関する施設や山の名称まで出てくるとは思わず、ぶはっと噴き出す。相手の石に対する情熱に感心していると、ダイゴが「何かおかしなことでも言ったかな?」と首を傾げた。
「いや、本当に石が好きなんだなと思いました」
「鑑定人としては素人同然なんだけどね。……それより、『最近引っ越してきた』と言うことは、古来よりホウエン地方に伝わる伝承も知らないだろう? キミさえ良ければ、ボクが今からその伝承の語り手を務めようと思うのだけど、いかがかな?」
 伝承そのものが一般にも浸透している地域は、それそのものが現代にどう影響しているのかで変わってくるだろう。引っ越してきて日が浅い自分がホウエンの伝承を知っている訳もなく、それを気遣っての発言だと分かった。ユウキは素直に頷いた。
「はい、聞きたいです」
「承知した。では、僭越ながら……」
 ダイゴはこほん、と一度咳払いをすると、洞窟の壁画に向き直った。
「《――遙か昔。強大な力を持ったポケモンが、ホウエンに現れた。それは、のちにグラードン・カイオーガと呼ばれる二匹のポケモンだった。グラードンが吠えると大地が盛り上がり、陸が広がった。太陽が照りつけ、辺りは灼熱に包まれた」
 ダイゴは言葉を紡ぎながら、左手を大仰に動かし、壁画を指し示す。その動きにつられて視線を動かした先には、いくつもの噴火した火山が並び、大地が隆起している様が描かれている。こちら側にいるのが『グラードン』なのだろう。
「カイオーガが咆哮すると水が溢れ出し、海が広がった。辺りに暗雲が立ち込め、豪雨が降り注いだ」
 少し間をおいて、ダイゴが今度は右手を同じように動かし、壁画の右側を指し示す。大波に乗った大きな何かが、中央に向かって口を開いているように見えた。その大きな何かは、間違いなく『カイオーガ』と言うのだろう。
「原始の時代――。自然界にはエネルギーが満ち溢れ、そのエネルギーはグラードン・カイオーガに圧倒的な力をもたらした。二匹は更なるエネルギーを求め、度々衝突を繰り返し、ホウエンの人々やポケモンの暮らしを大いに脅かした」
 す、と右手で人差し指を立て、その先が壁画の中央、何か丸いものが光を帯びているような絵を示した。
「自然のエネルギーによって圧倒的な力を漲らせた二匹の様は、後世の人々をして『ゲンシカイキ』と言わしめ、それぞれの姿は『ゲンシグラードン』、『ゲンシカイオーガ』と呼ばれた》――。ボクが知っている伝承は以上だよ。ご清聴、誠に感謝致します」
 ゆっくりとした動作で自身の胸元に手を当てたまま、こちらに向かってお辞儀をするダイゴにパチバチと拍手を贈ると、ユウキは壁画に視線を戻し、語られた超古代ポケモンの名を呟いた。
「グラードン、カイオーガかぁ」
「この壁画は、原始の時代に生きた人々が、グラードンとカイオーガの強大な力について後世に伝える為のものなんだよ。そして同時に、この力の恐ろしさについてもね」
 絵を見る限り、グラードンとカイオーガの二匹は超常的な力を持ち、その圧倒的な力の前には、人も並のポケモンも太刀打ち出来ないのが見て取れる。当時は岩を削る道具もろくなものがなかっただろうに、ここまで迫力のある絵を、洞窟の岩肌に彫り続けるのは大変な労力を要した事だろう。
 古代の人々の技術と執念を称賛しつつ壁画を見上げていると、「ところで」と声をかけられたのに気が付き、声の主へと視線を向ける。ダイゴ自身はユウキではなく、ユウキのポケモン達を見ていたようだ。
「そのキモリとストライクは、キミの手持ちポケモンなのかな?」
「うん……あ、はい。キモリはこっちに引っ越してから、ミシロタウンに住んでいるポケモン博士にもらったポケモン。ストライクは、もっと前にジョウト地方の自然公園で」
「へえ、オダマキ博士から」
 知らないだろう、と思ったからこそ『ポケモン博士』という呼称を使ったのだが、相手からオダマキの名前があっさり出てきた事に、ユウキは目を丸くする。その反応の理由を察したダイゴは、苦笑を浮かべながら答えた。
「ホウエン地方のポケモン博士と言えば、ミシロタウンに住んでいるオダマキ博士、くらいには有名だからね。ポケモントレーナーなら、誰でも知っていると思うよ」
「……と言うことは、アナタもポケモントレーナー?」
「え、見えなかったかい? それは少しショックだな」
 綺麗な身なりに立ち居振る舞い、それらから彼がポケモンバトルをするようなイメージが沸かなかったユウキが問いかけたそれに、ダイゴは若干不服そうに口を尖らせる。入口にいたのが釣り人、山男といった見た目がスポーティなトレーナーであった事も、想像がつかなかった一因だろう。
 すぐに謝ろうと思ったが、それよりも前にその表情は消され、彼はふむ、とひとつ頷く。
「キミのポケモンも、彼らに負けじとなかなか良い感じだね。キミと、キミのポケモンたち……修行を続ければ、いつかはホウエンにあるポケモンリーグのチャンピオンにだってなれる。ボクは、そう思うな」
「ポケモンリーグかぁ……。挑めたら良いな、とは思います」
「キミならやれるよ。四天王やチャンピオンは、いつでも挑戦者を待ち望んでいる」
 ユウキの答えにダイゴは妙に力強く頷き、おっと、と何かに気が付いたような声を上げた。
「じゃあ、ボクは先を急ぐから。また会おう、ユウキ君。次に会う時は、その敬語はなしにしてくれて構わないからね」
「へ?」
「ボクに敬語は必要ないよ。キミとは、きっと長い付き合いになるだろう――未来のチャンピオン」
 そう言い残すと、彼はもう振り向かずに洞窟の入口へと姿を消した。敬語を使い慣れていない事が丸分かりだったか、とユウキは頭を掻き、ストライクとキモリに視線を向けると、自分達もここを出ようかと足を入口に向けるのだった。